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キーワード「振別」を含む記事が9件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[63736]2008年2月14日
紅葉橋律乃介
[63733]2008年2月14日
右左府
[44903]2005年9月15日
Issie
[33322]2004年9月24日
Issie
[33163]2004年9月21日
Issie
[33142]2004年9月20日
Issie
[29804]2004年6月27日
Issie
[15874]2003年5月25日
三丁目
[12049]2003年3月29日
紅葉橋律乃介

[63736] 2008年 2月 14日(木)22:20:46紅葉橋律乃介 さん
最北の島?
 再び、市町村変遷情報について。

[63733] 14:41:10 右左府様
…1923.04.01北海道 “振別郡, 紗那郡の区域をもって紗那郡を設置”とありますが、“振別郡,択捉郡の区域をもって択捉郡を設置”もしくは“振別郡を択捉郡に編入”が正しいのではないでしょうか。

ちなみに、行政区画変遷一覧表(地名好きさん)によれば、同時に紗那郡の内(二級町村制施行前の)留別村の区域が択捉郡に編入(?)となっています。


 以前から、どうもこの表現はおかしいような気がしていましたが、何がどうおかしいのか確証がありませんでした。

 即ちこれは、町村制施行によって消滅した郡に関わる変更を、「郡設置」と表記していることにあります。

 複数の郡にまたがる村をもって、一つの村(当然ながら、所属郡は一つ)が成立している例は、数は少ないものの、珍しくもありません。

 手元の資料によれば、
 紗那郡留別村、振別振別村・老門村、択捉郡丹根萌村・内保村→択捉郡留別村
 このような異動があったようで、郡を再編した…とは言い切れないと思います。
 (二級)町村制施行の情報と、郡の異動情報を共存させるための“苦肉の策”なのかも知れませんが、だいぶ苦しいようですね。


 ここに出てくる「振別郡」のほか、十勝支庁にも「当縁(とうぶい)郡」が消滅した例がありますが、
郡設置 広尾郡 広尾郡 当縁郡の一部
郡設置 十勝郡 十勝郡 当縁郡の一部
 市町村変遷情報では、上記のように表記されています。

 この場合は、
 当縁郡当縁村の西部・歴舟村・大樹村、広尾郡茂寄村→広尾郡茂寄村
 十勝郡大津村・長臼村・鼈奴村・十勝村、中川郡旅来村、当縁郡当縁村の東部→十勝郡大津村
 このような異動があったようです。


 ところで、長々と書いてきたのですが、単純なことがあります。
振別郡, 紗那郡の区域をもって紗那郡を設置
 振別郡が関係して設置された村(留別村)は択捉郡であり、紗那郡ではありません(他に「紗那村」も村制を施行しましたが、こちらは紗那郡の村々のみで構成されています)。


 右左府様に乗っかるようで申し訳ありませんが、こちらも88様のご意見を賜れればと思います。
[63733] 2008年 2月 14日(木)14:41:10右左府 さん
業務連絡
>88さんへ

市区町村変遷情報中、1923.04.01北海道 “振別郡, 紗那郡の区域をもって紗那郡を設置”とありますが、“振別郡,択捉郡の区域をもって択捉郡を設置”もしくは“振別郡を択捉郡に編入”が正しいのではないでしょうか。
参考ページ:郡の変遷(北海道)(IssieさんのHPより)

ちなみに、行政区画変遷一覧表(地名好きさん)によれば、同時に紗那郡の内(二級町村制施行前の)留別村の区域が択捉郡に編入(?)となっています。

これを見つけて同時に気付いたんですが、変遷情報は北方領土も対象としているんですね。地名コレや雑学では(少なくとも現在の)北方領土は対象外となっているので、最初「ん?」と思ったのですが……。


>グリグリさんへ

記事検索で「振別」をキーワードに検索したところ、該当記事とともに文字化けした記事が一緒に表示されました。一文字キーワードという訳でもないんですが。
検索結果(直接URLをコピーしたので表示に時間がかかります。)
表示件数10件と1件で試してみましたが、共に同様の結果となりました。上記リンクは10件表示のものです。
[44903] 2005年 9月 15日(木)19:06:15【1】Issie さん
太政官布告別紙
「久遠」だけだったら「くをん」なんですどね…。

