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[58899] 2007年 6月 8日(金)02:47:40宿題 さん
地番の前の甲・乙・丙
地番の前に「甲・乙・丙」と付く住所があるのですが、その由来を知りたいのです。
どなたかご存知の方、教えていただけませんでしょうか?
[58898] 2007年 6月 8日(金)01:34:41白桃 さん
サラリーマン業地理シリーズ(No.1)
「地理(学)」という言葉は幸か不幸か、あらゆる丹後にくっつけることが出きますヨネ。産業を例に採れば、農業地理(学)、工業地理(学)、商業地理(学)。それじゃぁ、サラリーマン業地理もあってもいいじゃないか、というのが私の言い分。
特に、今日は湯江(長崎県諌早市旧高来町旧湯江町)あって、自分の思いを書き込ませていただきます。
富山県架空郡福澤町大字諭吉(福光、福野、福岡はあっても・・・)には、こういう言葉が残っております。
「天ハ、ヒト(上司)ノタメニ仕事ヲ那須ヒトヲツクラズ」
また、かの有名なデカルスト地形はこうも言っております。
「我思う、ノム奈良、野村、飲んだら京葉線で坐るな!」
追補:(携帯での会話)
妻「今、どこ?乗り過ごさないでよね!」
夫「大丈B。いま、稲毛海岸だから。」
妻「あ、そう。じゃぁネ」
参考:京葉線下り→東京駅ー(6駅省略)ー新浦安駅ー(6駅省略)ー稲毛海岸駅

このシリーズは不評につき、1回限りといたします。
[58897] 2007年 6月 7日(木)22:27:42【1】Issie さん
「国」の化石
少し間が空いてしまいましたが…

[58847] mi(わ)
何がしかのものをリストアップしようとするときには,まず「基準」を明確に定義しておくことが必要だと思います。

…と言っておきながら,実はこの話題について私自身どこに「基準」を置くべきか迷いがあるのでした。

[58852] むっくん さん
たださすがに両国は武蔵で長野県木曽地方は信濃である時期を基準に選ぶべきと考え、廃藩置県の前後で分けました。

ここに「基準」を置くというのも1つの捉え方であって,これを“統一の基準”としてリストアップがされるならば,それはそれで構わないことだと思います。

ただ,以下はあくまで私個人の捉え方であって,「このようにすべきである」と主張するわけでは毛頭ないのですが…

その前に,まず確認しておきたいのは,
「国」という区画(←私,“某所”ばかりで特に目立って使用される「令制国」という呼称について,どうしても違和感があって受け入れたくないのです)について,
たとえば「旧国界」のような表現が用いられるけれども,この区画が“公式に廃止”されたことがあったわけでは決してなくて,単に“使われなくなった”だけである。ただし,いくつかの例外を除いて現実に使われている区画としての性格はとっくに失っていて,その意味では「化石」のような存在である,
…ということです。

話を戻して,
「廃藩置県」を1つの画期点として捉える立場も十分に根拠のあるものであることに異存はないのですが,私としてはもう少し後の時点にその「基準」を置きたいと考えています。

明治4(1871)年7月14日(旧暦)に断行された「廃藩置県」というものは,封建制に由来する「藩」という制度を廃止し,中央集権の確立に向かったという点で,わが国の地方制度において極めてラディカル(根本的)な変革ではありました。
けれどもこの変革は,従来からの 国・郡 という区画には全く手をつけず,これとは全く別の次元で行われたことでした。廃藩置県において,「国」や「郡」という区画の領域については,全く問題にされていません。
「府県」と「国郡」という全く次元の異なる地方区画が初めてリンクするのは,この年の10~11月に行われた「第1次府県統合」です。ここで初めて,「府県」の領域が「国郡」によって規定されました。ただしここでは,「国」と「郡」という区画が“ア・プリオリ”(初めら存在する)として扱われており,その領域を新たに定めたものではありません。

私が 国・郡 という区画にとって最も大きな画期点となったと考えているのは,[58847] でも示唆した1878(明治11)年の「郡区町村編制法」です。
この時に「郡」という区画が“公式”の行政区画として位置づけられました。ただし,それは

---------------------------------------------
地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス(第1条)
---------------------------------------------

とあるように,「府県の下位区分」として。
一方,従来の「国」という区画に公式の行政区分としての地位は与えられませんでした。

恐らく,ここで「国」と「郡」の地位の逆転が生じたと私は考えています。
律令制以来,「郡」という区画は「国」という区画を“分かって”設置されるものでした。平安中期以降,律令制が形骸化した後も,この 国 と 郡 の関係は“暗黙の了解事項”であったと思います。徳川将軍が“臣下”である諸大名や旗本にその領知(領地)をあてがう時にも,そのような存在である国・郡,さらに「村」という区画があることを前提に,それらを単位として領知あてがいが行われたことでしょう。

ところが,郡区町村編制法によって「郡」は公式に位置づけられたけれども,「国」はそうではなかった。それでも現実の生活の中で,為政者も含めて人々の間に「国」という区画は“実用に供される地方区画”として“活きて”いた。
しかし“公式の行政区画”ではない「国」の領域を規定するのは何かというと,それは“公式の行政区画”として規定された「郡」である。今や,それぞれの「国」に属するはずの「郡」によって,逆にその「国」の領域が規定されるようになった。
たとえば,「甲斐国」の領域は,山梨県 に属する 西山梨・東山梨・東八代・西八代・南巨摩・中巨摩・北巨摩・南都留・北都留 の各郡の領域によって構成される。
あるいは,「下総国」の領域は,千葉県 に属する 千葉・東葛飾・南相馬・印旛・下埴生・香取・海上・匝瑳 の各郡,および 茨城県 に属する 結城・豊田・岡田・猿島・西葛飾・北相馬 の各郡によって構成される。
もはや,「国」という区画は“それ自体”で存在するものではなく,それを構成する「郡」によってその領域が定まる存在である…

そのように考えると,現在の区画に直結する「郡」(すでに多くの郡が消滅し,残るほとんどの郡も「市」に蚕食されてその領域を大幅に縮小していますが)が確立した「郡制」施行,つまり,最後に 岡山県 で郡の再編が行われ,郡制が施行されて「郡」という区画が確定した1900年まで「基準」点を下げていいのかもしれません。郡という区画が確定して,ここでようやく「国」の領域も確定した。ちょうど時代は「国」という区画が“現実の地方区画”としての生命を失い始めた時期であり,徐々に使用されなくなっていく。つまり,この頃から「国」の“化石化”が進行した。

一般に,下総国と常陸国の境界は 鬼怒川~小貝川~利根川 ラインとなっています(その後の流路変更によって完全に一致するわけではないのですが)。
現在,千葉県の旧香取郡(現・香取市および成田市)と茨城県の旧稲敷郡(現稲敷市)の境界は,おおよそその通り,“現在の”利根川となっています。
けれども,1899年までは両県の境界は現在の利根川よりももう少し北側にありました。つまり,現在の稲敷市(…のうちの旧河内町・東町)の一部は,もとは 千葉県香取郡,つまり「下総国」に属する村々でした。1899年に現在の利根川が両県境とされて,利根川以北の村々が 茨城県稲敷郡 に編入されたものです。稲敷郡は「常陸国」の所属ですね。
だからと言って,「稲敷市」が 下総・常陸 両国にまたがる,とは考える必要はないように思います。
この場合,利根川以北の村々が 千葉県香取郡 から 茨城県稲敷郡 に編入されたときに,下総国 と 常陸国 の国界も移動した,と考えた方がよい…

と,考えるわけです。

つまり私としては,郡区町村編制法 か,あるいは 郡制施行 のあたりまで,「基準」点を下げたいな,と思っているのです。

ところで,
明治4年11月20日に 摂津国住吉郡 が「大阪府」に,11月22日に 和泉国大鳥郡 が「堺県」に属するものとされました。
この時,堺市街と大和川の間にある以下の村々

 中筋村,七道村,北庄村,西万屋新田村,遠里小野村

は,大阪府(摂津国住吉郡)と堺県(和泉国大鳥郡)のどちらに属していたのでしょうか。
なお,これらの村々は,1889年の町村制施行のための「明治の大合併」で 大鳥郡向井村 となりました。
[58896] 2007年 6月 7日(木)18:26:46hmt さん
ネット社会の慣行に詳しいわけではありませんが…(3) 著作物の「引用」と「改変」
[58853] むっくん さん
著作権法に認められる引用では改変が出来ないため

著作権法第32条は、公表された著作物の引用を、次の条件下で認めています。
公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

引用の場合も「同一性保持権」は適用されるでしょうが、著作権法第20条第2項4号では、
著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変
は認められています。だから「上付き」にすることができない当サイトにおいては、[58857] N-H さんの発言のように、
原著の意が正確に伝われば、数学的な表記を等価な別の表記に変える事は何ら問題ないと思うのですが。
ということになるのですが、それ以前に、“海水の浸透圧は約25気圧(25×10の5乗Pa)”というデータ自体が「創作的表現」であるべき「著作物」に該当せず、著作物の同一性保持の議論は、この場合には無用であると考えます。

例示された私の記事[58819]の場合、新潟大学のページを引用した意図は、単にデータの正確さの担保でした。
そして、コピペによって原文の上付き指定が失われて、10の5乗が“105”に変っていたことに気がつかなかった単純ミスを犯しただけです。
“105”のままよりも、“10の5乗”と改めた方が原著の意に沿ったものであることは言うまでもありません。

ネットの事例からは離れますが、「同一性保持権」については、最近、「おふくろさん」問題 がありました。
創作者の人格が反映する「思想又は感情の創作的表現」だからこそ、作詞者は本来の歌詞にない語りを「意に反する改変」として拒否したのですね。

この場合も、先ず「慣行」に基づいた話し合いによって解決を図るのが常道であったと思われますが、これが「こじれた」結果、著作権法が持ち出される始末になったものと推察します。

落書き帳の話題に戻ると、
著作物でない海水の浸透圧データには、このような感情が入り込む余地はないし、URLに至っては改変したら存在意義を失います。

その点、[58819]で記した
わかりやすく言えば、海水を淡水化するということは、高さ 250mの滝を逆流させるだけのエネルギーが理論的に必要
というような「たとえ話」。
これは、「250mの滝の逆流」という具体的な姿を持ち込むことにより、単なる数値データでなく、「海水の浸透圧ってこんなに大きいんだ」という感情を込めて、「だから海水淡水化は大変なんだ」という技術思想を創作的に表現した「著作物」になります。

海水の大きな浸透圧をこのように表現することは、もしかしたら既に他人が使った事例があるのかもしれません。
しかし、仮にそのような先行著作物があったとしても、模倣でなく偶然に同じような表現になった落書き帳の記事は、別の創作として著作権を発生させます。
この点、技術的思想(こちらは「表現」でなく、思想自体)の新規性が審査される特許制度との大きな違いがあります。
[58895] 2007年 6月 7日(木)18:18:15hmt さん
ネット社会の慣行に詳しいわけではありませんが…(2) 出版のプロでも不手際、リンク
[43061] オーナー グリグリさん 今尾恵介氏の「生まれる地名、消える地名」
残念ながら事前にサイトを利用されることについてご連絡がなかったために、ストレートには喜べませんでした。

この場合は、出版物の内容を書くにあたって利用されたことが明らかにされています。営利目的での無断利用を禁じた トップページ注意事項の違反でしょう。
さりとて、利用の態様として著作権侵害になるような「創作的表現の複製」まではなかったものと思われます。

今尾さんご本人も、ネット利用に関してよく分かっていなかったというご説明をされていましたが、
とあるように、ネット社会を律すべき「慣行」は、まだ周知には至っておらず、出版文化の面では「プロ」のはずの担当者をしても「不手際」を生じさせてしまったものと思われます。
結果的には、グリグリさんの問い合わせを受けた「事後の謝罪」で解決したとか。

リンクについて
インターネット上の URL記載は、リンクとして機能します。この点は出版物と違う便利な点です。
私が落書き帳に参入した2003年に、インターネットの世界で使われているリンクの慣行をよく知らず、教えを乞うたことがあります。
関係記事 をまとめておきますが、その中でも、次のフレーズが特に参考になりました。
私が[58894]で記した“ URLは著作物でない”ことも、これらのご意見と通じるものがあります。

[3768]オーナー グリグリさん
公開されているURLを引用すること自体は、出版物である書名を引用することと本質的に変わりないというのが私の持論です。

[15997]ゆう さん
リンクすることは「参照」であり、「転載」には当たらないと思います。
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/compass-047.html【琵琶湖博物館の戸田さん】に詳しいですので、ご覧になることをお勧めします。
[58894] 2007年 6月 7日(木)18:10:46【1】hmt さん
ネット社会の慣行に詳しいわけではありませんが…(1) 前書きとURL記載問題
大阪書籍の教科書指導書に「都道府県市区町村」のURLが記載されているという情報[57274]を発端として、著作権という切り口からの反応もありました。
ネット社会の慣行に詳しいわけではありませんが、私の理解するところを記してみます。

慣行と法律、著作権法の「複製」
人々が社会生活を営むためにはルールが必要で、互いに認めた慣行が発生します。
そして、慣行だけでは生じてしまう矛盾や対立の解決や、国の政策を盛り込むために法令が定められます。
例えば、文化の発展のためには、既存の著作物を参照・利用することが必要になりますが、その際に、引用や複製などの手段が用いられることがあります。この場合、文化の発展に寄与した創作者(著作権者)の利益と、市民社会全体の利益とのバランスを図る政策として、著作権制度が定められています。

インターネットの社会は、その歴史が浅いだけに、「慣行」によって処理されている部分が大きいように思われます。もちろん、争いが生じれば、既存の法律、例えば著作権法を「使えるところには使う」ことになります。

著作権の英語「Copyright」という言葉の意味通り、著作権者(創作者)の利益を確保する代表的な仕組みは、「複製権」です。
明治初期の代表的な著作者であった福沢諭吉は、「西洋事情」の中で「Copyright」を「版権」という言葉で紹介し、その必要性を訴えました。

著作権法でいう「複製」とは、
印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製すること(第2条1項15号)
です。「有形的再製」となっています。メモリーに電子的・磁気的など無形的に(人間の五感に直接働きかけないデジタルコードで)コピーされただけではまだ複製は完成せず、画面上のソフトコピーや紙面上のハードコピーが形成されたり、音楽が再生されたりした時点で複製が行なわれたものとするようにも読めます。

「都道府県市区町村」のURL記載問題
URL自体は、参照すべき著作物がウエブ上に存在する場所を示す記号であり、“思想又は感情を創作的に表現したもの”(著作権法第2条1号)ではありませんから、著作権の対象である「著作物」ではありません。
教科書指導書に記載されたURLやサイト名は、他に列挙されていると思われる参考書籍のタイトルと同列の扱いと推定します。

著作物でない以上、 URLを記載したからといって「著作物の複製」にならないことは明らかです。

では、教科書指導書にURLを記載するような場合につき、社会の慣行はどのようになっているのでしょうか?
[58837] むっくん さん によると、
不法行為でないこと等の確認のために本や雑誌の発行者側でHPの作者側に連絡をとるのが一般的であるようですが
とあります。
連絡をとる慣行はあるが、それは、出版社側の自衛手段であるということでしょうか。でも、 URLを記載しただけで、本当に不法行為になるおそれがあるのかな?

読者として想定している教師に、このHPの存在を知らせることが、
営利目的で、本ホームページが提供している情報を許可なく、無断で直接的あるいは間接的に利用することを禁じます。(トップページの注意事項)
というオーナーの意向に反した行為であるとして、出版社を責めることができるでしょうか?

指導書の出版には営利目的もありますが、HPの提供情報を教師が利用することは営利目的でなく、営利出版物による間接的利用を禁じた注意書き違反とまでは言えないのではないかと思います。

URLの記載だけでなく、もし出版物中にHPが提供した「創作的表現の複製」があれば、もちろん著作権侵害になりますが、そのような事実は示されていません。
[58892] 2007年 6月 7日(木)17:59:42おがちゃん[日本人] さん
飛行機
[58876]役チャンさん [58887]NHさん
日本一飛行距離の短い路線
ウィキペディアによると日本一短い航空路は北大東空港から南大東空港までで、飛行時間3分だそうです。そして定期航空路線で世界一短いともいわれています。
ところで日本一短い滑走路はどこの何mですか。教えてくれたらありがたいと思います。
[58891] 2007年 6月 7日(木)17:53:34役チャン さん
最短航空路は南北大東島
[58887] N-H さん
奄美空港~喜界島空港間はだいたい20kmちょっとくらいかと思いますが、残念ながら上には上があるのでした。それは、南大東空港~北大東空港間の路線です。正味10kmちょっとくらいではないでしょうか。
おっしゃる通りでした。昨年行ってきたのに船だったのですっかり忘れていました。この二つの島の滑走路はほぼ一直線上にあるので風向きによっては正味飛行時間は1~2分ということもあるかも知れませんね。

ご参考までに、私が船で行ったときの航路です。
那覇(泊港)17:00 →翌日7:40 北大東島 8:40 → 9:30 南大東島(西港) 14:00 →15:00北大東島(西港) 泊
北大東島(江崎港) 翌日14:20 →15:10 南大東島(亀池港)16:20 →翌日7:20那覇(泊港)
南大東島で下船し約4時間島内散策をした後北大東島に渡り民宿に泊まり翌日の便で戻りました。

飛行機は(曜日によって順序が変わりますが)南北両方の島にそれぞれ25分間だけ駐機し那覇に戻りますから、両方の島を見物をするには両島に泊まらなければならず最低でも2泊3日は必要です。
船の場合は合計4日必要ですが初日と最終日は沖縄本島で有効に使え、片道料金4620円は飛行機の通常料金の四分の一以下、これには2泊分の宿泊料も含まれているので日程面でも費用面でも船の方が断然有利です。

島での乗下船はコンタナ大のケージ(鳥かご)に入り、クレーンで吊り上げられて移動するものですが、ゆっくりと丁寧に行うのでスリルは感じられず、エレベーターに乗っているようなもので、船に乗降する方式の中では客にとって最も安全で楽な方法と言えるかも知れません。
   
ところが北大東島(江崎港)からの乗船だけは「はしけ」でした。埠頭の上に置かれたボートに乗せられライフ・ジャケットを着けさせられます。ボートはクレーンで吊るされ海面に下ろされ、それから本船に向います。船横の一箇所扉の開かれた部分に横付けされると、波で激しく上下するなか、ボートが最も上昇したタイミングでひとりづつ本船に飛び移ります。他人のを見ているとむずかしそうですが、中から船員が手を差し伸べてくれるので思ったよりは怖くはなかったです。しかし船だとこういう目に逢うこともあります。

それに船は699tの貨客船なのでかなり揺れます。
飛行機か船か、さあ、どちらを選びますか?
[58890] 2007年 6月 7日(木)17:12:45おがちゃん[日本人] さん
ゴミ
ゴミを、ゴミステーションで出すじゃないですか。何曜日に出しますか。
私の場合火曜日と金曜日に出します。
[58889] 2007年 6月 7日(木)14:19:42ズッキー さん
神戸阪急について!
忘れた頃に書きこむズッキーです。

[58863]小松原ラガーさん
ぺとぺと さんのデータを見た時に私も「なんで神戸阪急だけこんなに平米辺りの売上げが少ないのかな?」と考え込んでしまいました。
小松原ラガーさんのお考えの通り、ハーバーランド自体の客足が少ないので、売上が少ないようですが、更に、阪急自体の自助努力により、売上が少なくなっているんです。

神戸阪急は、大改装で、テナントを大幅導入。阪急オアシスや100円ショップ、アカチャンホンポ、カーテンDo!、ポルトバンビーニ(体験型遊戯施設)などにより、直営売り場は大幅減。賃料収入は大幅増で、経営を保っているそうです。
つまり、阪急百貨店神戸支店は売り場面積33276㎡だけれど、全部を直営売り場に使っているのではなく、貸したりしているため、阪急百貨店神戸支店としての売上は少ないけれど、収入で見ると何とかなっている状態
近鉄桃山店、京急百貨店、港北東急、金沢名鉄丸越などが、売り場面積内に大幅なテナント導入しています。
[58888] 2007年 6月 7日(木)12:29:59inakanomozart さん
また興津
[58885] 2007 年 6 月 7 日 (木) 06:57:03  千本桜さん
でも、市町村名及び字・町丁名至上主義の人には「興津」という地名は存在しないのです。あるのは「興津東町」、「興津井上町」、「興津清見寺町」、「興津中町」、「興津本町」であって、決して「興津」ではありません。私たちが普段呼び交わす「興津」は、ぼんやりして的を得ない通称地名に過ぎないと扱われているのでしょう。哀しいですね。だから「↑静岡 興津」と表示することはできない。ならば「↑静岡 興津中町」と表示できるかとなると、これまたしっくりこない。その結果の産物が「↑静岡 興津駅」ということになるのではないですか
単に「興津」という町名は、行政町名としては存在しないということは承知しておりました。
そのあたりを考えると、たしかにお説のとおりかもしれませんね。
ただ、現在の興津を冠する5つの町名が、住居表示される際の一般的・安易な手段である「興津一丁目」~「興津五丁目」であったならどうだったのかとも考えてしまいました。
その場合、本来は「興津○丁目」であって、決して「興津+○丁目」ではないのにもかかわらず、しばしば行政当局自身によって「興津」などと省略して使われるからです。
(実際には興津地区には住居表示は実施されていません。)
それにしても、興津という駅があってよかったということでしょうか?
まあ、謎解きは私の能力を超えているようです。
[58887] 2007年 6月 7日(木)10:53:41N-H さん
最短航空路線
[58876] 役チャン さん
おそらく日本一飛行距離の短い路線ではないでしょうか。
奄美空港~喜界島空港間はだいたい20kmちょっとくらいかと思いますが、残念ながら上には上があるのでした。
それは、南大東空港~北大東空港間の路線です。正味10kmちょっとくらいではないでしょうか。
航空路線的には、那覇⇒南大東⇒北大東⇒那覇などというような順に飛行していますので、実際には両島間のみ利用する人がどれくらいいるのかはわかりません。
[58886] 2007年 6月 7日(木)07:33:48白桃 さん
ぶどう餅
[58885]千本桜さん
でもこれって、どなたかに「ぶどう餅」を要求しているようなものですね。
日本一、日持ちのしないお菓子だと思いますが、それでもよければ喜んで(笑)。

