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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

行政区が分区する時

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記事数=27件/更新日:2003年12月12日/編集者:special-week

政令指定都市の行政区は人口の増加によって分区されることがある。もっと顕著なものは横浜市でおよそ10年に一回、行政区域の見直しが行われる。行政区の見直しは、市民に即した行政を行うには大変重要なことであるが、もともと1つの区を2つに分区するのだから、その作業にはいろいろと困難もついて回るようだ。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1553]2002年5月19日
miki
[1554]2002年5月19日
へいたろう
[1557]2002年5月19日
夜鳴き寿司屋
[1562]2002年5月19日
ケン
[1565]2002年5月19日
YSK
[1569]2002年5月20日
みゆりん
[1590]2002年5月22日
まにあめ
[2392]2002年8月3日
ニジェガロージェッツ
[3419]2002年9月29日
京都市伏見区民
[3503]2002年10月3日
ニジェガロージェッツ
[4966]2002年11月17日
Issie
[7586]2003年1月11日
YSK
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[11431]2003年3月19日
ニジェガロージェッツ
[11468]2003年3月19日
ごろごろ
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[11482]2003年3月19日
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[16716]2003年6月13日
N-H
[16729]2003年6月13日
Issie
[22738]2003年12月12日
ぴょん

[1553] 2002年 5月 19日(日)00:03:09miki さん
分区要注意区
仙台市青葉区。
これぐらいの人口なら東西に分区しそうですね。
...それよりも京都市伏見区などが気になります。
果たして、札幌市豊平区に続く区はどこなのでしょうか?
[1554] 2002年 5月 19日(日)00:57:43へいたろう さん
分区ネタ
 札幌市では、人口の多い北区と東区のそれぞれ一部を分割・統合して、最近人口が急増した北区と東区の北部を新たな区とする話があるようです。
[1557] 2002年 5月 19日(日)09:12:31夜鳴き寿司屋 さん
分区ネタ アンド 広島北部編
 以前広島に住んでいた時に、安佐北区を分区しようとの
運動の看板を某議員の事務所に掛けているのを見たことが
あります。実際に実現の可能性は少ないと思います。
 安佐北区といえば広島市の面積を半分近く占めておりまして、
区役所のある可部地区は中国山地の中の小さな盆地で、市内と
いつも気温の差が大きく、3,4度の違いは珍しくありませんでした。
また夏には京都のように蒸し暑く、冬には酷く寒かったです。
 北部の方では月の輪クマが出没するし、JR西日本には可部線の
可部駅以北の非電化区間を過疎化の進行による乗客激減のため
(反対に可部以南は乗客は急増しているそうですが)廃止しようとの
動きがあります。
 当初の名称の案では東区などは「瀬野川区」などの地域名にするのも
あったそうですが実際には「中、東、南、西、安芸、安佐南、安佐北」
という方位と旧郡名に落ち着いたそうです。(佐伯は後に五日市町の合併
で誕生しました)まあ、中、東、西、南、北と揃えばマージャンパイ
みたいですね(私はしませんが)
[1562] 2002年 5月 19日(日)16:08:13ケン さん
広島市
広島県府中町が広島市に合併するとどこの区にされるのですか。予想では東区か、単独で区を新設すると思います。海田町、坂町、熊野町は安芸区に所属されると思います。
分区されそうなのは札幌市北区、名古屋市西区、北区、中川区、港区、京都市伏見区です。
[1565] 2002年 5月 19日(日)23:38:20YSK さん
仙台市青葉区の分区について
仙台市青葉区の分区については、下の書き込みに既にご指摘のあったように、概ね旧宮城町の範囲が人口5万人に達したときに、「広瀬区」を新設するといった話があったように思います。正確なところは確かではありませんが、現在旧宮城町の範囲の人口5万人のラインはクリアしていたように記憶しています。この意味で分区の条件は一応満たしていることになります。
しかし、青葉区全体の人口が約27万人で、5万人と22万人の区に分けるのはややバランスが悪いように思います。
また、中山吉成などの旧宮城町の北部に属する新興住宅団地は、旧宮城町の中心部(愛子地区)へのアクセスよりは、仙台駅方向へのアクセスにより優れており(生活圏においても不連続です)、区割りの線引きも単純にはいかなそうです。
かといって、「旧宮城町地区」と「それ以外地区」以外の分区パターンは、仙台駅を中心とした結節構造が顕著な青葉区ゆえに、なかなか考え付きません。
仙台市関連のHPを検索したときに、広瀬区分区はしばらく見送りたいといった内容のものを見かけました。
おそらく、旧宮城町地域で、仙台市中心部により結びつきの強い一部地区を除いた地域の人口が5万人になったその時が、広瀬区誕生のときなのではないかと、密かに期待しています。
[1569] 2002年 5月 20日(月)10:48:05みゆりん さん
>1562
たぶん京都市伏見区は分区しないとおもいますよ。伏見はもともと伏見市として独立していましたし。
[1590] 2002年 5月 22日(水)15:53:35まにあめ さん
大正区(re:1581)
大正区(大阪市)は全く地元に縁がないわけではありません。
付近の木津川に掛かる大正橋に由来しています。
大正橋の由来は、・・・恐らく大正時代に掛けられたからでしょう。

大正区が港区から分区したのは昭和7年のことで、大正時代とは縁がないようです。

昭和区(名古屋市)はどうなんでしょう?
[2392] 2002年 8月 3日(土)00:46:47ニジェガロージェッツ さん
Re: 札幌市と名古屋市、あるのは東西南北のみならず
札幌市西区に「発寒」という地名があります。
もし将来、西区から「発寒区」として分区でもすれば快挙達成ですが・・・

