都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
伊豆之国さんの記事が5件見つかりました

… スポンサーリンク …



[111969] 2024年 8月 29日(木)00:21:02伊豆之国 さん
遅くなりましたが…夏休み旅日記です(後編)
[111944]の続きです。

小松のホテルから、前日までに着た衣類などが入った重い旅行鞄を宅配便で送り、ショルダーバッグだけを持って金沢に向けて出発。やはり新幹線は速い、わずか10数分で到着。駅ビルを出て、金沢駅の新しいシンボルとなった巨大な門との間にあるバスターミナル内の案内所で1日乗車券を購入、市内名所めぐりを開始。循環バスは右(時計)回りと左(反時計)回りがあるのですが、この日は平日だったので右回りのみ運行。まず、「ひがし茶屋街」の入り口の「橋場町」バス停で下車。観光客の流れについて行く形で、交番の脇を入り、しばらくして左折すると道が広くなり、そこを右折したところに見える格子戸の店構えが続く街並みが「ひがし茶屋街」。印象としては、京都の「祇園」を一回り小さくした、といった感じでした。
突き当りを右折、更に丁字路を左→右と曲がると、「茶屋街」の2本南の先ほどの道に戻る形になりましたが、実はそこからが本当に見たかったところ。この辺りの住所は、「観音町」。一度は「茶屋街」と同じ「東山」に組み入れられたのを、金沢市の旧町名復活事業により、「観音町」に戻されたところで([96981] EMMさん・参照)、町名が復活したのは、令和元年5月1日、ちょうど改元の当日でした。「観音町」の通りには、「旧観音町」の「旧」の字が埋められた跡がある旧町名石碑と、その下に観音町の町名復活の銘板があり、また通りに面して「ここは東山一丁目17番 旧観音町二丁目です」と書かれたプレートが貼ってあった民家があって、「観音町が復活したら『ここは旧東山一丁目17番 観音町二丁目です』と書き換えられるのではないか」といったことが書かれたブログ(旧町名を探す会 金澤編より)があったのですが、当の民家のプレートはまだ書き換えられずにそのまま残っていました。
橋場町のバス停に戻り、次は金沢城公園へ。私は実は金沢城を「見た」経験がなかったのです。私が金沢を最後に訪れた頃は、まだ金沢城跡の敷地は金沢大学のキャンパスになっており、外から見えたのは入り口にある石川門ぐらいだったからなのでした。大学の移転後、公園として整備され、城内にあった建物の再建も進み、有料で公開されていました。その一方、正月の地震で石垣が崩れ、崩落防止のシートで覆われていた箇所がいくつかあり、街並みを見た限りでは何ともなかったように見えても、地震の爪痕はやはり大きかったように感じ取れました。
石川門に戻って、道路に架かる橋を渡った向かい側が兼六園の入り口の1つ「桂坂門」。兼六園は何回か見ているので、今回はざっと回る、という感じ。でもやはり暑い。初日(7日)からずっとそうでしたが、この間の北陸各地の最高気温は32~33℃。東京近辺と比べると2~3℃低いのですが、暑いことには変わりはなく、園内に入ってすぐのところに「かき氷」があったので、ともかく「涼感」を味わうことになったのでした。兼六園のシンボルともいえる「徽軫(ことじ)燈籠」はやはり人気のスポットで、行列ができており、「一方通行です」とアナウンスがありましたが、燈籠が池の水面に映る姿を見ることができました。
