都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
みやこ♂さんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …



[59479] 2007年 6月 28日(木)03:34:35みやこ♂ さん
このホームページに出会ったころ (そしてビジュアルプレゼンテーションの力)
今となっては,とっても昔の話を蒸し返すようで恐縮ですが,まずはIssieさんの[59113]を受けて,リトル さんへ。
書き込んだご本人さえ忘れている過去ログを捜せとは,お仲間に対して,あまりにも酷な書き込み([59101])でありました。ごめんなさい。実はわたくしがこの記事をしっかり記憶していた理由は,中公新書「廃藩置県」巻末の表をいつも飽かず眺め,気に入っていたからなんです。
(あ,それから[59469]では,あたかもみやこ♂が「市町村変遷パラパラ地図」全般をお手伝いしたように書かれていらっしゃいますが,そうではなくて「都道府県」と「栃木県」と現在お休み中の「国立公園」くらいのものです。[59101]では誤解を招くような表現をしてしまいましたか,どうもすみません。なお,「その手の話題」については,あまり余計なことは書かない方がいいと思います。)


さて,都道府県の変遷といえば。。。。。
(都道)府県というものが,現在の姿に至るまでに複雑な変遷をたどったことを知ったのは,一体いつのことだったでしょう。
北海道に3つの県が置かれたことがあること。福井県のまん中へんから富山県までひとつの県だった時代があること。滋賀県が海アリ県だった時代があること。かつて四国は,2~5県のときだってあったってこと。それから沖縄まで鹿児島県だったり,既に廃藩置県がされているはずだのに,沖縄に琉球藩が立てられたりしたこと。
容易に理解できない複雑さだと思いました。

学校で配られる歴史地図帳でよく見られるものは,たぶん3府72県時代のものが多いと思いますが,それって激動の府県改廃のわずか一瞬を切り取ったものにすぎません。そこに上記のことが表現されていることは,まずないでしょう。したがって先に挙げた例は,「その先に興味を持った人」だけが知り得るトリビアなのだと思います(むろん皆さんなら「何で?常識じゃん」でせうけど.)。

「その先に興味を持った」場合,まず追うものは文字資料でしょう。実際にわたくしも歴史事典をひもときました。ただ,「明治○○年に××県は△△県と合併し□□県となり,明治●●年には++県は▲▲県と■■県に分かれ・・・」と記述を追いかけてみたところで,全国の府県の配置は頭に思い浮かばないのであります。「九州でこんな風に区分けされていたとき東北ではこうだった」というようなイメージはわきません。同時並行の,場所ごとの時間軸を頭の中で連結させることは,容易なことではありませんから。

前述の書「廃藩置県」には,各府県の改廃を追った枝分かれ図が掲載されています。たしかにこれならば,多少は「時」を意識することができます。でも,この表では都道府県の範囲がどのへんまでだったのかが,わからないのです。やっぱりわたくしは,ビジュアルで追いかけたかった。地図帳を開けば一瞥のもとに現在の各都道府県が俯瞰できるように,改廃ごとの区域変化のようすがわかるものを見たかったのです。

そんな思いをしばらくの間,悶々と抱いておりました。そして,ようやくわたくしにもネット環境が整い,2004年ころ,ようやくとこのページにたどり着いたわけです。たしかほとんど同時期,あるいはそれよりちょっと早く,Issieさんのページも知りました。たぶん検索に用いたキーワードは「廃藩置県」か「宇都宮県」でしたでしょう。
(たしかCENTENNIAに出会ったのもそのころ.)
Issieさんのページは新鮮な驚きでした。「(普通の)本に載ってない資料が,ここには惜しげもなく公開されている!」それまで図化できなかったのは,どのへんの範囲が何県だったのかを知るまとまった情報がなかったからですが,Issieさんのページには,郡単位での変遷が記されています。そうなるとあとは,年表を作ってそれに応じた地図を描くだけです。わたくし「これで都道府県のパラパラまんがができる!」とすっかり舞い上がってしまいました(「描くだけ」といっても,実はコレが一番たいへんなわけですが)。
結果としてその「思い」は,愚かにもかなり甘かったわけですが。。。。。
だって,パラパラまんがの場合,教科書の隅っことか,画像が小さいことが必須条件なわけなんです。例えば50枚ものA4サイズの地図をパラパラさせたって,ナニが何だかわかるわけがない。それに気づいたとき,わたくしのプランは,あえなくついえ去ってしまったのでした。


