都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

子供の遊び場と住民の憩いの場としての「公園」

トップ > 落書き帳アーカイブズ > 子供の遊び場と住民の憩いの場としての「公園」
記事数=16件/更新日:2004年10月8日/編集者:special-week

遊び場でもあり、憩いの場でもある公園は、住民の生活に最も身近な公共施設である。それゆえに見落としがちな点がたくさんあるので、公園の新たな魅力を再発見する。

… スポンサーリンク …

★推奨します★(元祖いいね)

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[839]2002年2月9日
Issie
[2002]2002年6月26日
いわ
[3897]2002年10月15日
YSK
[3920]2002年10月16日
TN
[3928]2002年10月16日
ガジ
[4410]2002年11月2日
日和
[4552]2002年11月5日
TN
[4572]2002年11月5日
YSK
[6164]2002年12月8日
いな
[6361]2002年12月12日
TN
[8485]2003年1月30日
深海魚
[9935]2003年2月27日
touhemboku
[14293]2003年4月29日
special-week
[17190]2003年6月22日
ken
[33725]2004年10月4日
special-week
[33728]2004年10月4日
inakanomozart

[839] 2002年 2月 9日(土)10:34:01Issie さん
水分かれ
礼文華峠のあたりは全部トンネルですから,気づけと言われても無理でしょうね。

>「北斗」関連で、千歳線沿線の分水界はどこでしょう?

美々と南千歳の間の,石勝線との合流点付近のようです。
標高はわずか20mほど。

「日本一低い中央分水界」としては兵庫県氷上町の「水分かれ公園」が有名なのですが,こちらの標高は95.5m。千歳の方がずっと低いですねぇ。
氷上町のHPには中央分水界の地図があって千歳のところをしっかりと分水界が通っているのに,「日本一低い」とはどういうことだ。気づいていないのか,知ってて無視しているのか。
ま,町にとっては大切な観光資源ですからね。
[2002] 2002年 6月 26日(水)23:49:19いわ さん
Re: 城北
[1996]
>西武線や東上線沿線の板橋・練馬区はどちらでしょう。足立区は?

練馬区民の私から見ると練馬区は城北ではないと思っています。
ただ、練馬区と板橋区をまたぐ形で「城北中央公園」というのがありまして、
あの辺りまで行くと城北というイメージは少しありますね、
名前のせいかもしれませんが・・・。

ちなみに[1997]に出てくる私立城北高校はこの城北中央公園のすぐ近くです。

余談ですが、この城北中央公園に陸上競技の400メートルトラックがあります。
ここは練馬区になるのですが、
バックストレッチの途中から4コーナー途中までは板橋区になります。
ここのトラックで200メートル競走をしますと、
スタートは板橋区、ゴールは練馬区というとても珍しい体験(笑)ができます。
[3897] 2002年 10月 15日(火)20:17:35YSK さん
宮城野再論
[3878]
>私は 「宮城野」 を宮城県下の穀倉地帯の如きイメージで捉えていたので、遠田・登米両郡の
>辺りも含まれ得るかと考えていましたが、これは無理があるでしょうか。
[3844]拙書き込み内:場合によっては、仙台平野一帯を展望して用いた例もあるようで
に従うと、無理はないことになります。「仙台平野」は狭義には阿武隈川、名取川、七北田川の河口付近の平地を指し、広義にはこの狭義の範囲に加え、北上川流域の大崎平野等も含めた範囲を指すためです。以下、自論です。

「宮城野」という歌枕は、京にある貴族等が陸奥の原野に萩が美しく生える光景に憧憬を感じて生まれたものと思われます。当時、現在の宮城県内でこういった憧憬を持った人が赴く可能性のある場所は多賀城ということになるでしょう。以上のことから、歌枕としての宮城野は、陸奥国の多賀城手前の原野、現在の仙台市東部から、多賀城市、利府町付近までの範囲の平野、かつての宮城郡から名取郡にかけての沖積平野一帯であろうと考えます。

