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白桃さんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[100240]2020年9月1日
白桃
[100234]2020年9月1日
白桃
[100208]2020年8月29日
白桃
[100202]2020年8月28日
白桃
[100200]2020年8月28日
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[100195]2020年8月26日
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[100159]2020年8月19日
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[100158]2020年8月19日
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[100117]2020年8月18日
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[100116]2020年8月18日
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[100109]2020年8月17日
白桃
[100097]2020年8月13日
白桃
[100094]2020年8月13日
白桃
[100086]2020年8月11日
白桃
[100085]2020年8月11日
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[100078]2020年8月10日
白桃
[100069]2020年8月7日
白桃
[100067]2020年8月6日
白桃
[100065]2020年8月5日
白桃
[100061]2020年8月4日
白桃
[100056]2020年8月3日
白桃
[100043]2020年7月30日
白桃
[100041]2020年7月29日
白桃

[100240] 2020年 9月 1日(火)18:04:22白桃 さん
Re:百貨店の消滅
[100235]N さん
情報ありがとうございます。
白桃の「都会度」は以下のようになりました。
徳島市:32.55
大津市:31.17
[100234] 2020年 9月 1日(火)12:45:06白桃 さん
福島市と岡崎市の百貨店消滅、その他
昨日をもちまして福島市の中合百貨店と岡崎市の西武岡崎店が閉館となりましたので、冷血漢白桃が容赦なく、福島市の都会度を0.1ポイント、岡崎市の都会度を0.05ポイント下げた結果、それぞれ31.33ポイント、30.76ポイントとなっております。

[100212]オーナー グリグリさん
千葉県|茨城県
「千葉県立関宿城博物館」には私も行ったことがあります。その行った日と言うのが「筑波オフ会」の当日、でした。ここを見てから真壁の街を散策し、筑波に向かったのでした。その頃の投稿[76584]には、
オフ会のついでに真壁に行こうと思うのですが、アクセスが良くないですね。同じ桜川市内の岩瀬から真壁に行く公共交通機関がないとは・・・。岩瀬がクローザーだからか???
と書いておりますが、結局、酔払い白桃に付き合ってくれる数少ない理解者?の車に乗っけてもらうことになりました。真壁の街での昼食時、白桃は日本酒を頼みましたが、可哀想な理解者?にはノンアルコールのビールを飲んでもらいました。今はノンアルコールでもかなり美味しくなっていますが、当時は、さぞ不味かったでしょうね。
とりとめのないことを書きましたが、白桃は筑波オフ会を挟んで二日連続の県境めぐりをしていたのです。全く意識していなかったのですが・・・
[100208] 2020年 8月 29日(土)05:25:21白桃 さん
Re:不安定?
[100204]グリグリさん
お世話になります。[100202]を投稿後、何度か試してみましたが、やはり同じでした。しかし、その都度「更新」をクリックすると開けることができます。症状としては、[100206]でN さんが書いていたのと同じです。
[100202] 2020年 8月 28日(金)19:38:14白桃 さん
事務連絡
トップページからいろいろなメニューを開けようとすると開けることが出来るものと、出来ないものがあります。しかも、開けることができないものは、いつも出来ないというわけでは無いのです。不安定なのです。
私のPCがおかしいのでしょうか?
[100200] 2020年 8月 28日(金)13:37:06【1】白桃 さん
名邑三世代.その41(静岡県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
静岡県の「秀邑」は一種が富士宮、伊東、磐田市、熱海の四つ。このうち、富士宮(大宮)、磐田市(中泉)、熱海は「準名邑」でありました。二種は「東海道五十三次宿」組が由比と興津。後に市となるのが御殿場、二俣と富士。「浜名湖周辺」組が気賀、三ケ日と雄踏。そして、青島(藤枝駅はココ)、鷹岡と現役の「町」小山。一種・二種の合計は15。なお、小山は東海道線(現:御殿場線)の開通で紡績工場が進出したことによって人口が急増したのですが、以降は頭打ち状態になっています。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
一種二級富士宮富士宮市大宮町17,713富士宮市42,750
一種二級伊東伊東市伊東町12,183伊東市36,137
一種三級磐田市磐田市中泉町7,973磐田市35,655
一種三級熱海熱海市熱海町7,944熱海市34,509
二種三級小山小山町小山町17,563小山町16,803
二種三級由比(静岡市)由比町9,043由比町14,386
二種三級御殿場御殿場市御殿場町8,548御殿場町12,981
二種三級気賀(浜松市)気賀町8,255気賀町11,430
二種三級興津(静岡市)興津町8,052興津町14,605
二種三級二俣(浜松市)二俣町6,240二俣町10,493
二種三級三ケ日(浜松市)西浜名村9,020三ケ日町13,155
二種三級富士(富士市)加島村7,884富士町22,043
二種三級青島(藤枝市)青島村7,639青島町14,920
二種三級鷹岡(富士市)鷹岡村6,898鷹岡町12,036
二種三級雄踏(浜松市)雄踏村6,184雄踏町10,628
続いて「準秀邑」
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
吉田吉田町吉田村11,532吉田町17,962
大仁(伊豆の国市) 田中村6,466大仁町10,181
(参考)として
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
袋井袋井市袋井町3,017袋井町15,744
函南函南町函南村9,610函南村14,953
積志(浜松市)積志村8,486積志村12,660
北浜(浜松市)北浜村8,379北浜村17,735
韮山伊豆の国市韮山村7,326韮山村※10,809
富士根(富士宮市)富士根村7,002富士根村10,568
篠原(浜松市)篠原村6,827篠原村11,138
長泉長泉町長泉村6,494長泉村12,084
有度(静岡市)有度村5,946有度村12,026
鷲津湖西市吉津村4,873鷲津町10,032
袖師(静岡市)袖師村3,933袖師町10,342
小川(焼津市)小川村3,901小川村10,457
韮山村※…1950年選抜高校野球大会で韮山高校が優勝。その韮山高校は県下最古の公立高校。そんな韮山高校のある韮山は、古くから伊豆の政治の中心地であったにもかかわらず、「町」になったのは1962年という遅さ。「市街地」と言えるほどの市街地も形成されていないのですが、それにしても不思議です。

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
静岡県の「卓邑」はこの期に市制施行の袋井、浜北、湖西市、裾野(以上一種)、菊川、長泉、函南、浜岡、吉田、大井川(以上二種)、富士川、舞阪、東伊豆、清水町、大仁、伊豆長岡(以上四種)の合計16の街となっています。
卓邑/種別名称現自治体1960年(人口)2000年(人口)
一種一級袋井(9)袋井市袋井市30,817袋井市59,835
一種一級浜北(9)(浜松市)浜北町53,548 浜北市84,905
一種二級湖西市(9)湖西市湖西町28,017湖西市43,711
一種二級裾野(7)裾野市裾野町22,336裾野市52,682
二種二級菊川(9)菊川市菊川町24,992菊川町31,528
二種二級長泉(8)長泉町長泉町15,853長泉町36,169
二種二級函南(6)函南町函南村15,505函南町38,611
二種三級浜岡(0)御前崎市浜岡町18,723浜岡町24,490
二種三級吉田(7)吉田町吉田町18,170吉田町27,492
二種三級大井川(0)(焼津市)大井川町16,585大井川町23,204
四種富士川(9)(富士市)富士川町13,645富士川町17,372
四種舞阪(8)(浜松市)舞阪町9,468舞阪町11,787
四種東伊豆(8)東伊豆町東伊豆町15,246東伊豆町15,807
四種清水町(7)清水町清水村10,841清水町30,870
四種大仁(7)(伊豆の国市)大仁町12,108大仁町15,419
四種伊豆長岡(5)(伊豆の国市)伊豆長岡町10,144伊豆長岡町15,233
続いて「準卓邑」・・・豊田ひとつだけ
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
豊田(1)(磐田市)豊田村10,111豊田町28,829
(参考)として
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
福田(2)(磐田市)福田町16,045福田町19,415
大東(0)(掛川市)大浜町9,251大東町21,791
韮山(2)伊豆の国市韮山村10,796韮山町19,410

