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湖、池、沼、浦、湾、・・・水面を表すことばの定義について

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記事数=21件/更新日:2005年8月18日/編集者:YSK

日本各地には、地形としての水面を表す言葉がたくさんあります。それらの実例や、使われ方などについてのメッセージをまとめました。

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★推奨します★(元祖いいね) ペーロケ 出石隠 EMM 北神

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[2946]2002年9月7日
YSK
[2950]2002年9月8日
深海魚
[2953]2002年9月8日
YSK
[2956]2002年9月8日
せか
[2964]2002年9月9日
Issie
[3011]2002年9月11日
深海魚
[3015]2002年9月11日
ゆう
[3057]2002年9月13日
せか
[3719]2002年10月9日
ken
[9287]2003年2月15日
ペーロケ
[9291]2003年2月15日
Issie
[9293]2003年2月16日
ぷりぷり
[9323]2003年2月16日
ペーロケ
[9329]2003年2月16日
Issie
[9348]2003年2月17日
ペーロケ
[9356]2003年2月17日
Issie
[10107]2003年3月1日
seahawk
[10109]2003年3月1日
YSK
[28886]2004年6月1日
猫使い
[28898]2004年6月2日
ペーロケ
[43138]2005年7月19日
hmt

[2946] 2002年 9月 7日(土)23:41:52YSK さん
沼、池、湖
[2944]
>「湖」 を名乗らない東郷池が、何か規模的な根拠でもあるのかな。水戸市の千波沼は
>干拓で狭まった後に 「千波湖」 と改称したそうですが。

そういえば、苫小牧市のウトナイ沼も、いつのまにか「ウトナイ湖」と呼ばれるようになっているようですね。
福島県金山町の「沼沢湖」も、この範囲を収めた2万5千分の1地形図のタイトルは「沼沢沼」ですよね。

「沼」よりは、「湖」のほうがイメージがいいということなのでしょうか?

「沼」と「湖」の差異ですが、まず考えられることは、標高の高低ですが(低湿地にあるのが沼、高原や山地にあるのが湖)、小川原湖や浜名湖などは海に近く、また、赤城大沼など、山のカルデラにある沼もあり、この説はあたらなそうです。

そうなると、やはり雑魚さんの言葉にもあるように、湖面面積の広狭なのかな、と考えつきます。比較的狭いのが「沼」、広いのが「湖」と考えると、なんとなくつじつまが合いそうです。

ただし、「池」や「浦」なども含め、それらを明確に区別する定義はないのだろうと思います。

アイヌの言葉で「川」を意味する言葉として、「ナイ」と「ペッ」があることは有名です(これが、「~内」、「~別」という地名の語源です)。実は、この「ナイ」と「ペッ」の使い分けられ方にも、明確なルールはないようなのです。
一般的には大きな川が「ペッ」、細流が「ナイ」と呼ばれるようなのですが、地域によっては大きな川でも「ナイ」と呼ばれていたり、ほとんど「ナイ」という川が存在しない地域もあったりするようです。

このように、「水溜り」を意味する言葉はいろいろあれど、地域や時代の推移によってそれらの使い分けられ方はさまざまである、という他はなさそうですね。

それにしても、上野の不忍池などを頭に入れてみると、鳥取の湖山池や東郷池は大きすぎるように感じますよね。
[2950] 2002年 9月 8日(日)00:36:21深海魚[雑魚] さん
湖沼
[2946]
>この範囲を収めた2万5千分の1地形図のタイトルは「沼沢沼」ですよね。
沼沢湖でもそうでしたか。あそこは、只見川との通水性の有無が少々謎です。

>「沼」よりは、「湖」のほうがイメージがいいということなのでしょうか?
私はそう感じます。沼というと、何やらドロドロしたイメージがありまして。

>これが、「~内」、「~別」という地名の語源です。
道内の自治体名でいうと、こんなところですかね。「壮瞥」 「標津」 は微妙かな。
内) 黒松内、神恵内、岩内、静内、幌加内
別) 喜茂別、当別、穂別、門別、秩父別、幕別、陸別、湧別、紋別、士別、遠別

>鳥取の湖山池や東郷池は大きすぎるように感じますよね。
そうそう、湖山池の存在を失念していました。同じ鳥取県という事は、地域的な
呼称傾向があるのかも知れませんね。「湖山」 池とは 「頭痛が痛い」 よろしく
重複性を感じさせる名称ですが。

茨城県ひたちなか市の那珂湊地区には、「名平洞」 なる池があります。「洞」 も
湖沼の意味なのかな。確か韓国の行政単位にもあった様な気がしますが。
[2953] 2002年 9月 8日(日)13:32:27YSK さん
沼の情景
[2950]
>「沼」よりは、「湖」のほうがイメージがいいということなのでしょうか?
>私はそう感じます。沼というと、何やらドロドロしたイメージがありまして。

確かに、「沼」と呼ばれるものの多くは、低湿地に分布し、水の滞留性から、どろどろした水質を連想してしまいますよね。
さらに、悪いことには、水質ワースト1の不名誉な記録を持つ千葉県の手賀沼など、大都市近郊の沼は富栄養化による汚染が深刻になっていますし。