律令時代は歌枕のごとく萩の生えた美しい原野であった「宮城野」も、その後の耕地化、仙台城下町の造営等で徐々に開発が進み、古の「宮城野」の雰囲気を残す範囲は次第に狭まれてきました。その宮城野の「残骸」が、現在のJR宮城野原駅等に名を残す「宮城野原」であったといわれています。

この「宮城野原」でも、都市化によって往時の面影はかなり失われましたが、仙台市内の桜の名所である榴ヶ岡(つつじがおか)公園や、宮城野原運動公園なども立地し、市民の憩いの場となっています。
最後に、私の思いを再掲します。
宮城野原をベースに、広く宮城野を望む立地として、その一部地域であるこの区が「宮城野区」となったことは、その名の美しさとともに、好感を持っています。
[3920] 2002年 10月 16日(水)13:31:43TN さん
郊外考
オーナーグリグリさん
お忙しいさなか自分色設定して頂き、とても感謝しております。ぐりぐりさんにおかれましても色を変更されたようで、渋いと申しましょうか、秋味をうまく醸し出されておりますね。

常連の皆様
ところで、常連の皆様におかれましては、私の配色や色調に雑魚さんやでるでるさんと紛らわしいとお思いになる方も居られましょうが、目が慣れるまで今しばらくご勘弁の程、宜しくお願いいたします。ランキング(全表示)をご覧のとおりかなり下位に位置しており、いかにも「常連指定特例緩和措置」といった感じではありますけれども。

挨拶が長くなりましたが、本旨へ。
最近の書き込みで、特にYSKさん辺りでしょうか、都市における農村地域について触れられております。私事で恐縮ですが、私は大学在学中にランドスケープアーキテクチャー(馴染みの無い職能ですが、いわゆる造園家と呼ばれるもの)を目指し、その中でも都市緑地計画や農村計画を専攻していました。例えば、東京23区の外周に大公園{砧(きぬた)、芦花、井の頭、和田堀、善福寺、石神井、赤塚、舎人(とねり)、水元、篠崎などの都立公園、のちに光が丘、葛西沖が実現}が多数存在する訳は、幻に終わった東京環状緑地計画の名残である、とかイギリスにおけるハワードの田園都市構想(大田区の田園調布の模範となった)についてどうのこうの・・・きりが無いので止めますが、とにかくそういった歴史的なアプローチからはじまって、身近な公園、屋上緑化、樹木・花卉、風景論などを浅く広くやりました。
上記の理由から、また私自身も三富(さんとめ)新田のそばにかつて居住していたという理由から、緑地(広義の意味で、山間部・農村部・河川・湖沼その他空地を含みますが)の大切さを嫌というほど叩き込まれました。緑地の効能については皆さんもご承知の通り、空気の浄化、ヒートアイランドの緩和、心身のリフレッシュ、遮音、遮蔽などが有り、防風林に至っては砺波平野の散居村や武蔵野新田開発の街村などその地域を特徴付ける上で重要な役目を果たしております。
要するに私が申したかった事は、そこに住んで居られる住民の方々自身がその役割や良さをはたしてどれ程理解されているのか、ということなのです。確かに、私の住んでいた埼玉県入間郡三芳町では農家の方の営農意欲が高く、特産であるサツマイモなどは「栗よりうまい十三里」(栗は九里、よりは四里、九里+四里で十三里は江戸から川越いもの産地、川越までの距離)などと昔から呼ばれ、現在では独自ブランド「富の川越いも」として販売され、また冬季はヤマ(堆肥の生産の為に300年以上維持されてきた雑木林で地元ではこう呼びます)の落ち葉掃きなどは農家以外の地域住民も参加するなど都市と農村が互いに補完し合っています。私の母校(世田谷区の真ん中にあり大根踊りで知られる某農業大学)で、とある研究室が群馬県川場村との交流事業の手伝いをしていたことも思い出されます。これらは、極限られた都市農村交流の成功例です。
広く全国に目を向けると、山間地では、外国産材に押された為に林業の衰退などが進み管理の行き届かない人工林が増えて、国土の荒廃も懸念されているところです。インフラ整備に目をやれば人口密集地に比べ不利なので金がかかり中心集落に比べて後回しにされがちです。ですが実際の行政においては小手先の施策ばかりでこれといった効果がないのが現実、というところでしょうか。かつて堺屋太一氏も述べておりましたが、日本が「都会国」になりつつある現状において少子高齢化や過疎の進行が必然だとすれば、交流などと悠長なことはいってられないのかも知れません。個人的には今後探求したいところではあります。
都市論、合併論では郊外の持つ良さが大いに語られて然りだと思うのすが、まずは農山漁村に暮らされる方がその良さを自覚されたほうが良い、というのが私個人の考えです。もちろんそういったことを熟考されて地域をあとにすることにたいしては、憲法の条文を引くまでも無く誰にも制限することはできないのは言うまでもありませんが。