(注)巴堂さんのために申し添えておきますが、「日本一、日持ちのしない」は白桃の単なる思い込みで、事実ではありません。
[58885] 2007年 6月 7日(木)06:57:03千本桜 さん
興津という場所がないからでは?
[58862]inakanomozartさん
このような歴史を背負った興津地区は、同じ清水区のなかの「江尻」などよりも地域の独自性が強く残り、「興津」は単に清水区の一町名という以上の存在感のある地名です。
興津は清水市に合併してから町場ができたのではなく、既に独自の町場があった上で清水市と合併したものですから、永く地域的独立感を保ち続けられたような気がします。勿論、清水市中心街とは地形的に分断感があるのも大きな要因になっていたとは思いますが・・・。

私は、道路の案内標識などへの地名の採用基準には全く不案内なのですが、「興津」の採用はその位置と地名の存在感からして、地元民としは違和感のないものではないかと思われます。
確かに、半径15キロ程度の狭域では「興津」が違和感なく通用すると思います。しかし、[58862]で じゃごたろさんが言われているように、 山梨県身延町や南部町あたりで「↑興津駅」の案内板を見たら違和感を覚えるはずです。40~50キロも離れた場所に「↑興津駅」と掲げるには、興津のネームバリューでは力不足だと思います。さりとて、興津に代わる地名が他にあるかとなると、あの区間はこれといった地名がないんですよね。ですから、もしも私がお上の御達しなどクソ喰らえの自由人で案内板の管理者だったなら、財政難の折ですし、「↑静岡 興津駅」に書き換えたりせず「↑静岡 清水」と書かれた古い案内板をそのまま設置しておきます。その方が、国のため、ドライバーのためになるような気がします。

「興津」でなく「興津駅」としたのは、興津が自治体名ではないからなのでしょうか?
これが最大の謎ですよね。でも、一緒に謎解きしてみませんか。当たるも八卦、当たらぬも八卦です。案内板管理者は「↑静岡 清水」を修正するにあたり、なぜ「↑静岡 興津」ではなく「↑静岡 興津駅」としたのか。私には一つだけ思い当たるふしがあります。たぶん、案内板管理者は、ぼんやりした概念的区域名がお嫌いなのです。できるなら明確なくくりを持った地名、つまり市町村名及び字・町丁名を用いたいと考えているのだと思います。だから「興津」はだめなのです。inakanomozartさんの頭の中にも私の頭の中にも、「興津」という地名とその地域範囲の概念がありますよね。でも、市町村名及び字・町丁名至上主義の人には「興津」という地名は存在しないのです。あるのは「興津東町」、「興津井上町」、「興津清見寺町」、「興津中町」、「興津本町」であって、決して「興津」ではありません。私たちが普段呼び交わす「興津」は、ぼんやりして的を得ない通称地名に過ぎないと扱われているのでしょう。哀しいですね。だから「↑静岡 興津」と表示することはできない。ならば「↑静岡 興津中町」と表示できるかとなると、これまたしっくりこない。その結果の産物が「↑静岡 興津駅」ということになるのではないですか。

[58879]般若堂そんぴんさん
東かがわ市の写真にある「ぶどう餅」に反応してしまいました.これって,「地理好き」失格でしょうか……
いえいえ、地方色溢れる名物談義も地理のうちです。でもこれって、どなたかに「ぶどう餅」を要求しているようなものですね。私なども、三本松名物の巴堂ぶどう餅が送られてきたらどうしょう、お返しは「萩の月」でいいだろうかなどと考えてますが、般若堂そんぴんさんは「ぶどう餅」のお返しを何になさいますか。米沢名物って。
[58884] 2007年 6月 7日(木)06:12:32おがちゃん[日本人] さん
消えた清水
おはようございます。[58862]じゃごたろさん
仮にも二桁国道の起点である「(旧)清水市」の清水が標識から消えるとは。。。
ほんとに悲しいですね。(どこがだよ)清水市も残したいですよね。
[58883] 2007年 6月 7日(木)01:17:06みかちゅう さん
オムニバスタウン
[58867]敷守ほむらさん
新潟市がオムニバスタウンに指定
地方都市でマイカーに押されっぱなしの路線バスの復権を目指して、官民が協力して取り組んでいこうというものですね。渋滞・環境悪化の悪循環から抜け出すためにも、自家用車から公共交通へ転換させる必要があることは事実です。そんなわけで少しでも公共交通の実態改善→乗客数アップのためにいろいろな施策がとられることになります。

具体的施策として
・バスが接近すると青信号の時間を長くする「公共車両優先システム」の導入
・停留所に屋根を設置
というような行政の協力が不可欠なものから
・バスカードの導入
・バスロケーションシステム(バスの現在位置を携帯電話などで調べられる)
・ノンステップバスの積極的導入
といった事業者のみでは費用の面からためらいがちなもの、
・路線の再編、新設
のような事業者単独でもできるものまで多岐にわたります。あとは地域の総合的路線図の作成が行われることも。

果たして投資に見合った効果は出ているのかは分かりませんが、利便性の低下に歯止めを掛けて巻き返しを図ろうというきっかけになったという点では評価すべきでしょう。

実は鎌倉市が対象となっていることを知りませんでした。ここ数年でなんか変わったことはあったかなぁ、というのが実感です。行楽シーズンに限らず休日のダイヤは乱れまくりだし(ひどいときには通常の倍以上の時間がかかる)、かといって片側一車線道路の拡幅・車線数増はどうあがいても無理。鎌倉市で片側2車線以上あるのは鎌倉の駅前から由比ヶ浜の間ぐらいです。せめて駅前から八幡宮まででもどうにかすればいいのですが、段葛を撤去するなんてことはまずありえない話です。
いちおう江ノ電がパーク&ライドを行っていますが、観光客のほうに大きなメリットがあるほどとは思えないのが現実です。いちばん早いのは正月三が日の交通規制をやればいいのでしょうけど。意外と住民にも受け入れられるかもしれません。
時刻表にしても京急バスは自社のサイトで掲載していますが、江ノ電バスはバス協会のサイトを使うようにとしているのが実態です(しかも協会の検索では京急バスの時刻表は出てこない)。鎌倉は観光ガイドブックなどの情報が充実していること事実ですが、もう少し事業者からのPRがなされてもいいのではないかと思います。黙っていても客は来るからあえてPRする必要もない、と考えているのかもしれません。
[58882] 2007年 6月 6日(水)23:11:49今川焼 さん
ぶどう饅頭
[58879]般若堂そんぴんさんの
本来は「武道餅」だったそうですね.う~ん,「ぶどうパン」とは違うのか……
を見て「よもや…」と思ったのが、徳島県美馬市穴吹町の「ぶどう饅頭」
20~30年くらい前に時刻表の徳島本線欄外の駅弁コーナーになぜかこれが載っていて、妙に気になっていたものです。穴吹駅あたりからも商品名の看板が見えたはずですが、もちろん食べたことはなく、ブドウ入りの饅頭だろうと思っていましたが、よもやこちらも「武道饅頭」だったとは…。恐るべし阿讃の和菓子屋さん。
しょうもない話題失礼しました。m(_ _)m
[58881] 2007年 6月 6日(水)22:31:22たもっち さん
調査結果
[58860]88さん
たもっちさんへのお礼は、ロータリー情報の提供をもって相殺とさせていただきます(笑)。
相殺だなんてとんでもない。だいぶこっちの黒字になってます。プラマイゼロにするには、もっと大量に指摘しなくては(笑)。

本家本元の告示を確認することはできますでしょうか?
来週、昼から夕方にかけて仕事で大阪に行く用事があるので、直退の許しを得て図書館に調べに行ってみようか、なんて思っていたのですが、予めちょっと調べているうちに、なんと、大阪府公文書館 所蔵資料検索システムなるもので、過去の公報を見ることが出来ることを発見しました。「請求記号」のところを「D0【大阪府公報】(PDF)」にすることで検索ができます。明治21年1月のものから閲覧可能とのことです。

早速、食い違いの見られるものについて、告示を探してみました。(引用文は字体、仮名遣い等、適宜置き換えています。これくらいは許されるのかな?それとも・・・?)

大津町町制(?)年月日
こちらについては、未だ町制の告示そのものは見つけられていません。
大阪府公報 昭和6年7月27日 号外
大阪府告示第608号
町村制第3條に依り昭和6年8月20日より大阪府泉北郡大津町、穴師村及上條村を廃し其の区域を以て大津町を置く
これによると、1931の合併の前に既に大津町になっているように読めます。町制年月日が1915.4.1である直接の証拠はありませんが、以下に状況証拠を挙げておきます。
大阪府公報 大正3年11月28日 号外の2ページ目に「大津村」の文字有り。
大阪府公報 大正4年6月24日 第286号の8ページ目に「大津町」の文字有り。
ついでに、泉大津市の公式ウェブサイトからの引用です。
市の生い立ち
その後大津村は大正4年4月1日に町制を施行して大津町と改称し、

その他は、告示の引用を列挙しておきます。

藤井寺町制年月日
大阪府公報 昭和3年10月15日 第180号
大阪府告示第538号
南河内郡藤井寺村は昭和3年10月15日より藤井寺町とす

木島村貝塚町編入年月日
大阪府公報 昭和10年4月12日 号外
大阪府告示第280号
泉南郡貝塚町境界変更及之に伴う財産処分の件左の通定め昭和10年4月15日より之を施行す
(略)
一、泉南郡木島村を廃し其の区域を同郡貝塚町の区域に編入す
(略)

三郷町制年月日
大阪府公報 昭和11年11月20日 第1264号
大阪府告示第1114号
北河内郡三郷村は昭和11年12月1日より三郷町と為せり

春木町新設年月日
大阪府公報 昭和12年2月9日 号外
大阪府告示第164号の2
泉南郡春木町及八木村を廃し其の区域を以て春木町設置並に之に伴う財産及負債処分の件左の通定め昭和12年2月11日より之を施行す
(略)
一、泉南郡春木町及及八木村を廃し其の区域を以て春木町を設置す
(略)

枚岡町制年月日
大阪府公報 昭和14年7月12日 第1665号
大阪府告示第844号
中河内郡枚岡村は昭和14年7月15日より枚岡町と為せり

柏原町新設年月日
大阪府公報 昭和14年6月21日 第1656号
大阪府告示第758号
南河内郡柏原町及中河内郡堅下村同郡堅上村を廃し其の区域を以て中河内郡柏原町を設置並に之に伴う財産及負債処分の件左記の通定め昭和14年7月1日より之を施行す
(略)
一南河内郡柏原町及中河内郡堅下村同郡堅上村を廃し其の区域を以て中河内郡柏原町を設置す
(略)

ひとつ困ったのは、枚岡町の町制年月日です。以前に書いた2つの日付(1909.6.1と1909.7.1)のどちらでもなく、1909.7.15という日付が出てきました。88さんが提示された中で「辞典」「消えた辞典」の「(15)」がかろうじて示しているようですが。

一度、88さん自身でも検証していただければと思います。

#特に大津町制年月日を見つけていただければ、とてもありがたいのですが・・・、でも、結構大変です・・(汗)
[58880] 2007年 6月 6日(水)22:30:00inakanomozart さん
灯台の名
[58871] 2007 年 6 月 6 日 (水) 07:50:37 EMMさん
国土地理院が作製する地図で「○○崎」となっている「海に突き出した地形」は、海上保安庁海洋情報部が作成する海図ではすべて「○○埼」と書かれています。
そのためか、地名では「○○崎」でも、灯台名は「○○埼灯台」というのが一般的のようですね。
静岡県の「御前崎」も、灯台名は「御前埼灯台」となっているようです。
地元のバスは、律儀にも行き先を「御前埼灯台」と正しく(?)表示しているのですが、利用者のなかには「字がまちがっているのでは?」と言う方もいるようです。
[58879] 2007年 6月 6日(水)22:16:33般若堂そんぴん さん
ぶどう餅
[58854] 千本桜さん,東かがわ市の写真にある「ぶどう餅」に反応してしまいました.これって,「地理好き」失格でしょうか……

本来は「武道餅」だったそうですね.う~ん,「ぶどうパン」とは違うのか……
[58878] 2007年 6月 6日(水)21:23:00inakanomozart さん
Re:興津駅
[58877] 淡水魚さん
県の消防学校の最寄駅が興津駅だったと記憶しておりますので、今は県下の消防士さんがご愛用していることでしょう。
なるほどそうかもしれないですね。
私は、静岡県の消防学校と言うと、現在は単位制の県立静岡中央高等学校になっているところ(葵区城北二丁目)にあったころの印象がどうも抜けません。(古すぎますね!)
それと、興津駅というと島田~静岡~興津のいわゆる“するがシャトル区間”の東端ということしか思い浮かびませんでした。
[58877] 2007年 6月 6日(水)20:15:40淡水魚 さん
興津駅
[58875] inakanomozart さん
晩年の西園寺は、1年の大半をこの興津の坐漁荘で過ごしたため、政財界の要人がしばしばこの地を訪れ「興津詣」という言葉もできたほどで、興津駅には急行も停められたそうです。

県の消防学校の最寄駅が興津駅だったと記憶しておりますので、今は県下の消防士さんがご愛用していることでしょう。
[58876] 2007年 6月 6日(水)19:23:27役チャン さん
最短航空路線? 奄美・喜界島
先日トカラ列島をめぐる船で奄美大島に行き、さらに喜界島に渡りました。ここへも船で行きたかったのですが鹿児島と奄美を結ぶフェリーが早朝夜間に寄航するほかは昼間の渡船というようなものがなく、効率よく動くために飛行機を利用しました。おそらく日本一飛行距離の短い路線ではないでしょうか。

喜界島は奄美大島の北東にある隆起珊瑚礁の上にある平坦な島で、周囲およそ50Km、面積60K㎡、東京23区で最も広い大田区と同じくらいです。奄美空港付近からが最も近いようで、海を隔てた約25キロ先には喜界島空港があり相互に肉眼で見ることができました。ふたつの空港の滑走路もほぼ並行しています。36人乗りのサーブ340Bというプロペラ機は7人の乗客を乗せ奄美の滑走路をほんの助走程度という感じで走るとすぐに浮上、2分後に「ただ今から着陸態勢に入ります」とアナウンスがあり3分後に着地、並行する滑走路間をU字型に飛んだだけで正味5分の飛行でした。

喜界島の空港ターミナルは木造平屋で、鉄道駅舎というよりは駅横にある日通の事務所のようでした。駅前広場のようなところから海岸に並行する線路ならぬ滑走路に並行するメイン・ストリートには椰の並木が続き、意外なことに喫茶店やレストランが何軒も並んでおりいずれも営業中でした。その道を1キロくらい進むと鹿児島銀行の支店や信金、生協などのある町の中心部に出て、そこから右折し坂を登った先の高台に町役場がありました。

昨年(2006年)2月に移転し業務を開始したという真新しい建物で、2階建てながらかなり大きなもので、300席のホールなどをもつコミュニティーセンターも併設されています。また建物横は広い公園になっていて、太平洋や奄美大島が一望できました。大きな建物ですが、変に意匠に凝るようなところがなく、デザインもシンプルで機能本位という印象を受けたのは、バブルがはじけた後のものだったからでしょうか。

抜けるような青空のせいもありましたが、この島が明るく活気のあるような印象を受けました。人口8600人というのは決して多いとは言えませんが、簡単に隣町などに行けないことから経済活動や文化活動はすべてを島内で完結させなければならず、そうだとすればこのくらいの人口規模でもある程度の賑わいというものが持続できるのでしょうか。ヨーロッパなどで人口が1万人にも満たない町でも中心市街地が意外に賑わっているのを見て不思議に思ったことがありますが、そういうことなのかも知れません。丁度一年前に行った八丈島と同じくらいの人口で、そういえば中心部の町並みも同じような規模だったことを思い出しました。大島運輸(株)と書かれたマイクロバスが自由乗降バスと書かれた看板を掲げて走っていました。

途中の店で昼食を食べ空港に戻りました。先ほど乗って来たプロペラ機は鹿児島に向かい、2時間後に別の機が鹿児島から飛んで来て奄美に向かうのでそれに乗りました。帰りはU字ではなく、風の影響かZ字状に飛んだので飛行時間は8分でした。

喜界島滞在はわずか2時間でしたが、空港から歩いて行ける役場というのも高知空港近くの吉川村以来で、そこよりも近かったと思います。しかし離島の役場だともっと近いところが他にもあるかも知れません。
[58875] 2007年 6月 6日(水)19:00:00inakanomozart さん
おきつもうで
[58862] 2007年 6月 5日(火) 19:24:54【1】  じゃごたろさん
国道52号は興津駅付近で国道1号と交差しますから、清水区役所よりも当を得ているといえばそうなのですが、仮にも二桁国道の起点である「(旧)清水市」の「清水」が標識から消えるとは。。。
旧清水市の存在が大きかったので、そのように感じられる方も多いとは思われます。
たしかに、興津駅は東海道線の小さな駅に過ぎず、また旧興津町も清水市と合併後は、単に清水市(現在は静岡市清水区)の興津地区といった印象しか受けないかもしれません。

しかし、この地は昔から清見潟を臨む風光明媚な地であるうえ、冬暖かい避寒地として知られたところです。
(清見潟の風景は、海岸が埋められてしまい現在は失われてしまいましたが・・・)
そのため、西園寺公望の坐漁荘や井上馨の長者荘など明治から昭和にかけての有力者の別荘がありました。
晩年の西園寺は、1年の大半をこの興津の坐漁荘で過ごしたため、政財界の要人がしばしばこの地を訪れ「興津詣」という言葉もできたほどで、興津駅には急行も停められたそうです。

このような歴史を背負った興津地区は、同じ清水区のなかの「江尻」などよりも地域の独自性が強く残り、「興津」は単に清水区の一町名という以上の存在感のある地名です。
私は、道路の案内標識などへの地名の採用基準には全く不案内なのですが、「興津」の採用はその位置と地名の存在感からして、地元民としは違和感のないものではないかと思われます。
(「興津」でなく「興津駅」としたのは、興津が自治体名ではないからなのでしょうか?)
もちろん、「清水」を優先すべきだという考え方も理解はできます。

以下余談です。
西園寺公望の坐漁荘は明治村へ移されて保存されていますが、それとは別に2004年に現地(清水区興津清見寺町)に新たに屋敷が復元され見学することができます。
また、井上馨の長者荘の方は空襲で焼失してしまいましたが、清水区役所前の大きなソテツは、戦後、曾孫に当る方が屋敷にあったものを清水市へ寄付したものだそうです。

http://www.kikuchi-kensetsu.co.jp/conver/topics/index2.html
[58874] 2007年 6月 6日(水)15:01:34右左府 さん
亀レス
[58724] hiroroじゃけぇ さん
なるほど、御教示下さり有難うございます。
身近な例といえば、受験や引越しの際に頻繁に利用した秋田新幹線こまちと寝台特急あけぼのがいい例かなと思い、早速計算しようとしたところ……両方とも「フリーきっぷ」を使って同額で利用したんだっけ。「何であけぼのがこまちと同額なんだよ!」なんて不満は全く抱かなかったあたり、私の時間価値は“V=0”なのかもしれませんね(^^;)


[58752] にまん さん
小学校の児童数が1.5倍弱になるとは……かなり大きい変化ですね。人が増える、人が多いというのはやはりその地域にとって大きい事――と、川崎市に引越し都内に通学するようになった能代っ子も最近感じています(笑)。
職員に関して、外からやって来る人も重要ですが、同時に地元住民の就職もありますね。美祢社会復帰促進センター雇用情報を見ると、(業種にもよりますが)地元の雇用機会の創出にもある程度一役買っていそうです。
[58873] 2007年 6月 6日(水)14:39:29きまぐれ さん
「萩」と「荻」
「隅」と「隈」の取り違えがあるに関連して、もしかしてと気付いて調べました。
やはり、「荻」を「萩」と間違えているケースがありますね。
[58872] 2007年 6月 6日(水)14:24:31スピカ さん
鎌倉郡4題
先日、自転車で鎌倉へ行ってきました。観光目的ではなく局巡りですが…。いくつか気になる事があったので書きます。

戸塚区吉田町の国道1号線(戸塚の大踏切を通るルート)に「江戸見附」なる交差点がありました(ダイエーのあたりです)。吉田町は戸塚宿の内の町で、宿場の日本橋側の入り口になっています。見附とは外敵を発見するために城などにあったものだそうで、東京の赤坂見附が有名ですが、東海道の一宿である戸塚にもあったのでしょうか?また、その目的は何だったのでしょうか。そして名前です。「吉田見附」なんかで良さそうな気がするのですが…。江戸方の、という事…? 戸塚宿は旅程一泊目の宿だといいます。日本橋から40キロ以上…昔の旅人の脚力はすごいですね。

戸塚駅前から大船駅前までは長かったです。東海道線の営業キロでみても5.6キロもある上にバスが頻発している細い30キロ(制限)道路。戸塚と栄の区境あたりに1駅作ってはと思いました。片側に柏尾川が流れていて難しいのかもしれませんが。

鎌倉内は観光客のマナーの悪さが目につきました。丁度遠足シーズンで学生が多く、遮断機が下りている踏切を渡り、車道にまではみ出して歩く、地元の方に道を尋ねる時もぞんざいな口を利き、礼も言わずに立ち去る…などなど見ていられない様な行為が多くありました。鎌倉に限らず、観光地にお住まいの方は嫌な気持ちにさせられる事があると思いますが、どう接っさられているのですか?

