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88さんの記事が10件見つかりました

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[81101] 2012年 7月 14日(土)15:38:11【1】88 さん
登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)のご紹介
[81100]と関連するのですが、敢えて別稿に。
同稿で、小字の調査方法について一部記述がありますが、同稿で触れた知人から紹介を受けたサイトをご紹介します。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)

以前、登記情報提供サービスをご紹介したことがありますが、データに関しては共用している部分が多いようです。

登記情報提供サービスは、地番区域が大字単位の場合、小字の表示が出ません。大字単位で付番しているため、現実に小字が存在しても、検索には不要であるためです(もっとも、実際に登記簿(現在ではほとんど電算化しているため、「登記事項証明書」と呼ぶ)を取った場合、小字が存在した場合は、もちろん記載されています)。
最近では、小字がなく、町・大字から直接地番となる例も増えてきていますが([66921]拙稿)。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)の「かんたん証明書請求」を使用します。
事前に登録(無料)をしておけば、本当に全部事項証明書を正式に請求できますが(有料)、無料で利用できる範囲で有意義なものもあります。
この「かんたん証明書請求」を使うと、地番区域が大字単位であっても、小字の表示が出てきます。市町村ごと、町・大字ごとに、下階層へとたどることができます。これらの調査までは無料です。
個々の地番の情報(所有者、地積、地目等)を得ようとすると、有料となりますが、無料のメニューの範囲内で、小字の有無・名称を調べることはできます。

ただし、注意点があります。
閉鎖登記簿(現在の情報ではなく、土地の合筆などによって現在では存在しなくなった地番の情報)をも得ることができるように対応しているため、その結果として、現在では存在しなくなった市町村はもとより、廃止された町・大字、小字が記載されていることがあります。市町村名は過去のものであるか否かは少し調べると容易にわかりますが、町・大字、ましてや小字は、現在も存在するのか否か、は、容易には分かりません。個別情報を「有料」で調べればもちろんわかるのですが、無料でたどり着ける範囲では、混在している可能性が十分にあるので、完全な資料とはなりません。
もう一つ。例えば○○郡○○町に「大字△△」があり、その中に字(小字)が「字□□」「字☆☆」の2つが表示されたとします。このうち、「字☆☆」は既に廃止されているかもしれない、というのは上述のとおりですが、この場合、すべて「字□□」に組み込まれたのか、それとも、「大字△△999番9」と、小字そのものが廃止されて直接地番となるのが正しいのか。つまり、現在は「字□□」「字☆☆」「小字なし地域」の3とおりあるのかどうか、がわからないことです。
「小字なし地域」との区分があれば明確で便利なのですが。

こういった点にご留意の上、(利用時間に制限はありますが、)ご利用してみては如何でしょうか。
#私は、試しに香川県内の全小字を、(他の作業と並行して)抽出・リスト化中です。
[81100] 2012年 7月 14日(土)14:37:07【2】88 さん
Re:土俗森ト唱フ
[81018] YT さん
以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
この投稿を受けて、地元讃岐国を閲覧していたところ、[81020] 白桃 さん の投稿とまったく同じ点に着目していました。白桃さんほどの地元ではないとはいえ、「森」は聞いたことがありませんし、・・・他の同様の事例では、現在の集落が容易に判別できます(この件は後述)。
で、[81020] 白桃 さん から
こういうことは、88さんにお伺いしてみよう。^i^)~~)
と、御下問がありましたので、調査してまいりました。と言っても、東かがわ市在住の知人に、調査を丸投げしただけなのですが、その調査結果を抜粋してここにご報告いたします。

――――――――――
まずは、地図を2枚ご覧ください。地図(1)  地図(2)
(距離・時間の表示が邪魔なので、ページ右上の「ふきだし表示」のチェックを外すと見やすくなります。・・いい表示方法を発見できず。)

(2)の青色の範囲が、現在の字森町です(一部推測を含む)。これは、(大字)松原字森町です。一方、(大字)湊には字森町は存在しません。
字森町の範囲は、狭小です。この地域のすぐ西(白鳥郵便局の前の通りよりは東側)には「松原字芝居町」があり、一方、この地域のすぐ東(白鳥神社の南東側)は「松原字本村」です。
白鳥神社や、その北側に広がる松林が字森町に該当するか否かは未確認。
(1)の「赤色」が、森町自治会の範囲です。松原字森町のすべてを含みますが、さらに、南側の湊の一部を含みます(このあたりは湊字水入)。ちなみに、地図中「鶴内神社」がありますが、この神社に隣接して、「森町自治会館」があります。

要約すると、次のとおりとなると思われます。
・字森町は、現在も(大字)松原にのみ存在する。(大字)湊には存在しない。
・現在も「森町」という自治会があり、(大字)松原字森町のすべてと、(大字)湊字水入の一部が加入地域である。

