都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

国(地域)名とその表記方法について

トップ > 落書き帳アーカイブズ > 国(地域)名とその表記方法について
記事数=21件/更新日:2005年4月24日/編集者:YSK

国名や世界における地域名は、言語の違い等によって、さまざまに呼称・表記されるようです。そのような実例に言及したメッセージを集めました。

… スポンサーリンク …

★推奨します★(元祖いいね) 般若堂そんぴん hmt

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1786]2002年6月7日
Issie
[1788]2002年6月7日
Issie
[1805]2002年6月8日
Issie
[1813]2002年6月10日
Issie
[1891]2002年6月17日
Issie
[1900]2002年6月17日
Issie
[1908]2002年6月18日
Issie
[3250]2002年9月22日
Issie
[4017]2002年10月19日
Issie
[4023]2002年10月19日
Issie
[8970]2003年2月9日
Issie
[8993]2003年2月9日
Issie
[9620]2003年2月22日
Issie
[11570]2003年3月21日
Issie
[15893]2003年5月25日
スナフキん
[27441]2004年4月17日
Issie
[40144]2005年4月21日
ひげねこ
[40148]2005年4月21日
hmt
[40150]2005年4月21日
烏川碧碧
[40163]2005年4月21日
みやこ♂
[40167]2005年4月22日
EMM

[1786] 2002年 6月 7日(金)18:38:25Issie さん
英国
外務省での正式名称は「連合王国」。UK,つまり United Kingdom の直訳ですね。
「イギリス」の出所にはいろいろな説があるのですが,16世紀のポルトガル語が怪しいというのがもっぱらの噂ですね。
ま,今回のW杯で England とイギリスがイコールではない,ということが少しは浸透したかな。ついでに“イングランド旗”の説明から英国旗「ユニオンジャック」の成り立ちもお勉強できて,よかったでしょ。

米国は「アメリカ合衆国」。もちろん,United States of America の訳ですね。「合州国」と表記すべきだと主張する人もいて,実は私も同感なのですが,十分定着している「合衆国」で構わないでしょう。
なお「米国」は同じ漢字文化圏でも日本以外では通用しません。理由は,発音が違うから。
だから中国や朝鮮半島では「美国」と表記するのですね。
同じく,「仏国」ではなく「法国」,「独国」ではなく「徳国」。ただし,韓国語ではドイツを「トギル」と呼ぶけれども,これは日本式表記の「独逸」の韓国語読み。
ロシアを「露国」と表記するのも日本だけ。中国語でも朝鮮/韓国語でも「俄国」。「オ」と発音するのですが,これは「オロス=おろしあ」の頭文字なのですね。たぶん,モンゴル語経由で入ってきたものと思われます。
ちなみにロシア語で中国を「キタイ」というのは,逆に「契丹」という意味のモンゴル語がロシアに入ったもの(契丹は,宋の時代に中国の北部を支配した異民族王朝。漢民族からみると異民族だけど,モンゴルから見ると中国の一部なのですね)。
ロシア人の紅茶好き文化は,「キタイ」と同じように中央アジア経由で入ってきたものと言われています。

話を戻して,
日本以外で通用しない最たるものは「倭=和」という図式。
この2つは日本語以外では全く発音が違うから,「和」が日本を表すといっても理解してもらえません。
[1788] 2002年 6月 7日(金)23:01:55Issie さん
連合王国
>正式にはやはり「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」でしょう。

そうでしたね。「外務省で使っている略称」というのが正しかったかな。

>ちょっと面白そうですから問題です。どこの国でしょう?

全部わかるけど,答えないでおきましょう。
ところで
>布基納法索
改称する前はどう表記したのかな。
「上伏特」? まさかね。

EU。少なくとも新聞では「欧州連合」が一般的ですね。字数が節約できるから。
地理の教科書でも「欧州連合」と「ヨーロッパ連合」と両方併記が普通かな。
[1805] 2002年 6月 8日(土)20:53:10Issie さん
Re^2: 合衆国
日米和親条約の日本語での正式名称は「日本国米利堅合衆国和親条約」。つまり,少なくとも幕末の段階には「合衆国」という呼称が行われていたことになります。
たぶん,この当時は「連邦」という用語はできていなかったのではないかな。

だいたい19世紀いっぱいを通してヨーロッパの新しい概念が日本に紹介されて,それが日本語に翻訳されるわけだけど,当然いろいろな試行錯誤が行われているのですよね。
あるものは杉田玄白や前野良沢ら「ターヘルアナトミア」(←本当はこういうタイトルではなかったらしい)翻訳グループが考案した「神経」のように,日本の蘭学者や洋学者たちが創出したもの。あるものは日本よりも先にヨーロッパ諸国と接触のあった中国で作られた単語を輸入したもの(諸説あるけど「銀行」もそれっぽい)。あるものは中国古典(漢文テクスト)の中で以前から使われていた単語を借りて当てはめたもの(「憲法」がそう。まさか聖徳太子の「十七条憲法」を“最古の憲法”なんて言わないでね。同じ単語を使っていても,近代国家の constitution とは根本的に違う概念なんだから),などなど。
今の私たちが使っている用語の多くは,このときに叢生したたくさんの翻訳用語(案)の中からの数少ない生き残り。ちょうど,カンブリア紀に爆発的に誕生した多様な生物の中から,ほんの一握りの形態のグループだけが生き残って,現在の地球上の生物の形を決定したように。

ちなみに,ロシアについては明治の初めまでは「魯」という表記の方が一般的だったようです。今でも缶詰会社がこの表記を使っていますね。いつごろ「露」と入れ替わったのだろう。
ソ連時代をはさんで,連邦解体後の「新生ロシア」については漢字表記をせずカタカナで「ロ」と書くのが現在のマスコミでの用法のようですね。
[1813] 2002年 6月 10日(月)19:08:43Issie さん
にほん
>グリグリさんへ
フォローありがとうございます。
「トップページ」→「地理のページ」→「地理データ集」→「市町村の変遷」
という形でリンクを張っておきました。

>サポーターの大連呼「ニッポン!!」、此れが「日本」の正しい発音と聞いて居ますが

「にっぽん」を「正しい」ということにしたのは,確かベルリンオリンピック(1936年)か,“幻の”東京オリンピック(1940年)だったように記憶しています。
「日本」という国の名前が成立するのは律令制確立に向かう7世紀後半の天武・持統朝のことだと考えられていますが(「天皇」が成立するのもこの頃。だから聖徳太子の叔母さんを「推古天皇」と呼ぶのは後の時代からさかのぼってのこと。叔母さんが生きているときは「天皇」ではなかった),当時の日本語には“つまる音”(小さい“っ”)はありません。「ほ」の発音も今とは違って「ふぉ」(← fo と唇をかまないこと)や「ぽ」のような音だったらしい。
だから“正しい”発音は「にぽむ」→「にふぉむ」のようなものっだようです。
それが「にほん」になったり「にっぽん」になったりしたのです。
どっちでもいいんですね。

私は「日本」単独の場合には「にっぽん」,「日本語」や「日本人」,「西日本」などのように前後に何かの要素がつくときには「にほん」と読むことにしています。

>水素と酸素の概念が本来の意味と逆転して居るとの

「水素」は hydrogen,「酸素」は oxygen の訳語ですが,hydro- は「水」,oxy- は「鋭いもの→酸」という意味なので,少なくとも日本語のせいではないですね。