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100195] 2020年 8月 26日(水)16:56:49【1】白桃 さん
「日和佐町史」「赤河内村郷土誌」を読む
タイトルの2冊を国立国会図書館、と言っても、その図書館送信参加館となっている浦安市中央図書館で見てきました。
まず、最初にわかったことですが、徳島県が推進する市町村合併に対して、赤河内村は当初消極的であったということです。日和佐を取り囲むように広がる赤河内は、林野面積も広大で、特に徳島県を代表する樵木(こりき)林業の里として知られており、畑違いの日和佐と合併してもデメリットの方が大きいと考えていたのかもしれません。
さて、ここから本題です。
「日和佐町史」には、両町村から徳島県へ出された「合併申請書」が掲載されていました。
海部郡日和佐町を廃し、その区域を昭和31年9月30日から海部郡日和佐町となるべき海部郡赤河内村に編入し、昭和31年9月30日から施行するようお取り計らい願いたく(以下略)
はっきり言って変な文章だと思います。が、言いたいことは分かります。つまり、「日和佐をいったん赤河内に編入したことにして、その日から新しい日和佐町をスタートさせたい。」ですよね。ただ、不思議なのは、この合併申請書には「赤河内町」という文言が出てこないのです。
そこで、「赤河内村郷土誌」を見ることにしました。そこには、赤河内村議会で決議された事項のうち、まさに私の関心事である3つの議案が掲載されていました。
第21号議案
町制施行について
海部郡日和佐町を廃しその区域を昭和31年9月30日から海部郡赤河内村に編入することになる赤河内村を赤河内町として昭和31年9月30日から施行する
白桃、頭が痛くなりました。アタマが悪くなったのでしょうか?解り難くするのだけが目的のような文章です。「魏志倭人伝」も顔負けです。でも「赤河内町」という文言は出ていますね。
第22号議案
町の編入について
海部郡日和佐町を廃しその区域を昭和31年9月30日から海部郡日和佐町となるべき海部郡赤河内村に編入し昭和31年9月30日から施行することを徳島県知事に申請するものとする
とにかく、日和佐を赤河内に編入するのですね。
第23号議案
町の名称を変更する条例
海部郡日和佐町を廃しその区域を昭和31年9月30日から海部郡赤河内村に編入することとなる海部郡赤河内町を日和佐町に改める
新町名を「日和佐町」とすることは合併協議における最初からの「お約束ごと」でした。

以上から感じたことは、赤河内側にとって重要なことは、「赤河内町を名乗ること」と「日和佐を編入した形をとること」の二つで、その順序はどうでも良かった、あるいは、意識もしていなかったのではないかということです。奇しくも議案の順番通りに総理府告示が出されていますが、757号が「日和佐町を赤河内村に編入」、758号が「赤河内村→赤河内町」となっていたとしても赤河内側からは文句が出なかったのではないかと考えています。
[100194] 2020年 8月 25日(火)23:19:14白桃 さん
赤河内町と伏黒町
[100193]MI さん
はい。調べてあります。総理府告示では以下の通りになっています。
DIDの変遷を復刻していただいたときもそうですが、私が大いに悩んでいたときに、MIさんには思ってもいない「天の助け」をいただいております。本当に感謝申し上げます。また、改めて「市区町村変遷情報」の正確性について敬意を表します。
ただ、美波町役場の方に読み上げていただいた町史には、「徳島県海部郡日和佐町を廃し、その区域を赤河内村に編入」と書いているようなので、この点からも、「赤河内単独町制説」に関して私はまだすっきりしていないのです。まさかとは思うのですが、徳島県から総理府に届ける際、何かの手違いがあったのではないでしょうか・・・。ある「事典」には「日和佐町:1956年赤河内村を編入」となっていますが、事実上はそのとおりですから、形式的な事柄はあまり気にしない方が良いのかもしれません。

伏黒村が伊達町になる際、いったん、「伏黒町」となっていたのですね。気が付きませんでした。
[100190] 2020年 8月 25日(火)15:23:18白桃 さん
1956年9月30日、日和佐町を編入したのは赤河内村?
タイトルの件、「市区町村変遷情報」では以下の通りになっています。
変更年月日都道府県変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容
1956(S31).9.30徳島県町制/編入/改称海部郡日和佐町海部郡 赤河内村, 日和佐町
つまり、順序として
1.赤河内村を赤河内町とする
2.日和佐町を赤河内町に編入する
3.赤河内町を日和佐町とする
となっているのですが、[82395]
「赤河内に花をもたせる」だけなら、以下の通りで良かったのではないかというのが私の考えです。
日和佐町を赤河内村に編入する→赤河内村が町制施行→赤河内町が日和佐町に改称
(つまり、福島県で同じ時期に行われた伊達町/伏黒村パターン)
と書いているように、この流れになんとなく違和感のあった私は本日、美波町役場に問い合わせを致しました。
私の不躾な質問に対し、親切にも役場の方は「町史」(たぶん、日和佐町史でしょう)で調べてくれました。
結果は、私が予想していたように
1.日和佐町を赤河内村に編入する
2.赤河内村を赤河内町とする
3.赤河内町を日和佐まちとする
でした。
一日に起きた出来事なので、順序なんてどうでも良いことかもしれません。また、これでもって、「市区町村変遷情報」の記載が誤っていると決めつけるわけにはいきません。官報で調べらることが出来ればよいのですが、とりあえず、ご報告まで。
[100184] 2020年 8月 21日(金)07:54:36【2】白桃 さん
全国の町十番勝負の感想プラスあるふぁ
問九は私も「関西本線」に乗りました。答えているのが、デスクトップ鉄さんとNさんだし、これは間違いないと思ったのですが、敢え無く脱線。
しかし、「三菱UFJ銀行」は良い問題だと思います。それにしても、前身の前身が東海銀行だから、蟹江や武豊、それに田口(設楽町)に支店があっても不思議では無いのですが、王寺は流石にびっくりです。でも考えてみれば、連担するDID人口は87,928人でありますから、都市銀行の一つや二つがあっても不思議ではありませんね。JR王寺駅前の景観は大河原もビックリの「都会」そのものです。[97563]で、
DID名メインDID所在自治体DID人口種別構成(形式)DID
葛駒奈良県王寺町※87,928斑鳩、大和三郷、王寺、上牧、河合
とし、
碧海以上に核なきDIDである【葛駒】ですが、葛城の「葛」と生駒の「駒」からとった名称です。また、構成(形式)DIDの中で、DID人口トップは斑鳩ですが、DID発生が一番古い王寺をメインとしています。(もう一つの理由;うちの桃娘は、「斑鳩」を読めない。)
と書いておりますが、この際、DID名も「葛駒」から「王寺」に改称いたします。