なお、同知人からは、「想像するに『森』は『白鳥神社の門前街』であり、日本武尊伝説のある白鳥神社の門前として、陸軍参謀局の資料である共武政表でも触れたのではないか」との意見がありました。
また、湊と松原(旧白鳥本町)の境目は、現在では不分明であるが、松原(旧白鳥本町)と白鳥(旧白鳥村)の境目・所属意識は、地元においては厳然として現在も存在する、との参考意見も頂きました。

――――――――――
さらにここからは別の観点からの私の推測です。
香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号大内郡の項をご覧ください。
市制町村制施行後、大内郡の(新)松原村となるのは、
帰来村 伊座村 松原村 湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩
であり、(新)「白鳥村」となるのが、
白鳥村 湊村 内字水入ノ内宅地三反弐畝(弐畝)廿弐歩畑九畝廿歩ヲ除ク
です。
(旧字体は新字体に引用者が置換え。( )内の「弐畝」は、重複誤りと思われます。)
この、(旧)湊村の内、(新)白鳥村ではなく、(旧)松原村と一緒に敢えて(新)松原村となった「湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩」が、今回の話題となっている「森」のうち、現在松原になっているものの内、元は湊であった区域でないか、と思う次第です。

――――――――――
さて、冒頭に挙げた、共武政表における輻輳地の件。
試しに、讃岐国の、町村にまたがる輻輳地が、現在のどのあたりになるのか、あたってみました。
(1)大内郡 森
前述のとおり。
(2)山田郡 川島
「坂元村、高野村」という記載と、M23.2.15付けでの両村+上田井村との合併による山田郡坂ノ上村木田郡川島町への町制/改称、それを引き継いだ木田郡山田町高松市に編入合併される際のS41.6.23付け香川県告示第429号新町名設定の件から見ても、高野村が現川島本町、坂元村が現川島東町であることがわかります(高松市川島本町・川島東町付近の地図)。
(3)香川郡
香川郡坂田村、万蔵村という記載などから、高松市室町付近に当たると考えられます。
なお、現在、「高松市室町字室」です。地番区域は室町としての付番で、また、字室以外に字はなく、住所上は「字室」は表記しません。
(4)香川郡 橋詰
香川郡坂田村、勅使村という記載などから、高松市の橋詰バス停付近であると考えられます。
(5)香川郡 仏生山町
この5例の中では、最も容易。ただし、さらに詳細に。
香川郡百相村、出作村という記載と、M23.2.15付けでの香川郡百相村香川郡仏生山町への町制/改称(あわせて多肥村大字出作の一部をさらに編入)、高松市に編入合併される際のS41.9.30付け告示第105号の5新町名設定の件から見ても、高松市仏生山町(地番に甲を付す地域が元百相村、地番に乙を付す地域が元出作村)であると考えます。

なお、香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号:http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788358/113
香川郡の項をあわせてご覧ください。
市制町村制施行後、香川郡の(新)多肥村となるのは、
出作村 内字松ノ上、字松ノ下、字下町ヲ除ク 上多肥村 下多肥村
であり、(新)百相村となるのが、
百相村 出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町
です。大内郡の森の例と同様、「出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町」が、共武政表でいうところの、
出作村 五十戸 百八十九人
であり、M23.2.15に(新)出作村とならずに(新)百相村となった区域ではないかと考えます。

――――――――――
#今回の件で、市区町村変遷情報において、皆さんのご意見を踏まえ、「○○村(本)」「○○村(微)」と記載したことが十分意義があった、と、自賛しているのですが・・・。
[81026] 2012年 7月 3日(火)00:12:4688 さん
湯瀬オフ会
投稿したいことはたくさんあり、順次執筆中ですが、たまにはこんな書き込みを。


第5回落書き帳公式オフ会は、初めての一泊型オフ会でした。会場は、秋田県鹿角市の湯瀬ホテル
実は、先日読んだ本の中に、この市の湯瀬ホテルがモデルではないかと思われる記述があり、懐かしく感じ、筆を執った次第です。

木山捷平の「ななかまど」。講談社の講談社文芸文庫井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまどに収録されています。
巻末の年譜によれば、木山捷平が昭和41年9月に八幡平へ取材旅行を行っており、「ななかまど」は、昭和43年3月に「別冊文芸春秋103号」に発表されたものです。
木山捷平「ななかまど」は、取材旅行を元に書き起こした小説で、著者木山捷平は「木井」として出てきます。主人公木井が、東北へ出かけた際に「ななかまど」を一枝取って帰るのですが、旅先やその往復の旅程での出来事が書かれ、また、同時期に発生した羽田沖墜落事故(昭和41年2月)も話題として触れられています。
木の「ナナカマド」は、鹿角市の市の木にも指定されており、同地を含め東北地方ではよく見られる木のようです。