南側の門を出て、すぐ横にある「金澤神社」([96433])を参拝。境内には「金沢」の地名の由来になったという湧き水「金城霊澤」がありました。それから園の外側に沿って21世紀美術館へ。坂道を上りきると「広坂」の交差点、その斜め向かいにあるのが21世紀美術館。勿来丸さんのクイズ([96394])で唯一わからなかった([96403])のがこれですが、最後に金沢を訪れた時にはまだ影も形もなく、建てられたのが割と最近、ということを思うと、わからなかったのは無理もないことなのかな…。人気の美術館ということで、当日券売り場にはちょっとした行列がありましたが、それほど長くは待たず館内へ。でも、展示されていた作品が現代アート中心で、私の趣味・関心の方向ではなく、作品の意味するところがよく理解できなかったこともあり、いまいち物足りない印象だったのは少々残念でした…。
美術館の目の前にバス停はありましたが、休日運休のコースだったので、地図と見比べて、金沢駅方向へのバス停へ少し移動。循環観光バス以外でも、1日乗車券で市街地中心部の路線バスにも乗れるので、路線バスで次の目的地、近江町市場へ。バスはこの辺りに来ると複数の系統が集まってくるので本数は多く、下手な「大都会」のバスよりもよっぽど頻繁運行されているので、待たずに乗れました。朝食の後は先ほどのかき氷ぐらいしか口にしておらず、時計は既に4時近くになっていて、ようやくここで遅い昼飯。近江町市場に行くのもこれが初めて。アーケード街には魚屋のほか、八百屋や他の商店もあり、観光客と地元の客でにぎわっていました。2階の食堂街に上がり、この時間でもまだ営業していた店があったので、中に入ってお目当ての海鮮丼を。食べ終わったころには4時半を過ぎ、市場内の店は既に店じまいやその準備をしている店が多くなっていました。
近江町市場の最寄りのバス停「武蔵ヶ辻」から市内で最後のバスで金沢駅に到着。予約した新幹線の時間まで2時間近い余裕があったので、この時間を利用して地下になった北鉄金沢駅から、浅野川線に乗って終点の内灘まで往復。車内には、えち鉄([111944])と同様、部活の生徒が大勢乗っていましたが、一般の客の利用も結構多く、かつて北鉄の路線の廃止が相次いでいた頃、「浅野川線だけはまず残るのでは」と言われたのも、乗ってみてわかったように思いました。内灘駅に到着する前には
その駅【松任】に「谷」を付すとユーミン
([96400])その彼女の曲「アカシア」が流れ、吊り広告も出ていました(北鉄ニュース・2024年5月)。浅野川線の車両は元・井の頭線([96403])から元・日比谷線のに入れ替わっていましたが、それまで運行されていた元・井の頭線の2両編成のうちの1組が内灘駅の片隅に休んで?おり、既に引退しているのか、今後が気になるところです…。
内灘駅で降りてから、駅前の道路の反対側に渡ると、電柱の住所表示に「アカシア一丁目」(地図、地名コレ「外来語由来町名」にも記載あり)とあったのが気になり、辺りを少し散策。しゃれたヘアサロンや化粧品店などがありましたが、どこにでもありそうな郊外住宅地といった風景でした。帰りの電車に乗って先の吊り広告を見ると、「アカシア」の町名(大字)の由来は、どうやら「砂防林としてアカシア(正しくはニセアカシア)の木を植えた」ことに関係しているようでした。内灘町は、正月の地震で地盤の液状化による被害が出て、まだ復旧していない地域もあるようですが、駅の付近はこれといった被害を受けた感じは見られなかったようでした。
金沢駅から新幹線の「超特急」かがやきに乗って東京へ。新幹線のホームにもコンコースにも駅弁がなく、大手チェーンのコンビニだけだったのには大いに腹立つ乗り。2時間余り前に近江町市場でがっつり食ってきたのでまだ満腹感が残っており、軽食でも十分と考えてはいたのですが、駅弁は駅ビル内の土産物屋街にしかないようで、これではちょっと不親切です…。既に旅の疲れが蓄積しており、外がすっかり暗くなったころからは爆睡。目が覚めたのは埼玉県に入ったころでした…。
[111944] 2024年 8月 24日(土)21:21:38【1】訂正年月日
【1】2024年 8月 25日(日)11:30:39
伊豆之国 さん
遅くなりましたが…夏休み旅日記です(前編)