[44892] で省略した明治2年8月15日付太政官布告の「別紙」は,以下のようになっています。

--------------------------------------------------------------------------------------
(別紙)
北海道十一ヶ国
 渡島国:ヲシマ
亀田:カメタ 茅部:カヤベ 上磯:カミイソ 福島:フクシマ 津軽:ツカルツ 檜山:ヒヤマ 爾志:ニシ
 〆七郡

西部
 後志国:シリベシ
久遠:クドウ 奥尻:ヲクシリ 太櫓:フトロ 瀬棚:セタナ 島牧:シマコマキ 寿都:スツヽ 歌棄:ウタスツ 磯谷:イソヤ 岩内:イワナイ 古宇:フルウ 積丹:シヤクタン 美国:ビクニ 古平:フルヒラ 余市:ヨイチ 忍路:ヲシヨロ 高島:タカシマ 小樽:ヲタル
 〆十七郡

 石狩国:イシカリ
石狩:イシカリ 札幌:サツホロ 夕張:ユウハリ 樺戸:カバト 空知:ソラチ 雨竜:ウリウ 上川:カミカワ 厚田:アツタ 浜益:ハマヽシケ
 〆九郡

 天塩国:テシホ
増毛:マシケ 留萌:ルヽモツペ 苫前:トママイ 天塩:テシホ 中川:ナカガワ 上川:カミガワ
 〆六郡

 北見国:キタミ
宗谷:ソウヤ 利尻:リイシリ 礼文:レフンシリ 枝幸:エサシ 紋別:モンベツ 常呂:トコロ 網走:アハシリ 斜里:シヤリ
 〆八郡

東部
 胆振国:イブリ
山越:ヤムクシ 虻田:アブタ 有珠:ウス 室蘭:モロラン 幌別:ホリベツ 白老:シラヲイ 勇払:ユウブツ  千歳:チトセ
 〆八郡

 日高国:ヒダカ
沙流:サル 新冠:ニイカフ 静内:シツナイ 三石:ミツイシ 浦河:ウラガワ 様似:サマニ 幌泉:ホロイヅミ
 〆七郡

 十勝国:トカチ
広尾:ヒロヲ 当縁:トウフチ 大津:オフツ 中川:ナカガワ 河東:カトウ 河西:カサイ 十勝:トカチ
 〆七郡
※法令全書註:本月二十八日静岡藩ヘノ達ニ依レハ大津ハ中川郡ノ一地名ニシテ郡名ニ非ス而シテ上川郡アリ今姑ク原ニ従フ

 釧路国:クシロ
白糠:シラヌカ 足寄:アシヨロ 釧路:クシロ 阿寒:アカン 網尻:アハシリ 川上:カワカミ 厚岸:アツケシ
 〆七郡

 根室国:ネモロ
花咲:ハナサキ 根室:ネモロ 野付:ノツケ 標津:シヘツ 目梨:メナシ
 〆五郡

 千島国:チシマ
国後:クニシリ 択捉:エトロフ 振別:フレヘツ 紗那:シヤナ 蕊取:シヘトロ
 〆五郡
--------------------------------------------------------------------------------------

原文(法令全書)では“読みがな”は「割注」(縦書きの1行を2行に分けて小さな字で表記する)で記載されています。
どうも「くどう郡」という表記は“公式表記”としては「久遠郡」の設置を定めたこの太政官布告までさかのぼることができそうです。

ただし,この読みがなをよく見てみると「イワナイ:岩内」「ユウハリ:夕張」「カミガワ:上川」「ナカガワ:中川」「ウラガワ:浦河」「カワカミ:川上」などというように,基本的に“表音表記”になっていますね。「テシホ:天塩」を除いて「ヲ」がもっぱら用いられているのは,古い表記では 母音 o について「オ」と表記するほうがむしろ例外であったことによるものと思われます。

もっとも,この時期(明治最初期)には“いわゆる「歴史的仮名づかい」”(旧仮名づかい)はまだ確立していません。
カナの種類(字体)が現在のものに限定されて仮名づかいがほぼ統一され,この太政官布告にも見られるような「被称」「被 仰出」などという表記法が排されて,たとえば大日本帝国憲法や教育勅語に見られるような漢字カタカナ混じりの表記法と文体によるいわゆる「文語」が確立して公文書や学校教育に用いられるようになるのは,もう少し後の明治半ばのことです。
[33322] 2004年 9月 24日(金)00:20:49【1】Issie さん
所属町村の消滅によらない郡の異動
前言のおまけ

