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ニジェガロージェッツさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[64773]2008年4月17日
ニジェガロージェッツ
[64704]2008年4月14日
ニジェガロージェッツ
[64113]2008年3月24日
ニジェガロージェッツ
[64045]2008年3月16日
ニジェガロージェッツ
[63864]2008年2月29日
ニジェガロージェッツ

[64773] 2008年 4月 17日(木)02:22:31【1】ニジェガロージェッツ さん
鶴見区諸口五丁目浜
[64732] TN さん
早速の鴻巣実地踏査お疲れ様でした。実際に本町一丁目宮本町、本町一丁目本一町の存在を現地入りしてご確認されるとは、いつもながらの探究心、敬服いたしております。
確かにWeb埼玉の記事にある現地の写真と、地図で見た駅前再開発地区のイメージが一致しませんでした。TNさんの調査で再開発のメイン地区A1とは道一つ隔てた細い三角地が件の公園とはちょっと意外でした。面白い情報ありがとうございました。

さて、今回の町名復活劇の先達となった大阪の「東区渡辺町」を「中央区久太郎町四丁目渡辺」として保存した例には、「鶴見区諸口五丁目浜」にその伏線があったのかなと感じています。
私事ですが「久太郎町四丁目渡辺」を拙稿[7175]にてご紹介した際には「鶴見区諸口五丁目浜」の事例を知らず、これを認識したのは[7379]てへへさんの記事にありますが、後にまがみさんとお会いした際に地図で教えていただいてからのことでした。([61016] に関連)
拙稿[64704]にご紹介したように、新住居表示実施による現在の浜(1~5丁目)、諸口(1~6丁目)が起立する前の町名は茨田浜町(マッタハマチョウ)と茨田諸口町(マッタモロクチチョウ)でした。手元に昭和56年と昭和60年の大阪市の区分地図があるのですが、56年版は茨田浜町と茨田諸口町、60年版では既に浜1~5丁目、諸口1~6丁目、緑地公園に分かれていますから、ここではこの間に新住居表示が実施されたようです。一方で東区渡辺町は両地図ともに健在です。
旧茨田浜町南端と茨田諸口町の境界は府道23号大阪生駒線よりやや南の市街地に食い込んでいましたが、新住居表示に際しては大阪生駒線を境界とし、同線より南にはみ出した茨田浜町南端部分は諸口五丁目に組み込まれました。「諸口五丁目浜6~浜14」との街区符号が打たれた部分はその一部分です。しかしながら、そこまでしてここに旧茨田浜町の一角である名残を残す必要があったのならば、大阪生駒線の南の街区を「浜六丁目」として「諸口五丁目」から分離した町割りが出来なかったのかが疑問です。「浜6~浜14」とは何か変則的と言うか、姑息と言うか。
その数年後に大阪の都心では久太郎町の新設による渡辺町廃止の問題が持ち上がるわけですが、「諸口五丁目浜」の実績から「久太郎町四丁目渡辺」につながったのではないかと想像しております。
もしも「浜六丁目」を作る英断をしていれば、「久太郎町四丁目渡辺」という発想は出ずに終わり、鴻巣の「本町一丁目宮本町、本町一丁目本一町」誕生もなかったのかも知れません。
傍目には姑息な手段とも映る大阪市の地名街区符号の苦心が生んだ怪我の巧妙でしょうか。

なお、茨田は大阪湾岸から遠く離れた内陸の旧河内国に属していますが、そこに茨田浜町という「浜」が付く地名があるのは、古代の「難波の入江」が大阪平野の奥深くまで達していた頃の名残といわれています。

【1】地名街区符合を地名街区符号に訂正
#この原稿を書き始めた頃、久しぶりに「悪夢の揺れ」がありました。ここ長田区では震度3とか。規模はあの時と比べられないぐらい小さなものでしたが、揺れる方向は同じようなものに感じられたので気味が悪かったです。
[64704] 2008年 4月 14日(月)01:39:32【1】ニジェガロージェッツ さん
Re:2例目の地名街区(鴻巣)
[64671] TN さん
鴻巣での旧町名復活の面白いお話有難うございます。
リンクしていただいたWeb埼玉の「40年ぶりに町名復活」記事には、先例となった大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺街区の誕生を「十年前」としていますが、これは間違いです。拙稿[7175]の繰り返しになりますが、実際に誕生したのは平成元(1989)年2月13日に行われた行政区再編による中央区の誕生(東区と南区の合区)に合わせて実施された住居表示変更によるものですから、もう19年も前のことです。

今回の鴻巣の場合は、再開発で整備された駅前の公園とのことで旧町名の復活が容易だったことが挙げられていますが、それにしても市の粋な計らいには拍手を送りたいところです。
加えて、旧大阪市東区渡辺町の町名由来となっていた嵯峨源氏の渡辺綱が鴻巣出身ですか。何かお話が出来すぎているような。千年の時を経て町名復活劇の話題としてその名が取り沙汰されるとは、平安時代の武将も想像だにしなかったことでしょう。

なお、大阪市内の地名街区として渡辺の他には鶴見区に諸口五丁目浜6~浜14街区があります。
現在の鶴見区浜(1~5丁目)、諸口(1~6丁目)の領域には、住居表示変更前には茨田浜町と茨田諸口町がありましたが、「諸口五丁目」となった区画には旧茨田浜町の一部が含まれており、その部分の街区に「浜」を冠して番号を付けたと推測できます。
[64113] 2008年 3月 24日(月)01:49:25ニジェガロージェッツ さん
灘目
[64099] 蒼の狼 さん
江戸時代の灘という地名は今のどのあたりにあたるのでしょうか。

