名古屋~豊橋間の新駅計画で、幸田をおさえて安城が浮上した経過については
[4912]にて
報告しましたが、東海道新幹線の新駅建設にあたっての、ひと悶着を・・・
東海道線・安城~刈谷間(7.9km)は、線路が長い直線区間であることで、かつては有名でした。
また、「東海道刈谷駅付近」は、盲目の箏曲家・宮城道雄の事故死現場としても有名でした。
<宮城道雄に関するHPより>
|昭和31年(1956)6月25日未明、《越天楽変奏曲》の演奏のため大阪へ向かう途中、
|東海道線刈谷駅付近で急行「銀河」から転落し、同日午前7時15分、刈谷の豊田病院で
|死去しました。62歳でした。
さて、この安城~刈谷間に、1966年(昭和 41)年12月24日 新駅・東刈谷駅が営業開始
新駅建設にあたっての地元負担金を、刈谷市が付近の関係する団体の協力依頼したところ
安城市はそれに反発して協力をしなかった・・・
その後、東刈谷~安城間に新幹線新駅建設にあたって、同様の問題が発生
安城市が付近の関係する団体の協力依頼したところ、刈谷市が前回の例を持ち出して反発し一悶着。
結果的には刈谷市もそれなりの負担をしたとは思われるが、金銭に関してのみっともない内容が
何度か報道されておりました。
新駅名についても
地元選出の自民党大物代議士が広域名「西三河駅」を提案。ところが安城市が、安城市内だから
安城を入れるべしと主張し、紛糾しかけたが、その自民党代議士の急死により問題化されずに
「三河安城」で決着し、1988(昭和63)年3月13日開業となった。
(新幹線新駅に考えられがちな「新安城駅」は、名鉄で使用済みであったことから使用しなかった)
この駅は、用地確保の関係だと思われるが新幹線と東海道線とのクロスするポイントとは
400m近く離れており、結果として新幹線・三河安城駅と、東海道線・三河安城駅とは
同一駅でありながら、道路と東海道線をまたぐ連絡通路(150m)での連結となっております。
(いったん改札を出て、連絡通路を歩きます) (標準乗り換え時間7分は遠い)
しかも東海道線は、普通のみ停車(特別快速・新快速・快速ともに通過)の不便駅です。
でも、これって・・・よくよく考えると
新幹線・こだまのみの停車だから1時間に2本、連絡はそれ以上の必要はないわけだから
東海道線各駅停車の、1時間4本・定時・等間隔の連絡だけで十分なんですね。
追1)
なお、この駅の開業にあたっては、
[5088] で ヒロオ さんが言われるように
>新幹線の駅および高速道路のインターチェンジは地元に大物政治家がいるとか、
>経済界の中心人物がいるといった理由が多いように思います。
私としても、そのようなことがあったであろうことは、容易に想像しております。
追2)
結果として、刈谷~安城間に二つの新駅が建設されたことになるのですが・・・
さらにもうひとつ、刈谷~東刈谷(3.5km)間に、新駅建設の計画があるのだそうです。
三河塩田駅(仮称)、こういうことはやはり政治関係の人の情報は早いですね。感心してしまう。
すでに、駅前になると思われる場所は、なるほどそうなのかと、わかる人にだけはわかるような
不思議な雰囲気になっています・・・
ひとつの駅間に、3つも駅が追加新設されるってのもすごいですね・・・