改称と言えば問六です。「『駅』や『宿』から『町』への変更」を、「『狩太町』から『ニセコ町』へ」のような本来の改称と同じ扱いにするのはどうなんでしょうか。

ついでに[100078]
ギャンブル好きの方に、スピンオフ問題です。
笛吹市にもありますが、北海道の釧路町、青森県の田舎館村、福島県の西郷村にもあるものなあに?
答えは、「日本中央競馬会(JRA)の場外勝馬投票券発売所(ウインズ)がある」でした。そう言えば、石和オフ会のとき、石和ウインズに寄られた方がいらっしゃいました。誰だったかは忘れましたが・・・
[100170] 2020年 8月 19日(水)15:12:36白桃 さん
全国の町十番勝負
問九:福島県三島町
[100165] 2020年 8月 19日(水)09:45:22白桃 さん
全国の町十番勝負
問六:北海道黒松内町
[100161] 2020年 8月 19日(水)06:08:44白桃 さん
全国の町十番勝負
問九:奈良県三郷町
[100160] 2020年 8月 19日(水)05:49:25白桃 さん
問六について
連続書き込みスミマセン。
問六ですが、私の考えがあっているならば、正解は一つ増えます。ただ、【想定解数:8町】が正しくて、私の考えが少しだけ間違っていたとすれば、私が答えた高畠町は不正解となるのでは・・・
採点が待ち遠しいのですが、採点前にどなたかがアノ町で答えたとしても、確実な方で答えなかった自分が悪いのだとあきらめます。
[100159] 2020年 8月 19日(水)04:52:56白桃 さん
コロナ禍で ロイヤルホテル 閉館す
どこのロイヤルホテルかは敢えて申しませんが、六月末をもって閉館したらしい。悲しいです。「コロナでなくてもアソコは潰れていた。」という悪口は許せません。恥ずかしながら50歳を超えて初めてフォアグラなるものを食したのは生まれ故郷に新しくできたこのホテルでした。あ~、また一つ都会らしさ?が消えていく・・・

スプリント戦の出遅れは致命的でした。目が覚めたのが二時。問一から問五まではわかったのですが、もう売り切れていました。一個だけでも合っていれば良いのですが・・・って、ひとつしか答えてないのです。('◇')ゞ
[100158] 2020年 8月 19日(水)04:08:12白桃 さん
全国の町十番勝負
問六:山形県高畠町

箱根町
が良いのであれば・・・
[100117] 2020年 8月 18日(火)09:56:42白桃 さん
一言一句・一言一行
[100109]「一気通貫・一線完乗」にお付き合い頂いた方、有難うございます。

[100110]Takashi さん
途中駅がないことが多いケーブルや索道はともかく途中駅のある地下鉄、モノレール、路面電車を除外する必要はないのでしょうか?
御尤もなことです。タイトルの四字熟語がこの書き込みと殆ど関係が無いように、除外したのに深い理由はありません。「浅い」理由として言うならば、一都市内で完結する比較的短い路線が多いこと、大都市に偏向している交通機関であること。特に、路面電車に関しては「改札」がない所が多いこと、それに、松山の伊予鉄の市内循環線のように起点駅・終点駅は決められているものの、それはあってないような路線があることからです。

[100111] にまん さん
該当する人が多そうなのが、新幹線。
新幹線については、敢えて避けました。しかし、在来線からの乗り換えで新幹線専用の改札を通過しただけ、というのは私の中ではバツです。
東武大師線(西新井-大師前)
これは、すっかり忘れていましたが、私もあります。西新井に義理の姉夫婦が住んでおり、なんかのときに乗車しました。寺内にはシャクヤクの花が咲いていましたね。

[10113]k_ito さん
惜しい線も、仙山線を仙台→山形と乗ったことぐらいしか思いつきません。
私は山形駅で降りて駅前風景を見てから、駅構内に戻り、そば屋で少しだけお酒を飲み仙山線に乗車、仙台駅で下車。「仙山線」クリア!と思いきや、羽前千歳から乗車しないといけなかったのですね。

[100114]N さん
京都線の正式な起点は十三なんですよね。十三では乗り降りしたことないので、どう扱うべきなのか迷いました。
十三は乗り降りするところではないですね。私は一度だけ十三で乗り換えたことはありますが、改札は通過していません。そう言えば、十三駅付近に「梅内(まさか、「ウメナイ」ではないだろう)産婦人科」というのがあった気がするのですが、無くなったのかな?

[100115]伊豆之国 さん
四日市あすなろう鉄道内部線(あすなろう四日市~内部)
長兄が四日市に住んでいたころ、近鉄湯の山線に乗って、湯の山駅(当時)で降りたのですが、乗ったのが多分塩浜駅でした。でも、その帰り降りたのが近鉄四日市だったかもしれません。
黒部峡谷鉄道(宇奈月~欅平)
京成本線(京成成田→京成上野)
これ私もありますね。忘れてました。でも黒部峡谷鉄道は外すべきか・・・
[100116] 2020年 8月 18日(火)07:16:20白桃 さん
名邑三世代.その40(静岡県・前編)
【明治の名邑】
東海道五十三次(◎印)のうちの22宿を占める静岡県は、名邑の数も21とさすがに多いです。「別格市街」の静岡、「市街」の浜松、「市街」に相当する沼津が名邑筆頭、続いて三島、島田、藤枝とここまでは53次の宿場。焼津を挟んで、掛川、江尻、見付と53次宿。下田の次の金谷に53次宿及び名邑代表になってもらいましょう。清水港の後の掛塚、ここに入るとは意外。石松さんで有名な遠州森町に次いで、蒲原、新居とまた53次宿。田沼意次も居た相良の次の白須賀も53次宿。榛原か静波と言った方がピンとくる川崎に次いでこれまた53次宿の吉原が最後。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街静岡静岡市静岡◎36,838静岡市53,614
市街浜松浜松市浜松◎12,141浜松町※32,381
名邑沼津沼津市沼津◎10,371沼津町13,693
名邑三島三島市三島宿◎8,694三島町11,222
名邑島田島田市島田宿◎8,599島田町13,720
名邑藤枝藤枝市藤枝宿◎7,066藤枝町9,392
名邑焼津焼津市焼津村5,902焼津町11,581
名邑掛川掛川市掛川宿◎5,546掛川町9,330
名邑江尻(静岡市)江尻宿◎5,500江尻町※5,425
名邑見付(磐田市)見付宿◎5,119見付町8,149
名邑下田下田市下田町4,883下田町5,693
名邑金谷(島田市)金谷宿◎4,880金谷町7,735
名邑清水(静岡市)清水町4,641清水町7,004
名邑掛塚(磐田市)掛塚村4,441掛塚町7,002
名邑森町森町村3,963森町6,522
名邑蒲原(静岡市)蒲原宿◎3,865蒲原町7,611
名邑新居(湖西市)新居宿◎3,699新居町7,658
名邑相良牧之原市相良町3,646相良町9,883
名邑白須賀(湖西市)白須賀宿◎3,522白須賀町4,764
名邑川崎(牧之原市)静波町3,237川崎町10,373
名邑吉原富士市吉原宿◎3,025吉原町3,403
浜松町※…1911年(明治44年)に市制施行
江尻町※…このとき既に辻村(後の辻町)が分立していた

