[99336] むっくんさん、市区町村変遷情報へのたくさんの修正情報をありがとうございます。
[99337] MIさん、山形県高畑村(高畠村)への追加情報をありがとうございます。
お二人の根拠とされている資料はいずれも当時のものであり、どの資料を根拠とすべきか非常に難しいと悩んでいます。ちなみに、角川日本地名大辞典山形県や市町村名変遷辞典では次のようになっています(角川は年号のみ)。
1889(M22).4.1 | 高畠村が村制施行 |
1895(M28).12.12 | 高畠村が町制施行し高畑町 |
1905(M38).1.? | 高畑町を高畠町へ改称 |
お二人の提示された資料を総合的に判断して、やはり上記の流れが一番妥当なのではないかと考えました。すなわち、M22の村制施行時は「高畠村」と考えるのがより信憑性が高く、
[99337] MIさん
山形県東置賜郡高畠町に関する件ですが、数年前に山形県庁内にある行政情報センターで確認した明治28年12月12日山形県告示第262号は
東置賜郡高畑村ヲ高畑町ト改稱ス
同郡赤湯村ヲ赤湯町ト改稱ス
であって、市制町村制施行時から「高畠」ではなく「高畑」であったのです。
上記告示の「高畑村」は、施行前の名称に頓着しなかった結果ではないかと考えたい。また、M38の改称はかなり信憑性が高いことから、
[99336] むっくんさん
そして山形県統計書(明治32年)でも山形県統計書(明治36年)でも山形県統計書(明治38年)でも山形県統計書(明治41年)でもM28.12.12に高畠村→高畠町となったとあります。
よって、1889(M22).4.1で高畠村、1895(M28).12.12に高畠村に町制施行で高畠町だと考えられます。
これも名称に頓着しなかった結果ではないかと考えたいと思います。
以上の判断を元に、現在の変遷情報については、お二人の記事への参照を詳細情報に付記した上で、以下のように修正したいと思います。
1889(M22).4.1 | 新設/村制 | 東置賜郡 | 高畠村 | 東置賜郡 高畠村, 安久津村, 小郡山村, 泉岡村, 塩森村, 金原村 |
1895(M28).12.12 | 町制 | 東置賜郡 | 高畑町 | 東置賜郡 高畠村 |
1905(M38).1.13 | 改称 | 東置賜郡 | 高畠町 | 東置賜郡 高畑町 |
なお、現在の高畠町HP内に
高畠地区 地区づくり計画というpdf資料があり、2ページ目にある「地区の概要」の説明は上記の流れを裏付けています。
明治22年の村々合併により高畠村として誕生して以来118年の歴史があり、明治28年の町制施行による高畑町への改称、明治38年の高畠町への町名変更、昭和29年の高畠町・二井宿村・屋代村・亀岡村・和田村の1町4カ村の合併や昭和30年の糠野目村との合併など様々な変遷はあったものの、役場所在地区として高畠町の中心地区の役割を担っている。
とここまで書いてきたのですが、私が書いた
[97023]の記事にある高畠町の例規集を確認したところ、町制施行の項目に次の記述がありました。
明治11年「東置賜郡役所」が当地に新設され、地方行政の中心地となり、明治22年市町村制の施行により高畑村を設置、明治28年町制の施行により同年12月12日高畑町制施行、明治38年1月「高畑町」を「高畠町」と改称、昭和28年9月町村合併促進法の施行に伴い、昭和29年10月1日高畠町、二井宿村、屋代村、亀岡村、和田村の一町四ケ村を合併し社郷町と称した。
昭和30年4月1日糠野目村の編入を期として高畠町と改称した。
現在の変遷情報でM22の村制施行を「高畑村」としたのはこの例規集の記述のためではないかと考えています。この記述と前述の「高畠地区 地区づくり計画」の記述には矛盾があることから、これは高畠町に直接確認する必要があると思いました。問い合わせすることとします。
[99336] むっくんさんの埼玉県以下の修正情報については改めて確認の上対応したいと思います。