(オフ会MLに私が流したしたものを、大幅に加筆・修正の上での投稿です。
[76901]MasAka さん が一部を転載していただいていますが、私の記述内容に関してはさらに拡充版です。)
さて、
第7回公式オフ会の後のオプショナルツアーの3県境について、
[76876]hmtさんから疑惑を呈されています。
まずは、
[76876]hmtさんでご紹介があった
明治17年の迅速測図判読の理解を手助けを兼ねて、M17年当時の村名及び現在に至るまでの自治体の変遷を記します。リンクは
市区町村変遷情報の個別情報へのリンクです。今回の例では、近世村がそのままM17当時も存続していました。
hmtマガジン
渡良瀬遊水地-4県が集まる境界地域で、渡良瀬川を含むこの地域の歴史などについてまとめられています。
当該地付近では、明治38(1905)年から渡良瀬遊水地の事業が着手されました。また、明治43(1910)年から昭和元(1926)年にかけて藤岡放水路の工事が行われ、現在の渡良瀬遊水地の第1貯水池と第2貯水池の間に施工されました。これらの大規模事業により、従来の渡良瀬川は治水の面では主たる役割を離れることとなり、渡良瀬川本川ではなくなりました(藤岡放水路が本川となる)。
今回3県境があると判断した水路は、元々は渡良瀬川そのもののようです。
明治17年の迅速測図でも明示されています。
(参考)
国土交通省関東地方整備局渡良瀬川河川事務所
国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所「調節池化工事(渡良瀬遊水地)」
実は、MLに投稿した時点では、この水路は現況から鑑みると「法定外公共物」の「水路」に間違いないだろうと考え、そう記述しました。
「法定外公共物」とは、大雑把に言うと、道路法や河川法などの適用を受けない公共物で、国有財産(建設省→国土交通省所管)でした。「農道(里道)」・「水路」が、法定外公共物の代表例です。
法定外公共物の水路とは、河川法のような「法」の適用を受けない水路、イメージとしては田に水を引き入れる小さい用水路を思い浮かべていただけるとよいでしょう。
同様のものに、農道(道路法の適用を受けない道、あぜ道のイメージ)もあります。
これら法定外公共物は、
地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(略称:地方分権一括法)(H11.7.16法律第87号、H12.4.1施行)により、H17.3.31までに原則として所属する市町村に無償譲渡されました。
今回の水路は、現況を見る限りでは、典型的な「法定外公共物」(水路)の体をなしていました。
(参考)
法定外公共物については、
[65115]拙稿でも簡単に述べました。詳しくはこちらのHPもご参照ください。
・財務省九州財務局福岡財務支局HP内
「旧法定外公共物(旧里道・旧水路)の管理処分」
・松本市HP内
法定外公共物について
ただし、帰宅後少し疑問が湧いてきました。
想像の域を出ませんが、過去の渡良瀬川の歴史を見ると、現在の形体のまま往時から「渡良瀬川」であったとは考えにくいです。従前の渡良瀬川とは概ね位置の変更はないとしても、川幅や高さなどは大きく変わったのではないのでしょうか。元々は利水及び治水の目的を効率的に発揮するため、それなりの幅がある、築堤または掘込河道の形状をなしていた河川であり、それが、各事業の実施により求められる役割が小さくなり、農業用水路としての機能及び周辺の雨水排水機能のみが残り(今回現地で見る限りその目的を超えるものではないと見受けられる)、不要な部分は売却・換地等により、現在の状態となったと考えられます。
このため、現在の状態は、(渡良瀬川に隣接した土地をを追加買収して拡幅したと仮定して)元々の渡良瀬川のうち一部のみが現在の水路として残っている可能性が高いと考えます。
なお、この場合でも、元々の法定外公共物部分だけが残っているかもしれませんし、河川でなくなった部分(廃川敷)を処分した残余や土地改良法の換地処分等により残った部分で、無番地(法定外公共物は一般的には地番が設定されたことがなく無番地であることが通例)ではなく、建設省(国土交通省)名義の有地番の法定外公共物かもしれませんが、事実上の法定外公共物と見做して差し支えないと思います。
さて現況の水路の詳細な考察です。
[76876]hmtさんから、3県境について疑問が呈されました。