私の住む群馬県東毛地域は、水郷としての側面も持っています。

館林市のシンボルである城沼をはじめ、板倉町や野木町・藤原町(栃木県)、古河市(茨城県)にまたがる渡良瀬遊水池など、ゆたかな水環境と植生、生態系に恵まれた地域なので、そういった情景に愛着と親しみを感じるのです。

以前住んでいた宮城の伊豆沼なども、渡鳥の休憩地として知られているところです。

このような、沼の持つイメージも大事にしていきたいですね。
[2956] 2002年 9月 8日(日)17:00:03せか さん
湖・沼・池
[2944]
湖・沼・池の違いですが、一般的に
「湖」は水深が深く、最深部には植物が見られないもの
「沼」は湖より浅く、最深部まで植物が繁茂するもの
「池」は湖や沼より小さく、特に人工的に作られたもの
と区分されています。しかし皆さんがお察しのとおり、最近はイメージアップのために区分と関係なく「湖」を
使用することが多いようです。

「浦」は湾や入り江、海岸を意味します。万石浦や北浦町はこの定義に当てはまりますが、それではなぜ霞
ヶ「浦」なのかというと、今から1000年以上前、霞ヶ浦一帯は海水がさかのぼる入り江となっていたからです。
[2964] 2002年 9月 9日(月)00:39:34Issie さん
もとの濁りの…
この連休(今年度からそうなった),自分のページの改訂作業にかかりっきりになっていたら,ずいぶん進んじゃってますね。

で,「浦」。
今の感覚で言えば(昔もそうなのかもしれないけれど),水面の方を指すのでしょうね。やっぱり“海”,せいぜい汽水湖あたりまでってイメージかな。
「浦島太郎」なんて用法もありますね。こちらは,完全に“海”。

ところで,当然こうした水面に関連するのですが,近世まではこうした水辺に面した漁業や港湾にかかわる集落を「○○浦」と呼ぶことがありました。明治の町村制施行までに語尾が「村」「町」に統一されてしまったり,新しい町村の大字になってしまったりするのですけどね。

朝鮮半島でも「浦」という語尾が港で使用されていますね。
「木浦」「富山浦 → 釜山」「済物浦 → 仁川」など。
中国・南京と長江をはさんで対岸の「浦口」も同じような意味でしょうか。

>私はそう感じます。沼というと、何やらドロドロしたイメージがありまして。

江戸時代の人も同じようなイメージを持っていたのでしょうね。
田沼意次政権と松平定信政権とを対比する狂歌では「清き白河」に相対するイメージ。
「○○沼の“主”」なんていう言い方をすると巨大な鯉を連想するのですが,これが「池」や「湖」になると,ちょっと小ぶりになっちゃうかな。
[3011] 2002年 9月 11日(水)08:54:14深海魚[雑魚] さん
湖沼
[3010]
>議員さんもアロハ着用で議会をやり、銀行窓口もアロハ。
夏季観光シーズンにおける沖縄あたりのホテルのフロントの如き乗りですね。

>ちょっと広い人造ダム湖に「池」と名づければすぐに逆転できそうです。
面積最大の人造湖というと、どこになるでしょうか。何となくという印象では、
北海道の朱鞠内湖、岩手の錦秋湖、福島と新潟に跨る奥只見湖、群馬の奥利根湖、
東京の奥多摩湖、静岡の井川湖、富山の黒部湖、岐阜の御母衣湖の何れかな、と
感じますが。

>鳥取・島根の県境には「中『海』」と呼ばれる湖沼もありますね。
これって湖沼扱いなんですか。宍道湖とは一線を画した位置関係だし、日本海に
続く水路が 「境水道」 なので、入江の類と思っていました。ここは汽水湖では
なくて塩水湖かな。

以前にも言及した事ですが、宍道湖および上流の斐伊川における洪水対策として、
出雲市街の南部で斐伊川から神戸川に短絡する放水路の計画を、数年前に地元で
聞いた事がありましたが、その後どうなったろう。最接近する箇所を結ぶとして、
下手すればトンネルにもなりかねない掘割開削は大変な手間になりそうですが。
宍道湖から日本海に直行する佐蛇川は、国道431号線から見る限り、放水路に足る
規模の施設ではなさそうだし。

水道といえば、ハウステンボスの目前を流れる川の如きが、実は早岐瀬戸という
海だった事を知った時は少し意外でしたね。大村湾はれっきとした海だろうけど、
外洋との接点がここと西海橋がある針尾瀬戸の二箇所だけなので、まったりした
印象ですね。
[3015] 2002年 9月 11日(水)18:03:50ゆう さん
Re: 湖沼
[3011]雑魚さん
>面積最大の人造湖というと、どこになるでしょうか。
Web上をあたってみましたが、東北地方のダム湖のランキングは見つけました。
宝仙湖(玉川ダム)は湖山池よりも広いようです。
こういった資料が全国的にまとまっていると面白いのですが、ないですかね。
最上川ダム統合管理事務所http://www.thr.mlit.go.jp/mogami/rank/002.html

>これって湖沼扱いなんですか。宍道湖とは一線を画した位置関係だし、日本海に
>続く水路が 「境水道」 なので、入江の類と思っていました。ここは汽水湖では
>なくて塩水湖かな。
以前は私も海だと思っていたのですが、現地国道沿いに「一級河川 斐伊川水系 中海 建設省」の案内板をみつけ、調べてみたことがあります。
水面海抜数十cm(資料によっては0.0m)で、塩分濃度が約10‰の汽水湖だったと記憶してます(汽水湖の塩分濃度は場所・水深にもよるでしょうが)。
ちなみに「境水道」も斐伊川水系の河川扱いです。