小説「ななかまど」中、オフ会会場である湯瀬ホテルを思わせる記述を、以下に抜粋します(前述の講談社文芸文庫より引用)。
・・自動車は八幡平駅から米代川の流れに沿って東へ向かった。・・宿に着いたとき、木井は何となく失望感を覚えたのは、宿が何階建てかのビルになっていたからであった。・・ビルの廊下を百歩ほど歩いて、奇妙な橋に出た。その橋はその宿屋専用の橋で、新館と旧館をつないでいる橋だった。新館がビルで、旧館は日本式の宿屋だった。・・木井は橋を渡って新館の大風呂へ出かけた。・・宿が出してくれた車で、木井は湯瀬駅へ向った。乗車時間は二分くらいのものだった。・・
湯瀬ホテルの建物の改築の経緯や、木山捷平が宿泊した由縁云々は存じませんが、地図で見た感じからも、他に該当しそうな宿泊施設は見当たらず、ほぼ、同ホテルが題材として間違いないと思われます。

ほんの3年半前のオフ会なのですが、もう、懐かしく感じます。
[80552] 2012年 4月 22日(日)22:15:4988 さん
S25国勢調査政府統計と市区町村変遷情報との整合について
[80441] hmt さん
ついでに、埼玉県以外にも目を通してみたところ、「50a-z01j」の次の箇所も、変遷情報と相違していました。
北海道 24.1.1上砂川町【変遷情報24.4.1】、24.11.1下川町【24.12.1】、千葉県 24.11.3大柏村の市川市編入【24.11.1】、新潟県 22.11.12片貝町【22.11.3】、愛知県 23.4.1碧南市【23.4.5】、三重県 25.8.1井田村【猪田村】、岡山県 22.12.9福田町【22.12.25】、大分県 24.4.1野津町【24.7.1】

[80443] 紅葉橋律乃介 さん
官報ではどうなっているのでしょう…>88さん?

[80444] 88
ほぼ調査を終えましたが、少々お待ちを。

お待たせいたしました。
ご指摘の各情報について、総理庁告示等を官報情報検索サービスで調査した結果は次のとおりです。
内容S25国調政府統計告示日告示番号施行日等
北海道空知郡上砂川町の分立S24.1.1S24.4.27総理庁告示第60号S24.1.1
北海道上川郡下川村→下川町の町制S24.11.1S24.3.25総理府告示第54号S24.12.1
千葉県東葛飾郡大柏村の市川市への編入S24.11.3S24.12.9総理府告示第151号S24.11.3
新潟県三島郡片貝村→片貝町の町制施行S22.11.12S22.11(官報広告[80444])S22.11.3
愛知県碧海郡3町1村の合併・碧南市にS23.4.1S23.4.15総理庁告示第67号S23.4.5
三重県上野市に編入される名賀郡の村名井田村S25.8.4総理府告示第245号猪田村
岡山県児島郡福田村→福田町の町制S22.12.9S23.1(官報広告[80444])S22.12.9


北海道空知郡上砂川町の空知郡砂川町の一部・歌志内町の一部からの分立をS24.1.1付けに、
千葉県大柏村の市川市への編入をS24.11.3に、
岡山県児島郡福田村→福田町の町制をS22.12.9に、
それぞれ修正しました。

北海道上川郡下川村→下川町の町制、新潟県三島郡片貝村→片貝町の町制、愛知県碧海郡3町1村の合併・碧南市に、三重県上野市に編入される名賀郡の村名:猪田村、は、そのままとしました。

なお、大分県
臼杵市・野津町任意合併協議会HP中の野津町の合併の歴史を見ても、S24.4.1に野津市村が野津市町となった旨の記載はありますが、野津市町が野津町となった年月日は定かではありません。
官報情報検索サービスによると、
●総理庁告示第五十三号
村を町とする処分
地方自治法第八条第三項の規定により、昭和二十四年四月一日から、大分県大野郡野津市村を野津市町とする旨、大分県知事から届出があつた。
昭和二十四年四月二十七日
内閣総理大臣 吉田  茂
(旧字体は新字体に引用者が置換え)
であり、野津市村が野津市町となるのはS24.4.1付けです。
一方、「野津町」への改称の総理庁告示は見当たりません。

いつもの各文献の記載は次のとおりです。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・S24.4.1野津市村→野津市町、S24.7.1野津市町→野津町
「辞典」・・S24.4.1野津市村→野津市町、S24.7(6).1野津市町→野津町