合併後の面積広大化に対する懸念はなんとなくは理解できます。10年以上前いわき市の四倉に赴いたときはその侘しさに中心部である平とのギャップに驚愕したのを覚えています。だからこその「合併特例債」なのに、都市計画道路や市庁舎、文化会館などに化けてしまうのはいかがなものか、との思いは有ります。

人口集中地区(DID)については、以前YSKさんご指摘のとおり郡部にも存在し、私も三芳町について都市計画図を元に調べたのですが、指定地域が市街化調整区域であったり、逆に市街化区域が含まれていなかったりと、厳密な意味での市街地ではなさそうです。最も、市街化区域だって「概ね10年以内に市街化」していないのが現状ですね。それに業を煮やした埼玉県は市街化区域内の暫定逆線引き地域の指定解除に動いた模様です。
[3928] 2002年 10月 16日(水)20:47:26ガジ さん
広域地名 鈴鹿
広域地名の書き込みがありましたが、三重県の鈴鹿という地名も広域地名に入るのではないかと考えます。
現在の鈴鹿市は、かつて、白子町、神戸町を中心とした数町村が合併したときの新市名として採用されました。鈴鹿山脈とか、鈴鹿国定公園などは、三重県北部の員弁郡、三重郡を含むものであり、単に現在の鈴鹿市域のみを表すものではありませんが、市制施行から70年ちかくたっており、違和感もうすれてきたのと、鈴鹿サーキットの存在も大きかったものと思われます。
鈴鹿市は、四日市市及び三重郡2町との合併構想がありますが、新市名は広域地名である「鈴鹿市」が適当かと思います。将来的に鈴鹿国定公園の中心地である菰野町や鈴鹿峠のある関町や亀山市と合体しても充分、通用する自治体名だと考えます。(いっそのことローマ字で SUZUKA市 って案も)
ちなみに「四日市」は四日に市が開かれたことによる超狭域地名です。人口の多い四日市が鈴鹿に吸収された印象をかわす意味では、四日市の旧郡名から「三重市」もひとつの選択肢ではありますが・・・

新「鈴鹿市」は第二政令指定都市となるのか????
[4410] 2002年 11月 2日(土)00:46:33日和[松戸] さん
つくば市合併
と言うのが一日遅れてしまった・・・。

私の学校はつくば市にあるので、今日ちょっとだけ話題になりました。
まぁ、もともとつくば市の所なのであまり誰も気にしてはいませんでしたが。
でもこういう風に、合併される側の自治体の住民の心境ってどんなものなんでしょうかね?