金沢区の朝比奈の辺りは鎌倉町の一部(大字峠)を編入したんですね。と、言う事は国跨ぎです。地図を見ると今の鎌倉市・横浜市金沢区の境は分水嶺になっているので、朝比奈の辺りは元々は不自然な国境・郡境だったんですね。

ちなみにこの日の成果は郵便局22局、市役所2、走行距離73,7キロでした。
[58871] 2007年 6月 6日(水)07:50:37【1】EMM さん
「崎・埼・碕」コレ担当者より
[58851] みかちゅうさん
崎・埼・碕の混同もけっこうありますね。地名の正確さという観点からは書き分ける必要があるでしょうが、どの字も「さき」と読むには違いないわけで…。でも「おおすみ」の場合とは違い、どの字でも「さき」と読めるという意味では大して問題がないといえるでしょうか。観光地図などではあまり意識されていないようなことも多いですし。あ、でも「埼玉」と「宮崎」はきちんと書き分けてくださいね。
[58862] じゃごたろさん
この「さき」のニュアンスから、先人たちは「山」や「土」や「石」を使い分けたのかもしれませんね。表意文字である漢字の面白さでもあり、難しさでもありますね。
町名字名自治体名など「さき」の字も含んで固有名詞化しているものはきちんとその字で書かなければいけないでしょうが(以前新潟の黒埼を黒崎と変換ミスして敷守ほむらさんに怒られたのは私)、海に突き出た地名を指すところの「崎」はそんぐり丸々「埼」に置き換わりうるんです。
以前拙稿[42979]でチラッとだけ触れたのですが、国土地理院が作製する地図で「○○崎」となっている「海に突き出した地形」は、海上保安庁海洋情報部が作成する海図ではすべて「○○埼」と書かれています。
(海図はネット上では一部の例しか見られないようですが、それの中でも確認可能)
海上保安庁海洋情報部HPの中にこんなページがありましてなんだかんだと理由が書いてありますが、結局のところ戦前の「陸軍がああするなら海軍はこうする」的な奴が未だに地図と海図の中に残っている、と言うもののようです。
と言うことで陸軍の流れを汲む国土地理院作成の地図では海に飛び出した地形は「○○崎」なのですが、その中において数少ない例外の1つが「犬吠埼」になります。
なぜ「埼」で固定なのかは分かりません(字名と関係あるのか?)が、わざわざそう書かれているものですからそう書くべきでしょう…と言いつつも、事実上「崎」と「埼」が同じ読み・同じ意味で使われているのと、一般的には「崎」の使用の方が多いことから、世間一般では表記が入り乱れているみたいです。

ちなみに、国土地理院の地図中で「埼」または「碕」でかかれている「海に突き出した地形」としては、「崎・埼・碕」コレで拾ってある分では犬吠埼以外に福島県の塩屋埼、石川県の宮埼、和歌山県の日ノ見埼(ただし日ノ御碕・日の岬とも書かれることあり)、島根県の日御碕があります。
[58870] 2007年 6月 6日(水)07:50:28【1】EMM さん
「おおすみ」の件、も少し
[58851] みかちゅうさん
最近の年金納付記録の消滅問題の原因には、けっこうこの手の漢字間違いが含まれていそうだとか。手書きのを入力する際に間違えるというのは当然ありうることなのですが、同様のミスが電話帳の作成の際にも起こっている可能性があります。果たして「大隈」と書いて「おおすみ」、あるいは「大隅」と書いて「おおくま」と読む方がどれだけいるのでしょうか…。手書き時代の戸籍での表記は(俗字等は本人の申請で改められるものの)絶対なわけですが、電話帳の表記にどれほどの信用があるのかも気になります。
確かに電話帳に間違いがあったという話は佐久間英さんの著書にもありましたし、それらしきものを見たこともあります。
が、現状では電話帳に「大隈」で「おおすみ」と出ているものを間違いと明確に断定するだけの材料がない…と言うのもあります。
なので「ある」「なし」については慎重に論ずるべきかもしれません。
(ただ、調査するとしても読みベースの調査は難しい…。それでもいろいろ調べている間に「大隈(おおすみ)は○○県の名字」と言うことを書いたHPがあったので、その件を重点的に調べれば何かつかめるかも。ただし、その県には「大隈」さん自体が2ケタに届くか届かないかぐらいしかいないみたいで、その数を見たら誤字臭い雰囲気も漂ってきたような…)

一方で、ATOKやMS-IMEで「おおすみ」を変換すると「大隅」より「大隈」の方が上に出てくるのはどうにかした方が良い、と思います。
試しにYahoo!で「大隈 "おおすみ"」を検索してみたら、出てくるページことごとく「大隅の変換間違い」か「おおくまの読み間違い」でした。
しかも、その中には鹿児島県内の企業や団体(しまいには大隅町関係のものまで!)も多数含まれる始末。
そう言うHPって「大隅」と「大隈」が混在しているんですよ。
たぶん「単文節か長文か、後ろに続く単語がどんな種類か、固有名詞か否か」などでどっちが先に出てくるか変わってきて、それを気付かないままUPしちゃってるんじゃないかと。
もし「おおすみ」と読む「大隈」姓が本当に誤字由来だったら論外ですが、あるにしても「その読みで辞書に登録しなければならないほどの数がいるのか?」というのはあると思います。
信じられないほどの数の誤字(例:Yahoo!で「"大隈半島"」で検索した結果)を生み出している事を考えると、「入れるべきではない」単語なのではないでしょうか。
(必要な人はユーザー単語登録すれば住む話ですし…)

#そういえば、"大隈半島"の検索結果の一番上に某超大手旅行代理店が…
困っちゃいますねぇ…白桃さん、ご指導方よろしくお願いするわけには…難しいか。
[58869] 2007年 6月 6日(水)07:49:56【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第119号
[58850] みやこ♂さん
他にどなたからもお申し出がないようですので,「夜」コレ「雪渓」コレに立候補いたします。
よろしいでしょうか。
はい、ありがとうございます。
さっそく登録しておきます。(「雪渓」は谷にあるとは限らない、と言うお話でしたが、とりあえず川・谷系行きにしておきます…)
ここのところ全然手つかずのコレクション(市町村一点交差,七差路)を抱えているのにもかかわらず,
それは言いっこ無しですってば。
だって、わたしも、ねぇ…(瀧汗)

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[58844] ezekielさん
長い間、ペンディングのままですね!
「神戸」コレクションに対する「宙ぶらりん」と言う表現は「現在編集者として立候補している方がいない」という意味で使ったものです。
ezekielさんからは(たもっちさん宛ではありましたが)[54258]にて
 [53879]のグリグリさんへのコメントでも触れていますが、[53720] &[53619]
ペンディングのままになっています。このような状態ではメンバー登録は
考えられませんので、「神戸コレクション(仮称)」の編集は、どうぞ適任の方に
お声掛けして下さい。
というコメントを頂いており、さらにその後は地名コレクション編集に関する編集長宛のコメントをいただいていない(念のため過去記事を再確認しましたが、やっぱり無かったです)ことから、編集長的には「ezekielさんから神戸コレクション編集について辞退する旨明確にメッセージをいただいている」という認識だったのですが、違ったのでしょうか?
逆に、私からezekielさんに対して「「神戸」コレクションに関して回答を保留していること」は全くない、と認識しています。

#基本的には「編集方針さえ折り合いが付けば、来るもの拒まず」なのですが、同時に「明確に手を挙げて頂いた方にお願いする」というのもあります。
やはり編集長に対する「積極的な表明」をしていただいたほうが安心してお任せできますし。
それと、私からお願いするのは「コレクション案」を提示されたその方に対してのみ(ごく初期に違う例はありましたが)なんですね。
「神戸」コレクションは「たもっちさんが一覧として提示」[54221]→「私からたもっちさんにコレクション化の打診」[54225]→「たもっちさんからezekielさんに打診」[54229]→「ezekielさんから辞退のメッセージ」[54258]という風にレスが繋がってます。
ただ、私から打診した場合でも他のメンバーの方が打診した場合でも、打診を受けた方が明確に手を挙げて頂けた場合は登録しますし、辞退された場合は誰かが手を挙げてくれるまで待つ…と言うことになります。
で、「たもっちさん・ezekielさんともご辞退された事からどなたかが手を挙げるまで待っていて、そこに桜トンネルさんから打診があった」と言う状況…と私は認識しておるのです。

##あと、地名コレクションの件から外れて少々書きにくいことを敢えて書きますが、[54377][55229]グリグリさんの記事と[55716]ezekielさんの記事を読み返すと、[55716]でezekielさんが回答しているのは[54377]でグリグリさんがezekielさんに問うている事のうちの一番最後の部分に対してのみ、としか読み取れません。
[54377]でグリグリさんがezekielさんに問いかけている中で一番肝心な部分は
[54258] 2006 年 9 月 30 日 (土) 11:25:30 ezekiel さん
[53879]のグリグリさんへのコメントでも触れていますが、[53720] &[53619]
ペンディングのままになっています。
う~~ん、該当記事と関連記事を見返してみたのですが、何がペンディングになっているのかよく分かりません。[53720][53619]のezekielさんのご質問には私の[53879]ですべて回答していると思います。星野彼方さんから追加回答する必要はないと思いますがいかがでしょうか。それでもまだご納得いただけないようでしたら、お手数ですが具体的に何がペンディングになっているのか再度書き込んでいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
であると思います。
これに対してezekielさんが回答を保留したまま…と言う風にしか取れないです。
多分、私と同じような認識をしている人の方が多いと思いますよ。
[58868] 2007年 6月 6日(水)06:22:49むっくん さん
市区町村変遷情報(滋賀県)
>88さん

市区町村変遷情報(滋賀県)について、いくつか当方手持ちの資料等と食い違いが見られるものを見つけましたので報告します。参考資料は
(1)滋賀県市町村の変遷(1963、編&出版:滋賀県総務部地方課)
(2)地名好きさんの「行政区画変遷一覧表」
です。なお、番号は今現在表示されているものです。

16 坂田郡日撫村 成立日
1896.12.01(市区町村変遷情報)
1894.12.01(滋賀県市町村の変遷、行政区画変遷一覧表)

19 坂田郡神田村 成立日
1897.04.01(市区町村変遷情報)
1897.03.01(滋賀県市町村の変遷、行政区画変遷一覧表)

45 1941.07.10の野洲郡守山町の合併方式
編入(市区町村変遷情報)
新設(滋賀県市町村の変遷)
守山市広報平成13年8月15日号の湖南地域の合併の歴史を見ると編入合併ではなさそうです。

また、
1151957.03.01編入野洲郡中主町野洲郡 中主町,中州村の一部
1161957.03.01編入野洲郡守山町野洲郡 守山町,中州村の一部
の中州村は中洲村の誤りと考えられます。
参照:守山市例規集守山市広報平成13年8月15日号の湖南地域の合併の歴史
[58867] 2007年 6月 6日(水)01:42:17敷守ほむら さん
新潟市がオムニバスタウンに指定
こんばんは。

新潟市が全国で13都市目になるオムニバスタウンに指定されたという記事がありました。
asahi.com地域版記事

ボクは今回この制度のことをはじめて知ったんですが、asahi.comの記事や、国土交通省のページを見る限り、市内中心部は便利になるかもしれないけど、郊外に住んでいる人(ボクもそうなのですが)には今のところ関係のなさそうな話だな、って思いました。今後交通網が整備されていったらありがたみが分かるのかもしれませんが。。。
新潟市をオムニバスタウンに指定(国土交通省)

落書き帳を検索してオムニバスタウンのことを書かれた記事を探したところ、[27279] YASU さん の発言しかなかったので、あまりメジャーではない制度なのかな?
[58866] 2007年 6月 6日(水)00:47:19【1】千本桜 さん
神戸、三本松、道路案内板の到達地名
[58855]なると金時さん
神戸阪急はJR神戸駅前のハーバーランドにあります。(1992年~)
三宮にも、というより昔は三宮にあったんですが、今はありません。
[58863]小松原ラガーさん
・ハーバーランドという繁華街にあるにもかかわらず、ハーバーランド自体の客足がいまいち。(割算の分子が少ない)
・かつ、元々神戸阪急自体がかなり余裕を持った作りになっている。(割算の分母が大きい)
三宮じゃなかったんですね。神戸と言えば三宮と、短絡的に思い込んでいました。

[58856]白桃さん
津田にしろ、三本松にしろ旧国道沿い(バス通り)に商店街があったわけではなく、ちょっとした漁港ということもあってか、海岸に近いところに商店街が形成されました。
言われてみれば、そうですよね。当地では今も江戸期の奥州街道をメインストリートにしている町が多く、アーケード商店街に成り得るのは旧街道か駅前通だろうという観念が強かったものですから、津田の町並写真を見たときは、この辺の町とは雰囲気が違うぞと感じたものです。でも、確かにあの写真は三本松の底力を伝えていますね。商店街に3階建ての建物があるんですね(笑)。たぶん、以前は大河原よりも三本松の方が繁華な商都だったのではないでしょうか。その名残が感じられました。このレベルの町並みにとっては、2階建てか3階建てかは重要なんです。ところで本日、三本松、津田の詳細な地図を見ようと書店に行きました。某出版社のページ物香川県図。全体は3万分の1ですが、重要な自治体の中心部は1万5千分の1に拡大して別ページに掲載してありました。その自治体とは、高松市、丸亀市、坂出市、観音寺市、善通寺市、さぬき市、東かがわ市、内海町、土庄町、多度津町、宇多津町、琴平町です。高松は特別ですから数ページにわたって拡大図が掲載され、丸亀、坂出が各1ページ。観音寺、善通寺、内海町、土庄町、多度津町、宇多津町、琴平町が各2分の1ページ。さぬき市、東かがわ市が各4分の1ページ割り当てられていました。でも、東かがわ市と銘打って掲載されていたのは白鳥市街です。なんで三本松市街を載せないんだ!。市役所が所在するかしないかで、こんなに変わるなんて。私が立腹してもしょうがないけど、市街図なんだから大きくて重要な市街地を載せればいいんですよ。市役所の位置は二の次でいいだろうに。

[58858]リトルさん
「三本松・津田のアーケード街」の写真見せて頂きました。
もしかして勘違いされていると困るので・・・。あの写真は私が撮影したものではなく、偶然見つけたよそ様のHPを貼り付けただけなんです。でも、あのHP制作者は精力的に各地の写真を撮られていますね。私は写真が不得手で精力的でもありませんが、見よう見まねでこんなHPを作っています。スーパータウン大河原

[58862]じゃごたろさん
身延町辺りから青看板の行き先が「↑静岡・興津駅」というのほとんど。最初は「興津駅」をあまり意識せずに、身延線の山梨県内のどこかの駅だろう、という認識で走っていたのですが、しばらく進んでも「興津駅」は出てきます。また中には「興津駅」のパッチを当てたものありました。そこでようやく気が付きました。多分かつてパッチの下は「清水」だったのでしょう。
もし、以前は直進「↑静岡・清水」であったとしたなら、今もそのままで良いだろうにと私は思うのですが、自治体名を全ての基準と考える人たちにすれば、「清水」は静岡市に合併して消滅した清水市を意味する地名だから、もはやこの世には存在しない。だから清水を表記してはならない、と言うことになるのでしょう。清水という名称が地域名、市街地名、集落名、場地名として社会の中で通用するなら、生かしておいても良いだろうと思うのですが、今日の道路案内板は基準化・標準化の名のもとにそれを許してはくれません。しかし、清水の代わりに興津駅を表記するのも変ですね。国道の案内板に直進到達名として表記できる地名を載せた基準地・重要地・主要地一覧表には興津駅がありません。道路案内板の設置基準に沿って国道52号の到達地名を表示すると、韮崎市内では「↑静岡 南アルプス」、南アルプス市~増穂町間では「↑静岡 鰍沢」、鰍沢町~中富町間では「↑静岡 身延」、身延町内では「↑静岡 南部」、南部町~芝川町では「↑静岡」になり、興津駅の出る幕はないはずです。清水を消したいあまりに興津駅を表記したとすると、ちょっと問題ではないですか。基準化・標準化を悪いとはいいませんが、そのことによって使用できる地名が狭められ、画一化・単純化して行く先に国民総地理音痴化が待っていなければ良いけれど、と思ったりもします。

書込訂正機能を使い、「南部町~富士川町」を「南部町~芝川町」に訂正しました
[58865] 2007年 6月 6日(水)00:09:28【1】白桃 さん
香川県第2の都市は?
と訊かれたら、丸亀市と答えるのが一般的というか、世間の常識です。が、
以下の数字をご覧下さい。
香川県の8市をYahoo!にて「○○市」で検索してヒットした件数です。

高松市2,250,000
東かがわ市641,000
丸亀市552,000
坂出市351,000
観音寺市349,000
さぬき市321,000
善通寺市245,000
三豊市190,000

南砺申しましょうか、事実は小説よりも奇なり、といいましょうか、実力?は やはり♪隠し切れない残り香が~のとおりです。(^l^)
(641,000のうち、50万は白桃の功績というウワサも有るようで無いようで)
 
白桃が好む町:記憶に残る町よりも記録に残る町、記録に残る町よりも記録にも残らない地味な町・・・
[58864] 2007年 6月 6日(水)00:07:53oki さん
四国の渇水~徳島側からの視点
ご無沙汰しております。
四国の渇水状況について、香川用水の問題など、主に香川県のことについて議論が進んでいるようなので(もう過去の話題かもしれませんが渇水状況が解決したわけではないので)、地元出身者として、徳島側から見た考えを一つ。

[58781] hmt さん
せっかくできている早明浦ダムと香川用水が、県境の壁に阻まれて生かしきれないという姿には疑問を感じます。
「四国三郎」は、兄貴の坂東太郎に比べれば、もともと懐が小さいというハンデがありますが、それでも精一杯の力を発揮できるような仕組みを整えてゆく必要があると感じた次第です。

仰ることは誠にごもっともで、合理的に考えれば、05年渇水時における徳島側の対応はきわめて理不尽であり、香川県民から見れば惻隠の情のかけらもなく、第三者の目には地域エゴそのものと感じられると思います。
しかし、徳島側にも言い分はあります。端的に言えば、徳島の吉野川流域というのは、決して水に恵まれた地域ではないのです。より正確に言えば、「利用できる水に関して、非常に不自由してきた地域であった」ということでしょうか。

池田以東の吉野川は中央構造線の谷を通って紀伊水道に注いでいます。そのため、吉野川の河道は両岸の段丘面に比べて低く、通常の方法では吉野川本流の水を農業に使うことはできませんでした。
江戸時代、大河の中下流には用水が開削され、流域は水田化されて穀倉地帯になるのが一般的な姿でした。この場合、水量が増える中流域に堰をつくって取水し、等高線に沿って長大な用水を引き回し、流域を灌漑するのが通常の手法です。しかし、吉野川は河道が低いため、この手法がとれませんでした。本流から水が得られなければ支流から引水するほかないわけですが、吉野川流域の徳島平野は四国山地の北側に位置し、気候的には讃岐平野とさほど変わりません。それでも、四国山地に源流を持つ南岸側はまだしも、阿讃山脈を源流とする北岸は、用水確保という面では讃岐平野と条件は同じなわけです。そして、特に中流域においては、北岸平野の方が南岸よりよほど広いのですね。
このため、徳島平野の広い範囲が、江戸時代を通じて畑作地のまま留められました。以前にもご紹介した「町歩下町帳」によれば、江戸中期における四国の水田、畑地の反別(面積)は以下のようになっています(反別の単位は町)。

田反別畑反別反別計田%
阿波11818204393225737
讃岐2203670502908676
伊予29144221175126157
土佐21590114123300265

一見して明らかなように、阿波の水田率は他の3国に比べて極端に低い数値です。その理由が、県内第一の平野である徳島平野で水田化が進まなかったことにあるのは明らかでしょう。藩政期、阿波藩の穀倉地帯は徳島平野ではなく県南の那賀川流域と淡路だったのです。

以上のように、藩政期の吉野川流域は讃岐平野と同様に水に恵まれない地域だったのですが、状況はむしろ徳島の方が悪かったと言えるかも知れません。讃岐の場合は単に大きな川がないだけですが、徳島の場合は目の前を滔々と流れる大河がありながら、その水を利用できないわけです。しかも、この川は平常時には何の恵みももたらさない代わり、ひとたび大雨が降ったときはとんでもない暴れ川となって流域の村々を襲いました。「吉野川洪水史」によると、万治二年(1659)から慶応二年(1866)までの二百年間に、阿波国内で約百回の洪水(風水害)があった、とされています。
さらに悪いことがあります。江戸時代、吉野川流域が全国随一の藍作地帯だったことは周知ですが、その背景には、上で見たようにこの地域が水田化困難だったこともあります。藍という作物は多量の肥料を必要とするため連作不可能とされているらしいですが、藍を経済基盤としていた阿波藩は実に巧妙な策を案出しました。毎年のように氾濫する吉野川に堤防を築かず、上流から流下してくる豊かな土壌を、氾濫時に藍畑へ自然客土するという手法です。ナイル川の氾濫によって肥沃な土壌を補給していた古代エジプトと同じようなものですね。
これによって藍の連作が可能になり、阿波藩は四国随一の経済力を手にします(このほかに阿波藩は、斎田(鳴門)の塩、那賀川上流部の材木という商品を手中にしており、藩都である徳島城下は全国でも有数の都市でした。もっとも、それで領民が幸福だったか否かはまったく別の話ですが)。
吉野川に堤防を築かずに肥沃な土壌を客土するのは、藍の栽培に関しては合理的なやり方でしょうが、流域に住んでいる農民にとってはたまったものではありません。豪農層は高台に石垣を築いてその上に家を建て、洪水時に備えたようですが、一般の農民は溢水のたびに逃げまどわなければならなかったでしょう。
加えて悪いことがありました。徳島平野は四国山地の北側に位置しますが、吉野川の源流は山地南側の土佐にあります。そのため、徳島平野でたいした降雨でなくとも、土佐側は豪雨で、それが前触れもなく洪水になって流域平野に押し寄せることが少なからずあったのです。徳島側でも大雨が降って洪水になるのを「御国水」、土佐だけで降った水が押し寄せるのを「阿呆水」として区別する用語すらあったようです。

このような状況が最終的に解決されるのは、吉野川総合開発によって早明浦ダムと池田ダムが建設され、池田ダムから取水する全長69.2kmの吉野川北岸用水が完成する1990年になってからで、北岸地域が全面的に水田化したのは北岸用水の開通後であったようです(北岸用水の工事が始まったのは1971年です)。
一方、同じく池田ダムから取水する香川用水が、阿讃山脈を貫く阿讃トンネル(5032m)を通じて通水したのは1974年です。このときは上水道だけの通水で、農業用水、都市用水の本格通水は75年、東かがわ市までの全線通水は78年とのことです。

