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伊豆之国さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[85881]2014年7月20日
伊豆之国
[85829]2014年7月17日
伊豆之国
[85792]2014年7月3日
伊豆之国
[85779]2014年6月29日
伊豆之国
[85778]2014年6月29日
伊豆之国
[85776]2014年6月29日
伊豆之国
[85732]2014年6月17日
伊豆之国
[85722]2014年6月14日
伊豆之国
[85712]2014年6月12日
伊豆之国
[85692]2014年6月5日
伊豆之国

[85881] 2014年 7月 20日(日)23:06:36伊豆之国 さん
十番勝負
問三:黒部市
[85829] 2014年 7月 17日(木)22:40:29伊豆之国 さん
参勤交代はつらいよ
昨晩の「某公共放送」のTV番組で、「加賀藩の参勤交代」にまつわる話が放映されていました。金沢から江戸までの道中、難所も数々。黒部川の河口辺り、扇状地が広がる一帯は、かつてはいくつもの流れに分かれ、洪水の常襲地帯として名高く、長期の足止めも多かったとか。「それならいっそのこと、川を遡って川幅の狭い谷あいで渡ったら…」というわけで、河口から13kmほども遡った愛本に橋を架けて渡る、という方策を立てました([50179] 今川焼 さん)。この橋は「愛本刎橋」と言われ、「日本三奇橋」の一つに数えられたと言いますが、明治時代に水害で流失し、それ以後再建されていません。この「刎橋」のあった頃の写真は、こちらに出ています。

♯「日本三奇橋」のうちの二つは、いずれも架け替えられているとはいえ今も現役の錦帯橋と猿橋でまず確定ですが、残る一つがどれなのかは諸説があります。古くから知られていたのは「木曽の桟」(この辺り)ですが、こちらも既に江戸時代に橋は失われ、名残の石垣だけが残るとか(上松町HPより)。現在、最有力とされるのは「祖谷のかずら橋」を指す、と言う説だとか。
…「日本三大」談義、過去にありましたね(こちら)。

さて、黒部川を越えると、次に控えるのは「東西の方言・文化をも分ける」という天下の険、「親不知」。加賀藩の参勤交代でも、このような相次ぐ難所越えで、悪天候で旅程が大幅に遅れることもしばしば。番組の中では、この旅程の遅れで、当初予定していた能生での宿泊をキャンセルし、先を急ぐことに。このキャンセルを巡って「違約金」騒動も…。

♯「能生」での騒動と言うと、「オールド鉄ちゃん」の域に近づきつつある私は、「白鳥」停車騒動を思い浮かべます。当時単線だった北陸線のこの区間、上りと下りの「白鳥」が列車交換のため、この能生駅で客扱いをしない「運転停車」をするダイヤになっていたのを、どこでどう伝わったのか、「本当の停車」と勘違いした大騒動が起きたという、半ば「都市伝説」のような嘘のような「笑い話」があったということなのでした。

この番組の中では、殿様の道中の携帯品として、旅程計画を立てるための「道具」として縦横と斜めの線を組み合わせた升目で構成された、道中での宿泊地を決めるためのいわば「ダイヤグラム」のようなものや、道中の道筋が描かれた扇子などが映像で紹介されており、また殿様が宿泊する「本陣」の様子を知る映像として、加賀藩の道中とは関係ないものの、東海道中に残る、江戸時代の本陣の姿を今に伝えるものとして貴重な建物「草津宿本陣」とその内部の映像も紹介されていました。
[85792] 2014年 7月 3日(木)23:47:06伊豆之国 さん
「牛込駅」復活?
JR東日本によると、飯田橋駅のホームを現在より200mほど新宿駅よりに移動する計画が発表されたようです。現在の飯田橋駅のホームは急カーブ上にあるため、線路との隙間が大きく最大30cm以上もあり、毎年10件ほどの転落事故が起きているとのことで、今回発表された計画によると、ホームの大半が直線となるため線路との隙間も大幅に狭くなることになります。
ところで、この飯田橋駅は、関東大震災からの復興計画による中央線の複々線化と貨物線の分離により、それまでの飯田町駅と牛込駅の統合により昭和3年に開業した駅ですが、先の経緯により、両駅間の急カーブ上にホームができることになったため、前述のように「転落事故の危険性の高い駅」になったとも言えると考えられそうです。「牛込駅」のあった場所は、現在の飯田橋駅西口、神楽坂下方面への出口辺りで、外堀の東西両側に改札口がそれぞれあったそうです(wikiより)。現在、外堀に架かる橋の下の部分を埋め立てた場所にある建物(以前は外堀を利用した釣堀の小屋だったと記憶していますが、今はカフェなどになっているようです)のある辺りは、以前の「牛込駅」の出口があった痕跡でしょうか。外堀に残る「牛込駅」と、かつての「牛込見附」の遺構は、「中洲産業大学教授・森田一義氏」のTV番組([79717],[79690])でも放映されたことがありました。現在の飯田橋駅の西口とそれに続く長い通路は、「牛込駅」の利用者の便宜を図って設けられたもので、これは、我が地元、JR「町田駅」の東口…旧「原町田駅」…への長い連絡通路と似たような意味合いだったのでしょうか。一方の「飯田町」駅のほうは、長距離列車の始発駅として残ったものの、それも程なくして新宿駅に機能が移されてからは貨物専用駅となって長らく存続し、JRになってからもしばらく使われましたが、平成11年に役目を終えて取り壊されています。今回発表された移転計画が実行されると、事実上の「牛込駅」復活という形とも言えそうです。その一方、駅が遠くなる目白通りやかつての「飯田町」方面の利用者、東西線との乗り換え客などからは反発が出ることも当然予想されそうですが、こうした利用者への対策はどうなるのでしょうか…。