あ、日立市の人口を上回ったんだ!って事は茨城県で第二位の人口になったんですね・・・。

[4382]桃象@国仲涼子ファンさん
>つくば市は公園がとても多い市で,散歩にはうってつけですよ。

確かに公園がすごく多いですよね。しかもその大きさがそれぞれハンパなく大きい!!!自然もいっぱいで、すごく環境はいいですね。
ただ、私はそっちに行きはじめてから、花粉症がひどくなってしまいました・・・。
周りに杉の木が沢山あって・・・。松戸内にとどまってた時は花粉症の「か」の字もなかったんですけどね。

それと、鉄道がないのがちょっと不便ですよね。今度常磐新線が通るみたいですが。今の状況でも、バスの交通とかもまだあまり発達してない感じですし(^^;)
西武デパートとかがある場所に行けば、都会度は一気に増すみたいですが。
[4552] 2002年 11月 5日(火)12:57:43TN さん
見沼
[4456]YSKさんへ
なみいる強豪の中でも、ひときわ目を引いたのが見沼たんぼ記、いや「見沼探訪記」でした。
地名談議から発展したとはいえ、その問題意識の高さもさることながら、その健脚ぶりには本当に恐れ入りました。

YSKさんの歩かれたルートは、Xの字に貫流する見沼代用水を北東から南西へ
・東武野田線沿線のスプロール住宅地、安行の流れをくむ樹芸栽培地
        ↓
・Yの字に広がる見沼の右上の枝部分や見沼自然公園
        ↓
・大宮台地東縁の土地区画整理事業地帯
        ↓
・見沼通船堀遺構、鈴木家住宅

というバランス感覚に、YSKさんのセンスの良さを窺わせるものではないでしょうか。とくに、

>ただ、ときおりセイタカアワダチソウが繁茂していたり、
>大型ダンプカーが土砂を埋め立てていたり、廃棄物処理場の立地が見られたりと、
>一定の荒廃感も感じる場面もありましたが、

という部分などは、丁寧に観察されており、「負の側面」もきちんとあぶり出されておりますね。
私が、「高速道路」の時に言いたかったのは、まさにここなのです。YSKさんが
>地域と地域が高速道路で結ばれて活性化する
という趣旨のことを仰ってらしたので、私は、「ちょっとまって」という気持ちになったのです。なんだか、あの時はしつこく絡んだようになってしまい反省しておりますよ。

ところで、見沼には、さいたま市が計画している「セントラルパーク構想」のようなものがあるそうでして、以前一般市民からそのアイディアを募集しておりました。私としては、もうこれ以上見沼に「人為的な公園」は不要との立場です。やはり、見沼の真骨頂は水田・樹木畑と遠くに横たわる斜面林、それから借景としてのビル群ではないでしょうか?
そういった意味では、皆さんと同様あのままの環境をなるべく維持していって欲しいと願う一人です。

最後に、YSKさんにこの言葉をお送りしたいと思います。私の好きな言葉であり、教訓でもあります。
「think globally act locally 地球的に考え、まず地域から行動せよ」

偉そうに、長々と失礼しました。これからも、またどちらかの「探訪記」楽しみにしております。

追伸:(局地的ですが)桐生が岡動物園、息子がえらくお気に入りのようでした。行ったのは去年の冬でしたが、爬虫類の部屋で「オー、オー」を連発しておりました。込む場所は苦手なので、空(す)いている遊園地が好きな私です。(入園料が安いのはいいですが、旅費を考えると東武動物公園のほうが安上がりだったかもしれません。)

・・・と思ったら、[4481]で、もう総括されておりました・・・。はらいせに(笑)、むりやり中心駅に。(もはや、出遅れの感ありですが)
埼玉県の中心駅・・・やはり「大宮」でしょう。

