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[81167]2012年7月22日
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[81160]2012年7月22日
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[81061]2012年7月10日
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[81060]2012年7月10日
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[81059]2012年7月10日
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[81018]2012年7月1日
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[81011]2012年6月30日
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[81009]2012年6月29日
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[81006]2012年6月29日
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[81167] 2012年 7月 22日(日)17:47:25【1】YT さん
寛永国絵図の美作国の石高の訂正
[81123]の1598年~1872年の旧国別石高の変遷の内、寛永十年巡見使国絵図の美作国の石高に誤りがあったので訂正します。[81123]では22万7115石としましたが、改めて川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房 (2002年)をチェックし、22万7715石の間違いであることを確認しました。それに伴い総石高も、2242万6237石9斗から、600石多い2242万6837石9斗へ修正されます。まあ、島原松平文庫『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」記載の江戸初期高と比較すると、どちらかが「壱」と「七」を混同して書き記した可能性が高いようにみえますが。

なお寛永十年巡見使国絵図では、端数切り捨てを意味する「余」という言葉が幾つかの地図に挿入されています。同様に島原松平文庫『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」でも三河国に限り「余」が挿入されています。以下、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」 (『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))記載の江戸初期高とともに寛永国絵図石高を再録します。

旧国江戸初期高(余)寛永国絵図高(余)
山城国216,070.700216,070.0
大和国444,134.000444,134.0
河内国308,857.620308,857.0
和泉国138,797.090138,797.0
摂津国290,902.100299,902.0
伊賀国95,594.10095,594.0
伊勢国572,786.900572,786.0
志摩国17,849.30017,849.0
尾張国480,841.700
三河国336,000.000350,000.0
遠江国268,800.000268,800.0
駿河国170,000.000170,000.0
甲斐国250,000.000250,000.0
伊豆国79,353.00079,353.0
相模国191,524.000191,920.0
武蔵国840,000.000840,000.0
安房国91,779.12091,779.0
上総国285,300.000285,300.0
下総国250,131.000250,140.0
常陸国753,600.000752,600.0
近江国832,122.600832,120.0
美濃国581,523.000581,523.0
飛騨国38,764.40038,764.0
信濃国547,360.000547,360.0
上野国468,000.000468,000.0
下野国464,000.000464,000.0
陸奥国1,729,000.0001,822,000.0
出羽国870,000.000870,000.0
若狭国85,099.60085,099.0
越前国682,654.000682,654.0
加賀国442,507.400442,507.0
能登国216,891.300216,891.0
越中国530,637.300536,037.0
越後国450,060.900606,370.0
佐渡国20,599.00020,599.0
丹波国280,570.200280,570.0
丹後国123,170.200123,170.0
但馬国123,960.000123,960.0
因幡国131,649.600131,649.0
伯耆国175,032.000175,032.0
出雲国223,477.100223,477.0
石見国137,370.000137,370.0
隠岐国11,802.90011,802.0
播磨国521,300.000
美作国227,115.500227,715.0
備前国286,200.000286,200.0
備中国227,894.800227,894.0
備後国238,838.000238,138.0
安芸国259,384.900259,384.0
周防国164,420.200164,420.0
長門国134,059.900134,050.0
紀伊国395,247.700395,247.0
淡路国63,621.10063,621.0
阿波国186,753.500186,753.0
讃岐国171,815.000171,815.0
小豆島3,186.700
伊予国381,640.800381,640.0
土佐国202,626.500202,626.0
筑前国522,512.400522,515.0
筑後国302,085.500302,085.5
豊前国330,744.644300,740.0
豊後国378,592.400378,592.0
肥前国561,437.400561,437.0
肥後国572,989.000572,989.0
日向国288,589.500288,589.0
大隅国170,828.100170,828.0
薩摩国315,251.700315,251.0
壱岐国15,982.30015,982.0
対馬国0.0008,163.0
合計22,171,689.67422,426,837.9

なお、川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』に収録されている国絵図は、主に岡山大学附属図書館所蔵の池田家文庫で、尾張国と播磨国の国絵図は、秋田県公文書館所蔵の日本六十余州国々切絵図によります。現在寛永国絵図が全国68ヶ国完全に揃っているのは秋田公文書館と山口県文書館で、岡山大学附属図書館所蔵は尾張と播磨を欠き、その他名古屋市蓬左文庫に過半数、東京大学総合図書館(南葵文庫)、熊本大学附属図書館(永青文庫)に十数ヶ国分が現存しますが、この内描法・彩色・書写がもっとも丁寧なのが池田本です。以下本書の解説からの引用です。

 以上の考察の結果から、伝存する余州国諸本は寛永10年(1633)に全国に派遣された諸国巡見の国廻りを通じて幕府へ収納された国絵図の写本であることが明らかとなった。そのうち本書に図版で収録した岡山大学附属図書館(池田家文庫)蔵の池田本は、秋田県公文書蔵の佐竹本、山口県文書館蔵毛利本とともに全国分ほぼ揃って存在する「日本六十余州図」のひとつである。
 寛永10年の巡見使国廻りが全国を6区に分けて実施されたことからすると、本来巡見使上納国絵図は分担区ごとに絵図様式に違いが生じていたはずである。ところで「日本六十余州図」は、村々記載の精粗、郡区分の有無、国境越え道筋での表記の違いなど巡見使の分担区ごとに内容に明らかな差異があるにもかかわらず、絵図様式は全国すべて一様である。このことは「日本六十余州図」が巡見使国絵図を原拠とする写本ではあるものの、その後に様式の統一をはかって全国をいっせに描き直した二次的写本であることを推測させる。
(中略)
 ところで、この二次的写本とみられる「日本六十余州図」の成立時期については、寛文11年(1671)頃ではないかと考えられる。池田本をはじめいくつかの余州図の付箋に記される城主の揃う時期が寛文11年であることは、この年に古くなった全国の一次的写本がいっせに描き直されて、居城に付箋がつけられたと想定できよう。
(中略)
 「日本六十余州図」が寛永10年巡見使国絵図の二次的作品であるとはいえ、慶長国絵図が全国揃って残されていない現在では、この写本は全国を網羅して現存するもっとも古い江戸幕府の国絵図である。絵図面が比較的扱いやすい手頃な大きさであることから、地理的情報がとぼしかった江戸前期ないし中期において全国を知る地図資料として有力大名家間にてこれが模写・転写されたものと考えられる。
[81160] 2012年 7月 22日(日)02:22:55YT さん
北海道庁現行布令便覧 ほか
[81135] むっくんさん

M31.7.31現在の連合戸長役場であるならば北海道庁現行布令便覧(明治三十一年)(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)に載っています。

『北海道庁現行布令便覧』のご紹介ありがとうございます。さらに明治19年から明治27年までは、『北海道庁布令全書』というのが発行されているようですが、近代デジタルライブラリーをみる限り、各年の戸長役場の所在地まではまとめてはないようですね。

[81149] オーナー グリグリさん
川西村(町)が圧倒しています。これだけの差があると何か要因があるように考えられます。

とりあえず、川東、川南が少ない理由は、日本語の音韻論で説明できると思います。川東や川南と書いた場合、ほぼ訓読みで「かわひがし」や「かわみなみ」なると思いますが、日本語であれば音韻(モーラ)数が4や3の省略を好む傾向があり、5モーラの「かわひがし」や「かわみなみ」よりも4モーラの「こうとう」「こうなん」や3モーラの「かとう」「かなん」が口にしやすいのはないでしょうか?

もっとも兵庫県や福島県の河東、石川県の河南は「かわひがし」「かわみなみ」ですし、「かわきた」が少ないことの説明にはなりませんので、彼岸や西方浄土などの仏教思想の影響があるのかも知れません。
[81125] 2012年 7月 16日(月)17:33:11【1】YT さん
正保郷帳の石高に関する混乱
[81123]の正保郷帳の石高については説明が必要なので稿を改めます。

正保郷帳を調べる過程で、和泉清司著 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院 (2008年)と出会い、郷帳への認識を改める必要があるように感じました。
元禄郷帳や天保郷帳は村高が列挙されているだけですが、正保郷帳は各村毎に村高、田方、畑方が記載され、最後集計に本高、寺社領、新田高、小物成等がまとめられています。一方、正保国絵図の方には、新田高は原則として記入されてないようです。このため、正保石高は二系統の数字が存在することになります。おそらく東京大学史料編纂所の『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の石高は、種々の寛永国絵図、正保国絵図に記載されていた石高をまとめたもので、実際に郷帳に書かれた数字との乖離があるのでしょう。参考までに陸奥国津軽領分の正保郷帳の石高をまとめると以下の通りで、郷帳の数字を足すと津軽領分の村数は336、石高は10万2468石8斗ですが、国絵図に書かかれる数字は村数134表高4万5000石です。

区分村数村高合計田方畠方不一致
平賀郡本村分4219,265.06017,479.5201,573.020212.520
平賀郡新田分3315,633.940
平賀郡合計75.00034,899.000
田舎郡本村分3811,376.57010,260.4201,116.350-0.200
田舎郡新田分12018,401.700
田舎郡合計15829,778.270
鼻和郡本村分5414,358.37013,209.6301,147.7401.000
鼻和郡新田分497,972.890
鼻和郡合計10322,331.260
津軽領分本高13445,000.00041,160.4403,839.5600.000
津軽領分本高不一致00.000210.8702.450
津軽領分新田高(本村分)15,460.260
津軽領分新田高(新田分)202.00042,008.530
津軽領分新田高合計57,468.800
津軽領分新田高不一致0.010
津軽領分総計336102,468.800

ただ現時点で自分は正保国絵図の原本を見る機会はありません。また郷帳のまとめ方も地域によって揺れがあり、ある郷帳では本高で集計した後、寺社領高、小物成、新田高を別に記していますが、一方では、寺社領を本高に加えたり、あるいは新田高も本高に加えて集計している郷帳も存在します。そこで以下、とりあえず郷帳の総計として取り上げられているものを「草高」、新田高など全てを合計したものを「内高」として集計しました。なお斗以下の数字の方は『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』に収録されているCD-ROMの方に入っています。村数もCD-ROMの収録分を参考にし、「新田村」「枝村」の数字が分かっている分に関しては村数に加算しました。また貫高等、石高以外のものは石高の計算に含めませんでしたが、陸奥国仙台領分については例外として1貫高=10石の換算を実施しました。参考までに菊地利夫『新田開発』と東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』収録の正保郷帳石高も列挙します。

旧国正保草高正保内高村数典拠菊地利夫村高比較表
山城国215,985.62170411郷帳215,982215,986.34817
大和国469,380.624601,220村高比較表459,380469,380.62460
河内国264,952.34320265,518.42520459郷帳264,952264,952.34100
和泉国159,117.72700159,628.55800279郷帳159,326159,326.77100
摂津国375,496.75500380,875.39700742郷帳375,478375,478.86000
伊賀国100,538.00000145国絵図100,540100,540.00000
伊勢国596,334.68500658,896.319001,089郷帳585,065585,065.16400
志摩国19,290.3260055国絵図20,06120,061.00000
尾張国526,493.51000919郷帳483,432
三河国350,880.05800359,991.680001,181寛永16年郷村帳350,888
遠江国280,733.49000301,404.18624930郷帳280,696280,696.00500
駿河国191,315.69100732郷帳191,315191,315.69100
甲斐国234,327.38100730国絵図245,298245,298.70600
伊豆国79,653.20800265国絵図79,65379,653.20800
相模国206,812.01700605寛文年中郷村帳220,617220,617.70000
武蔵国982,337.96580989,725.333802,415郷帳982,327982,337.96580
安房国92,641.68000245郷帳92,64192,641.68000
上総国351,731.00000971国絵図378,892
下総国444,829.84200928村高比較表444,829444,829.84200
常陸国840,801.828901,546村高比較表840,048840,801.82890
近江国830,594.42600833,636.883001,441郷帳832,122832,122.00000
美濃国627,966.11200628,912.852001,254郷帳609,718609,718.92800
飛騨国38,764.40000215慶長郷帳38,76438,764.40000
信濃国544,770.33800578,406.405001,346郷帳548,600
上野国515,221.29926520,963.875261,133寛文8年郷村帳515,214515,215.00000
下野国565,975.62000618,592.330001,118郷帳568,733568,733.91000
陸奥国1,702,588.351403,8381,672,8061,829,000.00000
[会津領分]257,029.00000770文禄3年郷村帳
[白河三春二本松領分]315,169.00000528国絵図
[磐城棚倉相馬領分]205,026.59540254,279.16440548郷帳
[米沢領分]121,186.92500148国絵図
[仙台領分]654,110.88000745,293.38000970郷帳
[南部領分]105,065.95100538郷帳
[津軽領分]45,000.00000102,468.80000336郷帳45,00045,000.00000
[磐城国]438,137.67540489,715.07440895
[岩代国]533,876.925001,089
[陸前国]434,938.85000506,025.74000692434,860434,938.85000
[陸中国]218,681.81400236,452.59400545
[陸奥国]72,437.29900129,906.09900503
出羽国951,523.476001,124,394.893002,113郷帳965,674951,523.47700
[米沢領分]180,000.00000196,994.58400348186,990186,990.00000
[山形領分]337,610.45900340,883.68800388337,610337,610.45900
[新庄領分]36,158.7420042,715.513005436,15836,158.74200
[庄内領分]195,373.04800268,128.71500690149,117195,373.04800
[秋田領分]200,251.33900273,542.50500626255,799202,381.22700
[羽前国]649,480.35200722,672.698001,071656,458656,470.35200
[羽後国]299,913.23600399,592.307001,035309,216302,043.12400
若狭国85,460.08890209郷帳85,09985,099.67000
越前国680,293.308001,393郷帳682,182622,182.00000
加賀国422,958.60000440,399.15000751郷帳422,957422,957.61000
能登国225,006.15000255,555.71000564郷帳225,006225,006.10000
越中国592,415.66000660,718.380001,117郷帳592,415592,415.00000
越後国611,960.427002,682国絵図611,960
佐渡国24,812.01200251国絵図24,81224,812.01200
丹波国289,829.14600777郷帳289,829289,829.14700
丹後国123,175.01000292国絵図123,175123,175.00000
但馬国129,069.75700607国絵図129,069129,069.75700
因幡国149,742.50000515寛永15年郷村帳149,539149,539.00000
伯耆国170,257.50000704寛永15年郷村帳170,254170,254.00000
出雲国253,596.79200500国絵図253,597253,597.64760
石見国139,242.99100413国絵図139,401139,401.53700
隠岐国11,601.3930061国絵図11,60111,601.39300
播磨国542,130.12700554,629.787001,570郷帳562,291562,291.44700
美作国186,500.00000237,630.30000594郷帳186,500186,500.00000
備前国280,200.00000296,402.00000897郷帳280,200280,200.03000
備中国236,491.825001,221郷帳236,691236,691.82500
備後国248,015.28700457元和5年郷村帳248,606248,606.91000
安芸国266,862.55600267,851.97100433元和5年郷村帳265,071265,071.18600
周防国202,787.60000152郷帳202,787202,787.60000
長門国166,623.40000152郷帳166,623166,623.40000
紀伊国398,395.453001,258国絵図398,395398,395.45300
淡路国70,186.50000220国絵図70,18670,186.50000
阿波国186,753.58300451国絵図186,753186,753.58300
讃岐国238,028.33100321寛永17年郷村帳173,554173,554.22700
伊予国400,271.87300402,538.14200939郷帳400,271400,271.87300
土佐国248,328.12000254,378.12000463寛文4年郷村帳202,626202,626.00000
筑前国522,512.60130617,948.27590741郷帳522,512522,512.60130
筑後国331,490.00000707国絵図302,089302,089.00000
豊前国231,680.00000602国絵図231,680321,680.00000
豊後国357,300.51500364,364.521171,418郷帳378,592378,592.00000
肥前国565,655.359601,505国絵図561,437561,437.00000
肥後国579,711.78700617,803.077001,112郷帳572,980572,980.00000
日向国290,180.97300375国絵図288,589288,589.00000
大隅国170,833.45100230寛文4年郷村帳170,82817,828.00000
薩摩国315,005.60012256国絵図283,482315,251.00000
壱岐国17,568.0300041国絵図15,98215,982.00000
対馬国6,269.71500121郷帳
琉球国123,711.8134869国絵図
[大島]32,828.7000017
[本琉球]90,883.1134852
合計23,653,973.6122624,572,941.7682755,46623,342,672

