十番勝負と「本業」での疲れを癒す「リフレッシュ」の旅に去る7日から2泊3日で出かけました。道中記は後ほど
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もう2週間余りもたってしまいましたが…ようやく旅日記を書く時間ができました。今回は、クイズ形式にせず、ストレートに書き込むことにします。
今回の旅のルートは、「横浜市内発、米原・敦賀・福井・金沢経由で東京都区内着」という北陸大回りの1枚の切符を使って、「北陸新幹線新規開業区間・乗ったり降りたり」を含め、越前・加賀方面を気ままに回る道中でした。
まず新横浜から米原停車の「ひかり」に乗り、米原で「ほぼ北琵琶湖線」と化してしまった在来の北陸線の特急「しらさぎ」に乗り換えて、終点になってしまった敦賀駅で下車。車内は夏休みの最中というのにがら空き状態、2つの新幹線の「つなぎ役」に甘んじる中途半端な存在に「落ちぶれ」、そして不便な乗り換えを強いられるとあっては、これでは関西や中京から北陸へ向かう客がますます高速バスやマイカーに流れて行くのも必然、いまだに「東海道」との接続するルート・駅をめぐって激しい争いが続いている現状を見ると…。
敦賀駅ですぐに北陸新幹線に、というのも面白くないので、敦賀に来たからには、ということで、越前国一宮で「北陸の総鎮守」とも呼ばれる気比神宮にお参り。気比神宮には29年前に一度お参りしたことがあり、駅からの大体の道筋も覚えてはいたのですが、まだ「若かった」そのころとは違い、足腰の衰えも自覚している今となっては、そこまでの道のりが長く感じたことか…。駅前から続くアーケード街も、シャッターが閉まった店が目立ち、新幹線ができても肝心の街の賑わいがこれでは…。
乗り換えの通路が恐ろしく遠い新幹線の敦賀駅のホームから、北陸新幹線の新規開業区間に「初乗り」。福井駅で降り、荷物を預け、えちぜん鉄道勝山永平寺線で勝山へ。ここからの行程は、勿来丸さんが6年前に行かれた場所・ルートと被っているところも多いので、勿来丸さんの旅日記(クイズ
[96394]・解答
[96433]) と千本桜さん
[96400]・私
[96403]のレス記事も織り交ぜて書くことにします。
「えち鉄」のホームは、新幹線工事に伴う整備工事で高架になり、2駅先で「三国芦原線」と分かれる「福井口」駅まで高架化されていました。車内には「えち鉄」名物の女性アテンダントも乗っていましたが、車内は観光客と部活帰り?の生徒で混雑しており、アテンダントの出番はほとんどなかったようでした。「永平寺口」駅(当時は「京福電鉄越前本線」の「東古市」駅)までは、まだ永平寺線があった33年ほど前に、永平寺参りの帰り(行きは芦原温泉から東尋坊~丸岡城と回って永平寺までタクシーでした…
こちら参照)、ここから先は未乗車区間。永平寺口駅の構内踏切には、今や北陸でも絶滅寸前の「鐘が鳴る旧式警報器」が残っていました。
終点の勝山駅で下車、駅前に待っていたバスに乗り換え。行き先は…勿来丸さんご一家が行かれた恐竜博物館(事前予約制でしたが…失礼ながら私には大して関心がないものでした)…ではなくて、
平泉寺白山神社。「寺」の字がついていますが神社で、奈良時代に開かれたと伝わる、白山信仰の越前側の拠点で、神仏混合となり、中世には広大な境内に数千もの建物が立ち並んで壮観だったといいますが、戦国時代に一向一揆による大火で全焼して一気に衰微。わずかに残った仏教系のものも明治の廃仏毀釈で撤去され、江戸時代に建てられた神社の本殿・拝殿などを残すのみとなって現在に至っていますが、近年発掘が進み、栄華を誇った中世の頃の全容が少しずつ明らかになってきています。
