[66929]揖斐の山さん
[66931]Issieさん
相模原市は自ら希望したわけではない津久井郡4町との合併による「タナボタ政令市」ということで、特に旧市域の人たちにとっては盛り上がりに欠けるのでしょうね。
堺市は80年代、仙台市・千葉市との「政令市昇格レース」と言われながら人口が伸び悩み、合併特例で美原町を編入して念願が叶いました。
新潟市、静岡市、浜松市、そして岡山市は、官民(経)挙げての政令市待望論がありました。
少なくとも新潟・静岡・浜松は、私が市町村合併に関心を持ち始めた90年代前半、行政や地元経済界が合併政令市構想をぶち上げていました。
岡山はその時点では話は聞きませんでしたが(hiroroじゃけぇさん、その辺はどうなんでしょう・・・)、60年代に倉敷との大合併構想もあったことですし、待望論はあったのでしょう。
城南・益城両町との法定協設置で、富士登山でいえば5合目に来たかな、という感のある熊本市(両町との合併が実現すれば、最悪植木町との合併ができなくても移行可能)も、それなりの待望論があったように思えます。
わが千葉県北西部も、90年代から合併政令市待望論は大なり小なり存在しています。
新潟・静岡・浜松(&岡山・熊本)などの地方都市と違い、千葉県の北東・南部偏重が背景にあるわけですが、実現の目途が立たないだけに、相模原市のようなところはうらやましくも思えます。
しかし相模原市の場合、経済界などの待望論がないところに降って沸いた話だけに、どうでもいいと思っている住民も少なくなく、少しでもデメリットが出てきたことで、反対論・懐疑論も出てきたというところでしょうか。
政令指定都市になってどんなに「いいこと」があるのか,市は宣伝に努めてきたようですが,どう考えてもそれが住民に伝わっているとは思えない。そんな中,ここに来て,経済負担増のような「マイナスの話」がクローズアップされてきたことが,(みんな無関心だったので,やはり目立たない存在であった)「反対派」ないしは「懐疑派」が“浮き上がってくる”ことにつながったのかもしれません。
柏市の中核市移行でも、これと似たような問題が浮き彫りになっていました。
私がお世話になっている県会議員も、革新系ながら合併や道州制には割と肯定的なのですが、中核市移行には最後は反対しました。
私は政令市への一里塚として、中核市移行を支持していましたが。
[66923]伊豆之国さん
こちらが「葛飾」の本家ということで、葛飾区に対抗して「葛飾市」。あるいはひょっとしてかの幻の「東葛市」(現・柏市)の再登場?!
この地域の場合、「東葛市」は100%あり得ないでしょう。
もともと「東葛飾」は船橋・浦安から野田までですが、「東葛」といったら一般的には松戸・鎌ケ谷以北を指しますから。
船橋方面で、いわゆる「東葛地区」は「東葛北部」と名乗るべきだ、という声も、某ポータルサイト系掲示板で以前目にしましたが、この地区で人口に膾炙しているのは「葛南」ですし、新市名としてはこれが筆頭に上がるのではないでしょうか。
もちろん、「葛飾市」も否定するものではなく、可能性としてはあると思いますが。
松戸を含めることになれば「葛南」ではないですし、むしろ「葛飾市」の可能性も大きくなると思いますが、松戸市長が政令市の市長になりたいがために(柏グループと市川・船橋グループに)二股かけていたという側面がありますし、実現性は低いと言えるでしょう。
津田沼駅界隈での船橋・習志野両市側の商業地の一体化を考慮すると、習志野を加えた4市という枠組みもあり得るのではないかと思いますが
97年の正月明け、千葉日報の1面トップで「船橋・習志野・八千代・鎌ケ谷4市」の合併政令市構想が報じられ、旧自治省の合併情報サイトにも長く掲載されていましたが、これはすぐにポシャっています。
習志野市が乗り気でないというのが背景にあるようです。
それより前には衆院選だか県議選だかのある候補者が、「浦安・市川・船橋・習志野4市」の合併政令市を公約していたこともありましたが、これは今ではほとんど話題にもなりません。
私が生まれてから8歳まで過ごした所は、鎌ケ谷市の最南端、船橋にも市川にも近い所で(船橋市は目と鼻の先でしたが)、電車で東京方面に向かう場合は東武野田線で船橋経由でしたが、車の場合はまっすぐ市川へ出たものです。
その視点から見れば、船橋・市川・鎌ケ谷3市というのが自然な枠組みかなと思います。