現時点ではこれ以上の資料を見つけられませんので、S24.4.1付けで野津市村→野津市町S24.7.1付けで野津市町→野津町と、そのままとしました。新たな信頼できる資料があれば、また検討します。

――――――――――
以下余談。
4月1日付けで職場の人事異動の網に引っかかってしまい、新環境で悪戦苦闘中です。多忙云々というより、まだペースがつかめていません。私の場合、本来、単に多忙であれば、合間を縫って市区町村変遷情報の編集作業や手持ち作業等を行うことが息抜きにもなるのですが、この3週間ほどは、休日など外出した際はそれなりにリフレッシュしているものの(昨日はこんぴら歌舞伎(金丸座)へ行ってきました)、平日帰宅後はなかなかそういう状況には・・・自分自身のリフレッシュのためにも、積み残し作業に復活したいところ。

十番勝負に関して。
[80543] グリグリ さん
最近強化した変遷情報検索や大幅リニューアルした市区町村変遷情報からの出題が多くなるかと思います。ぜひ、いろいろ予想していただければと思います。>皆さん
皆さまからのご指摘への対応の修正作業が、中途半端のままとなっております。申し訳ありません。市区町村変遷情報の誤り等に関する十番勝負上の取扱いについては・・・グリグリさんにお任せします。

・・・言い訳でした。
[80469] 2012年 3月 31日(土)16:55:5188 さん
市区町村変遷情報 詳細情報のリンク先の設定について
[80446] グリグリ さん
[80411] hmtさんの記事に始まる表題の件、非常に貴重で面白い議論が続いています。資料価値も非常に高いと思いますし、うまくまとめたいなと思っています。まとまった記録としては、hmtマガジンでいずれ取り上げられると思いますが、落書き帳の書き込み記事をもう少し手軽に記録保存することができないかなと考えています。例えば、変遷情報の詳細記録ページに記事番号や記事集をリンクするのはどうでしょうか。

例えば、Issieさんの「旧座間町の分離について」[80429][80430][80431] は、相模原町の町制の詳細情報と相模原町からの分立の詳細情報に、関連落書き帳記事としてリンクを貼ると有効だと思います。落書き帳には、このような記事が星のように数多く輝いていますので、変遷情報についてはこのような手法で生かしたいと考えます。いかがでしょうか。>88編集長

同様の事例として、[77331] グリグリ さん において、2011(H23).1.4付けでの蓮田市の名称変更の事例がありました(私としてはそういう感覚でした)。具体的には、市区町村変遷情報の個別情報において、「協議会名称等」欄で、従来は合併協議会(法定、任意)へのリンク等を主にしていたところ、同様に根拠となる市の名称変更に関する条例へのリンクへと運用を拡張していただきました。  2011(H23).1.4付け 蓮田市 詳細情報
根拠規定等にリンクを張ることは、根拠規定を確認したうえで編集作業を実施している、ということを示すこともでき、市区町村変遷情報の正確性をアピールできる面もあると考えています。以前にも、皆様から提案をいただいたことがありますが。
例えば近代デジタルライブラリーの各ページをリンク先として設定することでも、閲覧者の利便性は高まると思われます。

ただし、現在の方式による市区町村変遷情報の編集作業においては、根拠のリンク先を追加していくことは、あまりに作業の負荷が大きいです。落書き帳記事へのリンク等においても、取捨選択の検討を要することもあり同様です。あくまで、数・頻度を絞って試行してみる、ということでよろしくお願いいたします。

なお、根拠規定については、市区町村変遷情報の将来構想の一環として、根拠規定のデータベース化も含めて、市区町村変遷情報のデータベース案(リニューアル)のたたき台をグリグリさんに提案しているところです(>皆様)。ホントのたたき台ですが。
将来構想(長期の将来構想)は膨らみます。

――――――――――
さて本題へ戻って。今回の件、Issieさんの[80429][80430][80431]を反映して、修正しました。
  1941(S16).4.19付け新設合併での高座郡相模原町誕生1948(S23).9.1付け高座郡座間町の相模原町からの分離

なお、簡易アーカイブズ機能を使った、旧座間町の分離についてをリンク先に設定しようとすると、なぜかうまく表示できませんでした。
不具合の理由は何か不明でしたが(リンク先アドレスの長さか何かの設定に制限はかかっていませんでしょうか?)、このリンク先の設定がうまくいかなかったため、とりあえず、記事番号[80429][80430][80431]を個別に設定しました。やはり記事集にした方が、閲覧者にとっても、作業する私どもにとっても便利だと考えますので、また確認していただけるとありがたいです(>グリグリさん)。
[80457] 2012年 3月 29日(木)21:46:4188 さん
「揺らぎ」と「誤り」の違い
[80452] グリグリ さん
ところで、揺らぎ文字というのはどの程度確実なものなのでしょうか。複数の表記が混用されている場合に揺らぎ文字であると判断できる訳ですから、それは十分条件であって、別表記がないからと言って揺らぎ文字ではないと言えない訳ですよね。

