[7743] かつ さん
>名古屋市内のブリッジ方式については初めて知りました。
ここの部分が、新たに発生するであろう群間格差の押さえ込みという観点で、ひとひねりした部分ですね。
企業人間の我々から見ても、県教委が考えたなかなかセンスある手法だと思われますね。
計画時点で問題点を予測して、それを仕組みとして封じ込める・・・大したものだと言えるでしょう。
[7745] 雑魚 さん
>学校群の陣容、興味深く拝見しました。伝統校への集中を是正するという意図が明確に見られますね。
名古屋地区におけるブリッジの組み合わせの仕方にも、それなりの妙味があると言うことですね。
決定にあたっては、かなりもめたんであろうことは容易に想像が出来ますね・・・
>一方、現況から考えて、半田や豊田西あたりも、群制度の洗礼を受けても不思議ではない陣容ですが、
>その辺り、どんなものやら。
この場合、2校の組み合わせで群を形成しているわけで、相手となるに相応しい組み合わせがない場合
群は作られておりません。(できたのは前述の、一宮・名古屋・刈谷・岡崎・豊橋のみ)
当時の、県内の多くの中都市には普通科高校は1校が標準で、組み合わせるべき相手がなかったのだと
思われます。半田の場合、知多半島でみても進学校と呼ばれる学校は当時はなかったとおもわれる。
豊田西の場合、相手となるべき豊田東は女子校だった。(豊田南・豊田北・豊田・豊野はその後に新設)
唯一可能性のあった蒲郡地区(蒲郡-蒲郡東)は、なぜか地元で反対運動があって編成できなかったと
言うことだったと記憶しております。
>三中系の津島に近い郡部の雄として進境著しい甚目寺町の五条あたりも、
>郡制度の影響を感じるのですが、違っていたら済みません。
これについては、学校群の影響を受けたと言えば、受けたということになるのでしょうね。
群に入れなかった新設校が、群を受験させて貰えなかった子供を集めて、大学進学を唯一の目標にして
スパルタ式にガンガン叩きまくった・・・というのが、この学校の真相ですね。
同様な方式をとったのが、東郷・知立東などであり、中学生達の間での評判は最悪の部類でありました。
[7755] 黒髪 さん
>行キタイ高校ニ行ケナイノハ学力不足ニアラズ
雑魚さんの言われるように、選択の自由がまったくないわけですから、かわいそう・・・
抽選だったら、それを引いた自分に幾分かの責任はあるのでしょうが、ここでは機械的だったからねえ。
で・・・それじゃあまずいなということで、16年経過して制度の見直しが行なわれ、考え出されたのが
複合選抜制度といわれるもので、生徒の自由度は大幅に改善され、一発勝負での失敗対策を含めて
一人で2校の受験チャンスがある画期的な仕組みがH2年から行なわれております。
http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/kotogakko/nyugaku.html
これは、学校を1群・2群とに分けたものを、さらにA・Bふたつの日程で受験する方法で
A日程で1群+B日程で1群 あるいはその逆のA日程で2群+B日程で2群の中から学校を選びます。
受験生は、いずれが第1志望かを明示しておき、両校合格の場合は第1志望にしか入学できないように
しばりをかけています。(こうしないと合格発表時点の最終人数の確定ができないから)
これにより、受験機会は2回に増え、自分で行きたい高校を決定することができたはずだが・・・
結果どうなったか?
第1志望と第2志望に差をつけることになってしまい、学校間ランク(格差というものでない)が
出願時点に明確に打ち出されるようになってしまった。
第1志望にAランクの場合には第2志望はBランク、第1志望にAランクの場合には第2志望はBランクと
なるわけで、2回ともAランク校にチャレンジということはさせて貰えない<中学校の指導
(偏差値ごとの適正校一覧などが塾で発行され、学校間ランクは極めてクリアに示されていた)
そういうことから、愛知県の場合、高校名を聞けば、受験時点での成績のレベルが想定できる
世間でもそのように判断できる、恐ろしいほどのランク社会になっております。
それは、高校の中でもまずいわけで、一部の学校を除けば、ある割合で第2志望の生徒がいるわけで
彼らはすでに挫折を味わった子供であり、第1志望の希望を叶えられた子供と一緒に学んで行くには
新学期のスタート時点から問題をはらんでいるのであります。
高校時代ぐらいのびのびと、明るく元気にスポーツをやればいいのに・・・
勉強で悩むのは、大学に行ってからでいいのに・・・ と、私は思うのですが、遅いですかねえ。