すでに1989年に西区から手稲区が分区しており、再分区の可能性はなさそうです。
[3419] 2002年 9月 29日(日)23:39:34京都市伏見区民 さん
>1569
 みゆりん さん はじめまして。
思いっきり亀レスになりますが・・・。
 1931年に京都市が伏見市を編入する前の伏見市域は現在の伏見区中心部、
京阪電車の駅でいえば墨染、丹波橋、伏見桃山、中書島の
極めて狭い範囲内で、人口も3万人前後に止まっていました。
 伏見市以外でも当時の宇治郡醍醐村、紀伊郡向島村、深草町、横大路村、竹田村、
久世郡淀村が1931年4月1日に、乙訓郡久我村、羽束師村が1950年に、久世郡淀町が1957年に京都市に編入されましたので、伏見市域だけではなく周辺の町村も含めて今の伏見区域が形成されたわけです。
 その後伏見区の中心部だけでなく醍醐、深草、淀、向島といった周辺部の人口が急増し、東山区から山科区、右京区から西京区を分区した1976年には早くも人口が25万人に達したため分区の構想が出てきました。
 この伏見区の分区の話は1980-1983年,1988年,2001年にも浮上してきまして、当初は「醍醐区」、その後「深草区」「醍醐区」をそれぞれ伏見区から分区する提言が京大の研究グループによって提言されました。2001年では人口4万人台の東山区との一票の格差是正の為の分区提言がなされましたが、選挙区を分断されるのを恐れた市会議員の反対や財政難、京都市幹部の消極意見などで全て潰され今に至っています。
 ちなみに伏見区内には区役所本所以外にも深草支所、醍醐支所、神川出張所、淀出張所があり、名目的には1つの区でありながら実態は5つの行政区の寄り合い所帯です。
 だから伏見区が当初伏見市だったからといって必ずしも分区の可能性が全くないわけではなく、むしろ逆に最も分区の必要性が高い行政区域なのです。
[3503] 2002年 10月 3日(木)02:23:38ニジェガロージェッツ さん
Re:区の数
[3491]
大阪が24区あり、東京が23区。大阪の方が東京よりも狭いにもかかわらず区の数が多い。
とのことですが、法的なことに関する知識は薄学につきうまくご説明出来ないので、他の諸先生方にお任せするとして、
まず、同じ「区」という名称を使っていても東京の区は「特別区」として独立した存在で区議会があり、区長を選挙で選出しています。一方、大阪の区は完全に「大阪市」の下部組織で「市」が独自に設置しているものです。
ですから、東京の「区」と大阪の「区」を同じ性質のものとして比べることはできません。

では、政令指定都市の行政区として同質の筈の大阪市の「区」と横浜市の「区」ではその規模に大きな違いがあるのかという疑問が出てくることと存じます。
政令市の区は大体の人口要件があり、その適正規模としては概ね人口15万人±5万人とされているようです。(私自身は行政に携わるものではないので、どういった根拠でこの数字が出てきたのかは詳しくは存じません。)とはいえ、人口20万人を超えたからといってすぐに分区の話がでたり、逆に10万人を割り込んだからといっていきなり他の区と統合したりということはなさそうですが、人口30万人近くに達したり、逆に5万人以下に落ち込んだりすると「そろそろ区の再編を」となりそうです。([3419]で京都市伏見区民さんがご披露くださった京都市のような極端な例外もありますが。)

グリグリさんが編集された今年6月1日現在の推計人口表によれば、

大阪市(全24区) 人口 2,618,508人  1区平均人口109,105人 うち人口20万人以上の区1区、10万人以下の区13区
横浜市(全18区) 人口 3,489,694人  1区平均人口193,872人 うち人口20万人以上の区9区、10万人以下の区1区

となっています。
で、この違いはどこから来るのか? ですが、
私見で恐縮なのですが、両市の「区の沿革」の違い、に尽きるのではと思っています。
まず、拙稿[3421][3422]の昭和15年の人口を見て頂きたいのですが、今の人口分布とはまるで違う62年前の両市の姿があります。ですが、横浜市の場合、このときの7区のうち中区、磯子区、保土ヶ谷区、港北区、戸塚区の5区がそれぞれ人口の増加に伴い分区を続け現在の18区になったのですが、首都圏の人口集中による市人口の激増で「人口20万人を超える大きな区があちこちに出来た」といった所でしょうか。
一方、大阪市の場合は、このときの15区を一旦白紙に戻すかのように、昭和18年という近代史上最も下町に人口が集中した時代に全市域でそのときの人口分布に沿って行政区の再編成をやり、22区に大増区しました。これが現在の区の原型です。しかしその直後、度重なる大空襲で市街は灰塵に帰し、戦後復興はしたものの、特に都心部の各区では戦前の人口に遠く及ばないまま、昭和35年を過ぎた頃には早くも「ドーナツ化」減少が始まり、人口7万人にも達しない区が続出しました。昭和40年代に入り大阪市もさすがに再度の行政区再編を計画し、人口増加が続いていた周辺部(一部戦後の合併で区域が拡大)の4区を8区に分区(東淀川区から淀川区、城東区から鶴見区、東住吉区から平野区、住吉区から住之江区をそれぞれ分区)するのに併せ、人口減少の著しい都心部の11区を5区に統合(北区と大淀区、東区と東成区、南区と天王寺区と浪速区、西区と港区、此花区と福島区をそれぞれ統合)する案を発表しましたが大騒ぎとなり、市民の猛反対でこの合区案は昭和48年ごろ葬られ、結局分区案のみ実行され市内は26区となりました。合区の難しさを見せつけた格好になりましたが、その後、不可能とさえ言われた合区が昭和55年に神戸市で(葺合区と生田区が統合され中央区に)実現するに及び、昭和58年頃より大阪市でも再度合区について議論されることとなり(この頃の東区の人口2万7千、南区で3万6千ほどでした)、その組み合わせについては色々の意見があったといわれていますが結局、最小限にとどめ、北区と大淀区を統合し(新)北区、東区と南区を統合し中央区とすることとなり、平成元年に実行され、現在の24区制となりました。
大阪市に関する説明が長くなりましたが、全国的に見ても異様な「人口10万以下の区」乱立の経緯を述べました。ポイントは「昭和18年の人口分布に沿った行政区」ということになります。
[4966] 2002年 11月 17日(日)11:12:28Issie さん
千葉市泉区
[4955] ken さん
>中央区の蘇我以南を分区し、緑区の西部と合わせて、「生実区」を新設し、
>緑区の残部と若葉区の東半を合わせて「泉区」とする。
>若葉区の西半を「都賀区」とする。