現地を見た様子から考えると、元は三尺(≒90cm)の土羽(どは、盛り土で作ったの斜面)の水路であり、それを、「群馬縣」の境界柱付近では、コンクリート構造物の水路に改修したものでしょう。3県境付近では「土羽」のままでした。
一般的に水路の幅(土地の境界を考えるときの幅)は、水が流れている部分だけではなく、「護岸」にあたる部分も、一体として考えます。これは、小さい水路ではなく、大きい河川の場合でも同じで、例えば堤防がある河川の場合、堤防なくしては河川そのものが成り立たず、堤防(土手・堤、河川法では「河川管理施設」と言います)も含めた範囲が、水が流れている部分と一体となって「河川」を形成していると考えます(断面図の例:
河川用語集「堤防」(国土交通省国土技術政策総合研究所HP内))。
いわゆる法定外公共物の水路の幅は、土羽の水路の状態でも、またその後コンクリートの水路に改修した場合でも、水が流れる部分の中心線を基準として、そこから両岸に45cmずつを取ることが一般的です(地域、状況により各種例外あり)。
当該「群馬縣」の境界柱?は、この東端に当たるのではないか、といった話を、現地で少ししました。
つまり、仮に水路の中心線を県境と考えたときには栃木県の中に入り込んで設置されているように見える「群馬縣」の境界柱は、「護岸の一部もその水路の土地の一部である」との考え方から見ると、まさしく、群馬県の東端に立っている、ということです。ちょうど、水路のの護岸の「肩」の部分から30cmほど東側に境界柱が立っていましたから。
この「群馬縣」の境界柱の所在から考えると、正確を期して考えた場合は水路の中心線が県境ではなく、この水路が属する県は、
・3県境から北方向(西:群馬県、東:栃木県の区間)・・・群馬県(境界柱は群馬県の東端)
・3県境から東方向(北:栃木県、南:埼玉県の区間)・・・埼玉県
の所属になると想像しています。(3県境から西方向(北:群馬県、南:埼玉県)は不明)
一般の地図では、このような水路の護岸が所属する県は云々ということを考慮すると些事になって見易さの利便性を損なってしまうので、簡便に水路の中心に県境の線を入れることが通例となるのでしょう。
さらに、一般的には、ではありますが、法定外公共物の「水路」には水路の管理道及び水路掃除に伴う「泥揚場」として、法定外公共物である「農道(里道)」が隣接して存在することが多いです。
水路幅が90cmとして、農道も90cm(≒三尺、ゆえに「三尺道」とも呼称)が一般的な幅です(例外あり)。
今回の例の場合、「群馬縣」の境界柱の位置(水路の護岸の東端にあると考えられる)から見て、水路の東側に農道があるとは考えにくく、西側に存するか、あるいは渡良瀬川の切り替えの歴史から見てそもそも存在しない等、当該地に「農道」が存するかどうか(現況での有無ではなく本来の法務局の地図上の有無)については不確定なところはあります。
いずれにせよ、水路の中心線が、本当の県境ではなく、境界柱までが群馬県であろうと推測します。
hmtさんの疑惑は、そのとおりだと認識しています。
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これらの疑問を根本的に解決する方法は、もちろんあります。
法定外公共物の市町村への譲与に関しては、旧所有者である国(財務局)、譲与を受けた市町村、従前の事実上管理者でありこの譲与事務に関与した県に確認すれば確実にわかります。
もちろん、法務局でも、法定外公共物の有無はわかりますし、法務局に備え付けられている各種地図、不動産登記簿を調査することも解決の一助となります。
もっとも、土地の測量・境界という土木的な話になると、「隣接」というのは非常に微妙な話になってしまいます。十番勝負などで自治体が隣接する・しないの話は、厳密に考え始めると単純には決められない件になってしまいます。土地の境界というものは、当該土地の所有者(及び機能管理者ら)が、現地で、境界確定協議の上、測量し、境界確定書(民法上の契約にあたる)を交わすことが必要、となってしまいます。
本当にやろうとすると、これらの調査はやはり大変手間がかかることです。
ちなみに、現地ではその後に私がEMMさんと立ち話する中では、この水路は農業用水になっているので、その水路の(機能の)管理者である水利組合がどこか、また、その水利組合を所管している土地改良担当部局はどこの県か、といった話も出ました。