>八咫烏(やたがらす)の事

そう,そう。そのものズバリの「八咫烏」なのだそうです。
戦前の協会設立当時から採用されているそうです(少なくとも戦後すぐに,このような「神がかり」なマークを選ぶセンスはなかったでしょうね)。
熊野の烏,という話だったと思いますが,何で烏?
[1891] 2002年 6月 17日(月)00:22:03Issie さん
Re:日本周辺の地名の呼び方の違い
千島列島/クリル諸島というのがありますね。
 国後(くなしり)島 <--> クナシル島
 択捉(えとろふ)島 <--> イトゥルップ島
 色丹(しこたん)島 <--> シコタン島(←これは同じ)
 歯舞(はぼまい)諸島 <--> 小クリル(マロクリリスク)諸島

すでに日本は領有権を放棄しており,日本人も(ほとんど)住んでいないので意味がないのですが…
 豊原 <--> ユジノサハリンスク(日本領有以前の旧称:ウラジミロフカ)
 大泊 <--> コルサコフ
 本斗 <--> ネベリスク
 真岡 <--> ホルムスク
 敷香 <--> ポロナイスク
 恵須取 <--> ウグレゴルスク
などなど。

国際的には
 宗谷海峡 <--> ラ・ペルーズ海峡
 間宮海峡 <--> タタール海峡
 (厳密には「間宮海峡」は最も狭い部分の呼称で,ここはロシアでは「アムール海峡」。広い海峡全体の日本語名は「だったん(←漢字はJIS規格外?)海峡」で,これは「タタール」の日本語訳)
 南鳥島 <--> マーカス島
 沖ノ鳥島 <--> パレセ・ベラ礁
ってのも,あります。

> 元来「シナ」は孫文が考えた新地名だったが

「支那」という呼称と表記自体はずいぶん古く漢訳仏典にも登場するようです。
確かに孫文は満洲族の「清」に代わる呼称として「支那」を選んだ段階があるようですが,すぐに止めて「中華」を採用していますね。で,「中華民国」が新政府の正式名称。「支那」は2度と使わない。
問題は「支那」の出所ではなく,「中華民国」という正式名称があり日本政府がそれを認めているにも関わらず,敢えて殊更に(たぶん,ある種の意識を込めて)「支那」を使っていたことにあるのです。
>中国に対する軽蔑名称
だから,こうなる。
似たような事情でも「イギリス」にはそんな感情はないですよねぇ。
[1900] 2002年 6月 17日(月)20:38:20Issie さん
オシフェンチム
これは同じ地名をドイツ語とポーランド語とで違って読んでいるだけです。
ドイツ語なら“アウシュビッツ”Auschwitz,ポーランド語なら“オシフェンチム”Oswiecim。
たとえて言えば,「平壌」を朝鮮/韓国語で「ピョンヤン」,日本語で「へいじょう」,中国語で「ピンラン(もしくはピンジャン)」と読んでいるのと同じことです。ただ,ヨーロッパには各国語での発音を超越して共通に表記する漢字のような便利な代物がないのです。

>ドイツ占領時代の出来事
ドイツ東部からポーランド西部にかけての地域は過去にドイツとポーランド(スラブ)の間を行ったり来たりしているのですよね。
現在もナチスが占領する以前もオシフェンチムを含む「シロンスク地方」はポーランドの領土ですが,第1次世界大戦まではドイツの領土でした。その前はハプスブルク帝国(オーストリア),そしてその前はポーランド。
だから当然,ここにはドイツ人もポーランド人もいて,それぞれ“同じ地名”を自分たちの言語で読んでいたのです。
ダンチヒ Danzig/グダニスク Gdansk,ポーゼン Posen/ポズナニ Poznan,ブレスラウ Breslau/ブロツワフ Wroclaw のいずれもがドイツ語/ポーランド語のペアーです。
ちなみにオシフェンチムが属する地方の“シロンスク”Slask,これはポーランド語。ドイツ語では“シュレジエン”Schlesien,ついでに英語では“シレジア”Silesia となります。
今はこれらの都市は全部ポーランドに属していますから,ポーランド語読みをするのが適当です。逆にドイツ帝国時代の話であればドイツ語読みが適当でしょうね。
「アウシュビッツ」はナチス政権の産物ですからドイツ語読みがふさわしいでしょう。ただし,現在地としてはポーランド領なのだから,「オシフェンチム」の方が適当と考えます。

対馬海峡のように千年以上も変わらぬ国境を持つ(と言いつつ,35年間はこの海峡も“国境”ではなかったですね)「幸福な」日本人には理解しづらいのですが,世界では国境が移動することは珍しくなかったし,そのたびに所属する国が変わった都市や人々は数え切れません。
そういう都市にはそれぞれの言語で違う名前を持つものが少なくない。
たいていは“同一の地名”をそれぞれの言語で違って読んでいるのですが,中にはドイツ語で“ウィーン”Wien と呼ばれる都市がハンガリー語では“ベーチ”Becz とかなり違った名前で呼ばれることもあります。
[1908] 2002年 6月 18日(火)19:59:44Issie さん
Re:シャルル・デュトワ
ベルギーは北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏とがほぼ同程度の勢力を持っているために,両言語が対等の公用語とされています。国内では「オランダ語を主な公用語とする地方」と「フランス語を主な公用語とする地方」(さらに「ドイツ語を主な公用語とする地方」もある)とに分かれているのですが,地名などの表示については「両言語併記」が原則になっていたと思います。
なお,首都のブリュッセルは完全な「両言語併用地区」とされています。

>英語圏で独自に発音する様な事は在るかな

地名やキリスト教圏共通のファーストネームなどはそれぞれの言語での慣用が確立しているので,「モスクワ Moskva → モスコー Moscow」「ピョートル Petr → ピーター Peter」という“翻訳”が行われるのが普通ですが,具体的な個人名となるとどうでしょうね。
たとえば,研究社の「リーダーズ英和辞典」には著名人の名前も収録されていますが,「ジュリアス・シーザー」とか「チャールズ大帝」のような歴史上の人物はともかく(私は英語読みよりも,「カエサル」とか「カール」の方がいいな),現代人については“綴り”は元の言語のまま,発音も“英語訛り”ではあるけれども,できるだけ原語に近い発音をするように記載されています。
きっと,表題の人も「チャールズ」となることはなく,「シャルル・デュトワ」を思いっきり英語風に訛って発音するんでしょうね。

>ここで云う「北見」とは浜頓別等、宗谷支庁のオホーツク沿岸域を指すらしく(やはり廃止された興浜北線の終着駅は「北見枝幸」でしたし。)網走支庁の北見は当初「野付牛」と称しました。

