都道府県市区町村
落書き帳

谷中湖

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[22463]2003年12月2日
いっちゃん
[35717]2004年12月13日
いっちゃん
[35735]2004年12月13日
むじながいり
[43138]2005年7月19日
hmt
[43139]2005年7月19日
いっちゃん
[43323]2005年7月23日
美濃織部
[46855]2005年11月24日
むじながいり
[46867]2005年11月24日
hmt
[46877]2005年11月25日
むじながいり
[46878]2005年11月25日
JOUTOU
[46879]2005年11月25日
いっちゃん

[22463] 2003年 12月 2日(火)16:26:10【1】いっちゃん さん
県境越え
千葉県野田市→茨城県境町→茨城県古河市→埼玉県北川辺町→栃木県藤岡町→群馬県板倉町のルートは、夜中だったら車で30分ほど走るだけで5県を巡ることができる。
だからどうだと言われても困るけど・・・。
[35717] 2004年 12月 13日(月)08:23:51【1】いっちゃん さん
「食い込み」「くびれ」と言えば
[35634]佐賀県さん
佐賀市方面から唐津市方面に向かう場合でいうと、国道203号線を進んで厳木町から相知町に入った!と思ったのもつかの間、すぐにまた厳木町に「戻り(?)」、そしてまたすぐに相知町に入ることになり、変な感覚を味わいます。
[35667]M.K.さん
道路の形状も手伝って、実際に走行すると不思議な感じがしそうな場所ですね。

私に打ちやすいボールを投げていただいたようで・・・。
私の記念すべき最初の書き込みのネタがまさにこの世界です。
まずは地図をご覧下さい。
スタート地点を右下の三国橋としましょう。
ここは「茨城県古河市」です。
橋を渡ると「埼玉県北埼玉郡北川辺町」に入ります。
渡ったところを右折して、柏戸の信号を渡良瀬遊水地方面に斜めに入ります。
程なく「栃木県下都賀郡藤岡町」に入りますが、すぐさま「群馬県邑楽郡板倉町」に入ります。
が、入ったと思ったら再び「北川辺町」に入り、こちらも入ったと思ったら「板倉町」に再突入してしまうのです。
この間せいぜい3kmです。
ついでに言うと、この道を直進すると今度は「藤岡町」に再突入します。これを加えてもトータル5kmちょっとでしょう。
この道はご丁寧にその都度県境の標識が立っているので、知らない人が走ると「ここはトワイライトゾーン・・・?」という感じです。
すべて県も変わるので、越県合併でもない限りこの状態は安泰ですね。
[35735] 2004年 12月 13日(月)19:21:45むじながいり さん
県境跨ぎ
[35717] いっちゃん さん

私がこの地で思いつくものといえば「渡良瀬遊水地マラソン」です。この大会はこの場所をスタート・ゴールとして、渡良瀬遊水地を2周するのですが、42.195kmの間に県境をなんと20回も跨ぎます。これほど県境を超える大会はなかなかないでしょう。まさに県境錯綜のこの地ならではです。走っていて、今いったい何県にいるのかわからなくなります。
主催者にこそ古河市が加わっていますが、茨城県に入ることがないのが残念ではありますが…。あと10メートル程度の位置にはいくんですけど。

ちなみに順に
栃木県藤岡町→埼玉県北川辺町→栃木県藤岡町→(栃木県野木町→栃木県藤岡町→群馬県板倉町→栃木県藤岡町→群馬県板倉町→栃木県藤岡町→群馬県板倉町→栃木県藤岡町→栃木県野木町→栃木県藤岡町→埼玉県北川辺町→栃木県藤岡町)→()内くりかえし→埼玉県北川辺町→栃木県藤岡町
[43138] 2005年 7月 19日(火)22:54:35hmt さん
ハート形貯水池のある渡良瀬遊水地に消えた「谷中村」
[43103] 山中鹿次 さん  地域のへそ
[43112] 小松原ラガー さん 全国へそのまち協議会加盟市町村

「へそ」と同じように、人体にたとえると、ここを、利根川水系の「ハート」と呼びたくなります。

天気予報地図でおなじみの群馬・栃木・茨城・埼玉の4県が1点に集まっているように見える場所。[22467] みかちゅう さん
そして、42.195kmの間に県境をなんと20回も跨ぐ「渡良瀬遊水地マラソン」の開催地。[35735] むじながいり さん

衛星画像で目立つのは、何といってもハート形の貯水池ですが、よく見ると、その北側に濃い緑色の葦原が拡がっています。
貯水池を含む渡良瀬川の南側が「第1調節池」、貯水池の北東側から渡良瀬川に合流する思川と巴波川との間が「第2調節池」、巴波川合流点よりも北側・渡良瀬川との間が「第3調節池」、それらを含む全体が「渡良瀬遊水地」です。

