[97665] かぱぷうさん
当該地域は筑紫野市の旧筑紫村・小郡市の旧三国村にまたがり…
福岡県
小郡市三国が丘のことは全く知りませんでした。
地名コレクション『三国』からも落ちているようです。
今更ながら…ですが この場合の「三国」の名は?
マピオンにも地理院地図にも「国界」表示はありませんが、三国境所在地は、現在の行政境界により知ることができます。
筑前国>福岡県筑紫野市大字原田【筑豊本線の終点駅で、読みの はるだ を知っていました】
筑後国>福岡県小郡市希みが丘
肥前国>佐賀県三養基郡基山町大字小倉
国道3号筑紫野バイパス沿い。筑紫野温泉アマンディ付近で 九州自動車道の下を通過するあたりのようです。
しかし、
地理院地図の15スケール以上では 筑紫野市と小郡市との境界線が見当たりません。
筑紫野市教育委員会:ちくしの散歩
原田宿(3)国境の碑 では、江戸時代に建てられた国境石が解説されています。
そのひとつ「三国境石」は、当時の三国坂(現在は消滅)の峠付近に当たる険しい山の上にあり、この場所が筑前・筑後・肥前の境となっていました。
三国坂を原田側へ下ったところに「従是北筑前国」と刻まれた威風堂々たる国境石があります。
黒田藩の書家 二川相近の書。薩摩街道が通る市内馬市にもあるが、その先の国道3号左側の公園内には、東15mから移設された筑前肥前国境石があるとのこと。
これらの国境石は
別のページでも紹介されていましたが、古いページなので温泉施設は旧名のアクアフォーレとなっていました。背中合わせの国境石の背景に コンテナ列車が写っています。
そして、
更に別のページには、驚きの記載。
国道三号線の原田と 基山の中間に 「三国」と言う地名があります。読んで字の如く、筑前、対馬、筑後 が一点に交わっていますが、此処が現在も 福岡県と佐賀県の県境です。
筑前・筑後と境を接する三国の一角として記された地名は、なんと長崎県の離島である「対馬」でした。
これを見た私が最初に感じたのは、「肥前」の単純誤記の疑いでした。
しかし、読み返したら、背中あわせ石碑裏面の写真はないものの、九州地方整備局の設置した説明文「国境石」があり、「従是西肥前国対州領」を根拠とした記載「対馬」であることが判明しました。
前記筑紫野市のページにも「対馬領」の記載があり、「交渉難航をうかがわせる」と記された当事者の肥前側は、佐賀藩ではなく対馬藩だったのでした。
律令制時代に設けられた地理的名称「対馬国」は離島です。
しかし、江戸時代の人が付き合わねばならない 九州本土の隣国は、地理的には肥前国の一部であるが 行政的には「対馬領」であったのでした。
堺の「三国ヶ丘」
[47313] を思い出し、九州の「三国が丘」を調べていたら、意外な隣国の登場に驚いた。
お粗末の一席でした。