京都府の「久美浜『湾』」も湖沼扱いのようですね。
日本海側は「潟」の湖沼名もめだちます。
国土地理院http://www.gsi.go.jp/MAP/KOSYO/kosyo.html

>以前にも言及した事ですが、
静岡県南葛市長さんは雑魚さんだったのですね。(^^;

>宍道湖および上流の斐伊川における洪水対策として、
>出雲市街の南部で斐伊川から神戸川に短絡する放水路の計画を、数年前に地元で
>聞いた事がありましたが、その後どうなったろう。
現在開削工事中ですが、斐伊川放水路は完成しても大橋川拡幅が済むまで分水しないことになっています。
で、大橋川改修は鳥取県側の反対によってまだ手付かず状態です。
いろいろ公共事業が絡み合って事態を複雑化させている様子。
島根県広報課http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/photo/146/03.html
新日本海新聞社http://www.nnn.co.jp/tokusyu/focus/focus010415.html
[3057] 2002年 9月 13日(金)16:00:45せか さん
阿南町
[3011]
> 面積最大の人造湖というと、どこになるでしょうか。
北海道の朱鞠内湖で、面積は23.73平方kmです。以下、
2 奥只見湖(福島・新潟)
3 田子倉湖(福島)
4 かなやま湖(北海道)
5 九頭竜湖(福井)
と続きます。

[3056]
> もしや長野県「阿南」町の語源は、こういう発想に則っているのかな。
阿智村を流れる阿知川以南を阿南地方といい、そこから名づけられました。
[3719] 2002年 10月 9日(水)11:12:38ken さん
re:富士五湖
[3713]
西湖と精進湖は、もともと「せの湖」という一つの湖が、青木が原樹海を作った西暦864年の噴火で分断されたので、地下では繋がっていて、現在も水位は連動してますね。
本栖湖の水は、今は発電のために、トンネルで富士川に落とされていますが、自然には、水位が900メートルを超えると、地下水として富士宮市方面に南流するそうです。
ですが、一方で、本栖湖の水を放水路で、ある程度以上の量を富士川に落としてしまうと、精進湖、西湖の水位も下がるということもあったそうです。
[9287] 2003年 2月 15日(土)22:15:24ペーロケ[utt] さん
海、湾、湖??
[9276]Issieさま
私のイメージとしては、大きい順に
山脈、山地、高地、丘陵、台地ですね。

そういや記述の仕方かどうかわかりませんが、
「湖」の定義もなんだか曖昧ですね。
千葉の印旛沼や北海道の大沼などは「沼」であり、
鳥取の海山池や東郷池などは「池」ですし。
いや、それより、湾との区別がなんだか気になります。
北海道の風蓮湖は、それほど閉鎖性であるわけでもなく、
湾のような地形ながら、「湖」として認識されています。
しかし、大村湾は、「海」として認識されてますが、
閉鎖性から「湖」ではないかと思うのですが。。。
中海も「海」と称しているものの、これも宍道湖とセットで「湖」として扱われています。
そういや、久美浜湾は同様に「湾」と称しながら、よく「湖」として扱われていますよね。

まあ、海、湖、湾などの名称は地域ごとの慣習をそのまま名称にしたものでしょうが、
大村湾の閉鎖性は高く、風蓮湖を「湖」とするなら、
大村湾も久美浜湾同様、「湖」として扱ってもいいような。。。
しかし、湖の面積ランキングで大村湾を見かけたことがないのですが。。。
サロマ湖よりも大きそうですね。
本当の第3位の湖は、大村湾なのでは??

確か、湖は河川区域内、湾は河川区域外という話も聞いたことありますが、
このからみも関係あるのでしょうか??
[9291] 2003年 2月 15日(土)23:50:33【2】Issie さん
Re:海、湾、湖??
[9287] utt さん
「湖」の定義もなんだか曖昧ですね。

地形の世界では「湖沼」という用語がありますからね。
これなら「湖」だろうが「沼」だろうが「池」だろうが構わない。
「沼」は何となく水深が浅そうで,「池」は何となく面積が小さそうな感じがしますが, 地形の世界ではこれらを区別する意味はあまりなさそうですね。むしろ,日本語の世界の問題だと思われます。

いや、それより、湾との区別がなんだか気になります。

「サロマ湖」「風連湖」「中海」,ついでに「浜名湖」…
これらに共通するのは何だと思われますか。

これらは,元は紛れもなく「海」でした。

今から1万年以上前は地球全体が現在よりも寒く,高緯度地域や高山帯が氷河に覆われていました。こんなことが過去に何回かあったうちの「最近=最後」のものなので「最終氷期」と呼ばれます。地球に存在する「水」の総量は大して変化しませんから,地表面を覆う氷が増えれば,その分「液体の水」の量は減り,つまりは海の水の量が減って海水面が低下します。
それが1万年よりも少し前から地球は「温暖化」に転じ,現在の「(最終)間氷期」に入ります。約5千年前がその温暖化のピークで,地球全体が今よりもやや暖かく,その分だけ高緯度地域や高山帯の氷河が後退し,海の水が増えて海水面が上昇しました。
(その後,やや寒冷化して現在に至ります。ただし,その間にももう少し振幅の小さい気候の変動があり,江戸時代後半は“やや寒冷化した時期”のピークでした。以後,最近の200年間は“やや温暖化する時期”に属するようです。しかも,そこに工業化を初めとする人間活動の影響が加わって,“本来の温暖化・寒冷化”のサイクルを超えた急速な温暖化が懸念されている,というのが最近の「温暖化」問題の中身です。)