やはりJR東日本ネタですが、このほど管内各駅の乗客数ランキングが発表され、新宿・池袋の1,2位はやはり不動ですが、昨年まで3位だった渋谷駅は3万3千人以上、前年比8%もの大幅減少となって、東京駅・横浜駅に抜かれ5位に転落、駅の減収は20億円以上になったそうです。やはり東横線渋谷駅の地下化と副都心線との直結による移行と、東横線の駅が遠くなったことによるJRとの乗り換え客の激減が影響しているようです。一方、東京駅は3%ほどの増加となって4位から3位に浮上。丸の内駅舎の復元効果やビルの建設ラッシュによる増加が大きいようです。
[85779] 2014年 6月 29日(日)22:35:20伊豆之国 さん
Love-River Town
本日3回目の投稿となりますが…(十番勝負以外では何年振りでしょうか…)。
[85772] オーナー グリグリ さんへ
女性首長の一覧
ですが、神奈川県愛川町の女性町長、森川絹枝氏は任期満了(H29.10.27)を待たず、既に退任されています。
森川絹枝町長は、平成26年3月24日から病気療養のため公務を休んでおりましたが、療養が長期間にわたり、公務復帰への目途が立たないことから、5月8日に鳥羽清町議会議長へ退職願を提出し、5月31日付けで退任いたしました。(中略)なお、愛川町長選挙は6月29日に行われます
(愛川町HPより)
後任の町長を決める選挙は本日投開票ですが、立候補者は男性ばかり3名です(同上)。
情報を更新していただくよう、お願いいたします。
[85778] 2014年 6月 29日(日)21:21:50伊豆之国 さん
九差路もどき?(須玉町若神子)
連続投稿失礼いたします。

「北杜市須玉町若神子」付近の地図を眺めているうちに、「以前、気にかかっていた場所があったな」ということにふと気づきました…。その場所とは、こちら
"You Tube"の「鉄」ネタ映像のリンクをたどって行くうちに、偶然見つけた「中央線遺構・須玉九差路」と題した動画。この動画を紹介しているブログもありました。記事を見ると、問題の箇所は中央本線のルート変更に伴う線路跡が絡んでいるようで
左右から交差する道路を越え、真っ直ぐ林の方向に続くのが長野方面への線路跡だ。
交差点の中央部分には、埋められた材木が並んでいるのがわかる。
これこそ、枕木を利用した古い踏切の痕跡なんだね。
実はここ、元々は七差路になる交差点&踏切だった。
そこに線路が取り払われた鉄道跡が加わったので、いま実に九差路になった訳
ということらしいのですが…。
でも、この記事の中にある略図や、実際の地図を見ると、交差点でまっすぐに繋がっていない道がいくつかあり、明らかな「一点収束」にはなっていないように見えます。「七差路コレクション」(編集者がこのところたまにしか顔を見せていないようですが…)の「定義」に照らし合わせてみると、やはり「九差路」に該当するための条件を満たしておらず、実態は「九差路もどき」とでもいうべきなのでしょうが…。
♯旧須玉町は、現在も中央本線が通過していますが、町内には駅がありませんでした。つまり、綾瀬市や静岡県清水町などと同じ仲間だった([85090], [69949])のですね…。また、現在の北杜市役所は、その旧須玉町にありますが、直線距離で一番近い最寄り駅は、市内で最も近い「日野春」駅(旧長坂町)とは非常に微妙な差ですが、どうも隣の韮崎市にある「穴山」駅になるようです。こちらのほうでは野々市市と同じ仲間ですね…([77638],[79739])。
[85776] 2014年 6月 29日(日)16:56:05伊豆之国 さん
一円電車
[85774] オーナー グリグリ さん
[85746] Menge さん
神子という地名
の話題ですが、
静岡県の神子元島なども由来を調べてみたのですが、すぐには分かりませんでした
「ご当地」ゆかりの者としての面子にかけていろいろ当たって見たものの、うまい資料がなかなか見当たらなかったのですが、とりあえず、下田市HPからのリンクをたどって見つけたものが…。昭和50年発行の「下田市の民話と伝説 第1集」に「神子元島と比翼塚」という伝説が紹介されています。この文中を見ると
若い夫婦の睦まじさは海神のねたみに触れたのか、急に風は吹き荒れ、海は逆巻く大怒涛となって、船は木の葉のように弄ばれ、遂に打ち砕かれ
というくだりがあるので、「海神を祭った島」…この辺に「神子元島」の由来についての手掛かりがありそうな気がします。
この神子元島の灯台は、明治3年に建てられ、日本最古の石造灯台として、「日本の灯台50選」(→第16回十番勝負・問五)にも選ばれています。