今川焼さんより、[64108]にて明確に
武庫川河口から神戸市の生田川河口までの海岸地区名。【別称】摂津灘。東西20km。
とのご説明がありましたが、小生からも説明と言うほどではありませんが少しばかり灘についての雑感を述べてみます。

まず、江戸期の「灘」についてですが、当時は正確には「灘目(なだめ)」と呼ばれていたようです。
これも古代の「灘辺(なだべ)」が転じた呼び名で、灘とは海のことですから、地名は海辺のことを言い、京の都より山陽道(西国街道)を西へ下ってここで初めて海(灘)が見えるところからこのように呼ばれたようです。西宮までの西国街道は現在の国道171号線に相当しますから、やはり「灘辺」は西宮市の海沿いの地域から西側の地域、当時の武庫郡、菟原郡の海岸線一帯の総称のようなものではなかったでしょうか。このあたりの経緯は神戸東灘まちづくり文化のルーツのサイトに詳しく述べられています。

とはいえ、村落名や行政区画名として「灘」を名乗るものはありませんでした。初めて村名として灘が現われるのは、明治28(1895)年に菟原郡都賀野村が西灘村(現在の灘区西部、但し大石は都賀浜村→西郷町の一部)に改称したときでした。

「灘五郷」とは、地名というよりはこの地域の地場産業である酒造地の酒蔵を纏めた名称で、江戸期には東から、今津郷、魚崎郷、御影郷、西郷、下灘郷であり、明治時代になると下灘郷が抜けて、代わって西宮郷が入って現在に至っているようです。
(出典:gallery 灘五郷

しかしながら、これも酒造業の業界でのお話で、「灘の酒」がよく売れるとのことで、元来の「灘」の範囲外にあっても「灘ブランド」を得るために「灘に入った」との見方もあります。
下灘郷は現在の神戸市中央区・兵庫区の一角にあったようですが、江戸期と言えども地名としての灘(或いは灘目)に現在の兵庫区までは含まれていなかったと推察します。
[64045] 2008年 3月 16日(日)23:14:23【1】ニジェガロージェッツ さん
神戸は公園だらけ
昨日はおおさか東線の開業を筆頭にJR西日本ではいくつかの新駅の開業があり、神戸市内にも新駅「須磨海浜公園」駅が開業しました。昨年の駅名決定に際しては[61238]k-aceさんの記事がありましたが、小生は以前に新駅の名称について散々ケチをつけた覚えがあり[25385]、もう4年も前の書き込みでした。時が経つのは早いものです。

さて、須磨海浜公園駅の誕生で神戸市内には「公園駅」を名乗る駅が9駅になりました。
戦前の旧神戸市内には「公園駅」はなく、現在の市域に広げれば(当時は)市外の明石郡垂水町に山陽電鉄の「舞子公園駅」が存在するのみでした。廃止された神戸市電の停留所には「湊川公園」がありましたが。
以下、神戸市内の「公園駅」について古い順に開業(改称)時期まとめてみます。
駅名路線開業または改称日備考
舞子公園山陽電鉄本線昭和10年8月1日舞子駅を改称
須磨浦公園山陽電鉄本線昭和23年9月30日新駅設置
中公園神戸新交通ポートアイランド線昭和56年2月5日ポートライナー開業
南公園神戸新交通ポートアイランド線昭和56年2月5日ポートライナー開業
湊川公園神戸市営地下鉄山手線昭和58年6月17日山手線開業
王子公園阪急電鉄神戸線昭和59年6月1日西灘駅を改称
総合運動公園神戸市営地下鉄西神線昭和60年6月18日西神延伸線開業
御崎公園神戸市営地下鉄海岸線平成13年7月7日海岸線開業
須磨海浜公園JR神戸線平成20年3月15日新駅設置

ここ数年というより、もっと長い期間で「公園駅」が人気のようにも感じますが、神戸の場合は実在する(または一般にそのように呼ばれている)公園が近くに存在し、やはり他に良い名称がなかったのかも。ポートアイランドの中公園そのものは駅開業後に「原口記念公園」に改称されたようにも記憶しています。
個人的には、阪急の「西灘駅」が「王子公園駅」に改称されたときは喝采しましたが。
[63864] 2008年 2月 29日(金)22:29:23ニジェガロージェッツ さん
旧神明
[63860] 小松原ラガー さん
この道ではないでしょうか?地図の中央に鉄拐山トンネルとありますが、まさにその道こそが第一神明というか旧神明というか、「神明道路」だったと思います。
(中略)
大蔵谷から先も神明と称していたような気もするし・・・。
はい、現在で言うところの「旧神明」こと「神明道路」は小松原ラガーさんのリンクされた地図にあるとおり、「鉄拐山トンネル」を通る道路がそれです。現在の第二神明道路の「名谷出入口」から「大蔵谷出入口」までの区間は、旧神明道路を踏襲したもので、大蔵谷以西はこの道路が神明道路でした。この道を更に進むと、西明石の小久保交差点を超えて明姫幹線道路に入りますが、この小久保までは神明道路だったと記憶しています。
一方、かつての神明道路の東の起点ですが、小生もリアルタイムで通ったことがある筈ですが、幼少のため記憶が定かではありません。
現在地元で「旧神明」と呼ばれている道路は須磨離宮公園南側のここ以西です。日本地図センターから出ている「地図で見る神戸の変遷」に収録されている「昭和44年頃の神戸5万分の1」には、今の阪神高速3号神戸線月見山出入口あたりから「神明道路」が出ているように描かれています。いずれにせよ、やはり離宮公園あたりが起点だったかと推測します。


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