で,最終氷期後の「温暖化」による海水面の上昇によって沿岸部の低地が水没して多くの「おぼれ谷」と呼ばれる入江や内湾が形成されました。
特に海に近い山地が水没した地域では,海岸線の屈曲の多い「リアス式海岸」や「多島海」となっています。

このような入江や内湾の入口付近に強い潮の流れ(沿岸流)があると,この流れがどこからか土砂を運んできて,それが湾の入口に溜まることがあります。この作用が強く働くところでは,こうしてたまった土砂が細長く発達して,かつての入江や湾を外海から切り離してしまうことがあります。こうして外海から切り離されてしまった水面を「潟湖(せきこ)」「ラグーン」と呼び,地形上は「湖沼」として扱います。

現在の大阪平野や蒲原平野(越後平野),石狩平野なども,かつてはこの「潟湖」でした。ここに注ぎ込む淀川・大和川や,信濃川・阿賀野川,石狩川などが上流から大量の土砂を運び込んで埋め立てたものです(それでも真ん中へんは埋め立てが進まず,最近まで底なし沼のような地形だったわけです)。この点,利根川や荒川が埋め立てた「古東京湾」の奥の方も同様です。
ところが,そのような大きな河川が(直接には)注ぎ込まず,上流からの土砂の供給の貧弱なところでは埋め立て(堆積)が進まず,潟湖のまま現在に至ります。
「サロマ湖」も「風連湖」も「中海」も「浜名湖」も,こうして形成された「潟湖」なのですね。前に話題にしたことのある,青森県の「十三湖」なんかもそうです。
「久美浜湾」も地形的には「潟湖」と考えていいでしょう。

ところが,大村湾の場合はそうではありません。
確かに外海への出口はとても幅が狭くて,湾の入口をふさぐ針生島の両側は川のようですが(特に東側の早岐瀬戸),けれどもこれは砂洲の発達で外海から切り離されたわけではありません。
逆に「海の方が陸地の中へ入り込んだ」と認識されているようです。
本質的には八代海や有明海,あるいは瀬戸内海,さらに大きく見れば日本海と変わらない。そこにある違いは外海との出口の幅の違いだけ。
だから,大村湾は「海」として扱われる…
そんな風に解釈してみましたけど,どんなものだか。
(実は,オランダのバーデン海は切れ切れの砂洲(西フリースラント諸島)によって外海の北海から切り離されているのですが「海」なんですね。砂洲とは言え,西フリースラントが「飛び飛びの島」で,隙間が多いせいでしょうかね。)
[9293] 2003年 2月 16日(日)00:14:13ぷりぷり さん
内水面
[9287]uttさん
それより、湾との区別がなんだか気になります。

 閉鎖された水面の成因ではないかと。断っておきますが地形の専門家でないので憶測です。
 大村湾は確かに二つの細い海峡で外海と繋がる閉鎖水面ですが,成因としては海跡湖でもないし,火山にも関係ないし・・・。湾口をたまたま島が塞いでいるだけとみなしてこれは海扱い? 大村湾を湖とするならば黒海や地中海も湖か? なんてね。
 一方,挙げられていた久見浜湾や風蓮湖,中海は海跡湖(湾口を砂州が塞いだ)として湖扱いになっています。ただしどの程度塞いだら海から湖になるのかは決まっていないと思われ,結局地元の慣習や為政者の線引きのさじ加減のようなところが感じられます。


確か、湖は河川区域内、湾は河川区域外という話も聞いたことありますが、

湖となると内水面と呼ばれ,陸地の一部と見なされます。自治体の面積は国土地理院が2万5千分1から測定して公表したものを公式面積としていますが,とっても広い湖でもその水面の帰属(水面上での行政界)が決まっていれば当該自治体の面積に含まれます。ちなみに水面上の境界が未定の場合は水面の面積は除かれたものが公表されます。面白い例として鳥取・島根県に係わる中海・宍道湖があります。
 斐伊川をご存じですか。地図で見ると出雲国南部の中国山地を源として北上し平田市の南で宍道湖に注いでいます。当然ここが河口かと思いきや,国土交通省の管理としてはそうはいかないんですね。なぜなら宍道湖は内水面だから。宍道湖は大橋川で中海と繋がり,その中海も境水道をもって日本海と繋がっています。よって管理上の斐伊川河口は境水道になっています。斐伊川は鳥取県も流れているんですね。中海は「斐伊川水系中海」。安来市で中海に注ぐ飯梨川も斐伊川の一次支流。一般の感覚からはずれます。
 その中海・宍道湖は県・市・町界が決まっています。今から12,3年前に決まりました。古来から漁場の帰属などで諍いがあったそうですが,そんなに漁の盛んでもない現代になぜ決めてしまったかというと,自治体の面積そのものの増加が目的だったようです。つまり地方交付税の増額が目的だそうで。各々の自治体の湖岸線延長に比例して面積を配分して境界位置を決めたのだとか。一般の生活を営む者には直接関係ありませんな。当時の新聞に「ドル箱 琵琶湖を遊ばせるな」というようなタイトルで「地方交付税増額を目的に琵琶湖周辺市町による境界決定のための協議が始まった」というものがありました。だいぶん経ちましたが,決定したという話はないようです。どうなっているのでしょう。