野については、例えば、上野原市や田野畑村などは、上ノ原市、上原市、田の畑村、田畑村などの揺らぎと捉えることもできるのではないでしょうか。長野原町、脇野沢村なども同様で、揺らぎ文字かどうかの判断は難しいですね。やはり、混用されている事実が重要で、その場合に使われる文字という考え方しかできないのでしょうね。

私の認識している「揺らぎ」と、グリグリさんの認識している「揺らぎ」とは、まったく別物のようです。

私の意図する「揺らぎ」は、正式な根拠規定自体が不明で、参考(あくまで「参考」)となる文献により「ノ」「之」等が混在し、本当の自治体名が「ノ」「之」いずれかであるがかが特定できないもの。

例えば「上野原市」は、由来が「上」+「原」で、助字(接続語といってもいい)の表記としてとして「ノ」「之」ではなく「野」を使ったとしても、あくまで根拠となる総務省告示が「野」であれば、正式な自治体名が「野」であるのは明白。仮に文献によって「野」となるべきところが「ノ」「之」等であったとしても、それはあくまで「誤字」であって、「揺らぎ」ではない。

との観点です。

文献により混在していても、根拠規定の明確さの違いにより、「揺らぎ」か「誤字」か、が、明白である、との観点です。
[80444] 2012年 3月 29日(木)00:08:47【1】88 さん
総理庁告示以前の官報広告
[80421] hmt さん
No.20 阿知須町分立は、地方自治法になってからの 1947/11/23実施ですが、告示は半年以上前だったのでしょうか。
[80441] hmt さん

実は、[80421] hmt さんの上記投稿を受けて官報情報検索サービスで再確認していると、大発見しました。
[80441] hmt さん 関係も含めて、以下に3件記します。

◎町設置
昭和二十二年十一月二十三日から山口市のうち大字阿知須を分ちその区域をもつて阿知須町を置きその属する郡の区域を吉敷郡に定めた。
昭和二十二年十二月
山口県
昭和22年12月19日 官報第6281号 209頁 「広告」欄

●町村変更
三島郡片貝村は昭和二十二年十一月三日、町となつた。
昭和二十二年十一月
新潟県
昭和22年11月17日 官報第6253号 99頁 「広告」欄

●町村変更
岡山県児島郡福田村は福田町とすることを許可し昭和二十二年十二月九日からこれを施行した。
昭和二十三年一月
岡山県
昭和23年1月19日 官報第6300号 68頁 「広告」欄

――――――――――
総理庁設置はS22.5.3であり、S24.5.31まで存在しますが、「総理庁告示」により市町村の廃置分合等がなされたのは、S23.4.2付け総理庁告示第25号による青森県上北郡大三沢町設置が最初です。
これ以前は、上述のように、府県告示?であり、官報という「公報」に掲載されたようです。
もちろん、府県の公報に掲載されたものもあるでしょう。
「公告」でなく「広告」欄です(正確には旧字体の「廣告」)。
「広告」には、「町設置」等のほかには、「公示催告」「公示送達」「漁業財団」「工場財団」「鉱業財団」などの見出しが並んでいます。
上述の3件以外にもまだ官報の「広告」欄に搭載された例があるかとは思いますが、そこまで調査が至ってません。

また、この時期の根拠規定の精査も改めて実施中ですが、整理がまだできていません。整理できればまた投稿したいと思います。

――――――――――
[80443] 紅葉橋律乃介 さん
ほぼ調査を終えましたが、少々お待ちを。
[80419] 2012年 3月 21日(水)22:20:2988 さん
Re:戦時合併 と その解体 続編 (3)戦時合併→戦後分離 の事例集
[80416] hmt さん
まとめていただいたご紹介のリストを基に、官報情報検索サービスで総理府告示等を調査した結果をご紹介します。とりあえず、事実のみの報告で失礼します。
告示年月日、告示番号を記載しているのは、今後、さらなる検証の際の便宜を図るためでもあります。

