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hmtさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[99293]2020年3月24日
hmt
[99288]2020年3月23日
hmt
[99271]2020年3月19日
hmt
[99257]2020年3月15日
hmt
[99256]2020年3月15日
hmt

[99293] 2020年 3月 24日(火)18:44:35【1】hmt さん
明治12年当時の北海道 北見国網走郡と釧路国網尻郡
[99288] hmt  
そのつもりで 【公文録の】2コマに続く編制を見ると、疑問点があるようです。

一例を挙げると、リンク文書の16コマには、北見国網走郡8村があり、17コマにも同網走郡6村があります。
村名を見ると重複はないので、北見国網走郡が2群に分かれて記録されたのは単なる集計の不手際でしょう。

見逃せない本格的な疑問点として挙げておきたいのは、釧路国に存在したとされる「網尻郡」です。
この郡について 少し記します。

日本の北辺が騒がしくなった19世紀初頭。幕府により釧路国庶路から北見国に向かう「網走越」ルートが開通しました。
釧北峠【阿寒湖の西側】の北は 網走川沿い になりますが、現在の津別町・美幌町のあたりまでは釧路国の領域とされ、北見国とは同音異字の「網尻(あばしり)郡」とされたようです。

明治12年「公文録」では、釧路国に置かれた郡は 15-16コマに記され、網走越ルートの起点である 白糠郡庶路村や阿寒郡各村の名も見えます。しかし、網尻郡の存在は無視された状態です。

[99290]で紹介されたばかりの資料ですが、 府県及北海道境域沿革一覧第一編沿革図表 の 15コマ 左下付近を拡大してみると、北見国網走郡と釧路国網尻郡とが隣接していました。

大きな表を 境界線に沿って 上方に移動すると、明治14年の段に至り、「7月8日両郡の合併による網走郡」と記され、明治12年当時は「釧路国網尻郡」が存在していたことを確認できました。

最近落書き帳に紹介された資料の試用は この程度にして、北見国網走郡については、従前からの変遷情報も利用してみました。

今回の記事の冒頭に記したように、公文録の集計で2群に分かれていた村々。

16コマの 北見国網走郡8村
これは 1902年北海道二級町村制で網走町藻琴村最寄村が施行される前の旧村群でした。

そして、17コマ記載の同網走郡6村
こちらは 1915年北海道二級町村制で美幌村設置前の旧町村でした。

こんな具合で、郡区町村編制法>北海道二級町村制を経て現在の市町村への変遷ルートが追跡できるようです。

ここで新たな疑問が生まれました。
変遷情報検索で「網走」を検索すると、二級町村時代に網走町であった【ピンク地色の】北見町が出ます。
検索結果

明治35年の北海道二級町村制で誕生した「網走町」を構成した旧町村の一つである「網走郡北見町」です。この町は、明治12年の公文録に記載されておらず、その実体が不詳でしたが、網走町の市街地部分でしょうか?

記載がなかった原因を推測すると、明治12年から35年の間に【例えば】網走村からの分割 or 分立により誕生していたのか? それとも、公文録の記載漏れか?


ここで、変遷情報検索を使った お遊び。
北見市と、「その前身ではない北見町」を並んで出せるか?

普通に「北見」を検索すると、【ピンク地色時代の】北見町は hit しません。
苦し紛れに、「自治体種別:指定しない」 を外し 市町村だけにして 「北見」で検索を試みました。

結果オーライで、ピンクの網走郡北見町と【元・常呂郡野付牛町】現在の北見市とが 並んで hit しました
[99288] 2020年 3月 23日(月)11:20:05hmt さん
公文録
KUMON式とは無関係です(笑)。
太政官が明治元年から明治18年に授受した公文書を整理編集した資料です。
落書き帳では、最近になり ekinenpyouさんによる 具体的な事例紹介に利用されています。
私自身は検索手段も知らず、利用するに至っていない入門者ですが、一筆したためておきます。
レファレンス協同データベースの解説

[99279] ekinenpyouさん
開拓使 乙第4号布達 M12.7.23 M12.7.23
[99259]リンク先のもの【府県…沿革一覧】は本文が大幅に省略されておりますので
こちら(2コマ)も参考になるかと思います。

開拓長官 黒田清隆の名で「郡区町村 別冊の通り編制」という結果が、乙第4号として布達されたのは、明治12年7月23日であることは、資料「公文録」の 2コマによって よくわかりました。

リンク資料冒頭の 簿冊表題に続く部分をクリックすると、表紙と目録 が現れます。

5番目に挙げられている「郡区編制の件」ですが、[99279]でリンクしていただいた本体の第1コマには、何故か明治12年7月28日付の上申書(乙第82号と朱書)が付けられています。

昨年(明治11年甲第22号)伺済であり、上記のように人民に対する布達も済んでいるのに、編制実施の際に重ねて上申を出した理由は何か?
私にはよく理解できないので推測になりますが、いざ実施段階になったら、決済を得ていた編制から少し変更していたので、改めて上申したのではないでしょうか。

北海道における 郡区町村編制法の実際の施行日は、M12/7/28? との疑惑。

そのつもりで 2コマに続く編制を見ると、疑問点があるようです。
せっかく詳細な編制を 公文録によって知ることができたと思ったのに、あらぬ疑惑を生じたのは残念ですが、とりあえず記しておきます
[99271] 2020年 3月 19日(木)13:04:35【2】hmt さん
大学の敷地面積
[99269] シノレパシクソ さん
昔、「東大の関連施設の敷地面積は国土の1%にもなる」なんて都市伝説を聞いたことがあるのですが、実際どれくらいなんでしょうね……。