 まとまりのないことを書きましたが,ほろ酔い書き込みということでご容赦を。
[9323] 2003年 2月 16日(日)20:42:21ペーロケ[utt] さん
大村湖
[9291]Issieさま
むしろ,日本語の世界の問題だと思われます。
そうです。日本語の問題。
他地方との交通がまだそれほど発達してない時代から
その地に住みついた人が、「沼」「湖」と語り継がれていたわけで、
読み方に誤差があるのは仕方ないです。
それは、「山」でも「峰」「岳」「獄」「森」など、いろんな呼び形で呼ばれているのと同じです。
(余談ですが、石鎚山周辺の山は森が多いです。東三方が森、瓶が森など。。。)

しかし、砂州によって分割されたのが湖で、でないのが湾とすると、
厚岸湖はどうなのでしょうか?
厚岸湖は、本厚岸の丘陵地帯によって分割されています。いえ、
若干の砂州が見られそうですが、この程度で「砂州」で仕切られているとゆうのであれば、
高知市の浦戸湾は湖とゆうことになってしまいます。
いや、もっと極端な話、富津岬とゆう砂州によって外海と仕切られている
東京湾だって湖とゆうことにもなってしまいます。
個人的には、厚岸湖や風連湖は、単なる入り江だと思うのですが。。。
まあ、北海道の場合は、開拓の歴史が浅く、
第一発見者が「湖だ」と認識したから湖になったのかもしれませんね。
長崎県人であれば、湾だったかもしれません。
[9293]ぷりぷりさまの書き込みにも通じますが。。。

じゃあ、淡水、海水で仕切るのかといえば、厚岸湖は牡蠣の養殖をしているようで、
そういえば、久美浜湾、大村湾も、牡蠣の養殖は盛んですね。

私が着目している点は、「閉鎖性」にあります。ちょっと難しい表現になってしまいますが、
全国の湖沼で共通の問題は、流れが滞留しているためにヘドロが堆積し、
富栄養化、貧酸素化の進行により漁業や生態系への打撃が懸念されています。
そうゆう閉鎖性水系の共通の問題を、大村湾も琵琶湖も霞ヶ浦も抱えています。
だから、大村湾も湖として扱ったほうがいいのではないかと思っています。
まあ、地理だけの問題でなく、水質の問題なんですけどね。。。

九州農政局は、諫早干拓の前に、大村湾淡水化を考えなかったのだろうか??
と、密かに思います。淡水を得るためには、はるかに低コストで済みそうだし。。。
ちなみに、ハウステンボスでは、海水を淡水化して利用しているみたいです。

[9293]ぷりぷりさま
確かにそのとおりです。しかし、境水道も、斐伊川なのであれば、
境港に「一級河川 斐伊川 国土交通省」の看板が立っているのでしょうか??
地方交付税は面積が大きければ増額されるのですか?
そういえば、鳥取、島根は中海を含まないとか、青森、秋田は十和田湖を含まないとか、
よく見る注意書きの欄が気になりますね。

[9287]自己レス
そういえば、大村湾は霞ヶ浦よりも大きそうです。
霞ヶ浦ピンチ??

[9315]startさま
大村湾の話題は、金曜日に出席した某シンポジウムで聞いた話ですので、
おそらく、同じ話を聞いた人の可能性もあります。
もしよろしければ、UTRを教えていただけませんか??
[9329] 2003年 2月 16日(日)22:24:59Issie さん
厚岸湖
[9323] utt さん
厚岸湖はどうなのでしょうか?

ああ,これはどっちでしょうねぇ。

じゃあ、淡水、海水で仕切るのかといえば、

淡水であるか否かが「湖沼」であるか否かの判断基準ではありません。
サロマ湖や浜名湖などのように外海との連絡のある湖では海水の出入りがあるので淡水と海水とが混じりあっています。この場合は「汽水湖」と呼ばれます。
「塩水湖」という分類もあるのですが,こちらはもっぱら,カスピ海のような乾燥地域の内陸湖用…かな?

まあ、地理だけの問題でなく、水質の問題なんですけどね。。。

閉鎖水系の水質の問題についてはヨーロッパ地中海も深刻ですね。
この点なら,「湖」と呼ぼうと,「海」と呼ぼうと,どちらに分類してあっても構わないのではないでしょうか。
[9348] 2003年 2月 17日(月)00:46:26【1】ペーロケ[utt] さん
汽水湖
[9329]Issieさま
淡水であるか否かが「湖沼」であるか否かの判断基準ではありません。
いえいえ、一概にそうとは言えず、
一般に湖と認知されている浜名湖は、塩分濃度が高いため、
環境庁の水域指定では、湖沼ではなく「海域」だそうです。
国交省では文句無く「湖」なのですが。
だから、湖というか湾というかは、実はどっちでもいい問題かもしれませんが。。。
いや、[9293]ぷりぷりさまの書き込みより、
面積にカウントして、交付金がもらえるかどうかといった自治体から見れば、
湖沼か海域か、やっぱり重要な問題です。(^^;;