典拠のうち、郷帳、国絵図はそれぞれ正保郷帳、正保国絵図とされるもので、郷帳や国絵図が存在しない地域は、近い年次の郷村帳によります。なお、大和国、常陸国、下総国に関しては東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字を使いました。下総国は和泉清司本に数字がなく、また常陸国に関しては寛永年中郷村帳(54万1967石0斗6升4合)、大和国に関しては寛永16年郷村帳(44万4056石9斗2升、外屋敷高450石8斗6升1合)の数字があるものの、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字の方は郡別石高があり、何らかの国絵図から数字を採用し、さらに寛永年中の石高よりも数字が更新されていると推測されたため、これらに関しては『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字を使いました。文禄3年の蒲生領高の数字を採用している陸奥国会津領分、慶長郷帳の飛騨国、寛永の数字を使っている三河国、因幡国、伯耆国、讃岐国に関しては、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の方でより良い数字が見当たらないので(ほぼ同じ数字、あるいはより古い数字が採用されている)、和泉清司本の数字を採用しました。村数の内、相模国、下総国、常陸国などは菊地利夫本からの採用です。

また陸奥国内の旧国別人口の合計、出羽国内の旧国別人口の合計がそれぞれの草高、内高と一致しませんが、これは陸奥国南部領分と出羽国の郡別石高の合計と総計が一致しておらず、一部郡別の内訳が記されていない小物成高や新田高等が草高や新田高に加えられているせいです。村数についても一致しない箇所がありあすが、例えば出羽国の場合、個々の郡別本村数・新田村数と合計が一致しませんが、新田村の名前が記載されていない郡もあるため、正確な数字を検証できないためです。

津軽領分の事例を見れば分かるように、これらの石高は米の生産力だけを表したものではなく、麦や大豆、塩、あるいは屋敷や林など、面積で表せるものは米の生産力に換算した石高を設置して、租税を徴収していたわけです。また米で納められないものは物納や金納となり、面積で表せないものは小物成として別個記載されました。

一応石高はおおよそ第一次産業の生産高を米の収穫高に換算した数字で、実際に取れる米の収穫量は、これらの石高を下回るはずです。それでは実際の米の収穫高はどの程度だったのでしょうか?それについて次回まとめたいと思います。
[81124] 2012年 7月 16日(月)17:26:58【5】YT さん
1598年~1872年の旧国別石高の変遷 それぞれの史料について
以下[81123]の表の解説です。

【(1) 慶長3年】 『大日本租税志』「慶長三年検地目録」
[72089]でも紹介しましたが、慶長3年(1598年)の石高は『大日本租税志』収録の『慶長三年検地目録』によります。太閤検地の結果として色々な書物に引用されていますが、検地が十分実施されなかったところは石高が低目に出ています。

【(2) 江戸初期】 島原松平文庫 『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」
ここに引用する数字は、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」 (『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))記載のものです。なお原本では下総国の石高は空欄ですが、総石高2217万1689石6斗7升4合から他国の石高を引くことにより25万0131石と求まり、これは寛永10年の国絵図の下総国石高25万0140石とほぼ同じです。また出羽国石高石高には上杉弾正分10万石を含み、讃岐国石高には小豆島3186石7斗を含みます。

この江戸初期高で重要な点は、おそらく慶長10年(1605年)に徳川幕府によって提出を求められた慶長郷帳や慶長国絵図の石高だろうと考えられることです。大野瑞男による解説によると

江戸初期高は島原松平文庫「御当家雑記」一にある「日本国知行高之覚」による。このうち江戸初期の高とするものは、同書に「御統家ニ相定所也」とあり、これは慶長十年の国絵図・郷帳高と思われる。しかし国によって若干の違いがある。
 「鉄醤塵蓋抄」によれば、周防・長門の指出高八九万二千四〇〇石余、内一二万石が毛利秀元領、長府領五万石弟就清領、周防徳山領三六万九四〇〇石余、新田二九万三〇〇〇石余、合計六六万二四〇〇石秀就台所入となっている。「国主城主記」には、伊賀八万一〇〇〇石余(筒井伊賀守定次慶長十年指出高)、出雲・隠岐二十三万五〇〇〇石(堀尾出雲守忠氏慶長十年指出高)、美作一八万六〇〇〇石余(森美作守忠政慶長八年高)、二二万七〇〇〇石(慶長十年指出高)、備前三一万五〇〇〇石(池田三左衛門輝政慶長二年高)、二八万六〇〇〇石余(慶長十年指出高)、安芸・備後四九万八〇〇〇石余(福嶋左衛門大夫正則慶長五年指出高・十年指出高)、紀伊三七万四〇〇〇石(浅野紀伊守幸長慶長五年高・十年指出高)、阿波一八万六〇〇〇石余(蜂須賀彦右衛門家政天正十三年高・慶長十年指出高)となっており、このほか肥前・豊前・日向の石高記載もあるが、城地別の記載のみであって、総国高は知ることができない。
 「鉄醤塵蓋抄」の記載はともかく、「国主城主記」の記載の慶長十年高と「御当家雑記」の石高の千石以下の端数を除いたものであることが判明する。
 次に現在知られている国絵図・郷帳の石高と比較すると、摂津国絵図の高頭目録高二九万〇〇六八石六斗に対し、「御当家雑記」の石高は二九万〇九〇二石一斗で、八三三石五斗の差がある。外小物成分は六六八石一斗六升であるからこれとも一致しない。越前国絵図には総高六八万〇三二七石一斗二升とあり、「御当家雑記」の石高の六八万二四五四石とは差がある。周防・長門国絵図には周防六郡高辻一六万四四二〇石二斗一升二合、長門八郡高辻一三万四〇五九石九斗九升一合とあって「御当家雑記」の石高とは全く一致する。また福原家文書「慶長九年御両国物成御下書上ゲ」では、周防・長門両国高は二九万八四八〇石で「御当家雑記」の両国石高合計と一致する。慶長十年八月山内一豊が幕府に録上した土佐国総目録には、高二〇万二六二六石五斗とあり一致する。筑前国絵図の絵図目録記載五〇万二四一六石三斗一合三勺と比較すると、五二万二五一二石四斗と二万石以上の差違がある。慶長十年十月十五日の小豆島絵図の高頭目録の高都合は三一八六石七斗で、「御当家雑記」の石高とこれも一致する。
 以上のように国によっては相違はあるものの、「御当家雑記」の「日本国知行高之覚」の江戸初期高は、ほぼ慶長十年国絵図・郷帳高とみてよいであろう。

現在慶長郷帳は3点しか残っていませんが、活字化された慶長10年の飛騨国の郷帳は『岐阜県史 史料編 近世一』収録の「金森素玄領飛騨国石高帳」で読むことができます。最後の部分を引用すると

三郡之高
 惣都合三万八千七百六拾四石四斗
 内 田方弐万五千四百七拾五石三斗弐升七合
   畑方壱万三千弐百八拾九石七斗三合
 此物成都合壱万弐千百拾五石八斗三升余
               但三ツ一分弐朱八リンニ当ル
慶長拾乙巳季九月日 金森兵部卿法印素玄

ただ村高を並べているだけの元禄郷帳や天保郷帳に比べ、慶長郷帳は各村毎の石高と、田方、畑方の石高、物成(実際の租税収入)を列挙しており、はるかに情報量が多くなっています。さらに上の飛騨国の場合は田方、畑方、物成の記載のみですが、必要に応じて小物成(貨幣納による租税)、寺社領なども記載されました。これらの数字は現存する国絵図にも記載されているそうです(この辺については黒田日出男「江戸幕府国絵図・郷帳管見-1-慶長国絵図・郷帳について」 (『歴史地理』 93(2), pp. 71-94 (1977年))、現存慶長・正保・元禄国絵図の特徴について : 江戸幕府国絵図・郷帳管見(二) (『東京大学史料編纂所報』 15, pp. 1-21 (1980年))等に詳しい説明があります)。

それはともかくとして、慶長3年からわずか7年の慶長10年の段階で、日本全国の石高が1851万石から2217万石と、366万石も増えています。これは新田開発だけでは説明がつかず、検地が徹底したことが最大の原因と言えます。よってこの2217万石を、1600年頃の実際の石高だと考える人も多くいます。

【(3) 寛永国絵図】 「寛永十年巡見使国絵図」
寛永10年(1633年)、江戸幕府が諸国へ巡見使を派遣し徴収した国絵図で、石高は川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房 (2002年)を私が実際に読んで、書き集めました。尾張国と播磨国に関しては石高が書かれていないので、江戸時代初期高の数字を使って総石高を計算しました。また讃岐国の石高17万1815石に小豆島の石高3186石7斗を加算すると、讃岐国の江戸初期17万5001石7斗と等しくなり、合計の方では小豆島の石高も加算しました。

実際のところ寛永国絵図の石高は江戸時代初期高とほぼ同じで、三河、陸奥、越後、対馬で石高に改訂が見られるほか、誤記か改訂か微妙なもの(摂津、相模、常陸、越中、備後、豊前)が並んでいます。

【(4) 正保郷帳】
これについては後で詳しく説明しますが、用いた資料は

● 和泉清司 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院 (2008年)
東京大学史料編纂所所蔵の内務省令写『正保・元禄・天保・明治村高比較表』

の二点です。

一般に江戸時代の過去の石高として引用されているのは、菊地利夫著『新田開発』ですが、この内旧国別石高・村数、あるいは郡国別石高・村数の記述があるのは以下の2つの版で、他の同じ著者による『新田開発』には石高が載っていません。
● 菊地利夫著『新田開発』, 至文堂 (1963年):旧国別石高が掲載されている
● 菊地利夫著『新田開発 - 続 事例編』, 古今書院 (1986年):郡国別石高が掲載されている
両者で一部石高、村数に変更があります。

【(5) 元禄郷帳】
石高は大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」(『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))によります。但し磐城国白川郡の石高修正に伴い、磐城棚倉相馬領分と磐城国の石高に修正を加えてます([80368]参照;なお[80368]で「該当する郡は磐城国白河郡」と書いてしまいましたが、「磐城国白川郡」の間違いです)。郡別石高については[80366][80367][80368][80369][80370][80371][80377]参照。なお元禄郷帳の石高は原則として「表高」です。

【(6) 天保郷帳】
石高は木村礎校訂『旧高旧領取調帳』, 近藤出版社 (1969年~1979年)、近世繪圖地圖資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 解読篇』, 科学書院 (2009年~2010年)、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」(『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))などによりますが、原本の実物を国立項公文書館で見ることができます。郡別石高については[76916][76917][76918][76919][76920][76921][76922]参照。なお天保郷帳の石高は「内高」が原則となっているはずなのですが、主だった藩が適当な報告をしていることが様々な研究により分かっています。例えば長州藩の「郷村高帳草案」によると、支藩を含む天保の周防・長門両国の内高は97万0941石8斗1升5合5勺1才と集計していますが、実際に幕府へ報告した内高は、各村毎に一律石高を減じ、寛政4年(1792年)の検地高である89万4282石1斗を報告しています。徳島藩では把握した石高を一割ほどカットし、新田村を無視し、既に消滅した村を含めて適当に村高を分配し、合計がカットした数字と一致するように報告しています(宇山孝人「阿波藩における幕府への報告石高の内実 - 天保郷帳を中心として」 (『徳島県文書館研究紀要』 (3), pp. 14-26 (2002年))参照)。加賀藩も新しい村の報告を怠っていることは、元禄郷帳と旧高旧領取調帳との比較から明らかで、薩摩藩はそもそも正保郷帳の時代から一貫して同じ石高を報告し続け、表高をもって内高であるという建前を貫いています。

【(7) 郡村石高帳】
石高は東京大学史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』によりますが、薩摩国・大隅国の石高は『明治八年 共武政表』による修正を加えました([81068]参照)。明治5年(1872年)の石高であることは、[80384][80385]で考察した通りで、郡別石高については[81059][81060][81061][81062][81063][81064][81065][81066][81067][81068]参照。

表にはまとめられませんでしたが、『旧領旧高取調帳』の石高([76816][76817][76818][76819][76820][76821][76822])は、明治3年(1870年)頃の石高の状況を示していると考えられます。

飛騨国の慶長郷帳ついでに『岐阜県史 史料編』を読んだところ、美濃国・飛騨国に関する『旧領旧高取調帳』の原書と思われるものが「明治元年同四年美濃国郡村旧高及所轄沿革取調帳」、「明治元年明治四年飛騨国大野益田吉城郡村々旧高及所轄沿革取調帳」という表書きで岐阜県立図書館に所蔵されているそうで、岐阜県の『旧領旧高取調帳』は、廃藩置県の行われた明治4年(1871年)に前年度の明治3年(1870年)段階での地租の状況をまとめたか、あるいは明治4年(1871年)度までの府藩県三治制下での地租の状況を、明治5年(1872年)以降にまとめたかということになります。
[81123] 2012年 7月 16日(月)17:21:50【1】YT さん
1598年~1872年の旧国別石高の変遷
[81081] オーナーグリグリさん
落書き帳への大量の連続書き込みであり、気になる方もいらっしゃるかと思います。

すみません。郡別データに関しては、[81068]で打ち切りです。

江戸時代の石高のデータとしては、あと慶長郷帳と正保郷帳が残っていますが、現存する慶長郷帳は3ヶ国分、現存する正保郷帳が33ヶ国分36点だけであることから、完全な再現はほぼ不可能です。江戸時代に作成された郷帳・国絵図に関する詳しい説明に関しては、和泉清司「近世初期一国郷帳の研究 - 正保郷帳を中心に」(pdf) (『地域政策研究』, 8(2), pp.1-19 (2005年))に載っています。

とりあえず、1598年から1872年までの旧国別石高については、以下の通りです。旧国別石高については、菊地利夫著『新田開発』, 至文堂 (1963年)、および菊地利夫著『新田開発 - 続 事例編』, 古今書院 (1986年)がよく引用されていますが、正保と明治の数字はかなり不正確です。以下に示す石高は、現時点でもっとも記録された石高に近いものを列挙できたものと思います。