続いて「準名邑」
いつも頭の中が混乱する大須賀(横須賀)を含めて4つの街が「準名邑」です。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
大宮富士宮市大宮町第一表2,893大宮町13,626
熱海熱海市熱海村第一表2,590熱海町5,866
中泉磐田市中泉村第一表2,568中泉町6,105
大須賀(掛川市)横須賀町第一表3,377大須賀村6,448

以下(参考)です。多いです。
現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
戸田(沼津市)戸田村第一表2,975戸田村3,486
網代(熱海市)網代村第一表2,214網代村3,062
福島(磐田市)福田村第一表2,006福島村3,899
舞阪(浜松市)舞阪宿◎第一表1,910舞阪町3,396
興津(静岡市)興津宿◎第一表1,864興津町6,902
二俣(浜松市)二俣村第一表1,771二俣町5,095
(沼津市)原宿◎第一表1,675原町5,520
笠井(浜松市)笠井村第一表1,380笠井町3,275
岡部(藤枝市)岡部宿◎第一表1,293岡部町※5,397
松崎松崎町松崎村第一表1,131松崎町4,031
由比(静岡市)由比宿◎第一表1,087由比町8,348
日坂(掛川市)日坂宿◎第一表1,058日坂村1,652
気賀(浜松市)気賀村第一表945気賀町7,849
袋井袋井市袋井宿◎第一表848山名町※2,946
金指(浜松市)三和村第一表705金指町1,381
稲取東伊豆町稲取第二表3,984稲取村5,055
富士川(富士市)岩淵第二表1,991富士川町5,662
土肥(伊豆市)土肥第二表1,817土肥村3,349
修善寺伊豆市修善寺第二表1,756修善寺村4,316
池新田御前崎市池新田第二表1,749池新田村4,377
韮山伊豆の国市韮山第二表1,661韮山村7,032
御厨御殿場市御殿場第二表1,115御厨町8,062
山梨(袋井市)山梨第二表1,074山梨町2,323
吉田吉田町吉田村第三表3,261吉田村10,976
長田(静岡市)丸子宿◎第三表2,877長田村12,076
入江(静岡市)入江町第三表1,670入江町3,764
伊東伊東市松原村第三表1,344伊東町※9,290
岡部町※…岡部宿以外に第二表記載の内谷を含む
山名町※…1909年袋井町に改称
伊東町※…松原村以外に第三表記載の新井村、湯川村を含む

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100109] 2020年 8月 17日(月)05:32:07【1】白桃 さん
一気通貫・一線完乗
[100090]オーナー グリグリさん
[100103]デスクトップ鉄 さん
の記事を見てふと思ったことです。JRでも私鉄でも(地下鉄、モノレール、路面電車、ケーブル、索道、以外)、「その線の起点駅(終点駅)から乗車し、途中下車することなく、終点駅(起点駅)で降車した」線って自分はどれぐらいあるのだろう???
ここでいう「乗車」「降車」を、単に電車に乗り込んだ、電車から降りた、と言うのではなく、その駅の改札を通過した、と定義すると、私の場合あんまり覚えが無いのです。
間違いなく該当する線は
「磐越東線」:郡山に宿泊した私は、「郡山駅」から乗って「いわき駅」で降り、小名浜にむかいました。
「城端線」:氷見オフ会の際、高岡駅から乗り込み、城端に向かいました。”熊五郎さん”が一緒でした。

多分、該当するのが「吉備線」「宇野線」…いずれも学生時代、地域調査?のためですが、ひょっとしたら玉野市には天満屋からバスで行ったかもしれません。
あやふやなのが、「津山線」…津山駅から乗り込んだのは間違いないのですが、岡山駅ではなく、法界院駅で降りたかもしれません。
もっとあやふやなのが、「琴電志度線」(瓦町~琴電志度)、「琴電本線」(高松築港~琴電琴平)

明らかに該当しないのが、
「小浜線」…東舞鶴駅から乗り込み、敦賀駅で降りたのですが、途中の小浜で一泊しています。
「久大本線」「豊肥本線」…大分駅の改札をくぐった記憶がまったくない。
「鳴門線」…池谷は乗り換え
「赤穂線」…東岡山駅から乗るわけがない。
「高徳線」…三本松を通過する汽車に乗るわけがない。
「京葉線」…無意識のうちに一往復半した('◇')ゞことはありますが、東京駅は乗換駅でしょうね。

皆様はどうでしょうか?鉄っちゃんでも案外少ないのでは・・・

※城端線を思い出し追加
[100097] 2020年 8月 13日(木)19:04:06白桃 さん
新潟市、長岡市は百超え
[100095] 2020年 8月 13日(木)16:54:55 MI さん
これを用いてまず白桃 さんの調べられたものをまず、本日(20200813)岡山市であった区域が岡山県の市制町村制施行日(18890601)にはどうであったかと調べましたら丁度100市町村と出ました。
お手数をかけました。精査したところ、市制・町村制施行時の市と村で、まるまる現在の岡山市となっているのは1個増えて86でした。
MIさんが挙げて戴いた中で以下は、まるまる別の市を構成しているようです。
木見村→倉敷市、豊田村・小野田村→赤磐市、笠加村・今城村・福田村・豊原村・本庄村・邑久村→瀬戸内市
また、[100094]でも書きましたように藤田村は町村制施行時に存在しておりません。

新潟県も調べてみましたが、市制・町村制施行時の市町村がまるまる新潟市となっているのが118、同じく長岡市となっているのが104でした。上越市は100に届かないと思います。
新潟県は市制・町村制施行時の合併(「明治の大合併」)が不十分だったのか、1901年(明治34年)に数多くの合併が行われています。そういう事から考えると、1906年(明治39年)に多くの合併があった愛知県、特に名古屋市は新潟市を超えるかもしれません。私は疲れたので、もう数えませんが…('◇')ゞ
[100094] 2020年 8月 13日(木)11:26:18白桃 さん
市制・町村制成立時の市町村数が最多
[100092] 未開人 さん
現在の1市町村を構成する、市制・町村制成立時の市町村数が最多である市町村はどこか?
面白いご質問ですが、調べるのが少々面倒。町村制施行時の村の一部が現在の市を構成している事例もかなりありますし。
私の身近な市ですが、
浦安市:1(浦安村)
東かがわ市:10(引田村、小海村、相生村、五名山村、福栄村、白鳥村、松原村、丹生村、誉水村、そして三本松村)
以上は調べなくともわかります。(笑)
最多ではないかもしれませんが、
岡山市は85ありました。一部が構成しているというのが4~5ぐらいあったと思います。余談ですが、町村制施行時は児島湾になっていた藤田村と第七干拓地も現在は岡山市です。
岡山市より多いとすれば、新潟、浜松、北九州あたりでしょうか。
[100086] 2020年 8月 11日(火)16:28:20白桃 さん
名邑三世代.その39(島根県)
今回は島根県ですが、今日試合を行った島根県のチームがありますので・・・