そういや大村湾も、湾奥の多良見町付近では平均塩分濃度が10‰以下との話を聞きました。
この周辺では、汽水域といえなくもないですが。。。

ところで、大村湾は90年代前半には環境基準を大幅に上回るような極めて深刻な水質だったそうで、
県や沿岸市町村(流域市町村?)で、何とか対策を講じなければと議論した結果、
環境先進地である琵琶湖の例を参考にしたそうです。
そして、工場や事業所などの排水に厳しい上乗せ基準を設け、
工事現場などの土砂流出や生活廃水に関しても徹底的に指導し、
下水道も高度処理をして湾に流すなど、さまざまな努力がされてきたそうです。
その甲斐もあって今では環境基準に近づきつつあるとか。。。
閉鎖性が強い水域として、湖沼と共通の問題を抱えており、
そういった意味では、海ではなくて「湖」に近いと思うのですが。

地中海、黒海については、詳しくは分かりませんが、
地中海自体の面積が大村湾などに比べてはるかに広いため、
湖沼とするかどうかの判断は微妙です。
瀬戸内のように海流が発生しそうなイメージですので。。。

いや、でもいくら海流が強いといっても、環境負荷が大きければ、
今の瀬戸内のようにゴミが漂う海になってしまいます。
閉鎖性云々とゆうより、綺麗な海を復活させるとゆう意味では、
水質汚濁の問題は、大村湾や湖沼だけの問題ではないですね。
[9356] 2003年 2月 17日(月)01:17:41Issie さん
Re:汽水湖
[9348] utt さん
いえいえ、一概にそうとは言えず、
一般に湖と認知されている浜名湖は、塩分濃度が高いため、
環境庁の水域指定では、湖沼ではなく「海域」だそうです。
国交省では文句無く「湖」なのですが。

どうも話が噛み合わないのは,ここですね。

どうやら「地形学」の対象として問題にする場合と,環境問題の観点から話題にする場合とでは関心の対象が違うようです。行政の立場でも,環境省(…ですよね,今は)と国土交通省,あるいは文部科学省とで,それぞれ定義が違うらしい。
それぞれの立場で線引きのしかたが違うから,つまりは人によって答えが違ってくるのではないかと思います。

…でね,地形の世界では,やっぱり大村湾は「海」と答えるのが普通なんですよ。
[10107] 2003年 3月 1日(土)15:19:43seahawk さん
湖の名前になった市町村
湖の名前になった市町村についてです。なんか、口に出した時に呼びやすいなと思う方はいませんか?

全国の湖の名前になった市町村(「湖」という名前まで付いているところを言うので、猪苗代町のようなものは含みません)

十和田湖町(青森県上北郡)
田沢湖町(秋田県仙北郡)
八郎潟町(秋田県南秋田郡) 干拓して湖として定義できるか微妙ですが。
霞ヶ浦町(茨城県新治郡)
北浦町(茨城県行方郡)
相模湖町(神奈川県津久井郡)
河口湖町(山梨県南都留郡)
山中湖村(山梨県南都留郡)

ついでに
湖西市(静岡県) 浜名湖の西
湖北町(滋賀県東浅井郡) 琵琶湖の北
湖東町(滋賀県愛知郡) 琵琶湖の東
湖陵町(島根県簸川郡) 神西湖
沼南町(千葉県東葛飾郡)手賀沼の南

川は多いので、省かせてください。
ただ、こういうネーミングはやはり古いものではないようです。

十和田湖町…明治16年、法量村、奥瀬村、沢田村が合併し、三か村の頭文字を取って法奥沢村となる。昭和6年、十和田村に名称変更し、昭和30年町制施行。昭和50年、十和田湖町に名称変更して現在に至る。
田沢湖町…昭和31年、生保内町、田沢村、神代村が合併して田沢湖町になる。
八郎潟町…昭和31年、一日市町と面潟村が合併して八郎潟町になる。
霞ヶ浦町…平成9年、町制施行を機に出島村から霞ヶ浦町となる。
北浦町…昭和30年、津澄、要、武田の三村が合併し、北浦村に。平成9年に町制施行し、北浦町となる。
相模湖町…昭和30年、与瀬町、千木良村、内郷村、小原町が合併して相模湖町になる。
河口湖町…昭和31年、船津村、小立村、河口村、大石村の4村が合併し、河口湖町になる。
山中湖村…明治8年、山中村、長池村、平野村が合併して中野村に。その後、昭和40年に山中湖村になる。

湖西市他は後ほど紹介したいと思います。
[10109] 2003年 3月 1日(土)15:46:01【1】YSK さん
「湖」などの名称が入らなければ・・・
滋賀県東浅井郡びわ町
1956(昭和31).9.25 大郷村と竹生村が合体
1971(昭和46).4.1  町制施行

香川県仲多度郡満濃町
1955(昭和30).4.1 吉野村、神野村、四条村が合体
1955.7.1 高篠村を編入
1956.9.10 長坂村を編入

なども、湖などの名前を新自治体名に採用した自治体の例ですね。

島根県の宍道町は1955.4.3に新・宍道町が発足する前から「宍道町」という自治体が存在したようですので、微妙なところですね。

長野県諏訪市なども、「諏訪湖」という名前自体が「諏訪地域の湖」という意味から命名されたと思われますので、「諏訪湖市」という名前ででもない限り、湖の名前を借用した例とはいえないですよね。

千葉県印旛村も、沼の名前というよりは、郡名からとられたと考えられそうな気がいたします。印旛沼も、「印旛郡にある沼」という感覚で名づけられたのでしょうか?
#それとも、印旛沼があるので、印旛郡になったのでしょうか??