あと、雑魚さんへ。
奈良はJRの「奈良」をやめて、「大和西大寺駅」を加えるというのは、いかがですか?
[4572] 2002年 11月 5日(火)22:36:02YSK さん
think globally act locally
[4552] TNさん
勿体無いお言葉ありがとうございます。
あの文章は、見沼について皆さんに少しでも思いを巡らせていただく一助になればと、なるべく見たままをそのまま記述することに努めました(でも、やはり一部主観が入っているところもありますか・・・)。
また、ルート選定も、七里~東浦和を歩くという制限があったことと、また見沼大橋からの眺めがよいというこの掲示板でのご意見も参考にして決めたもので、始めからご指摘のような地域性を考慮した選定ではなかったんです。偶然です。

<もうこれ以上見沼に「人為的な公園」は不要との立場です。やはり、見沼の真骨頂は水田・樹木
<畑と遠くに横たわる斜面林、それから借景としてのビル群ではないでしょうか?
<そういった意味では、あのままの環境をなるべく維持していって欲しいと願う一人です。
そのとおりだと思います。think globally act locally 、素敵な言葉ですね。

三陸や高速道路については、未だしりきれとんぼになっていますね。私もうまく言葉にできず、まだ頭が整理できてません。この話はいずれということでお願いします。

桐生が岡公園ですか。懐かしいですね。近隣の遠足スポットです。お子様は爬虫類がお好みのようですので(?)、桐生市の隣の藪塚本町にあるスネークセンターに行ってみてはいかがでしょう。大量の蛇たちが飼育されており、その姿はある意味で壮観です。
[6164] 2002年 12月 8日(日)23:08:42いな さん
名古屋ネタ・・・ 「鶴舞」の秘密
お出掛けしてましたので、愛知ネタが出なくなって、寂しい思いをされたかたもいるかと思います。
(実は、私の書き込みの中には、サブリミナル効果を発する文字が密かに散りばめてあって
 愛知ネタが欲しくてたまらなくなるように仕組まれれています <管理人にも内緒で・・・)
そう言う人たちのために、禁断症状が出る前に・・・

中央本線・鶴舞駅 名古屋から2つ目、2線対向式2面のホームを持つ高架駅、駅の名前は「つるまい」です。
その高架上から東側に見える綺麗な公園があります。
http://lavender.system.nitech.ac.jp/rail/station/chuou/tsurumai/


公園は、「鶴舞公園」と書きながら「つるま公園」なのです。
|鶴舞(つるま)公園は、明治42年に開設された、名古屋で最も古い由緒ある公園です。
|公園内に、名古屋市公会堂、緑化センター、鶴舞グリーンプラザ、鶴舞中央図書館などがあります。
|所在地 名古屋市昭和区鶴舞一丁目
|交通 JR中央本線「鶴舞」下車すぐ 、地下鉄鶴舞線「鶴舞」下車4番出口ほか
http://www.city.nagoya.jp/08nousei/midori/ko_tsuruma.htm

地下鉄鶴舞線・鶴舞駅もつながっています。
ここは、「つるまいせん・つるまいえき」です。
http://www.infonia.ne.jp/~scepter/subway/t_line/tline_st.html

