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伊豆之国さんの記事が10件見つかりました

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[96332] 2018年 7月 24日(火)20:47:04伊豆之国 さん
静岡県の学校の冷房率が低い理由
関東地方ではどうやら猛暑の峠は越えるようですが、東海以西はまだまだ厳しい暑さが続きそうで…

[96309] オーナー グリグリさん
小中学校の冷房設備設置率
【冷房設置率が低い県で】注目されるのは、10%以下に、愛媛県(5.9%)、奈良県(7.5%)、静岡県(7.9%)、長崎県(8.6%)が来ていることです。気象データランキングも参照しながら見ていただきたいのですが、年平均気温の高い、長崎県、静岡県(以下略)
その中で、静岡県の小中学校の冷房設置率が、近県の神奈川(79%)・山梨(65.6%)や、比較的低い愛知(35.7%)と比べても著しく低いということについて、冷房設置が進まない「ある(特殊?)事情」がある、と言うことが、こちらの記事に出ていました(朝日新聞より、要約引用)。

静岡市で11日連続30度超えなど県内で猛暑が続いているが、小中学校の冷房設置率は全国最低レベルだ。東海地震に備え、学校の施設改善費のほとんどを校舎の耐震化にあててきたため、とみられる。子どもや保護者からは「早くなんとかして」との声が相次いでいる
文部科学省の調査によると、静岡県は小中学校の冷房の設置率が全国最低レベルの12・5%(2017年4月1日現在)。静岡よりも低いのは北海道、青森、岩手、秋田、宮城、長野の「寒冷地」のみ。学校行事や部活動で使う体育館にいたっては0・1%だ
県教育委員会は18、19年度に、まず特別支援学校の冷房設置率を49%から100%に引き上げる計画だ。障害児は体温調節が難しい。その後、県立高校に着手する計画。すでにPTAが費用を出して教室に設置した例もあり、高校の設置率は46・9%だが、それでも全国平均の49・6%より低い。「施設修繕費で対応するが、老朽化やブロック塀の撤去など喫緊の課題もある」と財務課。
小中学校は市町で対応が分かれる。吉田町は昨年、町内の3小学校1中学校の全普通教室に冷房を設置した。夏休み期間の短縮に伴う措置。予算は約2億3千万円だった
一方、政令指定都市では難航中。浜松市は96小学校、48中学校のうち、冷房があるのは浜松基地の防音対策校にあたる9小学校、5中学校のみ。昨年、鈴木康友市長が、20年8月をめどに全校の普通教室に設置を目指す考えを表明したが、設置費用は概算で50億円。市教委教育施設課は「できれば、短期間に一斉に設置したい。民間資金の利用も考えている」
静岡市は87小学校、39中学校のうち、エアコン設置は9小学校3中学校のみ。それも普通教室ではなく、特別支援学級や多目的室など、限られた部屋だけだ。市教委教育施設課は「耐震化で、まず子どもの命を守ろうとした。空調などの環境整備はこれからだ」


…ということで、どうやら「東海地震対策」で学校の耐震化を優先した結果、冷房設備の設置にはなかなかお金を回せず後回しになった、と言うことらしいですが…。静岡県の学校に通われている、さざ波さん、特急とりあたまさんのところは、いかがな状況でしょうか?
[96331] 2018年 7月 23日(月)22:16:44伊豆之国 さん
「暑いぞ」やめたら最高記録更新(奪還)
「最高気温」の話題で「場外乱闘」、「レッドカード」も出たようですが…。まだ誰も書き込んでいないようなので。
連日の「暑熱地獄」、私ども関東の人々もうんざり、もはや我慢の限界ですが…。