「泉区」は“あり”だったと思いますよ。
この地区が千葉市に編入されるまでは「千葉郡泉町」でしたから,根拠のない地名ではないのです。
「都賀」の方は…
(前にも触れたことがあるのですが)今の千葉市民のうちでどれだけの人が記憶しているかわからないのですが,「都賀」というのも千葉市に編入された「千葉郡都賀村」に由来するものです。
で,その「都賀村」というのは,実はJR稲毛駅と都賀駅の間の地域。稲毛駅裏の「小仲台地区」や「園生(そんのう)」「穴川」も都賀村に属していて,「作草部(さくさべ)」が村の中心だったのですね。あそこに「都賀駅」があるのは,単線時代の総武本線上に設置された信号場がたまたま都賀村域にあったから。「都賀」の半分は稲毛区に属していたことになります。
都賀駅周辺を除いた若葉区の西半部は元の「千城村」だから「千城区」の方がよかったかな。

「都区」…,いいなあ。

そもそも,中世千葉氏の本拠地が「千葉郡」,そして「下総国」のはずれにあった,ということですね。同族の「上総氏」の本拠地は隣の上総国市原郡で,ここは上総国府の所在郡。
[7586] 2003年 1月 11日(土)17:00:28YSK さん
仙台市広瀬区実現は、いつなんでしょうか。
[7582]松戸さん
一番は仙台市。20万を越えちゃってます。区の数が少ないせいでもあるんですが・・・。広瀬区実現はまだなんでしょうかね?

平成14年12月現在の、仙台市の住民基本台帳人口と外国人登録人口の一表です。

住民基本台帳人口世帯数人口外国人登録人口世帯数人口
区名総数総数
青葉区125,260267,065129,161137,9043,4034,5752,2642,311
うち宮城総合支所21,70061,25530,12431,131194 257 108 149
宮城野区75,403174,52685,78788,7391,2291,735 840 895
若林区54,087127,75462,81964,935602 774 343 431
太白区89,888220,555109,127111,4281,0771,801 865 936
うち秋保総合支所1,7524,8242,3012,52314 17 2 15
泉区76,853205,748100,828104,920554830379451

※数字の桁数に差があり、一部表に揺れがありますがご了承願います。

ご存知のかたも多いと思いますが、仙台市には、青葉区のうち、旧宮城町の部分(概ね東北縦貫道より西側)を「広瀬区」として分区する計画があります。
この表を見ますと、広瀬区になる予定の宮城総合支所管轄分の地域人口は6万人を超え、この計画で基準とされた人口5万人は一応上回っているようですね。具体的な動きにはなっていないようですが、今後が期待されます。

とはいえ、宮城・秋保の両総合支所の人口合わせても7万人に満たない人口で、市全体は100万人を超えているのですから、仙台市における人口の偏在ぶりが見て取れますね。これは、山形県境まで市域に含むような合併の結果ではありますが。ひいては、このことが区の数が少なく抑えられていることにも影響しているのですけれどね。
[8545] 2003年 2月 1日(土)10:53:29NSK さん
神戸市西区
[8448]moriokaさん

#今すぐには思い出せませんが、確か明石局(673)と明石西局(674)は
「明石市用」と「神戸市用」の二つの郵便番号を持っていたと思います。

今調べたところ、昔は神戸市西区は明石局(673)、明石西局(674)の管轄でしたね。
対応としては次のようになります。

現在
651-21673
651-22673-02
651-23673-03
651-24674

地図を見れば分かると思いますが、神戸市西区は明石市のちょうど北側に当たります。
西区が垂水区から分区したのは1982年で、比較的新しい区です。
西区域が明石市ではなく神戸市に編入された詳しい経緯は分からないのですが、神戸市中心部よりも明石市との結びつきが強い地域が多いです。
最近でこそ、地下鉄の延伸により、直接神戸市中心部と結びつくようになりましたが。
ただ、651-24の岩岡地域は、完全に明石市の経済圏です。
岩岡を経由する神戸市バスの路線は、JR大久保、西明石の各駅と結んでいます。
(昔は明石駅行きもあったような・・・)
逆に、明石市バスも神戸市域に乗りいれていたような気がします。
[8783] 2003年 2月 6日(木)00:44:01【1】Issie さん
大阪市の区
[8771] ヒロオ さん
[8776] まがみ さん
とりあえず、北区・中央区・港区は共通ですが・・・大阪市には、方角の付く区名のパターンが多いという面はありますね。