吉野川流域の住民から見れば、歴史を通じた水不足の状況は香川側と同じです。一方、香川の方は吉野川の洪水による被害をまったく受けておらず、徳島側だけが引き受けてきたわけです。ところが、流域開発による利益は香川の方が先に享受することになります。また、明治以降、徳島県民の香川県に対する感情は微妙なものがあります。有り体に言えば、江戸時代には徳島の方が先進地であったにもかかわらず、明治以降、宇高航路が開かれた香川の方が四国の玄関口になった結果、高松の方が徳島より都会になり、徳島県民は香川から田舎者と見下されてきた(と徳島県民は思っている)、という背景があります。
このような状況の中で、それが国土計画上合理的だから吉野川の水を香川県に分水します、といっても、徳島県民がはいそうですかと納得するわけはありません。
河川維持に必要な 13t は別として、 30t が1975年の早明浦ダム建設以前から徳島県内で取水利用されてきた実績値で、水利権として認定されることにより、徳島県の「財産」になっているわけなのでしょう。
ということですが、以上のような吉野川の水利用事情を考えれば、30tの方も、徳島県内で実際に利用されてきたかどうかには疑問符がつきます。しかしこの分を、徳島ではダム建設前は利用不可能だったのだから香川用水にも回す、などということを言い出せば、吉野川総合開発そのものが不可能になっていたでしょう。要するに、吉野川に関する徳島県の「不特定用水」(既得権)なるものは、過去千年以上の洪水被害を一手に引き受けてきた吉野川流域住民に対する配慮から設定されたもの、と私は考えます。この地域の住民は、吉野川に対して愛憎様々な感情を抱いており、それにはこの地域に耕地が開かれた、遅くとも2000年前からの歴史があると思われます(阿波のうち吉野川流域の古代名は粟国で、これは古代から水田化不可能で畑作地であったこの地域の特性を表しているのでしょう)。
現徳島県知事である飯泉嘉門氏は大阪府池田市出身の自治官僚ですから、このような徳島県民の思いを共有しているとは思えません。しかし、彼の支持基盤である県会議員は流域農民の意向を無視できませんから、「吉野川水系水利用連絡協議会」では、「他の出席者があっけにとられるような態度」しか取れないのでしょう。

私は、以上のような歴史的背景に照らしても、香川用水に対する徳島県民の対応が倫理的に正しいとは思いません(後で記すように、私が吉野川流域の出身者でないことが大きな理由でしょうね)。しかし、香川県民が、長年に亘って吉野川の洪水と闘ってきた流域住民に対し、その歴史的背景に敬意を表した上で、配水を要請する態度に出ているのかどうかについては、いささか疑問があります。
「この辺りは『阿波の北方』いうて、昔から水争いが絶えんかった。だから、香川に分水するなんて、昔は絶対、考えられない。不特定用水? 知事さんの発言が地元の感覚、流域の声を代表していると思う。ここでうんと言えば、『県は何やっとんぞ』と農家が黙ってはおらん」
この吉野川流域農民の発言に対し、愚かしい地域エゴと切って捨てるのは簡単ですが、それでは問題は一歩も前に進まないでしょう。これは論理ではなく感情や情念のレベルに属する事柄であり、その背景には、以上のような歴史を通じた吉野川との愛憎一体となった関係があります。情念に論理を対置するのは愚の骨頂でしょう。

ということで、香川県民の皆様には、どうして香川用水の配水に関して徳島県民が常軌を逸した対応をするのか、その歴史的背景にもご理解をいただき、徳島側の重苦しい情念を解きほぐす形での説得方法を考えていただきたい、と思う次第です。

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ところで、私自身は吉野川流域ではなく、那賀川流域である県南の阿南市出身です。客観的に見て、現時点では吉野川より那賀川の方が危機的状況です。吉野川水系では早明浦ダムの貯水率が55%で、徳島用水の取水制限が13.9%、香川用水20%節水に対し(6月1日現在)、那賀川水系では長安口・小見野々ダムの貯水率はわずか7.6%、第6次取水制限で農水、工水ともに60%節水(5月24日)という状況ですからね。ところが、この掲示板で流れるのは香川側の状況ばかりで、那賀川流域への言及が皆無だったので、事情を知って欲しいというのも、久々に書き込みをした理由です。
那賀川流域が危機的な状況になっても、吉野川流域からの分水は一切ありません。しかし、香川県に分水しているのに同じ県内に分水しないのは不合理ではないか、という意見は特に出ていないようです。物理的に考えて、四国山地の剣山山系をぶち抜く分水トンネルの建設は非常に困難でしょうが、それだけではありません。
先日、田舎で一人暮らしをしている父親に電話をして状況を聞いたのですが、農業・工業用水は別ですが、上水で供給される一般的な生活用水にはまったく問題がないとのことでした。ネットで事情を調べてみると、阿南市の上水道は那賀川下流部の井戸から取水しており、上流ダムの貯水状況とは無縁のようです。実のところ、この点は今回調べて初めて知ったことで、阿南市に住んでいたときは自宅に来ている水道の水源がどこにあるかも意識していなかったのですね。
那賀川水系の井戸から取水する以上、究極的には那賀川の水の有無に関係するわけですが、この川の源流部である木頭地域は全国でも屈指の多雨地域で、04年には年間6000㎜近い降水量を記録しています。これは少し極端ですが、年間3000~4000㎜の降雨はごく普通で、それが伏流水となって何年もかけて下流に流下し、それを上水源として取水しているのでしょうから、上流のダムが空同然になっても下流の上水道は特に問題ない、ということのようです。
この点は、ダムの水がなくなれば即座に飲み水に影響が出る吉野川流域や香川用水流域と異なるでしょうね。その分、阿南市を含む徳島県南部は台風の常襲地で、それによる被害は常に受けていますが。

同じ渇水といっても、四国山地の北側と南側では性質がまったく異なるということでした。
上水には影響がないといっても、農業・工業用水が現在のような状況では産業活動に大きな支障が生じることは確実ですから、梅雨時の降水や、あまり被害のない雨台風が四国南部に襲来してくれることを願って、今回の書き込みを終わります。
[58863] 2007年 6月 5日(火)22:53:32小松原ラガー さん
ハーバーランド
小松原ラガーです。

[58831] ぺとぺとさん
[58854] 千本桜さん
[58855] なると金時 さん

ぺとぺと さんのデータを見た時に私も「なんで神戸阪急だけこんなに平米辺りの売上げが少ないのかな?」と考え込んでしまいました。

で、自分なりにちょっと分析をしてみました。データを良く眺めると、まずは、

・新興の三田店は別として、千里、川西、宝塚の北摂3店舗は順調に売上げを伸ばしている。
・ターミナルに位置する本店、四条河原町、神戸ともに売上げは減少。

ここから、もはや「電車で街に出て買い物」というより「近くの阪急で買い物」というように利用者のスタイルが変わってきたのかも。また、

・神戸や四条河原町に比べて千里、川西の売上げの健闘は立派。

で、肝心の平米辺りですが、

・千里、川西、宝塚はほぼ同じ⇒面積は違えど同じような店舗スタイル、店舗戦略か?
・神戸が異常に低いが、これは店舗そのものがゆったりとしたつくりになっているからか?

・・・確かになると金時さん御指摘のようにハーバーランドに行く人が少ない、ということはあり得るかもしれません。が、三宮に比べてハーバーランドに行く人が少ないというのはAgreeですが、ハーバーランドに行く人の絶対量が例えば三田店(及び周辺)に行く人に比べて少ないでしょうか。(と、言いながら平日の日中はいい勝負かも?^^;)そう考えると、他店舗に比べて、神戸阪急がかなりゆったりとしたつくりになっていることも影響していると思われます。地下の食料品売り場ですらそうですが、神戸阪急の場合は4Fの子供服、子供用品売り場を除けば、かなりゆったりとした作りになっています。ということで、平米辺りの売上げに関して神戸阪急が妙に落ち込んでいるのは、

・ハーバーランドという繁華街にあるにもかかわらず、ハーバーランド自体の客足がいまいち。(割算の分子が少ない)
・かつ、元々神戸阪急自体がかなり余裕を持った作りになっている。(割算の分母が大きい)

の双方の要因が考えられると思います。(「客足が少ないからゆったりしているように見えるだけやないか。」という突っ込みは・・・うっ、ちょっとやばいかも。^^;)ただ、データがあれば見てみたいのが、曜日別、フロア別の売上げですね。少し触れましたが、どうも平日の日中のハーバーランドは悲惨な状態のようですから・・・。

あと、

[58855] なると金時 さん
西武百貨店はたった2年でハーバーランドから撤退しています。

ですが、西武だけでなく、ダイエー、Vandole、ハーバーサーカスなどなど、どうもハーバーランドでは軒並み思うように業績が伸びずに早期の撤収というなるケースが多いですね。そんな中でも依然として存在する神戸阪急や店舗拡大したComcaの健闘は賞賛に値する(そんな大袈裟なものかいな。)のではないでしょうか。

#かくいう私は最近はハーバーランドも三宮も疎遠になり、自宅の近所の公園が休日の潜伏地になってたりしますが・・・
#ちょっと不健康かも。
[58862] 2007年 6月 5日(火)19:24:54【1】じゃごたろ さん
「↑興津駅」・・・消えた「清水」
こんばんは、じゃごたろです。
昨日の書込み[58841] では朝の9時にもかかわらず「こんばんは」と挨拶してしまいました。なんでだろ~。

さて先週末は国道52号のカントリーサインを求めて静岡市まで往復したことは先日書き込みましたが、その道中で気が付いたこと。身延町辺りから青看板の行き先が「↑静岡・興津駅」というのほとんど。最初は「興津駅」をあまり意識せずに、身延線の山梨県内のどこかの駅だろう、という認識で走っていたのですが、しばらく進んでも「興津駅」は出てきます。また中には「興津駅」のパッチを当てたものありました。そこでようやく気が付きました。多分かつてパッチの下は「清水」だったのでしょう。確かに国道52号は興津駅付近で国道1号と交差しますから、清水区役所よりも当を得ているといえばそうなのですが、仮にも二桁国道の起点である「(旧)清水市」の「清水」が標識から消えるとは。。。


[58851] みかちゅう さん
崎・埼・碕の混同もけっこうありますね。(中略)、どの字でも「さき」と読めるという意味では大して問題がないといえるでしょうか。

「さき」は「先」に通じる言葉ですね。突き出した陸地の先端付近を示す地形名。「とがる」という意味の「尖」も「さき」という読みがあるようです。これは海に突き出た岬はもとより、平地に突き出た台地状のものも含まれます。山梨県の「韮崎市」も七里岩の長細い台地が韮の葉っぱのようで、その先端部分の集落を「韮崎」と呼んだのだとか。

この「さき」のニュアンスから、先人たちは「山」や「土」や「石」を使い分けたのかもしれませんね。表意文字である漢字の面白さでもあり、難しさでもありますね。
[58861] 2007年 6月 5日(火)18:57:0588 さん
水利権・水利組合等について
水利権・水利組合等に絞ってまとめてみました。参考文献は、
「地方自治百年史 第一巻」(1992年3月) 地方自治百年史編集委員会:編集 財団法人地方財務協会
「水利権実務一問一答<第二集>」(1984年5月)建設省河川局水政課水利調整室:編著、大成出版社発行
「改訂版 逐条解説 河川法解説」(2006年10月第2版)河川法研究会:編、大成出版社発行
です。

古来水利土功は一種独特のもので、一般の市町村とは別の単位でこれを処理している実態がありました。すでにM13(1880)公布の「区町村会法」(一部M17に改正)には「水利土功のために、町村の区域に関わらず、別組織として『水利土功会』を設置してよい」という趣旨の規定がありました。
市制町村制直前のM22(1889).3.21には「水利土功及学事ニ関スル会議存続ノ件」という法律(法律第11号)が公布され、従来どおりの「水利土功会」を存続することができる、とされました。
この頃は、近世の名残である用水組合が、旧来の慣行のままに存続していたようです。

M23(1890).6.21、「水利組合条例」という法律(法律第46号)が制定公布されました。元来、古くから慣行で行われ村落共同体を基盤として自然発生的に成長し維持運営されてきた用水組合を、町村制施行後、漫然と従来の慣行に委ねておくことが許されなくなり、地方制度の枠組みの中に入れるために、市制・町村制の別法として公布されたものです。主な内容は次のとおりです。
・府県・郡以外の水利土功に関する事業で、その利害関係の区域と市町村の区域の符合しないもの、又は符合しても二市町村以上にわたるもので特別の事情により市町村若しくは町村組合の事業とすることのできない場合には、水利組合を設置することができる。
・水利組合には、普通水利組合(用悪水路等もっぱら土地保護に関する事業のために設置)と水害予防組合(水害防禦のため堤防浚渫砂防等の工事をするために設置)がある。

M29(1896)、「河川法」(M29年法律第71号、いわゆる「(旧)河川法」)が制定されました。従来まで都道府県の管理とされてきた大河川が国の直轄となり、また、河川改修にあたっても、これまでの利水・水運重視の観点から洪水予防重視へと転換されました。
また、この中で、従来の「慣行水利権」が正式に位置づけられる一方、新たにこれからの利水手法として「許可水利権」が位置づけられました。
具体的には、この(旧)河川法施行以前から水の事実上の支配を元に社会的に承認された権利(「慣行水利権」)で、主として灌漑用水として社会慣行として成立した水利秩序が、権利化したものです。
これにより、社会的な慣行は、(旧)河川法施行規程第十一条第一項により、(旧)河川法第十八条の流水の占用の許可を受けたものとみなされました。
(なお、これは後にS40の(新)河川法施行の際、河川法施行法第二十条第一項により、(新)河川法第二十三条の「流水の占用の許可」を受けたものとして引き継がれました。)

少し横道へ。
一方、(旧)河川法第十八条そのものや、(新)河川法第二十三条そのものにより許可された水利権は、「許可水利権」とされるものであり、「慣行水利権」とは区分されます。
簡略化していうと、吉野川の場合、先祖代々、((旧)河川法以前から)吉野川の水を利用していた徳島県民は「慣行水利権」があります。一方、(新)河川法に基づき水利権を獲得して早明浦ダムや池田ダムを設置して香川用水を引いた香川県は、「許可水利権」です。「許可水利権」を得るためには、従来からの「慣行水利権」を侵さないようにすることが条件です。
余談ですが、徳島県でもこれらのダムにより新たに許可水利権を取得したものが「徳島用水」です。

現在においては、河川法の施行・適用後、新たに「慣行水利権」が発生することはありません。また、慣行水利権は、許可水利権に比べ、その権利内容が必ずしも明確でなく、他の水利使用による影響の予測、ダム等の建設計画における既得権の評価などを行う場合にも問題があるので、取水施設の改築、土地改良事業の実施、治水事業の施行等の機会に許可水利権に切り換える(慣行水利権の法定化)方針とされています(実態はいろいろあるようですが)。

元に戻ります。
M41(1908).4.11、水利組合条例が廃止されて、新たに「水利組合法」(M11.4.13法律第50号)が公布されました。
前法律との主な改正内容は、公法人であることの明確化、組合員資格や費用負担区分の一部改正、自治的協議的団体としての性格の払拭、管理者たる郡長又は市町村長の権限の拡大、などです。
これにより、水利組合は一段と公法人的色彩が濃厚となり、その組織、権能も、ほぼ町村に準ずる体制を整えると同時に監督も強化されました。その結果、実態としては、公法人としての水利組合と、地域を中心とする自治的な水利組合が並存する二重構造がその後も残ることとなりました。

この水利組合法は、土地改良法施行法(関連法令の整備)で、法律名も「水害予防組合法」と名を変え、基本的には今も存続しています。
――――――――――――――――――――――――――――――
関係法令の抜粋です。
◆(旧)河川法(M29.4.8法律第71号)
第十八条 河川ノ敷地若ハ流水ヲ占用セムトスル者ハ地方行政庁ノ許可ヲクヘシ
◆(旧)河川法施行規程(M29.6.3勅令第236号)
第十一条 河川法・・・ニ依リ行政庁ノ許可ヲ受クヘキ事項ニシテ其ノ施行ノ際ニ現存スルモノハ河川法・・・ニ依リ許可ヲケタルモノト看做ス(後略)
◆河川法(S39.7.10法律167号)
第二十三条 河川の流水を占用しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。
◆河川法施行法(S39.7.10法律第168号)
第二十条 ・・・新法の施行前に旧法・・・の規定によってした処分、手続きその他の行為は、新法の適用については、新法中これらの規定に相当する規定がある場合においては、新法の規定によってしたものとみなす。(後略)
――――――――――――――――――――――――――――――
海水の淡水化については、私も単に「割高すぎて話にならない」との知識しかありませんでした。今回、[58819]hmtさんに具体的にご紹介をいただきましたが、香川県の淡水化取り組みの例として水不足解消への取り組み(四国新聞HP)をご紹介しておきます。
また、あわせてため池の現況(四国新聞HP)もご紹介しておきます。
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[58748] じゃごたろ さん
なんとも言いがたい説話ですね。確か「畦を壊す」ことは、死罪にも値するような重罪だったはず。「黙々と」とは、例え被害者であったとしも、同じ農民としてそれを口にするのがタブーでたったのでしょうね。
[58756] じゃごたろ さん
そうではなくて「暗黙の了解」ってやつだったんでしょうか。一方では畦を壊し、一方では畦を直す。その間は水が供給されるわけですから、夜が明けたらいつの間にか水が湧いて出てきたという算段。前にも書きましたが「畦を壊す」のは重罪ですから、黙して語らずという作業だったという意味だったのかな。
私は、次のように解釈しています。乙地区の住民としては、水を盗まれるのはやはり死活問題だから甲地区の行動はなんとしても阻止する。しかし、同じ百姓として水の重要性はわかるし、甲地区の百姓行動も分からないでもない。よって、一方的に断罪することも忍びなく、無言で過ごした。水路は結局元のままだから、乙地区の百姓が黙して語らずだと何もなかったのと同じになる。甲地区の百姓もこの心根を察し、お互いに無言のまま去って行ったのではないかと。
[58860] 2007年 6月 5日(火)18:57:04【1】88 さん
市区町村変遷情報 小レス
[58798] たもっち さん
土生郷村岸和田市編入年月日
池田市制年月日
巽村(巽町)
[58808] スピカ さん
千石原村(仙石原村)
これらは単なる入力ミスです。修正しました(ちなみに巽町の件は、たもっちさんの書き込みの前日にちょうど総理府告示を確認していて気づき、「修正しなけりゃ」と思っていたところでした)。
ありがとうございました。たもっちさんへのお礼は、ロータリー情報の提供をもって相殺とさせていただきます(笑)。

その他のものは、(いつものように)文献によってまちまちでした。困ったものです。私はいつものように「総覧」は当面の間一次資料としているのですが・・・(文献名は[55681]参照)
総覧幕末辞典消えた辞典便覧
1931.08.20 大津村ほか2村 新設/町制
1915.04.01 大津村 単独町制
------------------------------------------------------------
藤井寺町制年月日
1928.10.05---
1928.10.15-S3.10.15(5)-
------------------------------------------------------------
木島村貝塚町編入年月日
1935.04.05---
1935.04.15-S10.4.15(5)S10.4.15(5)
------------------------------------------------------------
三郷町制年月日
1935.12.01--
1936.12.01--S11.(10)12.1S11.(10)12.1
------------------------------------------------------------
春木町新設年月日
1937.02.21---
1937.02.11-S12.2.11(21)S12.2.11(21)
------------------------------------------------------------
枚岡町制年月日
1939.06.01---
1939.07.01-S14.7.1(15)(S14.6.1)S14.7.1(15)(S14.6.1)
------------------------------------------------------------
柏原町新設年月日
1939.06.01--
1939.07.01--S14.7(6).1-

こういう場合、本来の一次資料である「大阪府告示」をあたるのが一番確実かと思います([58561]拙稿香川県綾歌郡宇多津町の町制施行日調査参照)。たもっちさん、大阪府のパラパラ地図を作成中のようですが、本家本元の告示を確認することはできますでしょうか?
[58859] 2007年 6月 5日(火)18:31:11ケン(地理好き) さん
津田沼と浦安など
浦安市と習志野市が人口逆転しましたが、千葉県内では成田市と木更津市の人口が逆転したみたいです。大網白里町が富津市・館山市を抜くのも時間の問題だと思います。
[58858] 2007年 6月 5日(火)17:07:41リトル さん
リ→「彩都」雑感+「刑事バイパス」+大学+町並み記録
[58795] 白桃 さん
八尾市を抜きさった茨木市です。
~この「急増」についておココロあたりの方がいたらお教えください。
→「彩都」関係で、私の雑感程度ですが…。
第一の原因は
[58796] ぺとぺと さん
の言われるように、彩都の影響のようですね。
「彩都」計画も長く停滞していましたが、モノレールが今年3月19日に彩都西まで伸延開業したように、ここに来て急展開ですね。「阪急の本気」って感じです。
私の実体験ですが、停滞中の数年前には、開発が塩漬けになってしまった周辺の物件を「何とかならん?」と聞かれて現地へ行けば、山の中に妙な用地が広がって…、何だかシュールな光景という時期も有りました。
しかし、急展開の昨今では「この彩都内の取り付け道路の~」と前向きな話を良く聞く様になりました。

参考までに、茨木市在住の地理人に実感を聞いてみました。
「基本的には、茨木は20年くらいかな?
(人口は)ほぼ横ばいですね(市の広報に増減欄がある)。
でも今回のは、やっぱり 彩都だろうね~。
と言いつつ忘れてた! 今のマンションブームでこの2年ほどで
JR千里丘(茨木市側にも)とモノレール南茨木周辺にはかなりマンションが出来ました。
小学校があふれて隣の小学校と校区を設定し直すくらいですから彩都よりもこちらが影響しているかも? 半々かな?
だけど茨木市はだいたい寝屋川といい勝負だったので八尾が減ったのかも?」
との事です。
二次的な原因としては昨今のマンションブームが底上げしているのかも知れませんね。

[58809] 桜トンネル さん
京都に京都高速を作る用地~かなりあるんですね。
→言葉足らずではいけないので少々…。
京都市南部は狭い市街地に較べ、広い道の上に作れる…程度ですのであまり用地に期待しないで下さいね…。

久御山ジャンクションは確かにそうですよねぇ。京都盆地がほとんど見えるのですから・・・。でも、あんなところによくあんな建造物を創ったものです。
→確かに、今は回りが水田地帯なのでドラマチックですね。
夜に京滋バイパスで大阪方面から宇治方面に乗り入れると、かなり遠くから京都タワーが見え、その後、高速で急カーブやあの高い部分を疾走するので、まさに「刑事バイパス」(?)の気分ですよ。

[58812] ソーナンス さん
(ちなみに隣の大学は僕の…)
地理に強い学校ですね…。
あの近くの、「大昔の競輪場跡→水田」を調査されては?