高気圧に覆われた日本列島は23日、埼玉県熊谷市など4地点で40度以上の最高気温を記録するなど関東を中心に猛烈な暑さに見舞われた。熊谷市では、国内の観測史上最高を更新する41・1度、東京都青梅市では都内初の40度超えとなる40・8度を記録。都心でも39・0度まで気温が上昇し、24日で開幕まで2年となる東京五輪・パラリンピックでも、暑さ対策が重要な課題となっている。
気象庁は、少なくとも8月上旬までは高温が続くとしており、23日夕に臨時の記者会見を開いた同庁の竹川元章予報官は「命に危険が生じる暑さが続き、『災害』という認識だ。水分と塩分を補給し、健康管理に十分注意してほしい」と訴えた
(読売新聞より)
5年前まで「日本一暑い町」だった熊谷市では、「暑い」と言うことが強調されすぎてマイナスイメージになっている([92854])として、名物だった「暑いぞ!熊谷」の立て看板をやめ、「猛暑はお得」と、暑さを「逆手」に取った新たな作戦を始めたばかりでしたが([96071])、皮肉にも「暑いぞ」をやめた途端に最高気温記録を更新、「日本一暑い町」に返り咲くとは…。

…2年後に迫った東京五輪、「こんなに暑い中でやると言うのでは、選手も観客もとても耐え切れないのでは」と海外からも「猛暑五輪」への危惧が高まってきています。今からでも遅くないから、開催時期をずらして、前回(1964年=昭和39年)のように、秋の爽やかな気候の中でできないものか、と思ってしまいます。4年後にカタールで行われる蹴球W杯は、猛暑のこの時期を避けて冬季の12月開催に変更されることになったようです。W杯でそれができるのであれば、決して実現不可能ではないと思いますが、やっぱり無理なのでしょうか?。
[96317] 2018年 7月 21日(土)20:15:29伊豆之国 さん
南埼玉は北埼玉、西千葉は東千葉
連日の記録的猛暑にも、中国・四国地方を初めとする西日本一帯を襲った未曾有の大災害にも負けず…。そんな厳しい自然環境の中、高校球児たちは「聖地」を目指して各地で熱戦。先の蹴球W杯と同様、強豪が相次ぎ早々と敗退するという「下剋上」も目立った各地の地方大会ですが、本日、北北海道では決勝戦が行われ、旭川大高校がクラーク記念国際高校を破り、9年ぶり8度目の出場を決め、今大会の甲子園一番乗りを果たしました(記事)。

ところで、今回の大会、第100回記念大会ということで、東京・北海道以外でも人口・学校数が多い府県で分割が行われており、これまでの記念大会でも分割されてきた埼玉・千葉・神奈川・愛知・大阪・兵庫の各府県のほか、今回初めて福岡県も南北に分割されることになったのですが、新聞記事の予選の結果を見て、どうにも腑に落ちなかったのが埼玉県の分割状況。南北に分割されており、記事に出ていた予選の試合結果から見て、さいたま市全域と川口・所沢などが「南」、熊谷・上尾・春日部などが「北」と言うことらしいのですが、「北」地区の結果を見ると、東京都と接する草加・八潮・三郷の各市が入っていたのを見て一瞬仰天…。学校数・人口を均等にするようにした結果からでしょうが、今回の記念大会では、横浜や大阪も南北に分割されているので、埼玉の場合も、さいたま市のうちの旧大宮市の4区を「北」にして、東京都と接する草加など3市を「南」にしたほうが合理的だったと思うのですが…。余談ですが、旧「南埼玉郡」に属していた地域は、さいたま市と合併した旧岩槻市以外は全て「北埼玉」に入っているようです。ちなみに、「北埼玉」のベスト8は、全てさいたま市より北にある高校ばかりでした。また、千葉市は全域が「東千葉」になっているようなので、「西千葉駅は東千葉」と言うことに…。

♯今日の「ブラタモリ」は、かぱぷうさんの故郷、北九州市門司。私は20数年前、門司港駅とその周りを少しぶらぶらしただけでしたが、その門司港駅にあった「連絡船との接続設備の痕跡」や、関門トンネルの工事と構造、「関門海峡」と呼ばれるようになった経緯など、いろいろと知ることができて勉強になりました…。
[96292] 2018年 7月 12日(木)22:58:01伊豆之国 さん
Re:~寺町
[96284] 白桃さん

[96287]で、「(旧)修善寺町」の由来となったお寺は「修禅寺」だと言うことと、「(旧)浄法寺町」には「浄法寺」と言うお寺がない、ということを書き込んだのですが、せっかくだからそれ以外で、その表に出ていた由来のお寺の(名前と)宗派が「?」となっている「旧・○○寺町」について、いろいろ調べてみました。
由来となった同名のお寺が現存し、宗派もわかったのが次の2町でした。