終点でバスを降り、参拝を前に、まずバス停の前、境内の入り口近くにある「歴史探訪館・まほろば」に入って、平泉寺に関する歴史と知識を予習。「近くで熊が出た」という情報があり、館内の受付で「熊よけの鈴」を貸し出していたのでこれを身に着けて境内へ。バスの本数が少なく、帰りのバスまでの時間の余裕もあまりなかったので、拝殿と本殿を見て、奥には行かず引き返しましたが、参道の脇に「東尋坊の跡」という案内板があり、その昔そこにいた「東尋坊」という僧侶が、現在の坂井市三国の海岸の絶壁から突き落とされて、以来そこを「東尋坊」と呼ぶようになった、というような言い伝えが書かれていました。私は、東尋坊の海岸には今まで2度訪れており、「『東尋坊』という名の素行不良のお坊さんが突き落とされた」という話は知っていたのですが、これまでずっと「永平寺」の僧侶だと思い込んでいて、ここで初めて今まで「思い違い」をしていたと知ったのでした。
帰りのバスで勝山駅へ。行きに乗ったバスもそうですが、このバスは路線バスですが市内の主な観光スポットを回るコースになっており、「越前大仏」や「勝山城博物館」も経由していましたが、「入場料が馬鹿高い」と騒がれた越前大仏や、いかにも「作り物の模擬天守」感がありありの勝山城(現地に来て初めて知った)には、さすがに行く気は起きませんでした。勝山駅は、今でこそ終着駅になっていますが、かつてはその先の大野市まで線路が伸びており(
[96403]…後で調べたら、大野までのバスも本数は少ないながら今も運行されているようでした)、勝山駅は中間駅として設置されたという経緯があり、そのためか勝山駅の位置は市街地の中心から九頭竜川を挟んだ対岸にあり、駅前には商店も少なく殺風景な印象でした。駅前に恐竜の像も鎮座する、「レトロ風」に改修された勝山駅の駅舎には、かつてこの線で活躍していた電気機関車と貨車も保存されていました。
電車で福井駅に戻り、駅近くにあるホテルに一泊。客室は「ハピライン」と新幹線の線路が見える場所にあり、行き交う列車が手に取るように眺められましたが、やはり「ハピライン」に転換された北陸線の線路からは、長い編成の特急が消え、車両はまだ新しそうではあるものの、2両編成という短い「鈍行」が1時間に1-2本だけという現状を見ると、やはり寂しさを覚えてしまうものです…。福井駅前には、巨大な動く恐竜の像がありましたが、「吠えた」時はやはり少々ビビりました…。夕食はホテルを出て街中へ。駅前のビルの中にあるこぎれいな店で、名物の「ソースかつ丼」と「越前おろしそば」のセットをいただきました。
翌朝は、まず朝飯前の散歩で、
北ノ庄城跡へ。柴田勝家が築いた城郭でしたが、その全容が見え初めてきたのは最近の発掘調査で、ごく一部の区域だけですが「柴田公園」として整備され、掘割や石垣などもその一部が公開されており、また敷地内には勝家を祭る「柴田神社」と、お市の方、三姉妹の銅像も建てられていました。福井駅の南西側は、大規模な再開発が始まっており、「閉店」や「移転」のお知らせが貼ってある店が多く見られました。
ホテルに戻って朝食の後、朝行ったときに開いていなかった北ノ庄城跡の資料館を見て、福井駅から「ハピラインふくい」となった在来線で、「戻る方向」に乗って武生駅で降り、大河ドラマの主人公・紫式部ゆかりの地巡り。越前市内には、指定した乗降箇所間を片道500円で乗れる「500円定額タクシー」というのがあり、まず「
大河ドラマ館」へ。大河ドラマ館は、「武生中央公園」内に造られた催事場で、ドラマの登場人物と人間関係・時代背景、衣装などの展示がありました。それから再びタクシーを呼んで「
紫式部公園」へ向かい、公園の前にある「
紫ゆかりの館」を見てから、紫式部の黄金の像がある公園内へ。「紫式部公園」には、気比神宮にもお参りした29年前、「越前有情号」というボンネットタイプの観光バスがあって、越前海岸や越前和紙の里を回ったときに立ち寄っていた記憶があり、黄金の像の記憶は確かに残っていました。