ところで職場の先輩が,昭和の大合併直前の栃木県市町村図を持っていました。卒業論文で作成したものだそうです。さっそく彼からそれをせしめ,少し調べてみると,栃木県の場合あんまり複雑な合併をしていないことがわかりました(これは前世紀末のころのお話しです)。
そんなわけで,やがて興味は都道府県の変遷から栃木県の市町村変遷に移り,そのころ恐る恐る落書き帳のドアを押し,メンバーの片隅に座らせていただき,今日に至る,というわけなんですね。

で,現在では色々な「パラパラ地図(C)」を見ることができるわけです。自在に時代をたどることができる。何と素晴らしいことでしょう!至福ですねぇ。むじながいり さん,たもっち さん,そしてそれらのブラッシュアップに協力してくださる大勢の皆様に,わたくしから一方的に感謝申し上げる次第です。(なお,パラパラ地図の語尾に(C)と書いたのは,「パラパラ地図」は むじながいり さんの専売特許だと思うからです。試しにこれでネット検索をかけてみれば一目瞭然でしょう。)


ふと,わずか5年前には想像もできなかったパラパラ地図を飽かず眺めている自分を発見し,沸き起こる感動と,ひとつのエポックメイキングな事件に立ち会った幸せを噛みしめている,わたくしなのでありました。
[59432] 2007年 6月 26日(火)00:09:18みやこ♂ さん
さっそく訂正いたしました。
[59430] k-ace さん
夜久野ヶ原の所在地が兵庫県朝来市となっていますが、。。。。
あ、本当だ。[54350]の書き込みから機械的にコピペしたものですから、やっちゃいましたね。どうもありがとうございました(リンクまで張っていただき、恐縮です.)。他にもお気づきの点などありましたら、どうかお知らせください。よろしくお願いいたします。
[59101] 2007年 6月 14日(木)19:42:58【1】みやこ♂ さん
やっぱり検索機能を活用しよう
[59097] リトル さん
前からこの頃の「県名リスト」を見たいと思っているんですがどこかに無いでしょうか…。
例えば,かつてIssie さんが[36062]「廃藩置県の本」で参考図書を紹介していらっしゃいます。
(中公新書「廃藩置県」の巻末には,府県統廃合の分岐図が掲載されています。)

それから,むじながいり さん(エイちゃ さん)のページ,「つかんぼやと」内の市町村変遷パラパラ地図に,明治4年11月22日以降ですが,「都道府県の変遷」パラパラ地図(c)が公開されています(ちょっとみやこ♂もお手伝い)。

。。。というわけで,この落書き帳の過去記事には,色々な情報が満載なのです。
[59054] 2007年 6月 13日(水)01:31:25みやこ♂ さん
雪渓コレクション レス
何と申しますか,わたくしの愛する三毳山で世間をお騒がせする事故が起きてしまいました。。。

それはそうとて [58997] k-ace さん,[59016]牛山牛太郎 さん。
こっそりとアナウンスもなく立ち上げた雪渓コレクションでありましたが,メッセージをいただき,ありがとうございます。
以下,これの選定過程について申し述べます。
まずは例によって「山と高原地図」をザッと眺め倒し,それから「大雪渓」「沢雪渓」「谷雪渓」などのキーワードでネット検索しました。そのほか「そういや蛤雪ってのがあったな」とか,ムリヤリ遠い記憶を引っ張り出して検索したものもあります。検索の結果については,自分の肌触りを信じ,採否を決定しました。なので「採」と「否」の間には厳密かつ明快な決まりはありませんから,「これはコレクション入りさせようよ」など,皆様のご意見をお待ちしております。
繰り返しますが,予想どおり選定は難しかったデス。例えばボツにした雪渓を北アルプスから抽出しますと,不帰沢雪渓,杓子沢雪渓(北アルプス北部),槍沢雪渓・間ノ沢雪渓・西穂沢雪渓・北穂沢雪渓・岳沢雪渓・雲ノ平雪渓(北アルプス南部)などなど。
このうち例えば槍沢雪渓をネット検索すると10件ほどヒットするのですが,どうもてんでんバラバラで,具体の箇所を決定できません。たぶんあそこなんだろうと見当はついているのですが。また岳沢雪渓は,上高地の河童橋から真っ正面によく見えるので「ちゃんと名前があるだろう!」と思いましたが,思いのほかヒットしませんでした。
また掲載はしたものの,面白くないのが大雪山の3号雪渓,4号雪渓。無味乾燥な番号だなんて。しかも1~2号がないなんて。山と高原地図には準拠しておりますが,近い将来,抹消するかもしれません(それともちろん,大雪渓酒造と立山雪渓はシャレですので,そのうち消します)。
てなわけで,何とか形になったと思うのですが,どんなものやら。
[58850] 2007年 6月 4日(月)23:14:36みやこ♂ さん
立候補
[58838] EMM さん
お急ぎのレスをくださったにもかかわらず,ちょっとのご無沙汰で失礼しました。くだんの書き込み[58722]は,ただの案提示と具体の例示の書き込みを区別したいという願いからのものだったわけですが,この間,[58756]じゃごたろ さんからの具体案提示をいただき,嬉しく思います。