紫雲寺 ? 1955年 2005年 8,916 (1955年) 新発田市
「にっぽん地名紀行」([96287])を見ると、その紫雲寺町の由来が出ており
浄土真宗大谷派の紫雲寺(町内米子在)の本堂が建立されたのは、干拓事業が完成した元文5年(1740)ごろと言われるが、草創年代は定かではない
とありましたが、その紫雲寺はというと、新発田市HPからしばた・ひと往来 ~新発田ゆかりの人物~【No.2】竹前権兵衛・小八郎兄弟と小川五兵衛というページを開くと(抜粋)
ここで、加治川、紫雲寺潟を中心に主な治水の試みを時代に沿って追ってみましょう。
元和元年(1615)、堀村上城主が、水害に苦しむ紫雲寺潟沿岸の農民を救済するため、高畑~堀口村の排水路を浚渫。しかし、このことで境川から紫雲寺潟への流量が増し、また、せっかく浚渫した高畠の堀も数年で土砂が堆積して浅くなり、かえって逆効果になりました
越後塩津潟(紫雲寺潟)開拓に名乗りを上げたのが、信州(現・長野県)高井郡米子村の竹前権兵衛・小八郎兄弟でした
現在、小八郎の墓がある紫雲寺は、元文五年(1740)、米子に権兵衛が建立し、寛保二年(1742)に紫雲寺と寺号を改めたもので、古代からの紫雲寺とは別のものだそうです
と言うくだりがあって、どうやら「古代にこの地に『紫雲寺』と言う寺院があった→その紫雲寺が廃絶し、『紫雲寺潟』という潟の名が残った→紫雲寺が再興」ということになりそうですが…。

大善寺 ? 1939年 1956年 5,528 (1947年) 久留米市
西鉄電車の駅名に「大善寺」があるので、その近くの地図を見るとその「大善寺」と言うお寺があり、Street Viewを見ると、「天台宗」の文字が見えました。

寺院が廃絶したと見られるところもありました。
大光寺 ? 1943年 1955年 6,283 (1950年) 平川市
wikiから「大光寺町」を見ると(あまり当てにならないものも多いのですが)
大光寺という地名が史料で確認できる最古のものは、元弘4年(1334年)に遡る。これは当地で起きた合戦(大光寺合戦)の状況を報せる書状である
この戦い自体は南北朝時代に起きたものであるが、大光寺という地名そのものはそれより古くからあったと伝えられている。平安時代の末期に、当地に大光寺という寺院があり、これが地名の興りになったとされている
とあり、おそらく南北朝時代頃には既に廃寺となっていた可能性がありそうです。現在の平川市にも「大光寺」という町名(大字)があり、平川市観光協会のHPに津軽三十三観音と言うのがあり、その中に「大光寺観音堂」が出ているのですが、地図を見ると神社の境内にある小さなお堂のようで、かつて存在した「大光寺」と関係が有るのか、地名に由来したものかはわかりませんでした。

神宮寺 ? 1902年 1955年 5,981 (1950年) 大仙市
こちらもwikiから調べると
天平年間に藤原不比等が勅命を受けて神宮寺を創建したとの伝説が残っている
とあり、過去に存在した「神宮寺」に由来する地名と思われます。「神宮寺」というのは、言わば「神社付属寺院」と言ったようなもので、神仏混合時代の産物であり、明治の神仏分離で廃されたところが多いようですが、現在でも福井県小浜市などいくつか現存しており、地名にも金沢市や浜松市(HP)などに見られます。

同名の寺院が見つからなかったところ。
妙寺 ? 1910年 1958年 7,051 (1955年) かつらぎ町
「妙寺」と言う名の寺院は町内になく、「妙寺」と言う大字があるのでその地域にある寺院を探したところ、唯一遍照寺と言うお寺が見つかり、こちらの看板を見ると、「妙法院」の文字が見えるので、「妙寺」の地名はこのお寺が由来なのでしょう。そして寺名の「遍照」から、弘法大師・空海の「遍照金剛」とのつながりが見えるのと、高野山との関係も深い土地柄からも見て、宗派は真言宗と見てよいでしょう。