では・・・鶴舞は、「つるまい」か?「つるま」か? どっちやね~~~んっ!との疑問が生じますが
これには地元民しかわからない秘密が隠されております。

実は地元・名古屋の人たちは・・・そのどっちでもない 「つるみゃ~」と申しております。
[6361] 2002年 12月 12日(木)18:04:20【1】TN さん
都市の風格
私は、都市には風格が必要であると感じます。都市は人間の様々な営みの結果形成されてきた「装置」であり、ある種の芸術品でなければならないと感じます。そういった意味では、私の個人的な捕らえ方は規模ではなく、街づくりにおける細部のディテールにこだわった箇所に風格を感じます。
東京の場合、1889(明治22)年に、東京市区改正設計が告示され都市改造が始まりましたが、財源の不足から1905(明治36)年に計画が縮小され、1918(大正7)年に完了するまでの成果は、都心部の道路の拡幅、上水道の整備、日比谷公園の新設などと乏しいものでした。また、宮城前広場(今の皇居外苑)の公園化の当初計画案もこのとき出されましたが、皇居のお濠の埋め立てや石垣を壊すなどといった乱暴なものでした。この背景は、お堀が不衛生であるから埋め立てろ、といったものや、濠があると長い橋を架けなくてはならず不経済という意見が出るなど、都市美に対する考え方が発達していなかったことに拠るものが考えられます。また、この時代、日露戦争の講和条約が1905年に締結され、翌年の凱旋大観兵式に間に合わせるべく「凱旋道路(今の内堀通り)」というものが宮城前広場に造られましたが、歩車道の分離や植栽などは行なわれていません。
[6260] Issie さん の書き込みに登場する
>(駅舎中央の“皇室専用玄関”は,そのまままっすぐ皇居宮殿に至近の坂下門に続いています)というこの街路は「行幸道路(ぎょうこうどうろ)」というものですが、1923(大正12)年に発生した関東大震災の復興事業として行なわれた「帝都復興事業」(1924~1930)によって延長整備されたものです。この帝都復興事業は、日本で始めて街路の歩車道の分離や街路樹の植栽が行なわれたとされ、つまり、この時代になってようやく現在的な都市美の萌芽を見るわけです。主な成果として3大公園(隅田、錦糸、浜町)と52の小公園や隅田川の橋梁(清洲橋、蔵前橋など)など、今日の東京の景観に厚みを増すこれらの事業遺産はまさに「都市の風格」と言って良いものでしょう。
残念ながら「戦災復興計画」では駅前広場の造成や周辺の土地区画整理事業などにとどまり、デザイン的にも成果はありませんでしたが、そのとき造られた駅前広場が今日の副都心(新宿、渋谷、池袋)の発展の素地となり、現在の東京の都心構造に大きな影響を与えています。
[8485] 2003年 1月 30日(木)21:27:37【1】深海魚[雑魚] さん
船岡城址公園
[8475] 桃象@国仲涼子ファンさん
でもこの辺りは農協や商工会の合併の方が先行する形になるかもしれませんね。
農協の場合、大子を含めて広域化が済んでいます。なお、このレスで引用された私の [8473] の書込みですが、
大意は変更無く修正しましたので、引用部の表現が若干矛盾する旨、御含み置き下さい。

[8480] seahawkさん
菓匠三全は本社は仙台市にあるのではなく、仙台より南の大河原町というところにあったと思います。
中心街同士が比較的近接する大河原・柴田町境を挟んで、船岡城址公園のすぐ西側ですね。東北線を昼行の
特急・急行が雁行していた頃は撮影の名所でした。一度、桜の時期に訪ねて見たいものです。
[9935] 2003年 2月 27日(木)23:36:10touhemboku さん
金沢って素敵
[9978]だんなさん
金沢の感想はいかがでしたか。金沢市民として気になるところです。今度はゆっくりと滞在してくださいね。
時間をかけてゆっくり滞在したわけではないのではっきりしたことはいえませんが、
程よく都会でそれでいて緑が多く、なんだか時間がゆったりと流れているような感じでした。
香林坊周辺はびっくりするほどにぎわっていて、古都の趣と都会のエッセンスが上手く調和したまち
に思えました。住んでみたい都市上位にランクインするのもうなずけますね。
渋谷で女子高生の聖地と一時期にぎわっていた(今はエゴイストなどのいかにもギャル系のブランドは
以前ほどの勢いはないようです。)109も健在でした。そういえば宇都宮にも109できましたよねぇ。
あ、ラフォーレ原宿は四国にあってもラフォーレ原宿と言うみたいです。
今回の金沢旅行は金沢出身の友人がナビをしてくれたので道を間違えたり渋滞にはまったりと言う
時間的なロスが少なかったので良かったです。
金沢城址公園にも行ったのですが、その友人の言うことには、新しく作られた城は金沢市民にとって
非常に恥ずかしいものだそうです。
彼が高校生の頃には門や外塀くらいしかなかったそうです。確かに城址公園の中で新しく建造された
ものは妙に綺麗過ぎて少し違和感があったように思いました。
それから、「利家とまつ」効果は凄かったそうでトイレや案内所も新しくピカピカでした。
せっかくスタッドレスタイヤを履いていったのですが金沢では雪は降っておらず「雪の兼六園」とはなりませんでした。
ちなみにその友人は「二水」と言う高校出身らしいのですが有名なのですか?
料理の鉄人でおなじみの加賀丈史さんと同じ高校らしいです。