ところで、[85746] Menge さんが挙げられたリストの中にあった、兵庫県朝来市の「神子畑」。この「神子畑」というと、かつて隣の養父市旧大屋町にあった「明延鉱山」からの鉱石と鉱山関係者の輸送路線として運行されていた「一円電車」([33007] 今川焼 さん)。乗客の運賃が1円だったことから「一円電車」の愛称で親しまれ、鉱山の閉山により昭和62年に廃線となりましたが、車両の一部は「あけのべ自然学校」で保存され、現在では構内に敷かれた線路で実際に動かすイベントも定期的に行われています(あけのべ自然学校HPより)。

神子柴 (長野県上伊那郡南箕輪村)
この地名から発祥したと思われる苗字に、同音異字の「御子柴」さんがあります。全国に2,500人ぐらいと推定され、やはり発祥地の長野県に多く、全国の6割以上が集まっていますが、県内でも分布が限定され、伊那市が最多で100件余り、岡谷市と塩尻市にも50-60件前後見られますが、それ以外では松本市にある程度見られるほかはほとんど見られず、発祥地の南箕輪村にも数件しか見られません。…プロ野球・阪神で活躍した御子柴進投手(塩尻市出身)を覚えている人もいるのではないでしょうか…。
[85732] 2014年 6月 17日(火)23:28:01伊豆之国 さん
自治体越え地名?(摂津/河内)
こちらの「苗字」ネタのサイトを開いた見たら、私が5年ほど前に話題にした、大阪府羽曳野市の地名「誉田」([70632],[70645] Issie さん)と、これを「こんだ」と読む由来が書かれていた、関西の難読地名とその由来についてを集めたサイトが引用されていました。更にそのサイトの他のページを見ると、大阪市城東区東大阪市にそれぞれある「新喜多(しぎた)」という地名の由来が書かれているページがありました。その1,その2
これによると、
「新喜多新田会所跡」の石碑(中略)に並んで掲げられた由緒書きによると、付近はかつて、大和川が流れていた。宝永元(1704)年に付け替え工事が行われ、現在の柏原市あたりから、まっすぐ西に向かい、大阪湾に注ぐようになった。
付け替え前の大和川はこの付近では川幅が約270メートルもあり、渡し船が行き来していたという。しかし、付け替えで河床があったところを水路(長瀬川)として残し、周辺の沼地や湿地などともに埋め立てられ、新田が開発された。この開発を請け負ったのが、鴻池新十郎、鴻池喜七、今木屋多兵衛の3人。彼らの名前を一文字ずつとって「新喜多新田」と名付づけられたのが地名の由来だ
新田は、現在の東大阪市付近からJR京橋駅あたりまでの広大な土地(約16万8千坪)だったことから、同じ新喜多の地名が東大阪と城東区内の3カ所に分散して残ったようだ
とあり、どうやらこの2つの地名は元々同じ新田の名称だったものが別々の場所に残ったもので、東京・港区と目黒区に離れて存在している、元は平安時代からの郷名に由来している「三田」([76006])と同様、「自治体越え地名」の仲間に入るのではないか、と思われるのですが、いかがでしょうか。