旧国慶長3年江戸初期寛永国絵図正保郷帳元禄郷帳天保郷帳郡村石高帳
山城国225,262.00216,070.700216,070.0215,985.62170224,257.78816230,131.760865222,368.70517
大和国448,945.50444,134.000444,134.0469,380.62460500,497.30868501,361.691560503,686.23676
河内国242,105.80308,857.620308,857.0265,518.42520276,329.82954293,786.634500293,118.58720
和泉国141,512.70138,797.090138,797.0159,628.55800161,692.12640172,847.986000176,190.77610
摂津国356,069.10290,902.100299,902.0380,875.39700392,707.69987417,399.127000416,521.93580
伊賀国100,000.0095,594.10095,594.0100,538.00000100,540.00200110,096.536000110,917.96640
伊勢国567,105.14572,786.900572,786.0658,896.31900621,027.44200716,451.492700714,376.41500
志摩国17,854.9117,849.30017,849.019,290.3260020,061.6410021,470.39800019,279.20300
尾張国571,737.40480,841.700526,493.51000521,480.51800545,875.793000764,774.16620
三河国290,715.00336,000.000350,000.0359,991.68000383,413.44230466,080.746800472,373.71000
遠江国255,160.00268,800.000268,800.0301,404.18624328,651.43658369,552.575180372,546.34901
駿河国150,000.00170,000.000170,000.0191,315.69100237,937.40728250,538.753090251,954.16486
甲斐国227,616.00250,000.000250,000.0234,327.38100253,023.27103312,159.329490312,185.17685
伊豆国69,832.0079,353.00079,353.079,653.2080083,791.2823584,171.29362084,037.20836
相模国194,304.00191,524.000191,920.0206,812.01700258,216.58202286,719.756890289,776.73197
武蔵国667,126.00840,000.000840,000.0989,725.333801,167,862.983391,281,431.0688201,282,000.77090
安房国45,045.0091,779.12091,779.092,641.6800093,886.2102395,736.23907095,641.42350
上総国378,892.00285,300.000285,300.0351,731.00000391,113.95411425,080.453410427,313.77094
下総国393,255.00250,131.000250,140.0444,829.84200568,331.11374681,062.631660687,373.86055
常陸国530,008.00753,600.000752,600.0840,801.82890903,778.458001,005,707.489030921,629.15250
近江国775,379.00832,122.600832,120.0833,636.88300836,829.72078853,095.305590857,849.52528
美濃国540,000.00581,523.000581,523.0628,912.85200645,101.50300699,764.321660729,654.88365
飛騨国38,000.0038,764.40038,764.038,764.4000044,469.2190056,602.30900057,196.05800
信濃国408,358.00547,360.000547,360.0578,406.40500615,818.73754767,788.077600786,950.00098
上野国496,377.00468,000.000468,000.0520,963.87526591,834.44887637,331.633100635,851.10734
下野国374,083.80464,000.000464,000.0618,592.33000681,702.80146769,905.027038758,648.44071
陸奥国1,672,806.001,729,000.0001,822,000.01,900,492.220401,921,934.887452,874,239.0598803,007,005.48628
[会津領分]257,029.00000272,011.81600337,218.127500343,656.44250
[白河三春二本松領分]315,169.00000341,022.55885434,581.248070439,753.20706
[磐城棚倉相馬領分]254,279.16440277,935.46360300,419.556810328,427.89967
[米沢/福島領分]121,186.92500199,867.89900203,825.844500204,216.18405
[仙台領分]745,293.38000600,000.00000992,057.260000994,594.59300
[南部領分]105,065.95100128,000.00000288,874.793000355,370.11100
[津軽領分]102,468.80000103,097.15000317,262.230000340,987.04900
[磐城国]438,137.67540517,082.53095613,924.675660650,488.88237
[岩代国]533,876.92500641,269.51650755,703.961220760,923.54591
[陸前国]506,025.74000398,958.83000697,838.180000700,649.30800
[陸中国]236,452.59400228,520.61400423,134.490000471,842.91200
[陸奥国]129,906.09900136,103.39600383,637.753000423,100.83800
出羽国318,095.00870,000.000870,000.01,124,394.893001,126,248.834401,295,323.5214401,515,446.19503
[米沢領分]196,994.58400193,993.53420216,161.220230337,240.91500
[山形領分]340,883.68800352,513.70720366,147.135970365,370.03946
[新庄領分]42,715.5130051,072.3418062,387.45380084,057.51631
[庄内領分]268,128.71500198,618.39220234,302.356140235,244.72071
[秋田領分]273,542.50500330,050.85900416,325.355300493,533.00355
[羽前国]722,672.69800733,879.23040804,569.693740946,971.30568
[羽後国]399,592.30700392,369.60400490,753.827700568,474.88935
若狭国85,000.0085,099.60085,099.085,460.0889088,281.5224091,018.82220091,767.05810
越前国499,411.00682,654.000682,654.0680,293.30800684,271.80960689,304.819870690,243.61775
加賀国355,570.00442,507.400442,507.0440,399.15000438,281.77000483,665.848700511,716.01839
能登国210,000.00216,891.300216,891.0255,555.71000239,208.79540275,369.990210307,602.82896
越中国380,298.28530,637.300536,037.0660,718.38000611,000.10000808,008.461820899,831.93900
越後国390,770.00450,060.900606,370.0611,960.42700816,775.730771,142,555.5358501,150,567.52359
佐渡国17,030.0020,599.00020,599.024,812.01200130,373.91100132,565.491000135,206.12300
丹波263,887.00280,570.200280,570.0289,829.14600293,445.54740324,136.268670329,465.47386
丹後国110,784.00123,170.200123,170.0123,175.01000145,821.18200147,614.804460148,002.13030
但馬国114,235.00123,960.000123,960.0129,069.75700130,673.23500144,313.084030148,147.75427
因幡国88,500.00131,649.600131,649.0149,742.50000170,728.28900177,844.624000195,632.64500
伯耆国100,947.00175,032.000175,032.0170,257.50000194,416.56700217,990.822280251,069.40700
出雲国186,650.00223,477.100223,477.0253,596.79200282,489.73900302,627.465000320,709.91100
石見国111,770.00137,370.000137,370.0139,242.99100142,499.23500172,209.768320182,136.89850
隠岐国4,980.0011,802.90011,802.011,601.3930012,165.2030012,559.60000012,562.90700
播磨国358,534.00521,300.000554,629.78700568,517.57900651,964.813500660,557.81626
美作国186,018.70227,115.500227,115.0237,630.30000259,353.70100262,099.098000262,333.86400
備前国223,762.00286,200.000286,200.0296,402.00000289,224.71000416,581.854000418,964.53800
備中国176,929.00227,894.800227,894.0236,491.82500324,455.62300363,915.614210371,355.17580
備後国186,150.00238,838.000238,138.0248,015.28700295,678.88800312,054.932000315,876.18155
安芸国194,150.00259,384.900259,384.0267,851.97100269,478.31000310,648.489000314,669.48710
周防国167,820.00164,420.200164,420.0202,787.60000202,787.67000489,428.677000552,160.21518
長門国130,660.00134,059.900134,050.0166,623.40000166,623.64500404,853.333000458,143.48989
紀伊国243,550.00395,247.700395,247.0398,395.45300397,668.01900440,858.377710444,283.13335
淡路国62,104.0063,621.10063,621.070,186.5000070,428.1000097,164.784000136,637.98183
阿波国183,500.00186,753.500186,753.0186,753.58300193,862.28500268,894.329000310,484.46474
讃岐国126,200.00175,001.700171,815.0238,028.33100186,394.04100291,320.256400309,814.75380
伊予国366,200.00381,640.800381,640.0402,538.14200429,163.25854460,997.639340443,321.68842
土佐国98,200.00202,626.500202,626.0254,378.12000268,484.97400330,026.520000510,572.19470
筑前国335,695.00522,512.400522,515.0617,948.27590606,981.42000651,782.278440633,404.63540
筑後国265,998.00302,085.500302,085.5331,490.00000331,497.76900375,588.897800536,742.90265
豊前国140,000.00330,744.644300,740.0231,680.00000273,801.84830368,913.640500366,948.08138
豊後国418,313.00378,592.400378,592.0364,364.52117369,546.79160417,514.227150459,184.41734
肥前国309,935.00561,437.400561,437.0565,655.35960572,284.12310706,470.723196685,116.89762
肥後国341,220.00572,989.000572,989.0617,803.07700563,857.17800611,920.291100851,237.05291
日向国120,088.44288,589.500288,589.0290,180.97300309,954.52817340,128.861790418,142.35665
大隅国175,057.23170,828.100170,828.0170,833.45100170,833.45100170,833.451000263,363.29063
薩摩国283,482.74315,251.700315,251.0315,005.60012315,005.60012315,005.600120323,483.49953
壱岐国0.0015,982.30015,982.017,568.0300018,072.8060032,742.92100032,853.88500
対馬国0.000.0008,163.06,269.715000.000000.0000005,818.11600
琉球国123,711.81348123,711.81348123,711.813480147,024.09296
[大島]32,828.7000032,828.7000032,828.70000052,793.39202
[本琉球]90,883.1134890,883.1134890,883.11348094,230.70094
合計18,509,043.7422,171,689.67422,426,237.924,572,941.7682725,910,641.4180630,558,917.84113932,373,824.45675
[81075] 2012年 7月 12日(木)18:09:14【2】YT さん
人口・町数など
[81073] 白桃さん
1.「市街名邑及び町村二百戸以上戸口表」に記載されている人口の出典元はどこなのか・・・「共武政表」に続く「徴発物件一覧表」なのでしょうか?

明治20年版の『徴発物件一覧表』には名邑毎の人口は掲載されてなく、戸長役場の管轄毎の人口が載っています。『共武政表』を含め、これらの人口の出典元は、内務省が把握しているはずの戸籍人口でしょうが、オリジナルの統計が残っていないために、『共武政表』の方に詳しい情報が残ったというのが実情でしょう。ただ残念なことに『明治八年版の共武政表』は明治5年~明治7年の本籍・現住人口が適当に採用されています。また『徴発物件一覧表』の方は明治16年度から始まりますが、

明治16年度版:明治16年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治17年度版:明治17年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治18年度版:明治18年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治19年度版:明治19年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治20年度版:明治19年12月31日調の、戸長役場所在地別人口を掲載

明治16年~明治19年に関しては、町村レベルでの人口は掲載されていません。また掲載されている人口は現住人口のようなのですが、内務省統計局の戸口表と数字がずれています。明治20年版の徴発物件一覧表は、戸長役場の管轄区毎の人口という点で、内務省の統計である『日本帝国民籍戸口表. 明治19年12月31日調』よりも情報が多いはずなのですが、数字がずれています。詳しい比較を行っていませんが、『地方行政区画便覧』と同じで、まとめた人間はそれほど人口の定点観測には注意を払っておらず、明治20年年末の数字が入手できたらそれで置き換えてしまっていたりしているのでしょう([69010]参照)。

2.「日本地誌提要」には町村数が載っていますが、市町村制度が発足する以前に、どこが町で、どこが村かという規準と町村の一覧表というのがあったのでしょうか。

町村数に関しては、過去にokiさんが[58109]でまとめられています。例えば陸中国磐井郡は、『天保郷帳』では86村、『日本地誌提要』では86村1町となっていますが、内務省地理局編纂物刊行会編『内務省地理局編纂善本叢書:明治前期地誌資料』収録の『明治前期全国村名小字調査書』 (1986-1987年)(むっくんさんの紹介[54378] )収録の「水沢県管下各区並村名調」では全て「村」と称し、西磐井郡(第八大区)、東磐井郡(第九大区)合わせて合計87村となっています。

大区小区村数
第八大区一小区7
第八大区二小区7
第八大区三小区5
第八大区四小区8
第八大区五小区5
第八大区六小区9
第八大区小計41
第九大区一小区8
第九大区二小区3
第九大区三小区11
第九大区四小区6
第九大区五小区2
第九大区六小区4
第九大区七小区5
第九大区六小区3
第九大区九小区4
第九大区小計46
第九大区合計87

このうち第八大区四小区八ヶ村の内訳は、鬼死骸村、一関村、二関村、三関村、下黒沢村、上黒沢村、山目村、赤荻村で、これらは明治7年5月中の状況を記しています。

一、本書は、明治七年五月二十七日、内務省地誌課が各府県に村名の調査を命じ、これを受けて各府県から提出された「各府県村名調査報告」と、明治十四年十一月二十六日、内務省地理局が各県へ宛てて町村の字小名を照合した「各町村字小名取調調」「各町村字名称調」等のうち現存するものを収録するものである。

一、明治七年の達によって提出された調査書は同年五月三十日までの期提出期限を定められたが、二十三県については五月中に提出され、あとはおおむね同年十二月迄に提出を終えている。但し、栃木、三重、宮城の各県は翌年一月、浜田県は翌年二月になって提出している。

ところで町村数を調べていくうち、確か『明治前期全国村名小字調査書』の解説の中で引用されていた亀掛川浩『明治地方自治制度の成立過程』(1955年)を読んだところ、以下の表を見つけました。

(一) 町村編制の変化 大村文書中にある「明治七年―十九年町村合併分離調」によれば、左表に示すごとく、明治八年頃から斬減してきた全国町村数は、十一年頃からほぼ安定していたのが、十九年にいたって多少の減少を示している。

表は左から年次、合併の旧町村数/新町村数/差引減町村数、分離の旧町村数/新町村数/差引増町村数、新設の増町村数、合併・分離・新設を合計した差引増減町村数、年末現在での町村数です。

年次旧町村数新町村数差引減町村数旧町村数新町村数差引増町村数増町村数差引増減年末現在数
明治7年20571134121-13378,280
明治8年3,3479822,3651735189-2,33875,942
明治9年4,2161,5342,6821335225-2,65573,287
明治10年1,9267261,2002257358-1,15772,130
明治11年754270484228765-41971,711
明治12年5272113167533025514-4771,664
明治13年13457774116712625171,715
明治14年27499175106333227146671,781
明治15年152638995337242716071,941
明治16年304882166720714020-5671,885
明治17年5325281542274371,888
明治18年24791156267145111071,888
明治19年1,0291588712469455-82171,067
合計13,1684,3758,7935241,7721,248199-7,346

計算上は、明治6年年末の時点で7万8413の町村が存在したことになります。

残念ながら、大森文書の肝心の原本には目を通せていない状況ですが、明治初期の町村数の変遷を知る上で参考になるでしょうか。

【追記】大森文書について、図書館の検索を中心に以前調べましたが、先ほど
改めてgoogleで検索したところ、

梅村 又次 『松方財政と殖産興業政策』 (1983年)

ところで,明治初期の町村分合に関する全国的統計としては「明治七年――十九年町村合併分離調」(大森文書)が著名だが,「大森文書」による1874(明治7)年の町村合併による町村数の減少134カ町村は井戸の調査による旧筑摩県の243カ町村よりもはるかに少ないことからみてこれは信頼しがたい31).

31) 井戸庄三「明治初期町村分合に関する二,三の問題―長野・山梨両県を中心として」,『人文地理』18巻4号,1966年,28ページ.

井戸庄三, 『明治地方自治制の成立過程と町村合併』(pdf), 人文地理, 21(5), pp. 29-53 (1969年)
その数値にやや疑問があるが,『大森文書』の「明治七年~十九年町村合併分離調」によれば,全国の町村数は明治7年に78,280町村であったのが,明治10年には72,130町村になり,6,150町村の減となっている。

ということで、上の数字は信頼が低いもののようです。
[81068] 2012年 7月 10日(火)00:59:34【2】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (10)
旧国郡/島間切数村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要共武政表人口
薩摩国鹿児島郡2525130,085.91174089,374
薩摩国谿山(谷山)郡88112,691.71797021,087
薩摩国給黎郡8129,653.00647021,554
薩摩国頴娃郡71411,060.16994015,676
薩摩国河辺(川辺)郡3538231,056.12876071,277
薩摩国阿多郡202318,390.70511025,207
薩摩国日置郡535546,930.25687069,013
薩摩国薩摩郡2831141,426.71124033,052
薩摩国伊佐郡5046148,225.79866031,720
薩摩国出水郡3939244,959.84667042,735
薩摩国高城郡1011112,866.19167016,912
薩摩国甑島郡14143,580.39394015,172
薩摩国揖宿郡1217212,556.66049023,562
薩摩国十三郡309323,483.00000033311323,483.502510323,483.499530476,341
薩摩国大島1312917,200.065980713417,200.065980
薩摩国喜界島63010,836.61282063010,836.612820
薩摩国徳ノ島(徳之島)64215,820.83065034415,820.830650
薩摩国与論島262,413.485950262,413.485950
薩摩国沖永良(沖永良部)島3386,522.3966203386,522.396620
薩摩国属島(州南諸島)3024552,793.3920202125252,793.392020
薩摩国合計30554376,276.3920202158511376,276.894530323,483.499530476,341
薩摩国不一致000.0000000000.000000-12,856.187670101
薩摩国総計30554376,276.3920202158511376,276.894530310,627.311860476,442
※明治5年~明治8年当時、州南諸島(奄美群島)は薩摩国扱いであった。『共武政表』は州南諸島の統計を欠く。
※『郡村石高帳』の薩摩国十三郡の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の薩摩国石高総数は概数であり、『共武政表』の薩摩国十三郡郡別石高合計32万3483石4斗9升9合5勺3才とほぼ等しく、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の薩摩国十三郡石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の大隅国の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『日本地誌提要』の薩摩国十三郡石高総計は『地理局雑報』の石高と一致するが、『地理局雑報』の奄美群島の石高3万2828石7斗とは異なる。
※『共武政表』の薩摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口58万6324人から州南諸島本籍人口10万8426人を減じた薩摩国十三群本籍人口47万7898人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
壱岐国壱岐郡67117,796.38900017,614
壱岐国石田郡59115,057.49600015,315
壱岐国合計126232,853.88500032,929
壱岐国不一致000.0000000
壱岐国総計2232,853.885000126232,853.88500032,853.88500032,929
※『郡村石高帳』の壱岐国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の壱岐国石高総数は『共武政表』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の壱岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の壱岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
対馬国上県郡529,670
対馬国下県郡62120,080
対馬国合計114129,750
対馬国不一致000
対馬国総計1105,818.116000114129,750
※『郡村石高帳』の対馬国石高総計は麦高。
※『地理局雑報』の対馬国石高総計は空欄で、『日本地誌提要』の石高は不詳とある。
※『共武政表』の対馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口2万9740人とほぼ等しい。

※『共武政表』は琉球国の記載が無い。以下『天保郷帳』の石高を記載する。
旧国郡/島村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要天保郷帳
琉球国沖縄島62,199.000000
琉球国沖縄島 中頭11189
琉球国沖縄島 島尻15162
琉球国沖縄島 国頭9134
琉球国恵原屋(恵平屋)島541.600000
琉球国伊是那島750.200000
琉球国伊恵島3,643.000000
琉球国計羅摩(慶良間)島29203.000000
琉球国戸無島45.100000
琉球国粟島727.400000
琉球国久米島2193,677.700000
琉球国先島1087
琉球国宮古島12,458.792420
琉球国八重山島6,637.321060
琉球国合計4960094,230.700940
琉球国不一致000.000000
琉球国総計94,230.7009404960094,230.70094094,230.700940
※『郡村石高帳』の琉球国の島別村数、島別石高は不明だが、『郡村石高帳』の琉球国石高総数は『日本地誌提要』、『天保郷帳』の石高と一致し、島別石高に関しては『天保郷帳』の島別石高で補間可能である。
※『地理局雑報』の琉球国石高総計9万4230石7斗1合。
※琉球国の明治6年2月1日調本籍人口は16万6789人。