[9909]地域研究家さん
猛毒であるフグの卵巣を、3年間糠に漬け込むことで無毒化したものだそうです
市場のおばちゃんの話では2年間塩で漬けてその後2年間糠で漬け込むようです。
「本当に死なないの?猛毒なんでしょ?」と聞いたところ
「大丈夫。ちゃんと人間が食べて検査してるんだから。」とのことです。
しかも常温でも保存可!いやぁ、昔の人は凄いこと考えます。
[14293] 2003年 4月 29日(火)20:40:02special-week さん
霊園の公園化
 谷中、染井、雑司ヶ谷、青山の都立4霊園を公園化して、広く都民の憩いの場になるようとの計画が既に発表されていますが、この計画、本日染井霊園を散策してきて、施行されたら面白いかもしれないと思いました。今日で4霊園すべて制した私ですが、青山霊園以外の3霊園は東京のまちなみとは一線を画しており、ちょっと府に気が違います。とても牧歌的であり、東京の未開の地とでも言えそうです。
 特に今日散策してきた染井霊園は、駒込駅から歩いても15分ぐらいあり、東京23区最後の「陸の孤島」とでも呼べるような雰囲気です。近所の住宅も昔ながらの家屋で、細い路地、長屋が立ち並んでいました。
 染井霊園の北方は都電荒川線の利用圏になるのですが、自家用車も通行しづらく、地元以外の人が入り込んだら必ず迷うことでしょう。そんなくねった道です。
 谷中霊園もどうような感じでしたが、営団地下鉄千代田線の開通により、千駄木からのアクセスも可能になったためにまだまだ面影は残しているものの、ちょっとした下町ブームの影響で、古い家屋は減っていますし、昭和を感じられる個所も消失しつつあります。
 雑司ヶ谷はサンシャイン60を眺められるほどの立地ですが、近隣はいたって静かで、サンシャインは見えるものの池袋に距離を感じさせてくれます。
 古い街並みがなくなっていくのは時代の流れで仕方のないことですが、川越のように積極的に古い街並みを保存しようとしている自治体もありますね。
 とは言えども、見ている側は「保存したい」と言い、保存しなければならない住民側にとってはとても労力のかかるものであるとは思います。

 染井霊園の公園化がどのような手法でなされるのかは、私は存じませんが、都内(特に山手線内側)には珍しい青々とした緑木。風もさわやかに感じられ、散策しているだけで気持ちよくなってきます。長く歩いていても疲れを忘れてしまいますね。
[17190] 2003年 6月 22日(日)21:46:21ken さん
家族サービス&千葉再発見
[17171] 雑魚 さん
本日は、地元周辺の遊園地で家族サービス。
私も娘を連れ、児童書や紙芝居の豊富な、千葉市生涯学習センター内の千葉市中央図書館へ。
しかし、蔵書整理のため、なんと2週間ほどの閉館中。
すっかり、紙芝居屋さんになる気だった娘をなだめるため、すぐそばの千葉公園へ行き、綿打池で、ボートを漕ぎました。
千葉市に10年も住んでいるのに、千葉公園は本日、初訪問。
図書館で過ごすつもりだったので、無謀にも父娘とも無帽。
久しぶりのボート漕ぎはキツカッたす。腰痛たっ!