1878(明治11)年の「郡区町村編制法」により,大きな郡は“適当な大きさ”の数郡に分割されました。また,たとえば「葛飾郡」のように複数の府県に分割された郡の多くも「東・西・南・北・中」を頭につけて分割されています。
下総国 葛飾郡千葉県 東葛飾郡
茨城県 西葛飾郡
埼玉県 中葛飾郡
武蔵国 葛飾郡埼玉県 北葛飾郡
東京府 南葛飾郡

これによって,郡の数が激増しています。
ただし,愛知県と岐阜県に分かれた「中島郡・海西郡」は,そのまま(「はぐり郡」は字が違いますね)。
1876(明治9)年に宮崎県と鹿児島県に分割された「諸県郡」は,少し遅れて1883(明治16)年に宮崎県分が「北諸県郡」,鹿児島県分が「南諸県郡」に,さらに1884(明治17)年に宮崎県北諸県郡が「北諸県郡・西諸県郡・東諸県郡」に分割。

1890年以降,法律「郡制」施行のために1878年とは逆に小さな郡の統合が行われました。
これで再び郡の数が大幅に減る一方で,このときにいわゆる「合成地名」による郡が量産されます。
法律「郡制」の施行によって,「郡」は“行政区画”として2つの性格を持つに至ります。
 1)府県の下位行政区分,および当該区域を管轄する府県の出先機関
 2)当該区域を単位とする地方自治体
で,10年かかって1900年に岡山県に法律「郡制」が施行されて,北海道を除く「郡」の編成が完了しました。
北海道には法律「郡制」は施行されませんでした。上の2つの性格のうち,前者に関しては郡をまとめる形で「支庁」が設置されています。北海道の「郡」は,青森県以南のそれとは違って,“行政上の区画”ではなく,単なる“地域単位の呼称”に過ぎません。

で,
1906年4月1日に「当縁郡」が「広尾郡」と「十勝郡」に分割されて消滅します。
これは,北海道で“自治体”としての「町村」を編成するための合併によるもので,本州以南の町村制施行のための「明治の大合併」,「郡制」施行のための郡の統合に相当するものと思われます。
1923年4月に「振別郡」が「択捉郡」に吸収されて消滅したのも同様。南千島では,ようやくこのときに“自治体”としての「村」が編成されたからです(得撫以北は「村」は結局編成されずに日本を離れました)。

1918年2月1日の「室蘭郡」の消滅は,室蘭町ほか3村が本州以南の「市」に相当する「室蘭区」になったことによるもの。実は所属町村の消滅による郡消滅の最初の例です。

なお,上記2つの性格のうち,後者:自治体としての郡は1923年に,前者:府県の出先機関としての郡は1926年に廃止されました。以後,本州以南の郡も明治初めまでの“地域単位の呼称”に戻り,具体的な行政機能を持った区画や機関ではなくなりました。

以下,所属町村の消滅による郡の消滅例はたくさんあるので,そうでない理由による郡の異動を列挙します。

1913年4月4日 愛知県海西郡・海東郡 の統合 →海部郡
*愛知県では郡制施行の際の郡の統合はありませんでした。本当はこのときに統合されるべきものだったのかも。それにしても,おそらく地元では「かいふ」さんと読む苗字が一般的であるだろうに,わざわざ古い読み方の「あま郡」を選んだのは,どういうことか。
ちなみに同じ「海部郡」でも,徳島県(阿波)では「かいふ郡」,大分県(豊後)では「あまべ郡」。和歌山県(紀伊)にあった海部郡は,名草郡と統合されて「海草郡」となりました。

1949年10月1日 群馬県群馬郡の一部を分割し「北群馬郡」を設置
*郡を分割して新郡が設置されたものとして,“今月末までは”唯一の例

1956年9月30日 三重県河芸郡・安濃郡 を統合 →安芸郡
*「河芸郡」は,「河曲郡」と「奄芸郡」統合による合成地名

1968年5月1日 長野県西筑摩郡 を「木曽郡」と改称
*「木曽」が地域単位の公式名称となるのは,律令時代以来初めて

1969年4月1日 島根県周吉郡・穏地郡・海士郡・知夫郡 を統合 →隠岐郡

1972年4月1日 鹿児島県噌唹郡 を「曽於郡」と表記変更

というわけで,
今回の「岡山県加賀郡」の新設,というのは,過去あまり例のないものなのでした。
[33163] 2004年 9月 21日(火)02:05:30Issie さん
日魯国境は占守海峡
[33142]
1900年4月1日 634郡
 *南千島6郡(国後・色丹・択捉・振別・紗那・蕊取)を含む。