十番勝負と「本業」での疲れを癒す「リフレッシュ」の旅に去る7日から2泊3日で出かけました。道中記は後ほど
([111886])
もう2週間余りもたってしまいましたが…ようやく旅日記を書く時間ができました。今回は、クイズ形式にせず、ストレートに書き込むことにします。
今回の旅のルートは、「横浜市内発、米原・敦賀・福井・金沢経由で東京都区内着」という北陸大回りの1枚の切符を使って、「北陸新幹線新規開業区間・乗ったり降りたり」を含め、越前・加賀方面を気ままに回る道中でした。
まず新横浜から米原停車の「ひかり」に乗り、米原で「ほぼ北琵琶湖線」と化してしまった在来の北陸線の特急「しらさぎ」に乗り換えて、終点になってしまった敦賀駅で下車。車内は夏休みの最中というのにがら空き状態、2つの新幹線の「つなぎ役」に甘んじる中途半端な存在に「落ちぶれ」、そして不便な乗り換えを強いられるとあっては、これでは関西や中京から北陸へ向かう客がますます高速バスやマイカーに流れて行くのも必然、いまだに「東海道」との接続するルート・駅をめぐって激しい争いが続いている現状を見ると…。
敦賀駅ですぐに北陸新幹線に、というのも面白くないので、敦賀に来たからには、ということで、越前国一宮で「北陸の総鎮守」とも呼ばれる気比神宮にお参り。気比神宮には29年前に一度お参りしたことがあり、駅からの大体の道筋も覚えてはいたのですが、まだ「若かった」そのころとは違い、足腰の衰えも自覚している今となっては、そこまでの道のりが長く感じたことか…。駅前から続くアーケード街も、シャッターが閉まった店が目立ち、新幹線ができても肝心の街の賑わいがこれでは…。
乗り換えの通路が恐ろしく遠い新幹線の敦賀駅のホームから、北陸新幹線の新規開業区間に「初乗り」。福井駅で降り、荷物を預け、えちぜん鉄道勝山永平寺線で勝山へ。ここからの行程は、勿来丸さんが6年前に行かれた場所・ルートと被っているところも多いので、勿来丸さんの旅日記(クイズ[96394]・解答[96433]) と千本桜さん[96400]・私[96403]のレス記事も織り交ぜて書くことにします。
「えち鉄」のホームは、新幹線工事に伴う整備工事で高架になり、2駅先で「三国芦原線」と分かれる「福井口」駅まで高架化されていました。車内には「えち鉄」名物の女性アテンダントも乗っていましたが、車内は観光客と部活帰り?の生徒で混雑しており、アテンダントの出番はほとんどなかったようでした。「永平寺口」駅(当時は「京福電鉄越前本線」の「東古市」駅)までは、まだ永平寺線があった33年ほど前に、永平寺参りの帰り(行きは芦原温泉から東尋坊~丸岡城と回って永平寺までタクシーでした…こちら参照)、ここから先は未乗車区間。永平寺口駅の構内踏切には、今や北陸でも絶滅寸前の「鐘が鳴る旧式警報器」が残っていました。
終点の勝山駅で下車、駅前に待っていたバスに乗り換え。行き先は…勿来丸さんご一家が行かれた恐竜博物館(事前予約制でしたが…失礼ながら私には大して関心がないものでした)…ではなくて、平泉寺白山神社。「寺」の字がついていますが神社で、奈良時代に開かれたと伝わる、白山信仰の越前側の拠点で、神仏混合となり、中世には広大な境内に数千もの建物が立ち並んで壮観だったといいますが、戦国時代に一向一揆による大火で全焼して一気に衰微。わずかに残った仏教系のものも明治の廃仏毀釈で撤去され、江戸時代に建てられた神社の本殿・拝殿などを残すのみとなって現在に至っていますが、近年発掘が進み、栄華を誇った中世の頃の全容が少しずつ明らかになってきています。