現在の宗谷支庁と網走支庁管内の旧国名が「北見国」だからです。留萌支庁と上川支庁管内北部は「天塩国」。天塩国の音威子府と北見国の稚内を結ぶから「天北線」なのです。
石狩川上流の上川盆地や空知川上流の富良野盆地は「石狩国」。
だから石狩国の旭川から天塩国の名寄へ向けて越える峠は塩狩峠。北見国の遠軽へ抜ける峠は「石北峠」。同じ北見国の網走への鉄道は「石北線」。そして十勝の帯広へ下りる峠は「狩勝峠」。
「北見枝幸」というのは,同じ「エサシ」でも追分節で有名な渡島国の江差や,岩手県つまり陸中国の「江刺」(陸中江刺には鉄道が来ていないけれど)と区別するために「北見」という国名がついているのでしょうね。
[3250] 2002年 9月 22日(日)10:24:44Issie さん
国名
[3244]
>「セルブ・クロアート・スロヴェーン王国」ですね。

これは英語の The Kingdom of Serbs, Croats, and Slovenes に基づくものでしょう。「セルボ・クロアート・スローヴェン王国」というのも見たことがあります。こちらは形容詞形でしょうかね: Serbo-Croato-Slovene Kingdom (?)
いずれにせよ,「セルビア人とクロアチア人とスロベニア人の王国」という意味です。
第1次大戦後,一足先にオスマン帝国(トルコ)から独立していたセルビア王国が中心になって,ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー)の支配下にあったクロアチアやスロベニア,ボスニア・ヘルツェゴビナ(19世紀末まではオスマン帝国領。これも「ボスニア」と「ヘルツェゴビナ」の合成地名ですね)を統合して成立したのですが,単純に「セルビア王国」とならなかったのは各民族間,特にセルビア人とクロアチア人の間の微妙な関係があったからなのでしょうね。
結局,「南スラブ人の国」という意味の「ユーゴスラビア」という“中立的”な新地名が創出されました。
どこぞの市町村合併の経緯とそっくりですね。

「チェコスロバキア」Czechoslovakia は「チェック(チェコ)人 czech とスロバキア人 slovak の国」という意味です。
どちらもお互いに近い民族で,お互いに自分の言葉(チェコ語とスロバキア語)で話していても言葉は通じる,とも言われています。どちらも長らくハプスブルク帝国の支配下にありました。ただし,チェコ(ボヘミアとモラビア)はオーストリアの,スロバキアはハンガリーの。ここに,両者の微妙な違いがあります。
第1次大戦後の統合・独立以来,建前上は両民族の融合と協同を目指していたようですが,1980年代後半以降,お互いの独自性が強調されるようになりました。その結果,Czechoslovakia という国名も Czecho-Slovakia と表記されるようになり,日本語での表記も「チェコ・スロバキア」となりました。
そして,ここは幸いなことに(ほぼ)平和裏に分離,となったわけです。
残った「チェコ」ですが,Czecho- の最後の o は次の Slovakia とつなぐための“接着剤”なのですね。彼らの民族名ないしは国名は Czech でおしまいです。
だから本当は日本語での国名も「チェック」としなければならないのですが,ここは日本での慣用にしたがっているのでしょう。

蛇足ですが,ロシアの文豪でサハリンの旧日本領の都市の地名にもなっている「チェーホフ Chekhov」はロシア語で「チェコ出身の一族」という意味です。
[4017] 2002年 10月 19日(土)11:26:33Issie さん
アメリカ
[4011]
>雑魚さんが「アメリカ」と書かないのが不思議に思います。

私は 雑魚さん とは別の意味で(…というわけでもないかもしれないが),“あの国”を「アメリカ」と呼ぶことはしないのを原則にしています。
基本的には「アメリカ合衆国」。短くするときには「合衆国」。
でも,これは必ずしも一般的ではないので,そういう場合には「米国」。
単純に「アメリカ」という場合,それは大陸を指す(普通は南・北に分けるけど)。
だから,北アメリカ大陸の南半分と西北部を占めるに過ぎない“連邦国家”を単純に「アメリカ」と呼ぶのは適当ではない。

実は,これは私が中学校のときに社会科の時間に教わったことなのでした。自分としても納得できるので,これに従っています。
(あと教わったのは,地図上の位置を説明するときに「上・下・左・右」は決して使ってはいけない,ということ。地理の時間の先生の専門は法律(公民的分野)だったんですけどね。)

とはいっても,公的機関・民間ひっくるめて資料類で「アメリカ」と表記することは全然珍しくないし,私たち一般の会話の中でも普通は「アメリカ」だから別にこだわりませんけどね。
少なくとも「アメリカ」と“書かなければならない”ものではありません。
そう言やぁ,あの国の人は America と (United) States とを区別して使っているような気もするが…

[3959]
>「誰かさんと誰かさんが麦畑」(出典不詳)

少し前の「朝日新聞」で,
 最近流行の「大きな古時計」を終戦後にも全く別のアレンジで聴いたことがある,
という投書があって,それに対して,
 あの歌はもともと「ジョージア・ソング」という曲で,戦前の日本ではジャズの曲として知られていた,
という応答がありました。
 「ジョージア・ソング」というのは,幕末に幕府が外国の援助を得ながら洋式軍隊を育成しているときに“軍楽”として米国から紹介された,といわれています。それが国内に広まってジャズで演奏されるようになり,昭和初期の浅草では面白おかしい歌詞がつけられて東京紹介の歌になりました。エノケン(榎本健一)の「東京節」。後半の囃子言葉から「パイノパイノパイ節」とも呼ばれます。1970年代半ばにドリフターズも歌っていました。「東村山音頭」ほど,はやらなかったけど。
 この「ジョージア・ソング」と「大きな古時計」,似ているといえば似ているけど,本当に同じ曲かどうかは不明。「大きな古時計」の日本語歌詞は,意外にも元の英語の歌詞にかなり忠実なものなのだそうです。

“昭和30年代”に流行した江利チエミの「ウスクダラ」と坂本九の「悲しき60歳(ヤ・ムスタファ)」は,それぞれトルコと北アフリカのアラブ圏では大変に有名な曲なのだそうですが,日本語の歌詞は原曲とはまったく関係のない“荒唐無稽”な歌詞です。当時の日本人の「中近東観」を反映してはいそうですが(「中近東」もあまり適当な表現ではないのですがね)。

70年代初めに森山良子が歌った「悲しき天使」はイギリスでメリー・ホプキンが歌っていたのを翻訳したものだけど,雰囲気は似ていても元の英語の歌詞に忠実というわけではないのですね。
で,実はこの歌は“イギリス生まれ”ではなく,ロシアのジプシーの曲であることがわかっています。もちろん,英語の歌詞とロシア語の元の歌詞とは全く無関係。
こういうことは,よくあるのでしょうね。

[3993]
>「フィンランド」というのは国内ではそうは呼ばれていないようですね。
>「スオミ」と本国の人は呼んでるそうです。

「イラン」。
これは「アーリヤ人」から変化したものだと言われていて,この国の人の自称ですが,ヨーロッパではギリシア以来の「ペルシア」という呼称が一般的でしたね。
第1次大戦後に成立した「パーレビ王朝」が諸外国に「イラン」という呼称を採用するように要請して「ペルシア」という国名は使用されなくなりました。