ところで、「さんずい」の「調節池」と、「つちへん」の「遊水地」の使い分けがお分かりでしょうか?
国土地理院の地形図、国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所のページ、施設の整備・維持管理実務を行なっている渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団のHP等によると、この地域の公式の呼び名は「渡良瀬遊水地」であると理解されます。

しかし、お役所自体が少し混乱しているのですね。
組織名は、利根川上流河川事務所渡良瀬遊水池出張所と、「さんずい」になのです。しかも、このページの写真説明では、「渡良瀬遊水地出張所全景」と誤記しているという念の入れよう。
振興財団の方も負けてはおらず、「遊水池会館」という建物に入っています。
YSKさんのご指摘[20011]によると、市販の地図の多くが「渡良瀬遊水池」と記載しているそうですが、むべなるかな。

それはさておき
よく知られているように、この渡良瀬遊水地の歴史は、足尾銅山の鉱毒事件と関連して語られています。
足尾の鉱毒被害は、早くも足尾で大鉱脈が発見された1885年の鮎大量死事件に始まったようですが、影響が大きくなったのは、その後の稲などへの農業被害で、群馬県邑楽郡、栃木県下都賀・梁田・足利・安蘇各郡だけでなく、江戸川や霞ヶ浦方面に及んだようです。

栃木県選出の代議士田中正造は、1891年、第2回帝国議会に初めて「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を出し、以後、繰り返し政府に対策を求め、足尾銅山鉱業停止運動を展開します。農民の大規模な集団陳情(押出し)は、1897年から1900年の間に4回起きています。1901年に田中正造は議員を辞職し、鉱毒事件を明治天皇に直訴しました。

政府もこのような状況を放置するわけにはゆかず、さりとて、日清・日露戦争のさなかという時代背景から、簡単に銅山の操業を停止させるわけにもゆかず、銅山経営者の古河市兵衛に対して、厳しい対策を緊急に実施するように命じました(1897年の鉱毒予防令)。
この対策に当たった古河市兵衛が1903年、養子の古河潤吉が1905年に相次いで死去していることは、公害事件の原点が、原因者側にとっても厳しい心労をもたらしたことをうかがわせます。

しかし、実施された鉱毒予防策も、技術的には不完全であり、鉱毒は軽減されたものの、根本的解決には至りませんでした。
もっとも、渡良瀬川流域の鉱毒汚染地には、1902年の大洪水で新しい地層が堆積したことで、農業被害が軽減されたようです。
鉱毒反対運動も、中心人物の田中正造が死去する1913年頃には、下火になりました。

さて、鉱毒問題以外にも、渡良瀬川・利根川下流部には、洪水被害に対する対策が必要でした。
そこで、政府は渡良瀬川に遊水地を作り、利根川への流入量を調節する計画を立てました。水を滞留させれば、銅を主とする鉱毒も沈殿します。1905年、この遊水地として選ばれたのが、栃木県下都賀郡谷中村でした。
この立地は、周辺の村よりも低いという自然的条件にも適っていたのですが、鉱毒反対運動の中心地つぶしという面も指摘されています。

谷中村はこれに激しく抵抗し、隣の藤岡町との合併案を否決した。このため、合併に必要な谷中村議会の議決が行われないまま、谷中村は1906年に強制廃村となり、その領域は藤岡町になりました。
遊水地936町歩余の買収は、当時の渡良瀬川を管理していた栃木県によって進められ、380戸の移転が図られました。
移住先は近隣町村だけでなく、遠隔地に及びました。郵便番号091-0558北海道常呂郡佐呂間町栃木 という地名が、この移住を伝えています。
移住を拒否して1907年の強制破壊後も住み続けた元村民も、1917年には全員退去。

遊水池工事は、1912~1918年に実施されましたが、通常時は水はなく、大雨のときに水が溜められる状態でした。
第2次世界大戦後の新しい囲繞堤や越流堤の工事(1963~1998)で、3地域に分けて囲った現在の形になりました。

更に、1970年にできた第1調整池の中を掘削して、洪水調節容量の増大、新規都市用水のための容量確保等を目的とした貯水池化事業が1976年に着工され、1990年に運用を開始しました。
これが、ハート形の「渡良瀬貯水池」です。この貯水池の底はコンクリート張りで、土壌中に沈殿している銅などが東京に供給される水に流出しないようになっています。
もともと、楕円形だった設計が反対運動で縮小されてハート形になり、第2調整池内に作る計画の第2貯水池も、バードウオッチャーの反対で着工されなかったために、「第1」の字が取れた「渡良瀬貯水池」という名になりました。