これらの石高の実態について、明治7年の『府県物産表』における米の収穫高、農林水産業・鉱工業生産高や明治9年~15年の『全国農産表』における米の収穫高・農産高との比較を次回まとめようと思います。
[81067] 2012年 7月 10日(火)00:57:37【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (9)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊後国国東郡118181,138.60490088,735
豊後国速見郡59359,139.33096057,774
豊後国大分郡142271,464.15111098,833
豊後国海部郡167360,961.601150146,311
豊後国直入郡68150,357.25907040,150
豊後国玖珠郡26130,201.54883021,891
豊後国日田郡50133,076.88441050,261
豊後国大野郡162172,845.03691061,505
豊後国合計79213459,184.417340565,460
豊後国不一致000.0000000
豊後国総計459,184.41734079213459,184.417340459,184.417340565,460
※『郡村石高帳』の豊後国の国郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の豊後国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の豊後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑前国遠賀郡8554,956.34987094354,956.34987048,326
筑前国宗像郡6256,306.4522406256,306.45224037,411
筑前国鞍手郡6860,628.83284069160,628.83284041,294
筑前国穂波郡6138,103.41077061138,103.41077021,657
筑前国嘉麻郡6346,349.64586064146,349.64586022,264
筑前国上座郡3425,596.6380003425,596.63800025,392
筑前国下座郡4321,436.2826604321,436.28266012,994
筑前国夜須郡5240,286.56963052240,286.56963028,865
筑前国御笠郡5837,512.69700057137,512.69700020,741
筑前国粕屋郡8562,854.03270085162,854.03270036,875
筑前国席田郡99,899.32907099,899.3290702,504
筑前国那珂郡7042,611.35544077142,611.35544061,333
筑前国早良郡5345,153.32008053245,153.32008038,252
筑前国志摩郡4844,058.2706405144,058.27064023,015
筑前国怡土郡6547,651.44860063147,651.44860020,252
筑前国合計856633,404.63540087414633,404.635400441,175
筑前国不一致00.000000000.0000000
筑前国総計856633,404.63540087414633,404.635400633,404.635400441,175
※『共武政表』の筑前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の筑前国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑後国生葉郡5926,882.99000057126,882.99000026,856
筑後国竹野郡8922,875.1200008722,875.12000020,646
筑後国山本郡3016,559.7000003016,559.7000009,512
筑後国御原郡3633,304.90000036133,304.90000014,920
筑後国御井郡7256,528.33000051156,528.33000043,617
筑後国上妻郡11579,479.484000115179,479.48300069,864
筑後国下妻郡3729,921.4740003729,944.90500014,845
筑後国三潴郡164140,130.0630001623140,243.15800089,084
筑後国三池郡7253,071.81265070153,125.28265035,947
筑後国山門郡11577,989.029000110277,958.36800068,365
筑後国合計789536,742.90265075510536,902.236650393,656
筑後国不一致00.000000000.0000000
筑後国総計789536,742.90265075510536,742.902650536,902.236650393,656
※『郡村石高帳』の筑後国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『地理局雑報』の筑後国石高45万9184石4斗1升7合は、豊後国の石高と一致し、明らかに誤写である。
※『共武政表』の筑後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥前国基肄郡2112,776.0996008,422
肥前国養父郡4419,612.69160021,216
肥前国三根郡3412,826.0251009,686
肥前国神崎郡15841,936.35070036,232
肥前国佐嘉(佐賀)郡352485,677.199200100,274
肥前国小城郡138241,137.96660046,512
肥前国松浦郡7997205,741.252250138,093.445000286,301
肥前国杵島郡16967,169.72813072,893
肥前国藤津郡116133,033.06100056,153
肥前国彼杵郡510981,675.622000220,867
肥前国高来郡281667,932.516000216,242
肥前国合計2,62229601,870.7049301,074,798
肥前国不一致0067,647.807250-30,081
肥前国総計1,476365,416.6362702,62229685,117.597620669,518.5121801,044,717
※『郡村石高帳』の肥前国の郡別村数、郡別石高は不明。
※『日本地誌提要』の肥前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の肥前国の石高は地米31万9700石2斗6升1合3勺5才を含まない。地高の郡別内訳も不明である。
旧国地米加算前石高地米地米加算後石高
肥前国総計365,416.636270319,700.261350685,116.897620
※『共武政表』と『旧高旧領取調帳』の石高を比較すると以下の通りである。
旧国共武政表旧高旧領取調帳石高差
肥前国基肄郡12,776.09960012,776.0996000.000000
肥前国養父郡19,612.69160017,901.354600-1,711.337000
肥前国三根郡12,826.02510014,537.3621001,711.337000
肥前国神崎郡41,936.35070041,936.3507000.000000
肥前国佐嘉(佐賀)郡85,677.19920095,677.44020010,000.241000
肥前国小城郡41,137.96660041,137.798600-0.168000
肥前国松浦郡138,093.445000216,163.76264078,070.317640
肥前国杵島郡67,169.72813067,773.728130604.000000
肥前国藤津郡33,033.06100033,033.0610000.000000
肥前国彼杵郡81,675.62200082,565.274930889.652930
肥前国高来郡67,932.51600067,942.4977509.981750
肥前国合計601,870.704930691,444.73025089,574.025320
肥前国不一致67,647.8072500.000000
肥前国総計669,518.512180691,444.73025021,926.218070
※『共武政表』の肥前国養父郡本籍人口1万1216人は明治13年1月1日調本籍人口1万9750人、明治12年1月1日調三養基郡本籍人口4万3009人との比較から2万1216の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国佐賀郡本籍人口9万0274人は明治12年1月1日調本籍人口1万0770人との比較から10万0274人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国松浦郡本籍人口27万6301人は、明治12年1月1日調東西松浦郡本籍人口13万0949人、明治12年1月1日調南北松浦郡本籍人口17万0564人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内佐賀県本籍人口47万6983人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内長崎県本籍人口59万7477人との比較から、28万6301人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国人口総計104万4717人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口107万4460人と比べて約3万人ほど過少であり、107万4717人の可能性が高い(養父郡・佐賀郡・松浦郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥後国天草郡9025,661.051700132425,661.051700163,662
肥後国蘆北郡20421,023.699190261221,023.69919045,398
肥後国球麻(球摩)郡4064,787.232360415164,787.23236053,660
肥後国八代郡9662,985.400160304162,985.40016072,852
肥後国益城郡389193,985.3816501,0152193,985.381650126,401
肥後国上益城郡616198,327.07294064,350
肥後国下益城郡399195,658.30871062,051
肥後国宇土郡6435,794.852370193135,794.85237037,400
肥後国飽田郡18272,409.231830345372,409.231830125,706
肥後国詫摩郡5932,101.57889088132,101.57889031,446
肥後国合志郡10451,839.052030167251,839.05203035,232
肥後国山本郡6326,654.640360123226,654.64036018,170
肥後国玉名郡227110,614.9157205794110,614.915720109,906
肥後国山鹿郡9651,007.204040379251,007.20404042,845
肥後国菊池郡8129,572.275480200129,572.27548025,502
肥後国阿蘇郡21572,800.537130783272,800.53713062,207
肥後国合計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910950,387
肥後国不一致00.000000000.0000002
肥後国総計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910851,237.052910950,389
※『共武政表』の肥後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の肥後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日向国諸県郡140167,956.6653501502167,956.665350116,243
日向国宮崎郡3139,982.61362034139,982.61362026,490
日向国那珂郡80107,588.093980803107,588.09398076,941
日向国児湯郡5259,651.35248053259,651.35248051,413
日向国臼杵郡7342,963.63122077242,963.631220111,023
日向国合計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
日向国不一致00.000000000.0000000
日向国総計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
※『共武政表』の日向国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の日向国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口38万2564人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大隅国菱刈郡151417,083.3335807,687
大隅国桑原郡313322,730.39935013,978
大隅国姶羅郡4139142,141.17108030,967
大隅国囎唹郡3845375,166.08784057,479
大隅国肝属(肝付)郡4043164,787.26608041,302
大隅国大隅郡4647230,075.10589042,093
大隅国熊毛郡18159,810.37889018,949
大隅国馭謨郡13181,569.5479207,107
大隅国合計2422547263,363.290630219,562
大隅国不一致00012,856.187670-101
大隅国総計242261,793.7427102547261,793.742710276,219.478300219,461
※『郡村石高帳』の大隅国の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の大隅国石高総数は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大隅国石高総計から大隅国馭謨郡石高1569石5斗4升7合9勺2才を除した石高とも一致しており、大隅国馭謨郡の石高を含む大隅国石高は『共武政表』の石高であり、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の大隅国石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の薩摩国十三郡の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『共武政表』の大隅国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口22万0578人とほぼ等しい。
[81066] 2012年 7月 10日(火)00:54:55YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (8)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安芸国沼田郡4225,941.93490045125,941.93490098,322
安芸国佐伯郡8539,540.56850086139,540.56850096,337
安芸国豊田郡8858,944.20220090258,944.202200100,034
安芸国山県郡7431,639.6630007431,639.66300054,084
安芸国高宮郡3617,923.64200035117,923.64200032,139
安芸国賀茂郡9057,857.0100009257,857.010000101,376
安芸国安芸郡4838,986.1605005038,986.160500131,797
安芸国高田郡5943,836.30600059143,836.30600059,213
安芸国合計522314,669.4871005316314,669.487100673,302
安芸国不一致00.000000000.0000005
安芸国総計522314,669.4871005316314,669.487100314,669.487100673,307
※『共武政表』の安芸国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安芸国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口67万3301人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
周防国大島郡2235,453.579500332135,453.57950080,429
周防国都濃郡48104,332.3602704853104,332.36207080,762
周防国佐波郡4090,230.635820497290,230.63582066,799
周防国玖珂郡112122,720.1453803442122,720.145380122,543
周防国吉敷郡34111,624.2115004671111,624.21150078,556
周防国熊毛郡4187,799.282710518287,799.28271069,643
周防国合計297552,160.2151802,64311552,160.216980498,732
周防国不一致00.000000000.000000-50,000
周防国総計297552,160.2151802,64311552,160.215180552,160.216980448,732
※『郡村石高帳』の周防国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の周防国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口と一致し、『共武政表』の周防国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
長門国豊浦郡152141,364.9685403103141,364.968540101,206
長門国大津郡2047,734.022000293147,734.02200037,254
長門国美祢郡2467,292.02600042567,292.02600031,307
長門国厚狭郡3195,714.59680024195,714.59680053,076
長門国見島郡21,308.69900031,308.6990001,833
長門国阿武郡59104,729.1775509593104,729.177550106,652
長門国合計288458,143.4898902,2317458,143.489890331,328
長門国不一致00.000000000.0000000
長門国総計288458,143.4898902,2317458,143.489890458,143.489890331,328
※『共武政表』の長門国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の長門国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
紀伊国伊都郡16238,032.878810160138,032.87881052,000
紀伊国那賀郡25791,117.964360256191,117.96436070,302
紀伊国名草郡15088,889.648900157288,889.64890097,444
紀伊国海部郡5926,244.4962006226,244.49620073,761
紀伊国有田(在田)郡13747,333.262600140147,341.44590055,809
紀伊国日高郡15348,760.71350017848,752.53020077,181
紀伊国牟婁郡471103,904.1689804602103,904.168980188,253
紀伊国牟婁郡(和歌山県)33767,851.102980
紀伊国牟婁郡(度会県)13436,053.066000
紀伊国合計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350614,750
紀伊国不一致00.000000000.0000000
紀伊国総計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350444,283.133350614,750
※『共武政表』の紀伊国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の紀伊国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口61万3925人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
淡路国津名郡12477,882.036060134377,882.03606094,681
淡路国三原郡13458,755.945770133158,755.94576070,804
淡路国合計258136,637.9818302674136,637.981820165,485
淡路国不一致00.000000000.0000000
淡路国総計258136,637.9818302674136,642.763130136,637.981820165,485
※『共武政表』の淡路国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の淡路国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
阿波国三好郡3222,947.67124032222,947.67124053,916
阿波国美馬郡2710,737.37813026110,737.37813070,230
阿波国阿波郡3112,665.9657703112,665.96577037,190
阿波国板野郡13561,791.276510135161,791.27651099,568
阿波国麻殖(麻植)郡3216,711.24006031116,711.24006040,252
阿波国名西郡3828,837.0533203828,837.05332041,040
阿波国名東郡5438,749.85310054238,749.853100105,085
阿波国勝浦郡4634,319.18160046134,319.18160030,603
阿波国那賀郡14265,261.020970148165,261.02097076,373
阿波国海部郡5418,463.82404077118,463.82404035,791
阿波国合計591310,484.46474061810310,484.464740590,048
阿波国不一致00.000000000.0000000
阿波国総計591310,484.46474061810310,484.464740310,484.464740590,048
※『郡村石高帳』の阿波国麻殖郡の村数は外町1。
※『共武政表』の阿波国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の阿波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
讃岐国大内郡3416,161.82200034316,161.82200030,147
讃岐国寒川郡2723,248.03000027223,248.03000043,127
讃岐国三木郡2018,151.1230002018,151.12300023,840
讃岐国山田郡3330,807.8950003330,807.89500037,098
讃岐国香川郡4942,131.42400049342,131.42400096,196
讃岐国阿野郡3633,125.38600036133,125.38600049,806
讃岐国鵜足郡3030,424.44800030130,424.44800036,109
讃岐国那珂郡4730,423.99860046230,423.99860057,104
讃岐国多度郡2418,428.66750024118,428.66750023,884
讃岐国三野郡3732,948.06130037132,948.06130059,341
讃岐国豊田郡4622,562.83700045222,562.83700055,355
讃岐国小豆島99,095.629000119,095.62900038,920
讃岐国塩飽島61,519.564400121,519.56440010,689
讃岐国直島3542.02200011785.8680002,709
讃岐国男木島189.046000
讃岐国女木島154.800000
讃岐国合計402309,814.75380041516309,814.753800564,325
讃岐国不一致-70.000000000.0000000
讃岐国総計395309,814.75380041516309,814.753800309,814.753800564,325
※『郡村石高帳』の讃岐国村数合計402と村数総計が一致せず。
※『日本地誌提要』の讃岐国の町村数総計は村数390町数16属島25だが、属島25(小豆島2、直島11、塩飽島12)はすべて村数として計上。
※『共武政表』の讃岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の讃岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万4351人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊予国宇摩郡56122,639.69280056,900
伊予国新井(新居)郡54137,670.72800059,957
伊予国周布(周敷)郡39124,712.78355025,780
伊予国桑村郡3114,675.22200015,509
伊予国越智郡106147,438.92100092,261
伊予国野間郡29116,688.78900022,994
伊予国風早郡84118,590.42100028,359
伊予国和気郡24116,424.22500024,955
伊予国温泉郡34223,204.73700046,568
伊予国久米郡2917,604.90000013,815
伊予国伊予郡38128,098.51766022,233
伊予国浮穴郡103139,219.86200060,348
伊予国喜多郡85234,330.50111067,249
伊予国宇和郡2652102,022.388300241,632
伊予国合計97715443,321.688420778,560
伊予国不一致000.000000-4
伊予国総計968443,321.68842097715475,556.573340443,321.688420778,556
※『郡村石高帳』の伊予国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の伊予国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の伊予国国石高総計は『郡村石高帳』の石高と一致するが、『日本地誌提要』、『地理局雑報』(44万3855石5升8合3勺2才)の石高とは異なる。
※『共武政表』の伊予国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
土佐国安芸郡5054,308.312700129151,557.87300066,394
土佐国香美郡3570,088.289000155270,112.00700071,874
土佐国長岡郡5475,245.48800015474,947.49200060,710
土佐国土佐郡3152,288.859000117151,913.16100075,445
土佐国吾川郡4443,098.130000124143,181.34900052,241
土佐国高岡郡76110,354.0700002263112,556.929000110,003
土佐国幡多郡136105,189.0460002882105,370.18000089,618
土佐国合計426510,572.1947001,19310509,638.991000526,285
土佐国不一致00.000000003,060.0000000
土佐国総計426510,572.1947001,19310512,698.991000512,698.991000526,285
※『共武政表』の土佐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の土佐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊前国企球郡11145,796.075080249245,796.07508045,655
豊前国田川郡7154,787.97600091354,787.97600038,086
豊前国京都郡7134,620.6892007234,620.68920019,413
豊前国中津(仲津)郡7641,694.16660092341,694.16660031,103
豊前国築城郡4123,247.2285008623,247.22850020,422
豊前国上毛郡7838,108.54210081238,108.54210033,693
豊前国下毛郡9849,338.90850098149,338.90850059,181
豊前国宇佐郡22579,354.495400150279,354.49540059,979
豊前国合計771366,948.08138091913366,948.081380307,532
豊前国不一致00.000000000.0000000
豊前国総計771366,948.08138091913366,948.081380366,948.081380307,532
※『共武政表』の豊前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81065] 2012年 7月 10日(火)00:53:17【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (7)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伯耆国河村郡10828,991.95100010728,991.95100023,912
伯耆国久米郡12047,011.309000119147,011.30900027,624
伯耆国八橋郡10836,038.157000108136,038.15700023,109
伯耆国汗入郡7528,737.63800075128,737.63800019,092
伯耆国会見郡18572,603.812000181472,603.81200071,802
伯耆国日野郡18237,686.54000017837,686.54000029,972
伯耆国合計778251,069.4070007687251,069.407000195,511
伯耆国不一致00.000000000.0000004
伯耆国総計778251,069.4070007687251,069.407000251,069.407000195,515
※『共武政表』の伯耆国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伯耆国八橋郡人口3万3109人は明治12年1月1日調本籍人口2万4034人との比較から2万3109人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の伯耆国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
出雲国島根郡5726,358.11000056226,358.11000049,860
出雲国秋鹿郡2411,382.5840002411,382.58400012,646
出雲国楯縫郡3524,216.04500036124,216.04500025,333
出雲国出雲郡3230,323.9720003230,323.97200017,709
出雲国神門郡8360,614.07500085260,614.07500067,106
出雲国飯石郡6131,993.3920006231,993.39200030,014
出雲国仁多郡6921,651.6280007121,651.62800020,582
出雲国大原郡6528,793.6060006528,793.60600027,674
出雲国能義郡9548,057.37600096248,057.37600038,989
出雲国意宇郡4037,319.1230004737,319.12300050,309
出雲国合計561320,709.9110005747320,709.911000340,222
出雲国不一致00.000000000.0000000
出雲国総計561320,709.9110005747320,709.911000320,709.911000340,222
※『共武政表』の出雲国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の出雲国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石見国安濃郡3014,673.39300030114,673.39300022,580
石見国邇摩郡4616,816.38300047216,816.38300032,993
石見国邑知(邑智)郡10636,383.75130010636,383.75130053,871
石見国那賀郡13249,168.939700136149,168.93970083,688
石見国美濃郡11737,439.546700118137,439.54670041,561
石見国鹿足郡11627,654.884800117127,654.88480027,342
石見国合計547182,136.8985005546182,136.898500262,035
石見国不一致00.000000000.0000000
石見国総計547182,136.8985005546182,136.898500182,136.898500262,035
※『共武政表』の石見国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の石見国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
隠岐国海士郡82,465.69700082,465.6970005,566
隠岐国知夫里(知夫)郡53,204.46400053,204.4640007,069
隠岐国越智(穏地)郡162,982.691000162,982.6910005,775
隠岐国周吉郡323,910.0550003213,910.05500010,684
隠岐国合計6112,562.90700061112,562.90700029,094
隠岐国不一致00.000000000.0000000
隠岐国総計6112,562.90700061112,562.90700012,562.90700029,094
※『共武政表』の隠岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の隠岐国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
播磨国明石郡14659,695.993200153159,695.99320054,442
播磨国美嚢郡17144,657.427500149144,657.42750028,344
播磨国加古郡10050,810.996000114250,810.99600047,265
播磨国印南郡11045,737.671800131245,737.67180048,724
播磨国加東郡16255,891.21700015255,891.21700043,162
播磨国加西郡13139,498.47720012839,498.47720035,743
播磨国多可郡12934,356.57000013034,356.57000031,049
播磨国神東郡7828,921.5894007928,921.58940022,764
播磨国神西郡7122,306.1883606922,306.18836018,302
播磨国飾西郡8041,016.26500016141,016.26500031,414
播磨国飾東郡7240,295.80900072240,295.80900067,277
播磨国揖東郡12356,242.67310014456,242.67310051,226
播磨国揖西郡10033,658.234100113233,658.23410039,427
播磨国赤穂郡12844,521.290600127144,521.29060055,910
播磨国佐用郡8824,279.7895008724,279.78950023,990
播磨国宍粟郡15138,667.624500147138,667.62450040,450
播磨国合計1,840660,557.8162601,95612660,557.816260639,489
播磨国不一致70.000000000.00000010,000
播磨国総計1,847660,557.8162601,95612660,557.816250660,557.816260649,489
※『郡村石高帳』の播磨国村数合計1840と村数総計が一致せず。
※『共武政表』の播磨国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の播磨国佐用郡本籍人口3万3990人は明治12年1月1日調本籍人口2万5331人との比較から2万3990人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の播磨国人口総計64万9489人は明治6年1月1日調本籍人口63万9576人と比べて過剰であり、63万9489人の可能性が高い(佐用郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美作国東南条郡2010,892.0700001310,892.07000010,309
美作国東北条郡4015,411.2370003115,411.23700011,325
美作国西々条(西西条)郡6126,805.0210005126,805.0210009,329
美作国久米北条郡5928,871.2330005428,871.23300023,397
美作国久米南条郡7222,988.6730006322,988.67300019,670
美作国勝南郡7824,657.9720006924,657.97200017,745
美作国勝北郡8434,139.4590005534,139.45900023,829
美作国大庭郡5920,836.76900046120,836.76900020,912
美作国真島郡11033,270.80700090133,270.80700029,899
美作国英田郡6513,662.42900056113,662.42900016,591
美作国吉野郡7219,954.2430006019,954.24300014,950
美作国西北条郡3110,843.95100022110,843.95100017,131
美作国合計751262,333.8640006104262,333.864000215,087
美作国不一致00.000000000.00000020,000
美作国総計751262,333.8640006104262,333.864000262,333.864000235,087
※『共武政表』の美作国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美作国西北条郡本籍人口3万7131人は明治12年1月1日調本籍人口1万8550人との比較から1万7131人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の美作国人口総計23万5087人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口21万5602人と比べて過剰であり、21万5087人の可能性が高い(西北条郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備前国御野郡7952,824.75200079152,824.75200058,395
