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faithさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[87353]2015年3月1日
faith
[86325]2014年8月24日
faith
[86321]2014年8月23日
faith
[83470]2013年5月11日
faith
[83130]2013年4月17日
faith
[83120]2013年4月15日
faith
[83114]2013年4月14日
faith
[81473]2012年8月15日
faith
[81459]2012年8月15日
faith
[81258]2012年8月5日
faith

[87353] 2015年 3月 1日(日)17:00:30faith さん
府県の名前
ご無沙汰しております。

[87340] 山野 さん
「県名変更して「近江県」にしてみては?」
滋賀郡にある役所だから「滋賀県」ということだったはずですが、やはり「滋賀」が県全体を指す名称と認知されているのでしょうね。
地方政治家の無邪気な発言ということでそんなに目くじらを立てる必要もないのでしょうが…

政治家といえば、四国の合併でできたある市の市名決定に関する、前市長氏の子供じみたコメントに、ひどく不愉快になったことはあります。
やはり地名は今の世代が勝手にいじって良いものではないな、とつくづく感じる今日この頃です。
[86325] 2014年 8月 24日(日)13:09:40【1】faith さん
Re^2:意外な場所に意外な地銀が
[86322]白桃 さん
こちらこそ、貴重な資料のご紹介をありがとうございます。
大内銀行は三本松発祥の銀行だったのですね。
現在でもかなり残っていると感じる、三本松の志度に対するムラムラッとした対抗意識が町史からも読み取れます。(笑)
確かに、
三本松には明治十一年興民社が開設されて組合制金融が早くから商人金融の不備を補っていたので、銀行の出現が志度に先を譲ったのであろう。
など、読む方からは唐突に思えるぐらいに志度が意識されているようです。

大内銀行は、三本松が手袋経済時代もなお東讃地方の経済の中心地の位置を保持できたのは、この銀行が立地して歴史を作ったたまものである。
大内銀行が三本松の経済発展に果たした役割についても言及されていますね。
ところで、「手袋経済」(この言葉自体初めて目にしましたが)に、私も自動二輪用のグローブを東かがわ市所在のメーカーから何度か購入して貢献しております(笑)

本筋とはずれますが、それにしても、[86321]でもご紹介したてくてく近代建築に出ている東かがわ市内の旧支店、良い感じの建物です。

[86323] hmt さん
広島県に四国銀行【本店は高知市】の店があることも意外でしたが、その建物は予想外に立派なものでした。
広島市内に中四国に本拠を置く各行の支店があるのは分かりますが、確かに大竹は(失礼ながら)意外ですね。
四国銀行のあゆみにも
(昭和)5年 3月(株)高陽銀行を合併 (資本金1,229万5千円)
とあるだけでした。前身の大竹貯蓄銀行が高知に移転することになった経緯は調査できていません。
同行が、今日でも支店や出張所を大竹市に有するだけでなく、(広島銀行等をさしおいて)大竹市の指定金融機関に指定されているところ、大竹市にとっても「地元の銀行」という意識があるのでしょうね。

※誤字訂正 (1か所)
[86321] 2014年 8月 23日(土)16:26:37【3】faith さん
中国銀行三本松支店
[86217] ぺとぺと さん
[86221] 白桃 さん

ご無沙汰しております。

三本松に中国銀行があるのは、平塚に静岡銀行やスルガ銀行や静岡中央銀行の支店があるのと同じような理由のように思いますが、実際のところどうなのでしょう。

平塚に各銀行の支店がある経緯について、横浜銀行の店舗の歴史(PDF)
には以下のようにあります。
平塚の特徴は、近隣地区に本店を置く銀行が多くの支店を設置した点にある。秦野銀行、国府津銀行(小田原実業銀行を経て明和銀行となる)が、それぞれ平塚支店を設置したほか、すでに藤沢・厚木に出店するなど、神奈川県内への進出に積極的だった駿河銀行(現・スルガ銀行)も、45 年に平塚支店を開設している。
なお、秦野、明和の両行は上記資料にもあるように、1941年に横浜興信銀行(現横浜銀行)に合流します。
要するにスルガ銀行の平塚支店はスルガ銀行自ら開設したようです。(他の静岡県の2行についてもそうだと思われますが、調査ができていません)

一方、岡山に本店のある中国銀行が三本松に支店を開設したわけではなく、香川県の大内銀行によって開設された支店が、1931年の香川銀行の中国銀行による買収によって、中国銀行の支店となったという流れのようです。(参考:てくてく近代建築)
注: ここに出てくる香川銀行は、現在の香川銀行とは無関係です。