祝:平田高校「甲子園初出場」

【明治の名邑】
島根県の「明治の名邑」は、まず「市街」に松江となるのですが、明治期、松江の人口が殆ど増加していないのはどういうこと?
名邑筆頭は、有名な割には人口がそれほどでもない町の最右翼、津和野です。続いて今市、杵築(後の大社)、安来、広瀬、平田となっています。名邑代表は、尼子氏の本拠地であった広瀬にお願いしましょう。七つのうち三つの名邑が現在の出雲市にあるのです。
杵築※…町村制施行後の杵築町と杵築村の二つを含んでいるものと考えます。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街松江松江市松江33,381松江市36,209
名邑津和野津和野町津和野5,959津和野町5,012
名邑今市出雲市今市4,904今市町6,264
名邑杵築(出雲市)杵築※8,286杵築町4,579
名邑安来安来市安来3,585安来町5,393
名邑広瀬(安来市)広瀬3,508広瀬町4,436
名邑平田(出雲市)平田3,292平田町6,423

続いて「準名邑」
浜田、益田と名邑となっていてもおかしくない街が「準名邑」となっています。特に浜田は、「戸口表」第一表に「浜田」以外に、
「浜田浦:1,242」「松原浦:887」が記載されており、実際のところは「名邑」と同等クラスです。
浜田町※…上記の三つの地区を含む。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
浜田浜田市浜田第一表2,925浜田町※12,236
西郷隠岐の島町西郷第一表2,910西郷町4,762
益田(益田市)益田第一表2,767益田町4,175
参考
現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
江津江津市郷田第一表2,534江津村3,574
木次(雲南市)木次第一表2,487木次町2,975
大田大田市大田第一表2,278大田町4,800
大東雲南市大東第一表1,885大東町3,490
大森(大田市)大森第一表1,593大森町2,839
温泉津(大田市)温泉津第一表1,410温泉津町2,434
亀嵩(奥出雲町)亀嵩第一表328亀嵩村2,269
亀嵩は松本清張の「砂の器」で有名です。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
島根県の「秀邑」は浜田だけです。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級浜田浜田市浜田町12,256浜田市40,440
参考として益田と江津を挙げます。
益田の変遷:1941年に益田、吉田、高津の3町が合併し石見町となり、その石見町が1943年に益田町に改称します。石見町になった際に一番人口が多かったのが吉田町。吉田は町制施行が一番遅かったのですが、白桃ルールでは益田市の【前身町】益田町の「前身」は石見町、その前身は、吉田町ということになります。これには私自身納得していませんが…
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
益田益田市吉田村3,931益田町22,059
益田町4,697
江津江津市江津町3,244江津町12,236

注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
島根県の「卓邑」は、ますだおかだ、じゃなく、益田、大田、江津と斐川の四つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級益田(9)益田市益田市56,053益田市50,128
一種二級大田(7)大田市大田市47,211大田市33,609
一種二級江津(2)江津市江津市33,485江津市25,773
二種三級斐川(0)(出雲市)斐川村24,207斐川町26,816
(参考)
大東(0)雲南市大東町20,513大東町14,607
西郷(4)隠岐の島町西郷町15,865西郷町13,194

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100085] 2020年 8月 11日(火)12:10:37白桃 さん
Re:サヌカイトさんのおまけ問題
[100082]サヌカイト さん
おまけ問題 次のうち平成の大合併で行われなかったのは?
 A0市+0町+2村=1村
 B1市+2町+7村=1市
 C2市+3町+1村=1市
 D3市+8町+1村=1市
 E4市+4町+5村=1市
※同時合併のみ・+は合併に限らない(編入可)
答えはC。
Aの例:2006(H18).1.1 阿智村(阿智村が浪合村を編入)、2009(H21).3.31 阿智村(阿智村が清内路村を編入)
Bの例:2005(H17).2.1 高山市
(高山市が久々野町,国府町,丹生川村,清見村,荘川村,宮村,朝日村,高根村,上宝村を編入)
Dの例:2005(H17).7.1 浜松市
(浜松市が天竜市,浜北市,春野町,佐久間町,水窪町,舞阪町,雄踏町,細江町,引佐町,三ケ日町,龍山村を編入)
Eの例:2005(H17).3.21 新潟市
(新潟市が新津市,白根市,豊栄市,小須戸町,横越町,亀田町,西川町,岩室村,味方村,潟東村,月潟村,中之口村を編入)

なお、Cの事例:1963(S38).3.10 大分市
(大分市,鶴崎市,大南町,大分町,坂ノ市町,大在村が新設合併)
ついでながら、
+は合併に限らない(編入可)
はおかしいです。市町村合併に「新設」と「編入」があるのですから。
[100078] 2020年 8月 10日(月)11:18:11白桃 さん
アロハ・オエ
[100065]の答えです。
A町は、「山陰の三名湯」に数えられる温泉がありますが、人口増の主因は、温泉の「力」ではなく、現在は合併で一緒になった県庁所在地に近く、ベッドタウンになっているからで、「健闘している温泉地」の対象から外すべきであったかもしれません。
玉造温泉のある「玉湯町」です。
「山陰の三名湯」とは、もう何十年も前に聞いた気がするのですが、定説はないのですかね?
私の記憶では、三朝、皆生、そして玉造なんです。旅行会社在籍時に添乗で玉造温泉に宿泊しているのですが、宍道湖の近くにあるのかと思っていたのが、少し奥に入ったところにあった、という地理的衝撃?を受けた以外、まったく記憶に残っていません。('◇')ゞ

C町にある温泉が脚光を浴びたのは、そんなに前ではありません。オフ会開催地です。
高度経済成長期に形成された石和温泉のある「石和町」です。
最初の頃は、首都圏の「奥座敷」として急激に伸びているが、あんまり健全な温泉地ではない、というイメージがありました。石和の人口増は、甲府のベッドタウンになっているということもありましょうが、温泉の力も相当に働いていたと考えられます。オフ会時、改修工事が行われていた石和温泉駅、今は立派な駅舎が出来たようです。
ギャンブル好きの方に、スピンオフ問題です。
笛吹市にもありますが、北海道の釧路町、青森県の田舎館村、福島県の西郷村にもあるものなあに?