備前国津高郡12647,224.652000126147,224.65200036,849
備前国赤坂郡10243,267.32400010243,267.32400026,484
備前国磐梨郡6526,224.0160006526,224.01600015,711
備前国和気郡9628,871.1320009728,871.13200034,294
備前国邑久郡8670,645.47700086270,645.47700044,022
備前国上道郡11599,660.178000116199,660.17800046,151
備前国児島郡9750,247.00700097250,247.00700071,808
備前国合計766418,964.5380007687418,964.538000333,714
備前国不一致00.000000000.0900000
備前国総計766418,964.5380007687418,964.538000418,964.628000333,714
※『郡村石高帳』の備前国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備中国上房郡3124,702.03280099124,702.03280023,304
備中国阿賀郡4633,207.944000105133,207.94400029,150
備中国哲多郡3322,919.8946008722,919.89460018,523
備中国川上郡5731,196.35400087131,196.35400037,300
備中国小田郡7437,655.852700103137,655.85270064,164
備中国後月郡3918,308.7268005318,308.72680029,290
備中国下道郡2923,622.7056004723,622.70560025,634
備中国賀陽郡8350,416.341230110250,416.34123038,914
備中国都宇郡4835,707.82670012235,707.82670027,185
備中国浅口郡6155,201.1047007255,201.10470074,053
備中国窪屋郡5838,416.39267084138,416.39267032,028
備中国合計559371,355.1758009697371,355.175800399,545
備中国不一致00.00000000-0.0690000
備中国総計559371,355.1758009697371,355.175800371,355.106800399,545
※『郡村石高帳』の備中国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備中国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口39万9467人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備後国御調郡10039,828.25555090239,828.255550101,646
備後国世羅郡5033,650.49000049133,650.49000029,840
備後国三谿郡3819,342.0180003819,342.01800020,225
備後国三上郡1813,693.6710001813,693.67100012,251
備後国奴可郡4019,876.91600039219,876.91600020,684
備後国甲奴郡3215,624.4110003215,624.41100015,972
備後国沼隈郡4326,425.22000044126,425.22000067,176
備後国深津郡2826,851.07300035126,851.07300045,300
備後国安那郡2924,734.7090003024,734.70900024,179
備後国品治郡2111,709.0490002111,709.04900016,341
備後国蘆田郡2817,567.02000028117,567.02000030,783
備後国神石郡4022,345.9400004022,345.94000022,836
備後国三次郡5221,613.53700053121,613.53200030,335
備後国恵蘇郡4522,613.8720004122,613.87200021,708
備後国合計564315,876.1815505589315,876.176550459,276
備後国不一致00.000000000.0860000
備後国総計564315,876.1815505589315,876.181550315,876.262550459,276
※『郡村石高帳』の備後国石高総計は『日本地誌提要』と一致し、『地理局雑報』(35万5704石4斗3升7合1勺)の石高と異なる。
※『共武政表』の備後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万9109人とほぼ等しい。
[81064] 2012年 7月 10日(火)00:51:54YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (6)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
若狭国大飯郡7320,404.61660072120,404.61660016,878
若狭国遠敷郡13544,510.765500144244,510.76550049,130
若狭国三方郡6126,851.6760006226,851.67600019,805
若狭国合計26991,767.058100278391,767.05810085,813
若狭国不一致00.000000000.0000000
若狭国総計26991,767.058100278391,767.05810091,767.05810085,813
※『共武政表』の若狭国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の若狭国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越前国足羽郡15792,917.620000157192,917.62000076,336
越前国吉田郡14680,811.852000127180,811.85200033,608
越前国丹生郡23987,980.05800023687,980.05800060,122
越前国今立郡19886,268.894000202286,268.89400055,367
越前国南条郡9035,770.94860081235,770.94860033,375
越前国坂井郡355185,597.3012003563185,597.30120092,557
越前国大野郡26498,090.417700254298,090.41770076,506
越前国敦賀郡8822,806.52625079122,806.52625026,270
越前国合計1,537690,243.6177501,49212690,243.617750454,141
越前国不一致00.000000000.0000000
越前国総計1,537690,243.6177501,49212690,249.700400690,243.617750454,141
※『共武政表』の越前国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の越前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万4229人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
加賀国河北郡27099,964.761000269299,936.20100074,871
加賀国石川郡332189,919.0220003365189,920.002000186,898
加賀国能美郡278137,775.2763902641137,766.27639087,432
加賀国江沼郡14180,950.068000140280,950.06800054,693
加賀国合計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390403,894
加賀国不一致00.000000000.00000010,000
加賀国総計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390508,572.547390413,894
※『共武政表』の加賀国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の加賀国の国郡別石高は外受高3106石8斗9升1合を含まない。外受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
加賀国総計508,609.1273903,106.891000511,716.018390
※『共武政表』の加賀国河北郡本籍人口8万4871人は明治12年1月1日調本籍人口7万1453人との比較から7万4871人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の加賀国人口総計41万3894人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口40万3357人と比べて過剰であり、40万3894人の可能性が高い(河北郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
能登国羽咋郡23899,726.117500239199,676.18750071,547
能登国鹿島郡20199,962.9786601961100,096.30106069,270
能登国鳳至郡32069,858.027500318269,858.02750081,837
能登国珠洲郡11235,935.52030011235,935.52030041,725
能登国合計871305,482.6439608654305,566.036360264,379
能登国不一致00.000000000.0000000
能登国総計871305,482.6439608654305,666.036340305,566.036360264,379
※『共武政表』の能登国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の能登国の国郡別石高は外受高2120石1斗8升5合を含まない。受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
能登国総計305,482.6439602,120.185000307,602.828960
※『共武政表』の能登国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越中国新川郡1,134295,756.0100001,0414301,417.882690256,817
越中国婦負郡368112,139.5020003652113,216.82800061,434
越中国射水郡331188,681.2370003373172,718.327090136,319
越中国砺波郡740281,187.3580007012275,890.847670169,407
越中国合計2,573877,764.1070002,44411863,243.885450623,977
越中国不一致00.000000000.0000000
越中国総計2,573877,764.1070002,44411877,764.107000863,243.885450623,977
※『郡村石高帳』の越中国の町数総計は外町18。内訳は、新川郡町7、婦負郡町3、射水郡町3、砺波郡町5。
※『郡村石高帳』の越中国の国郡別石高は外受高2万2067石8斗3升2合を含まない。受高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』の石高と一致し、受高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
越中国新川郡295,756.01000020,031.008000315,787.018000
越中国婦負郡112,139.502000390.765000112,530.267000
越中国射水郡188,681.237000697.335000189,378.572000
越中国砺波郡281,187.358000948.724000282,136.082000
越中国総計877,764.10700022,067.832000899,831.939000
※『共武政表』の越中国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越後国頚城郡1,140225,199.7694001,0935225,199.769400281,635
越後国苅羽郡(刈羽郡)20275,890.293960186275,890.293958103,397
越後国魚沼郡422102,282.3181004112102,282.751000158,019
越後国古志郡29269,235.231600348269,234.79860098,559
越後国三島郡25578,509.007200181478,509.00720083,065
越後国岩船郡26861,820.382750249261,820.38275059,748
越後国蒲原郡1,967537,630.5205801,78423537,629.134580599,253
越後国蒲原郡(新潟県)1,897520,242.884580
越後国蒲原郡(若松県)7017,387.636000
越後国合計4,5461,150,567.5235904,252401,150,566.1374881,383,676
越後国不一致00.000000000.00000030,000
越後国総計4,5461,150,567.5235904,252401,150,836.3685801,150,566.1374881,413,676
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(115万0836石3斗2升8合5勺9才)の越後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の越後国人口合計は明治7年1月1日調本籍人口138万3572人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は誤計算と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
佐渡国加茂郡10048,345.14000094348,420.53600031,800
佐渡国雑太郡10164,521.93700089364,694.26900050,673
佐渡国羽茂郡6222,339.04600062122,399.67600021,932
佐渡国合計263135,206.1230002457135,514.481000104,405
佐渡国不一致00.000000000.0000000
佐渡国総計263135,206.1230002457135,206.123000135,514.481000104,405
※『郡村石高帳』の佐渡国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の佐渡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹波国桑田郡23656,252.463400220156,227.72900052,135
丹波国船井郡22652,134.455100200152,134.45510045,723
丹波国何鹿郡11449,525.940800136149,525.94080040,422
丹波国氷上郡22567,462.689600177167,462.68960065,564
丹波国多紀郡11552,076.370600213152,076.37060043,933
丹波国天田郡12452,013.554360113152,013.55436047,904
丹波国合計1,040329,465.4738601,0596329,440.739460295,681
丹波国不一致0-0.000400000.0000000
丹波国総計1,040329,465.4734601,0596329,465.473860329,440.739460295,681
※『郡村石高帳』の丹波国石高合計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の丹波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹後国与佐郡9442,655.44200095142,655.44200048,246
丹後国加佐郡15439,080.008500151139,080.00850054,999
丹後国中郡3521,987.89280034121,987.89280017,037
丹後国熊野郡5619,004.8770005319,004.87700016,073
丹後国竹野郡7325,273.9100007225,273.91000025,693
丹後国合計412148,002.1303004053148,002.130300162,048
丹後国不一致00.000000000.0000000
丹後国総計412148,002.1303004053148,002.130300148,002.130300162,048
※『共武政表』の丹後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の丹後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口16万2084人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
但馬国朝来郡9220,739.21600082120,739.21600026,958
但馬国養父郡11423,942.88400010423,942.88400036,460
但馬国二方郡5410,163.5490005610,163.54900021,390
但馬国七味郡7311,041.53980069111,041.53980015,009
但馬国気多郡8620,049.92030011020,049.92030021,125
但馬国城崎郡8421,758.95017078121,744.74577024,131
但馬国美含郡8311,993.6780007211,993.67800017,259
但馬国出石郡9728,458.01700085128,458.01700025,648
但馬国合計683148,147.7542706564148,133.549870187,980
但馬国不一致00.000000000.0000000
但馬国総計683148,147.7542706564148,147.754270148,133.549870187,980
※『郡村石高帳』の但馬国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の但馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
因幡国岩井郡5122,620.4330005122,620.43300016,193
因幡国法美郡6120,609.60400062120,609.60400014,624
因幡国八東郡8226,144.0320008926,144.03200019,102
因幡国八上郡6223,863.9990006223,863.99900014,675
因幡国知頭(智頭)郡9816,686.2420009916,686.24200015,418
因幡国邑美郡3317,379.60100031417,379.60100040,000
因幡国高草郡8441,187.21800083141,187.21800023,404
因幡国気多郡8327,141.51600083227,141.51600020,835
因幡国合計561195,632.6450005608195,632.645000164,251
因幡国不一致00.000000000.000000-101
因幡国総計561195,632.6450005608195,632.645000195,632.645000164,150
※『共武政表』の因幡国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の因幡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口16万2396人とほぼ等しい。
[81063] 2012年 7月 10日(火)00:49:38YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (5)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽前国置賜郡263337,240.9150002955337,240.915000146,769
羽前国置賜郡(置賜県)223295,671.543000
羽前国置賜郡(山形県)4041,569.372000
羽前国村山郡478365,370.03946043911365,370.039390242,639
羽前国最上郡8684,057.51631085184,057.51631043,483
羽前国田川郡390160,302.8349104205160,302.834910132,399
羽前国合計1,217946,971.3056801,23922946,971.305610565,290
羽前国不一致00.000000000.000000-10
羽前国総計1,217946,971.3056801,23922946,971.304910946,971.305610565,280
※『郡村石高帳』の羽前国の村数総計は外町34。
※『郡村石高帳』の羽前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の羽前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万7361人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽後国飽海郡28474,941.885800284274,941.88590072,099
羽後国秋田郡289116,598.9560002824116,598.956000186,818
羽後国河辺(川辺)郡5927,174.16300059127,174.16300028,006
羽後国仙北郡184110,219.4870001792110,219.48700087,033
羽後国雄勝郡8852,848.28000086352,848.28000050,453
羽後国山本郡7842,231.17400076242,231.17400063,439
羽後国平鹿郡11567,264.044000114267,264.04400066,723
羽後国由利郡24377,196.899550240477,196.89955075,269
羽後国合計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450629,840
羽後国不一致00.00000000-200.0000000
羽後国総計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450568,274.889450629,840
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(56万8760石2斗7升5合4勺5才)の羽後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の羽後国石高合計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の羽後国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口63万0575人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
渡島国亀田郡29136,415
渡島国茅部郡179,680
渡島国上磯郡178,000
渡島国福島郡64,510
渡島国檜山郡21117,352
渡島国津軽郡13120,860
渡島国爾志郡87,011
渡島国合計1113103,828
渡島国不一致000
渡島国総計111354,814.894820103,828
※『日本地誌提要』の渡島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の渡島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口9万4610人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口9万9909人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
後志国久遠郡9854
後志国奥尻郡486
後志国太櫓郡4303
後志国瀬棚郡5531
後志国島牧郡151,039
後志国寿都郡81,583
後志国歌棄郡61,140
後志国磯屋(磯谷)郡41,304
後志国岩内郡613,075
後志国古宇郡62,009
後志国積丹郡81,620
後志国美国郡51,555
後志国古平郡612,663
後志国余市郡812,725
後志国忍路郡41,515
後志国高島郡41,115
後志国小樽郡515,413
後志国合計107428,530
後志国不一致00-5
後志国総計1074265,580.84719028,525
※『日本地誌提要』の後志国石高総計は物産高。
※『共武政表』の後志国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1万9916人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2万8388人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石狩国石狩郡311,828
石狩国札幌郡1718,825
石狩国夕張郡39
石狩国樺戸郡78
石狩国空知郡0
石狩国雨竜郡0
石狩国上川郡0
石狩国厚田郡10708
石狩国浜益郡8577
石狩国合計38212,055
石狩国不一致000
石狩国総計38239,336.06952012,055
※『日本地誌提要』の石狩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の石狩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7591人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1万2123人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
北見国宗谷郡352
北見国利尻郡947
北見国礼文郡376
北見国枝幸郡157
北見国紋別郡10299
北見国常呂郡7140
北見国網走郡8248
北見国斜里郡5252
北見国合計302,771
北見国不一致00
北見国総計3026,977.4206602,771
※『日本地誌提要』の北見国石高総計は物産高。
※『共武政表』の北見国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1647人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2770人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
胆振国山越郡21,002
胆振国虻田郡4574
胆振国有珠郡52,930
胆振国室蘭郡711,020
胆振国幌別郡5442
胆振国白老郡3581
胆振国勇払郡161,476
胆振国千歳郡6297
胆振国合計4818,322
胆振国不一致007
胆振国総計48115,837.5042908,329
※『日本地誌提要』の胆振国石高総計は物産高。
※『共武政表』の胆振国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7462人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口8421人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日高国沙流郡181,895
日高国新冠郡11548
日高国静内郡162,162
日高国三石郡8390
日高国浦河(浦川)郡201,199
日高国様似郡23424
日高国幌泉郡91,531
日高国合計1058,149
日高国不一致00
日高国総計10548,505.6027708,149
※『日本地誌提要』の日高国石高総計は物産高。
※『共武政表』の日高国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7479人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口6137人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
十勝国広尾郡1234
十勝国当縁郡356
十勝国大津(上川)郡2100
十勝国中川郡22539
十勝国河東郡5210
十勝国河西郡12225
十勝国十勝郡6146
十勝国合計511,510
十勝国不一致00
十勝国総計515,280.4400001,510
※『日本地誌提要』の十勝国石高総計は物産高。
※『共武政表』の十勝国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1477人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1505人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
釧路国白糠郡2361
釧路国足寄郡476
釧路国釧路郡81,132
釧路国善報郡
釧路国阿寒郡573
釧路国網尻郡60
釧路国川上(上川)郡5202
釧路国厚岸郡1711,146
釧路国合計4712,990
釧路国不一致000
釧路国総計47148,342.9878302,990
※『郡村石高帳』記載の善報郡は設置されず。
※『日本地誌提要』の釧路国石高総計は物産高。
※『共武政表』の釧路国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口2339人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2994人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
根室国花咲郡70
根室国根室郡611,324
根室国野付郡4513
根室国標津郡2146
根室国目梨(芽梨)郡4187
根室国合計2312,170
根室国不一致000
根室国総計23135,572.8158302,170
※『日本地誌提要』の根室国石高総計は物産高。
※『共武政表』の根室国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1786人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2270人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
千島国国後郡5303
千島国択捉郡287
千島国振別郡2109
千島国紗那郡4204
千島国蘂取郡2223
千島国合計15926
千島国不一致00
千島国総計1511,778.777250926
※『日本地誌提要』の千島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の千島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口438人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口928人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
天塩国増毛郡52,114
天塩国留萌郡5764
天塩国苫前郡5506
天塩国天塩郡118
天塩国中川郡15
天塩国上川郡26
天塩国合計153,543
天塩国不一致00
天塩国総計1598,259.3245603,543
※『日本地誌提要』の天塩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の天塩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1870人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口3543人と一致する。
[81062] 2012年 7月 10日(火)00:48:01YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (4)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
飛騨国大野郡13722,248.657000159122,248.65700039,896
飛騨国吉城郡17824,395.637000229224,395.63700034,126
飛騨国益田郡10010,551.76400012510,551.76400024,800
飛騨国合計41557,196.058000513357,196.05800098,822
飛騨国不一致00.000000000.0000000
飛騨国総計41557,196.058000513357,196.05800057,196.05800098,822
※『共武政表』の飛騨国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(5万7195石9斗9升3合)の石高と異なる。
※『共武政表』の飛騨国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
信濃国佐久郡18897,567.455400273298,061.81940087,374
信濃国諏訪郡15843,787.16120079243,787.16120061,418
信濃国伊那郡298139,051.6748901103139,051.674890171,413
信濃国筑摩郡23884,459.961790103284,459.961790142,170
信濃国小県郡77,138.537700192177,288.58670083,460
信濃国埴科郡24,602.89400049123,650.56160038,407
信濃国更科(更級)郡59,511.92890011359,319.31590059,615
信濃国安曇郡17964,194.082000101164,194.08200080,802
信濃国水内郡110,120.3413003113109,613.469930127,264
信濃国高井郡86,515.963800170186,291.32857078,021
信濃国合計786,950.0009801,50116785,717.961980929,944
信濃国不一致0.000000000.0000000
信濃国総計786,950.0009801,50116786,411.668380785,717.961980929,944
※『日本地誌提要』の信濃国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の国郡別村数は一部不記載。
※『共武政表』の信濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上野国邑楽郡9380,142.04400088180,142.48400056,437
上野国新田郡11766,914.682320100167,151.96532029,735
上野国山田郡6436,657.46000060136,685.48100038,123
上野国佐位郡4721,625.68500038121,625.68500025,611
上野国那波郡6930,102.30629054130,102.30629017,024
上野国群馬郡234120,194.2505801932120,182.250580100,874
上野国勢多郡19277,348.46185017177,348.46185060,519
上野国利根郡14530,912.781000113230,900.90800031,032
上野国吾妻郡9825,126.6940008535,126.57100032,422
上野国碓氷(碓水)郡8541,484.86955074141,275.30155037,004
上野国片岡郡34,267.61400034,267.6140002,431
上野国多胡郡3212,605.1980002812,605.1980009,353
上野国緑埜(緑野)郡6031,438.55875046131,438.55875021,544
上野国甘楽郡17557,030.502000133157,030.50200055,296
上野国合計1,414635,851.1073401,18612645,883.287340517,405
上野国不一致00.00000000-0.000500-110,941
上野国総計1,414635,851.1073401,18612636,116.851340645,883.286840406,464
※『日本地誌提要』の上野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上野国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口52万1603人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下野国河内郡272108,400.0060002031110,733.48976068,743
下野国芳賀郡276133,633.6411102411134,739.52120060,571
下野国塩谷郡15955,250.48721015255,683.46321037,010
下野国那須郡309119,500.0020902663119,959.54615067,159
下野国足利郡4632,474.02730043132,474.02730037,938
下野国梁田(簗田)郡2914,295.1800002714,295.18000010,783
下野国安蘇(安蘓)郡6462,582.97540046162,582.97540051,023
下野国都賀郡387223,551.3846003827223,674.500600161,371
下野国寒川郡138,960.737000138,960.7370003,868
下野国合計1,555758,648.4407101,37314763,103.440620498,466
下野国不一致00.000000000.000000-16,000
下野国総計1,555758,648.4407101,37314762,851.631820763,103.440620482,466
※『共武政表』の下野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の下野国塩谷郡本籍人口3万1010人は明治12年1月1日調本籍人口4万0846人との比較から3万7010人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国足利郡本籍人口2万7938人は明治12年1月1日調本籍人口4万1917人との比較から3万7938人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国人口総計48万2466人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口49万8520人と比べて過少であり、49万8466人の可能性が高い(塩谷郡・足利郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