後藤寺 ? 1907年 1943年 30,640 (1940年) 田川市
これだけはどうにも手がかりが見つけられませんでした。現在、田川市内には「後藤寺」という寺院も、また現在の町名・大字にもなく、「後藤寺町」成立以前の旧町村名にもないので、田川市のHPからも、市内を通っている平成筑豊鉄道のHPを見ても、「後藤寺」の名がどこから出てきたのか調べ切れず、「お手上げ」状態でした。
[96287] 2018年 7月 10日(火)21:01:08伊豆之国 さん
名前が似すぎて地元民も大困惑
今晩のTV番組を見ていたら、「名前が異常に似すぎていて地元民も困惑、隣町戦争が勃発」と言うのが出てきました。その舞台は、「落書き帳」でも「古典的話題?」になっている、富士見市とふじみ野市([85152] hmtさん、[85136] オーナー グリグリさん)。でも、番組で放映されていた、その「いきさつ」は、話題集に書かれていることのほぼ焼き直しなので…。
そのあと、やはり「名前が似すぎて取り違えられる」ものとして、「東村山市」とよく混同される「武蔵村山市」も出てきましたが、そういえば、「名前が異常に似すぎている隣同士の市」というと、「ご当地」にもありますね…。「伊豆市」と「伊豆の国市」。その、伊豆市にある名刹は…

[96284] 白桃さん
修善寺 曹洞宗 1924年 2004年 17,870 (1975年) 伊豆市
お寺のほうは「修禅寺」ですね。
源頼朝の弟・範頼が「異心あり」としてこの寺に幽閉されて殺害され、頼朝の子で2代将軍の頼家も、北條氏の謀略により、これまたこの寺で暗殺されたと言う、源氏滅亡につながった悲劇の舞台として知られ、その悲話は岡本綺堂の小説「修禅寺物語」に描かれていることで知られています。

あと、
浄法寺 ? 1940年 2006年 9,126 (1955年) 二戸市
この旧浄法寺町にも、「浄法寺」というお寺は元々なかったらしいです(「吉祥寺」と同じですね…)。「にっぽん地名紀行」(本間信治氏著・平成4年初版、新人物往来社刊)によると
鎌倉時代の武将・畠山重忠が、北條義時と武蔵国二俣川(横浜市旭区)で戦って死んだとき、鎌倉・浄法寺に出家していた三男の重慶が、難を避けて山伏となって奥州に下り、当地に住み着き、長子を浄法寺太郎と名づけた。のち、安比川流域一帯を支配する大豪族となってこのかた、この地を「浄法寺」と呼ぶようになったという
[96273] 2018年 7月 7日(土)22:20:05伊豆之国 さん
文字により分布が違う「かつまた」さん
[96260] ぺとぺとさん
一口に「かつまたさん」と言っても、勝又、勝俣、勝亦、勝間田などいくつかのバリエーションがあるのも興味深かったです(中略)箱根町も「かつまたさん」だらけだそうです
[96263] 特急とりあたまさん
かつまた姓が大量分布するのは御殿場市です。それ以外の場所ではさほど多くないのでしょうか(中略)箱根町も多いということは、乙女峠を超えて入ってきたのかな?
「かつまた」と読む苗字については、[96259]で書き込んだ「望月」さんが出てきた番組より少し前に、やはり同じNHKの「森岡さん」の苗字番組で放映されていました。「かつまた」さんには、勝又、勝俣、勝亦、勝間田など、いくつかのバリエーションがありますが([96260])、いずれも分布地域が類似・隣接しており、ルーツは同じと見られているようです。しかし、その分布は文字によってそれぞれ微妙に異なっているの面白いところです。「かつまた密集地域」である御殿場市を中心とする静岡県北東部と、その周辺地域のいくつかの市町について、文字の違いによる分布状況を調べてみました(Web版「写録宝夢巣」より)。

市町勝又順位勝亦順位勝俣順位勝間田順位
静岡県御殿場市992(1)196(12)45(57)466(5)
静岡県裾野市572(1)21414
静岡県小山町75(12)29(32)48(20)10(71)
静岡県富士市275(24)238(27)519
神奈川県箱根町13(36)6(98)283(1)0
山梨県富士吉田市100336(5)0
全国4599(794)847(2955)1516(1904)841(2973)

