[71220] 千本桜さん
ずいぶん失礼な書き方をしますね。よく考えてから物を書きましょう。
はい。大変失礼なことを書いていると思います。無礼な書き方である、と言う点はお詫びします。
しかし、あの無礼な書き込みや
[70940]の内容は、この話のかなり初期、
[70774]の辺りからすでに頭の中にわき上がっていました。
が、さすがにこれをストレートに言うのはいくら何でも失礼に当たるだろう、と思い、長らく胸の奥底に押さえ込んであったのですが…最悪の形で吹き出させてしまいました。
一度口から出た言葉は二度と飲み込めない…いえ、文字の上でですからこうなりますね、一度書いたという事実は二度と消すことができません。
ここまでの話の流れをぶっ壊すにせよ、続けるにせよ、こうなったら思いのたけをあらわにしてしまおうと思います。
もしかするともっと無礼なことを含んでいるかもしれません。反論もある事でしょう。開き直りと捉えられてもかまいません。
でも、千本桜さんは私がそう思ってしまう様な書き込みをされている、と言うことです。
それは2つの点から来ています。
1つめは、「仮説の段階、あるいは仮定の話で先走り過ぎていないか」と言うこと。
無論、仮定を立てないとどう検証すべきかが決められませんから、当然仮説は必要です。
ある程度確定したモデルがあって、それを他の事例に当てはめられないか、と言うのだって当然有りです。
ですが…
私は自然科学系、それも理論系ではなく実験系の人間です。
仕事の方でも研究開発的なこともしていたこともあります。
そこに於いては、「仮説は適切か」「仮説のもとにしている参考事例は適切か」「仮説の実証方法は適切に設計されているか」「実証のために集めたデータが適切に出されているか」「データをもとに行った考察は適切か、データから言える範囲を越えて無理な考察はしていないか」と言うことを厳しくチェックされます。
特に考察で「データからは言えない範囲まで言及している」場合にはかなり怒られました。
で、その場合は「単純に考えすぎ」なのか「実証のための方法が、計画までは良かったが実施に際して何らかの失敗があった」のか「実証のためにまだ何か検討しなければ行けないことを見落としていた」のか、あるいは「そもそも仮説に無理があった」のかによってあとの対応が変わってきます。
ここでの2度手間をなるべく減らすためには、最低限「仮説を無理なく立てる」「適切な実証方法を計画する」事は必須となります。
だからこそ仮説の段階からいろいろとチェックされる訳です。
そう言う様な事を長らく、強く指導されてきた結果、仕事を離れても「そんなような考え方」をするようになっています。
無論、一事が万事そう言う考え方が当てはめられる訳でもないですし、実際無茶な思考もしますが、それでもなるべくそのように心がけたい。
そうすると、自分の思考内容もさりながら、他の方の思考方法や内容もすごく気になる。
今回の件で行けば、特に
[70836]での地形図の考察のうち
地形図の図名は、その図に出てくる代表的な集落・居住地名を採用するのですから
の部分については富来のすぐ近くに「穴水」という妙に気になる図版がありますし、
なぜか地頭町がありません。
の部分については、領家町と地頭町のことを調べる中で見つけた
こちらのサイト(上手い具合に富来の地図も出てますが)で引用されている中の岡山県鴨方町(現・浅口市)の図版中の町役場の周りの地名の書かれ方が
現在と異なっているのを見ると「役場周辺の地名を端折るようなフォーマットがあった可能性は?」と疑いたくなりますし、そこら辺ほかの地区の地形図との比較はいるのでは内のでしょうか。
それでなくても(富来町内の記載内容がどの程度かと言うのは抜きにして)役場の担当者の考え方次第で内容が左右される可能性のある地名調書をもとにして地名が書かれている地形図を、ここでの考察用資料として使うのがどこまで妥当なのかは慎重に検討する必要があると思います。
いや、それよりも、
[70836]は「仮説の立案」なのか「資料の考察」なのか。
「考察したいこと」とありましたから「仮説」ですよね?それともこの段階ですでに「考察」に入っているのでしょうか?
