まず初めに,
横浜市の「港北区」は,1939年4月1日の第6次市域拡張に際して従来の都筑郡から編入された7町村(川和町,新田村,中川村,山内村,中里村,田奈村,新治村)に“神奈川区の一部”(1927年区制実施)を加えて発足しました(この市域拡張で「都筑郡」は消滅しますが,同時に編入された都岡村・二俣川村は保土ヶ谷区に編入されています。現在は旭区)。
このとき単なる「北区」とはせずに,当時としては斬新な「港北区」という呼称を新設したのは,このときの横浜市の“見識”であったのではないか,と思います。これを参考に「港南区」が南区と戸塚区の一部から誕生するのは30年も後の1969年のことです。その意味で,単なる「抽象地名」ではない…。
その「港南区」が新設された1969年の区再編の際に,港北区も分区されて編入以前の旧川和町・山内村・中里村・田奈村・新治村の範囲を以って「緑区」が発足しました。区役所は当初,旧都筑郡役所も設置されて郡内の中心集落であった川和(都田[つだ]村→川和町)に置かれました(それ以前に,港北区役所の出張所が置かれています)。中山に区役所が移転するのは1970年代後半のことです。
ちょうど旧緑区が港北区から分立する少し前,「多摩田園都市構想」と呼ばれる東急資本による大規模な宅地造成が進められました。この際に,緑区域で拠点として開発されたのが「たまプラーザ」(旧山内村元石川)と「青葉台」(旧田奈村恩田)でした。逆に言えば,ここは東急が開発してしまって横浜市の入る隙はなかったのです。
「田園都市」の開発とともに人口が激増した結果,(旧)緑区は横浜線沿いの南部と田園都市線沿いの北部とに分割して管理されるようになります。警察署の管轄が分割され,区役所の機能も分割され,水道局も分割され…,それらの施設が置かれたのは市ヶ尾の谷本(やもと)川(鶴見川の青葉区区間を地元ではこう呼びます)沿いの低地でした。
ここがちょうど,緑区北部の中心市街である たまプラーザ(元石川)と青葉台の中間に位置することと,東急資本による開発区域外であったことで,ここにこそ市の出先機関が割り込める余地が残っていたせいではないのかと思います。
いつしか(旧)緑区単独で45万を超えたこと,市営地下鉄沿線の港北ニュータウンの造成が進行したことによって,1994年に港北区・緑区の再編が行われて,新しい港北区・緑区・青葉区・都筑区の4区となったわけです。
[16724] NS さん
・青葉区において旧港北区地域だったところは存在するのか?
ありません。青葉区は旧緑区北部,編入前の田奈村北部(恩田・奈良)・中里村(南部:西八朔・北八朔・小山・青砥を除く)・山内村(荏田の一部を除く)から成っています。
・都筑区内における、旧緑区と旧港北区の境界は?
旧山内村荏田地区については
[16704] N-H さん
現在荏田町、荏田北、荏田西は青葉区にあり、荏田南、荏田東が都筑区にあります。
のとおりです。
さらに旧緑区のうち,鶴見川(谷本川)の北側,川和町・佐江戸町・池辺(いこのべ)町・東方町・折本町・大熊町・川向町(およびこれらの町から分立した新しい町),すなわち編入前の旧川和町の区域が都筑区に属することになりました。
旧港北区からは,中川町・北山田町・東山田町・南山田町・牛久保町・大棚町・茅ヶ崎町・勝田町(およびこれらの町から分立した新しい町),すわわち編入前の旧中川村が都筑区に属することになっています。
青葉台が青葉区の中心なので、
「青葉区」の命名のに際しては,すでに中心市街地としての「青葉台」の存在が十分に根拠になっていたのではないかと思うのですが。
[16691] uttさん
中区 →本牧区(横浜を代表する埠頭名)
「開港場としての横浜」から見れば,本牧は“山向こう”ですからねぇ。1901年の第1次市域拡張で横浜市に編入されたところですから。
おまけに,戦後は割と最近までかなりの面積が米軍に接収されていましたから,「円」が今とは比べ物にならないくらい安かった頃(車のハンドルの値段がが180円,などという“なぞなぞ”が流布していた頃)に米軍関係者を相手に独特の雰囲気を醸していたことはあったとしても,「横浜都心」の呼称としては,少しズレているかもしれませんねぇ。
それから,横浜を代表する埠頭の名前は,どこを措いても「大桟橋(おおさんばし)」=メリケン波止場に勝るものはないと思います。
ぢゃあ,「関内」か,っていうと…
これも「広がりのある地名」ですから,本町・馬車道・山下・中華街などが含まれるわけですけれども,その外側は排除されてしまう気がします。
元町も,伊勢佐木町も,野毛も,ましてや山手も,「関内」には含まれません。「関内」の西部(県庁と市役所よりも西側)もまた,戦後しばらくの間米軍に接収されていたことがあって,1960年代前半まではスカスカだったせいもあるので,戦後の「ハマ」を知っている世代には伊勢佐木町も野毛も元町も,あるいは寿町のドヤ街も含まれない「関内」がこの区を代表するというのには抵抗を感じる人も多いのではないかと思います。
あ、むしろ栄区を鎌倉市に編入するのがよいかもしれません。
衆議院の小選挙区の区割りも,同じ「神奈川4区」ですね。
#実はね,あたしの最初の職場は当時の緑区の谷本川のそばだったのですよ。