「インド」も,ヒンディー語の国名は「バーラト」ですね。有名な叙事詩の「マハー・バーラタ」の「バーラタ」です(現代ヒンディー語では最後の a という母音が脱落します)。
「インド」というのは,「川」という意味の現地の言葉がギリシア語を経由してヨーロッパに定着したものです。「川」とはインダス川のこと。アレクサンドロス(アレクサンダー)大王は,ここまで遠征に来ましたからね。
現在はパキスタンになっているインダス川下流部の「シンド」という地名も「インド」と同じ語源です。ついでに,「ヒンディー語」「ヒンドゥー教」「ヒンドスタン平原」の「ヒンド」もね。

[3993]
>「ネーデルラント」を「オランダ」と呼んでも通じないでしょうね。

「ネーデルラント」が正式な国名になったのは意外に新しくて,ナポレオン後のウィーン会議で独立国家が再建された1814年のことです。日本がこの国と出会った17世紀初めは,「ホラント」つまり「オランダ」だったのですね。
「高麗」が「朝鮮」に変わっても世界中で Korea と呼んでいることを考えれば,「オランダ」もさして間違いではないのかもしれませんね。
なお,歴史的な地域呼称としての「ネーデルラント」にはベルギーの領域も含まれます。

「なら」については,朝鮮語起源説,日本固有語説,さまざまな説があります。
まぁ,「古すぎてわからない」というのが妥当なところだと思いますよ。
[4023] 2002年 10月 19日(土)21:16:18Issie さん
歴史的地域呼称
[4019]
>多分バンカラ風味の色彩が濃いとは思うのですが、旧制の中等ないし高等諸学校における
>応援歌の類も、既存の曲が引用され、複数校で同じ旋律を共有している例が多い様ですね。

数年前に「軍艦行進曲」ばかりを集めたCDが発売されたとき,岩手県の県立盛岡一高の校歌が収録されていました。…同じ曲なのですね。
もちろん,軍歌の「軍艦」が最初にあって,これ(の替え歌)を当時の旧制盛岡中学が校歌にした,というもの。海軍の方でも,この軍歌を他の軍歌とセットにして壮大な行進曲にしました。
割と知られているものに,旧制一高の寮歌の1つである「アムール河の流血や…」という歌が,軍歌(万ダの桜か襟の色…;“ダ”はもちろん漢字)にも,労働運動の歌(立て万国の労働者…)にもなった,という例があります。

ところで,「ネーデルラント」の話の続き。
現在の「ネーデルラント王国」(オランダ)が歴史的な「ネーデルラント」の北半分でしかない,というのと同じような例は少なくありません。

ソ連解体の契機となった「リトアニア」の独立。
第2次大戦の最中にソ連に占領・併合された「リトアニア」が現在の領域で独立したのは第1次大戦の後のことです(細かく言うと,独立当時のリトアニアは現在よりも若干小さく,現在の首都であるビリニュス地方はポーランド領でした)。
バルト沿岸の「小国」として困難な歴史を歩むわけですが,実は16世紀にロシアが急速に強大化する以前の「リトアニア」は東ヨーロッパの「大国」でした。14世紀の終わりごろにポーランドと合体して,現在のベラルーシ(白ロシア)やウクライナを含む広大な領域を支配しました。
その名残で,現在のポーランド東部からベラルーシにかけての地域を歴史的に「リトアニア」と呼ぶことがあります。その一例が,現在はベラルーシに属する都市「ブレスト」の旧名,「ブレスト・リトフスク」。「リトアニアのブレスト」という意味です。

「マケドニア」という地名も多分に問題を含んでいます。
歴史上重要なのは,古代ギリシア時代,紀元前4世紀のアレクサンドロスの「マケドニア」ですね。
当時のマケドニアは「辺境」ではあっても,ギリシア文化圏の一部でした。アレクサンドロス自身も,(ある種の方言だったかもしれないけれど)ギリシア語を話していたのでしょう。
遠征で巨大化した王国は彼の死後に分裂し,彼の部下の1人であるアンティゴノスが継承した領域が「マケドニア」と呼ばれることになります(セレウコスが継承したのが「シリア」,プトレマイオスが継承したのが「エジプト」。クレオパトラはプトレマイオスの子孫だから,当時のエジプトはギリシア人が支配していたのです)。
この「マケドニア」は紀元前2世紀までにローマの支配下に入りました。
そして紀元後の「ローマ帝国」の時代になると,「マケドニア」という地域呼称は次第に用いられなくなります。
東ローマ(ビザンツ)帝国,オスマン帝国(トルコ)と続く支配にも「マケドニア」という呼称が使われることなく推移し,その間にバルカン半島南部の住民ではスラブ人が優勢となりました。
オスマン帝国の支配に入る前には“スラブ化”した「ブルガリア」(元々はボルガ川流域の遊牧系民族)や,「セルビア」の支配に入ったりもしました。
「マケドニア」という地域呼称が突然復活するのは,19世紀に入ってギリシアの独立運動が活発になってからのことです。
1820年代にギリシアの独立が確定したとき,その領土はペロポネソス半島とアテネを含むその付け根の部分だけで,現在のギリシア本土の南半分に過ぎないものでした。これから領土を北(バルカン方面)や東(エーゲ海)に広げていくことが近代ギリシア国家の最大の課題でした。
このときにバルカン半島南部の呼称として古代の「マケドニア」が復活したのです。
ところが,ここは既にスラブ化し,ブルガリアもセルビアもかつて支配したことある地域でした。
そのために,この地域をオスマン帝国(トルコ=イスラム教徒)の支配から「解放」するのはよいとして,今度はブルガリアとセルビアとギリシアのそれぞれが領有を主張しました。「欧州の火薬庫」バルカン問題の焦点の1つです。
結果的には,第1次大戦後,「マケドニア」はこの3つの国で分割されました。
現在の「マケドニア」は,そのうち当時のセルビアが領土とした区域です。
第2次大戦後,ティトーの指導した社会主義政権のユーゴスラビアは,「マケドニア人」という民族概念を作って,セルビア語のアルファベットを改良してこれで表記する「マケドニア語」を確立させました。けれども,この言語は基本的にブルガリア語(の方言)と同じであり,ブルガリアではそのように理解しているようです。
また,ギリシアは「マケドニア」を当然ギリシアの地名と考えています。そのために,マケドニアが独立したとき,その国名と国旗に強く抗議をして,国連では国名に「旧ユーゴスラビア」をつけること,国旗はデザインを若干変更すること(その結果,日本の“軍艦旗”を赤と黄色で派手にしたようなものになりました)を余儀なくされました。それでも,ギリシアは不満なようですが。

「スーダン」。
現在,エジプトの南隣でナイル川中流に位置する国が「スーダン」を名乗っています。
けれども本来,「スーダン」というのはマリやブルキナファソ(オートボルタ)なども含めたサハラ砂漠の南側一帯の非常に広い地域を指す地域呼称です。
アフリカの“肌の黒い”住民を大きく「スーダン・ニグロ」と「バントゥー・ニグロ」に分けることがあるのですが,大陸南部の「バントゥー」に対して,この場合の「スーダン」はこの広い意味で使用されます。
まるで,広大な「陸奥」の一角に「むつ市」があるようでしょ。