つまらないっちゃあ,つまらないかもしれないけれど,由緒はあるんですよね。

都心の「北区」・「西区」と,今は「中央区」になっている旧「南区」・旧「東区」は,1889年に「大阪市」が発足する前,1878年の郡区町村編制法で設置されて以来の行政区です。大坂城下町内の地区区分に由来するのではなかったかな。
梅田周辺の「キタ」,難波周辺の「ミナミ」という用法が今でも行われていますよね。
確か,南区・東区が合区されて中央区になるとき,「伝統ある“ミナミ”の区名が消える」と話題になっていたように記憶しています。
つまり,実のところは思いっきり地域性のある地名であるのです。

「西成区」「東成区」は,それぞれ編入以前の「西成郡」「東成郡」に由来するものですね。郡名としては古代までさかのぼる古い地名です。
もともと大坂城下町が西成郡と東成郡にまたがっていたのでした。
大雑把に言えば,西半分が西成郡,東半分が東成郡。それが1878年の郡区町村編制法で市街地の4区が“郡”の範囲から取り出され,後に「大阪市」となる。そして両郡に属していた残りの町村も順次編入されて,1925年に消滅。
このとき,旧西成郡のうちで既に大阪市であった区域をはさんで南側に飛び地となっていた町村が「西成区」,北側の町村が「西淀川区」と「東淀川区」に整理されました。「淀川区」は1974年に「東淀川区」から分区されたものです。

「東住吉区」は「阿倍野区」とともに1943年に「住吉区」から分区されたもの。住吉区の残りの区域からはさらに1974年に「住之江区」が分区しています。
ところで,「すみのえ(住之江)」というのは本来,「住吉」の異称なんですよね。「よし=良=えし(ええ)」というつながりで,お互い交換可能なのです(同じ理屈で,「日吉(ひよし)」と「日枝(ひえ)」も同根。これはさらに比叡(山)の異称。「山王」という異称もありますね)。
だから,「住吉区」「東住吉区」「住之江区」は区名自体もすべて1つのルーツから分化した,ということもできそうです。

…って,まがみ さんは大阪の方だったのか。
これは「言わずもがな」だったかも。
[9979] 2003年 2月 28日(金)11:00:45太白 さん
都道府県名=市町村名=町名
[9930]YSKさん
[9965]Zzzさん
レスありがとうございます。
 webを通して日本の様々な情報にも接することのできる有益性を痛感します。
 私の手元には、日本の地図帳もJTBの時刻表(!)もなく、日本の新聞が大学の図書館で辛うじて読める程度の情報量ですので、日本の地理ネタに関しては、皆様書き込んでおられるような内容は書けませんが、アメリカの情報に関する需要があれば、書き込みしていきたいと思います。

[9965]Zzzさん
#ところで、「太白」は「太白星=金星」からのネーミングでしょうか?
 いえいえ、これは私の生まれ育った地域に因んだものです…と書いたところで、この掲示板を見ていらっしゃる方であればお分かりかと思いますが(笑)。HNの「敬称」の部分を続けて読んでいただくと、その名前のルーツとなった山の名前になります、Seehawkさんとは同じ高校(だった)かも知れません。YSKさんとは世代も同じのようですね。

 仙台が政令指定都市になった当時、「青葉区」「宮城野区」に比べて、「太白区」は何と格好の悪い名前なんだ!(そもそも読めない!) と思っていたし、そういった話を近所でも聞いたこともありましたが、月日が経つと違和感がなくなりますね。真偽のほどは定かでないですが、「広瀬区」にすればいいじゃないか…という意見があって、当時から、将来の分区に備えて「広瀬区」は残していると聞いた記憶があります([7586]ほかに、広瀬区分区に関する話題がありますね)。

 さて、仙台市青葉区に「みやぎ台」という地名があります。仙台市との合併前は、「宮城県宮城郡宮城町みやぎ台○丁目」という住所で、一部平仮名になっているものの、すごい住所だと思っていました。残念ながら合併で消滅してしまいましたが、このような、都道府県・(郡)・市町村・字または町名が同じという例は他にもあるのでしょうか?
[11402] 2003年 3月 18日(火)18:30:16ごろごろ さん
政令指定都市の行政区
[11392]松戸さん
さいたま市の行政区別の人口が掲載されてました

私も拝見しました。さいたま市は、行政サービスの向上などから行政区を増やしているようですが、他の首都圏の特別区、政令指定都市に比べて平均人口や面積が少ないですね。9区中5区が10万人、又は10万人以下の行政区なので9区というのも少し多いような気がしました。だから横浜市のように人口が増えてきたら分区というような方法が最適だと思います。