てなわけで,ここのところ全然手つかずのコレクション(市町村一点交差,七差路)を抱えているのにもかかわらず,他にどなたからもお申し出がないようですので,「夜」コレ「雪渓」コレに立候補いたします。
よろしいでしょうか。
[58722] 2007年 5月 29日(火)01:15:06みやこ♂ さん
埼玉御礼 と 地名コレクションへのプチ提案
[58703] hmt さん
明治4年から「サイタマ」県でした
ご教示ありがとうございます。きっとどなたかがお示ししてくださるものと,こころ待ちにしておりました。(*^_^*)
明治4年11月14日に埼玉県が置かれた時の太政官布告 には、「サイタマ」と仮名が振ってあります。[36047]参照
過去記事紹介もありがとうございます。わざわざふりがなが振ってあることにまで言及されているとは,まるでわたくしの疑問に備えていたような書き込みで。。。なにゆえサキタマなのか,本当のところはわからずじまいですが,郷土の読みを残したのか何なのか,いずれにしましても何やら「こだわっていた人がいた」ということを感じさせるエピソードですね。

※現在検討が進められている新・落書き帳アーカイブズですが,これには,このような単独著者による「シリーズ都道府県雑学」的なものも“積極的に”欲しいと感じております。
なお,落書き帳アーカイブズは,本ページに絶対必要な企画だと考えます。このままにしておくなんてモッタイナイ。わたくし自身はちょっと芸風の偏りが強すぎるので編集者に名乗り出ることを躊躇しておりますが,今までどおり提案などで引き続き参加させて頂きたいと考えています。


それと,EMMさんへ。ちょっとした提案です。
例えば今まで,「神戸コレクション[54221]」たもっち さん /「神門コレクション[54229]」たもっち さん /「柏原コレクション[54243]」気まぐれ さん /「神代コレクション[54251]」桜トンネル さん などに代表されるプチコレクションが,落書き帳紙面を飾っております。
これらは,単なる新規コレクション案の提示にとどまらず,具体の箇所を示しておりますから,「準・地名コレクション」として扱えるものではないでしょうか。正式発足する前の暫定的な処置として,地名コレクションのトップページにリンクが欲しいな,と思うものであります。
そういや他に,わたくしめの「中秋の名月記念夜コレクション[54350]」なんかもありましたっけ。
いかがでしょうか?
[58697] 2007年 5月 27日(日)03:19:30【2】みやこ♂ さん
ますます充実「三山」コレクション など
う~む,それにしてもいつから埼玉をサイタマと読むようになったのでしょう。埼玉開拓が明治14年に拓かれたときは,まだサキタマだったのでしょうか。。。本家がサイタマになったあと,那須野が原にポツリと昔の読み方で遺されているとしたならば,とてもロマンチックなことですけれど。

[58695] むっくん さん
「鴈谷三山」「道谷山三山」のご紹介,ありがとうございます。それから「毛勝三山」の異称のご紹介もありがとうございます。早速反映させますので,少々お待ちくださいませ。
実はご参考にされたという「富山県山名録」,わたくし[30998]で記したように所有しております。しかしっ!!ご紹介いただいた三山には,まったく気づいておりませんでした。わたくし,こういうときの良いことばを存じております。曰く「宝の持ち腐れ」。