うっかりしていましたが,樺太・千島交換条約が1875(明治8)年のことですから,1900(明治33)年当時,すでに中・北千島も日本でしたね。や,ポーツマス条約で1905(明治38)年に日本の領土に(再び)入った南樺太と混同してしまっていました。
だから,正解は 得撫・新知・占守 3郡を加えた 637郡 ということになるのかな…。

「樺太」が内務省の管轄に移管され「内地」となった1942年11月以降

これも訂正。正確には,樺太の内務省移管・内地編入は,1943(昭和18)年4月1日です。
内地編入に先立って前年11月1日に行われた支庁・郡の再編以降の数字,とご理解ください。
[33142] 2004年 9月 20日(月)22:34:03【1】Issie さん
郡の数
[33112] 白桃 さん
「郡はどれだけ減ったの?」

数えてみました。

1900年4月1日 634郡
 *岡山県で「郡制」が施行され,北海道・沖縄を除く全国の「郡」の編成が完了。
 *南千島6郡(国後・色丹・択捉・振別・紗那・蕊取)を含む。

1954年3月31日 612郡
 *「昭和の大合併」直前
 *一応,南千島5郡も含む(以下同じ。なお,振別郡は1923年に択捉郡に編入)。
 *面倒なので,米軍統治下の沖縄5郡も含んでしまう。次も同じ。

1960年3月31日 590郡
 *「昭和の大合併」後

2003年3月31日 560郡
 *「平成の大合併」直前

2005年4月1日 517郡 (予定)
 *9月20日までの「総務省告示」による。

手作業で(もちろんコンピュータを使ったけど)数えたので,少し誤差があるかもしれません。

なお,中・北千島を領有していた時期,当該地域には3郡(得撫・新知・占守)が設置されています。
また,「樺太」が内務省の管轄に移管され「内地」となった1942年11月以降は,以下の10郡も含めて数えるべきかもしれません。
 豊原支庁: 大泊・留多加・豊栄
 敷香支庁: 元泊・敷香
 真岡支庁: 本斗・真岡・泊居
 恵須取支庁: 恵須取・名好

もちろん,これらはサンフランシスコ条約によって領有権を放棄していますから,以後は数に入ることはあり得ません。
南千島5郡(および「根室市」の一部)にも,日本政府の統治権が現在及んでいないことも言うまでもありません。

2001年以降に消滅した(する予定の)郡は,以下のとおりです。

2001.10. 1滋賀県栗太郡
2003. 2. 3広島県芦品郡
2003. 4. 1岐阜県山県郡,香川県大川郡
2003. 4.21山口県都濃郡
2004. 3. 1新潟県佐渡郡,岐阜県郡上郡・益田郡,広島県高田郡,
長崎県壱岐郡・上県郡・下県郡
2004. 4. 1京都府中郡・竹野郡・熊野郡,兵庫県養父郡,広島県双三郡,
愛媛県宇摩郡・東宇和郡
2004.10. 1三重県志摩郡,滋賀県野洲郡・甲賀郡,島根県能義郡,岡山県川上郡,徳島県麻植郡
(同日,岡山県に「加賀郡」新設)
2004.11. 1福島県北会津郡,茨城県多賀郡,富山県東礪波郡,三重県阿山郡・名賀郡
兵庫県氷上郡,島根県大原郡・美濃郡,岡山県邑久郡,愛媛県周桑郡
2005. 1. 1三重県飯南郡
2005. 1.11三重県鈴鹿郡,兵庫県三原郡
2005. 2.28栃木県安蘇郡
2005. 3. 1佐賀県小城郡,長崎県北高来郡
2005. 3. 3大分県南海部郡
2005. 3.31広島県甲奴郡・比婆郡,大分県宇佐郡
2005. 4. 1徳島県阿波郡

まだ増えるんでしょうね。
[29804] 2004年 6月 27日(日)23:33:07【2】Issie さん
北海道の郡は小さいか
[29779] スルヤさん
1町村しかない郡が多数あることです.

