[80021] オーナー グリグリさん
過去にもこのような災害などによる合併の事例があったのではないかと考えますが、どうでしょうね。
奈良県吉野郡十津川郷(近世村数59)は、明治22年(1889)4月の町村制施行により6ヶ村で発足しました。
しかし、その直後の8月に台風に見舞われ、死者 168人、全壊・流出家屋426戸の被害を受けました。
1889十津川災害 は 単純な水害ではなく、中央構造線の断層地帯にあるため深層崩壊を含む山崩れが大きく、村の産業の中心である山林の被害は甚大でした。
深層崩壊という言葉は、2009年台湾での大被害以来注目されていますが、2007年の資料による
過去の122事例 のうち、27が 1889年十津川の事例でした。
生活の基盤を失った人々は第二の郷土を建設すべく、約600世帯・2500人が北海道への移住を決断しました。
10月に神戸から小樽に渡り、空知太で雪解けを待ちながら準備を進め、トック原野に入植したのは翌1890年6月。
新十津川開拓史
一方、故郷に残った人々も、同じ明治30(1890)年6月には6ヶ村の再合併して
十津川村 になりました。
これが、町村制の下での災害合併第1号であることは、先ず間違いないでしょう。
なお、十津川村は今年の9月にも台風被害受け、落書き帳で話題になりました。
[79314][79316]
時代と場所が変って、第二次大戦末期 昭和20年(1945)1月の三河地震。
[55569]では、地震による被害を受け、約10年後の昭和大合併に際して安城・西尾・碧南の3市に分割編入されて消滅した愛知県碧海郡明治村の事例を挙げました。、最近
[79775]でも言及。
三河地震で被害【注】の大きかった愛知県の町村リストを作り、変遷情報による合併データを加えてみました。
【注】死者100人以上、住家被害率50%以上。
山下文男『戦時報道管制下隠された大地震・津波』(1986新日本出版社)p.260
郡 | 町村 | 総戸数 | 死者 | 死者率% | 住家被害率% | | 合併データ |
碧海郡 | 桜井村 | 1190 | 179 | 15.0 | 58.5 | | 1967年安城市 |
碧海郡 | 明治村 | 2360 | 325 | 13.8 | 69.5 | | 1955安城市西尾市碧南市[55569] |
幡豆郡 | 西尾町 | 3964 | 176 | 4.4 | 42.9 | | 1953西尾市 |
幡豆郡 | 三和村 | 918 | 196 | 21.4 | 88.8 | | 1955西尾市 |
幡豆郡 | 福地村 | 673 | 234 | 34.8 | 85.4 | | 1952,1954西尾市 |
幡豆郡 | 吉田町 | 1339 | 106 | 7.9 | 53.1 | | 1955吉良町>2011西尾市 |
幡豆郡 | 横須賀村 | 1733 | 275 | 15.9 | 64.8 | | 1955吉良町>2011西尾市 |
宝飯郡 | 形原町 | 1674 | 233 | 13.9 | 40.8 | | 1962蒲郡市 |
被害が大きかったにもかかわらず、
桜井町 になって1967年まで存続した村もあります。
しかし、碧海郡明治村と同様に被害の大きかった幡豆郡福地村など、昭和大合併の時代に消えています。
編入した側の西尾町も大きな被害を受けていましたが、1953年に西尾市になっています。
福地村の死者内訳は男84人女150人であり、男手のなかった戦時中を思わせます。
幡豆郡|横須賀村も、断層活動により水田が傾斜し、大きな池になるなど各所に地変を生じ、荒廃したようです。
1955年にこれも被災地の吉田町と新設合併して
吉良町。2011年西尾市。
三河地震の被害がなくても、昭和大合併の波は押し寄せたことでしょうが、災害も要因にはなったことと思われます。