D市は、案外盲点かもしれません。東海地方の市で、市域には4つの温泉街があります。その4つは、もともと別の町にありました。
三谷、西浦、形原、蒲郡の温泉街がある「蒲郡市」です。
[100067]に書いたツアーの下見とは、「三河七福神めぐり」(蒲郡、西尾、岡崎、豊川、碧南にある七つのお寺を巡る)の下見です。担当は任されたものの、自分が考えた企画ではないからと、心構えがなっていませんでした。お寺の名前も忘れてしまいましたが、近藤勇の首塚のあるお寺、タケノコづくしの料理がでるお寺がありました。
なお、四つの旧町の1950年国勢調査時の人口は
蒲郡町:26,080、三谷町:12,615、形原町:10,807、西浦町:6,093
です。

E町も、東海地方です。温泉地というよりは、温泉施設がある大型レジャーランドで有名と言った方が分かりやすい?
石和よりも新しい長島温泉の「長島町」です。
伊勢の長島と言えば、「伊勢長島の一向一揆」を思い浮かべるのですが、長島温泉、というよりナガシマスパーランドの場所は、もともとの長島からかなり離れているので、やはり、ここを「温泉の街」とするのは抵抗があります。ところで、ナガシマスパーランドは東京ディズニーランドとつくりが似ているようですが、その場所の名前が浦安というのも面白いです。

以上は、お付き合い頂いた方からも答えが出ている(と同然)なのですが、
B町こそ、まさに「健闘している温泉地」で、ここを強調したいがために問題にした、と言うのが正直なところです。「平成の大合併で」注4で挙げた67市町村の一つと一緒になりました。
は、まだですね。
ここは、常磐ハワイアンセンター、いや、スパリゾートハワイアンズがある常磐市、ではなく、はわい温泉のある「羽合町」です。
かつての「はわい温泉」は、今は同じ町になった旧東郷町の「東郷温泉」よりもずっとずっとマイナーな温泉で、繁栄していた東郷温泉にあやかって「新東郷温泉」と称していた時代もあったのですが、鉄道から車の時代になり入湯客もぐんぐん上昇し、今では鳥取県でも指折りの温泉地となったのです。温泉地の盛衰がそのまま人口推移に反映されるワケではありませんが、2000年→2015年の増加率を見ても、旧)東郷町が12.79%減少しているのに対して、旧)羽合町は7.03%増加しているのです。湯梨浜町の役場も旧)羽合町にあることからも、羽合にとって温泉の力は大きな味方となったのでしょう。

[100065]のトップ10、10位の花巻市なんですが、「花巻温泉郷」といっても中心市街から離れており、また、「温泉」が地域経済に大きな影響を与えているとも考えられず、花巻を「温泉都市」というのもヘンですね。では、花巻を何の街と呼べば良いのでしょうか?、このあたり、詳しい方におまかせしましょう。
[100069] 2020年 8月 7日(金)06:41:31白桃 さん
訂正(案外健闘している温泉地に関する問題)
[100065]白桃
注1:最終列の「比率」は、2015年国勢調査における「宿泊業・飲食サービス業」従事者数が15歳以上就業者数に対する%です。
問題自体とは関係ないのですが、「比率」は「平成の大合併」後に誕生した新自治体のものです。よって、D市(蒲郡市)、別府市、
伊東市の数字以外は無視してください。大変申し訳ございませんでした。
[100067] 2020年 8月 6日(木)09:03:35白桃 さん
濁りをとれば嘉麻・桑折
[100066]千本桜 さん
ひらがなで書くと濁音が2つあるので語感がゴツいですね。
そうですね。ガマガエルが氷を喰らっている絵が浮かんできます。もう昔の話になりますが、ツアーの下見に三谷(みや)温泉に行って、そこで「白桃酔夢様、どうぞご一献!」と有名な製薬会社社長の一族だという宿の番頭さんからご接待をうけました。「三河屋、オマエも悪よのぉ」と収賄罪に問われるほどのものでもなかったのですが、「下見」ということも忘れて酔っ払ったせいか、そのツアーの集客は芳しくなく、三谷温泉には悪いことをしたなぁ、と今でも深く反省をしております。
[100065] 2020年 8月 5日(水)21:48:23白桃 さん
案外健闘している温泉地に関する問題
「人生は出会いで、相撲は立ち合いで決まる」以外は、さしたる信条を持ち合わせていない白桃ですが、こと「観光」に関しては一家言持っています。それは、「21世紀においては、地域の観光に力を注いでも地域を活性化することは難しい。特に温泉をメインにしている観光地は絶望的である。」ということですが、私の意に反して結構「健闘」している温泉地がないこともないのです。
「地域の活性化」=「人口増加」ではありませんが、下表は、1960年国勢調査日(10月1日)時点で存在していた市町村の中で、「温泉」が地域経済にかなりの比重を占めていると思われる77市町村の、2000年→2015年の人口増加率トップ10です。

順位市町村名最高人口年増加率(2015/1960)増加率(2015/2000)-----比率
1A町2015年17.458.316.47
2B町2015年12.137.036.55
3C町2005年149.661.506.82
4D市1985年7.10-1.236.64
5E町2005年79.37-2.065.69
6別府市1980年13.37-3.4710.68
7伊東市2005年25.26-4.7117.55
8武雄市1960年-16.55-4.905.87
9伊豆長岡町1995年42.61-5.049.13
10花巻市2000年10.98-5.155.87
注1:最終列の「比率」は、2015年国勢調査における「宿泊業・飲食サービス業」従事者数が15歳以上就業者数に対する%です。
注2:人口は1960年国勢調査時点での境域に組替えていますが、D市だけは1965年国勢調査時点での境域に組替えております。また、境界変更等の微細な境域変更は考慮外です。
注3:有馬温泉(神戸市)、道後温泉(松山市)など、有名な温泉であっても所在自治体の人口推移に殆ど影響しないと考えられるところは除外しています。また、飯坂町(現;福島市)もワケあって除外しています。
注4:上表に出てこない67市町村は以下の通りです。(  )内は2000→2015の増加率。上表トップ10との比較のため主な温泉地に書き込みました。
北海道
上川町(-29.28)、弟子屈町、阿寒町、幌別町(現;登別市-9.38)、虻田町
東北
大鰐町、雫石町、鳴子町、蔵王町、田沢湖町、温海町、尾花沢町、上山市、赤湯町、熱海町、常磐市
関東
藤原町(-28.25)、日光市、塩原町、那須町、 栗山村(-47.53)、水上町(-33.21)、草津町(-15.37)、伊香保町、
箱根町(-25.54)、湯河原町
甲信北陸
湯沢町、妙高々原町、豊浦村、宇奈月町、加賀市(-13.10)、山中町(-23.76)、七尾市、芦原町、下部町、上山田町、戸倉町、
山ノ内町、野沢温泉村
東海
下呂町(-17.02)、熱海市(-12.56)、下田町、東伊豆町、西伊豆町、土肥町、修善寺町(-14.93)
近畿
城崎町(-19.01)、温泉町、白浜町(-8.11)、那智勝浦町、龍神村
中国
三朝町、関金町、東郷町、温泉津町、湯原町、奥津町
九州
杷木町、嬉野町、小浜町、南小国村、山鹿市、阿蘇町、湯布院町(-8.48)、栄村(天瀬町→日田市)、指宿市(-10.27)、牧園町