千葉市同様、20万人以上の人口を抱える区はありません

行政区の人口は15万人くらいが最適だと言われていますので、千葉市の行政区は問題が無いと思います。最近では緑区の人口が10万人突破したので、千葉市全区の行政区が10万に突破しました。強いて言うのならば、花見川区が18万人、中央区が17万人なので何年か後には20万人を突破するかもしれません。
[11424] 2003年 3月 18日(火)23:12:19まがみ さん
さいたま市行政区別人口
[11392]松戸 さん
さいたま市の行政区別の人口
[11402]ごろごろ さん
だから横浜市のように人口が増えてきたら分区というような方法が最適だと思います。
さいたま市は、今後人口が順当に増加していくことを想定しているのでは?
人口が増えてきたので分区するとなると、そのための手続、看板の付け替え、書類の訂正、ホームページの更新…その他もろもろの作業がありますし、何より財政難の折、そのための費用の出費が痛い。分区によって住居表示が変わり、市民からの文句や苦情をきくのも嫌だ、じゃあ、最初からやや細かいぐらいに行政区を分けておき、のちのち人口が急増しても分区の手間を省けるようにしておこう、という意図があるのではないでしょうか。あくまで推測ですが。

さいたま市の各区の面積を基準に、他の政令指定都市の行政区で面積が同程度の区を2つ挙げ、人口を比較してみました。
さいたま市人口面積 他の市の区人口面積
西区81,78729.00 神戸市須磨区173,67428.91
 京都市山科区137,49628.78
北区129,31416.93 横浜市瀬谷区122,59117.07
 北九州市戸畑区64,80116.66
大宮区105,35012.78 大阪市淀川区167,24812.64
 横浜市南区196,31812.63
見沼区150,26230.64 福岡市南区246,35630.98
 神戸市東灘区199,01830.36
中央区87,2768.38 大阪市生野区140,0468.38
 大阪市城東区159,5678.42
桜区92,05918.60 川崎市宮前区202,20518.61
 横浜市栄区119,13218.48
浦和区137,52211.54 神戸市長田区104,83711.48
 名古屋市瑞穂区103,88611.23
南区164,76513.90 神戸市兵庫区107,67914.52
 大阪市西淀川区94,31114.23
緑区103,09326.56 広島市南区135,78625.80
 神戸市中央区111,43625.56

同程度の面積の区どうしを比較すると、やはり さいたま市の各区の人口は少なめです。

ただ、さいたま市は、市域のほぼ全域が市街地のため、人口密度では政令指定都市中では第5位です。政令指定都市および特別区・静岡市・堺市の人口密度を比較すると、

市名人口面積人口密度
東京都特別区8,283,735621.4513,329.69
大阪市2,619,335221.3011,836.13
川崎市1,281,706142.708,981.82
横浜市3,496,927437.127,999.92
名古屋市2,186,075326.456,696.51
さいたま市1,046,395168.336,216.33
堺市792,879136.795,796.32
福岡市1,368,450339.384,032.21
千葉市904,629272.083,324.86
神戸市1,510,468549.382,749.40
京都市1,466,978610.222,404.01
北九州市1,006,458484.252,078.39
札幌市1,846,0351,121.121,646.60
広島市1,134,648741.751,529.69
仙台市1,019,124783.541,300.67
(新)静岡市703,8551,373.85512.32
※(新)静岡市は、(現)静岡市と清水市の合計

データ出所:
さいたま市の各区…[11392]松戸 さん
その他の市の各区…グリグリさんのデータベース検索
[11431] 2003年 3月 19日(水)00:29:38ニジェガロージェッツ さん
Re^2:さいたま市の行政区別の人口
[11392]松戸 さん
大変気になっていた新鮮なデータをご紹介くださって、感謝です。
しかし、人口105万人足らずの市に9区(人口151万の神戸と同数)とはさすがに区別人口は少ないですね。なんでも、実際7区程度で十分なものを、合併で職員がだぶついているから、区の数を必要以上に多くして職場を増やした、とか。ほんまかいな。
人口急増地帯の埼玉県のことだから、結果的に将来人口が増えても分区の必要もなく、ある意味効率的かも。人口最大の「南区」にしても人口密度が1万人を超え、長期にわたっての急激な人口増加はないだろうし。行ったことがないので地理的状況を詳しくは知りませんが、データを見る限り、将来分区の可能性がありそうなのは「見沼区」ぐらいですか?

[11402]ごろごろ さん
横浜市のように人口が増えてきたら分区というような方法が最適だと思います。
それが出来れば、問題なく理想と言えるのだろうけど、分区をするのに意外と難しい面もあるようですね。
端的な例として[7582]松戸さんも言及しておられますが、人口の京都市伏見区287,790人(2003年2月1日推計)があり、京都最小の東山区の人口43,015(同)と比べて6.7倍の較差があるにもかかわらず、現在においても分区には至っておりません。
その伏見区分区の経緯と難しさについては、[3419]京都市伏見区民さんから詳しくご紹介されています。

[11424]まがみ さん
さいたま市の各区と、他の政令指定都市の同規模面積の区との比較、興味深く拝見させて頂きました。

ただ、ここに神戸市の区が比較の対象にご提示なされているのは、やや違う感じがします。
というのは、ご存知の通り神戸市の各区は人の居住を拒むどころか、ややもすれば遭難するような急峻な山岳部が面積の可也の部分を占めており、まともにほぼ全域が市街化できるのは垂水区ぐらいですか。あと長田区も高取山の山林部分の面積は少なく、そこを除けば全域市街化に近いといえるでしょうが、未だ震災の影を色濃く引きずっていますから。

それにしても、面白いデータのご提示、有難うございました。
[11468] 2003年 3月 19日(水)17:14:23ごろごろ さん
行政区の分区
[11424]まがみさん
今後人口が順当に増加していくことを想定しているのでは?