…ざっとこの表を見ただけでも、文字の違いによる分布の違いが結構大きいことが見えてくるようです。全国的に見ても最も数が多い「勝又」さんは、静岡県がやはり最多で全国の半数強が集中しているのですが、県内でも富士・沼津・三島の各市などにもある程度の数が集まっているほか、「かつまた密集地域」から遠く離れた地域にもまとまって見られる箇所があり、宮城県石巻市とその周辺(石巻市に130件余りあり市内ランク30位台)、新潟県南魚沼市(100件余りあり市内ランク30位台)が目立つほか、千葉県多古町、長野県阿南町にも50件以上集まっているといった例が見られます。
「勝間田」さんと「勝亦」さんは、共に分布がほぼ静岡県東部に限られ、静岡県に全国の6~7割が集まっているのですが、両者の分布地域には違いがあり、「勝間田」さんがほぼ御殿場市に限られるのに対し、「勝亦」さんは市ランクでは御殿場市が最上位なのですが、実数では富士市のほうが多く、「同じ一族が移動してきた」と言うことも考えられるかもしれません。
♯品川に「勝亦電機」という配電盤メーカーがあり、山手線や新幹線の車窓からも本社工場の建物と看板が見えます。創業者の苗字に由来し、「創業の歩み」からは静岡県との関係が書かれていないのですが、工場が沼津にもあることから見て、静岡県となんらかの関係が有りそうな気がします。

「勝俣」さんは、他の3種類とは異なり、静岡県よりも隣接する神奈川・山梨両県のほうが多く、神奈川県では箱根町に集中し町内最多の苗字となっており、中でも仙石原地区には特に密集し、「隣同士に『勝俣さん』が何軒も並んでいる」ということが、前記の番組でも映像に出ていました。山梨県では富士吉田市に集中し、市内5位に入っていますが、御殿場・小山方面からの通り道にある山中湖村や富士河口湖町には余り見られず、なぜ少し離れた富士吉田にこれだけ固まっているのか、その理由が不思議です…。

「かつまた」氏のルーツは、遠江国榛原郡勝間田(古くは「勝田」と書いて「かつまた」とも)とされ、現在も牧之原市に「勝俣」「勝田・勝間」の地名や、勝間田川、勝間田小学校、勝間田公園などがあります。勝田地区には「勝間田城跡」があり
「勝間田城」は、かつてこの地を領有していた豪族「勝間田氏」が築いた山城です
牧之原台地の枝尾根に築かれ、急峻な地形を巧みに利用し、外部からの敵の侵入を防ぐための堀切や土塁などの縄張りが特徴で、典型的な中世の山城でした。築城の時期は定かではありませんが、14世紀末頃と推測されています。文明8年(1476年)、今川氏との戦いで落城し、その後廃城となりました
現在でも、「勝間田城跡」には、城郭の原形が殆どのこされています
(牧之原市観光協会HPより)
しかし、勝間田氏は合戦に敗れてルーツの地を追われ、一族が富士山の東の麓に逃げた(さらにその一部は箱根や富士吉田方面へ)ので、御殿場周辺地域で「かつまた」氏が増えた、と言うことらしく、いろいろな表記があるのは「追撃を恐れて文字を変えた」とか、あるいは「本家と分家で区別」とか、諸説があるようですが…。

先の番組では、文字の違いにより、「その集落中同じ文字の『かつまた』さんだらけ」と言う地域もあるらしく、またそれぞれ「こういう理由があるからこの字を使っている」という「文字」に対しての「こだわり」も強い、ということ、御殿場周辺では、何種類もある「かつまた」さんの文字表記を区別するため、「勝又」「勝亦」「勝俣」「勝間田」をそれぞれ「ひっかけまた」(「又」の字形から?)「あかまた」(「亦」の字が「赤」に似ていることから)「にんべん」「かつかんでん」というように言い分けている(このくだりはうろ覚えですが…)と言うことも出てきていました。