なぜこういうことを長々と書いたかというと,
ここしばらく続いている「広域地名を市町村名とするのは適当でない」という議論に違和感を感じるからです。
「むつ市」が話題にあがっているけれど,「大湊田名部市」が「むつ市」になったのには,それ相応の理由があったからでしょう。他の場合にも,それぞれの事情があるはずです。
評判の悪い「西東京市」や「東大阪市」。
「ユーゴスラビア」が「南スラブ人の国」という意味であることを考えれば,名づけの発想は全く同じです。「セルビア人とクロアチア人とスロベニア人の王国」という合体直後の長い国名,しかもそれぞれに違う歴史背景をもった地域が合体した…。この辺,「大湊田名部市」や,「田無・保谷」「布施・河内・枚岡」という組み合わせで合体した2つの市と事情が似ていませんか。

広域地名が適当でないならば,コアになっている地区の名前で代表させればいいか,というと,そう簡単な話ではないですよね。「ユーゴスラビア」が「セルビア」を名乗ったら,即,国家は解体してしまったでしょう(実際に解体して,間もなく「ユーゴスラビア」は地図から消えるわけです)。
同じことが,日本国内の自治体でも大量に発生することでしょう。浦和と大宮が最後まで争いあった「さいたま市」など真っ先に。

どの自治体も,その名前になるまでには相応の議論があったはずです。
正直に言って「これはちょっと…」と言いたくなる名前がないわけではありません。
けれども,(たとえ最初が誰かの“思いつき”であったとしても)そこにはそれなりの理由と事情があるはずです。
それを考慮せずに端(はた)から当否を議論してもしようがないのでは…,なんて考えてしまいます。
[8970] 2003年 2月 9日(日)12:17:10Issie さん
墨国
[8958]夜鳴き寿司屋 さん
北米大陸にあるメキシコの事を「墨国」ともあらわしますが

幕末から明治の初めにかけてはアメリカ合衆国を「亜墨利加」と表記することも一般的でした。それがやがて“何となく”「米」で表記するほうが一般的になり,合衆国から解放された「墨」はメキシコだけに対して使用されるようになり現在に至ります。
というわけで,もしかしたら「墨」はメキシコではなく合衆国を表す文字として,「日墨安保条約」などと使われる可能性もあったかもしれませんね。
あァ,「墨」より「美」より「米」の方が何となく書きやすいですね。

しかし「日墨」と書いて日本と何処の国かとのクイズ番組の問題になったほどで、「墨」の表記は一般的ではなかったと思います。

たまーに,移民関連の話題でブラジルとの間を「日伯」と表記しているのを目にすることがありますね。後は,名古屋の「日泰寺」。
[8993] 2003年 2月 9日(日)23:11:31Issie さん
ナイル川
[8931]般若堂そんぴん さん
現地ではどのように呼ばれているのでしょうね?

オンラインの英語-アラビア語辞書のサイトで検索して出てきたアラビア文字を「解読」してみると,"Al-Niyl" と出てきました。「アル・ニール」の“アル”は定冠詞ですから,やはり「ニール川」なんでしょうね。
歌劇「アイーダ」のイタリア語では Nilo (ニーロ)と呼ばれています。

本来は現地での呼称を尊重すべきだとは思うのですが,すでに広く定着してしまっている地名の場合,現実は簡単に行かないようですね。
ちなみにエジプトは「アル・ミスル」,カイロは「アル・カーヒラ」というのがアラビア語(正則=標準)での呼称です。
アルジェリアは「アッ・ジャザーイル」というアラビア語の呼称がフランス語風に訛ったもの。

インドでは永年通用してきた Bombay (ボンベイ)が Mumbai (ムンバイ),Madras (マドラス)が Chennai (チェンナイ),Calcutta (カルカッタ)が Kolkata (コルカタ)というように,“英語表記”が改められ,それにともなって日本語で通用する呼称も改められていますね。
エジプトには,そのような動きがあるのかどうか。

[8934] start さん
「サハラ砂漠」は「チゲ鍋」と同等の言葉だということを
最近テレビで知りました。

そう。「サハラ」は“砂漠”を意味するアラビア語に由来する呼称です。砂漠南側に隣接して乾燥化による深刻な干ばつが問題になっている「サヘル地方」というのも同じ語根からの派生形です。
「ゴビ」もモンゴル語で“ある種の砂漠”を意味する単語ですから,「ゴビ砂漠」というのも畳語表現ということになります。

同じことが話題になって改められたものにタイのチャオプラヤ川がありますね。
以前は「メナム川」と呼ばれていましたが,実は「メナム」とはタイ語で「川」という意味だから,「メナム川」とは「川・川」ということになってしまう。現地では「メナム・チャオプラヤ」と呼ばれているのだから,日本語でもそれに倣うべきである,というあらすじでした。
もちろん,これは純粋に日本語内での問題です。

「リオ・グランデ川」という表現も,Rio がスペイン語で「川」を意味するわけだから「グランデ川」であるべきだ,という主張もあります。ま,この主張は間違いではないのですが…。

これは前にも言ったかもしれない…
これと裏返しの関係にあるのが,たとえば「荒川」を英語でどのように表記するか,という問題です。
Ara River? それとも Arakawa River?
私は Arakawa River を支持したい。
語源的には Ara-kawa と切り離せて,-kawa と River が重複するから,というのも一理あると思うのですが,では「荒川」の「荒」だけ取り出して“独立した地名”とすることができるか。
私は「荒」だけで単独の地名とするには不安定に過ぎると思います。「荒川」という形にしなければ言葉として不安定。
だから畳語表現にはなるけれども Arakawa River としたい,そう考えます。
同じように「大川」は O^kawa River(O の上には“サカムフレクス(山形):^),「赤川」は Akagawa River 。
けれども,「利根川」や「多摩川」は,「利根」「多摩」で独立した地名たり得るから Tone River,Tama River でいいかもしれない。

本当は「本村」「新町」なども同じだと思うのですが,旧村名を明治の大合併で“大字”にするとき“村”や“町”を引っぺがして「本」「新」なんて大字名にしてしまった町や村も少なくないのですよね。おかげで「加村」が「加(か)」なんていう珍妙な地名になったりした千葉県の流山なんて例ができてしまいました。
[9620] 2003年 2月 22日(土)08:44:50Issie さん
モンテネグロ
[9615] 般若堂そんぴん さん

ところで「モンテネグロ Monte Negro 」というのはイタリア語なんですよね。
ここの住民のほとんどが話し,公用語となっているセルビア語では「ツルナゴーラ Crna Gora 」。いずれにしろ「黒い山」という意味ですが(ロシア語に直訳すると チョールナヤ・ガラー Чёрная Гора ,スラブ語どうしの近さを感じますね),ここでイタリア語名が通用される,というのも「慣用的」な呼称なのでしょう。

「バ行」と「ヴァ行」の使い分けも不規則ですね.