No.町村特別措置告示年月日告示番号施行年月日
1秋田県秋田郡飯田川町S25.11.24総理府告示第322号 S25.10. 1
南秋田郡豊川村S25. 6.12総理府告示第192号 S25. 7. 1
2河辺郡豊島村S25. 6. 9総理府告示第184号 S25. 7. 1
3茨城県稲敷郡源清田村S24. 9. 5総理府告示第62号 S24. 8. 1
4埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町S25.11.25総理府告示第327号 S25.11. 1
5北埼玉郡騎西町他4村
6,7秩父郡皆野町他4村
8,9,10北足立郡志木町,内間木村,宗岡村,水谷村×S23. 4. 2総理庁告示第30号S23. 4. 1
11北葛飾郡静村,豊田村S24.11.15総理府告示第135号S24.10. 1
12神奈川県高座郡座間町×S23. 9.21総理庁告示第164号 S23. 9. 1
13三浦郡逗子町S25. 6.12総理府告示第191号S25. 7. 1
14富山県射水郡※新湊町S25.11.25総理府告示第328号S26. 1. 1
射水郡※牧野村S25.11.25総理府告示第329号S26. 1. 1
15三重県名賀郡箕曲村S24. 8. 1総理府告示第45号S24. 8. 1
16滋賀県甲賀郡柏木村×S23.11.20総理庁告示第207号 S23.10.10
17伊香郡伊香具村×S23. 5.22総理庁告示第104号S23. 5.10
18岡山県苫田郡新加茂町S26. 3.29総理府告示第47号 S26. 1. 1
19広島県賀茂郡寺西村S25. 6. 9総理府告示第185号 S25. 4. 1
20山口県吉敷郡阿知須町
21吉敷郡※小郡町S24.12.21総理府告示第164号 S24.12.21
22都濃郡※富田町×S24.11.15総理府告示第136号S24. 8. 1
都濃郡※福川町S24. 9.16総理府告示第73号S24. 9. 1
23愛媛県喜多郡河辺村×S26. 2. 5総理府告示第15号S26. 1. 1
24宇摩郡松柏村S25.11.24総理府告示第325号S25.10. 1
25高知県高岡郡新居村S24. 6.27総理府告示第11号S24. 4. 1
26香美郡山南村,徳王子村,富家村,香宗村×S23. 4. 2総理庁告示第31号S23. 4. 2
27熊本県飽託郡池上村S24.10.25総理府告示第110号S24. 9. 1
28飽託郡城山村,高橋村×S25.10. 4総理府告示第285号S25. 5. 1
29八代郡郡築村S25. 7.20総理府告示第235号S25. 7. 1
30大分県直入郡豊岡村S25.10.17総理府告示第300号S25. 9. 1

注釈
・特別措置欄
○:地方自治法の一部を改正する法律(昭和23年法律第179号)附則第2条第5項の規定による分立・分割
×:地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条による分立・分割
注:この時期の地方自治法第7条は、地方自治法の一部を改正する法律(昭和22年法律第169号)による改正後のものが適用。

・郡欄
※:市の一部が分立したため、属する郡の区域を定める総理府告示が別途存在する。
ただし、4 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町は、川口市から分立の告示中に「北足立郡」との記載がある。


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根拠法令(抜粋)
地方自治法の一部を改正する法律(昭和23年法律第179号)
附則
第二条 昭和十二年七月七日から同二十年九月二日に至るまでの間において、市町村の区域の変更があつたときは、その変更に係る区域の住民は、第七条の規定にかかわらず、本条の定めるところにより、従前の市町村の区域でその市町村を置き、又は従前の市町村の区域の通りに市町村の境界変更をすることができる。
2 前項の処分は、政令の定めるところにより、市町村の選挙管理委員会に対し、変更に係る区域の住民で選挙人名簿に登載されている者の総数の三分の一以上の者の連署を以て、その代表者から、これを請求しなければならない。
3 前項の請求があつたときは、選挙管理委員会は、請求を受理した日から三十日以内に、当該区域が従前属していた市町村の選挙人の投票に付さなければならない。
4 第二項の規定による区域が現に存する他の市町村に属していた場合においては、前項の投票に関する事務は、同項の規定にかかわらず、その市町村の選挙管理委員会がこれを管理する。この場合において必要な事項は、政令でこれを定める。
5 第三項の投票において有効投票の過半数の同意があつたときは、委員会の報告に基き、都道府県知事は、当該都道府県の議会の議決を経て市町村の廃置分合又は境界変更を定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。
6 前項の場合において第一項の市町村の区域の変更に伴い処分した財産があるときは、現に存する市町村は、これが現に存する限度において、議会の議決を経てその変更に係る区域が従前属していた市町村に返還しなければならない。
7 前項の財産処分に不服がある市町村は、裁判所に出訴することができる。
8 第五項の規定による届出を受理したときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
9 政令で特別の定をするものを除く外、地方自治法第二編第四章の規定は、第三項の規定による投票にこれを準用する。

地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条
(地方自治法の一部を改正する法律(昭和22年法律第169号)によるもの)
第七条 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府県の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共団体の申請に基き、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。