北海道佐呂間町も、「サロマ湖」が先か、「佐呂間」という地名が先か、イマイチ判然としませんね。北海道阿寒町も。

それはそうと、やはり湖の名前を自治体名とする、北海道虻田郡洞爺村ですが、ここは1920(大正9).6.1 に虻田村(当時)から分立して成立しております。
[28886] 2004年 6月 1日(火)23:27:57猫使い さん
水域(特に湖沼)の名称など
アーカイブズを読んでいて気になったので調べてみました。

現在、湖沼を最も網羅していると思われるのは、以下の環境省の告示です。
「排水基準を定める省令別表第二の備考6及び7の規定に基づく窒素含有量又は燐〈りん〉含有量についての排水基準に係る湖沼」
ここに掲載の1,329湖沼について名称を分類してみました。
1141
82
80
10
5
トーorトウ3
浦・川2
淵・海・源・沢1

意外にも池が圧倒的です。しかし、そのうち約900は「○○ダム貯水池」という名称で、そのうち約300水域には「○○湖」という別称がついています。
したがって、一般に通用する名称としては、やはり「湖」がトップ、以下「池」、「沼」と続きます。

少数派を具体的にあげると、
「トウ」:パンケトウ・ペンケトウ
「トー」:オンネトー
「浦」:霞ヶ浦・北浦
「川」:常陸利根川・与田浦川
「淵」:油が淵
「海」:中海
「源」:三木市第一水源
「沢」:北之庄沢
となります。中海はまだわかりますが、「川」なのに湖沼とは・・・

なお、能取湖、コムケ湖、風蓮湖、サロマ湖、厚岸湖、加茂湖、浜名湖は環境基本法的には「海域」です。

[28878]まがみさん、まだ投稿数も少ないのに紹介文を書いていただけるとは恐悦至極に存じます。
[28898] 2004年 6月 2日(水)02:33:30ペーロケ[愛比売命] さん
塩・湖沼 少々
[28886]猫使いさん
「川」:常陸利根川・
(中略)
となります。中海はまだわかりますが、「川」なのに湖沼とは・・・
 え~、私は現地を訪れたことがないのであくまで推測なのですが、おそらく、霞ヶ浦や北浦に連続する形の外浪逆浦が湖沼扱いであり、どこからどこまでが川なのかという明確な線を引きにくいことや、川の流れも海岸線に近い程の下流ということで非常に緩やかであり、湖沼とみなしたほうが都合がよい(つまり、水質は河川のようにBODよりも湖沼のようにCODで評価するのが妥当)と判断されたのでしょう。

なお、能取湖、コムケ湖、風蓮湖、サロマ湖、厚岸湖、加茂湖、浜名湖は環境基本法的には「海域」です。
 この資料が手元にありませんので詳しく湖沼の定義などを見ていないのですが、環境省などでは、汽水湖か海域かの明確な線引きないし定義みたいなものは存在するのでしょうか??例えば、京都府の久美浜湾と阿蘇海などは、海域の名称がついているのにもかかわらず、閉鎖性が強い故に湖沼として扱われる場合もあるのですね。

 例えば環境省のあるページでは、中海は「閉鎖性内湾」として扱われています。
http://www.emecs.or.jp/01cd-rom/section3/sec3c_3_top.html

 しかし、同じく環境省のページですが、こちらでは中海は「指定湖沼」でもあるのです。
http://www.emecs.or.jp/01cd-rom/section3/3top_a_ro_d_3.html

 あるいは、国土地理院では、上で海域として挙げられた浜名湖や風連湖などと共に、久美浜湾や阿蘇海までも「湖沼」として挙げられています。
http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/KOSYO/kosyo.html

 なお、個人的には、外海との閉鎖性が極めて強く湾奥では塩分濃度が非常に薄いとの意味では、大村湾も湖沼に含めたいと考えています。
[43138] 2005年 7月 19日(火)22:54:35hmt さん
ハート形貯水池のある渡良瀬遊水地に消えた「谷中村」
[43103] 山中鹿次 さん  地域のへそ
[43112] 小松原ラガー さん 全国へそのまち協議会加盟市町村

「へそ」と同じように、人体にたとえると、ここを、利根川水系の「ハート」と呼びたくなります。

天気予報地図でおなじみの群馬・栃木・茨城・埼玉の4県が1点に集まっているように見える場所。[22467] みかちゅう さん
そして、42.195kmの間に県境をなんと20回も跨ぐ「渡良瀬遊水地マラソン」の開催地。[35735] むじながいり さん

衛星画像で目立つのは、何といってもハート形の貯水池ですが、よく見ると、その北側に濃い緑色の葦原が拡がっています。
貯水池を含む渡良瀬川の南側が「第1調節池」、貯水池の北東側から渡良瀬川に合流する思川と巴波川との間が「第2調節池」、巴波川合流点よりも北側・渡良瀬川との間が「第3調節池」、それらを含む全体が「渡良瀬遊水地」です。