さらに言いますと、大内銀行についての詳しい資料はないものの、行名からは、現在の東かがわ市と重なる、旧大内郡に本拠があった可能性が高いです。
とすれば、まさに現在の東かがわ市にあたる地域を地元とする銀行が、地元に支店を開いているだけ、ということになります。

以上、三本松の重要性についてとやかく申し上げるつもりはありませんが、ご参考まで。

その他参考
地方金融史研究会「日本地方金融史」,日本経済新聞社
銀行変遷史データベース

※誤字・脱字訂正:「岡山に支店のある」→「岡山に本店がある」「三本松支店を開設したわけではなく」→「三本松に支店を開設したわけではなく」
※※香川銀行について注を追加
※※※参考のリストの記法を改めた
[83470] 2013年 5月 11日(土)16:34:28【1】faith さん
設置者の異なる本校と分校?
[83349] ペーロケ さん
[83344] グリグリさん
本校と分校で管理団体が異なるケースって他にもあるんでしょうか。

少し乗り遅れて、また趣旨もずれてしまいますが、[25340] で記載したような、昭和中期に一定期間存在した奈良学芸大学 医学進学課程 とかはどうでしょう。。(ただし、[25340]にもあるように、進学先が保障されているものではなかったようです)
医学進学課程と(進学対象の)医学部が異なる大学にあった例はいくつかありますので(たとえば東京医科歯科大学)、
双方の設置主体が異なる例はもっと出せるかも知れませんが、調査できていません。
話が元の話題とさらに離れていきますが、旧学制の青年学校教員養成所には、師範学校に併設の形で開設されたものがあります(たとえば京都)。
このような場合、師範学校が官立に移行した1943年から、青年学校教員養成所も官立に移行する(青年師範学校となる)1944年の間は、設置者が異なるまま同じ校地で並立したことになります。
このような学校の移管に伴う例は、これも他にもありそうですね。

※余計な文言を削除
[83130] 2013年 4月 17日(水)21:52:48faith さん
またまた大阪難波駅
[83122] hmt さん

境界の共同使用駅の事例を挙げると、三岐鉄道三岐線が乗り入れる「近鉄富田駅」は いかがでしょうか。

三岐鉄道のことをとやかく言うわけではないのですが、個人的には、挙げられている例は、大阪ミナミと神戸を直結する大手私鉄の新線の終点が他社の名前を関するのとは何か違うような気がします。
三岐鉄道の例は、かつての能勢電鉄の「川西国鉄前」に近いような気がしました。(千葉には大手私鉄の「国鉄千葉駅前」もありましたが…)
ただ、個人的な違和感のようなので、faith の説明(釈明?)をお読み頂いても、その接続駅が「近鉄難波」であっても違和感はないと言われるのでしたら、私もこの話題に拘るわけでもありません。単なる雑談なので…

2面3線のこの地下駅は、新たに西側から乗り入れる阪神電車を終着駅として受け入れ、折り返すだけの余力はないものと推察します。つまり、阪神線から入ってくる電車は、すべて近鉄線に直通運転するものとして計画され、建設されていると思われます。

折り返しのための設備やキャパシティがあることは、その駅を終点とする(すなわちその駅「行き」の)列車があることの必要条件でもないのでは? 名鉄名古屋駅という例がありますよね。
[83120] 2013年 4月 15日(月)23:27:49faith さん
再び大阪難波駅
[83116] hmt さん
[83114] みかちゅう さん

全体に書き方がまずく、前提も共有できていなかったため、良いたいことがうまく伝えられませんでした。
みかちゅうさんが言われる例は存じていますし、関西でも山陽姫路-阪神梅田間の「直通特急」などでは同じような掲示がみられます。
ただ、大阪難波駅は、このような例と状況は異なり、境界の共同使用駅です。京急に乗り入れる京成の車両が京急久里浜行きを掲げる(これは当然のことと思われます)のと意味が違うと思いますがどうでしょうか。
共有できていなかった前提というのは、大阪難波駅の位置です。
難波駅は、南海やJRの難波駅(元祖の南海はともかく、JRの難波駅には違和感を禁じえませんが、それはともかく)地下鉄千日前線や御堂筋線のなんば駅と同位置にある駅と理解されていると思います。しかも乗り入れてきたのは近鉄が後です。
そこに、長年の計画が実現し、乗り入れてきた阪神の電車にまで、近鉄難波行きを名乗らせるのは、私には無理があるように思えてなりません。