また,「(仮)雪渓」コレクションですが,[58604] EMM さん に触発されて,手持ちの「山と高原地図」を何部か広げてみました。すごいのがいましたよ,題して「大雪渓」。それと「雪渓」の文字こそ入らないものの,「大雪城」。
[58636] futsunoおじ さん
雪渓コレクションの編集担当は みやこ♂ さんしか適任者はいませんよねっ!
聞こえないフリ。。。(ん?どこかで見たことがあるフレーズだぞ。。。)
[58665] 2007年 5月 26日(土)00:57:09みやこ♂ さん
那須野が原の埼玉
[58657]むっくん さん [58659] geo さん
ご推察のとおり,那須塩原市の埼玉は,埼玉県の埼玉に由来します。ただし読み方は「さきたま」。
以下,みやこ♂[26836]より。
チナミに黒磯市の埼玉は「さきたま」と読みますが,埼玉県からの開拓団に由来する命名と聞いたことがあります。
実はコレは,かつて地元のおじちゃんに聞いた話だったのですが,ただいま手元の「角川日本地名大辞典9 栃木県」を引きますと,「さきたま 埼玉〈黒磯市〉」の欄には・・・・・・
明治14年埼玉県の有力者中村・・・(以下名前省略)ら9名が官有原野の貸下げを受けて開いた農場で,(中略)一般には埼玉開墾と呼ばれ,市制町村制施行の際大字名となった。株主が埼玉県人だったために埼玉開墾と呼ばれた。
とあります。う~ん,しかしこれでは何で「さいたま」でなく「さきたま」なのか,わたくしにはわからないぞ。それとも昔は「さきたま県」と発音していたのだろうか。

それから飛行場について。
同書によれば昭和13年に埼玉開墾の一部が陸軍に買収され,昭和16~17年頃,できあがったとのことです。
今の感覚では飛行場って幅広のベルト状のものを連想しますが,本来飛行機は横風に弱いものですし,対気速度を確保するために風に正対して飛び立つことが望ましいわけで,そんなわけでどの方角から風が吹いても大丈夫のように,四角く作られたのですね(それをもっと突き詰めた円形の飛行場が,旧ソビエトにあったはずです)。この飛行場,一般には「埼玉飛行場」と呼ばれていました。【なお現在大田原市になる旧金田村のこのへんには金丸(かねまる)飛行場というのもありました。地図の上の方に東野鉄道の廃線跡も見えてます。】
戦争が終わって不要になった埼玉飛行場は,開拓の訓練所になりました(金丸飛行場も開拓地に)。主に外地からの引き揚げ者による就農者はいったんここで訓練したのちに,那須野が原の各地へ散っていき,新たな生活を始めたのです。
[58651] 2007年 5月 25日(金)05:46:10みやこ♂ さん
re:3  (祝!落書き帳三山採用記念)
[58638] 牛山牛太郎 さん
毎度ありがとうございます。検索をかけますと,両方とも,かなりヒットしますね。採用させていただきます(ま,検索するまでもないことですが)。
これで東北制覇ですか?
ですね。
[58650] 2007年 5月 25日(金)05:34:40【1】みやこ♂ さん
不思議な細君・・・いや,道。。。
[58645] たもっち さん
[58647] 牛山牛太郎 さん
かつてその付近に勤務していたことのあるわたくしが反応させていただきます。
今,資料をあたることができないのであくまでも推測ですが,おそらくは,開拓地の「何かの」名残と思われます。今でこそ水田が開かれ住宅が点在するあの辺ですが,江戸期には雑木林や茅場の広がる土地でした。那須野が原は明治の元勲に代表される人々により開拓された土地なのです。なんと言っても那須塩原市役所の建っている場所が「共墾社」。
てなわけで,このページの地図を見ますと,ちょうど鍋島侯爵の開拓地のようにも見えますが。。。(ちなみにその南西には「佐野」があります)。。。

以下,付近への地図リンク
1 ちなみにこの道が,旧奥羽街道←この辺に一里塚があります(復元)
以下【 】内追記,牛山牛太郎 さんへ【「○里塚」コレクション中の,奥羽街道鍋掛一里塚(左)は,復元ものです。県道改修の際,切り通しを深くしたので,移設されたようです(それ以前に,右塚は失われておりました)。しかも切り通しの上の方に移したので,ずいぶん高いところにあります。で,復元されたものではありますが,立派に「市史跡」となっており,標柱も建っております。ちなみに寺子の一里塚は,もとあった場所から旧小学校跡地に移設されたものです。こっちも標柱つきです。】 
2 「鍋」がつくけど,鍋島さんのせいではなく,昔から鍋掛(宿)  
3 旧陸軍飛行場なのでこんな形←航空機が未発達の時代,真四角の飛行場も多かった。
 


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示