「かつまた」氏には、文字表記以外にも、発祥地は同じでもルーツには源氏・平家・藤原氏といろいろあるらしく、家紋も何種類もあって(渡辺三義氏著「静岡県名字の話」(昭和54年初版))、このあたりにもよくわからないことが多いようです。ルーツの地である牧之原市の地名にも「勝俣」「勝間田」「勝田」といろいろ表記があるのも、この「かつまた氏」を巡る複雑な歴史と絡んでいるのかも入れません…。

「勝間田」と言う地名は、美作国(岡山県勝央町)にもあり、JR姫新線の勝間田駅や、勝間田高校もあります。郡名の「勝田」の名は古くは「かつまた(かつまだ)」と読んでいたらしいことも、遠江の「勝間田」と共通している面があります。しかし、岡山県には「勝間田」さんは1件しかなく、「勝又」さんも数えるほどしかないので、「勝間田」氏のルーツとは無関係と思われます。余談ですが、この「勝間田」駅の隣の駅が「林野」駅。戦時中、「林野」が「早う死のう」と聞こえるので、「勝つまで行こう」と、「林野」駅の近くに住んでいた出征兵士が、わざわざ「勝間田」駅まで歩いて汽車に乗った、という話をどこかで見たことがありました。
[96259] 2018年 7月 5日(木)21:47:39伊豆之国 さん
静岡県内でも「なじみの深さ」が分かれる「望月さん」
今晩のNHKの「苗字」番組で、最初に出てきたのが「望月」さん。番組ではその分布について詳しい話は出てきませんでしたが、その「望月」さんが全国で一番多い県が、静岡県。県ランクでも4位に入り、県ランクでも「望月さん率」でも最高位の、富士山を挟んで隣の山梨県(県内3位)に次ぐ高ランクになっています。しかし、その静岡県内でも「望月」さんの分布には大きな偏りがあり、静岡市を中心とする県中央部にその大半が集中する一方、西部の遠江地域ではあまり見られず、伊豆地方でもそれほど多くは見られません。
Web版の「写録宝夢巣」によると(由比町や富士川町などがまだあるので、[96188]でも書いたように、10年くらい前のデータと見られます)、主な都市やメンバー(既に引退?したり、長らく姿を見せていない方も含め)ゆかりの市区町などについて調べてみると、次のようになっています。表中、順位が「-」となっているものは市区町ランキングの100位以内に入っていないことを示します。

市区町件数順位備考
静岡市葵区2060(1)
静岡市駿河区878(3)
静岡市清水区2714(1)旧由比町は含まず
浜松市中区55
浜松市東区30
浜松市浜北区13
三島市89(31)
沼津市309(17)
伊東市44(64)
伊豆の国市36(59)
富士市1447(4)旧富士川町は含まず
富士宮市1039(3)旧芝川町は含まず
焼津市172(24)旧大井川町は含まず
藤枝市180(20)旧岡部町は含まず
島田市64(70)旧川根町は含まず
掛川市35
磐田市54
西伊豆町2
長泉町19(73)
吉田町23(53)

「望月さん」が最も多く集中する、県庁所在地の静岡市では、県内でダントツの最多苗字で実数でも人口比率でも全国で最高位の「鈴木」さんを抑えて市内最多の苗字となっており、特に清水区では2位の「鈴木」さんの2倍以上、葵区でも「鈴木」さんを大きく引き離して最多苗字となっています。静岡市の中心部に本拠を構えるinakanomozartさんも
小学校以来クラスや同じ職場にたいてい複数の「望月」姓の人がいました
そう言えば、小学校の時は同級生に「望月○○」さんという人が二人(つまり同姓同名)いたりしました
([65517])と、「望月さん」のあまりの多さに普段から慣れ、「当たり前のこと」と思っているのでしょう。
一方、大井川を越えて遠江国に入ると「望月」さんは急激に少なくなり、浜松市では全7区とも100位以内には入らず、浜松市民のさざ波さんにとっては、「望月さん」は「珍しい」とまでは行かなくとも、「あまり身近な苗字ではない」と受け取っているのではないでしょうか。
東部地区では、富士川下流の富士市・富士宮市でもかなりな数があり、「望月さん率」が最高の山梨県の中でも特に比率が高い南巨摩郡に接しており、山梨県の影響も大きいようです。沼津市を中心とする駿豆地域でもそれなりの数は見られるようですが、伊豆半島に入るとやはりだいぶ少なくなってきます。