…3ヶ所(大阪市のほうは「新喜多」と「新喜多東」に分かれていて、しかもこの両者は「点隣接」)の「新喜多」の間の距離は、最も近いところで約2.4km。前記の「三田」の両者間の最短距離(約1.8km)を上回っているので、果たして「同じ地名」と認識していないという人も多いような気もするのですが…。
なお、「しんきた」ではなく「しぎた」と読むのは、このあたりの古くからの地名「鴫野」にちなんだということからとか。
[85722] 2014年 6月 14日(土)21:27:22伊豆之国 さん
佐世保市、志摩市にリベンジ & 恋は南の島に飛んだ
…いよいよ始まりましたね。
「元・日本一暑い町」を走っていた1両だけのディーゼル車がついに渡れなかった川の向こうの町(こちら,[84083])や、もしかしたらこの都市の代名詞とも言える名物グルメが間もなく味わえなくなるかもしれない政令指定都市(こちら←画像はこれとは関係ありません)でも大いに盛り上がっているのでしょうか…。

さて、「南の国」といえば…
[85717] hmt さん
八丈島移民による 南大東島のサトウキビ栽培
「鉄分」に乏しい地域ということもあって、飛びつける話題はせいぜい「苗字」([80988])ぐらいという沖縄にあって、「南大東島」というと、かつて存在したサトウキビ運搬用のトロッコ([56334] hmt さん)を思い浮かべます。この鉄道の存在を知ったのは、少年時代に読んだ鉄道雑誌に載っていた記事でした。列車の運行は昭和58年に廃止されましたが、サトウキビを運んでいた機関車は今も島内に保存されているようです(潮風の影響もあってか、保存状態は芳しくないようですが…写真(沖縄離島ガイドより))。
「苗字」の話ですが、南北大東島は、八丈島から移住してきたという歴史から、今でも「沖山」「奥山」「浅沼」など、八丈島に多い苗字が後から移ってきた沖縄本来の苗字に交じって多く見られます。ついでにその八丈島ですが、島内で最も多い苗字が「菊池」さん。島民の約8%を占め、「5人に1人が菊池さん」という岩手県遠野市などには及びませんが、全国の「菊池さん率」のランキングでもベスト10に入る「菊池密集地帯」になっています(こちら)。以前([71948],[74027])、肥後国菊池郡の名族だった菊池氏が東北に多いのは謎、と書いたのですが、八丈島の菊池氏も同族なのでしょうか。

ラサ工業
というと、思い出すのは岩手県宮古市の工場の専用線で働いていたSL「C10型」。国鉄から引退後、ラサ工業に払い下げられた車両で、廃車となってからはしばらく「野ざらし」状態になっていたようですが、その後大井川鉄道に引き取られ、今も現役で活躍しているようです(大井川鉄道HPより)。

♯タイトルの前半の意味がわからない人は、[75473]を見れば…。運命の初戦は、いよいよ明朝です…。
[85712] 2014年 6月 12日(木)23:00:16伊豆之国 さん
Re3:夜汽車は夢の彼方へ…
「あけぼの」([85174])に続いて、またも寝台列車が…。

大阪から日本海沿いに走り、青函トンネルを抜けて札幌とを結ぶ夜行特急"Twilight Express"が、来年春に運行を廃止することが、JR西日本より発表されました。表向きの廃止理由は、「車両の老朽化」だそうですが、「本当の理由は他にもある」という声が複数の関係者から上がっているようです。

寝台特急廃止のお寒い舞台裏(毎日新聞記事より)

これによると(要約引用)
一つは、2016年の北海道新幹線開業で青函トンネルの電圧が変わることだ。「現在の交流20キロボルトから、新幹線用の25キロボルトになります。するとトワイライトを引っ張る機関車が使えなくなるのです」。新たに機関車を製造するにも「1両あたり数億円かかり、しかも他の在来線では使えない。別のところに投資したほうがいいという判断です」
もう一つは「並行在来線」への支払い問題だ。(中略)直江津~金沢間の北陸線や信越線は、北陸新幹線が開業する来春、「あいの風とやま鉄道」や「えちごトキめき鉄道」などの別会社路線になる。「そこにトワイライトを乗り入れるには、JRが三セク側に通行料を支払う必要がある。年間数億円に達するかもしれない…」
このあと、東北新幹線の盛岡以北の延長に伴い第三セクター化された岩手県の「いわて銀河鉄道」の関係者から、「北斗星」「カシオペア」も無くなる、ということにもなれば、重要な収入源(通過に伴う料金収入などをJRから支払っている)を失い、「悲壮な思いで受け止めている」という声が紹介され、また「一本だった路線が細切れに分断されると、乗り換えの手間が増えたりして、生活の足だけでなく、物流のネットワークも失われて行く」「自然災害時などの臨機応変の対応も困難になる」といった、「岡電」(両備)グループからの批判の声なども掲載されていました。