終点でバスを降り、参拝を前に、まずバス停の前、境内の入り口近くにある「歴史探訪館・まほろば」に入って、平泉寺に関する歴史と知識を予習。「近くで熊が出た」という情報があり、館内の受付で「熊よけの鈴」を貸し出していたのでこれを身に着けて境内へ。バスの本数が少なく、帰りのバスまでの時間の余裕もあまりなかったので、拝殿と本殿を見て、奥には行かず引き返しましたが、参道の脇に「東尋坊の跡」という案内板があり、その昔そこにいた「東尋坊」という僧侶が、現在の坂井市三国の海岸の絶壁から突き落とされて、以来そこを「東尋坊」と呼ぶようになった、というような言い伝えが書かれていました。私は、東尋坊の海岸には今まで2度訪れており、「『東尋坊』という名の素行不良のお坊さんが突き落とされた」という話は知っていたのですが、これまでずっと「永平寺」の僧侶だと思い込んでいて、ここで初めて今まで「思い違い」をしていたと知ったのでした。
帰りのバスで勝山駅へ。行きに乗ったバスもそうですが、このバスは路線バスですが市内の主な観光スポットを回るコースになっており、「越前大仏」や「勝山城博物館」も経由していましたが、「入場料が馬鹿高い」と騒がれた越前大仏や、いかにも「作り物の模擬天守」感がありありの勝山城(現地に来て初めて知った)には、さすがに行く気は起きませんでした。勝山駅は、今でこそ終着駅になっていますが、かつてはその先の大野市まで線路が伸びており([96403]…後で調べたら、大野までのバスも本数は少ないながら今も運行されているようでした)、勝山駅は中間駅として設置されたという経緯があり、そのためか勝山駅の位置は市街地の中心から九頭竜川を挟んだ対岸にあり、駅前には商店も少なく殺風景な印象でした。駅前に恐竜の像も鎮座する、「レトロ風」に改修された勝山駅の駅舎には、かつてこの線で活躍していた電気機関車と貨車も保存されていました。
電車で福井駅に戻り、駅近くにあるホテルに一泊。客室は「ハピライン」と新幹線の線路が見える場所にあり、行き交う列車が手に取るように眺められましたが、やはり「ハピライン」に転換された北陸線の線路からは、長い編成の特急が消え、車両はまだ新しそうではあるものの、2両編成という短い「鈍行」が1時間に1-2本だけという現状を見ると、やはり寂しさを覚えてしまうものです…。福井駅前には、巨大な動く恐竜の像がありましたが、「吠えた」時はやはり少々ビビりました…。夕食はホテルを出て街中へ。駅前のビルの中にあるこぎれいな店で、名物の「ソースかつ丼」と「越前おろしそば」のセットをいただきました。
翌朝は、まず朝飯前の散歩で、北ノ庄城跡へ。柴田勝家が築いた城郭でしたが、その全容が見え初めてきたのは最近の発掘調査で、ごく一部の区域だけですが「柴田公園」として整備され、掘割や石垣などもその一部が公開されており、また敷地内には勝家を祭る「柴田神社」と、お市の方、三姉妹の銅像も建てられていました。福井駅の南西側は、大規模な再開発が始まっており、「閉店」や「移転」のお知らせが貼ってある店が多く見られました。
ホテルに戻って朝食の後、朝行ったときに開いていなかった北ノ庄城跡の資料館を見て、福井駅から「ハピラインふくい」となった在来線で、「戻る方向」に乗って武生駅で降り、大河ドラマの主人公・紫式部ゆかりの地巡り。越前市内には、指定した乗降箇所間を片道500円で乗れる「500円定額タクシー」というのがあり、まず「大河ドラマ館」へ。大河ドラマ館は、「武生中央公園」内に造られた催事場で、ドラマの登場人物と人間関係・時代背景、衣装などの展示がありました。それから再びタクシーを呼んで「紫式部公園」へ向かい、公園の前にある「紫ゆかりの館」を見てから、紫式部の黄金の像がある公園内へ。「紫式部公園」には、気比神宮にもお参りした29年前、「越前有情号」というボンネットタイプの観光バスがあって、越前海岸や越前和紙の里を回ったときに立ち寄っていた記憶があり、黄金の像の記憶は確かに残っていました。