そうですね。分区分区と言っていましたが、やはりさいたま市は人口増加を想定しているために、行政区を増やしているのですね。さいたま市は3市合併以降、人口が増え続けていますので、やはり、まがみさんのおっしゃっている推測は正しいと思います。

さいたま市の人口推移
年月     人口
1999/3/31 998.824
2000/3/31 1008.902
2001/3/31 1018.525
2002/3/31 1029.327
2002/10/1 1046.395
3市合併時のデータはありませんが、確実に人口は増え続けています。

分区するとなると、そのための手続、看板の付け替え、書類の訂正、ホームページの更新…その他もろもろの作業がありますし、何より財政難の折、そのための費用の出費が痛い。分区によって住居表示が変わり、市民からの文句や苦情をきくのも嫌だ、じゃあ、最初からやや細かいぐらいに行政区を分けておき、のちのち人口が急増しても分区の手間を省けるようにしておこう、という意図があるのではないでしょうか。

見沼区や中央区は苦情が多かったですからね。またさいたま市は合併して政令指定都市へ移行と住居表示の変更などが多く大変ですから行政区は最初から多く配分すればそれだけ負担も減りますね。(区役所の設置の負担は大きいと思いますが・・・)。そうなると横浜市の行政区の分区が、過去10年ごとに行われていましたので、住居表示や更新作業が大変だったと思います。

[11431] ニジェガロージェッツ さん
人口の京都市伏見区287,790人(2003年2月1日推計)があり、京都最小の東山区の人口43,015(同)と比べて6.7倍の較差があるにもかかわらず、現在においても分区には至っておりません。

伏見区は元々1つの市だったから人口も多いのかもしれませんが、分区には色々経費がかかって大変なのですね。人口が増えると予想するのならやはり政令指定都市以降時から、行政区を多く設置していればこのような問題も防げるので、改めてこのような取り組みは大切だと思いました。
[11477] 2003年 3月 19日(水)19:16:13観鈴が丘 さん
>>ごろごろさん
どうも、観鈴が丘と申します。以後よろしくお願いします。
>伏見区は元々1つの市だったから人口も多いのかもしれませんが、分区には色々経費がかかって大変>なのですね。人口が増えると予想するのならやはり政令指定都市以降時から、行政区を多く設置して>いればこのような問題も防げるので、改めてこのような取り組みは大切だと思いました。
地元の(伏見区の元から伏見だった地域)方が言うには伏見区は分市して元の伏見市の戻したいそうですよ。でも京都市が反対(一番人口の多い区なので手放すといろいろ困るのでしょうね)しているらしいです。
区をあらかじめ多めに設定しておくのは川崎や横浜みたいに後から開発されて人が多く住み始めた地域などがあると言う事を考えると難しいですね。

話は変わりますが最近古い地図(といっても30年くらい前のものです)を見つけました。仙台の泉区が泉町だったり札幌の手稲区が手稲町だったり、京都の山科区が東山区の一部だったり、大阪の初代4区(東区、西区、南区、北区)がまだ残ってたりして面白いです。
でも昔大阪が319万人もいたことは驚きました。人口密度かなり高かったんでしょうね。
ちなみに当時のデータでは東京が世界最大人口で873万
国内2位の 大阪が319万 3位の名古屋が185万 4位の横浜が159万 5位の京都が132万、6位の神戸が118万 7位の北九州が105万人(当時の政令市は6つ)といった感じです。
[11482] 2003年 3月 19日(水)22:11:13地理好きのケン さん
伏見区の分区・めがね
京都市伏見区の分区案を考えました。東部が「醍醐区」、中部が「伏見区」、西部が「淀区」です。
名古屋市の一部の区の分区案も考えました。西区北部(旧山田町)が「庄内区」、北区北部(旧楠町)が「楠区」、中川区西部(庄内川以西)と港区西部(旧南陽町)が「名西区」です。
眼鏡のことですが最近おしゃれ眼鏡が増えているみたいです。町でも眼鏡っ娘を多く見かけます。
グリグリさんや娘の麻衣子さんは視力はいくつなんですか。
[11519] 2003年 3月 20日(木)16:10:42special-week さん
定山渓の分区
[11518]
start様

札幌市南区のように巨大な区が1つか2つぐらい出来て

 これを読んで思ったのですが、定山渓は札幌市南区ですよね。南区と言っても静岡市の北部と違い、かなり観光地化されていますし、南区から定山渓が分区するといったことは考えられないのでしょうか?定山渓が札幌市というのがそもそも違和感あるのですが、それはよいとして、南区となると無理があるような気がします。生活上のつながりもなさそうですし。
 定山渓区という名称には無理があるかもしれませんが、分区する可能性ないものでしょうか。
 個人的には、定山区あたりでいいかと思うのですが・・・
[14128] 2003年 4月 27日(日)18:35:22実那川蒼[あんどれ] さん
居住地・出身地
[14123](オーナー グリグリ様)
記事のスピードについていけず、書き込みをためらっていたため居住地・出身地の発表が遅れておりましたが、今回発表いたします。

居住地 滋賀県草津市
出身地 川崎市高津区

(2) 出身地の定義
自分の出身はここだと思っているところ。出生地である必要はありません。私も出生地は野々市町ですが、小学生から高校まで金沢在住だったので自分では出身は金沢と思っています。