磐城国白河郡10664,327.583000106164,327.58300029,670
磐城国石川郡8349,061.7550007549,061.75500019,148
磐城国田村郡143113,312.9497001411113,312.94970056,876
磐城国菊多郡6140,561.9409306140,561.94093019,264
磐城国白川郡9343,620.01344092143,620.01344024,785
磐城国磐前郡11355,515.814300112255,515.81430030,091
磐城国磐城郡5131,941.8940005131,941.89400015,070
磐城国楢葉郡4130,754.1850004030,754.18500011,117
磐城国標葉郡6429,437.1370006429,437.13700016,398
磐城国行方郡12166,919.63600012166,919.63600032,496
磐城国宇多郡5036,837.00000050136,837.00400022,879
磐城国宇多郡(磐前県)4129,677.279000
磐城国宇多郡(宮城県)97,159.721000
磐城国伊具郡3639,528.90700036139,528.90700030,550
磐城国亘理郡2624,678.0740002624,678.07400018,162
磐城国刈田郡3323,991.99300033123,991.99300022,768
磐城国合計1,021650,488.8823701,0088650,488.886370349,274
磐城国不一致00.00000000-0.0040000
磐城国総計1,021650,488.8823701,0088650,488.882370650,488.882370349,274
※『共武政表』の磐城国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の磐城国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口34万9594人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
岩代国会津郡30988,224.545500308288,221.33950065,276
岩代国大沼郡16153,035.58400016153,029.61600032,696
岩代国耶麻郡310126,274.5510003112126,244.94100054,035
岩代国河沼郡24876,121.762000245176,212.17100033,884
岩代国岩瀬郡8869,413.31340083169,413.31340031,437
岩代国伊達郡112114,246.0661701094114,255.30117075,614
岩代国安積郡4853,118.39660048153,116.18460028,454
岩代国安積郡(若松県)1112,123.29184012,121.079840
岩代国安積郡(福島県)3740,995.10476040,995.104760
岩代国信夫郡8889,970.11788087289,975.08788048,434
岩代国安達郡7490,519.20936067190,519.20936062,055
岩代国合計1,438760,923.5459101,41914760,987.163910431,885
岩代国不一致00.000030000.0000000
岩代国総計1,438760,923.5459401,41914760,937.750910760,987.163910431,885
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(76万0974石6斗8升9勺1才)の岩代国の石高総計は全て異なるが、国郡別石高の端数の比較から、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の岩代国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口43万0163人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸前国柴田郡3529,531.5940003529,531.59400021,458
陸前国名取郡6164,270.51000059164,270.51000042,922
陸前国宮城郡7975,087.12300078275,087.123000101,785
陸前国黒川郡4943,818.6400004943,818.64000020,399
陸前国賀美(加美)郡3838,913.9710003838,913.97100018,542
陸前国玉造郡2124,499.36000022124,499.36000014,246
陸前国志田郡6456,402.73000064156,402.73000027,820
陸前国遠田郡5962,372.4900005862,372.49000031,582
陸前国栗原郡93136,620.990000961136,620.99000079,711
陸前国登米郡2441,791.37000021141,791.37000031,158
陸前国牡鹿郡6015,514.07000059115,514.07000026,737
陸前国桃生郡6674,015.5200006674,015.52000040,070
陸前国本吉郡3322,184.18000032222,184.18000040,884
陸前国気仙郡2415,626.76000024215,626.76000042,225
陸前国合計706700,649.30800070112700,649.308000539,539
陸前国不一致00.000000000.0000000
陸前国総計706700,649.30800070112700,649.308000700,649.308000539,539
※『共武政表』の陸前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口53万9614人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸中国磐井郡8684,007.06000086184,007.06000089,139
陸中国胆沢郡3775,764.26000037175,764.26000043,172
陸中国江刺郡4138,815.27000041138,815.27000035,544
陸中国和賀郡6953,170.80900069153,170.80900042,051
陸中国稗貫郡6851,689.69000067151,689.69000037,099
陸中国紫波郡7554,630.5110007454,630.51100034,466
陸中国岩手郡8552,333.36200085152,333.36200079,387
陸中国鹿角郡6920,965.04500070220,965.04500024,537
陸中国閉伊郡13828,559.015000138528,559.01500086,573
陸中国九戸郡5911,907.89000059111,907.89000041,155
陸中国合計727471,842.91200072614471,842.912000513,123
陸中国不一致00.0000000042,136.07000040,369
陸中国総計727471,842.91200072614469,073.737000513,978.982000553,492
※『共武政表』の陸中国石高合計は『郡村石高帳』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『日本地誌提要』の陸中国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸中国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口51万3273人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸奥国二戸郡7514,796.27000031914,796.27000029,507
陸奥国三戸郡12043,792.960000595142,952.69800092,896
陸奥国北郡8323,524.559000454223,524.55900059,279
陸奥国津軽郡876340,987.0490001,0074340,986.364000291,635
陸奥国合計1,154423,100.8380002,3757422,259.891000473,317
陸奥国不一致00.00000000-0.0200000
陸奥国総計1,154423,100.8380002,3757423,100.838000422,259.871000473,317
※『郡村石高帳』の陸奥国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸奥国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81061] 2012年 7月 10日(火)00:46:36YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (3)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
武蔵国豊島郡19048,764.867890102348,764.551920739,773
武蔵国荏原郡11033,613.80418092133,613.54918086,654
武蔵国橘樹郡12655,087.514110123355,087.51411065,808
武蔵国多摩郡436139,574.3175803943139,574.317580174,233
武蔵国多摩郡(東京府)5511,777.943980
武蔵国多摩郡(神奈川県)381127,796.373600
武蔵国久良岐郡4416,614.42253053216,614.42253082,114
武蔵国新座郡4714,285.5486403314,190.54864018,387
武蔵国入間郡350100,814.350500250199,144.670500106,698
武蔵国高麗郡20427,574.26490011727,206.89350033,147
武蔵国秩父郡8831,452.17200084131,258.19600059,886
武蔵国男衾郡359,158.394860268,992.93536011,051
武蔵国大里郡4923,657.70592039123,560.70592022,029
武蔵国比企郡26560,968.63117016260,473.96517054,970
武蔵国横見郡4820,496.5910004720,412.25700010,343
武蔵国幡羅郡6439,593.9280005939,165.40800025,694
武蔵国榛沢郡9731,893.4000007431,755.80000034,049
武蔵国那賀(那珂)郡166,944.069000116,903.9830005,801
武蔵国児玉郡7027,606.92000060127,488.12000023,653
武蔵国賀美郡2812,705.8540002712,607.63400010,051
武蔵国埼玉郡466283,160.8416404248283,060.841640227,218
武蔵国足立郡429149,513.16579040510149,513.165790171,649
武蔵国足立郡(東京府)4318,932.878500
武蔵国足立郡(埼玉県)386130,580.287290
武蔵国葛飾郡288120,037.635590288151,767.206330127,904
武蔵国葛飾郡(東京府)12051,767.206330
武蔵国葛飾郡(埼玉県)16868,270.429260
武蔵国都筑郡7028,482.3716007228,482.37160027,744
武蔵国合計3,5201,282,000.7709002,942351,209,639.0577702,118,856
武蔵国不一致00.00000000-0.0016101,414,015
武蔵国総計3,5201,282,000.7709002,942351,282,000.4549301,209,639.0561603,532,871
※『郡村石高帳』の武蔵国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の武蔵国人口合計211万8856人は明治8年1月1日調本籍人口205万7870人と比べて過剰であり、現住人口ベースか。明治6年1月1日調現住人口210万8076人と数字が近く(東京府の現住人口は前後で年間3万~5万人増加)、約1万人ほど過剰となっているが、明治12年1月1日調本籍人口との比較で人口過剰となっている郡を特定できない。
※『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安房国長狭郡6023,011.9270906323,011.92709038,459
安房国朝夷郡6222,641.0188106422,641.01881038,474
安房国平(平群)郡7226,137.34710075126,137.34710040,343
安房国安房郡5323,851.13050090223,851.13050038,055
安房国合計24795,641.423500292395,641.423500155,331
安房国不一致00.000000000.0000000
安房国総計24795,641.423500292395,641.42350095,641.423500155,331
※『共武政表』の安房国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安房国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上総国天羽郡7524,684.4497507624,684.44975026,825
上総国周淮(周准)郡10927,021.502700108127,021.50270031,235
上総国望陀郡19760,127.944430193160,127.94443055,015
上総国市原郡19256,739.004320187256,739.00432060,031
上総国夷隅郡18269,133.876670170269,133.87667078,698
上総国長柄郡13862,336.711210129162,336.71121058,955
上総国埴生郡4818,570.3143504818,570.31435018,111
上総国山辺郡13253,287.677050131153,287.67705053,721
上総国武射郡13255,412.29046013155,412.29046041,005
上総国合計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940423,596
上総国不一致00.000000000.0000000
上総国総計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940427,313.770940423,596
※『共武政表』の上総国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上総国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下総国葛飾郡662123,436.2542103313123,436.254210148,015
下総国猿島郡7945,575.34490080145,575.34490040,908
下総国結城郡9835,313.34240051135,313.34240019,562
下総国豊田郡8039,254.40824079139,254.40824027,179
下総国相馬郡14864,464.05748013464,464.05748060,630
下総国千葉郡13444,420.164890126144,420.16489059,123
下総国埴生郡6425,773.3296206225,773.32962018,542
下総国香取郡306148,826.7925903082148,826.792590103,664
下総国匝瑳郡8437,736.4295808237,736.42958039,301
下総国海上郡7626,713.13449075126,713.13449049,249
下総国岡田郡5623,375.2034405323,375.20344014,966
下総国印旛郡28770,139.536410240170,139.53641069,694
下総国合計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250650,833
下総国不一致00.000000000.0000000
下総国総計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250685,027.998250650,833
※『郡村石高帳』の下総国の国郡別石高は外反高2345石8斗6升2合3勺(千葉郡)を含まない。反高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』、『共武政表』の石高と一致し、反高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国反高加算前石高反高反高加算後石高
下総国千葉郡44,420.1648902,345.86230046,766.027190
下総国総計685,027.9982502,345.862300687,373.860550
※『共武政表』の下総国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(65万0863人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
常陸国茨城郡329151,062.5139003022151,057.762900124,283
常陸国那珂郡12787,229.057000127187,229.05700074,507
常陸国久慈郡14188,328.120000141188,328.12000065,219
常陸国多賀郡9252,235.6834108352,235.68341040,410
常陸国新治郡190116,603.6133001892116,572.04030078,976
常陸国真壁郡306133,448.7918002621133,460.17180069,201
常陸国筑波郡19780,660.073400173180,661.07340048,058
常陸国信太郡9544,798.2413409444,798.24134025,739
常陸国河内郡14463,658.394910144163,658.39491042,272
常陸国行方郡8353,008.44198082153,008.44198038,614
常陸国鹿島郡13150,596.221460130250,596.22146053,074
常陸国合計1,835921,629.1525001,72712921,605.208500660,353
常陸国不一致00.000000000.000000-7
常陸国総計1,835921,629.1525001,72712921,635.781500921,605.208500660,346
※『郡村石高帳』の常陸国の村数総計は外町3。
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(91万2453石5斗4升5勺)の常陸国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の常陸国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(66万1898人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
近江国犬上郡13362,137.207720110162,137.20772069,976
近江国愛知郡12864,802.52880012664,802.52880038,751
近江国神崎郡8648,425.1710008648,425.17100035,678
近江国蒲生郡244139,630.7746502142139,630.77465080,783
近江国甲賀郡13878,654.159160134178,654.15916059,438
近江国野洲郡10168,550.1747007868,550.17470034,117
近江国栗太郡12170,371.93765011070,371.93765041,401
近江国滋賀郡8846,218.55730078346,218.55730055,274
近江国高島郡15274,146.150000129274,146.15000045,335
近江国伊香郡7136,012.0554007736,012.05540020,863
近江国浅井郡14476,841.44180014476,841.44180038,688
近江国坂田(阪田)郡17392,059.367100165192,059.36710057,795
近江国合計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280578,099
近江国不一致00.000000000.0000000
近江国総計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280857,849.525280578,099
※『共武政表』の近江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の近江国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美濃国不破郡4641,418.7413004641,418.74130027,082
美濃国多芸郡6038,422.17360061138,422.17360023,020
美濃国石津郡7928,785.49790073128,785.49790024,044
美濃国安八郡15195,778.626500152295,778.62650068,585
美濃国池田郡6924,479.0349006924,479.03490020,428
美濃国大野郡12454,605.029800118154,605.02980031,687
美濃国本巣郡6840,354.49850067140,354.49850025,622
美濃国席田郡95,731.80490095,731.8049002,963
美濃国方県郡5436,834.8649005336,834.86490023,672
美濃国厚見郡5742,831.33480057242,831.33480047,615
美濃国山県郡4926,395.4800004726,395.48000022,403
美濃国武儀郡8644,210.25680080244,210.25680064,964
美濃国郡上郡16532,071.210700164132,071.21070048,945
美濃国加茂(賀茂)郡10747,329.22974010147,329.22974050,906
美濃国恵那(恵奈)郡8141,919.40963075341,919.40963056,316
美濃国土岐郡4922,597.1085804922,597.10858029,662
美濃国可児郡9434,032.5446007434,032.54460027,150
美濃国各務郡4120,733.4471003820,733.44710016,741
美濃国羽栗郡6324,162.45800062224,162.45800030,895
美濃国中島郡3115,212.2664003115,212.26640018,051
美濃国海西郡2611,749.8650002611,749.8650007,396
美濃国合計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650668,147
美濃国不一致00.000000000.0000001
美濃国総計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650729,654.883650668,148
※『共武政表』の美濃国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81060] 2012年 7月 10日(火)00:43:42YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (2)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊勢国度会郡17755,535.694200198155,535.69420093,959
伊勢国多気郡13048,411.33150013048,411.33150035,267
伊勢国飯野郡4825,854.6120004425,854.61200014,614
伊勢国飯高郡11052,502.233500108152,502.23350045,795
伊勢国一志郡154105,666.9060001301105,666.90600073,216
伊勢国三重郡9167,117.63030090167,117.63030052,830
伊勢国朝明郡6633,811.7460006933,811.74600027,795
伊勢国桑名郡16162,901.355000166162,901.35500052,207
伊勢国員弁郡11050,570.09500011250,570.09500036,720
伊勢国河曲郡3834,176.29800038134,176.29800020,272
伊勢国鈴鹿郡8966,638.94650084266,638.94650041,562
伊勢国安芸(奄芸)郡6247,666.58200056147,666.58200034,634
伊勢国安濃郡8863,522.98500082163,522.98500055,858
伊勢国合計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000584,729
伊勢国不一致00.000000000.0000000
伊勢国総計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000714,376.415000584,729
※『共武政表』の伊勢国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊勢国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口58万5988人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
志摩国答志(荅志)郡3711,564.43100039111,564.43100023,089
志摩国英虞郡197,714.772000197,714.77200023,854
志摩国合計5619,279.20300058119,279.20300046,943
志摩国不一致00.000000000.0000000
志摩国総計5619,279.20300058119,279.20300019,279.20300046,943
※『共武政表』の志摩国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の志摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
尾張国愛智(愛知)郡136124,473.7831001563124,473.783100206,114
尾張国春日井郡202151,462.5660002061151,462.566000110,581
尾張国丹羽郡13173,199.891100131173,199.89110069,453
尾張国葉栗郡4119,070.5140003719,070.51400024,602
尾張国中島郡164124,229.7450001621124,229.74500090,016
尾張国海東郡152127,615.0750001462127,615.07500075,991
尾張国海西郡9844,587.16200010944,587.16200031,328
尾張国知多郡147100,135.4300001482100,135.430000123,890
尾張国合計1,071764,774.1662001,09510764,774.166200731,975
尾張国不一致0.000000000.000000-1
尾張国総計764,774.1662001,09510764,774.166200764,774.166200731,974
※『共武政表』の尾張国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の尾張国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
三河国額田郡20652,555.102000186152,555.10200054,518
三河国碧海郡17897,311.004000179397,311.004000102,382
三河国加茂(賀茂)郡35767,537.997000353267,537.99700059,207
三河国幡豆郡19471,822.187000184171,822.18700073,697
三河国宝飯郡12158,041.91100011858,041.91100055,425
三河国設楽郡22430,171.544000230130,171.54400038,153
三河国八名郡7127,124.4210007427,124.42100023,755
三河国渥美郡13967,809.544000130267,809.54400078,333
三河国合計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000485,470
三河国不一致00.000000000.0000000
三河国総計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000472,373.710000485,470
※『共武政表』の三河国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の三河国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
遠江国榛原郡14050,382.506490140350,382.50649069,249
遠江国城東郡11168,988.173520116168,988.17352052,317
遠江国佐野郡9929,364.46551095129,364.46551030,616
遠江国山名郡11139,956.32453010939,956.32453024,902
遠江国周知(周智)郡9725,173.40110095125,173.40110028,740
遠江国磐田郡11,168.039000111,168.0390004,430
遠江国豊田郡26955,990.899310271355,990.89931066,961
遠江国長上郡12430,573.09936012630,573.09936031,519
遠江国鹿玉(麁玉)郡62,533.27131062,533.2713103,057
遠江国敷智(敷知)郡14249,254.380130146249,254.38013080,761
遠江国浜名郡21,269.52900021,269.5290003,187
遠江国引佐郡4917,892.25975050117,892.25975019,189
遠江国合計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010414,928
遠江国不一致00.000000000.0000000
遠江国総計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010372,546.349010414,928
※『共武政表』の遠江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の遠江国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
駿河国富士郡15751,258.014050153248,772.04610057,975
駿河国駿東郡17353,159.584930165251,960.88200070,608
駿河国安倍郡13021,230.783730125119,427.56985028,308
駿河国有度(有渡)郡11037,548.949050109135,090.98320083,962
駿河国庵原郡8722,275.93270083221,740.18780048,379
駿河国志太郡13654,340.92840012853,141.88600067,851
駿河国益津(益頭)郡3612,139.97200036211,912.90100016,296
駿河国合計829251,954.16486079910242,046.455950373,379
駿河国不一致00.000000000.0000000
駿河国総計829251,954.16486079910251,782.795400242,046.455950373,379
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(25万1918石9斗6升4合4勺5才)の駿河国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の駿河国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口37万2674人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
甲斐国山梨郡14779,555.638700140178,019.23920072,741
甲斐国八代郡18168,037.682750151166,603.55779070,588
甲斐国都留郡10721,637.765500107321,339.52550067,311
甲斐国巨摩郡337142,954.0899002621141,622.011000152,333
甲斐国合計772312,185.1768506606307,584.333490362,973
甲斐国不一致00.000000000.0000000
甲斐国総計772312,185.1768506606307,584.333490307,584.333490362,973
※『郡村石高帳』の甲斐国石高は、外に貫高3貫500文(巨摩郡)。
※『共武政表』の甲斐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の甲斐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊豆国君沢郡7122,970.86769070153.87810022,916.98959030,474
伊豆国田方郡6925,835.4745407046.23700025,789.23754022,272
伊豆国加茂(賀茂)郡12830,642.909130126135.12546030,607.78367067,113
伊豆国那賀郡174,587.957000177.7150004,580.2420009,820
伊豆国合計28584,037.2083602832142.95556083,894.252800129,679
伊豆国不一致00.000000000.0000000
伊豆国総計28584,037.208360283283,894.25280083,894.252800129,679
※『郡村石高帳』と『日本地誌提要』の伊豆国の町村数総計には、郡が設置されていなかった伊豆七島(『日本地誌提要』によると、大島5村、利島1村、新島2村、神津島1村、三宅島5村、御蔵島1村、八丈島5村、小島2村、青島2村、合計24村)、小笠原島(『日本地誌提要』によると、父島3村、母島1村、合計4村)が含まれない。また伊豆七島、小笠原島は一般に無高とされていた。
※『郡村石高帳』の伊豆国の国郡別石高は過高142石9斗5升5合5勺6才を含む。過高加算前の国郡別石高は『郡村石高帳』、『共武政表』、『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
伊豆国君沢郡22,916.98959053.87810022,970.867690
伊豆国田方郡25,789.23754046.23700025,835.474540
伊豆国加茂郡30,607.78367035.12546030,642.909130
伊豆国那賀郡4,580.2420007.7150004,587.957000
伊豆国総計83,894.252800142.95556084,037.208360
※『共武政表』の伊豆国人口総計は、明治7年1月1日調本籍人口15万1774人より明治6年1月1日調の伊豆七島の口2万1791人(『日本地誌提要』によると、大島4460人、利島235人、新島2550人、神津島1445人、三宅島2790人、御蔵島239人、八丈島9423人、小島396人、青島253人)、波津島人口285人(『日本地誌提要』によると賀茂郡に含まれる)、小笠原島人口42人(『日本地誌提要』によると、父島38人、母島4人)を減じた値12万9656人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
相模国足柄上郡9835,074.4482609435,074.44826031,301
相模国足柄下郡9230,561.28810086130,561.28810046,051
相模国大住郡11966,244.425560115266,244.23190055,680
相模国淘綾郡208,108.4166601918,108.41666013,084
相模国愛甲郡4326,265.22507042126,252.01207025,748
相模国津久井郡2912,421.2702503012,421.27025019,881
相模国三浦郡7824,457.49530077324,457.49530062,052
相模国鎌倉郡8931,475.90219085231,475.90219037,985
相模国高座郡11055,168.260580111155,168.26058068,140
相模国合計678289,776.73197065911289,763.325310359,922
相模国不一致00.00000000-60.0000000
相模国総計678289,776.73197065911289,844.162310289,703.325310359,922
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(28万9700石2斗2升5合3勺1才)の相模国の石高総計は全て異なる。
※『郡村石高帳』の相模国の国郡別石高は過高13石4斗6合6勺6才(大住郡、愛甲郡)を含む。過高加算前の国郡別石高は『共武政表』の石高と一致する。また外に永高1122貫371文8分(鎌倉郡)。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
相模国大住郡66,244.2319000.19366066,244.425560
相模国愛甲郡26,252.01207013.21300026,265.225070
相模国総計289,763.32531013.406660289,776.731970
※『共武政表』の相模国石高は、外に永高1322貫371文8分(鎌倉郡)。
※『共武政表』の相模国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口35万9598人とほぼ等しい。
[81059] 2012年 7月 10日(火)00:40:53YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (1)
[[80384]][[80385]]で、明治5年の石高について簡単にまとめましたが、今回『郡村石高帳』記載の郡別石高について一通り纏めることが出来たので、紹介します。