私は,この2つは使い分けるべきではないと思っています。すべて「バ行」で統一すべき(ただし,「モスクワ」「ウラジオストク」のように「ワ行」で表記する習慣のものは除く)。
だって,私たちにはこの2つ,区別できないじゃないですか。たとえ「ヴァ」と書いてあったって,ほとんどの日本人は「唇をかんで発音する」なんてことはしないでしょう。日本語には普通,唇をかんで発音する f , v という子音がないからです。
(ただし,沖縄の宮古地方にはこの子音がありました。たぶんネイティブと思われる女性が唄う宮古民謡のCDに,はっきりと唇をかんでいることがわかる f , v 音が聞かれます。ただ,この発音が外来語にも及ぶかどうかは,わかりません。)

区別できないものを書き分ける,というのは「現代仮名遣い」の精神にもとります。いや,それより何より煩わしいではないですか。
個人が自分自身のアイデンティティとして「ヴァ行」表記を行う場合を除いて,公式な場での表記では「ヴァ行」は使用するべきではない,と考えています。
[11570] 2003年 3月 21日(金)09:28:14【2】Issie さん
聯合国
NHKがあれほど鳴り物入りで大騒ぎしていた「おしん」の再放送も吹っ飛んでしまいましたね。今日の再放送はあるんだか(私としては,ステレオタイプを積み重ねたような“少女編”よりも,エキセントリックな嫁いびりが話題になった“佐賀編”の方がずっと面白いと思うのですが)。

「国際連合」の英語名である The United Nations という呼称は,第2次世界大戦中は「枢軸国」 the Axis に対する「連合国」の呼称だったんですよね(ただし,定冠詞なしで複数扱い)。
もちろん,日本は「枢軸国」の主要メンバーで,最後まで「連合国」に抵抗した「敵国」。国際連合の構想が持ち上がるのは,まだ太平洋戦争が終わっていない段階のことですから,言ってみれば,日本が入れてもらえただけありがたい,ということかもしれません。
国際連合の常任理事国である 米・ソ・英・仏・中 というのは「連合国」の主要メンバーで,「戦後」の国際秩序再建方針が話し合われたカイロ会談やヤルタ会談,ポツダム会談などに参加した国々(全部に参加したとは限らない)なわけです(この場合の「中国」は国民党政権)。

というわけで,実は「国際連合」という日本語名称は,英語名を思いっきり意訳したものなわけ(何しろ「連合国」はかつての敵だし,1945年6月の「国際連合」創立直後の9月に,日本は「連合国」[the Allied Powers とも]の占領下に入るわけだし)で,中国語では「聯合国」,韓国語では通常「ユーエン(UN)」と呼ばれます。

「国際連盟(聯盟)」の英語名は The League of Nations で,こちらは順当に日本語に翻訳した呼称です。
本部は原加盟国ではあるけれども常任理事国ではないスイスのジュネーブに置かれました。
ILO(国際労働機関)は元々ベルサイユ条約に基づく国際連盟の機関として,やはりジュネーブに本部が置かれたのですが,国際連合に引き継がれた後,長らくスイスが国連に加盟していない間も本部はジュネーブのままでした。

それにしても,二重・三重の意味で,日本が安保理の非常任理事国でなくて,まして常任理事国などでなくて本当によかった,と思っています(結局,今回の問題について,安保理はうまく機能しなかったわけですが)。
[15893] 2003年 5月 25日(日)16:29:45スナフキん さん
外国の地名を考えると…
[15859]ニジェガロージェッツさん
初めてのレスになるかもしれません、よろしくお願いいたします。
外国の地名を扱う場合、その日本語表記方法については正直なところ神経を使います。
わかり切っていることですが、正確にそれをカタカナで表記することは不可能です。ですから、現在日本語で書かれている地図帳などの表記そのままで書くのも一つの方法でしょう。
他の方からも同意があるように、まさにその通りですね。そもそも、外国語が日本語の発音・表記と一対一になるとは限らないですし、非常に難しいです。これは、当該地域の言語を専門に習得されている方に見ていただいたとしても、いささかも変わりありません。「外国語」の習得という概念がまず「伝聞」にあたるわけで、この「伝聞」をした人の捉え方次第で、地名を読む際のフィルタはいかようにも変化します。ですから、以前私が挙げたように「カーブル」と「カブール」、「バグダード」と「バグダッド」(いずれも、我が勤務先では前者の読みを採用しています)など、「日本語で書かれている地図帳などの表記」も各社に違いが出てくるのはある程度仕方がないのです。さすがに今回の改訂作業で、もはや世間一般では「カーブル」では通らないという判断が下されて(メディアの力って、ホントすごいなと思いました)、我が地図帳でも長年頑なに守り続けてきた(大げさ)「カーブル」の名称を返上することとなりましたが、こういった世の流れに順応させるという作業も付加すると、ますます外国の地名の読みは混沌としてきてしまいます。正直、思い詰めて考えると寝られなくなりますよ(大汗)。

小生の手許にある帝国書院版、昭文社版の地図帳ともに「メーン州」と表記されており、何ら問題がないと思います。
このケースでは一致を見たようですが、実際A社とB社の世界地図帳の表記が異なっているということはかなりの確率であると見ていいです。上で挙げたケースはその顕著な例ですね。でも、どちらも「誤り」とは言い切れないのです。ロシア語関係でも、特に語尾変化の点で差異が生まれているケースが散見されます。その気になって見てみれば、「~スキー」と「~スカヤ」の取り違いはかなりあるみたいです。そこへ輪をかけて、最近は各地で地名を改称する動きが後を絶たず、外国の英語版世界地図と照らし合わせるとどう読んでも名称が一致せず困り果てることもあります。

ちょっと面白いケースをひとつ。アフリカ中部に「ンゴロンゴロ国立公園」というエリアがあります。確か世界自然遺産にも登録されている野生動物の宝庫なのですが、我が社では「ヌゴロンゴロ」と表記しています。その理由は単純明快で、日本語として「ン」の字で始まる言葉はおかしいという考え方によるものです。ですから、索引にも「ン」の項目を作るわけにもいかず、このような苦しい措置をとらざるを得ませんでした。同様のことが「ヌジャメナ」にも言えます。で、昨年パシフィコ横浜で行われた世界旅行博で、実際現地の方が居合わせたので参考までに尋ねてみました。私スナフキんの耳にはその発音は、明らかに「ンゴロンゴロ」でした。そうです、それは重々分かっているのです。が、そう表記することはできないのです…。世界の地名を操る際にのみ生まれる、特有の矛盾ですね。日本地図だけを作っていると、こんな悩みを持たずに済むのですがねぇ、辛いところです。

と、思いきや、日本国内でもこれに似た悩ましいケースに、先週遭遇しました。キリスト教を日本に広めるために渡来した、宣教師のことです。皆さん、あのお方を何と呼んでいらっしゃいます? 私は、小・中・高と習った歴史教科書の表記から、「フランシスコ・ザビエル(Frasisco de Xabier)」だと信じ切っていました。ところが、とある地図を共同で作った別のプロダクションが現地へ校正依頼を出したところ、何と山口県山口市にある記念聖堂は「サビエル記念聖堂」だ、濁らないと言うのです。そんなばかな、濁点を書き忘れたのだろうとたかをくくって、ネット検索を試みたところ…うわぁ、出てくる出てくる(苦笑)。どうも山口では本当に「サビエル」なんだそうです。では学校でどうやって教えているのだろうと疑問に思いますがそれはさておき、確かに「ザビエル」の名称は鹿児島などでは一般化しており、私もこの目で「ザビエル公園」を見てきているので間違いないです。同じ冊子中に山口も鹿児島も出てくるので、現地の読みを重視すると濁るのと濁らないのと、2人の宣教師が出現してしまいますが、もうどうしようもありません…。グローバルな世の中、世界各地から日本にやってくる人もたくさんいます。そうすると、本来は世界でだけ悩んでおればよかった上記諸問題が、日本国内でも噴出してくることになります。う~ん、新たなる時代の到来ですねぇ(何をのんきなことを)。