[58854] 千本桜 さん
「三本松・津田のアーケード街」の写真見せて頂きました。
私の「町並み記録スナップ」の様で面白かったです。
始めに、タイトル代わりに駅名標を出すところなんて、さすが慣れておられますね。

リトル
[58857] 2007年 6月 5日(火)16:28:03N-H さん
著作権がらみ
[58846] YSK さん
著作権という切り口から反応があったようで、私の意図しない方向に話が展開してしまったことに驚いています。このことは、専ら私の説明が非常に足らなかったためであり、心よりお詫び申し上げます。
いえいえ、とんでもない。
私が[58840]を書いているうちに、YSKさんの[58839]があったのですが、私が投稿後に読み返すことを怠ったがために私の投稿は要らぬおせっかいになってしまいました。
私こそ申し訳なく思っております。
心情的な話でしたら、[58840]にも書きましたが、
私がもし地理分野の研究者であって、自分の論文中にグリグリさんのページを引用しようと思ったら、もちろんこれまでのお付き合いもあるしリンクの許可をとるとは思いますが。
ということです。

[58853] むっくん さん
著作権法に認められる引用では改変が出来ないため、
(中略)
と書かざるを得ないのです。
うわあ、そこまで厳密に適用しますか。そうなると私の論文での引用の仕方など落第もいいところだなあ。
私見では、原著の意が正確に伝われば、数学的な表記を等価な別の表記に変える事は何ら問題ないと思うのですが。
「10の5乗」を、10の肩に上付きに5を乗せて書くか、10^5と書くかというのは、全く数学的に等価ですよね。両方の表記は一意に相互に可逆的に変換可能ですし。
それが許されないものと解釈し、原著のままに表現したいがために上付き表記をできるようにするというのは、グリグリさんの負担が増す割には得るところが少ないように感じられます。
現に、かつてインターネットがASCII文字ベース(さらには1バイト文字のみ表記可能だったこともあった)の情報交換しかできなかった時代(それはもっぱら理系研究者の研究情報交換のために用いられていた時代でもあるわけですが)、原著の引用中に上記のような表記の変換をするということなどは日常茶飯事でありましたし。
[58856] 2007年 6月 5日(火)12:43:57【1】白桃 さん
四国の小都会のバス通り裏
[58854]千本桜さん
懐かしの我が故郷の姿、どうもありがとうございます。もうビックリして午前中ずっと眺めてました。
津田のアーケード商店街を見ていて思うのは、この街路って津田のメインストリートなのかな?、それとも脇道なのかな?ということです。
津田のアーケード商店街は松原から続く旧国道から少し入ったこのあたりで、バス通りではなかったと記憶しています。

また三本松の写真の場所は南新町で、三本松高校の移転跡地に出来た新興商店街です。昔のアーケード街(中町、北町、本町)はココで、もちろんバス通りではありません。

津田にしろ、三本松にしろ旧国道沿い(バス通り)に商店街があったわけではなく、ちょっとした漁港ということもあってか、海岸に近いところに商店街が形成されました。
それにしても、三本松の写真は良く撮れております。全国的に公表されるのは面映い気持ちです。念のため申し添えておきますが、人通りが極端に少ないのは、撮影時たまたま白夜であったからでしょう。(笑)
[58855] 2007年 6月 5日(火)08:03:39なると金時 さん
神戸阪急
[58854]千本桜さん
神戸阪急はJR神戸駅前のハーバーランドにあります。(1992年~)
三宮にも、というより昔は三宮にあったんですが、今はありません。

ハーバーランドにわざわざ行く人が少ないから、売り上げが低いのかもしれません。
西武百貨店はたった2年でハーバーランドから撤退しています。
[58854] 2007年 6月 5日(火)07:08:35千本桜 さん
三本松・津田のアーケード街と阪急百貨店神戸
[17155]白桃さん
白桃の知る限りでは岡山県久世町、京都府峰山町のアーケードは印象的です。最近全国的に少なくなっているようですね。さぬき市津田にはまだ残っているはずです。
上記の書き込みを見た時から今日まで4年間ずぅーーーーっと、三本松、津田のアーケードってどんなんだろうと想像しながら生きてきました。それが、今さっき偶然にも三本松、津田のアーケードを見つけてしまいました。三本松のアーケード商店街津田のアーケード商店街。三本松は町並み及びアーケードとも想像していたものに近いのですが、津田のアーケード商店街は想像が外れました。津田の街の規模は、「やっぱりね」と言う感じでしたが、オーバーアーケード(全天蓋アーケード)になっているとは思いませんでした。でも、質感は「やっぱりね」という感じかな。津田のアーケード商店街に関して質問です。以前にも書きましたが、東北地方の都市は概してアーケードが少ないです。津田クラスの街でアーケードがあるのは山形県河北町の谷地だけでしょう。もっと大きな都市、たとえば大河原、岩沼、角田などにもアーケードはありません。津田のアーケード商店街を見ていて思うのは、この街路って津田のメインストリートなのかな?、それとも脇道なのかな?ということです。メインストリートにしては道が細すぎるようだし、バス通りでもない脇道だとするとどうしてその街路が商店街に発展したのだろうなどと、おもいはグリグリめぐります。できますなら、ヤフー地図などに、津田および三本松のアーケード商店街の位置を落として貰えませんか。お願いします。

[58831]ぺとぺとさん
阪急神戸、18年度売上高14,441百万円 、1平方m当434千円。この数字に一瞬ドキッとしました。三宮駅前という立地場所を考慮すると、かなり経済効率が低いのではないでしょうか。神戸の阪急デパートは行ったことがないのであくまで想像ですが、かなりガラガラというか、良く言えばゆとりある店舗なのでしょうね。でも、三宮という濃密な経済効率が求められる場所で、1平方m当434千円だけとは。その数字が創りだす風景、景観、情景、光景と言ったものが、いまひとつ想像できません。丹波地方や但馬地方のショッピングセンターの数字なら納得できるのですが、三宮だとちょっと・・・・・。
[58853] 2007年 6月 5日(火)06:07:42【7】むっくん さん
オーナーグリグリさんにお願い
著作権がらみの話題が出たので、これに関連したことでオーナー グリグリさんにお願いがあります。

書込みに上付き文字を使用できるようにすることは出来ないでしょうか。
と言いますのは、著作権法に認められる引用では改変が出来ないため、例えば[58819]hmtさんの海水淡水化(新潟大学化学工学資料)の引用では
海水の浸透圧 π は約25気圧(25×105Pa)である。
と書かざるを得ないのです。私はこれを読んで25×105Paは
25×10^5Paもしくは2.5MPa
と書きたかったんだなと一目で分かりましたが、単位の換算方法を学習したことのない人にはリンク先を読まないままだと25×105Paであると誤読したままになってしまいます。
ささいな事かもしれませんが、上付き文字の使用についての御検討をよろしくお願いします。

#上記の要望はあれば便利かも、という程度のものです。
[58857]N-Hさんの書込みを受けて追記)


<お願いついでに、指摘を一点。>
glin.jpからuub.jpへのURL移転により、せっかく作成したミニアーカイブがデッドリンクになっています(e.g.シス・トランス地名[51799]など)。この状態を鑑みるに、ミニアーカイブを安心して使えない人がでてくるのではないかとひそかに危惧する次第です。
[58852] 2007年 6月 5日(火)06:00:02【1】むっくん さん
旧国と指導書
[58847]Issieさん
どこまでさかのぼって,いつを基準にするのかを明確にしておいた方がいいように思います。
ある特定の時期に旧国から府県へと変わったとは言えない事に鑑み、日本全国のありとあらゆる場所が幕藩体制でなくなった廃藩置県(明治4年)の日時の前日を旧国の基準として拙稿[58836]
堺市は和泉と河内の2国だけでなく摂津も含めた3国です。
を書きました。
実は私もいつを基準にするかは迷いました。堺市の他にも両国や長野県木曽地方など、旧国の国境が変わった地域もありますから。。。
たださすがに両国は武蔵で長野県木曽地方は信濃である時期を基準に選ぶべきと考え、廃藩置県の前後で分けました。ってこのことはやはり[58836]で触れるべきでした。

[58839]YSKさん
私が言いたかったのは法的な話ではなくて、心情的にどうかといったことです。
すみません。行間を読み違えてしまいました。
心情的な面に関連して言いたいことはいろいろあるのですが、ここでは別の面で一点だけ簡潔に述べたいと思います。
いくら教科書ではない指導書とは言え、授業で使う可能性がある以上、大阪書籍側で指導書に記した当該サイト側の管理者に会ってサイトポリシーなどをきっちり確認し、指導書に載せるにふさわしいかどうかを検証すべきなのではないかと考えます。少なくともこの程度のことは教科書会社として果たすべき最低限の責務であると私は思うのですが。。。
[58851] 2007年 6月 4日(月)23:40:35みかちゅう さん
「おおすみ」関係
「おおすみ」に関するコメント、ありがとうございます。

[58820]k-aceさん
実は、「犬吠埼」も「犬吠崎」だと思っていました
崎・埼・碕の混同もけっこうありますね。地名の正確さという観点からは書き分ける必要があるでしょうが、どの字も「さき」と読むには違いないわけで…。でも「おおすみ」の場合とは違い、どの字でも「さき」と読めるという意味では大して問題がないといえるでしょうか。観光地図などではあまり意識されていないようなことも多いですし。あ、でも「埼玉」と「宮崎」はきちんと書き分けてくださいね。

[58826]スナフキんさん
IMEの単なるミステイクが今の今まで続いているとも考えにくく、意図的である可能性があります。
[58841]じゃごたろさん
辞書を作成するさいに、多分この漢字と似ているからこういう読み間違いをするだろう、なとど『親切心』から間違った読みが登録しているのでしょう
プログラムのミスなのか、誤読対策に意図的に入れているのかは気になるところですね。親切心で入れているのなら、正しい読みを変換の際に表示されるように一工夫してくれればいいのに。普通の人にとっては大きなお世話な機能かもしれないけれど。なお「いばら“ぎ”けん」は「茨城県」って変換されてしまいます。変換ソフトやバージョンによってもかなり違うのは予想されますが、こういう誤読のフォローがなされている単語ってけっこうあるんでしょうか。

[58828]Issieさん
律令時代来,「おほすみ国」は「大隅国」と表記するのが「正しい」とされているようです。
昔は「大隈」と普通に書かれていた、というわけではなかったのですね。一般的に鹿児島県の「おおすみ」を「大隈」と表記しているのは単なるミスと考えてよさそうですね。

[58830]EMMさん
件数的には「おおくま」と比べると圧倒的に少ないんだろうとは思いますが、具体的なところは分かりません
最近の年金納付記録の消滅問題の原因には、けっこうこの手の漢字間違いが含まれていそうだとか。手書きのを入力する際に間違えるというのは当然ありうることなのですが、同様のミスが電話帳の作成の際にも起こっている可能性があります。果たして「大隈」と書いて「おおすみ」、あるいは「大隅」と書いて「おおくま」と読む方がどれだけいるのでしょうか…。手書き時代の戸籍での表記は(俗字等は本人の申請で改められるものの)絶対なわけですが、電話帳の表記にどれほどの信用があるのかも気になります。

戸籍の電算化の際に俗字は一般の字に統一するという扱いがなされつつありますが、手書きの原本はどうなるのでしょう。苗字にしか見られない「珍しい字」も公の場からはぼちぼち見納めとなってしまうのでしょうか。
そういえば住基ネットではどういう扱いがされているんだろう。全国一律のデータベース、私的に検索できたら楽しめるんだろうなぁ。発覚したら処分を受けるだろうけど。
[58850] 2007年 6月 4日(月)23:14:36みやこ♂ さん
立候補
[58838] EMM さん
お急ぎのレスをくださったにもかかわらず,ちょっとのご無沙汰で失礼しました。くだんの書き込み[58722]は,ただの案提示と具体の例示の書き込みを区別したいという願いからのものだったわけですが,この間,[58756]じゃごたろ さんからの具体案提示をいただき,嬉しく思います。

てなわけで,ここのところ全然手つかずのコレクション(市町村一点交差,七差路)を抱えているのにもかかわらず,他にどなたからもお申し出がないようですので,「夜」コレ「雪渓」コレに立候補いたします。
よろしいでしょうか。
[58849] 2007年 6月 4日(月)22:29:06スピカ さん
Re:埴生郡
[58847]Issieさん
ありがとうございます。まさか、同じ名前の郡が二国にあるとは思いませんでした(一国では岩代の白川・白河なんてのもありましたが、読み方が同じなだけですし)。

さて、「国跨ぎ市区町村の定義」ですが、いかがなさいましょうか?僕としては、
1.基準は明治元年(この年に陸奥・出羽が分割)。
2.基本的に合併・編入によって国を跨いだ市町村をカウントする。区については分割をはらむのでこの限りではない。
3.区画整理などによる小規模の区域の交換や多少の境界の変更は跨いだとみなさない。
4.大規模な区域の交換や境界の変更についてはその都度考慮する。
をひねり出しました。まだありそうですが、限界です。河川の変遷なんてのもありそうです。どなたか訂正・追加のアイディアがありましたら書き込みして下さい。
[58848] 2007年 6月 4日(月)22:15:10【1】hmt さん
川越城・江戸城の築城から 550年
昨日は、地元富士見市の「難波田城公園まつり」ということで、川越藩火縄銃鉄砲隊保存会による演武などがありました。
その鉄砲が種子島に伝来した天文12年(1543)の3年後に、「河越夜戦」がありました。もちろん鉄砲はまだ実戦兵器として普及するに至っていない時代ですが。

南西から流れてきた入間川が、武蔵野台地の北端で向きを変えて南東へと回り込み(現在は荒川)、東・北・西の三方からは文字通り川を越えた先の「川越」。
中世には「河越」と書かれたこの地に城を築いたのは扇谷上杉(定正)の家宰・太田道灌(とその父道真)で、河越夜戦より1世紀前の長禄元年(1457)というから、今からちょうど 550 年前でした。
そういえば、同じく太田道灌による江戸築城も同じ年で、江戸東京博物館では築城 550年記念の 特別展 を開催していました。

河越城・江戸城を築いた扇谷上杉は、当時の利根川から東に拠っていた古河公方(足利成氏)の勢力に対抗しており、北部(上野国)を拠点とする関東管領(山内上杉)を含めて3者鼎立状態でした。

# 扇谷(おおぎがやつ)も山内(やまのうち)も、関東公方配下の時代に館があった鎌倉の地名由来です。
河越・江戸と共に道灌が築城したと伝えられてきた岩付(岩槻)城については、近年発見された史料により、すこし後の古河方による築城説が有力です。

歴史的な流れの概略を記した [21598] Issie さんの記事にもあるように、関東は、応仁の乱より一足先に、長い戦乱の時代に入っていました。
古河公方・関東管領・扇谷上杉の3者が抗争する中で勢力を伸ばしてきたのが、伊豆から相模の小田原に進出した北条早雲で、2代目の北条氏綱が天文6年に河越城を奪取しました。

天文15年(1546)、河越城は 旧3勢力の連合軍に包囲されましたが、救援に赴いた3代目の北条氏康が 小勢で奇襲をかけ、包囲する大軍を打ち負かしました。
この 「河越夜戦」 は、毛利元就の厳島の戦(1555)、織田信長の桶狭間の戦(1560)と共に、日本3大奇襲戦とされています。

この戦いで当主朝定を失った扇谷上杉家は、事実上滅亡しました。
冒頭に記した 難波田城公園 は、扇谷上杉の重臣・難波田氏の居館跡ですが、その難波田弾正善銀も、この戦いの最中に
燈明寺口の古井戸へ落て水におぼれて死去也(北条記)
と伝えられます。

地名について補足しておくと、「難波田」は入間川(現・荒川)と新河岸川に挟まれた水害常習の低地帯であり、地名による災いを理由として、江戸時代の安永元年(1772)に村名を「南畑」に改名することを願い出て、許されています。
明治の町村制で上南畑村+3村が南畑村へ、50年前に鶴瀬村などと合併して富士見村へ[55364]

1590年の小田原攻めの後、近世初期の川越城には、江戸に近い要衝として、酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱、柳沢吉保、秋元喬知など、老中・大老クラスの人物がかなり頻繁に入れ替わりました。
[58847] 2007年 6月 4日(月)21:39:12Issie さん
埴生郡
[58842] スピカ さん
成田市も跨いでいるようです。ただ、少々厄介で印旛郡(下総)と下埴生郡(上総)が越国合併しています。
(一部を改変)

もともとは,「埴生(はぶ)郡」という郡が上総と下総の両方にありました。

1873(明治6)年に,下総国12郡のうち東部3郡(海上・匝瑳・香取)を除く9郡(結城・豊田・岡田・猿島・相馬・葛飾・千葉・印旛・埴生)を管轄していた「印旛県」と,上総国9郡(山辺・武射・長柄・埴生・夷隅・市原・望陀・周淮・天羽)全域と安房国4郡(平・安房・朝夷・長狭)全域を管轄していた「木更津県」が合併して「千葉県」が発足しました。
1875(明治8)年には,下総東部3郡が属していた「新治県」が解体されて,下総3郡は 千葉県 へ,残りの常陸国南部6郡は,千葉県に属していた下総国のうちの利根川以北4郡(結城・豊田・岡田・猿島)および2郡(葛飾・相馬)の一部とともに 茨城県 に編入されています。
こうして「千葉県」は,下総国のうち利根川以南の区域と上総・安房両国の全域を管轄するものとなりました。

その結果,千葉県には「上総の埴生郡」と「下総の埴生郡」が属することになりました。
「国」が違うとは言え,同じ県に同じ名前の郡が2つあるというのは不便なので,1878(明治11)年に,上総の埴生郡は「上埴生郡」,下総の埴生郡は「下埴生郡」という名前になりました。
さらに,1896(明治29)年に千葉県で郡の再編が行われ,上埴生郡は長柄郡と統合されて「長生郡」となり,下埴生郡は印旛郡と統合されて「(新)印旛郡」となりました。

…というわけで,「下埴生郡」は,印旛郡と同じ 下総国 の郡で,つまり成田市は 上総国 にはまたがっていません。
現在,成田市は,上総国山武郡(もとの武射郡)に属する芝山町と隣接していて,お互いに微小な“領地交換”をしている区画もありそうですが,このレベルは無視してしまいましょう。
なお,旧香取郡下総町の区域を除く旧成田市は,南西部(旧公津村の区域)を除いた大部分が元の 下埴生郡 に属します。

[58836] むっくん さん
堺市は和泉と河内の2国だけでなく摂津も含めた3国です。

どこまでさかのぼって,いつを基準にするのかを明確にしておいた方がいいように思います。
つまり,「江戸時代」の天保年間までさかのぼってしまうのか。
あるいは,たとえば「郡区町村編制法」によって現在の区画に直接連続する行政区画ができあがった1878(明治11)年に基準を置くか。
「三国ヶ丘」の地名が表わすように 堺旧市街 の北半分が 摂津国 に属していたとしても,郡区町村編制法の段階までには既に大和川が 摂津国住吉郡 と 和泉国大鳥郡 の境界となっていましたから,ここを基準にすれば堺市の領域に 摂津国 は含まれず,和泉・河内 の2国のみにまたがる,で“間違い”ではありません。

繰り返し,
何がしかのものをリストアップしようとするときには,まず「基準」を明確に定義しておくことが必要だと思います。
[58846] 2007年 6月 4日(月)20:35:34【1】YSK さん
過去の話
最近関東内陸を中心に震度2~4程度の地震が頻発しています。本日も13時34分ごろ、茨城県南部を震源とする最大震度3の地震がありました。当地でも震度3を記録しています。土曜日の14時30分くらいにも茨城県南部を震源とする震度4の地震があったばかりで、金曜日の朝7時30分くらいにもやはり震度3の地震が埼玉県北部を震源に発生しました。何か悪い予兆でなければと願うばかりです。

さて、大阪書籍における当サイトのリンク掲載に関して感想に、著作権という切り口から反応があったようで、私の意図しない方向に話が展開してしまったことに驚いています。このことは、専ら私の説明が非常に足らなかったためであり、心よりお詫び申し上げます。[58839]にて「心情的に」と書いた所以は、過去にグリグリさんが[43061]にて見られるような感想を持たれたことがあったためです。この書き込み[43061]を拝見していたことから、オーナーがどのようなお気持ちになるかと案じたというのが発言のすべての趣旨です。
[58845] 2007年 6月 4日(月)19:01:55【1】白桃 さん
浦安と津田沼
2005年5月1日現在推計人口で習志野市(と、打とうとしたら「奈良市の市」になってしまう)を浦安市が上回りました。「ついに」というか「とうとう」というか、正直なところ複雑な気持ちです。
1920年第1回国勢調査で前身の津田沼町9,881人、浦安町9,142人ですから、もともと町の規模は大して差はなかったと思うのですが、地理・人口オタクの三本松小学生をもってしても東葛飾郡浦安町は知らなかった。ほんだけんど、津田沼という駅の名前や習志野市はご存知でした。また、過去18回の国勢調査でも浦安が習志野(津田沼)を上回ったことは一度もなく、例えば1955年には習志野市の人口は浦安の約2倍でした(もっともその当時の浦安は香川県大内町より少なかった!)。その後、習志野市は高度経済成長期に人口を膨張させ、白桃とミッキーが浦安に住み着き、浦安の人口が驚異的な増加を見せ始めた1980年でも、その人口比は変わらなかったのに・・・。ま、銚子や、ついに人口5万人をきってしまった館山の凋落ぶりに比べたら、習志野の人口停滞なんて、特に気にしなくても良いと思うのですが。

あんまり関係ないかもしれませんが、千葉県の高校野球強豪校の移り変わりをみると、
銚子商→習志野→市船橋・東海大浦安 とだんだん東京に近寄って来ている?
(成田、印旛、拓大紅陵は無視)
※2市の人口推移表は省略いたします。
[58844] 2007年 6月 4日(月)18:38:35ezekiel さん
ペンディングのままですね
[58838]EMM さん、

「神戸」コレは現在宙ぶらりんです。

 長い間、ペンディングのままですね!