告示の例
●総理府告示第三百二十七号
市町の廃置分合
 地方自治法の一部を改正する法律(昭和二十三年法律第百七十九号)附則第二條第五項の規定により、昭和二十五年十一月一日から、埼玉県川口市のうち、旧鳩ヶ谷町の区域を分け、その区域をもつて北足立郡鳩ヶ谷町を置く旨、埼玉県知事から届出があつた。
 昭和二十五年十一月二十五日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百六十四号
市町の廃置分合
地方自治法の一部を改正する法律(昭和二十三年法律第百七十九号)附則第二條第五項の規定により、昭和二十四年十一月一日から、山口県山口市のうち大字小郡上郷及び小郡下郷を分け、その区域をもつて小郡町を置く旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十二月二十一日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百六十五号
郡の区域の境界にわたつて設置された町の属する郡の区域を定める処分
地方自治法第二百五十九條第三項の規定により、山口県小郡町の属する郡の区域を吉敷郡に定める旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十二月二十一日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百三十六号
市町の廃置分合
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十四年八月一日から、山口県徳山市のうち大字富田を分け、その区域をもつて富田町を置く旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十一月十五日
内閣総理大臣 吉田  茂
[80341] 2012年 2月 26日(日)23:38:3188 さん
変遷情報検索 異体字等の同一視について
市区町村変遷情報に関して。

[80268][80316] 中島悟 さん で、多数のご指摘をいただいていますが、中島悟さんもおっしゃるように、今回のご指摘の内容は、大きく分けて次の3つに分けられると考えられます。
(1)明らかに別の字であり、入力時の誤りである
(2)旧字体・新字体等が入力の際に一貫しておらず、入力時の誤りである
(3)当時としても表記の揺れがあったと思われ、文献によって表記に揺れがあり、本当の「漢字」を特定することが困難

(1)は言い訳のしようのないで誤りであり、精査し、順次修正していきます。
(2)は各文献を鵜呑みにしたり、編集作業時にその場しのぎで統一方針が定まっておらず誤ったもので、これも順次修正していきます。
(3)は悩ましく、調査も困難を極めるのですが、そのままではデータベースとしての機能が不十分であるので、判断をして何らかの結論を出し、順次修正していきます。

いずれにせよ、市区町村変遷情報においては、その名のとおりあくまで「変遷」をまとめたものであり、途中でいつの間にか名称が変わっていたり、不連続になってしまうことは許されません。変更するためには、改称手続きや、その他の変更するだけの理由が必要です。

(1)(2)(3)とも、内容により調査・作業にかかる時間は差がありますが、少しずつ既に対応しています。詳細については、まとめてレスします。

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変遷情報検索の件。
[80316] 中島悟 さん
誤字はともかく、「ヶ」「ケ」以外も異字体を一括検索できるようにはならないでしょうか?
これは、前述の入力そのものの誤りの件とは別に、変遷情報検索の利用者の便宜を図るための観点で、異体字等を同一視する検索システムのご提言であると考えます。
例えば、「一ノ宮村」と思って検索しても想定したデータを発見できず、実は正式な村名は「一之宮村」であった場合。
本人が気づけば、「一之宮村」で再検索すれば事なきを得るのですが、「ない」「検索の不具合だ」となってしまっては元も子もないです。
こういった事態を避けるためにも、現在の
「ヶ」と「ケ」を区別しない
と同様に、便宜を図ろうとするものです。

[80319] グリグリ さん からもありましたが、以下に、「ヶ」「ケ」と同様の、私なりの案を示します。もし、他に何か対象とした方が良いものがあれば、お教えいただければ幸いです。

なお、以下に挙げるものをすべて対象とすると決定した訳ではありません。対象を広げ過ぎると、多大な負荷を与え、かえって検索の性能に影響を与えることがあり、利用者の便宜に逆行するおそれがあるからです。
グリグリさんから、いくつか試行し、その影響を検証してみようとの話がありましたので、それに先立ち示すものです。
なお、例は、実在するものとは限りません。イメージとして例示するものです。
番号対象備考
1ノ, の, 之, 野一ノ宮, 一の宮, 一之宮, 一野宮一宮 をこれに加えるのは困難か
2ヶ, ケ, が関ヶ原, 関ケ原, 関が原関原 をこれに加えるのは困難か
3島, 嶋
4曽, 曾
5館, 舘
6沢, 澤
7滝, 瀧
8竜, 龍
9篭, 籠
10条, 條
11峰, 峯, 嶺
12弥, 彌
13岳, 嶽
単に旧字体・新字体の差異もあれば、異体字もあります。[74087]拙稿で「旧字体・新字体の表記方法について」として方針を述べています。
[80302] 2012年 2月 18日(土)08:41:1288 さん
地名の成り立ち
[80276][80281] EMM さん