そういえば、この「渡良瀬貯水池」には、「谷中湖」という名が付いています。
平成2年度よりダムとしての利用を開始
とありますから、ダム湖コレクションに収録できると思います。>美濃織部さん

「渡良瀬遊水地」は、面積33km2(大部分は栃木県)、治水容量1億7680万m3。内、「渡良瀬貯水池」の貯水量は2640万m3。
明治17(1884)年の谷中村と、ほぼ現在の形になった「渡良瀬遊水地」とを比較した地図
この地図の着色部分が、東京山手線内の南半分(中央線以南)に近い大きさ(33km2)と形の「渡良瀬遊水地」です。
[43139] 2005年 7月 19日(火)23:29:07いっちゃん さん
郷土の偉人
[43103]山中鹿次さん
関東。平野なんで小山くらいをあてはめる?
[43138]hmtさん
「へそ」と同じように、人体にたとえると、ここを、利根川水系の「ハート」と呼びたくなります。
過去の書き込みにもありましたが、関東平野の一番凹んだところが栗橋・古河あたりになるということを考えれば、距離的に近い谷中湖を関東平野の「へそ」と呼んでもよいのではないでしょうか。

さて本題。
同じく[43138]hmtさん
栃木県選出の代議士田中正造は(中略)鉱毒事件を明治天皇に直訴しました。
この田中正造という御仁、栃木県民なら誰でも知っている(と言うか教わったことのある)人物です。
みやこ♂さんの地元の方ですね。
他にも、那須野が原を開拓した印南丈作、矢板武などは他の都道府県ではまずお目にかからない栃木県限定の偉人でしょう。

このように、他ではマイナーな人物(ここがミソ)なのにその都道府県では必ず郷土の偉人として教わる人物っていると思うのですが、どうなんでしょう?
[43323] 2005年 7月 23日(土)13:10:16美濃織部 さん
ダム湖レス
[43138]hmtさん
この「渡良瀬貯水池」には、「谷中湖」という名が付いています。

遅くなってしまいましたが、ダム湖コレに追加しました。いつも情報提供ありがとうございます。
[46855] 2005年 11月 24日(木)05:26:53むじながいり さん
渡良瀬県境錯綜地
経県値が突然あちこちで大流行りしている今日この頃です。しかし私の経県値はちっとも伸びません。それはさておき。

埼玉栃木県境の話題がでてきて、以前つかんぼやとでお蔵入りにしたネタを思い出しました。そのときに作った写真を引っ張りだしてきて…、がーん、肝心の埼玉栃木県境が写っていないではないか。埼玉栃木県境はこんなところで、こっちは反対側です。埼玉栃木県境がはっきり示されているのはここが唯一でしょうね。

渡良瀬遊水地と言えば、以前も書いた渡良瀬遊水地マラソンは今年中止でした。夏頃に中止のお知らせの葉書が来ていたのですが、ネット上で見つけた同じく葉書が届いた人が電話で尋ねた話によると、どうやら財政難とのことです。
[46867] 2005年 11月 24日(木)20:18:18【2】hmt さん
栃木県の北に群馬県があり、その先には埼玉県が
[46855] むじながいり さん
以前つかんぼやとでお蔵入りにしたネタを思い出しました。そのときに作った写真を引っ張りだしてきて…

この写真を見て改めて認識したことは、ハート形の貯水池の南西側堤防(写真の右側)の下を走る「主要地方道 佐野・古河線」を南から北へと見渡した構図が、栃木県→群馬県→埼玉県という順になっていることですね。
羽生→館林→佐野とか、熊谷→太田→足利というような常識と逆順です。

もちろん、茨城県の古河から三国橋を渡り、国道354号から分岐した地点は埼玉県で、むじながいりさんの2番目と3番目の写真で示された埼玉・栃木県境を経て、上記の通り群馬県を少しだけ経由して再び埼玉県に入るわけです。写真の正面に写っている特徴ある蔽い付き展望デッキのある建物は、埼玉県北川辺町のスポーツ遊学館で 2003年開設、2004年11月には「道の駅きたかわべ」も開設されました。

撮影地点と思われる土手の位置を、航空写真 で示しておきます。こちらでは、スポーツ遊学館はまだありません。地図に切り替えれば、県境の位置を確認することができ、道の駅も表示されています。
地図でわかるように、埼玉県の区間は数百メートルで、その後は埼玉栃木県境から数えて1km余で4つ目の県境を越えて本格的に群馬県に入ります。

「渡良瀬遊水地マラソン」については、[35735] むじながいり さんの記事があります。下宮橋をスタート・ゴールとしてこの地点を通るとすると、…→群馬県板倉町→埼玉県北川辺町→群馬県板倉町→栃木県藤岡町でゴール(またはその逆順でスタート)と想像したのですが違いますね。どのようなコースなのかな?