面積の上から言えば北海道の郡が非常に広大であることは,[29784] 両毛人 さんが具体的な数字を出されているとおりです。
北海道の地図は全体を1枚に収めるために本州以南の地図よりも縮めてしまうことが多く,1郡に1つの町や村しかないことも相まって,「面積が小さい」という錯覚をしてしまいがちですね。

当然のことですが,いずれの郡もはじめから町や村が1つしかなかったわけではありません(数少ない例外が,茂寄村だけの広尾郡と,斜古丹村だけの色丹郡)。ただし,この段階では「自治体」ではない「村」。
離島と沖縄を除く本州以南では1889(明治22)年に施行された「町村制」に準じて,1902(明治35)年以降,北海道でも順次「自治体」としての「町」や「村」(本州以南の町村に比べて自治権に一部制限がある)を編成していく過程で,多くの郡が1つだけの町または村に統合されました。
また,この段階では2町村以上あった郡でも,その後の町村合併で1つだけになってしまったとこともあります。

1902年の自治制導入に先立って,1897(明治30)年に北海道では「支庁制」が実施されて,地方行政機関としての「郡」の機能は「支庁」に移り,「郡」は単なる地域区分の呼称となってしまいました(本州以南では大正末期から昭和初期にかけて,地方自治体および行政機関としての郡(郡制)が廃止されています)。
そうなってみると,主に水系を単位にした郡の領域は,1つの自治町村を編成するに手頃な大きさと映ったのではないのでしょうか。

なお,このときにいくつかの郡が統合されて消滅しています。
・「当縁(とうぶい)郡」が1906(明治39)年に分割されて「広尾郡」と「十勝郡」に。
・「振別(ふれべつ)郡」が1923(大正12)年に「択捉郡」に統合(留別村だけの1郡1村)。
また,さらに以前,1881(明治14)年に渡島半島南端の「津軽郡」と「福島郡」が統合されて「松前郡」となっています。
また,その後の町村合併で消滅した郡も少なからず存在します。

逆に,入植の遅れた内陸部などでは,もともとは1つの広大な村であったものが,順次分割されて今ではたくさんの市町村となっているところもあります。
たとえば,現在,砂川市・上砂川町・奈井江町・歌志内市・赤平市・芦別市 の4市2町にまたがる区域は,1897(明治30)年11月当時は「空知郡奈江村」という1つの村でした。
また,1897年当時の「虻田郡虻田村」からは,分裂を重ねて現在は 虻田町・洞爺村・ニセコ町・留寿都村・喜茂別村・真狩村・京極村・倶知安町 となっています。

ウルップ(得撫)島以北の中・北千島に編成された「得撫郡」「新知郡」「占守郡」には1つも「村」が設置されることなく,サンフランシスコ条約で領有権を放棄してしまいました。

ちなみに,こんなページを作ってあります。
 「市町村の変遷:北海道」
  http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/01hokkai/01_hokkaido.htm
お目汚しにどうぞ。
[15874] 2003年 5月 25日(日)07:26:12【2】三丁目 さん
旧19支庁の管轄地域
札幌:石狩国の札幌区および同国札幌・石狩・厚田・浜益、胆振国千歳の5郡。
函館:函館区の区域。
亀田:渡島国亀田・上磯・茅部・山越の4郡。
松前:渡島国松前郡。
檜山:渡島国檜山・爾志、後志国久遠・奥尻・太櫓(後に瀬棚に合併)・瀬棚の6郡。

寿都:後志国島牧・寿都・歌棄・磯谷の4郡。
岩内:後志国岩内・古宇の2郡。明治32年に室蘭支庁虻田郡の一部を編入。
小樽:後志国小樽・高島・忍路・余市・古平・美国・積丹の7郡。
空知:石狩国空知・夕張・樺戸・雨竜の4郡。明治32年空知郡の一部(*1)を上川支庁に編入。

上川:上川郡。明治32年増毛支庁管下の上川郡(天塩国)(*2)と空知支庁管内空知郡の一部、明治34年増毛支庁管内中川郡(*3)、明治39年室蘭支庁管内勇払郡の一部(*4)を編入。
増毛:天塩国増毛・留萌・苫前・天塩・中川・上川の6郡。明治32年上川郡、明治34年中川郡が上川支庁の管轄となる。昭和23年手塩郡の一部(*5)を宗谷支庁に編入。