で、園内を歩いていて気になったのは、案内板に千葉公園は、鉄道連隊に隣接した地で、演習用地となっていたため、今も園内に、「演習の為に敷設した線路の遺構を数多く見ることができる」との文言があり。
鉄道連隊があって、演習軽便鉄道があったことも知識としては知っていたものの、「遺構が多数見られる」とは知りませんでした。
是非、詳細に踏査したかったのですが、ちょうど昼飯時にもなり、父娘ともに無帽でもあり、後で細君に小言を食らうのを恐れ、断念しました。
午後は、体制を建て直し、千葉ポートタウン内のトイザらスに出撃、バイパスが混んでいたので、登戸地区の住宅街の中を縫って言ったのですが、黒砂、登戸あたりの古い住宅街は、古き良き、避暑地千葉海岸の雰囲気を今に残す、非常に味わい深い街並みでした。
地元千葉市の魅力もまだまだ、未開拓であるなあ、と感じた、一日。

先日、「千葉市の100年」(珍しい350枚の写真が語る激動のドラマ)、という大きな本が出まして、高かったのですが、我慢できなくて買ってしまいました。
波打ち際を走る千葉街道の様子や、蒸機が曳く「さざなみ」、幕張海岸の潮干狩り風景や、昭和20年代前半の写真として、廃墟の中の京成千葉駅(場所は現京成千葉駅でも現千葉中央駅でもなく、パルコ前の中央公園にありました)
http://www.mapion.co.jp/here/kokosp/030622/mapi0903870030622205451.html
など、興味深い写真が多数掲載されていて、楽しんでます。
[33725] 2004年 10月 4日(月)04:05:00special-week さん
公園とはなんぞや?

 4時台に書き込みが少ないから書き込んでいるわけではないですよ(笑)

 えーっと、今日東京都23区の地図を見ていてふと疑問に思ったんですが、東京都23区内にはたくさんの公園があります。ここでは、あえてひとくくりにして公園としますが、国立公園・都立公園・区立公園、ちょっと変わったところでは環境省が管理している新宿御苑なんてのもあります。
 各自治体のホームページや省庁のホームページを巡回して、案外公園にも驚くような発見があって、たかが公園とは言えなくなりました。

 ところで、国立でも都立でも区立でも(もちろん、市立・町立、村立でも)ない公園といいますか、近所にあるような小さな公園。もしくは児童遊園のたぐい、あれは一体誰が管理しているのでしょうか?町会とか自治会といったもっと小さなコミュニティーなのでしょうか。気になります。
 もし町会・自治会が管理しているとしたら、例えばもともと土着の人だったらそれなりに近所づきあいもあったりして、公園の管理者に問い合わせをすることが容易だと思うのですが、引っ越してきたばかりの人だったら使い勝手が分からなかったりした場合はどうするんだろう?
 それと町会や自治会の所有だとしたら税金なんかの問題も発生してくると思うんですが、自治体はこれらの土地に課税しないんでしょうか。気になります。
[33728] 2004年 10月 4日(月)06:30:11inakanomozart さん
都市公園
[33725] special-weekさん
近所にあるような小さな公園。もしくは児童遊園のたぐい、あれは一体誰が管理しているのでしょうか?
公園は「都市公園法」により位置づけられていると思われます。
公園のうち「街区公園」や「近隣公園」についても通常は各自治体の所有管理だと思われます。
もちろん、なかには地域の自治会・町会等の所有のものもあるのでしょうが、その場合でも各市町村の条例による固定資産税・都市計画税の減免を受けているのがほとんどではないでしょうか。
ですからそんなに遠慮なさることはないと思いますが・・・

この特集記事はあなたのお気に召しましたか。よろしければ推奨してください。→ ★推奨します★(元祖いいね)
推奨するためには、メンバー登録が必要です。→ メンバー登録のご案内

… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

パソコン表示スマホ表示