ところで、なぜこんなに錯綜した県境になったのか。

[43138]で紹介した 遊水地の生い立ち に掲載されている明治17年の地図をご覧ください。
遊水地の南西側は、館林の城沼から流れてくる板倉川の下流である栃木県境にほぼ沿って作られましたが、川が蛇行していたために、東側の栃木県の一部が堤防の外にはみ出すことになりました。そして西側から板倉川に合流する谷田川の北側が群馬県、南側が埼玉県になっていましたが、この川(というよりも沼だったと思われる)も合流点の手前で蛇行していたために、両川に挟まれた群馬県の一部が埼玉県側に割り込んでくることになりました。

むじながいりさんの写真に示された2本の県境は、手前が板倉川、向こうが谷田川の跡で、両者は写真の左側(東武日光線柳生駅の方向)へ流れて合流していました。この2本の川の間の低地が群馬県として、現在も残っているのでした。
[46877] 2005年 11月 25日(金)08:00:13むじながいり さん
渡良瀬遊水地
[46867]hmt さん
マラソンでは[46855]の写真の土手は通りません。2004年のコースです。あの土手はウォーミングアップによく使われていて、私もこの土手を何往復かしました。

[46665] うち☆ さん
私の想像では、最難関は埼玉県です。埼玉県-栃木県境は普通の人は行くことないですからね。
マラソン好きとかでないと。
逆に遊水地マラソン完走者ならレース中だけで埼玉県-栃木県境を8回も越えますね。
普通の人といえば意外と東京から栃木へ至る路線は茨城県や群馬県を経ているという認識はないのかなと感じます。特に茨城県に駅のない東北新幹線なんかなおさら。普通って何?という問題も出てきますが。
[46878] 2005年 11月 25日(金)09:00:16【2】JOUTOU さん
まぁふつうの人ではないことは自覚してますヨ
[46665] うち☆ さん
私の想像では、最難関は埼玉県です。埼玉県-栃木県境は普通の人は行くことないですからね。
マラソン好きとかでないと。
[46867]hmtさん
[46877][46855]むじながいりさん

先週佐野にラーメンを食べにいく用事(なんの用事だっちゃ???)があったので、かなり意識的にわざわざ加須で高速を降りてまで「主要地方道 佐野・古河線」通ってきました。やっぱ普通じゃないですよね(笑)。でも県境ツアーまで企画話が出るくらいだから、この落書き帳の皆さんには理解してもらえると・・・^^;。


ちなみにわたしがまだ未踏の都道府県境(航路を除く)は

北海道~青森
福島~群馬
埼玉~長野
富山~長野
長野~静岡
長野~愛知
三重~京都
大阪~奈良
大阪~和歌山
鳥取~岡山
鳥取~広島
島根~広島
広島~愛媛
徳島~愛媛
徳島~高知
香川~愛媛
愛媛~高知
福岡~熊本
熊本~宮崎
熊本~鹿児島
大分~宮崎
宮崎~鹿児島

以上の22ヶ所でした。やはり西日本が弱い。
[46879] 2005年 11月 25日(金)10:39:27いっちゃん さん
さらに県境
自己満足シリーズ。今回は青森市からです。

[46867]hmtさん
ところで、なぜこんなに錯綜した県境になったのか。
私はただ面白いという野次馬的な視点だけで、「なぜ?」なんて調べようとも思わなかったのですが、なるほどそういう訳だったんですね。近くに住んでいながら何も知りませんでした。

[46878]JOUTOUさん
やっぱ普通じゃないですよね(笑)。でも県境ツアーまで企画話が出るくらいだから、この落書き帳の皆さんには理解してもらえると・・・^^;。
理解するもしないも、むしろここでは「普通」ではないかと・・・。
私も意味の無い(私にとっては十分“意義”があるのですが)迂回をしょっちゅうやりますよ。

ちなみにこの地図を見ていただくと、左下に話題の県境錯綜エリア、そして右上にはマイホーム(今や帰省先か)の場所がちゃんと入っています。

昨日、羽田から函館までの飛行機は12Aという外を眺めるには最高の座席を事前指定しました。運よく関東地方は晴天、離陸してすぐにディズニーリゾート&白桃マンション群を確認。外環道が見えたと思ったらすぐに利根川と江戸川が分岐。上流にはハート型の谷中湖が。そして小山~宇都宮を確認しつつ、奥には日光そして鬼怒川温泉。やがて那須の山々の上空で辺りは一面雲に覆われてしまいました。
この間わずか10分足らず。家から羽田までは2時間でしたが・・・。


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