[55229] グリグリさん、
それよりも、ezekielさんにおかれましては、[54377]の私の書き込みに対してきちんと回答していただきたいと思います。

に対して、

[55716]ezekiel
大変失礼しました。「落書き帳」ですね。以後気をつけます。

 私の方は、「それよりも・」と言われたことにちゃんと対応させていただいたのですが…

 準備は出来ているのですが、まだペンディングが続くのでしょうか?
[58843] 2007年 6月 4日(月)13:21:36スピカ さん
訂正
[58842]自スレ
印旛郡が下総で、下埴生郡が上総でした。訂正いたします。
[58842] 2007年 6月 4日(月)13:17:33スピカ さん
成田市
[58821]桜トンネルさん
成田市も跨いでいるようです。ただ、少々厄介で印旛郡(上総)と下埴生郡(下総)が越国合併しています。1954年の成田市発足時から上総・下総に跨っていて、2006年に香取郡(下総)2町を編入しています。市役所は下総にあります。
桜トンネルさん、調査お疲れ様です。
[58841] 2007年 6月 4日(月)09:01:22じゃごたろ さん
re: 名字・名前の読み書きの「揺れ」は地名の比でなく
こんばんは、じゃごたろです。

[58830] EMM さん
「大隈」を「おおすみ」と読むのは名字の話のようです。
個人的な見解としては、これは戸籍登録上のミスに由来するのではなだろうか、と思ってます。「大隅(おおすみ)」と登録しようと思ったのに、何らしかのミスで「大隈(おおすみ)」と登録されてしまい、現在に至っているのでは、と。


[58811] 2007 年 6 月 3 日 (日) 01:04:01 みかちゅう さん
「おおくま」で変換しても「大隅」は出ないからでしょう。
ところで私のPCでは「おおすみ」でも「おおくま」でも「大隅」「大隈」の両者が候補として表示されてしまいます。みかちゅうさんの辞書とは違うようですね。

で、以前にも触れたことがあったと思いますが、これは現在のPCの日本語変換の功罪を顕著にあらわしていますよね。あくまてもPCの日本語変換とは、いかに早く入力できるか、ということに主眼が置かれていて、「間違った読みでも変換できてしまう」ケースが見られます。辞書を作成するさいに、多分この漢字と似ているからこういう読み間違いをするだろう、なとど『親切心」から間違った読みが登録しているのでしょうが、知らない人にとってはそれが本来の読みや漢字であると誤解されてしまうおそれがありますね。
[58840] 2007年 6月 4日(月)07:52:25N-H さん
著作物へのリンクについて
私は仕事上論文を書いて外部に発表するということをやっているわけですが、論文には最後に参考文献というものを羅列します。
一般に学術論文においては、他の著作の引用については出典を明らかにすれば著作者に許可なく行うことが慣例となっているわけです。というか、他者からの引用を行わないような論文は、むしろその分野の過去の研究との関連が明らかでないということで、かえって信用度に問題あり、などとされます。
さて、そこで、最近ではその参考文献として、インターネット上のURLを提示することがままあります。本来はURLは時がたつと変化することが多いので、あまり好ましいことではないのですが、便利でかつ簡単に読み手が参照できるので、瞬く間に一般的になりました。
その場合、著作物の一部を引用する際にすら原著者への許可をとらない慣例なので、ましてやリンク程度で許可を取るということは考えたこともありませんでした。
学術論文とはいえ、査読の結果掲載が許可されれば、著作物となって出版されますので、一般の書籍雑誌とは何ら変わることは無いと思います。

ということで、著作物へのリンクの掲載に際して原著者への許可をとる必要はないものと考えます。
とはいえ、私がもし地理分野の研究者であって、自分の論文中にグリグリさんのページを引用しようと思ったら、もちろんこれまでのお付き合いもあるしリンクの許可をとるとは思いますが。
[58839] 2007年 6月 4日(月)07:35:17YSK さん
レス2件
[58838]EMMさん
レスありがとうございます。各編集者に任されているということですので、烏川さんの書き込みが見られるようになったタイミングで直接ご本人に依頼したいと思います。

[58837]むっくんさん
レスありがとうございます。拙稿の言葉が足りなかったのは申し訳ないのですが、私が言いたかったのは法的な話ではなくて、心情的にどうかといったことです。
[58838] 2007年 6月 4日(月)02:17:33【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第118号
[58756] じゃごたろさん
新たに「コレクション案」のページを作り、それへのリンクをトップページに設定して、そこにどういう案と誰が手を挙げているかがわかるようする。その際に本ネタである書き込みを各案にリンクさせてみる、というのはいかがでしょうか。
独立のページを作る、と言うのはいい手ですね。
確かに現在は半年ないし1年に1回投稿記事としてまとめている状態で、話題が出てからかなり経った後でリストが掲載される事になっています。
また、「案」が増えてきてかなり行数がかさんできており、落書き帳の投稿という形を続けるにはちょっと縦幅がきつくなってきたかな、と言うことも思ってました。
地名コレクショントップページ飲み直しに際しての参考に…と最初考えたのですが、よくよく考えると現行のシステムでもできないことはないと言うことを思いついてしまいました。
現行のコレクション群の最後に「備考」と言った形で新たなカテゴリを作り、そこに地名コレクション形式でコレクション案の一覧を放り込んでしまう(データ行のトップに「※」を付ければコレクション総数にカウントされないので、全データに付けておく)、という方法です。
これなら現行のシステムでも専用ページを作る事は可能です。
ただ一方で、現行の「3行表示」の形のところにそう言うものを入れるのはどんなもんなんかなぁ、と言うのが引っかかっている…と言うのもありまして、ここら辺はちょっと検討させて下さい。


[58809] 桜トンネルさん
[58125](EMMさん)や[58132](桜トンネル)で話になった「気象コレクション」に関して、考えた結果ですが、引き受けさせてもらおうと思っています。なので、改めて申し上げます。「気象コレクション」の編集をやらせていただけないでしょうか?まとめ方については[58122]に書いてあるやり方で収集しようと思っています。
[58122]で触れている「天気記号になっている用語のみ」と言う範囲であれば5ケタ到達はないだろうと推測していますが、それでもどこまで大きくなるか分からない面があります。
本件は分割しやすい状態ですので「3000件越えが確実となった場合は必ずコレクションを分割する」と言う点をご了承頂ければ登録します。
あと、気象用語の中でも天気名に区切った形になるので、「天気名」コレクションにした方が内容と合致するのではないかと考えたのですが、いかがでしょうか?
それと気になっているのですが、「神戸コレクション」に関してはどうなったのでしょうか?ezekielさんがどうすると言っておさまったんでしたっけ?なぜこんなことを聞くのかというと最近「神戸コレクション」にも興味を持ち始めたからです。
「神戸」コレは現在宙ぶらりんです。こちらは正式に手を挙げて頂けるのであれば即登録します。


[58835] YSKさん
銀座コレクションのご担当は烏川碧碧さんなのですが、おそらくご多忙等の理由で編集作業ができない状態であると推察いたします。しかしながら、登録依頼より2か月以上が経過しておりますので、貴重な情報であることも勘案し、編集長の職権で追加していただくことはできないのでしょうか。よろしくご検討のほどお願い申し上げます。
確かに編集長権限で全てのコレクションのデータを編集することができる訳ですが、問題は編集者の皆さんが「編集者画面に直接データを打ち込んで管理している」方と「テキストデータあるいは別のファイル形式にして自分のコンピューター上でデータ管理している」方に分かれることです。
もし別ファイル形だと私が編集画面上のデータに手を入れたとしても後に編集者の方が手持ちのファイルで上書きするとその部分が元に戻ってしまう可能性があります。
そのため、SANUKI-Impactさんの時のように代理編集の依頼を受けたか、あるいは後継編集者募集のため編集長預かりとしているもの以外は編集長権限での編集は行わないようにしていました。
もし「どうしても」と言うことでしたら烏川碧碧さんにメールでその旨お伝えしますが、いかがいたしましょうか?




※別件の追記:
[58771] むっくんさん
「気比の松原」に関する情報提供ありがとうございました。
さっそくコレクションに反映させて頂きました。
[58837] 2007年 6月 4日(月)01:23:28【7】むっくん さん
著作権
[58834]YSKさん
ホームページ上におけるリンク掲載については、トップページの【免責および注意事項】によりますとトップページのみリンクフリーとのことですが、指導者向け図書とはいえ著作物にもリンクを、オーナーの許可を得ずに掲載しているとなると・・・。
まずはWeb上でのリンクから考えます。
一般にリンクをすること自体は著作権法が予定する行為に触れること自体考えられず(単なる参照情報と考えられています)、何の問題もないというのが通説であり政府見解です。
#そもそもリンクなしにWebは成り立たないにもかかわらず、リンクフリーという言葉があること自体が変なのです。

そして、トップページにリンクしてくれということも法的には何の拘束力も持ちません。『基本的にURLは頻繁に変わることもあり、変更時にはトップページには変更後のURLを示しますのでトップページにリンクして下さい』というサイト側のお願いにすぎないのです。
#外部からトップページ以外へのリンクを嫌うならHTTP_REFERERで切ればいいだけなのでは、と個人的に思います。

次に本件のように本や雑誌にURLを掲載する場合を考えます。
この場合、不法行為でないこと等の確認のために本や雑誌の発行者側でHPの作者側に連絡をとるのが一般的であるようですが、本サイトのように会員制を取らず無料で閲覧できるHPについては連絡をとらなくても法的には特に何の問題もないものと思われます。
#ちなみに有料サイトや会員制の無料サイトのURLを本や雑誌に掲載する場合では、トップページ以外のURLを掲載すると相手サイトの権利を侵害することがあり、何らかの法的責任を負わされる場合があります。これはWeb上で有料サイトや会員制の無料サイトに対してリンクを貼る場合でも同様です。

最後にリンクの件についてWebの発明者のTim Berners-Lee氏がどう考えていたのかをHPより引用して本稿の締めとさせていただきます。
There is no reason to have to ask before making a link to another site
[58836] 2007年 6月 4日(月)00:34:32【1】むっくん さん
堺と三国ヶ丘
[58821]桜トンネルさん

堺市は和泉と河内の2国だけでなく摂津も含めた3国です。
現在、大和川は大阪市と堺市の市境ですが、天保国絵図(摂津国)を見ると大和川は摂津国内を流れていることが分かりますので、堺市に摂津の区域があるのは間違いないようです。
過去にも「三国」コレクション収録の三国ヶ丘(堺市)の話題があり、アーカイブ地名・堺と三国ヶ丘の関係としてまとめられていますのでそちらの方も参照願います。
[58835] 2007年 6月 4日(月)00:25:24YSK さん
銀座コレクション情報追加のお願い
[58818]稚拙さんの記事を拝見して、テキストリンクされている[57274]かわっちょさんの記事にある「山辺銀座」を見つけました。この「山辺銀座」は足利市にあります。位置等についてはその後の私とのやり取りで足利市八幡町付近の商店街と教えていただき、私からも登録依頼を行った経緯があります(下記リンクを参照)。銀座コレクションのご担当は烏川碧碧さんなのですが、おそらくご多忙等の理由で編集作業ができない状態であると推察いたします。しかしながら、登録依頼より2か月以上が経過しておりますので、貴重な情報であることも勘案し、編集長の職権で追加していただくことはできないのでしょうか。よろしくご検討のほどお願い申し上げます。

山辺銀座関連の記事
[58834] 2007年 6月 4日(月)00:10:45YSK さん
Re:リンク
[58832]小松原ラガーさん
早速ご確認くださいましてありがとうございます。URLのこともそうですが、[58557]にてグリグリさんが、

私のところにメールで来ている掲載許可依頼には「教科書」に該当するものはなかったと思います。

とおっしゃっていることが気がかりです。ホームページ上におけるリンク掲載については、トップページの【免責および注意事項】によりますとトップページのみリンクフリーとのことですが、指導者向け図書とはいえ著作物にもリンクを、オーナーの許可を得ずに掲載しているとなると・・・。
[58833] 2007年 6月 4日(月)00:09:55【1】k-ace さん
「おおすみ」&リンク
[58830] EMM さん
「大隈」を「おおすみ」と読むのは名字の話のようです。
須崎さんのホームページで大隈を検索するとその読みの中に「おおすみ」が記載されていますし、ATOKでは「大隈(おおすみ)」は「固有人姓」のみ登録があり「固有地名」での登録はありませんでした。
MS-IMEでの扱いがどうなっとるかは分かりません。
「大隈」と書いて「おおすみ」と読む方がいらっしゃるんですね…。知りませんでした。全国の大隈(おおすみ、おおずみ)さん、すみませんでした。


[58832] 小松原ラガー さん
確かにリンクされていますね。但し、リンクのアドレスが旧の http://glin.jp のままですが・・・。これって、気が付いてしまうと「直してくれ~。」と大阪書籍に言いたいものですね。
私もURLのことが気になりました。で大阪書籍のHPに「その他のお問い合わせ,ご連絡」というところがありましたので、つい先ほどURLを直してほしい(実際はもう少し丁寧に書いていますが)と書いて送っておきました。
[58832] 2007年 6月 3日(日)23:44:22小松原ラガー さん
リンク
小松原ラガーです。

[58829] YSK さん の記事に従って私も大阪書籍のHPを見てみました。確かにリンクされていますね。但し、リンクのアドレスが旧の http://glin.jp のままですが・・・。これって、気が付いてしまうと「直してくれ~。」と大阪書籍に言いたいものですね。
[58831] 2007年 6月 3日(日)23:37:52ぺとぺと さん
ドミナント戦略?
[58817]なると金時さん
それにしても、梅田、尼崎、西宮、御影、三宮って作りすぎじゃないのかなあ。
[58823]小松原ラガーさん
因みに、お仲間の阪急百貨店はというと、阪急電車の沿線だけで梅田、千里、川西、宝塚、四条河原町、神戸(一応神戸高速まで直通運転しているので沿線に含めました^^;)とあり、電鉄沿線以外では三田、北花田(堺市)、有楽町、大井町、都筑となっていますので、阪神の店舗の展開も、作りすぎと言えばそうだし、そんなもんだと言えばこれまたそうだし、微妙な感じですね。

私も10年ほど前、川西に阪急百貨店が出来ると聞いたときには「人口15万人都市の、しかも梅田から25分の駅前に百貨店なんて作って誰が行くの?」と思いましたが、その後閉店に追い込まれることなく生きながらえています。たまに実家へ帰る際、川西阪急で手土産を買ったりしますが、結構な盛況ぶりです。
ちなみに、以下は阪急百貨店の平成16年度以降の店舗別売上高の推移ですが、川西阪急、宝塚阪急ともに同一沿線の三田店Open(平成17年9月)後の18年度も売上は微増となっています。商圏に見合った店舗規模にすることで、共食いをうまく避けているのでしょうね。
また、近年デパ地下がブームですが、地元の中高所得者層を取り込みやすい食料品の売上げも捨てたものではないのではないでしょうか。もっとも、「イニシャルコストを吸収して利益があがっているか」という観点では、また別なのかも知れませんが。

16年度売上高(1平方m当)17年度売上高(1平方m当)18年度売上高(1平方m当)
本店192,073百万円2,779千円182,650百万円3,594千円170,610百万円3,357千円
千里18,165百万円1,328千円18,934百万円1,375千円19,155百万円1,391千円
川西19,266百万円1,241千円19,872百万円1,280千円20,669百万円1,331千円
宝塚9,846百万円1,369千円10,148百万円1,411千円10,512百万円1,462千円
神戸15,430百万円464千円14,787百万円444千円14,441百万円434千円
四条河原町7,149百万円777千円6,625百万円720千円6,675百万円714千円
三田808百万円377千円1479百万円690千円
(出所:阪急百貨店決算短信)

阪急はさらに西宮北口博多にも新規出店するようですね。
阪神も阪急との経営統合で保守路線からの変革を図ろうとしているのか・・・。
[58830] 2007年 6月 3日(日)23:31:57【1】EMM さん
名字・名前の読み書きの「揺れ」は地名の比でなく
[58820] k-aceさん
[58826] スナフキんさん
[58828] Issieさん

「大隈」を「おおすみ」と読むのは名字の話のようです。
須崎さんのホームページで大隈を検索するとその読みの中に「おおすみ」が記載されていますし、ATOKでは「大隈(おおすみ)」は「固有人姓」のみ登録があり「固有地名」での登録はありませんでした。
MS-IMEでの扱いがどうなっとるかは分かりません。

#件数的には「おおくま」と比べると圧倒的に少ないんだろうとは思いますが、具体的なところは分かりません。
すぐ手に取れるところにあった電話帳を見た限り、金沢市・福井市・高岡市には見られません。

##名字ではこういう事例、結構あります。
例えば「たつみ」さんには「辰巳」「辰已」「辰己」が見られますし…(まるで間違い探し)
「已」は「い」、「己」は「き」「こ」で、これを使って「たつみ」と言うのはどう考えても間違いなのですが、「いや、わしゃ戸籍でこういう字になっとるし、こう書いてたつみと読むんじゃ」と言われればそれまでなのです。
[58829] 2007年 6月 3日(日)23:00:22YSK さん
大阪書籍
教科書の指導書に当ページのリンクが掲載されているということで、大阪書籍サイトを確認しましたところ、教科別資料/中学校/社会/リンク集(地理的分野)とたどった先にある、第2編「地域を調べる」第2章「都道府県を調べる」の部分に「都道府県市区町村」へのリンクが掲載されていました。指導書へのリンク掲載と関連があるのでしょうか?
[58828] 2007年 6月 3日(日)22:54:30【2】Issie さん
半径千キロの円
[58820] k-ace さん
小学校・中学校・高校の地図帳の「東京から1000kmの円」って東京のどこを基点にしているんでしょうか?

学校で使う「検定済み教科書」としての地図帳は多くがB5版で,最近はA4版のものも出るようになってきたけど,いずれにしても,見開きB4またはA3の大きさでは,“半径1000kmの円”を描けるような地図は,相当に縮尺の小さい(対象地域をかなり小さく縮小して描いている)地図ということになりますね。
東京中心となると,東アジア全域や北西太平洋全域が入るような地図になるでしょうか。

…とすると,すでに「東京都」全体がかなりの程度まで縮小されていて,先の磨り減った鉛筆やマーカーでマークしようものなら“点1つ”で東京都全体(島を除く)を覆ってしまうかもしれません。
ここまで縮小されれば,もはや「東京のどこ」を求めるのは無意味だと思われます。丸の内の旧都庁や東京駅,皇居にしても,新宿淀橋の現都庁にしても,それは尖らせた鉛筆の芯の先端程度の違いもないでしょう。
東京湾(これも,恐らくはごく大雑把にしか描けないと思いますが)の奥の“然るべき位置”を中心に描くことになるのだと思われます。
敢えて言えば,こういう時こそ「日本経緯度原点」の出番なのかもしれません。

なお,地図帳の後ろに掲載されている統計表の気候データにある「東京」の 北緯35度41分・東経139度46分 とは,大手町の気象庁の位置です。

「大隈」=「おおくま」だけだと思っていました。「おおすみ」とも読むのですね。

「読むこともある(かもしれない)」というだけです。
Windows のおまけについているメジャーなIMEで,デフォルトで早い順位に出てきてしまうので,つい「大隈」と“誤変換”してしまいがちなのですね。
だからといって,南九州の「おほすみ(大隅)国」を「大隈国」と書くことがある,というわけではありません(だからといって,「書くことが決してない」というわけでも,必ずしもありません。あるかもしれない)。
とりあえず,律令時代来,「おほすみ国」は「大隅国」と表記するのが「正しい」とされているようです。
[58827] 2007年 6月 3日(日)22:52:46YSK さん
気になるロータリー?
先日仕事で太田市粕川町内を自動車で走っていたところ、このような場所を通過いたしました。風車のように四方から道路が接続しています。中央の区画には建物は無く、植物が植えられています。ロータリーといいますか、むしろ丁字路が極めて近接して4つある構造といったほうが正確だと思われますが、あまり見ない変則的な交差点群でした。
[58826] 2007年 6月 3日(日)22:33:48スナフキん さん
「おおすみ」の話
[58811]みかちゅうさん
[58820]k-aceさん
「おおすみ」問題ですが、どうやっても隈の字は「すみ」とは読みません、明らかな誤りです。念のためと思って手元にある漢和辞典を調べましたが、間違いありません。

しかし、MS-IMEでは確かに「おおすみ」と入力すると候補に「大隈」が出てきます。しかもこれ、つい最近始まった話ではなくて、確かWindows95の頃からずっと引きずっている話だったと記憶しています。ということは、IMEの単なるミステイクが今の今まで続いているとも考えにくく、意図的である可能性があります。

ひとつ気になったのは、先ほど調べた漢和辞典にはこんなことが書いてありました。「隈」の字には「山の入りくんだすみ」という字義があるようです。この意味をそのまま素直に読みとして定着させてしまった、いわゆる「慣用」の可能性がどこかに潜んでいるかもしれません。それは地名としてか人名としてか、ちょっとそこまでは調べていませんが…。

ただいずれにせよ、鹿児島県の大隅国は「隈」の字では間違いです。みかちゅうさんが指摘されている比率ですが、ネットの検索結果は、恐らく字体が似ているために混同してそのまま流れている誤りだと考えられます。そして数が多すぎるのは、IMEがおおすみ→大隈を基本的な日本語変換ソフトであるIMEが長いこと設定していること、「隅」と「隈」の字とがあまりにもよく似ていることが大きな原因と思われます。
[58825] 2007年 6月 3日(日)22:02:15スピカ さん
一応…
横浜市については[58515]、酒田市については[58707]で僕が指摘しています。
高槻市は1958年に京都府南桑田郡樫田村を吸収しているので摂津・丹波ではないでしょうか?逆に、合併した他の町村は全部三島郡(摂津)ではないでしょうか?
[58824] 2007年 6月 3日(日)21:22:42TAMA さん
地理の教科書と…
[58790] スピカさん

今年の中学校地理の教科書にも書いてありました。。
あの世界地図が大の苦手なんですよ(苦笑

[58821] 桜トンネルさん
調査お疲れ様です。
[58823] 2007年 6月 3日(日)21:06:08小松原ラガー さん
急に増えるとやはりそう感じるかも
小松原ラガーです。