おめでとうございます。大学の広い構内を楽しんでください。

Webによると、東京大学の総敷地面積は、およそ 320km2。出典
国土面積の 0.1%弱ですから、都市伝説は1桁違っていたようです。
北海道大学は 660km2で、国土面積の 0.17%。

落書き帳には、東大演習林の中で最大の富良野演習林 230km2 に関する過去記事[68625]があります。

【追記】
大学敷地面積の出典を追加

演習林どの施設は別として、大学のキャンパス単位では 約2.5km2 以上ある下記の3キャンパスが広いようです。
しかし、市町村面積【最小の富山県船橋村でも 3.47km2】には及びません。
九州大学・伊都キャンパス
筑波大学・筑波キャンパス
広島大学・東広島キャンパス
[99257] 2020年 3月 15日(日)17:48:03【2】hmt さん
埼玉県 明治時代の変遷
2月以降のhmt投稿は、「全国の市町村数」を柱にしてきたつもりですが、実際は脱線も多いようです。
最近の[99248]も、埼玉県ローカル、しかも市町村数ではなく、郡を主役とするものでした。関係記事

[99248]を見ると、明治12年の郡区町村編制法施行時の郡名・郡役所を紹介したことだけでは、物足りません。
そこで、明治4年から9年に遡る「埼玉県の成り立ち」や、明治29年に行なわれた「郡の再編」を加えて、「明治時代における埼玉県の略歴」という形にまとめておくことにしました。

素材は落書き帳の過去記事も使いましたが、最近になって「府県及北海道境域沿革一覧」という資料の存在を知ったので、これも利用することにしました。▲ 埼玉県の境域沿革概要

日付根拠記事沿革
M4/11/141871布告594[36047]埼玉県を置く(県庁:岩槻) 埼玉、葛飾の内、足立の内
M4/11/141871布告594[36047]入間県を置き横見、入間、…高麗、多摩の内 14郡を管す
複数回?1871-1872【入間県】多摩郡の内を神奈川県管轄に属せしむ
M4/11/141871布告594印旛県を置き下総国9郡を管す
M6/6/151873布告214印旛県を千葉県に編入
M6/6/151873布告214[36081]入間県を廃し熊谷県を置く
M8/8/301875[36159]葛飾郡金杉村外42村を埼玉県に属せしむ
M8/11/101875布告167 [36159]足立郡舎人町を東京府に編入
M9/8/211876布告112[36111]熊谷県を廃し新座郡以下13郡を埼玉県に属せしむ
M9/9/281876内務省布達甲37葛飾郡の内、寄巻村の内一部東京府管下葛飾郡下小合村に編入
M10/3/21877内務省布達甲5栃木県管下内野村飛地分割→埼玉郡小野袋村と群馬県海老瀬村
M12/3/171879埼玉県達甲14[99248]郡区町村編制法施行 18郡設置
M13/5/51880布告22下総国葛飾郡の内→埼玉県中葛飾郡、
武蔵国葛飾郡の内→北葛飾郡
埼玉県埼玉郡及び足立郡の内→北埼玉郡・南埼玉郡・北足立郡
M17/7/141884埼玉県達甲43戸長役場位置及び所轄町村改定
M17/10/311884[44653]秩父事件
M23/9/251890勅令213[22470]埼玉県庁を武蔵国北足立郡浦和町に移す
M24/6/91891[54575]新座郡榑橋村→東京府北豊島郡大泉村
M28/4/11895法律24東京、埼玉、千葉、茨城の境界変更 江戸川を境界とする
M29/4/11896法律40[90597]郡の再編 北葛飾郡と中葛飾郡を統合→武蔵国北葛飾郡、
13郡→北足立, 入間, 比企, 児玉, 大里の5郡に統合】
M40/3/161907法律8[36159]北足立郡保谷村を東京府管下北多摩郡に編入

埼玉県達全書

大部分は市制町村制の施行前に行なわれた県域の変更ですが、千葉県との境界について、市制町村制施行後の変更があったことを知ったので、説明しておきます。
[36159]に記したように、1875年に下総国葛飾郡金杉村(現・松伏町)ほか42ヶ村の千葉県から埼玉県への移管は、河川がらみの埼玉県域修正の中で最大規模のものでした。
その後も呼び方の変化などはありましたが、今回の作業により、明治28の法律による再修正を知りました。
★東京、埼玉、千葉、茨城の 江戸川境界への変更

都道府県変遷情報にも収録されていない変遷の存在に驚き、調べてみました。
13項目にも及ぶ変更には「編入」という廃置分合用語が使われており、妙見島のような有名地名も含まれています。
しかし その実体は、大字規模ではない ように思われました。江戸川改修に伴う小規模地域の府県変更の集合体と理解し、都道府県変遷情報の対象から除外されている現状に、一応納得しています。

最後のあたりに記された M24年大泉村への合併、M29年の郡再編、 M40年の保谷村 は変遷情報収録済みです。
[99256] 2020年 3月 15日(日)11:59:17【1】hmt さん
「茨城県民の日」の日付
[99255] ekinenpyouさん
引用された『ロケットニュース24』は、2015年春の入試問題で ズレが発覚した と記載。

もっと古い指摘もあったことと思いますが、こちらの落書き帳では、2006年の記事で 話題にしていました。
[55178] hmt 日付が1日違う「県民の日」  ご参考まで。

【追記】
上記[55178]からのスレッド記事として、Issieさん [55181]、hmt [55199] があります。
古い日付の扱いに関して、参考になることもあると思うので、関心のある方はご一読いただければ幸いです。

蛇足:[55199]で 落書き帳の古参にとっては懐かしい言葉「げんみつ姫」[19319]を発見。(笑)


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