「仮説」であるならば反証的な資料が多数出てきた時に身動きが取れなくなるのではないか?と思うぐらい肉付けをしすぎているような気がしましたし、「考察」であるならば資料の集め方が十分では無いのでは?と思われました。
いずれにしても先走りすぎではないか?と思われたのです。
そうすると、私の性分としては「資料収集の範囲」を広げたくなりますし、考察も一層慎重にしようとする。
そんなことせずに、手元にある情報を片っ端から提示していけば良かったのかもしれません。
ただ、「仮説の段階、あるいは仮定の話で先走り過ぎていないか」と言うのは今回初めて思った訳ではありません。
正直な所を言ってしまえば、千本桜さんが落書き帳に投稿をされ初めてから割と早いうちからそんなようなことを思ってます。
だから、これだけであれば「千本桜さんはこういう思考方法をされる方だ」と割り切れたでしょう。
ですが、ここにもう1点あることが加わって「無礼と言えばあまりに無礼なとらえ方」をするようになってます。
その「あること」とは何か。
千本桜さんは
[70753]で
「美川」の地域範囲を忘れないでいて良かった、と書いたのは何故か。美川町は「美川」の領域を知っているから、湊町や長屋町を指して「そこは美川だ」と言わなかった。周辺の大字(町)を侵蝕しなかった。傷つけなかった。相手の存在を無視しなかったからです。もし、「美川」の領域を知らない人が大字をいじると、湊町も長屋町も美川と市街地続きだから、そこも美川だということにしていたかも知れません。「大字大河原」の領域を忘れた大河原町は、周辺の大字大谷、大字金ヶ瀬の区域を指して「そこも大河原だ」と言うのです。合併して自治権を失った大谷、金ヶ瀬は言葉を発することができません。悲鳴を上げるだけです。
とお書きになっています。
この部分より前の部分では意見が異なる部分もあった訳ですが、この部分については「なるほど、それは確かにそうだな」と思っていました。
で、ここでの考え方を踏襲するならば、「富来」の領域をある程度押さえた上で「もし富来を名乗るならどういう形が適当か」という風に考えていかなければいけないのではないでしょうか。
でもそうではなく、かなり早いうちから「富来=地頭町村」と言う仮説を立ててますよね。
それ、地元民(私は同じ県の住民だが富来町民ではなく、昔富来が仕事の担当区域だったことがあるという程度の縁者的地元民ですが)の立場で見ると「富来の領域を知らない人が大字をいじろうとしている」かのように見えるのです。
更に言うとですね、千本桜さんは以前
[61551]で
反感を喰らうことを覚悟で書けば、転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか、そういう類の町民を含んでの住民意識調査結果を楯に、住民から多数要望があったとして地名変更を画策した某町のやりかたに、疑問を超えて憤怒を覚えるのです。
と言うことをおっしゃっていらっしゃいます。
大河原町内の地名に対してそこまででお考えをお持ちなのでしたら、他の地域の地名に関しても負けないぐらい「地区の生い立ち」や「地域全体における地区のアイデンティティー」を十二分に把握した上で接しなければならないと思うのですが、今回の富来の話においてはどこまで実践できたと思われますか?
たとえば、生神や牛下は今回の合併で突然「富来地区」に復活した訳ではありませんよ?
合併前から富来公民館の管轄ですし、(旧)富来小学校校下ですし。
(ただし、(旧)富来小学校は過去に稗造第一小学校と合併しているため、校下は旧稗造村にはみ出していたようですが)
また、地頭町という地名の歴史も十分勘案した上で富来との対比をしなければならないのでは?
それなのに、
[70774]では
遠く離れた地域ですので、こまやかな住民感情までは理解できませんが、
と言う前振りで話を初めておられる。
いや、その後慎重に情報収集を行う形であれば何も思わなかったでしょう。
ところが、かなり早いうちから仮説を立てており、仮説だけがどんどん先に先に進んでいく。
富来と言うところの「地区の生い立ち」や「地域全体における地区のアイデンティティー」はどの程度反映されていたのでしょう?
もし反映されていたとしても、それが千本桜さんの想像・推定の部分が多ければ、結局大河原における「転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか」いった方達と大差ないのではないか、と地元民としては感じてしまったのです。
確かに、
[71199]は千本桜さんに対してかなり無礼な書き方をしました。
しかし、千本桜さんも「大河原の地名について論じている時」と比べると、今回の富来の考察に於いては地域内の大字に対して無礼とは行かないまでもおもんぱかり方が全然足りていないと思います。
………と色々述べてみましたが、結局の所「なんだかんだ言ってモタモタしてしまい、自分の矜持にそぐわない、データを明示しない上に肝心なところを振れ忘れている断片的な情報提示にとどまり」「適切な形で情報提供をして頂いたokiさんに訳の分からないかみつき方をし、あまつさえ千本桜さんに対して無礼な書き方をした」「そもそも、一番最初に富来の話を振った」私が一番悪いのです。
この点は、弁解の余地はありません。
それであればなおさら、とことんまで富来について調べ、投稿します。