今回紹介する『郡村石高帳』とは、東京大学史料編纂所所蔵の手書きのものです。史料には
明治六年六月以租税寮蔵本膀写峻功
との記載があり、写本が作成されたのが、地租改正の始った年である明治6年の6月。つまり書き記されている石高は、明治5年度終了時点での、地租改正前の最後の地租であると推測されます。

実は全く同じ『郡村石高帳』というものが一橋大学の経済研究所付属社会化学統計情報研究センターにあります。こちらの史料についても内容を確認したところ、一橋大学所蔵のものは、総理府統計局図書館所蔵の『郡村石高帳』のコピーを取った複製品であることが分かりました。そこで東大史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』と一橋大学所蔵の『郡村石高帳』(即ち総理府統計局所蔵のもののコピー)を実際に手にとって比較したところ、東大史料編纂所所蔵のものには朱書きによる修正が沢山入っているのに対し、一橋大学所蔵のものは修正が入っておらず、時系列的には一橋大学所蔵のものに修正を入れたのが東大史料編纂所所蔵のもので、情報量は東大史料編纂所所蔵のものの方が圧倒的にあることが分かりました。

ところで同じような郡別石高が、菊地利夫『続・新田開発―事例編』古今書院(1986年)にも載っています。この石高は、様々な辞書でも引用されているもでもありますが(例えば江戸と座敷鷹のサイトで引用されている石高は、元をただせば菊地氏の著作から)、
この統計の原本は内務省地誌課が正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳と明治六年の郷村石高帳を筆写した記録であり、東京大学史料館に所蔵されているものである。
とのことです。しかしながら、東大史料編纂所所蔵の『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の原本を私が確認したところ、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字は不完全で、数字もどちらかといえば『旧高旧領取調帳』ベースのものを持ってきたと思われます([80385])。