ところで、「望月」さんの発祥地は、長野県佐久市の旧望月町とされており、番組でも映像が出てきましたが、その長野県では県ランクで90位台に入っているのですが、発祥地がある佐久市には少なく、県内で最も多いのが安曇野市で、380件近くが集まり県内の「望月さん」の3分の1以上が集中しています。
[96257] 2018年 7月 4日(水)22:27:08伊豆之国 さん
知られざる信州の(ミニ)五稜郭
毎度お騒がせしております。
「戦国市盗り合戦」で「箱館五稜郭城主」と言うことになっている、武蔵国多摩郡小山田城主伊豆守こと「伊豆之国」でございます。

一昨日の日経新聞の記事に、「続・日本百名城」([92779] じゃごたろさん)にも選ばれている、長野県佐久市にある「もう一つの五稜郭」龍岡城の話題が出ていました。→記事(要約)
幕末の戊辰戦争で名高い北海道函館市の名所とは異なる「もう一つの五稜郭」として長野県佐久市の「龍岡城五稜郭」が注目を集めている。函館のような展望タワーがなく、直接俯瞰できなかった状況を一変させたのは小型無人機ドローン。築造から約150年の時を経て、星形城郭の全景が身近な技術で見えるようになった
龍岡城五稜郭は周辺を治めていた田野口藩の藩主・松平乗謨(のりかた)が1867年(慶応3年)に築造。西洋技術を用いた星形城郭の「五稜郭」と称されるのは函館と共通する一方、面積は4分の1程度にとどまり、戦乱の舞台ともならなかったため知名度もいまひとつ劣る
観光の上で決定的に異なるのは、函館の「五稜郭タワー」のような展望施設がない点。城郭を見渡すなら近くの山中の展望台に登るしかないが、角度が真上からではなく、最も特徴のある星形の形状が一部はっきりしない
龍岡城五稜郭をクローズアップさせたのはドローンの登場だ
佐久市公園緑地課と時期や時間、安全対策を協議した上で必要な書類を提出すれば、付近の公園上空から撮影可能という
龍岡城は周囲の山から砲弾が届く距離にあり、城郭が実戦であまり役立たなかったとの見方も。担当者は「西洋の技術に憧れていた乗謨が自分の造りたい城郭を築いたのでは」と解説しており、築造経緯も関心を集めそうだ

「龍岡城」は小海線の駅名にもなっており、その歴史と形状のことは、今から○十年前の「鉄旅」雑誌で、小海線の特集ページを見て知ったのですが、車窓からも見えないこともあり、ただ「気になる存在」だけと言うままになっていました。

ところで、「本家」五稜郭がある函館には、「四稜郭」と言うのもあります。「箱館戦争」で五稜郭を防御する陣地として、五稜郭の北3kmほどの場所に急造されたという、五稜郭より小ぶりの、同様な西洋式城郭で(函館市公式観光情報より)、「星」の角が5つある五稜郭に対し、角が4つあることからこのような呼び名がついたのでしょう。

…蹴球日本代表、惜しくも8強に届きませんでしたが、数々の不評と雑音にもめげず、ここまで勝ち進んできたことに、一言「ご苦労さんでした」と…。この先は世界の強豪同士のぶつかり合い、見所は多いですので、まだまだ寝不足が続く方は多いのでしょう。

 ♭あ~ 夢から覚めた これからもあなたを愛してる~ (by「灰色楽隊」)
[96252] 2018年 7月 1日(日)20:00:33伊豆之国 さん
東かがわ市の知られざる名物
1人減った"TOKIO"のメンバーがレギュラー出演しているTV番組([95486])を見ていました。

番組の後半、"DASH ご当地PR課"は、白桃さんの故郷・東かがわ市から。
最初の映像で、この市の特産品として「手袋」([87914])とか「和三盆糖」が出ていましたが、地元でもあまり知られていない特産品として「ダンボール」が紹介され、「ダンボールで自転車を作り、旧白鳥町にある動物園内の、段差もある砂利道を通れるか」というシーンが出てきました。
あと、やはり市の特産品として「大内パセリ」も…。