3回目の500円タクシーで武生駅に戻り、再び「ハピライン」で福井駅に引き返し。昼食の時間でしたが駅ビル・駅前の飲食店もどこも混んでおり、この日の宿を取った小松への到着時間にも余裕があったため、駅前から福井鉄道の路面電車に乗り、田原町からえち鉄三国芦原線で福井駅に戻る、というコースで「時間つぶし」。田原町駅では、えち鉄から福鉄に入って行く福鉄の路面電車型車両を見送って、えち鉄車両で福井駅へ。この時間帯、夏休みの部活?の中高生が大勢乗っており、どちらも車内が混雑していました。
昼食は、混雑のピークを過ぎてきた駅ビル内の寿司屋で。またまた北陸新幹線で、今度は小松駅で下車、タクシーで「松井秀喜ベースボールミュージアム」、「安宅関」と回って、この日の宿、小松市郊外のホテルへ。「松井秀喜ベースボール~」は、幼少時代から星稜高校、読売、大リーグと歩んできた野球人生を、パネルと豊富な展示品によってじっくり見ることができ、充実した内容だと感じました。安宅関は、33年前、山中温泉から小松まで、やはりタクシーで回ったときに見たことがありましたが、正月休みだったこともあり、義経一行の銅像を見ただけだったので、今回は展示館に入り、館内で歌舞伎の「勧進帳」の場面を紹介するビデオが放映されていて、新旧の市川團十郎が共演しているシーンが見られました。33年前にも見た銅像を見て、隣の森の中にある「住吉神社」に参拝。「難関突破」にご利益、ということで、受験生に人気があるようでした。正月の地震の話もしましたが、「大きく揺れはしたものの、大きな被害はなかった」とのことで、金沢市([109564] EMMさん)や白山市([109588] 星野彼方さん)と比べても、震源から遠い分、見た目にも大きな被害は見られなかったように見えました。
この日宿泊したホテルは、小松市郊外の田園地帯にあり、全国チェーンのホテル(Aホテルではない)ですが、温泉大浴場もあり、かけ流しで、露天風呂はないのですが、前面ガラス張りで眺望もよく、また、予約した客室はこの手のチェーンホテルには珍しい和室。敷地内には、ゴルフ場やビアガーデンなどもありました。夕食は、館内のレストランでしたが、メニューが少ないため、「特製カレー」をいただくことにしました。
翌朝は再びタクシーを呼んで、小松駅に。前日の「甲子園」で、小松大谷高校が初戦を突破したことを知り、運転手に話しかけると、「でも次は大阪桐蔭だからこれで終わりでしょう」と話してきたのですが、その小松大谷が本当に大阪桐蔭に、しかも完封勝ちしたというのですから、「だから本当に甲子園というところは恐ろしい…」(実は前日に乗ったときは、野球の資料館に行ったのに「甲子園」の話は一切しなかった…初戦の相手はこれも強豪の明豊高校だったし…)。
ここにも駅前に義経・弁慶の銅像が建っていた小松駅から、いよいよ今回の道中の「本題」、金沢に向かうのですが、新幹線も、「IRいしかわ鉄道」に転換された北陸線も本数は少なく、「新幹線に乗ったほうが金沢駅に早く着く」ということで、待ち時間を利用して、駅の「裏口」側にある「こまつの杜」へ。ここは以前は重機メーカー「コマツ」の本社工場([96433])だったところ(小松駅には7年前に社用で降りており([92700])、その時既に新幹線工事が始まって駅が高架になっていましたが、「コマツ」の工場はまだあったはずですが、記憶が…)を、本社機能移転により跡地を公園として整備されたところで、この日は敷地内に展示されていた大型パワーショベルの試乗体験へ。子供連れを含む何人かが並んでいて、運転台にたどり着いたのですが、「室内にいるのは50秒間だけ」ということで、周りの景色を見る暇もなく、拍子抜けでした。
…いよいよ金沢駅へ。これで北陸新幹線の新規開業区間も完乗となりました。この続きは、次回に。
[111910] 2024年 8月 17日(土)21:28:15伊豆之国 さん
Re:鉄道が通らない自治体、都道府県別最高気温
[111889] あらかるとさん
鉄道未通過自治体各都道府県に一つはあるんじゃね?