3回目の500円タクシーで武生駅に戻り、再び「ハピライン」で福井駅に引き返し。昼食の時間でしたが駅ビル・駅前の飲食店もどこも混んでおり、この日の宿を取った小松への到着時間にも余裕があったため、駅前から福井鉄道の路面電車に乗り、田原町からえち鉄三国芦原線で福井駅に戻る、というコースで「時間つぶし」。田原町駅では、えち鉄から福鉄に入って行く福鉄の路面電車型車両を見送って、えち鉄車両で福井駅へ。この時間帯、夏休みの部活?の中高生が大勢乗っており、どちらも車内が混雑していました。
昼食は、混雑のピークを過ぎてきた駅ビル内の寿司屋で。またまた北陸新幹線で、今度は小松駅で下車、タクシーで「松井秀喜ベースボールミュージアム」、「安宅関」と回って、この日の宿、小松市郊外のホテルへ。「松井秀喜ベースボール~」は、幼少時代から星稜高校、読売、大リーグと歩んできた野球人生を、パネルと豊富な展示品によってじっくり見ることができ、充実した内容だと感じました。安宅関は、33年前、山中温泉から小松まで、やはりタクシーで回ったときに見たことがありましたが、正月休みだったこともあり、義経一行の銅像を見ただけだったので、今回は展示館に入り、館内で歌舞伎の「勧進帳」の場面を紹介するビデオが放映されていて、新旧の市川團十郎が共演しているシーンが見られました。33年前にも見た銅像を見て、隣の森の中にある「住吉神社」に参拝。「難関突破」にご利益、ということで、受験生に人気があるようでした。正月の地震の話もしましたが、「大きく揺れはしたものの、大きな被害はなかった」とのことで、金沢市(
[109564] EMMさん)や白山市(
[109588] 星野彼方さん)と比べても、震源から遠い分、見た目にも大きな被害は見られなかったように見えました。
この日宿泊したホテルは、小松市郊外の田園地帯にあり、全国チェーンのホテル(Aホテルではない)ですが、温泉大浴場もあり、かけ流しで、露天風呂はないのですが、前面ガラス張りで眺望もよく、また、予約した客室はこの手のチェーンホテルには珍しい和室。敷地内には、ゴルフ場やビアガーデンなどもありました。夕食は、館内のレストランでしたが、メニューが少ないため、「特製カレー」をいただくことにしました。
翌朝は再びタクシーを呼んで、小松駅に。前日の「甲子園」で、小松大谷高校が初戦を突破したことを知り、運転手に話しかけると、「でも次は大阪桐蔭だからこれで終わりでしょう」と話してきたのですが、その小松大谷が本当に大阪桐蔭に、しかも完封勝ちしたというのですから、「だから本当に甲子園というところは恐ろしい…」(実は前日に乗ったときは、野球の資料館に行ったのに「甲子園」の話は一切しなかった…初戦の相手はこれも強豪の明豊高校だったし…)。
ここにも駅前に義経・弁慶の銅像が建っていた小松駅から、いよいよ今回の道中の「本題」、金沢に向かうのですが、新幹線も、「IRいしかわ鉄道」に転換された北陸線も本数は少なく、「新幹線に乗ったほうが金沢駅に早く着く」ということで、待ち時間を利用して、駅の「裏口」側にある「こまつの杜」へ。ここは以前は重機メーカー「コマツ」の本社工場(
[96433])だったところ(小松駅には7年前に社用で降りており(
[92700])、その時既に新幹線工事が始まって駅が高架になっていましたが、「コマツ」の工場はまだあったはずですが、記憶が…)を、本社機能移転により跡地を公園として整備されたところで、この日は敷地内に展示されていた大型パワーショベルの試乗体験へ。子供連れを含む何人かが並んでいて、運転台にたどり着いたのですが、「室内にいるのは50秒間だけ」ということで、周りの景色を見る暇もなく、拍子抜けでした。
…いよいよ金沢駅へ。これで北陸新幹線の新規開業区間も完乗となりました。この続きは、次回に。