…白桃さん、「ここは事実と違う」と思うところがあったら、NTV(4ch)にどうぞ遠慮なく。
[96249] 2018年 6月 29日(金)23:25:31【1】伊豆之国 さん
珍名踏切マニア
「蹴球」関係のGoogle検索からたどって行くうちに、偶然見つかった「鉄」ネタに「珍名踏切」のシリーズに行き着いたので…。「踏切の名称」については、私も以前に書き込んだことがありますが([86469])、今回は、その「珍名踏切シリーズ」中からいくつかをここに紹介することにします。その「珍名踏切」のマニアとは、実は地名・地理ネタではおなじみの、あの今尾恵介氏です…。

まず、特急とりあたまさんのお膝元、「御殿場線」(こちら)。中でも、裾野~沼津間には、「墓場・煙草屋・特種・天理教」といった、変わった名称の踏切が見られます。「特種踏切」とは、「特種東海製紙」([94656] 特急とりあたまさん、旧名は「特種製紙」)の工場の目の前にあることから、「天理教踏切」はその名の通り天理教の教会の目の前にあります。「煙草屋踏切」は、おそらく昔煙草屋さんがあったからなのかもしれませんが、現在は近くに煙草屋さんは見つからず(松本電鉄(アルピコ)には「煙草屋裏踏切」がありますがこれも同様らしい)、「墓場踏切」はさすがに縁起が悪いので今は別の名に変わったようです(そういえば西武多摩川線の「多磨墓地前」駅は「多磨」に改称されたし、富士急にあった「暮地(くれち)」駅(近くの地名に由来)が、字面が「墓地」に似ていて誤読もされる、と言う理由で今の「寿」に改称された、と言う例もありますし…)。

「特種踏切」は、その製紙工場の反対側の、熱海廻りの新ルートとなった東海道線にも存在しています。その近くには、「横断踏切」と言う「謎」の名称の踏切があります。現・伊豆箱根鉄道の駿豆線が、熱海廻りの新線にできた現在の三島駅への乗り入れルートに付け替えられる前の、それまでの「東海道線の三島駅」だった現・御殿場線「下土狩」駅([94655])への旧ルート跡に沿う道路を横断していることからだったのでした(こちら)。余談ですが、[86469]でも紹介していた、駿豆線の「レコード館踏切」も出てきました。
ぺとぺとさんが[86463] で触れている、辻堂~茅ヶ崎間にある「異人館踏切」の由来も、こちらの記事に出ており、由来となった「異人さん」は、どうやらぺとぺとさんが紹介されているお説の通り、近所の英国人の屋敷から来ていると言うのが正しいようです。

山陽線の加古川市内には、「勝負」の字がつく2つの踏切、「勝負下(した)踏切」「勝負中(なか)踏切」があります(こちら)。付近の小字「加古川市平岡町土山字勝負」から取られたようですが、現在ではこの小字「勝負」はあまり使われず、「…土山△△番地」までで郵便も届くようなので、そのうちに「加古川市土山○丁目」とでもなって、「勝負」の地名も住所から消えて行くのでしょうか。
【追記】オーナー グリグリさんへ
Mapionを見ると、「勝負」のつく2つの踏切があると思われる地域には、山陽線の線路をはさんで「勝負公園」と「勝負南公園」という2つの公園があります。
「反対語地名コレクション」の「勝負」のところにはまだ出ていないようなので、新規登録をお願いいたします。

鐘が鳴る旧式踏切」がいまだ健在と言う「嵐電」西院(さい)駅。阪急の「西院(さいいん)」駅と読み方が違うことについて、その歴史的背景なども含めてhmtさんが[96160]で詳しく述べられておられますが、 その「嵐電」の踏切名称は、関西の踏切([86469])を見ると、「西院(さいん)○号」と言うようになっていて、当の「嵐電」の駅とも、阪急とも違う「第三の読み方」になっています。この理由はいかなるものなのか、どうにも不思議です…。

♯今月は、書きも書いたり、どうやらダントツの書き込み文字数1位となりそうです。おそらく自分自身でも初めてでしょうか?


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