9歳まで川崎市に住んでいたので「川崎市」が出身地であることは間違いありません。ただし、その下の区名となると、出生した病院は高津区ですが、出生後の最初の住所は当時高津区で、現在は分区して宮前区になっているため微妙です。さらに、後に住所が高津区内の別の場所に変わっている(こちらは現在も高津区)ので、話がさらにややこしくなります。
ここでは一応「高津区」としておきます。
[16713] 2003年 6月 13日(金)15:30:38NS さん
青葉区および港北区の分区可能性および新区名は?
[16704]N-Hさん等において、横浜市の区名案が色々と語られていますが、政令指定都市における区の上限人口と一般的には見なされている30万人を既に超えている港北区や、その大台に迫ろうとしている青葉区において、分区構想は現在のところどの程度顕在化しているのでしょうか?
(私が確認した限りでは既存の各アーカイブにおいてこの件に関する言及は見つけられませんでしたが・・・)

もし分区をするのなら、地勢的にみて
・青葉区は鶴見川を挟んで東西に
・港北区は概ね早渕川~鶴見川を軸に南北に
分けるのが自然かな?と私には感じられますが、青葉区に関しては
青葉台が青葉区の中心なので
に従うと、鶴見川より西部にある青葉台周辺と鶴見川東岸に位置し区役所のある市ヶ尾地区は別々の区になるだけに、どちらが「青葉区」を継承するのか、あるいはこれ以外の区名・区割り方法を隣接区の巻き込みも含めて検討するのかが注目されるところかな?と感じます。
 一方、港北区に関しては上記の分け方だと繁華街とされる日吉・綱島両地区がいずれも現在の港北区役所所在地域周辺とは別の区域に属することになるので、
・北部の新区名は「日吉区」もしくは「綱島区」辺りが有力?
・分区後に残った地域に関しては歴史的経緯を尊重して「港北区」のまま?
かと感じますが・・・(ここも隣接の都筑区などを巻き込んだ形での再編が有り得るのでしょうか?)

 以上、横浜市に縁もゆかりもない立場で書いた、説得力にいささか自信の無い個人的意見ですが、市民や出身者などからはどのように感じられているのでしょうか?(中田宏市長の判断次第で大きく変わるのでしょうが)
[16716] 2003年 6月 13日(金)16:13:34N-H さん
分区
[16713]NSさん
政令指定都市における区の上限人口と一般的には見なされている30万人を既に超えている港北区や、その大台に迫ろうとしている青葉区において、分区構想は現在のところどの程度顕在化しているのでしょうか?
私は現在のところこの2区の分区構想は耳にしたことがありません。
そもそも両区ともに「緑区+港北区=緑区+港北区+青葉区+都筑区」の分区を行ったのが平成7年ですから、まだそれから8年しか経っていません。
横浜市の統計によると、これらの区の分区前後の人口の推移は以下のようになっています。
・平成6年
旧港北区:329936人
旧緑区 :453110人
・平成7年
港北区:279314人
緑区 :149184人
青葉区:248326人
都筑区:117801人

ということで、分区前の緑区の人口はなんと45万人以上。また分区後の4区の人口を見るとかなり偏っていることがわかります。都筑区の人口が11万人台と少ないですが、これはその後に港北ニュータウンが発展し人口が急増することを見越したのでしょう。事実今年6月1日の人口は16万9千人近くに達し、緑区を追い抜いています。
それにしても分区後も港北区、青葉区の人口はかなり多いですね。この時に更に2区ぐらい作っておくべきだったのかもしれませんが、今となってはまだ前の分区からの期間が短すぎるという認識ではないでしょうか。
[16729] 2003年 6月 13日(金)21:20:59Issie さん
港北・緑・青葉・都筑
まず初めに,
横浜市の「港北区」は,1939年4月1日の第6次市域拡張に際して従来の都筑郡から編入された7町村(川和町,新田村,中川村,山内村,中里村,田奈村,新治村)に“神奈川区の一部”(1927年区制実施)を加えて発足しました(この市域拡張で「都筑郡」は消滅しますが,同時に編入された都岡村・二俣川村は保土ヶ谷区に編入されています。現在は旭区)。
このとき単なる「北区」とはせずに,当時としては斬新な「港北区」という呼称を新設したのは,このときの横浜市の“見識”であったのではないか,と思います。これを参考に「港南区」が南区と戸塚区の一部から誕生するのは30年も後の1969年のことです。その意味で,単なる「抽象地名」ではない…。

その「港南区」が新設された1969年の区再編の際に,港北区も分区されて編入以前の旧川和町・山内村・中里村・田奈村・新治村の範囲を以って「緑区」が発足しました。区役所は当初,旧都筑郡役所も設置されて郡内の中心集落であった川和(都田[つだ]村→川和町)に置かれました(それ以前に,港北区役所の出張所が置かれています)。中山に区役所が移転するのは1970年代後半のことです。

ちょうど旧緑区が港北区から分立する少し前,「多摩田園都市構想」と呼ばれる東急資本による大規模な宅地造成が進められました。この際に,緑区域で拠点として開発されたのが「たまプラーザ」(旧山内村元石川)と「青葉台」(旧田奈村恩田)でした。逆に言えば,ここは東急が開発してしまって横浜市の入る隙はなかったのです。
「田園都市」の開発とともに人口が激増した結果,(旧)緑区は横浜線沿いの南部と田園都市線沿いの北部とに分割して管理されるようになります。警察署の管轄が分割され,区役所の機能も分割され,水道局も分割され…,それらの施設が置かれたのは市ヶ尾の谷本(やもと)川(鶴見川の青葉区区間を地元ではこう呼びます)沿いの低地でした。
ここがちょうど,緑区北部の中心市街である たまプラーザ(元石川)と青葉台の中間に位置することと,東急資本による開発区域外であったことで,ここにこそ市の出先機関が割り込める余地が残っていたせいではないのかと思います。

いつしか(旧)緑区単独で45万を超えたこと,市営地下鉄沿線の港北ニュータウンの造成が進行したことによって,1994年に港北区・緑区の再編が行われて,新しい港北区・緑区・青葉区・都筑区の4区となったわけです。

[16724] NS さん
・青葉区において旧港北区地域だったところは存在するのか?