とある都道府県で企画が終わりを告げました。さて、どこの都道府県でしょうか
[111890] あきごんさん
市町村合併で人口が多い海の近くからライチョウが生息する山岳地帯まで、長~い、若しくは大き~い市になったのが一因なのでしょうね
[111900] ええじゃないかさん
私も知ったときはかなり意外でした。三大都市圏ですらないですからね
「そういえば、"You Tube"にそんな動画があったな」と思って調べてみたら、こちらの動画がありました。
2年前にUPされた少し古いデータであり、明らかな誤りや見落としもいくつか見つかるのですが(コメント参照)、よく調べ上げたデータだと思います。あきごんさんがおっしゃる通り、現在鉄道が全く通らない(貨物線等も、駅がなくて通過するだけの線もない)自治体が存在しない都道府県は、富山県が唯一です。その富山県が「全自治体で鉄道通過」になったのは、コメントにもありましたが、平成の大合併で富山市が隣県と接する山の中まで市域を恐ろしく広げたこと、合併で誕生した南砺市が五箇山の山中も含む市域を持ったことなどにより、鉄道が通っていない町村が軒並み消滅した一方、周辺市町村と合併せず「日本一狭い自治体」として残った舟橋村にも鉄道が通り、旅客駅もある(富山地鉄本線・越中舟橋駅)ことが大きく関係しているといえるでしょう。
その後の変化については、嬉野市(西九州新幹線)と芳賀町(宇都宮ライトレール)は動画がUPした時点で開業が決定していたため、「近日開業」を示す青色表記になっていましたが、留萌線の部分廃止(石狩沼田~留萌)の期日はまだ決定していないためか、留萌市は鉄道が通っていることを示す赤色表示になっていました。
なお、動画のタイトルは「鉄道未通過市町村」とありましたが、画面では白色表示になっている鉄道がない自治体の中には、かつて鉄道が通っていたが既に廃線になったところも含まれているので、「鉄道非通過~」あるいは「鉄道が(現在)通っていない~」とするのが正しい表現でしょう。

[111896][111904] ピーくんさん
[111897] しまなみさん
[111898] オーナーグリグリさん
[111901] 勿来丸さん
[111902] 海辺を飛ぶ鳥さん
[111905] おがちゃんさん
どなたか都道府県ごとの最高気温のデータがありましたらご連絡ください
「都道府県の最高気温」の一覧、以前落書き帳にあったな、と調べてみたら、こちらも2年ちょっと前ですが、鰯山さんがまとめたデータがありました。
[104899]の記事で、その当時都道府県内で記録した最高気温データが高い順(同じ数値で複数の自治体が並んでいるところは、記録した日が最新のところを取っているようです)に並べており、「どの県が県内最高気温の値が高いか」一目でわかるようになっています。
今年8月15日までのデータを、つうじゅんさんが[111906]でまとめており、栃木県佐野市で7月29日に41.0℃を記録し、県ランクで一気に3位タイにJump Up(この表現が適切かどうかと思いますが)し、福島・茨城・三重の各県でも県内で記録した最高気温が40℃を超えるなど、この2年間で最高気温の値を更新したところが10県以上あります。この表を県内最高気温が高い順に並べ替えるとわかりやすくなると思いますが、つうじゅんさん、いかがでしょうか。
[111886] 2024年 8月 12日(月)00:06:22【1】訂正年月日
【1】2024年 8月 12日(月)09:57:09
伊豆之国 さん
十銀勝負への疑問と注文