木村礎校訂『旧高旧領取調帳』(1969年~1979年)の石高については過去に[76816][76817][76818][76819][76820][76821][76822][76904]でまとめましたが、これは関東大震災前に芦田伊人が内務省地理局地誌課に存在した原本を書き写したものを校訂したものです。『旧高旧領取調帳』の編纂経過・編纂年は不明ですが、おそらく『皇国地誌』製作事業の過程で製作されたもので、一部内容から明治9年以降に製作されたものとされています。ただ重要なのはその石高が何時のものかということで、旧領時代の史料となると府藩県三治制時代のもので、地租改正直前最後の明治5年の石高よりも数年前の状況を表しているものと推測されます。

[80384][80385]でもまとめましたが、『郡村石高帳』と同系列の石高を記しているものとして、『明治八年共武政表』(1875年)『日本地誌提要』(1875年)「大日本石高反別古今比較表」『地理局雑報』(8号)(1878年)があります。『日本地誌提要』は
戸数人口共ニ戸籍寮明治六年癸酉ノ表簿ニ据リ、田圃租税ハ其前年ノ数ニ係ル
『地理局雑報』は、
石高ハ明治五年郡村地租帳
と記述していることからも、『郡村石高帳』の石高が明治5年調であることが示唆されます。

さて、『明治八年共武政表』は明治一桁代の郡別人口(その多くは明治6年1月1日調本籍人口)を伝える数少ない史料です。一方『日本地誌提要』は明治7年頃の郡別町村数を記載していますが、その数は『郡村石高帳』の村数と大分異なります。『日本地誌提要』によると、
郡数ノ条。村町ヲ挙ゲ。村数ハ本支ヲ合計シ区分ハ之ヲ略ス。
とあるので、枝村や町の数を省略している『天保郷帳』や分類の曖昧な『旧高旧領取調帳』のものよりは、『日本地誌提要』の町村数の方がより正確とは思われます。

というわけで今回まとめるのは、『郡村石高帳』記載の村数と石高、『日本地誌提要』記載の村数、町数と石高、『共武政表』記載の石高と人口です。

以下、旧国毎に集計します。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
山城国葛野郡8535,655.4545108035,655.45451027,315
山城国愛宕郡9227,161.2737006127,161.273700257,835
山城国宇治郡4615,432.0524303915,432.05243011,330
山城国乙訓郡5225,792.7496005025,792.74960015,537
山城国紀伊郡3327,676.88837024127,676.88837037,421
山城国久世郡4028,420.10236037228,420.10236021,203
山城国綴喜郡6024,963.43900055124,963.43900027,075
山城国相楽郡7937,266.7452008837,266.74520033,730
山城国合計487222,368.7051704344222,368.705170431,446
山城国不一致00.00000000-9,999.999540-10,000
山城国総計487222,368.7051704344222,368.705170212,368.705630421,446
※『共武政表』の山城国石高合計は『郡村石高帳』、『日本地誌提出要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の山城国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口(皇族を除く)と一致し、『共武政表』の山城国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大和国添上郡15658,233.123980140158,233.12398053,256
大和国添下郡7140,513.95040074140,513.95040038,176
大和国平群郡9031,797.7692008331,797.76920024,419
大和国山辺郡16149,131.41075014849,131.41075033,763
大和国宇陀郡11833,947.189100139133,947.18910025,794
大和国式上(城上)郡5722,711.8037005622,711.80370019,653
大和国式下(城下)郡4827,171.3380005327,171.33800014,410
大和国十市郡7042,455.3966308542,455.39663025,022
大和国広瀬郡3718,518.1890003418,518.18900013,368
大和国葛上郡7124,570.80800062124,570.80800019,740
大和国葛下郡8842,328.2830008642,328.28300033,920
大和国高市郡12841,756.66520012141,756.66520033,734
大和国忍海郡225,577.459000205,577.4590002,811
大和国宇智郡6918,388.7831006318,388.78310017,109
大和国吉野郡24646,584.067700325145,584.06770067,780
大和国合計1,432503,686.2367601,4895502,686.236760422,955
大和国不一致00.000000000.000000-20,000
大和国総数1,432503,686.2367601,4895502,686.236760502,686.236760402,955
※『郡村石高帳』の大和国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大和国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『共武政表』の大和国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口42万3004人とほぼ等しく、『共武政表』の大和国総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
河内国茨田郡9738,222.96400069238,222.96400030,295
河内国交野郡6223,620.9025003923,120.90250021,092
河内国讃良郡4115,369.09000034115,369.90000013,910
河内国河内郡4216,095.4927002816,095.49270016,499
河内国若江郡7140,188.64330064140,188.55330027,873
河内国高安郡235,973.110000145,973.1200006,147
河内国渋川郡4223,134.19730033123,134.19730012,978
河内国大県郡184,717.102000114,717.1020004,647
河内国志紀郡2713,113.2693002213,113.26930010,323
河内国丹北郡5323,820.7770004523,820.77700020,154
河内国石川郡5425,140.21400046125,161.70100022,662
河内国錦部郡7118,204.8831004918,205.38310015,471
河内国安宿部(安宿)郡42,584.850000412,585.0500002,585
河内国丹南郡5122,573.2708005222,173.27080020,009
河内国八上郡1513,078.5500001113,078.5500006,117
河内国古市郡177,281.2712001317,281.7202006,910
河内国合計688293,118.5872005348292,241.953200237,672
河内国不一致00.00000000903.531000906
河内国総計688293,118.5872005348293,118.587200293,145.484200238,578
※『郡村石高帳』の河内国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の郡別石高には様々な誤写があると推測される。
※『共武政表』の河内国人口合計23万7672人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口23万7678人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
和泉国大鳥郡15451,548.055000103251,491.34600081,089
和泉国泉(和泉)郡10431,037.62190082130,958.60190030,665
和泉国南(泉南)郡7636,833.14580073236,828.75080043,622
和泉国日根郡8256,771.95340075256,356.46740054,202
和泉国合計416176,190.7761003337175,635.166100209,578
和泉国不一致00.000000000.00000090,000
和泉国総計416176,190.7761003337176,190.776100175,635.166100299,578
※『郡村石高帳』の和泉国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の和泉国人口合計20万9578人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口20万9174人とほぼ等しく、『共武政表』の和泉国人口総計は誤写と推測される。

村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
摂津国島上郡9332,603.95120060232,597.73020024,685
摂津国島下郡14357,338.492300103257,399.66630035,350
摂津国豊島郡16231,656.67270087131,656.67270029,136
摂津国有馬郡11545,986.91140094245,986.91140032,010
摂津国八部郡5319,658.07840038219,658.07840050,455
摂津国兎原(菟原)郡6113,970.2940005113,970.29400024,538
摂津国武庫郡6023,759.55620056123,759.55620028,777
摂津国川辺(河辺)郡21767,186.241800178267,186.24180064,278
摂津国西成郡18154,054.030000124253,969.238000343,227
摂津国東成郡7736,744.27500058136,699.12500061,916
摂津国住吉郡6920,821.24280056220,761.91680025,147
摂津国能勢郡5412,742.1900004012,742.19000011,424
摂津国合計1,285416,521.93580094517416,387.620800730,943
摂津国不一致00.00000000416,387.6208000.0000000
摂津国総計1,285416,521.93580094517416,387.620800416,387.620800730,943
※『共武政表』の摂津国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の摂津国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊賀国阿拝郡6945,304.53500068145,304.53500049,839
伊賀国山田郡2517,775.1898002617,775.1898009,807
伊賀国伊賀郡5030,298.5674005130,298.56740021,639
伊賀国名張郡3817,539.67420043117,539.67420015,905
伊賀国合計182110,917.9664001882110,917.96640097,190
伊賀国不一致00.000000000.0000000
伊賀国総計182110,917.9664001882110,917.966400110,917.96640097,190
※『共武政表』の伊賀国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊賀国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81018] 2012年 7月 1日(日)18:35:57【1】YT さん
明治8年、明治11年、明治12年、明治13年共武政表
陸軍参謀局が編纂した『共武政表』ですが、とうとう全巻を近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっていました。

『明治八年共武政表 上』

『明治八年共武政表 下』

『明治十一年共武政表 全』

『明治十二年共武政表 上』

『明治十二年共武政表 下』

『明治十三年共武政表 上』

『明治十三年共武政表 下』

明治11年、明治12年、明治13年の『共武政表』に記載されている本籍人口は、実際にはそれぞれ明治12年1月1日調、明治13年1月1日調、明治14年1月1日調です。

以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
[81011] 2012年 6月 30日(土)01:05:50【1】YT さん
「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」と「地方港湾」
[81010] hmtさん
田尻町の本土側と 関空島との間の海域。ここには水上生活者は居ないと思います。
つまり、[81009]に引用された省令第一条第4項各号に該当せず、水面調査区ではないということです。

自分はずっと関西国際空港の陸側に向けて作られた泉州港は

一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域

に相当するため、水上生活者の有無に関わらず自働的に水面調査区が設置されるものと思ってました。ところがhmtさんの書き込みを読み、改めて大阪府の港湾を調べたところ、どうも泉州港は「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」の何れにも相当しない「地方港湾」だったようです。

大阪府の港湾港湾法の規定市町村
大阪港国際戦略港湾大阪市
堺泉北港国際拠点港湾堺市・泉大津市・高石市
阪南港重要港湾泉北郡忠岡町・岸和田市・貝塚市
二色港地方港湾貝塚市・泉佐野市
泉佐野港地方港湾泉佐野市
尾崎港地方港湾阪南市
淡輪港地方港湾泉佐野市・泉南郡田尻町・泉南市
深日港地方港湾泉南郡岬町
泉州港地方港湾泉南郡岬町

そうなってくると・・・関空と陸側の一部工場地帯を一個の特別調査区としたとかでしょうか?調査区地図の方は、統計図書館に出向かない限り確認しようがないので、ハードルが高いようです。
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/micro.htm
[81009] 2012年 6月 29日(金)17:06:03【2】YT さん
水面調査区
[81008] hmtさん

関西国際空港連絡橋を経由しないと往来できない 田尻町や泉南市でも 「隣接」扱いですから、既存の2トンネルに加えて東京ゲートブリッジ[80265] が開通した中央防波堤埋立地も、当然に 23区と隣接した 人口集中地区ということになります。

同じように、1975年、1980年、1985年の北九州市若松区DIDは、八幡西区DIDや戸畑区DIDと隣接してません。それにもかかわらず「北九州連合集中地区」として同一の人口集中地区とされています。

この問題の本質は、「水面調査区」が地図上に図示されてないことによると思います。

昭和45年度版の『わが国の人口集中地区』の「利用上の注意」によると、人口と面積に関して:

(1) 人口集中地区に含まれる水面調査区の人口は,原則として人口集中地区の人口のなかに参入されていない。ただし,市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合は,水面調査区の人口も当該人口集中地区の人口に含めた。

(中略)

(2) 人口集中地区に含まれる水面調査区の面積は,原則として人口集中地区の面積のなかに含めたが,港湾に設定された水面調査区の面積は,当該人口集中地区の面積から除外した。

つまり地図上では空白となっているが、その部分には「港湾に設定された水面調査区」が存在していることになります。

現在の国勢調査の調査区の設定の基準等に関する省令によると、

第一条  国勢調査令 (以下「令」という。)第八条第一項 の規定による調査区の設定は、市町村の区域を一般調査区、特別調査区又は水面調査区のいずれかに区分して行うものとする。

4  水面調査区は、総務大臣の定める方法により、次に掲げる区域を区分して設定するものとする。
一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域
二  港湾法第二条第二項 に規定する地方港湾の同条第三項 に規定する港湾区域又は漁港漁場整備法 (昭和二十五年法律第百三十七号)第二条 に規定する漁港の水域(前号の国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾に指定されている漁港の水域にあつては港湾区域に該当する水域を除いた水域)で居住者の存するもの
三  河川又は運河の河口及びその周辺水域で居住者の存するもの(前二号に該当するものを除く。)

ともかく「港湾に設定された水面調査区」と「準人口集中地区」に関する地図が入手できれば、[80928]で示したようにDIDを拡張し、人口集中地区・準人口集中地区が港湾に設定された水面調査区をはさんだ分を含めてひたすら隣接した地域の人口・面積の計算も出来るのですけど・・・

【追記】 そういえば[271]で、個々の人口集中地区,準人口集中地区について昭和35年から平成17年までの変遷をまとめて下さったsatoさんは、今どうしていらっしゃるのでしょう?そもそもsatoさんはどうやって準人口集中地区の情報を得たのでしょうか?

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

とあるのですが、この所定の手続きは楽なんでしょうかね?

あと、改めてDIDの定義の文([81006])を見返すと、どこにも水面調査区への言及がないですね。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
港湾施設を形成する特別調査区・水面調査区の内、特別調査区のみをDIDに加えるというのは、定義として間違ってないんでしょうけど、「利用上の注意」まで読み進めて初めて「水面調査区」の言及がある。どうも定義の文に不備がある感じがします。
[81006] 2012年 6月 29日(金)02:14:42【1】YT さん
DIDの定義 再び
[80994] 白桃さん
それではと、7割1分3厘というYTさんの驚異的な数字を見て、やっとヒト安心。
人口の話題ばっかり書き込んでいるYTです。最近は過去の市町村別人口のまとめをそっちのけにして、正保郷帳、明治初期の石高にばかり気を取られていて、近い将来にそっちの投稿をする予定です。それはさておき・・・

[81003] hmtさん

東京の中心部にある千代田城一帯は、人口が極めて少ない地区だと思うのですが、なぜ DIDに含まれているのでしょうか?

羽田空港も巨大な人口希薄地帯の筈ですが、これもDID。
それどころか、所属する区が未定の中央防波堤埋立地までもピンクに着色されています。

この辺の例外については、総務省統計局が毎回出版している『我が国の人口集中地区』の方で詳しい解説があります。総ての回の定義部分をコピーして自分の手元に所持しているわけではないので、正確なことは書けませんが、以下は昭和45年版でのDIDの定義です。

2 設定の基準

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。
 また,これら人口密度の高い調査区につぎのような調査区が隣接している場合には,人口密度に関係なく,これを人口密度の高い調査区が集まっている地域に含めた。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
(2) 学校・研究所・都市公園・神社・仏閣・運動場等の文教レクリェーション施設,工場・倉庫・事務所・鉄道用地等の産業施設または官公庁・病院・療養所等の公共および社会福祉施設のある地域が,原則として調査区の3分の1以上の面積を占めている調査区。 なお,同一市区町村内に2か所以上の人口集中地区が存在する場合は,人口の多い順に,I,II,III……の符号でそれぞれの人口集中地区を表した。

この頃は、まだ「基本調査区」が導入される前で、一般調査区、特別調査区、水面調査区などの「国勢調査調査区」が基本単位でした。そのため例外(2)では、調査区の3分の1以上の面積が例外施設で占められている調査区がDIDに含まれていましたが、1995年以降の「基本調査区」の設置で基本単位が狭くなり、そのために2分の1に基準がゆるくなったのでしょう。また昭和45年の定義だと皇居は例外(1)に相当する「社会施設など特殊な施設のある特別調査区」となります。現在の定義では例外(1)が残ってるのかは分かりませんが、ウェブ上ではなくて実際に最新の『我が国の人口集中地区』をチェックした方が確実でしょう。

都内であれば、『我が国/わが国の人口集中地区』シリーズは港区にある都立中央図書館で閲覧可能です。ただ書庫内から取り寄せないといけないので、そこよりも東京大学弥生キャンパスの農学生命科学図書館を薦めます。館内の2階には日本帝国統計年鑑の初巻や、一連の国勢調査報告書が揃っており、一度入館すれば煩雑な手続きなしに膨大な数の統計書を閲覧できます。


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