もう20年も前ですが、
[65350]小松原ラガーさんが最初に訪問された国を訪れたことがあります。同国の経済がまさに飛び立とうとしている時で、国全体にものすごい活気があふれていました。といっても、私は経済上の(仕事の)関係はなく、学者・オピニオンリーダーといわれる先生方の視察・調査団にくっついていっただけですが。しかも私はもちろん先生ではありませんので、使命も責任もないきわめてお気楽な立場での参加でした。南の大都市から北の首都へ10日ほど、短い期間でしたが、日本からはまだ余り人が行っておりませんでしたので、私には貴重な体験でした。
今、どういう社会を作っているかは存じませんが、当時(私に)は、まだ、良くも悪くも北の大国の存在を強く感じさせるものがありました。近代の政治面ばかりでなく、長い歴史の中で、思想・文化について深く影響を受けてきたことと思います。実質的に支配を受けたこともあったのでしょう。南から北への途中、立ち寄ったフエ(ユエ)という町にあった古い王朝の史跡や、郊外の仏教徒の修行している僧坊などで、特にそれを感じました。
一方で、街並みが西欧(フランス)風で、フランスパン(とてもおいしい)が日常的に人々に食されていることなど、旧宗主国のフランス統治を思わせることもありました。ホテルもフランス系でした。
当時も、ともかく数が多くあらゆる方向から来る自転車やバイクが、入り交じりながら、しかも誰も停止せずに交差点を通過していく流れは、すごかったですね。そのうねりの見事さに、私は心底驚き、恐怖し、そして感心しました。感心は、結果的に事故を起こしていないのは、実は他人の運転をちゃんと確認し、的確に判断しているからで、ひょっとしたら思いやりと自己責任を貫く、これこそ交通安全の原点ではなかろうかと思ったのです。ただし私には運転できません。そういえば市場なども、ともかくすさまじく(正直不潔と思いました)、辟易するほどの臭いと喧騒で、私はとても生活できそうもないと思いましたが。
観光地でも、人力車の勧誘や、土産ものを売る(売りつける)人がいっぱいで、活気にあふれていました。扇子などの小物を売っているのはほとんど子供でしたね。
戦争の犠牲となって体に後遺症を受け、それを見せて物乞い(というより金銭を要求してくる)をしている人もいました。これにはいい感じを持てなかった私も、戦争犯罪博物館では言葉を失いました。戦争はあってはならないと思わずにいられません。
多くの方はご存じないでしょうが、日本でも戦後(この戦争は第2次世界大戦です)傷痍軍人となった人が街角に立っておられたことがありましたね。ただ、この方たちは要求などはせず、人々の恵みを待っているだけでした。
何を書いているのかわからなくなりましたが(初めは自転車・バイクのうねりのことを書くつもりでした)、当時私が感じたバイタリティは、同国の経済発展の大きな力となって、今ではBRICsに次ぐ将来性豊かな国の1つとされていますね。もっとも天然(鉱物)資源に頼るというより、人々の才能と勤勉さを基盤として、韓国に似た発展を遂げるのかと思いますが。
私は小松原ラガーさんと逆に、この国の首都からクルンテープに飛んで、寺院や王宮を拝観して日本に戻りました。
[65363]Issieさん
とても良くできていると思いました
私もそう思いました。
センター試験の地理の問題も基本は同じだと思いますよ。
なるほど!!