山口には他にも、高級魚「フグ」のことを「フク」という習慣があるみたいですが、それと何か因果関係はあるのでしょうかね? あれはただ「福」に引っかけてそう呼んでいるだけなのか、それとも言語的にそう読む素性があるのか…。謎です、謎すぎます。

少し視点がずれますが、世界から見た日本という観点も、なかなか面白いです。興味本位で、英語で書かれている日本のガイドブック「Japan」を買って見ましたが、これがバカウケ。特に日本の今ある社会情勢のコーナーは、思わず吹き出してしまいます。ご要望があれば別稿で紹介しようかと思います。
[27441] 2004年 4月 17日(土)19:16:44【1】Issie さん
エリニキ・ジモクラティア
[27437] mikiさん
地図帳などでは「ギリシア」の表記が普通と思われますが...。

「ギリシア/ギリシャ」は表記にゆれのある例の1つです。
私が「ギリシア」の表記を使用するのは,単にこちらが好きだから。でも表記にかかわらず,読むときは「ギリシャ」。「ペルシア/ペルシャ」についても同様。

「ギリシア/ギリシャ」という呼称はラテン語に由来し,ヨーロッパの各言語を通じて日本語にも入ってきたもので,ギリシア人自身はそのようには呼ばないようです。
現代ギリシア語では Ελλαδα, Ellada (エラーザ)。「ギリシア人」は Ελληνασ, Ellenas(エリナス;本当は,語末の「シグマ」の小文字は形が違う),「エリニキ・ジモクラティア」 Ελληνικη Δημοκρατια, Ellenike Demokratia で「ギリシア共和国」。
アテネは Αθηνα, Athena (アシーナ)。

そもそもビザンツ時代からオスマン支配下のギリシア人(より正確には,「ギリシア語を話すキリスト教徒」)には「エリナス」(ギリシア人)としてよりも「ロメオス」 Ρωμαιοσ, Romaios,つまり「ローマ人」としての意識の方が強かったそうです。
敬虔なキリスト教徒から見れば,「エリナス」は“異教徒”なのですね。
彼らが「ロメオス」の意識を捨てて「エリナス」に目覚めるのは,19世紀に西ヨーロッパの影響を受けてからのこと。
でも,オスマン帝国から分離・独立する過程で「古代ギリシアの栄光」,そしてエリナスとしてのアイデンティティが強調されます。オスマン帝国が解体されてトルコ人の民族国家である「トルコ共和国」が生まれて(初代大統領としてこの国を指導したケマルに与えられた名前が「アタチュルク=トルコ人の父」というのが何より象徴的です),その傾向はさらに強まったようです。

もともと異教徒のお祭りである「オリンピック」の復活も,キリスト教(正教)への信仰の篤い一般のギリシア人自身からは出てこないのですね。
近代オリンピックはその始まりから多分に政治的です。

西アジア世界で「ルーム(ローマ)」という場合,それはイタリアではなくビザンツ帝国の故地であるイスタンブール(コンスタンチノープル)周辺の地域をまず指していました。
つまり,ギリシア人の世界が「ローマ」なのですね。
[40144] 2005年 4月 21日(木)13:11:12ひげねこ さん
国名略称
[40141] がんす横丁ままさん
漢字国名は、中国で使っていたものを、戦前日本が取り入れたものだそうです。

現代中国語では、アメリカ=美国、フランス=法国、ドイツ=徳国と、国名表記が日本と異なっております。ですので、別々に表記を作ったのではないか思うのですが。
それとも中国で同じ国に対していろんな書き方をしていて、中国で残ったものと日本が取り入れたものが異なり、日中それそれが別の表記を採用することになったのでしょうか。

余計な話ですが、昨夏に成都で地図を探そうと書店に入ったら、語学専門の書店でした。店のほとんどを英語の学習書が占めており、法語、徳語、日語がそれぞれ棚1つ、その他の言語で棚1つといった感じでした。
[40148] 2005年 4月 21日(木)17:32:05hmt さん
「中越」と言っても地震とは無関係
[40119]がんす横丁まま さん
「訪中」「訪米」「訪英」
「訪越」はベトナムを訪れたことですが、ベトナムは昔「越南」と呼ばれていたからです。

ベトナムは古くからの漢字文化圏なので、公式表記はともかくとして、越南、紅河、河内、胡志明市などの漢字表記は、現在でも理解されているのでしょうね。

1802年にベトナムを統一した阮朝(グエン朝)は、紀元前に前漢に対抗した南越国の栄光にあやかり国名を「南越」にしようとしたが、中国の清王朝の猛反対にあって、「越南」という国名になったとか。
発音は、北部では「ヴェトナム」だが、南部では「イェトナム」。こちらの方が「越南」という漢字の日本読みに近いですね。

日本との関係も古く、753年には遣唐使藤原清河や阿倍仲麻呂が帰国の途上漂流して、当時は唐の領土だった安南のヴィン付近に漂着しました。阿倍仲麻呂は、この後も、鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に赴任したりと、ベトナムと縁の深い人物です。

この「安南」(アンナム)という地名も、本来はベトナム全域を指す異称でしたが、1886年以降はフランスの軍事的圧力の下で、ベトナム中部の保護国(その首都がフエ[39732])に限定され、北部(トンキン)は実質的にフランス管理の保護領、南部(コーチシナ)はフランスの直轄植民地になっていました。
このベトナムと、保護国のカンボジア、ラオスを加えた「フランス領インドシナ」を「仏印」と略称しました。
ついでに:「蘭印」とは、オランダ領東インド、つまり現在のインドネシアのこと。

仏印に戻ると、1940年に日本軍が北部仏印に進駐。1941年には南部仏印にも進駐して第2次大戦を迎えます。
第2次大戦後もフランスからの独立戦争(1946-54)、アメリカとのベトナム戦争(1964-75)、中越戦争(1979)と続きましたが、ようやく平和回復。「中越」にしても「越中」にしても他の意味があり、ややこしい。

[40137]太白 さん
思いつくままに略称だけ。
初級編:米、英、仏、独、伊、韓、中、加、豪、印、香、蘭、西、露、台
中級編:墨、比、泰、越、伯、蒙、土、葡、希、墺、馬、
上級編:尼、澳、愛、瑞(2種類)、芬、波(2種類)、亜、諾、智、埃、氷、丁、洪、星、宇、白、勃

初級編・中級編の中で、「香」と「馬」は、あまり使われていないようですが…。
上級編:「瑞」は、瑞西(瑞士)と瑞典があるので、1文字で略称には使わないでしょう。「波」は現代ならば波蘭、古代ならば波斯ですね。波斯尼亜には使わないと思います。
愛蘭土(愛爾蘭)、芬蘭、諾威(手偏に那威)、智利、埃及、氷島(冰島)、丁抹(丹麥)、洪牙利(匈牙利)、白耳義(比利時)、勃牙利(布加利亞)は、それぞれ1文字の略称でも通じたでしょう。「白領コンゴ」等の使い方をしていました。
括弧内は、参考までに示した中国式(一例)です。
「星」は星港でしょうか? そして「澳」も墺太利(奥地利)と紛らわしい字でわからない。
あとは、尼加拉瓜、亜爾然丁(阿根延)、宇柳具(烏拉圭)かと思いますが、尼日利亞、尼日爾(中国式ではジェ=日)、亜爾美尼亜(亞美尼亞)、烏克蘭、烏茲別克斯坦、烏干達(中国式ではウ=烏が定番)等の候補もあるので、いささか特定困難です。