ありません。青葉区は旧緑区北部,編入前の田奈村北部(恩田・奈良)・中里村(南部:西八朔・北八朔・小山・青砥を除く)・山内村(荏田の一部を除く)から成っています。

・都筑区内における、旧緑区と旧港北区の境界は?

旧山内村荏田地区については

[16704] N-H さん
現在荏田町、荏田北、荏田西は青葉区にあり、荏田南、荏田東が都筑区にあります。

のとおりです。
さらに旧緑区のうち,鶴見川(谷本川)の北側,川和町・佐江戸町・池辺(いこのべ)町・東方町・折本町・大熊町・川向町(およびこれらの町から分立した新しい町),すなわち編入前の旧川和町の区域が都筑区に属することになりました。
旧港北区からは,中川町・北山田町・東山田町・南山田町・牛久保町・大棚町・茅ヶ崎町・勝田町(およびこれらの町から分立した新しい町),すわわち編入前の旧中川村が都筑区に属することになっています。

青葉台が青葉区の中心なので、

「青葉区」の命名のに際しては,すでに中心市街地としての「青葉台」の存在が十分に根拠になっていたのではないかと思うのですが。

[16691] uttさん
中区  →本牧区(横浜を代表する埠頭名)

「開港場としての横浜」から見れば,本牧は“山向こう”ですからねぇ。1901年の第1次市域拡張で横浜市に編入されたところですから。
おまけに,戦後は割と最近までかなりの面積が米軍に接収されていましたから,「円」が今とは比べ物にならないくらい安かった頃(車のハンドルの値段がが180円,などという“なぞなぞ”が流布していた頃)に米軍関係者を相手に独特の雰囲気を醸していたことはあったとしても,「横浜都心」の呼称としては,少しズレているかもしれませんねぇ。
それから,横浜を代表する埠頭の名前は,どこを措いても「大桟橋(おおさんばし)」=メリケン波止場に勝るものはないと思います。

ぢゃあ,「関内」か,っていうと…
これも「広がりのある地名」ですから,本町・馬車道・山下・中華街などが含まれるわけですけれども,その外側は排除されてしまう気がします。
元町も,伊勢佐木町も,野毛も,ましてや山手も,「関内」には含まれません。「関内」の西部(県庁と市役所よりも西側)もまた,戦後しばらくの間米軍に接収されていたことがあって,1960年代前半まではスカスカだったせいもあるので,戦後の「ハマ」を知っている世代には伊勢佐木町も野毛も元町も,あるいは寿町のドヤ街も含まれない「関内」がこの区を代表するというのには抵抗を感じる人も多いのではないかと思います。

あ、むしろ栄区を鎌倉市に編入するのがよいかもしれません。

衆議院の小選挙区の区割りも,同じ「神奈川4区」ですね。

#実はね,あたしの最初の職場は当時の緑区の谷本川のそばだったのですよ。
[22738] 2003年 12月 12日(金)17:55:09【1】ぴょん さん
北九州市を分区/合区するなら...
[22735]まるちゃんさん
やはり西区の分区は避けられないかな?と私も思います。楠橋あたりからだと中間を通ってそのずっと先に西区役所のある黒崎ではどうもおかしいですよね。やはり上津役・小嶺・香月・楠橋・木屋瀬あたりの地区は中間と同区とするのが自然でしょう。中間市に気を遣って「中間区」あるいは八幡ICもあったりするので「八幡南区」あたりになりそうですね。この場合でも、川西は北にある折尾や水巻とより密接ですが、遠賀郡が1市ならば当面この(八幡南)エリアになりそうですね。
あと、個人的には折尾も分区してほしいところです。折尾地区+若松区高須・青葉台地区で、将来的には遠賀郡も(特に水巻・芦屋)ということで...。前にも述べてありますが、折尾は黒崎との一体性というよりもむしろ(現在の)遠賀郡や若松区と交通・文化両面で密接なかかわりがあります。実際すぐ北の浅川地区はかつて若松区だったり、折尾警察の管区が折尾+遠賀郡+中間市だったりします。また、JR乗降客数も近年の人口増と学校の多さにより黒崎に迫る勢いで、商業的には黒崎に遠く及ばないものの、たとえば横浜市青葉台のようなベッドタウンとしてのターミナル性は持っているように思います。「折尾区」或いは遠賀郡を含めるのなら「遠賀区」音楽??。ただ、この場合に生じる若松区の急激な人口減が少し心配です。(少し現実的ではないですが)旧市を無視するのなら若松+戸畑は面白いかもしれません。この場合は二島以西は折尾地区でしょう。ただ、学区など一部でここが境界線になっているものもあります。(8割方市の西部・東部の境は戸畑・東区・西区/北区・南区ですが)
また、「鉄の町」のイメージを本気で変えるのならもはや中心性が失われた「新日鉄のイメージの強い区」東区と西区黒崎の合区もアリだと思います。

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