門前町門前の件、[80271]拙稿の投稿前に輪島市門前町門前付近の地図で、各字の境が錯綜していることは確認していました。例えば参道は沿道の家屋敷地と異なり切り取ったように「門前町門前」であることも。
M22.4.1の市制町村制施行前に、「門前村」や「走出村」があったこともあり、そのままの投稿となったわけですが、確かに、おっしゃるように「スジ悪」であったようで、 門前町剱地などを挙げれば、紛れもなく、私の趣旨の主張は全く問題はなかったところです。
正式な住所表示が明白な輪島市門前総合支所(旧門前町役場)の住所の例にこだわり過ぎたのは反省点です。

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#以下は特にEMMさんあてに限定したものではありません。念のため。
#異論がある方ももちろん多いとは存じますが、観点の一つとして見ていただければと思います。

私が近世村に主眼を置いているのは確かですが、その理由は、単に近世村であるからではなく、さらに遡ると・・・自然発生的に生まれた「自然地名」につながる、ということを見据えているからです。
私の[80270][80271]では、記事番号を紹介しただけで内容には触れなかったのですが、私のもっと根底の主張は、[61545][61847]で述べています。
[61545]
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。「現在の」住民の感覚で判断するからさまざまな誤解が生じるのではないか、と。
[61847]
人類は地上で集団生活をしなければ種の保存も個体の保存も不可能であった。いつ(季節・時間)、どこ(地名)にいけば、どんな食料が得られ、あるいはどんな危険があるのか、集団生活で周知しあわなければ生きていけなかった。多層、多重の集団社会では『あそこ』『こっち』と言う代名詞だけでは円滑なコミュニケーションは成り立たず、必然的に、場所を特定するための言語=地名を大地の部分に命名して使いこなす必要があった。
(「こんな市名はもういらない!」(楠原佑介著、2003年4月30日初版発行、東京堂出版)の要約)
あとから命名した「人為地名」ではなく、その地に人類が初めてつけた、自然発生的な地名こそが、1000年前でも、現在でも、1000年後でも、どの時代でもたかだか100年しか生活しない、「点」に過ぎない個々の「ヒト」が、「線」となった「人類」として見た場合に、「自然地名」が普遍的に最も歴史性を備えた地名であると考えています。

全体の印象として。すごく大雑把な、個人的な印象かもしれませんが、城下町等により開発された地区よりも、いわゆる農村地区の方が、人類が生活し始めて自然発生的に生まれた「地名」が、現在に至るまで残っているように感じます。

私の居住する「高松」も、500年前に他地域の地名を持ってきて命名された、『新しい』地名です。
元々は讃岐国香東郡篦原(のはら、野原とも)郷です。天正15年(1587年)8月、生駒親正が前領主に代わって讃岐国の領主となり、その翌年天正16年(1588年)から城を築き、それまでの高松左馬之助の居城があった郊外の「高松郷」の名を採って、城下を高松、城は高松城(玉藻城)と呼びました。源平の屋島の合戦以来全国によく知られた高松に、との意識もあったようです。
本来の「高松」は、現在の高松市高松町。山田郡高松郷で、「高松」の由来は各説あります。
・古くからこの地に「大松樹」があった(翁媼夜話)
・当地では中国から渡来した漢民族の居住地には高を用い、格別に松をめでたい木としたものから、高松はこの渡来人の居住地に由来(高松地名考)。
「高松郷」の名は、平安期「和名抄」(和名類聚抄)にも見えます。
この「高松」は、城下の「高松」と区別するために江戸期からは「古高松」と呼ばれました。
#参考資料
・「角川日本地名大辞典 37香川県」(角川書店、「角川日本地名大辞典編集委員会編、昭和60年10月8日平成5年2月25日」)
・「香川県の歴史」(山川出版社、木原博幸・丹羽佑一・田中健二・和田仁著、1997年10月25日第1版第1刷発行)
・「香川県史 第三巻 通史編 近世I」(平成元年2月28日発行、香川県編集・発行)
・「高松城主とその時代」(高松市歴史民俗協会、越智繁杉著、昭和62年3月初版、平成8年10月改訂)
高松城の歴史 (高松市HP内)
現在でこそ「高松市」ですが、「篦原市」「野原市」となっていた可能性も十分ある、その方が、歴史性はある、ということを、私は思い出したように意識することが多々あります。

もちろん、この500年の人類の「歴史」を、他の生物とは異なり、人類特有の文明とともに歩んできた発展の歴史として、ともに歩んできた地名を肯定的に捕らえる考え方もあると思います。
地域要因・個別要因によるのでしょうが、当地付近では、「和名抄」にもある地名が、大字等として多数残存しているように感じます。


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