「Twilight EXP」「北斗星・カシオペア」関連の記事は、こちらのブログにも載っていましたのでここに紹介します。
[85692] 2014年 6月 5日(木)00:20:20伊豆之国 さん
「小川町」はおがわまち? おがわちょう?
[85684] オーナー グリグリ さん
[85686] hmt さん
「まち」と読む町、「ちょう」と読む町

自治体としての「町」ではなくて「○○市(区)△△町」という場合の「町」をどう読むのか、というのを調べてみるのも面白そうです…。
住居表示などで「町」を外された町名も多いのですが、今回は、東京23区の都心部の中でも「△△町」がかなり残っている、千代田・中央・新宿の各区について「まち」と「ちょう」の数を調べてみました。
読みのデータは、郵便局の「郵便番号検索」からです。

区名「町」の総数「まち」「ちょう」
千代田区42大手町、神田小川町、神田司町、麹町4一番町、岩本町、内幸町、鍛冶町、紀尾井町、五番町、猿楽町、三番町、永田町、二番町、隼町、平河町、三崎町、有楽町、四番町、六番町、神田相生町(以下、頭に「神田」)、淡路町、和泉町、岩本町、鍛冶町、北乗物町、紺屋町、佐久間町、神保町、須田町、多町、富山町、錦町、西福田町、練塀町、花岡町、東紺屋町、東松下町、平河町、松永町、美倉町、美土代町38
中央区20日本橋室町1明石町、豊海町、日本橋大伝馬町(以下、頭に「日本橋」)、蛎殻町、兜町、茅場町、小網町、小伝馬町、小舟町、富沢町、人形町、箱崎町、浜町、馬喰町、久松町、堀留町、本石町、本町、横山町19
新宿区78赤城下町、赤城元町、市谷鷹匠町、市谷田町、市谷台町、市谷長延寺町、市谷船河原町、市谷薬王寺町、霞ヶ丘町、片町、北町、細工町、坂町、信濃町、新小川町、箪笥町、築地町、戸塚町、内藤町、納戸町、二十騎町、払方町、原町、袋町、舟町、南元町、横寺町、余丁町、早稲田町29愛住町、揚場町、荒木町、市谷加賀町、市谷甲良町、市谷砂土原町、市谷左内町、市谷仲之町、市谷八幡町、市谷本村町、市谷柳町、市谷山伏町、岩戸町、榎町、改代町、歌舞伎町、河田町、喜久井町、北山伏町、左門町、三栄町、下宮比町、白銀町、水道町、須賀町、住吉町、大京町、津久戸町、筑土八幡町、天神町、富久町、中里町、中町、西五軒町、馬場下町、東榎町、東五軒町、百人町、弁天町、本塩町、南榎町、南町、南山伏町、山吹町、矢来町、若松町、若宮町、早稲田鶴巻町、早稲田南町49

…結果はご覧の通りですが、千代田区と中央区は圧倒的に「ちょう」が優勢なのに対し、牛込地域を中心に従前の町名が多く残っている新宿区では、やはり「ちょう」のほうが多いものの、「まち」の数もかなり多く、割と拮抗しています。牛込地域で隣接する「南町」と「中町」が「ちょう」で「北町」が「まち」だったり、「早稲田町」が「まち」で「早稲田南町・鶴巻町」が「ちょう」だとか、「市谷」の付く町名など、同じ地域でも両方の読みが混在しているところが多く見られ、地元の人でも間違えて読んで(覚えて)いるような人が多そうな気もします…>元牛込区民のhmt さん([22003])。
千代田区の神田地域は、住居表示で頭の「神田」を外されている町を含め、「ちょう」が圧倒的に優勢で、「まち」はわずかに「司町」「小川町」の2つだけ、ということから、これはもうだいぶ前のことですが、「小川町」を周りの「△△ちょう」に引きずられて「おがわちょう」と読んでいる人が増えている、という話が載っていたことがありました。蛇足ですが、小平市の「小川町」は「おがわちょう」と読んでいるようです。
なお、上記の表のうち、「神田」の付く町と無い町がある「岩本町」と「鍛冶町」は、共に大半の地域が住居表示で「神田」が外され、未実施で残された地域が「神田」が付いたままになっているのに対し、「平河町」と「神田平河町」はまったく別の地域にあり、旧麹町区の平河町に対し、「神田平河町」は秋葉原駅の東側のごく狭い区域の町名として残っています。


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