[58817] なると金時 さん
それにしても、梅田、尼崎、西宮、御影、三宮って作りすぎじゃないのかなあ。

高々30Km弱の沿線にこの数だと一瞬そのように感じますね。でも、よく考えると尼崎は阪尼ではなくJ尼だし、西宮も御影も特急停車駅ということを考えると、妥当かもしれません。今までが創業以来の長い間梅田一店舗主義を貫いていただけに作りすぎのように感じるということもあるかもしれません。もう一つ言及するならば、梅田以外は三宮、西宮、尼崎、御影共にフロア的には1ないし2フロアのみということで、一点豪華主義から小規模分散型に変わってきているのか、という感じですね。因みに、お仲間の阪急百貨店はというと、阪急電車の沿線だけで梅田、千里、川西、宝塚、四条河原町、神戸(一応神戸高速まで直通運転しているので沿線に含めました^^;)とあり、電鉄沿線以外では三田、北花田(堺市)、有楽町、大井町、都筑となっていますので、阪神の店舗の展開も、作りすぎと言えばそうだし、そんなもんだと言えばこれまたそうだし、微妙な感じですね。
[58822] 2007年 6月 3日(日)20:37:54おがちゃん[日本人] さん
ロータリー
[58599]桜トンネルさん
そこで合っています。
[58821] 2007年 6月 3日(日)20:35:04【4】桜トンネル さん
国に跨る市&益田市
今日、やっと、「神代コレクション」を作り始めました。目標は夏休み(8月ごろ)なので、あせらずにゆっくりとぼちぼち進めて行きたいと思います。
さて、[58809]で「国境に跨る市」が他にもありそうなので調べてみる、と言っていたので、今日朝起きてすぐに調べてみました。まずは市バージョンからです。

市名またがる国1つ目またがる国2つ目またがる国3つ目参考書き込み
八幡平市陸中陸奥×[58707]スピカさん
釜石市陸中陸前×[58707]スピカさん
酒田市羽後羽前×[58707]スピカさん
岩沼市陸前磐城×[58707]スピカさん
郡山市岩代磐城×[58707]スピカさん
須賀川市岩代磐城×[58707]スピカさん
白河市磐城岩代×
筑西市常陸下総×
下妻市常陸下総×[58707]スピカさん
つくばみらい市常陸下総×
取手市下総常陸×
龍ヶ崎市常陸下総×
足利市下野上野×
桐生市上野下野×
千葉市下総上総×[58711]ケン(地理好き)さん
鴨川市安房上総×
横浜市武蔵相模×[58515]スピカさん、[58711]ケン(地理好き)さん
かほく市加賀能登×[58809]桜トンネル
郡上市美濃越前×[58707]スピカさん
下呂市飛騨美濃×[58707]スピカさん
中津川市美濃信濃×
島田市駿河遠江×[58707]スピカさん
沼津市駿河伊豆×[58707]スピカさん
豊田市三河美濃×
志摩市志摩伊勢×
福知山市丹波丹後×[58707]スピカさん
京都市山城丹波×[58711]ケン(地理好き)さん
大阪市摂津河内×[58711]ケン(地理好き)さん
堺市和泉河内摂津[58836]むっくんさん
高槻市摂津丹波×[58718]スピカさん
神戸市摂津播磨×[58711]ケン(地理好き)さん
朝来市但馬播磨×
赤穂市播磨備前×
大田市石見出雲×
岡山市備前備中美作[58711]ケン(地理好き)さん
倉敷市備中備前×
真庭市美作備中備前[58707]スピカさん
三次市備後安芸×[58707]スピカさん
東広島市安芸備後×
三原市備後安芸×[58707]スピカさん
尾道市備後安芸×
宇部市長門周防×[58707]スピカさん
北九州市豊前筑前×[58707]スピカさん
宇佐市豊前豊後×
豊後高田市豊後豊前×

3つの国にまたがっているところは「岡山市」のほかに「堺市」、「真庭市」があったことにびっくりしました。「岩沼市」と「豊後高田市」なのですが、僕が参考にした地図を見てみると国境をまたいでいないように書かれていました。でも、「岩沼市」と「豊後高田市」は相手の国の一部を編入しているようなので、またいでいることになりそうです。
入っている市を見ていると大都市のほかに「えっ、そんなところも?!」と言うものがいくつかありました。4つの郡にまたがるという問題が十番勝負に以前出ていましたが、その時は小さい市と大きい市の割合が3:7ほど並んでいましたが、今回は5:5の割合で埋める形になっていますね。国にまたがる市というのはなんと言っても位置が一番関係しているようですね。
一番最初に来ている国(またがる国1つ目)は町役場または市役所がある地域をさしています。2番目に来るもの(またがる国2つ目)はその他の地域(合併してできた箇所)となっています。2番目に来るものと3番目に来るもの(またがる国3つ目)は適当に並べているので、並べ方は何にも基づいていません。
このうち、平成の大合併により国をまたぐことになった市は「八幡平市」、「白河市」、「つくばみらい市」、「取手市」、「鴨川市」、「かほく市」、「郡上市」、「下呂市」、「豊田市」、「志摩市」、「福知山市」の11市ありました。それ以前のものは昭和の大合併でなったものがほとんどでした。多いような気がしましたが、それほど多くもなようですね。さて、市のバージョンでは45市ありました。関東や近畿あたりに偏っている感じがしますね。九州には2つしかありませんでしたし・・・。
できるだけ、部分編入のものも書いてみましたが、抜けているものがあるかもしれません。実際、ここに打っていっている途中で、「豊田市」と「赤穂市」が抜けていることに気付きましたし・・・。なので、抜けているものや間違いがあった場合、30時間以内にお教えください。
では次は町バージョンです。

町名またがる国1またがる国2またがる国3参考書き込み
岩手郡葛巻町陸中陸奥×
西白河郡矢吹町磐城岩代×
山武郡横芝光町下総上総×[58707]スピカさん
河北郡津幡町加賀能登×
榛原郡川根町遠江駿河×
榛原郡川根本町遠江駿河×[58707]スピカさん
度会郡大紀町伊勢紀伊×
豊能郡豊能町摂津丹波×
飯石郡飯南町出雲石見×
加賀郡吉備中央町備中備前×[58707]スピカさん

さすがに、町で3つの国にまたがるところはありませんでした。市には到底かないませんが、10町もあったのはおどろきです。
平成の大合併で国をまたぐこととなった町は「横芝光町」、「大紀町」、「飯南町」、「吉備中央町」の4つでした。「大紀町」では旧・紀勢町がまたがっていたのですが、新設合併をしたので、「またぐことになった」と言う表現を使っています。それは市にも適用しています。こちらも間違いか抜けているものがあった場合、30時間以内にお知らせください。

訂正【1】:[58825]スピカさんの記事にある指摘部分を反映しました。あと、分かりやすくするために少し文を追加しました。
訂正【2】:文を少し追加しました。
訂正【3】:[58836]むっくんさんの記事のものについて反映しました。あと、[58842]スピカさんの記事にある「成田市」についても調べてみましたが、分かりませんでした。僕が調べると印旛郡は下総という結果が出て来たのですが・・・。むっくんさんのように参考にしたホームページなどを書いていただくとありがたいのですが・・・。ひとまず、誰かお分かりになる方はお知らせお願いします。
訂正【4】:[58847]Issieさんのご指摘があったので、「成田市」をここから削除しました。Issieさんありがとうございました。
[58820] 2007年 6月 3日(日)19:34:50【1】k-ace さん
「大隅・大隈」&東京の中心など
こんばんは、k-aceです。

[58811] みかちゅう さん
地図の書き方を説明する際に出てくる半島名に「おおすみ半島」というのがあります。みなさん、当然漢字でかけますよね? もちろん「大隅」です。しかし、「大隈」が落書き帳の書き込みで大量に引っかかります(検索結果)。手書きでもないのにこんなに出るものか、と思って試しに「おおすみ」で漢字変換すると「大隈」も不思議なことに出てくるんですよねぇ…。
拙稿[58807]で「大隈半島」(野馳(後)、「大隅半島」に修正済み)って書いたんですが、その時の話をば。
「おおすみ」と打つとなぜか「大住」が最初に出てきました。で、普通は「大隅」が最初に出てくると思って、無意識にEnterを押したんですが、違ったので打ち直してみたら「大隈」が出てきたんですが、それを「大隅」と誤認し、それで打ったまま投稿してしまいました(汗)
「大隈」=「おおくま」だけだと思っていました。「おおすみ」とも読むのですね。
実は、「犬吠埼」も「犬吠崎」だと思っていました(今回、地図で確認して「犬吠埼」と間違えずに書きましたが…)。


[58814] geo さん
[58815] Issie さん
小学校・中学校・高校の地図帳の「東京から1000kmの円」って東京のどこを基点にしているんでしょうか?


[58818] 稚拙 さん
すみません、[57274] 2007 年 3 月 15 日 (木) 10:12:12 かわっちょ さん
の書き込みの「中学校「歴史」教科書(大阪書籍)」のうしろに
「の指導書」と書いてあるのを見落としていました。
[58503] 稚拙 さんの書き込みは、[57274] かわっちょ さんの書き込みに対する反応だったんですね…。
[58819] 2007年 6月 3日(日)18:51:20【1】hmt さん
水道の蛇口の向こう側(6) 河川以外の水源
[9323] ペーロケ[utt] さん
ハウステンボスでは、海水を淡水化して利用しているみたいです。
[58725] むっくん さん
水不足に対する最終的な切り札は海水の淡水化施設を作ることでしょうね。沖縄県や福岡市のように。
[58726] スナフキん さん
「余計なことに金を使うくらいなら、海水淡水化プラントをもっと作ったらえぇ」の言葉がすべてを物語っています。

特殊なケースについて海水淡水化が実用化されていることは確かですが、海水を水道の水源とすることは、エネルギー的には非常に大きな負荷になることを、最初に認識しておく必要があります。

新潟大学化学工学資料の中の 海水淡水化 を見ると、
海水の浸透圧 π は約25気圧(25×105Pa)である。
と書いてあります。
わかりやすく言えば、海水を淡水化するということは、高さ 250mの滝を逆流させるだけのエネルギーが理論的に必要だということです。単位を換算すると 1m3あたり 0.69 kwhです。

実現できる技術としては、この理論値よりもはるかに大きなエネルギーが使われます。
同じページによると、単蒸留の蒸発潜熱は、浸透圧からの理論値の1000倍近い 626 kwh(1m3あたり、以下同じ)であり、海水淡水化技術の主役である多段フラッシュ蒸留でも 42 kwh。更に、真空・冷凍-蒸気圧縮プロセスの全エネルギー消費は 10.6 kWhとあります。

適当な半透膜を開発すれば、海水側に圧力をかけることにより、浸透圧に逆らって真水を押し出すことができるのですが、実際には 60気圧程度の圧力をかけ、膜モジュール内を流れる抵抗もあるので、前記 0.69 kwhの理論値ではゆかず、逆浸透法 のエネルギー消費は 8 kwh程度だそうです。

沖縄県企業局 によると、1997年に北谷町に完成させた逆浸透法による 4万m3/日の海水淡水化施設は、総事業費 347億円の 85%を国庫補助により、 1m3あたり約 170円の造水コストになるものと試算されています。

この4万m3/日という数字は、[58781]の吉野川水利権の時に用いられていた単位に換算すると、0.46 t/秒に過ぎませんから、海水淡水化は、いかに莫大な設備費がかかるものかがわかります。
沖縄の場合は、大きな河川を生み出す森林(面積と共に雲を生み出す高さが必要)に欠けるという特殊事情から、85%の国庫補助によってでも、海水淡水化を実現させる必要があったものと理解されます。

「雲を生み出す高さ」と言えば、洋上アルプスの屋久島は、小さな島なのに水があふれています。
余剰水を沖縄に輸出できないものか?

塩分濃度の大きい海水を淡水化するのは、このように大変なことですが、少し塩気があって飲用に適さない地下水など、もっと塩分の少ない水源があれば、逆浸透法は、もっと効率よく利用できるでしょう。水道水中に塩分が多い米国の西海岸などでは、家庭用の逆浸透装置もあると聞いています。

河川以外に求めるべき水源は、海水だけではありません。
下水処理水のリサイクルも考えなければいけないのですが、まず着目すべきものは、都会に降って無駄に流れ去る雨水でしょう。
東京ドームの屋根から集めた雨水は、雑排水を浄化処理した水と混合されて、中水としてリサイクルされています。一応、上水とは区別していますが、水道の水質基準を満たしているようですから、イザとなれば飲めるでしょう。

雨水は、降り始めの1.5mm程度は二酸化炭素や大気中の汚染物質を多く含んでいますが、最初の2mm程度を捨てれば、あとは天然の浄化システムにを通った水です。

本格的な雨水貯留施設では雨量計と連動した弁を使うと思いますが、家庭用ならば、雨樋の先に設けた太目のバイプによって屋根上2mmに相当する初期雨水を溜めるという簡便な排除装置により、これから溢流する雨水を自家用の中水として別に蓄えることもできると思います。

そういえば、昔は広く利用されていた「天水桶」という言葉も、死語になっているようです。
[58818] 2007年 6月 3日(日)11:24:05稚拙 さん
指導書
すみません、[57274] 2007 年 3 月 15 日 (木) 10:12:12 かわっちょ さん
の書き込みの「中学校「歴史」教科書(大阪書籍)」のうしろに
「の指導書」と書いてあるのを見落としていました。

「教科書」と「教科書の指導書」とでは月とすっぽんとは思っていませんでした。
どっちにしても全国の生徒がみんな目にするものだと思っていました。

というわけですみません。

さあ、過去ログの残りを読まなくては。

[58514] 2007 年 5 月 17 日 (木) 23:36:23 EMM さん
教科書関連というと、この件ですかね??

[58503] 稚拙さん
[58506] k-aceさん ほか

以前[57274]でかわっちょさんと言う方が
中学校「歴史」教科書(大阪書籍)の指導書にこちらのHPが紹介されていたのでおじゃましております。
と書かれていらっしゃいましたが、この件だとすると教科書にも書かれているのか指導書だけに出てるか分かんないですね。
指導書だけに出てるとすると、先生が授業で都道府県市区町村のURLを参考資料として提示するか、生徒が勉強の参考に指導書まで買ってくるかしないと生徒の目には入らないですね。
(教科書取り扱いの本屋に行くと、指導書も売ってる場合有り。私の高校生の頃は金沢の該当の本屋で高校の教科書の指導書を売ってました。でも中学生だとそこまでするかな??)
それとも、大阪書籍とはまた違う教科書にでてたんでしょうか???

[58512] 2007 年 5 月 17 日 (木) 22:49:35 みかちゅう さん
物価の高い首都圏 ほか
[58509] 2007 年 5 月 17 日 (木) 20:50:44 日本人 さん
教科書
[58506] 2007 年 5 月 17 日 (木) 20:01:02【1】 k-ace さん
本サイトのURLが載った教科書が気になる
(内要略)

[57274] 2007 年 3 月 15 日 (木) 10:12:12 かわっちょ さん
登録願

はじめまして。
中学校「歴史」教科書(大阪書籍)の指導書にこちらのHPが紹介されていたのでおじゃましております。
「地名コレクション」を拝見しました。私のふるさと「栃木県足利市」の南部にも「山辺銀座」という商店街がございます。
ぜひ登録していただきたく書き込みさせていただきました。
よろしくお願いします。
[58817] 2007年 6月 3日(日)10:30:29なると金時 さん
生存報告
まあ、ボチボチやってます。

[58761]小松原ラガーさん
[58809]桜トンネルさん

尼崎に阪神百貨店とは!そして、御影駅前に百貨店と聞いたときに、「あそこくらいしか土地ないよなあ」と思って確認して、初めて御影工業高校が廃校になっていたことに気づいた私。
それにしても、梅田、尼崎、西宮、御影、三宮って作りすぎじゃないのかなあ。

ちなみに、私の実家は大庄地区なんですが、梅田にしか行かないと思います。
他の百貨店ものぞけるしね。
[58816] 2007年 6月 3日(日)10:05:19中島悟 さん
ちなみに佐賀県は正三角形が基本
フリーハンドで九州が苦手な方がかなりいらっしゃるようですが、
細かい海岸線の起伏に惑わされず、門司-田平と田平-坊津を一直線とみなして
有明海などは後付けするとかなりうまく書けます。
[58802]ペーロケさんは
上が広く、下が狭い四角形
と表現していますが、むしろ
門司-田平-坊津-都井-佐賀関を結ぶ縦長五角形とするほうがバランスが取れます。
[58815] 2007年 6月 3日(日)09:54:46【2】Issie さん
Re:東京都心の中心点って?
[58814] geo さん
その東京都心の基準(中心)点ってドコ?

たった今,「ご不浄」に篭ってきたばかりなのですが,我が家ではその正面の壁に関東地方+αの範囲を収めた地図が貼ってあります。15年以上前に京王系列の書店でもらったカレンダーから暦部分をとったものです。京王相模原線が南大沢止まりで,「東京都五日市町」なんていうのがあったりするものですが…

ちょうど,この地図に東京を中心とした50キロ,100キロ,150キロ,200キロ…の同心円が描かれています。
中心は東京駅,ということでしょうね。何しろ,鉄道系列の書店だから…。
いや,これに限らず,高度成長期からしばらくの間,不動産広告では「東京駅から…」というのが多かったように思います。
ほかに中心になりそうなのは,(旧)都庁であったり,皇居であったり,道路であれば日本橋の「原標」であったりするのでしょうが,いずれにしろ,関東全体を収めるような縮尺になれば,どれを選択しても「誤差の範囲」内に収まりそうですね。

専門的な分野では「狸穴のソ連大使館」,…もとい,ロシア大使館裏の「日本経緯度原点」(北緯35度39分29秒1572,東経139度44分28秒8759)が“位置の基準点”として相応しいのでしょうが,一般的にはいささかマニアックでしょう。

都庁が(かつては「新宿」に含まれなかった)淀橋に移転して少し中心が西へシフトしたように思ったら,臨海部(台場~品川)もそれなりに成長してきて,「都心」は分散傾向にありそうですね。
淀橋の都庁を中心にするというのは,都の行政の立場では意味がありそうですが,イメージとしてはやはり西に傾いている気がしてしまいます。

結局,東京駅に回帰してしまうのかなぁ…。

※あっ,「電波」だったら東京タワー?
だとしたら,数年後には 押上 が中心になるのかしら。
[58814] 2007年 6月 3日(日)09:01:21geo さん
東京都心の中心点って?
さっき,ふと思いました。
よく,『東京都心から40Km圏内の○○町は・・・』という表記を見ますが,その東京都心の基準(中心)点ってドコ?っていうものです。
ちなみに以前,拙稿[57307]で,“都心”から近い市町村はドコ?というのを勝手に発表したのですが,その時にはよくわからなかったので『“都心”の中心点』として,皇居を基準としました。
落書き帳のみなさんはどこが中心だとお考えでしょうか。
[58813] 2007年 6月 3日(日)08:34:41おがちゃん[日本人] さん
謝罪
[58559]グリグリさんすいません。私はぐりぐりさんやその他の落書き帳メンバーと地図についてのレベルが違うと感じました。これからは気をつけます。
ところで落書き帳の訪問者が2500000いきました。
これからもよろしくお願いします。
[58812] 2007年 6月 3日(日)06:37:47【1】ソーナンス さん
ロータリー
[58809]桜トンネルさん

奈良県奈良市のロータリー候補の一個目ですが、
ここはロータリーではないです。
航空写真で見た通り駐車場です。

この道は何度も通っているので間違いないです。
(ちなみに隣の大学は僕の…)

奈良市のもう一つの方は行ったことない所なので
今すぐに返答するのはできません…
現地調査をするのが一番なのですが
当方移動手段がチャリしかないもので…(そしてこの一帯は丘陵地帯)

木津川市のロータリー候補も実際に見にいけたら行ってみたい思います。
(つーかこっちの方がもう1個の奈良市のロータリー候補より近いやん)
[58811] 2007年 6月 3日(日)01:04:01みかちゅう さん
大隅だっけ、いや大隈だっけ?
地図の書き方を説明する際に出てくる半島名に「おおすみ半島」というのがあります。みなさん、当然漢字でかけますよね? もちろん「大隅」です。しかし、「大隈」が落書き帳の書き込みで大量に引っかかります(検索結果)。手書きでもないのにこんなに出るものか、と思って試しに「おおすみ」で漢字変換すると「大隈」も不思議なことに出てくるんですよねぇ…。ひょっとして苗字では両者の混同がけっこうあるんでしょうか?

ちなみにYahoo検索では「大隈半島」が正しい「大隅半島」の半分もあります。すなわち、正:誤=2:1。グーグル検索なら3:1ぐらいです。全てが間違って書かれているのではないにしろ、あまりにも多すぎます。「大隈重信」を間違えている数が圧倒的に少ないのは、「おおくま」で変換しても「大隅」は出ないからでしょう。

社会科の試験の採点の際にはもっと複雑なんですよね…。何せ手書きの文字を判断していくので「隅」の旁が怪しいものも多数でてくるんです。「大隈重信」とともに小中学生レベルの基礎用語だけに出題回数も多くなりがちなもので困ります。
[58810] 2007年 6月 3日(日)00:24:18白桃 さん
彩都
[58796]ぺとぺと さん
彩都地区だけで、平成18年9月末から平成19年3月末にかけて3,000名以上増加しています。
落書き帳の過去ログにも何度か登場しているのですが、彩都のことは全く知りませんでした。ご教示いただき有り難うございました。
モノレールも出来て便利なのでしょうか?予定人口が5万人だということですから、これからも研究所として注意して見ていくことにしましょう。
ところで、日本ではこのような「ニュータウン」が既存の自治体から分立したいうことは過去に無かったと思うのですが、今後も無いのでしょうかネ・・・。
[58809] 2007年 6月 2日(土)23:49:40【1】桜トンネル さん
過去最高ブランク(5回目)&浜田市
皆さんお久しぶりです。5月後半から6月前半は学園祭関係で、5月後半から今日にかけては「漢検」があった(ちなみに今日、当日でした。)のでとても忙しく、書き込んでいる暇がまったくといっていいほどありませんでした。おまけに、その時の落書き帳の話題が、とても高度だったため、話についていくことができませんでした。
この状況は学園祭が終わるまで続きそうなので、次いつ書き込めるか分かりません・・・。

[58707]スピカさん

はじめまして。「国境を跨ぐ市」というのは面白い視点ですね。該当する市がもう少しありそうなので、僕も調べてみたいです。それを落書き帳に書き込もうと思います。僕が持っている(使おうと思っている)地図には昔の国境が載っているのですが、平成の大合併前なので、収集が大変そうなのですが・・・。
例えば、今思いつくところで・・・
・かほく市(加賀・能登)
・宇部市(長門・周防)

[58739]リトルさん

道路が広く用地に余裕がある

はじめまして。京都に京都高速を作る用地なんてあまりないと思っていたのですが、用地がかなりあるんですね。実はこの京都駅付近にはまったくいったことがありません。なので、一度行ってみようと思います。その日は今年度になるでしょうが・・・。

京滋バイパスとの交点も高くて、なんか近未来的な風景ですよ。

最初に出てきたのが、「刑事バイパスとの好転」って・・・^^;。それはさておき、久御山ジャンクションは確かにそうですよねぇ。京都盆地がほとんど見えるのですから・・・。でも、あんなところによくあんな建造物を創ったものです。

[58761]小松原ラガーさん

阪神御影駅前の再開発エリアにも出店するのだったかな?