さて、ここからが問題。A~Eを1960年国勢調査時の自治体名で答えてください。と言っても、これだけでは非常に難しいと思いますのでヒントを。

A町は、「山陰の三名湯」に数えられる温泉がありますが、人口増の主因は、温泉の「力」ではなく、現在は合併で一緒になった県庁所在地に近く、ベッドタウンになっているからで、「健闘している温泉地」の対象から外すべきであったかもしれません。
B町こそ、まさに「健闘している温泉地」で、ここを強調したいがために問題にした、と言うのが正直なところです。「平成の大合併で」注4で挙げた67市町村の一つと一緒になりました。
C町にある温泉が脚光を浴びたのは、そんなに前ではありません。オフ会開催地です。
D市は、案外盲点かもしれません。東海地方の市で、市域には4つの温泉街があります。その4つは、もともと別の町にありました。
E町も、東海地方です。温泉地というよりは、温泉施設がある大型レジャーランドで有名と言った方が分かりやすい?
[100061] 2020年 8月 4日(火)09:08:20白桃 さん
ネオポリス豊が丘
[100060] mg さん
合併を頑張りすぎた市町村
表現が面白いと言うか、微妙ですね。
津市の豊が丘地区、この正体はよく分かりませんでした。
私もそれほど詳しくは無いのですが、民間企業が開発(造成)したニュータウン(ネオポリス)ですね。1973年に津市に編入された豊里村の高野尾地区にあるので、私は「高野尾DID」と名付けています。(「豊が丘DID 」でも良かったのですが、「~が丘」というDIDがやたら多いのでやめました。)
こんな、辺鄙なところに造って採算はとれるのか、ここに住んでいる人は何処へ通勤しているのか?津?それとも鈴鹿?亀山?
私の心配は他所に2010年国勢調査から登場したこのDIDの人口は、ネオポリスの計画人員を上回っています。
合併との関連で言えば、栃尾、因島、北条のように合併前からあったDIDが、母都市?と合併後も存続するケースが多いのですが、豊が丘のように、合併前(注)にはDIDが無かった旧自治体に、合併後DIDが成立したケースも珍しくはありません。愛子(仙台市)、間々田(小山市)、土気(千葉市)、伊勢中川(松阪市)、堅田(大津市)、茶屋町(倉敷市)などがその例ですが、岡山市、大分市などは、このケースのDIDが複数あります。(岡山市の場合、「庭瀬」「備前一宮」「妹尾」※が該当します。[98163]を参照ください。)
ただ、このようなケースの多くは、もともと準DID的な街(集落)があったところに、母都市の人口増が影響して飛地的にDIDが成立したのだと考えられ、豊が丘のように殆ど何もなかったところに形成されたという例はあまり見当たりません。

注;DIDは1960年国勢調査から登場しておりますので、ここでの「合併」は、1960年10月2日以降のものを対象としております。
「妹尾」※・・・妹尾町の時代にあったDIDは岡山市との合併前に消滅しました。岡山市との合併後、1975年国勢調査で復活。
[100056] 2020年 8月 3日(月)08:29:10【1】白桃 さん
名邑三世代.その38(千葉県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
千葉県の「秀邑」は、この期に市となった野田、市川、館山と、「昭和の大合併」によって後に市となる津田沼、東金、成田、旭、
茂原、勝浦、柏(やっと登場)に加え、20世紀も終盤になって市となるピーナッツ・八街と青べか・浦安、それに今は自治体名としては残っていない行徳、幕張、片貝、二宮の計16です。言わずもがな、この当時の浦安と幕張は、今とは姿形が大きく異なっております。しかし、それでもジワジワと人口を増加させていったことが窺えます。二宮は、船橋市の東部、前原とか飯山満とか薬園台とか滝台とかがある地域(と言われても白桃もピンと来ない)にあって船橋市ではあるけれど、習志野市や八千代市とのつながりが深いようです。そう言えば、ナンギョウ(旧:南行徳町)に、三本松高校(☆旧制中学時代に東大総長・南原繁を輩出)出身の友人が住んでいるのですが、南行徳や行徳は市川市ではあるけれど、「市川、本八幡なんかには行くこともなく、ちょっとした買い物はもっぱら浦安(新浦安)で済ませる。」と言っていました。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級野田野田市野田町12,083野田市38,875
一種二級市川市川市市川町8,924市川市102,506
一種三級館山館山市北條町7,826館山市37,291
二種二級八街八街市八街町11,663八街町20,289
二種三級津田沼習志野市津田沼町9,881津田沼町23,660
二種三級浦安浦安市浦安町9,142浦安町15,679
二種三級東金東金市東金町8,819東金町13,141
二種三級行徳(市川市)行徳町7,242行徳町11,686
二種三級成田成田市成田町7,157成田町13,765
二種三級旭市旭町6,663旭町10,924
二種三級茂原茂原市茂原町6,484茂原町15,411
二種三級勝浦勝浦市勝浦町6,423勝浦町15,115
二種三級幕張(千葉市)幕張町6,049幕張町18,272
二種三級片貝九十九里町片貝村6,856片貝町11,436
二種三級二宮(船橋市)二宮村5,457二宮町12,844
二種三級柏市千代田村5,394柏町21,081
続いて「準秀邑」
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
千代田四街道市千代田村6,770千代田町11,725
(参考)
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
我孫子我孫子市我孫子町4,612我孫子町11,727
大貫(富津市)大貫町4,357大貫町10,299
富里富里市富里村8,181富里村12,891
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
この期に市となった我孫子、流山、八千代、印西、四街道、富津、袖ケ浦、鎌ケ谷、君津、鴨川と大網白里、小見川、成東、山武、富里、白井に加え、DID5回の千倉の計17の街が千葉県の「卓邑」です。当然、新しい街が多いのですが、山武が入るとは意外です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口) 
一種二級我孫子(8)我孫子市我孫子町27,063我孫子市127,733
一種二級流山(8)流山市流山町25,672流山市150,527
一種二級八千代(8)八千代市八千代町21,709八千代市168,848
一種二級印西(3)印西市印西町17,315印西市60,468
一種二級四街道(9)四街道市四街道町16,623四街道市82,552
一種二級富津(3)富津市富津町16,567富津市52,839
一種二級袖ケ浦(3)袖ケ浦市袖ケ浦町13,974袖ケ浦市58,593
一種二級鎌ケ谷(7)鎌ケ谷市鎌ケ谷町13,496鎌ケ谷市102,573
一種二級君津(7)君津市君津町12,910君津市92,076
一種三級鴨川(8)鴨川市鴨川町17,897鴨川市29,981
二種二級大網白里(0)大網白里市大網白里町23,918大網白里町47,036
二種三級小見川(3)(香取市)小見川町22,638小見川町26,047
二種三級成東(0)山武市成東町19,770成東町24,494
二種三級山武(0)(山武市)山武町10,245山武町20,033
三種二級富里(3)富里市富里村12,307富里町50,176
三種三級白井(5)白井市白井村8,217白井町50,431
四種千倉(5)南房総市千倉町18,374千倉町13,161
続いて「準卓邑」
そういえば、沼南という街があったナ…もう、平成の合併も遠くなりにけり。
名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
沼南(4)(柏市)沼南村11,849沼南町45,927
(参考)
名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
多古(0)多古町多古町20,042多古町17,603
飯岡(2)(旭市)飯岡町12,171飯岡町10,916
栄(3)栄町栄町9,732栄町25,475
酒々井(4)酒々井町酒々井町6,093酒々井町19,885
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100043] 2020年 7月 30日(木)16:40:18白桃 さん
名邑三世代.その37(千葉県・中編)
千葉県の「準名邑」
城下町の大多喜、館山や東金、野田、成田などは、明治初期には名前が知られている割には、街の大きさはイマイチだったようです。
準名邑現自治体-----1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
小見川(香取市)小見川村第一表2,974小見川町6,586
姉崎(市原市)姉ヶ崎村第一表2,936姉崎町5,085
大多喜大多喜町大多喜第一表2,860大多喜町4,508
東金東金市東金町第一表2,827東金町9,386
野田野田市野田町第一表2,784野田町8,880
館山(館山市)舘山町第一表2,715館山町4,170
布佐(我孫子市)布佐村第一表2,648布佐町3,145
蘇我(千葉市)曽我野村第一表2,605蘇我町4,508
成田成田市成田町第一表2,519成田町5,698
船形(館山市)船形村第三表4,015船形町6,141
富津富津市富津村第三表3,688富津町5,679