宗谷:北見国宗谷・枝幸・礼文・利尻の4郡。昭和23年留萌支庁手塩郡の一部を編入。
網走:北見国網走・斜里・常呂・紋別の4郡。
室蘭:管轄地域は胆振国虻田・有珠・室蘭・幌別・白老・勇払の6郡。明治32年虻田郡の一部(*6)を岩内支庁、明治39年勇払郡の一部を上川支庁、明治43年虻田郡の一部(*7)を後志支庁に編入。

浦河:日高国沙流・新冠・静内・三石・浦河・様似・幌泉の7郡。
釧路:釧路国釧路・白糠・足寄・阿寒・上川・厚岸の6郡。昭和23年足寄郡が十勝支庁の管轄となる。
河西:十勝国河東・上川・河西・当縁・中川・広尾・十勝の7郡。明治39年当縁郡が広尾郡・十勝郡に分割して廃止。昭和23年釧路国支庁足寄郡(*8)を編入。
根室:根室国根室・花咲・野付・標津・目梨郡・千島国得撫・新知・占守・国後・色丹の10郡。
紗那:千島国択捉・紗那・振別・蕊取の4郡。

*1:上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町。
*2:名寄市、下川町、風連町、士別市、剣淵町、朝日町、和寒町。
*3:中川町、音威子府村、美深町。
*4:占冠村。
*5:旧幌延村から旧豊富村が分村し、その数年後に支庁変更。
*6:京極町(旧東倶知安村)、倶知安町。
*7:ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町。
*8:旧東足寄村、陸別町[旧東足寄村(釧路支庁)と旧西足寄村(十勝支庁)が合併して、足寄町となる前に、編入された。]。
町村レベルでの動きだけを、字図で表しました。

注1:旧支庁名の記述の一部に、後志・留萌・釧路国支庁欄の記述を含みます。
注2:町村名の前に、「旧」を付けていない場合は、現在の町村名を表します。
注3:旧支庁の管轄についての記述は、角川日本地名大辞典によります。なお、「北海道支庁のあゆみ」(北海道総務部総務課)も、参考資料として使いましたが、ン?と思ったところは、資料の突合せにより、自分で判断した部分もあります。

この他、「芦別市の一部(奈江)が、中富良野町へ編入(空知支庁の一部が上川支庁へ編入)」は、地図で地形を見ると、そういう編入はスムーズだよね、と納得できたり、「南幌町の一部(江別太、豊幌)が江別市に編入(空知支庁の一部が札幌支庁へ編入)」は、平坦地なのにそうなったということは住民の意向だったの?等、細かい動きはあるのですが、あまりにマニアックな話すぎると思ったのと、ご紹介するにしても結構多くて、全部をちゃんと捕捉し切れているか自信がなかったので、やめました。
[12049] 2003年 3月 29日(土)01:44:33紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
空知中央より
[12025]三丁目さん

岩見沢市の紅葉橋瑤知朗さんがいらっしゃったのに、地元でもないのに僭越でしたが。

いえいえ。逆に、身近なようでいつになる・信憑性があるのかないのかはっきりしないことでもあります。
とりあえず、知事選で当選者が出るのかどうかが大問題(9人も出てますよ…)。

ちなみに、瑤知朗(ようじろうと読みます)の「知」は、「空知」も噛んでいます。

[12029]Issieさん

実際に「○○愛好者」の意味で使う方が多いですね。
ただ、各人の好みは様々ですから、もしかすると昂奮する方もいらっしゃるか、と。

uttさんになんだか削除を強制したみたいで申し訳ありません…。

[12033]
ただ、岩見沢市の場合、市街地のみ原則から離れまして、
旧市街地の範囲なのでしょうか?ここだけ変な形にずれていますね。

わたしも不思議です(ホントに市民か?)。

北見の国の語源が北見市だと思っていましたが、市制以前は北見ではなかったことを考えれば、
北見市の名称も、伊予市などと同じように、旧国名から取ったものと考えられますね。

まず、「北見国」が「札幌県」(今の宗谷支庁)と「根室県」(同網走・釧路・根室支庁)に分けられました。
根室県には根室ほか8郡役所・厚岸ほか6郡役所・振別ほか3郡役所・網走ほか3郡役所が置かれましたが、のちに野付牛村か置かれる常呂郡は、この時点で「網走ほか3郡役所」に組み込まれています(明治12年7月「郡区町村編成法」による)。
その後変遷を遂げながらも、明治30年には郡役所は支庁に改まり、現在に至っています。

もっと詳しく書きたいのですが、左手首を骨折中で、右手一本で書いているもんで…。


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