待ってました、東灘区の話題!!それはさておき、確かに30階の高層マンションの中に阪神百貨店だったと思いますが、出店する予定です。(あそこって確か、元御影工業高校の敷地でしたっけ??)でも、あの周りの住民は高層マンションが建つことを反対しているようですね。

[58762]白桃さん

僕もやってみました。初めてフリーハンドで日本列島を書いたのですが、北海道は小さいし、九州なんか北海道の2倍ほどの大きさになってしまうし、中国はとても細長いし、新潟&富山付近なんて凹凸がまったくないという結果になってしまいました。

1.どこから描き始めますか?

北海道は宗谷岬付近から反時計回りで描きはじめます。その次に本州を描きます。本州を書く場合は、青森県と秋田県の境あたりのところから反時計回りで描きはじめます。その次は四国です。四国を書く場合は、鳴門付近から反時計回りで描きはじめます。最後の九州は北九州市の門司あたりから時計回りで描きはじめます。なぜか九州だけ時計回りで書くというおかしいことになっています。

2.書き込む島は(北海道、本州、九州、四国以外)?

佐渡島、淡路島、桜島、沖縄本島の4つくらいです。佐渡島を書くのは位置を分かりやすくするために描き、淡路島は・・・なにせ地元なんでなかったら納得がいきません!桜島はバランスをよくするため(よくなっていないのですが・・・。)に描き、沖縄本島は・・・なにせ県なんで描いてあげなきゃね。

3.書き込む湖は?

描いたり描かなかったりとまちまちですが、琵琶湖は70%の確率で描きいれます。その他の猪苗代湖や、中海、霞ヶ浦(といっても描くことができないのですが・・・。)は必要に応じて描きこみます。

4.伊能忠敬ばりにうまく描ける自信の地域は?

伊能忠敬ほどではないですが、福島県の相馬あたりから愛知の知多半島あたりと、兵庫県の南側の沿岸線と、四国全域が自分ではうまくかけたと思っています。ちょっと多すぎですね。

5.どうしても形やバランスがくずれる苦手の地域は?

前のほうに書いたように、九州全域、北陸付近、東北のほぼ全域、北海道などが苦手というかバランスがどうしてもくずれてしまいます。(特に北海道と九州あたりです。)

>たもっちさん

ロータリーをまた発見したのでお知らせします。

京都府木津川市:ここには3つもロータリーがありますね。
奈良県奈良市:航空写真を見たら駐車場か??
奈良県奈良市:これも航空写真を見てみると、バスの停留場のような感じが・・・。

追加
>EMMさん

[58125](EMMさん)や[58132](桜トンネル)で話になった「気象コレクション」に関して、考えた結果ですが、引き受けさせてもらおうと思っています。なので、改めて申し上げます。「気象コレクション」の編集をやらせていただけないでしょうか?まとめ方については[58122]に書いてあるやり方で収集しようと思っています。
それと気になっているのですが、「神戸コレクション」に関してはどうなったのでしょうか?ezekielさんがどうすると言っておさまったんでしたっけ?なぜこんなことを聞くのかというと最近「神戸コレクション」にも興味を持ち始めたからです。

訂正【1】:追加を追加しました。
[58808] 2007年 6月 2日(土)23:14:20スピカ さん
これが10件目の書込み
[58805]TAMAさん
お願いします。確か、緑色だった気がします。僕のは押入れの奥地で長い眠りについてしまっているので…。

「市町村変遷情報」編集長のでるでるさん
神奈川県の項の#156内にある「千石原村」は「仙石原村」の誤変換ではないですか?
[58807] 2007年 6月 2日(土)22:41:30【5】k-ace さん
日本地図フリーハンド&テレビ大阪・テレビせとうち
こんばんは、k-aceです。

[58762] 白桃 さん
私も、日本地図フリーハンドに参加して美馬す。

まず、簡単に書くなら
北海道=「◇」を書いて終わり。
本州=「』」字型に書く。ただし、横の線のほうが長いのと、紀伊半島が付け加わるのと、中国地方の部分が関東・甲信越・北陸・東海地方あたりよりも幅が狭い。
四国=紀伊半島の西、中国地方の南に楕円形(横長楕円形)。
九州=中国地方の南西端あたりの西が、楕円形の北端。南端は、四国よりもだいぶ南に書いている(縦長楕円形)。
そこに沖縄本島を書いて終わり。

で、詳細に書くなら
1.どこから描き始めますか?
北海道=野寒布岬から反時計回り。積丹半島、渡島半島を書き、内浦湾(噴火湾)の丸さを妙に意識して書いてしまいます。北海道は円弧を多様するエリアです(他にも三河湾、駿河湾も円弧状になぜか書いてしまうのですが…)。室蘭・地球岬、襟裳岬・納沙布岬・野付半島・知床岬・宗谷岬を書き、その間は円弧状になっていることが多いです。なんか、知床岬と宗谷岬の間が長いなと書いていて思うのですが、実際地図で確認すると、本島に長かった。なんか、簡易型の「◇」を書いていると、宗谷岬と襟裳岬が同じ経度にあると思ってしまうんですが、フリーハンドで詳細に書くと、どうしても襟裳岬が東にずれてしまう。その影響で、知床岬~宗谷岬間を長く感じてしまうようです(実際はそうなんですけど…)。
本州=大間あたりから反時計回り、夏泊半島、津軽半島を書き、深浦あたりを角ばらせる。その後、男鹿半島を書き、南下。その後は、新潟あたりで西方向に転換し、富山湾、能登半島を書き、そのまま真下に線を引き、敦賀あたりで西方向に転換し、丹後半島、島根半島を書き、角島付近でまた、南下。瀬戸内は宇部、呉、児島あたりを出っ張らせ、大阪で南下、紀伊半島をアバウトに書く(志摩半島は付ける)。知多半島・渥美半島・御前崎・伊豆半島・三浦半島・房総半島を書く。犬吠埼を書き、その後、ほぼ直線状に北上。牡鹿半島以外は無視。
その影響で岩手・青森の太平洋側あたりがおかしくなっています。
四国=鳴門あたりから反時計回り。佐田岬・足摺岬・室戸岬は書いておく。
九州=門司あたりから反時計回り。佐賀、長崎あたりがおかしい。三角あたりをとんがらせ、薩摩半島、大隅半島、国東半島は書いておく。

要は後になればなるほど雑になっていくということです。で、全体的には幅がとても実際の日本地図とは乖離しています。

2.描き込む島は(本州、北海道、九州、四国以外)?
淡路島は絶対。択捉島・国後島・色丹島・佐渡島・種子島・屋久島あたりも書くときはある。
別枠で南西諸島、伊豆諸島・小笠原諸島を書く。丸か点ですけど。

3.描き込む湖は?
基本的には書かない。もし書くとしたら琵琶湖ぐらい。

4.伊能忠敬ばりにうまく描ける自信の地域は?
あえて書くとすれば、北海道(ただし渡島半島(特に西岸)・積丹半島付近は除く)かな。

5.どうしても形やバランスがくずれる苦手の地域は?
基本的に全体ですが、特に長崎県・佐賀県付近&東北地方の太平洋側(帳尻合わせに失敗)。正直いって無理です。書けません。


[58766] むっくん さん
現在地上波のテレビ大阪は神戸市や大部分の京都市では映ります。
ちょっと話はずれますが、神戸市西区で、テレビ大阪ではなく、テレビせとうちを見たことがあります。で、高梁市の催しものの案内(CM)を見たことがあるのですが、違和感ありました。播磨地方(あ、神戸市西区も播磨国ですけど)でも、テレビ大阪が映る地域、映らない地域がありますが、テレビ大阪が映らない地域でも、アンテナを別の方向にもう1本建てれば、テレビせとうちが映る地域も結構あるようですが…。地上デジタル放送になったら、果たしてどうなるのでしょうか?
[58806] 2007年 6月 2日(土)22:22:23千本桜 さん
愛しき日々
リトルさん
お元気そうで何よりです。当方、相変わらずです。仕事はアナログからデジタルに変わったのに、いまだに処分しきれないライトテーブルが10台ほど、アトリエの場所ふさぎをしています。二度と使うことはないであろう錆びた製図道具、捨てたくても原価償却していないから捨てられない焼付機、現像機などに囲まれてパソコンたたいています。どうしてこんな短期間に世の中が目まぐるしく変わってしまったんでしょう。そこで、堀内孝雄「愛しき日々」。♪もう少し 時がゆるやかであったなら・・・。これからもよろしくお願い致します。

[58763]YASUさん
スーパーは日常の延長でしたが、デパートは「ハレ」の場だったように感じます。
そうですね。日常では見れないものが見れたりして。テレビでしか見ることのできなかった若き日のいしだあゆみさんや山本リンダちゃんを目の当たりにしたのも仙台のデパートでした。内緒ですが、いしだあゆみさんは私より少しだけ年上で、山本リンダちゃんはちょっと年下です。

[58784]geoさん
越谷市って「イトーヨーカドー」ありますよね? ひょっとして「イトーヨーカドー」は百貨店じゃない!?
そうなんです。百貨店ではないと思いますが、福島や仙台(泉区)のイトーヨーカドーを見ていると、百貨店と遜色ないように感じますね。

[58792]牛山牛太郎さん
それから、昨日[58770]で紹介させていただいた米軍の地図ですが、追加情報です。
こちらに、1945-46年の各都市の地図がありました。1/12500の都市地図です。
妙に詳しいところもあったり、雑なところもあったりと、これまた面白いです。
確かに、雑だったり面白かったりです。Tomanoを読めばトマノですよね。トマノって聞いたことがないな、どこだろうと思ってTomanoをクリックしたら岡山県の玉野が出てきました。

[58793]白桃さん
考えるフリをイグレシアス。
おや、ナタリーじゃないか。どうしたの?。(せっかく フリを君が登場したのに、誰も王寺ないと申し訳ないので飯能市益田。)

[58794]かぱぷうさん
恥ずかしいので、かばぷうさんにだけ聞こえるようにヒソヒソ話です。私、かばぷうさんの書き込みを見るまでの○十年間、高島屋の本店は東京日本橋だと思っていました。違ったのね。

[58797]白桃さん
あのブラブラしたもの(注:渡島半島のことだと思います)
と言うことは、房総半島もブラブラでしょうか。しかし大きすぎますね。私はお断りします。伊豆半島もブラブラで、しかも良い形をしていますが、やはり大きすぎるのでお断りします。高知県土佐清水市の所に小さくブラブラしている足摺半島なら引き受けても良いですよ。5万分の1地形図図式規定にそって複製製図をする場合、2、3日間で描き上げることのできる半島って、そんなところなんです。
[58805] 2007年 6月 2日(土)21:42:02TAMA さん
教科書
[58790] スピカさん

今年の中学地理の教科書を所有しているので
調べてみますね
[58804] 2007年 6月 2日(土)21:36:28TAMA さん
日本列島
数週間ぶりに書き込ませて頂きます。

この前、学校で書いた
日本列島を基に考えてみたところ

石狩市付近から稚内市方面に書いて
知床半島などを時計回りに書いていって

次に、男鹿市付近から下北半島を書いて
そこから本州を1回り書きますね

九州は、気分によって北九州付近から書く時や
長崎県方面から書く場合がありますね

湖は特に目的が無い場合書きませんね
島は、北本四九の4島以外では
佐渡・対馬・沖縄などを書く場合が多いですね
[58803] 2007年 6月 2日(土)18:54:05ソーナンス さん
日本列島を書いてみました
久しぶりに書き込みます。

僕も日本列島をフリーハンドで書いてみました。

ここで皆様と違うのが僕は新潟市付近から津軽半島に向かって書き始めるということです。
特に意識はしてないのですがずっと前からそうでした。
で、そのまま本州を一回り書いたら次は北海道ですね。
渡島半島から時計回りに一周。
その次に四国を松山市付近から時計回りに一周。
最後に九州を門司港から時計回りに一周ですね。

コレで主要4島が完成。
気分次第で沖縄本島・淡路島・佐渡島・北方4島を書き加えるくらいですね。

湖は琵琶湖以外書き入れませんね。と言うか琵琶湖も書かないかも。


苦手な地域はズバリ九州です。
九州のどこというより九州そのもの。
山口県出身なので九州は良く見てるはずなのに未だに上手くかけません。
まぁ九州は最後に書くので、もう適当でいいやと思ってるからかもしれませんが^^;;


というわけで伊能忠敬には程遠いです。
[58802] 2007年 6月 2日(土)16:52:33ペーロケ さん
日本列島の描き方
 日本列島の形って本当に美しく(特に埋め立てられる前の海岸線の形)、何時間見ても飽きないんですけど、いざ描くとなると本当に難しい形をしておりますね。4大島のみですが、日本列島のポイントをちょっと整理してみました。(今回は細かい半島は無視しました)

北海道

 経線に対して左右対称の菱形ではなく、やや左上~右下へ傾いている。宗谷岬から右側(オホーツク海沿岸)は平均するとだいたい斜め45度程度であるのに対し、左側ではほぼ垂直、むしろ天塩町あたりは右に反り返っている。逆に、襟裳岬から広尾方面の海岸線はほぼ垂直であるのに対し、日高方面の海岸線は30度くらいしか傾いていない。また、釧路は苫小牧と同緯度ではなく、むしろ札幌に近い。南北方向では、北側に大きく迫り出しており、南側はあまり出ていない。渡島半島は襟裳岬よりも迫り出している。
 渡島半島は、北海道本体に直接つながっているのではなく、苫小牧~室蘭~積丹半島~石狩を結ぶ菱形の「二の腕」を介してつながっている「節足動物の腕」である。また、渡島半島の先にある亀田半島と松前半島は、松前半島の方が大きく、南へ迫り出している。
 知床半島はしっかり角が出ているが、根室半島は「オマケ」程度の大きさと考えて良い。野付半島は上級者向け。
 北海道は縮尺が他の地方と統一されていないことが多く、大きさが小さく見られがち。下に見える青森県は渡島半島の幅程度しかないことを考えて位置を決める。

本州

 東北地方は上に北海道があるせいか実際より細く見られがちであるが、西日本各県に比べて大きい。長さ、幅共に中国地方の倍程度ある。
 陸奥湾はりんごの形をしている。それを三角形のとんがり帽子とともに蓋をしているのが右側の下北半島。付け根の部分は津軽半島に比べて非常に細長い。尻屋崎を忘れずに。その尻屋岬から東海岸は青森県は凹、岩手県は凸、宮城県は凹+尖端+大きな凹、福島県は凸、茨城県は凹、千葉県の九十九里浜は凹と、円弧を組み合わせて描くことができる。本州東南部は房総半島、三浦半島、伊豆半島と半島が続く。このうち、三浦半島はかなり小さく角ばっており、伊豆半島は房総半島のおよそ半分で楕円形。房総半島は菱形に近い。東京湾の形もポイント。川崎~木更津間がくびれている。御前崎より西はほぼ東西に平行となり、伊勢湾に続く。三河湾は半田市付近が、伊勢湾は名古屋市付近がとがっている。知多半島は細長く、右曲がり。志摩半島は角ばっている。志摩半島から新宮市付近まではほぼ凹の円弧。新宮市から潮岬を経て白浜まではほぼ凸の円弧。西海岸には、白浜半島を除けば半島は3つ並んでいる。大阪市の緯度は津市と同程度。名古屋ではない。大阪湾はきれいな楕円形。その延長で淡路島も描ける。明石市付近のふたこぶを経由し、播磨灘へ。姫路市付近から児島半島まで、多少の凹凸はあるものの水平ではなく微妙に南下している。児島半島から玉島まで少し北上するも、以降呉市付近まで微妙な南下が続く。広島湾で多少北上するも、逆に柳井まで一気に南下、しかし、上関から宇部市の凸を経て下関まで緩やかな円弧が続く。
 一方、日本海側は津軽半島から深浦、男鹿半島以外は目立った半島がなく、微妙な凹凸さえ気にすれば富山湾付近まで一気に円弧を描くことができる。新潟市付近の微妙な膨らみは意外と大きいので注意。黒部市までやってきた海岸線は富山湾でがくんと落ち込み、栓抜きの形をした能登半島が突き出す。能登半島を過ぎるとしばらく緩やかな円弧が続き、二つのこぶを経て若狭湾のリアスゾーンに突入。四角い丹後半島以降は若狭湾よりもやや北の位置で水平になる。大山付近で凸の反動で落ち込んだ後、弓ヶ浜へ。島根半島以降は萩市まで一気に斜めに下る。その後ちょっと水平に描いた後、角島で直角に曲がり、下関へ繋ぐ。

四国

 四国は本州以上に傾いている。ひょうたん型ではあるが、左側の方が大きい。また、胴の部分が結構長い。香川県は高輪半島よりも大きいが平べったい。高輪半島から佐田岬までは円弧と考えてよいが、伊予市付近まではほぼ垂直である。土佐湾は左右対称ではなく、足摺岬のほうがはるかに南にある。また、蒲生田岬から室戸岬までは凹の円弧、足摺岬から八幡浜までは凸のリアスである。

九州

 上が広く、下が狭い四角形。福岡県は二つ角があるように描くとうまく描ける。有明海を挟んだ長崎県はかなり複雑なため難易度が高い。大村湾を囲むように西彼杵半島を書き、角のような長崎半島と餅のような島原半島を付け加えると考える。東海岸には円形の国東半島がポイント。南部には三角形の足が付いた大隈半島が右、台形の薩摩半島が左であり、互いに差し合っている形になっている。また、桜島は大隈半島にくっついている。
[58801] 2007年 6月 2日(土)15:38:36じゃごたろ さん
アイシティ21
こんにちは、じゃごたろです。
本日は国道52号のカントリーサインを収集して静岡市まで往復してきました。

でも、山形村、瑞穂市、日高市、武蔵村山市の百貨店は支店でして、本店は別の都市に所在しているわけです。

そうですね。山形村にある井上のアイシティ21は百貨店というよりは、シネコンのショッピングモールですね。こちらです。
[58800] 2007年 6月 2日(土)15:36:32【3】むっくん さん
Re:東海道の変遷
[58787]今川焼さん
たいへん遅いレスで恐縮です。
レスありがとうございます。誰からの反応もなかったものでてっきり皆様の常識なのかなと早合点していたところです。

琵琶湖から関ヶ原-木曽三川-伊勢湾を結ぶ線が一大防御ラインというのはその通りであると思います。ただ個人的にはもう一つの理由もあるのではないかとひそかに考えます。それは将来の豊臣家との対決に際し軍を動かすのに2つの街道があった方がいいというものです。
これには前例があります。越前朝倉家は居城の一乗谷から加賀との国境に向けて2本の街道を整備していました。そして加賀一向一揆が越前に侵攻してきたとき、整備した2本の街道を利用した神出鬼没の用兵で数に勝る加賀一向一揆勢を数度にわたり撃退したことは有名な話です。
規模は違えどこういった理由もあるのではないかと。無論東海道の他に、江戸から京に行く別路の中山道を近い将来に整備するという前提ではありますが。うーん、かなり苦しい仮説ですね(笑)。

前記の中央日報の記事から思ったことですが、徳川政権は外国相手にいざこざを起こしたくなかった、朝鮮出兵で失敗した豊臣政権の轍は踏みたくなかったということがあるのではないでしょうか。各地で手厚くもてなし、琵琶湖が見たいと言われれば近江路を通り、富士山が見たいと言われれば中山道から分かれて名古屋を経て東海道へ案内すると。なんとか機嫌良く朝鮮へ帰って頂きたかったように思いますが。
そもそも徳川家康は豊臣秀吉のように外国に戦争を仕掛けて支配することよりは、貿易によって富を蓄える方がよいと考えていました。三浦按針を採用したのもその証左でしょう。
そして貿易をして富を蓄えるには平和が一番で、豊臣秀吉がやり残した朝鮮侵攻の戦後処理を迅速に進める必要もありました。具体的には捕虜として日本に連れ帰った者を朝鮮に帰還させることで、さらには両国間の国交回復です。
私は約150年ぶりに復活した1607年の朝鮮通信使は戦後処理の側面が大きいのではないかと考えています。戦後処理及び国交回復のためには今川焼さんが記述されましたような出来る限り友好的な姿勢を見せる必要があったのであると推測します。

#その後日本は自由貿易による利益も膨大だがキリスト教による政権への悪影響の方が大きいと判断して鎖国を行いますが、幕末期の開国交渉の際には江戸初期に徳川家康が海外との貿易を推進していた立場であることが忘れ去られていました。政治の意思決定の過程を正確に後世に伝えることの難しさを実感させられる事例といえます。
#豊臣秀吉の朝鮮出兵には、日本統一による余剰兵力の失業対策という側面が多分にあったのではないかと個人的に思います。無論失業対策のために戦争を仕掛けられたとしたら、侵略戦争以上に、戦争を仕掛けられたほうはたまったものではないのは言うまでもありません。

さて話は変わりまして、宮宿と桑名宿の間の海上を渡る七里の渡しのその後です。
徳川家光が七里の渡しを経由する東海道で上洛した時に酷く船酔いをしました。そこで家光の上洛に備えて、尾張徳川家が津島街道の一部区間などを整備して佐屋路という陸路六里(宮宿(愛知県名古屋市熱田区)~佐屋)海路三里(佐屋船着場~桑名宿(三重県桑名市))の東海道の脇街道を作りました。
佐屋路整備後には参勤交代の西国大名は七里の渡しではなく佐屋路を使うようになりました。

#ちなみに「○里塚」コレクション向けに佐屋路の経路を詳述しますと、ここで美濃路と分岐した後に、
五女子一里塚(愛知県名古屋市中川区露橋2丁目、跡地、石碑あり)
・岩塚一里塚(岩塚宿入口付近、痕跡なし)
千音寺一里塚(愛知県海部郡大治町大字三本木、跡地)
神守(かもり)一里塚(愛知県津島市神守町字下町、右塚(北塚)現存、江戸から93里)
の4つの一里塚がありました。ということで、これらの採用の検討をお願いします。>牛山牛太郎さん


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