近鉄は確かに駅に「近鉄」を駅名に冠する傾向があります。
ただ、これは駅の場所とあまり関係がないようにも思われます。難波駅の隣の駅は、千日前線の日本橋と同じ場所にありますが、近鉄日本橋駅となっています。(むしろ、システム的な理由で、大阪地下鉄など - もしかしたら東京の地下鉄?との同名駅を回避しようとしているのかとも思われますが、鶴橋駅には「近鉄」がついておらず謎です。)
[83114] 2013年 4月 14日(日)16:10:58faith さん
近鉄難波駅
[83102] hmt さん

…というわけで、阪神から 「大阪難波」への駅名改称 を提案されたら、近鉄もこれに同意。こんないきさつでしょうか。

交渉の経過については私には分からないのですが、ご存知のとおり、もともとの駅名は「難波」ではなく「近鉄難波」なので(ホームの駅名表示も、駅ビルの表示もそうなっていた)、改名はいずれにしろ必然のものだったのではないでしょうか。(さすがに阪神の電車が「近鉄難波行き」は不自然と思われます。)
話は少しずれますが、「神戸~」「大阪~」のような案内は他地域から来られる方を主に念頭においている、というのはきっとそうだと思う一方、「京阪神」と呼ばれつつも、三都市および近隣都市の住民同士はそれほどお互いの地理を把握しているわけではないと思われます。
(相手都市に就職や進学したり、親しい者が住んでいるなどの事情がなければ)観光で訪れる程度ではないでしょうか。自分の話になりますが、大阪市の近隣に育ちましたが、神戸の元町を歩いたのは、そういう事情ができた社会人になってからでした。
[81473] 2012年 8月 15日(水)12:06:32faith さん
元祖(?)円形校舎
[81469] hmt さん

昭和30 (1955)年 ○日本建築界最初の高層円型校舎を完成。空中写真説明「周囲に高層ビルはない」。
(略)
この建物が全国的な評判になって、1955年前後の流行になったものと推察します。
「高層」ではありませんが「円形」校舎としては時期的には、富士見の円形校舎
が少し先んじており、こちらもそれなりに報道に取り上げられたようです。
ご指摘のように、文化服装学院の影響力はあったと思われますが、明らかに同時期に平行して計画・設計が進められたと思われる、この2校を含む複数の先行例が流行につながったのではないでしょうか。
[81459] 2012年 8月 15日(水)00:42:19faith さん
丸い建築物
[81458] BEAN さん
[81436] オーナー グリグリさん
[81431] Issieさん
[81418] hmtさん
[81305] 菊人形さん

円形校舎は各地で見かけますが、これについて考えたことがありませんでした。
私が見知っている例についてちょっと調べてみました。

清風中学校・高等学校
の円形校舎は、沿革|学校概要|清風学園によると、
昭和32年 3月 4階建校舎落成(現、円形校舎)
と確かにIssie さんご指摘の時期に建築されていますね。

個人の方のサイトに大阪芸術大学短期大学部(旧浪速短期大学)の円形校舎が紹介されています。こちらも学校案内>短期大学部のあゆみ : 大阪芸術大学短期大学部によると
昭和34(1959)年 矢田に円形学舎竣工。短大及び学院本部移転
とやはり時期的にはこのあたりです。

校舎ではありませんが、こういうところに、10年以上前に宿泊したことがあります。公式資料での確認は取れていませんが、建築年はやや下って1973年のようです。(近年、改装で相当手が入っているようです)
1976年に大阪マルビルが建てられているので、このあたりに再び流行があったのかも知れません。(のろのろ書いていたらBEANさんに先を越されてしまいました)

ただ、施設の目的や規模(=半径) にもよりますが、円形断面の建物は矩形断面に比べて使い勝手が良いと思えず、一種の「流行」で終わっているのではないでしょうか。(でなければ、円形校舎の建築がその後続いていても良いはず)
[81258] 2012年 8月 5日(日)18:49:07faith さん
国別のメダルランキング表
[81210] hmt さん
国別メダルランキング表の作成禁止ルール(根拠条文は未発見)があるとは 知りませんでした。
もう見つけられたかも知れませんが、
OLYMPIC CHARTER IN FORCE AS FROM 8 JULY 2011
には以下のようにあります。
57 Roll of Honour
The IOC and the OCOG shall not draw up any global ranking per country.
ご紹介の「オリンピック憲章を読んでみよう」から受ける印象とは違い、IOC や OCOG(The Organising Committees for the Olympic Games; 組織委員会)が作らないと言っているだけで、他人に「作るな」と言っているわけではないですね。
下記のWall Street Journal の記事によれば、1924年からある規定だそうです。
Who's on First in Medals Race?
That wording was inserted into the charter in 1924 after organizers in some cities began ranking countries.


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