ところで、「さんずい」の「調節池」と、「つちへん」の「遊水地」の使い分けがお分かりでしょうか?
国土地理院の地形図、国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所のページ、施設の整備・維持管理実務を行なっている渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団のHP等によると、この地域の公式の呼び名は「渡良瀬遊水地」であると理解されます。

しかし、お役所自体が少し混乱しているのですね。
組織名は、利根川上流河川事務所渡良瀬遊水池出張所と、「さんずい」になのです。しかも、このページの写真説明では、「渡良瀬遊水地出張所全景」と誤記しているという念の入れよう。
振興財団の方も負けてはおらず、「遊水池会館」という建物に入っています。
YSKさんのご指摘[20011]によると、市販の地図の多くが「渡良瀬遊水池」と記載しているそうですが、むべなるかな。

それはさておき
よく知られているように、この渡良瀬遊水地の歴史は、足尾銅山の鉱毒事件と関連して語られています。
足尾の鉱毒被害は、早くも足尾で大鉱脈が発見された1885年の鮎大量死事件に始まったようですが、影響が大きくなったのは、その後の稲などへの農業被害で、群馬県邑楽郡、栃木県下都賀・梁田・足利・安蘇各郡だけでなく、江戸川や霞ヶ浦方面に及んだようです。

栃木県選出の代議士田中正造は、1891年、第2回帝国議会に初めて「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を出し、以後、繰り返し政府に対策を求め、足尾銅山鉱業停止運動を展開します。農民の大規模な集団陳情(押出し)は、1897年から1900年の間に4回起きています。1901年に田中正造は議員を辞職し、鉱毒事件を明治天皇に直訴しました。

政府もこのような状況を放置するわけにはゆかず、さりとて、日清・日露戦争のさなかという時代背景から、簡単に銅山の操業を停止させるわけにもゆかず、銅山経営者の古河市兵衛に対して、厳しい対策を緊急に実施するように命じました(1897年の鉱毒予防令)。
この対策に当たった古河市兵衛が1903年、養子の古河潤吉が1905年に相次いで死去していることは、公害事件の原点が、原因者側にとっても厳しい心労をもたらしたことをうかがわせます。

しかし、実施された鉱毒予防策も、技術的には不完全であり、鉱毒は軽減されたものの、根本的解決には至りませんでした。
もっとも、渡良瀬川流域の鉱毒汚染地には、1902年の大洪水で新しい地層が堆積したことで、農業被害が軽減されたようです。
鉱毒反対運動も、中心人物の田中正造が死去する1913年頃には、下火になりました。

さて、鉱毒問題以外にも、渡良瀬川・利根川下流部には、洪水被害に対する対策が必要でした。
そこで、政府は渡良瀬川に遊水地を作り、利根川への流入量を調節する計画を立てました。水を滞留させれば、銅を主とする鉱毒も沈殿します。1905年、この遊水地として選ばれたのが、栃木県下都賀郡谷中村でした。
この立地は、周辺の村よりも低いという自然的条件にも適っていたのですが、鉱毒反対運動の中心地つぶしという面も指摘されています。

谷中村はこれに激しく抵抗し、隣の藤岡町との合併案を否決した。このため、合併に必要な谷中村議会の議決が行われないまま、谷中村は1906年に強制廃村となり、その領域は藤岡町になりました。
遊水地936町歩余の買収は、当時の渡良瀬川を管理していた栃木県によって進められ、380戸の移転が図られました。
移住先は近隣町村だけでなく、遠隔地に及びました。郵便番号091-0558北海道常呂郡佐呂間町栃木 という地名が、この移住を伝えています。
移住を拒否して1907年の強制破壊後も住み続けた元村民も、1917年には全員退去。

遊水池工事は、1912~1918年に実施されましたが、通常時は水はなく、大雨のときに水が溜められる状態でした。
第2次世界大戦後の新しい囲繞堤や越流堤の工事(1963~1998)で、3地域に分けて囲った現在の形になりました。

更に、1970年にできた第1調整池の中を掘削して、洪水調節容量の増大、新規都市用水のための容量確保等を目的とした貯水池化事業が1976年に着工され、1990年に運用を開始しました。
これが、ハート形の「渡良瀬貯水池」です。この貯水池の底はコンクリート張りで、土壌中に沈殿している銅などが東京に供給される水に流出しないようになっています。
もともと、楕円形だった設計が反対運動で縮小されてハート形になり、第2調整池内に作る計画の第2貯水池も、バードウオッチャーの反対で着工されなかったために、「第1」の字が取れた「渡良瀬貯水池」という名になりました。

そういえば、この「渡良瀬貯水池」には、「谷中湖」という名が付いています。
平成2年度よりダムとしての利用を開始
とありますから、ダム湖コレクションに収録できると思います。>美濃織部さん

「渡良瀬遊水地」は、面積33km2(大部分は栃木県)、治水容量1億7680万m3。内、「渡良瀬貯水池」の貯水量は2640万m3。
明治17(1884)年の谷中村と、ほぼ現在の形になった「渡良瀬遊水地」とを比較した地図
この地図の着色部分が、東京山手線内の南半分(中央線以南)に近い大きさ(33km2)と形の「渡良瀬遊水地」です。

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