続いて、「準名邑」にも入れない参考程度の街、随分多いのですが列挙します。
流山町※は、第一表に記載されている加村も含んでいます。
北條は現在の館山市の中心部で、館山駅もここにあります。
本納と茂原は同規模の街だったのでしょうか?
曦(あさひ)は難しい字ですね。後の千倉町です。
街道名にもなっている木下(きおろし)ですが、現在は印西市の中心である、とは誰も思っていません。
「飯岡」と聞けば、「笹川」を思い浮かべるのは???
下の方に市川の名が見えますが、第三表に記載される程度の街でした。
浦安村※は、第三表に記載されている猫実村も含んでいます。1909年(明治42年)に浦安町となります。
我孫子は「戸口表」に記載されていませんが、町村制施行と同時に「町」となっています。これと同じなのが、滑河、土気本郷です。
それにしても、まったく姿を現さない「大物」がいます。
(参考)現自治体-----1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
大網(大網白里市)大網宿第一表2,462大網町2,952
八幡宿(市原市)八幡宿第一表2,458八幡町4,415
流山流山市流山村第一表2,332流山町※5,067
北條館山市北條村第一表2,237北條町5,828
行徳(市川市)本行徳駅第一表2,205行徳町7,392
本納(茂原市)本納駅第一表2,111本納町3,663
茂原茂原市茂原町第一表2,060茂原町5,800
勝山鋸南町加知山村第一表1,930勝山町5,476
多古多古町多古村第一表1,799多古町5,260
庁南長南町長南宿第一表1,787庁南町4,001
南房総市北朝夷村第一表1,673曦町7,361
鴨川鴨川市前原町第一表1,616鴨川町7,367
木下(印西市)竹袋村第一表1,551木下町3,637
勝浦勝浦市勝浦町第一表1,345勝浦町6,182
鶴舞(市原市)鶴舞第一表1,275鶴舞町3,051
和田(南房総市)和田村第一表1,218和田町3,646
久留里(君津市)市場町第一表1,182久留里町4,411
小金(松戸市)小金町第一表1,178小金町2,479
(富津市)湊村第一表1,141湊町3,701
成東山武市成東町第一表1,137成東町3,520
本八幡(市川市)八幡町第一表1,096八幡町2,579
長者(いすみ市)長者町第一表916長者町3,558
佐貫(富津市)佐貫町第一表900佐貫町4,643
臼井(佐倉市)臼井村第一表814臼井町3,011
酒々井酒々井町酒々井村第一表736酒々井町4,367
大和田八千代市大和田村第一表379大和田町3,254
那古(館山市)那古第二表1,426那古町4,667
幕張(千葉市)馬加村第三表2,641幕張町8,741
飯岡(旭市)飯岡村第三表2,466飯岡町8,201
市川市川市市川村第三表1,901市川町6,002
旭市太田村第三表1,738旭町5,178
保田(鋸南町)本郷村第三表1,511保田町5,964
浦安浦安市堀江村第三表2,768浦安村※8,369
高神(銚子市)高神村第三表6,287高神村8,780
我孫子我孫子市記載なし我孫子町4,374

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100041] 2020年 7月 29日(水)14:11:26【1】白桃 さん
宿泊業・飲食サービス業従事者の割合が高い自治体の人口推移
[100040]ねぶと さん
面白いです!

さて、
2015年国勢調査において、「宿泊業・飲食サービス業」従事者数が15歳以上就業者数に対して20%を超える自治体は以下の26です。ざっくり言えば、観光に携わる人口比率の高い自治体リストということになります。もっとも、中には「もう、観光にでも頼るしかない。」というところも入っているので、すべてが「観光地」と言ったら語弊があるかもしれません。
(注)最高人口年:1960年から2015年まで12回の国勢調査で最も人口が多かった国勢調査年

比率(%)市町村道県2015年人口最高人口年2015年/1960年2015年/2000年
51.71檜枝岐村福島6151960年62.5681.24
47.28草津町群馬6,5181980年82.1684.63温泉
44.71箱根町神奈川11,7861965年56.2074.46温泉
33.71渡嘉敷村沖縄7301960年48.38100.00
33.11占冠村北海道1,2111960年25.7464.66
32.58座間味村沖縄8701960年49.8084.80
30.41湯沢町新潟8,0461975年80.9088.13温泉
30.34白馬村長野8,9292005年128.9894.07
30.25山中湖村山梨5,2082005年154.9598.75
29.13竹富町沖縄3,9981960年48.40112.59
28.65小谷村長野2,9041960年36.6867.91
27.41東伊豆町静岡12,6241975年82.8079.86温泉
27.22野沢温泉村長野3,4791960年59.2475.47温泉
27.01南小国町熊本4,0481960年53.1586.92温泉
26.75白川村岐阜1,6091960年17.0574.80
25.86粟島浦村新潟3701960年44.8582.41
25.52上川町北海道4,0441960年26.4570.72温泉
25.49北塩原村福島2,8311960年52.9177.69
24.97熱海市静岡37,5441965年71.9787.44温泉
24.93天川村奈良1,3541960年25.7364.35
23.17留寿都村北海道1,9071960年50.4585.63
23.15軽井沢町長野18,9942010年142.82117.38
22.30恩納村沖縄10,6522015年135.42122.65
22.25片品村群馬4,3901960年51.7074.04
22.20早川町山梨1,0681960年10.0061.38
20.36鳥羽市三重19,4481960年63.7277.96
上表の26自治体を見て、「平成の大合併」を行っていないところばかり、だと気が付く貴方、♪アナタ、アナタ、ア~ナタ…アンタは偉い。というか、合併が行われなかったので高率が保たれた?と言った方がよいかもしれません。合併したくとも相手がいなかった、仲間外れにされた、といったところもあるかもしれません。因みに「平成の大合併」を行った自治体の最高は西伊豆町の19.25%で、その他の著名観光地としては、群馬県みなかみ町(18.05%)、和歌山県白浜町(17.61%)などがあり、これらの町は、合併しなければ20%を超えていたのは間違いないでしょう。
話が逸れだしました。
上記26自治体を、「温泉地」型観光地と「リゾート」型観光地に分けると8つが「温泉地」型になります。(湯沢は微妙なところですが無理矢理押し込みましょう。)
国民の観光に対する志向も徐々に変化しており、「温泉地」型は人口推移を見ても苦戦しております。特に、ここ15年間は芳しくありません。一方、「リゾート」型は、その名を「秘境・辺境・僻地」型に変えても良さそうなところは別として、人口を増加させているところがいくつかあります。特に、軽井沢と恩納村はリゾートとしてのブランドを確立させており、今後も順調に推移していくのではないかと予測しています。しかし、コロナのことを考えると全く断言はできないです。

(注)白川村はダム建設によって、1965年は1960年の人口の1/3になっており、観光との関連で人口推移を見るには慎重さが必要です。また、占冠は2015年国調以降、人口を急増させていましたが、ここにきて急変しており、予測も難しいです。


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