中国式は、漢字で外国地名を参照しましたが、美利堅、法蘭西、徳意志、義大利、俄羅斯など、主要国の漢字表記法が日本式とずいぶん違います。[40144]
一口に日本式と言っても、Angliaに「諳厄利亜」という文字を当てた時代もありました。対英感情の悪かった時代の産物なのでしょう。

[40138]JOUTOU さん
是,単,新,捷,委,秘,玖,巴,礼,典,汰

捷克、祕魯又は秘露、玖馬(古巴)は使われました。「新」は新嘉波よりも新西蘭でしょう。
委内瑞拉(南米の国)となると、見たことがない。その他の略称を含めて、一体どんな場合に使われたのでしょうか?瑞西と区別するために瑞典を「典」にしたのならば、これはわかります。
[40150] 2005年 4月 21日(木)20:05:32烏川碧碧 さん
中国式も好字ばかりではないのか
[40144] ひげねこ さん ほか
現代中国語では、アメリカ=美国、フランス=法国、ドイツ=徳国と、国名表記が日本と異なっております。ですので、別々に表記を作ったのではないか思うのですが。
それとも中国で同じ国に対していろんな書き方をしていて、中国で残ったものと日本が取り入れたものが異なり、日中それそれが別の表記を採用することになったのでしょうか。

前に気になって少し調べたことがあります。

よく知られた米国・美国について言えば、もともと日本でも中国でも、「亜米利加」「亜美利加」「亜墨利加」「米利堅」……etc. といった幾種類かの表記が存在していたところ、たぶん発音の都合上からでしょうが、日本では「亜米利加」・「米国」が優勢になり、今日に至る――ということのようです。

#「墨」は「墨西哥」に使われていますね。

他の国についても、「日中で別々に表記を作った」「両国とも同じ国に対していろんな書き方をしていて、残ったものが異なる」の両方が言えるように思います。影響を与え合ったということもあるでしょうし。

何年か前に中国で買った世界地図帳を引っ張り出してきたところ、

多米尼加(ドミニカ共和国)
多米尼克(ドミニカ国)
納米非亜(ナミビア)

――と「mi」音に「米」を当てている例がありました。

#ドミニカの区別も面白いですね。


ついでに、話の種になりそうなところとして、

危地馬拉(グァテマラ)
#ちょっと怖そう……。

薩摩亜(サモア)
#一瞬、日本かと思いました。



あと、ロシアを「俄羅斯」とするのは、むかし日本で「おろしや」と呼んでいたことにも通ずるのでしょうか?
[40163] 2005年 4月 21日(木)23:39:40みやこ♂ さん
あの国も,その国も,おや,あんな国まで
わたくし自身,国別のドメインには今まで全く興味がなかったのですが,専門用語を検索しておりましたらこんなページに行き当たりました。こうしてみると,結構面白いですね。もしかしたら,既にどなたかがご紹介済みかもしれませんが,「漢字一文字での国名略称」で盛り上がっている今日この頃,書き込んでみました。どうかお許しください。
[40167] 2005年 4月 22日(金)01:18:55【1】EMM さん
国名・アルファベットでの特殊な省略例
[40163] みやこ♂さん

ネット上では日本のことをjpと書いてあるのもたまに見ますが、それ以外の国でドメインを書くことによって国名を省略した文章ってのは見かけた記憶がないような、やっぱり無いような。

ドメインと似て非なるものに、拙稿[29093]で紹介した無線のコールサインの前半部分(プリフィックス)があります。
どの国にどういう文字が割り当てられているかは、以前リンクした一覧の出ているサイトはなくなっているみたいなので、かわりにこちらをご参照下さい。

で、[29093]でちかっと触れていますが、アマチュア無線家の間では文中や会話中で国名のかわりにこのプリフィックスを使うことが一般的に行われています。
ただし、一つの国にいくつものプリフィックスが割り当てられている方が多いため、その中の一番主要なもの(基本的に、その国でアマチュア無線が始められたときに最初に使用されたもの)が用いられています。
これが、アマチュア無線家ならば全世界で通用するので、結構便利だったりします。
例えば、日本は「JA」です。
(インターネットドメインと同じ「JP」も日本に割り当てられていますけどね)
私の回りでよく使われていたのはアメリカ「W」、韓国「HL」、中国「BY」、台湾「BV」、モンゴル「JT」、ヨルダン「JY」などでした。
(モンゴル、ヨルダンが何で?と感じられるかもしれませんが、日本と紛らわしいからと言うことでむしろ良く使われていたです。でもノルウェー「JW」とかインドネシア「JZ」は使われる頻度が低かったような)
あとソビエト「UA」もよく使われていましたが、ソビエト解体後はどういう傾向になっているかよく分かりません。

まぁ無線のコールサインの場合は基本的に設置場所固定・使用者(または使用団体)固定なので、コールサインのプリフィックスを国名代わりに使うことができたのでしょう。
インターネットの場合はレンタルサーバがあったりプロキシが使えたりすることから、そのドメインを使っている人がそのエリア内にいるとは限らない訳で、それから考えるとドメインを国名代わりに使う、と言うことにはならないのでしょうね。



#みやこ♂さんご紹介のページを見て改めて思ったのですが、どーしても解せないのが絶海の孤島・ブーベ島に本国ノルウェーとは全然関係ないインターネットドメインが割り当てられていること。
ざっと見た中では、無人島で独自ドメインが割り当てられているのはブーベ島だけのようですが、なんで?
冗談で割り当てたとしか思えないのですが、真相はいかに??


##無線のコールサインで日本に割り当てられているのはJA~JS、7J~7N、8J~8Nなのですが、この中で「JB」[JC」はなぜか使われていないのです。
関東、近畿など地域によっては現在の割り当て分ではコールサインが足らなくなったところもあるのに、なぜ未だに使われないものがあるのだろう、と長年思っていたのですが…今日この書き込みをするために色々調べていて初めて知りました。
何と、将来「火星」!にアマチュア無線局ができた時に使用するために欠番になっているんだとか。
参考サイト
おーい、そんなもんできるのいつの話だい?
いやいや、コールサインは別にアマチュア無線局に限らず無線局なら使われるから、案外と火星探査船に使われているかも…と思ったけどあれはアメリカが飛ばしてるから使っているとしてもアメリカのコールサインだろうなぁ。
しかしこの分だと「月」用とか「金星」用とかのコールサインも密かに予約されていたりして……
(まさか話が地球の外にまで飛んでいくとは思っていなかった…)

この特集記事はあなたのお気に召しましたか。よろしければ推奨してください。→ ★推奨します★(元祖いいね)
推奨するためには、メンバー登録が必要です。→ メンバー登録のご案内

… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

パソコン表示スマホ表示