まず、今回の十番勝負において、解答者より疑問・批判の声が続出し、当の出題者であるグリグリさんの対応も混乱するという事態に関して、私自身も頭の中が混乱したまま気持ちの整理がつかない状態に陥り、しばらくたって落ち着いてから書き込む([111848])ということにしていたのですが、ようやく気持ちの整理ができてきたので、既に十番勝負終了から半月が過ぎ、「何を今更」といった感ではありますが、ともかくいくつかまとめて書くことにします。

・複数解答問題について
今回導入された複数解答可能問題。問六と問八ですが、問六はともかく、問八については大いに疑問を抱かざるを得ません。「国立公園・国定公園が合わせて市域に2か所以上ある」という共通項が「わかりづらい」という意見がいくつか出ていましたが、「複数解答にしてもわずか3つしか増えない」([111844]なると金時さん)というのでは複数解答可能にした意味がありません。やはり、複数解答が可能な問題にするのであれば、やはり「劇的に解答機会が増える」ようなものにしないと導入する効果があまりないのではないと思います。今回の感想文を見ると、問四(3県境)のほうがよほど複数解答問題に向いている([111812]Nさん)という意見がありましたが、なるほどだと思いました。このような「隣接問題」には、「隣接自治体に共通する文字」とか、いろいろなバリエーションが考えられそうです。また、私が[110336]で例示した、「チャレンジトライアル」に出た「高校野球の優勝校」とか「中山道の宿場」(共に最大5回まで解答可能な市がある)のような「モノ」系の問題も結構作れるのではないでしょうか。

・「市盗り」に関する扱いについて
今までは「問題市・既出解」を解答してしまった場合、「市盗り」に関してのみは「減点対象とはしない」という取り決めであったのが、今回から「問題市・既出解の解答でも市盗りの減点になる」という「重要なルールの変更」に対する告知の時期が遅く、周知も徹底されていなかったのが混乱の原因になったように思えます。これについては、とりぴーさんの[111816]の記事に詳細が書かれているので詳しくは書きませんが、「市盗り」の石高の扱いに関しては、その運用開始以前のを含めて、今までずっとこのような方法で通してきたことからも、変更するのであれば、ちょうど70回の区切りの回になる、来年の新年の回から行うこととして、年内の回(今回と次回)についてはひとまず現行の扱いを維持する、ということにした方がよかったのでは、とも思いました。

・十番勝負の今後について
上記のように書きましたが、ご承知の通り、グリグリさんから「70回までで終了」という発言が出たことには驚きを隠せませんでした。私もグリグリさんの体調や数々の気苦労については重々承知しており、個人的な事情は尊重すべきでしょうが、もし終了となったとしても、これに代わる新たなクイズのシリーズを作ることについては、主なメンバー(ベテランだけでなく若手も歓迎します)を中心にいくつか協議・提案して見たら、というのも有りでしょうか。この辺については、長らく「十番勝負」「市盗り」の運用にかかわってきたデスクトップ鉄さんの[111836]の記事は大いに参考になるでしょう。
ただ、やはり十番勝負については中途半端な形で終わらせたくはない、というのは私にも有ります。現在、「領主」がまだいない市が横浜市とさいたま市の2市だけになっています。しかし、さいたま市は「領主狙い」のおがちゃんさんが領主盗りまであと3万石、横浜市も同じくおがちゃんさんがあと8万石で領主に就くことができ、今後出される問題にもよりますが、今の勢いなら両市とも早ければ次回(第69回)にも初代領主に就く可能性が十分ありそうです(さいたま市は海辺を飛ぶ鳥さんもあと5万石です)。全市で領主が決まるのを見届けて、そこで十番勝負を(ひとまず)終了とする、というのもよいとも思いますが。

…でも、結局のところは、なると金時さんの[111839]の書き込みに書かれている
あくまで「都道府県市区町村」というサイトの一企画なのであって、それに余りにも縛られてしまうのは本末転倒になってしまう気がしています
グリグリさんが気の向いた時にする、くらいの感じでもよいのかもしれませんね
ということが、最も当を得たご意見・ご感想だと思うのですが、いかがでしょうか。

♯十番勝負と「本業」での疲れを癒す「リフレッシュ」の旅に去る7日から2泊3日で出かけました。道中記は後ほど。
[111855] 2024年 8月 3日(土)21:55:53伊豆之国 さん
第106回夏の全国高校野球出場校決定【西日本編】
前回に引き続き、今年の夏の甲子園出場校を。今回は西日本編(北陸・近畿・中国・四国・九州・沖縄)です。

県・地域出場校所在地経県領主主な観光地・イベントなど備考
富山富山商業富山市3おがちゃん呉羽山公園、富山城、越中八尾(おわら風の盆)など
石川小松大谷小松市3EMM安宅関、那谷寺、粟津温泉
福井北陸福井市4EMM一乗谷朝倉氏遺跡、足羽山公園、越前海岸
滋賀滋賀学園東近江市3深夜特急百済寺、永源寺、石塔寺
京都京都国際京都市4深夜特急清水寺、金閣寺、伏見稲荷など所在地は東山区
大阪大阪桐蔭大東市0深夜特急野崎観音(慈眼寺)、三好長慶武者行列
兵庫報徳学園西宮市3深夜特急甲子園、西宮神社(えべっさん)、大谷記念美術館
奈良智辯学園五條市4あきごん新町通り(重要伝統的建造物群保存地区)、栄山寺賀名生(あのう)梅林(五條市HPより)
和歌山智辯和歌山和歌山市4深夜特急和歌の浦、和歌山城、紀三井寺
鳥取鳥取城北鳥取市3とりぴー鳥取砂丘、白兎海岸・白兎神社、鳥取城跡
島根大社出雲市3桜トンネル出雲大社、日御碕、一畑薬師
岡山岡山学芸館岡山市3白桃後楽園、岡山城、吉備津神社など所在地は東区
広島広陵広島市4桜トンネル原爆ドーム・平和公園、広島城、縮景園所在地は安佐南区
山口南陽工業周南市1かぱぷう徳山動物園、回天記念館湯野温泉
徳島鳴門渦潮鳴門市1白桃鳴門の渦潮・大鳴門強、霊山寺(四国第一番札所)、鳴門市ドイツ館
香川英明高松市4白桃栗林公園、高松城、屋島
愛媛聖カタリナ学園松山市4がっくん松山城、道後温泉、子規記念博物館
高知明徳義塾須崎市1ぺとぺと横浪三里・浦ノ内湾新荘川
福岡西日本短大附属八女市0かぱぷう岩戸山古墳八女福島の白壁の街並み
佐賀有田工業有田町0対象外有田焼窯元と関連施設・史跡(各種資料館、陶山神社など)
長崎創成館諫早市3穴子家諫早公園・眼鏡橋干拓の里富川渓谷・轟峡(諫早市HPより)
熊本熊本工業熊本市4さざ波熊本城、水前寺公園、江津湖所在地は東区
大分明豊別府市3デスクトップ鉄別府温泉郷、ラクテンチ、城島高原
宮崎宮崎商業宮崎市4桜トンネル宮崎神宮、青島、シーガイア
鹿児島神村学園いちき串木野市1ばなし 冠岳薩摩藩英国留学生記念館
沖縄興南那覇市4白桃首里城、玉陵(たまうどぅん)、金城町石畳道

初出場は札幌日大・聖和学園・石橋・新潟産業大附属・聖カタリナ学園の5校。そのうち聖和学園と新潟産大附は春夏通じての初出場です。一方、最多出場は、早実の30度目、久しぶりの出場では、大社の32年ぶりが最長ブランクになります。夏の連続出場は10校、明豊の4年連続が最長、春夏連続出場は、春夏連覇に挑む健大高崎など9校です。
「商業」「工業」「農業」の付く高校は、金足農業・富山商業・南陽工業・有田工業・熊本工業・宮崎商業の6校があります。また、郡部に所在する高校が4校(白樺学園・霞ヶ浦・菰野・有田工業)あるのも注目されるところでしょうか。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示