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伊豆之国さんの記事が5件見つかりました

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[97591] 2019年 3月 24日(日)20:20:22伊豆之国 さん
逗子・葉山(KQ駅名改称騒動異聞)
[97517] デスクトップ鉄さん
京急の新4駅名のうち逗子・葉山はひどいと思いませんか。三浦半島の人口減に悩む京急としては、逗子だけでは足りず、葉山のブランド力に頼りたいのかもしれない。しかし市外の自治体名との連称とするのは、逗子市に対して失礼で、高輪ゲートウェイ以上に問題です
その京急線「新逗子」を「逗子・葉山」に変える、と言う話について、地元の反発・困惑など「騒動」の一部始終が、今日の昼のTV番組で放映されていました。
前半では
神奈川・逗子市に住む15歳の女子中学生から番組にメール
京急電鉄が「新逗子駅」を「逗子葉山駅」に変更するということで問題になっているという
駅名は公募され、その対象は沿線に住む小中学生だけだった
地元では賛否両論あり、物議をかもしている
京急電鉄はブランド力のある逗子と葉山を合わせることで、定住人口や交流人口の増による地域活性を図るとしている
一番の問題は駅のある場所だという
新逗子駅から名付けられた新逗子通り商店街会の会長は、突然の駅名変更に困惑していた
駅名が変わっても商店会名は変えない方針
葉山町には皇室の御用邸がある
といったことと、両市町の住民の意見が紹介され、
後半では
逗子は横須賀市から独立した経緯がある
1941年、太平洋戦争
横須賀市を大軍都にする計画
配給品などの不公平感などから住民の間で独立の機運が高まっていった。
1950年、逗子市(現在)独立
来年7月、独立70周年の記念行事を計画中
葉山町は県内で唯一、一回も合併したことがない
と、両市町の現在に至るまでの経緯が出ていました。
現・逗子市(当時は「町」)が戦時中にいったん「戦時合併」で横須賀市に合併され、戦後5年経って横須賀市からの分立が認められた(市制はその4年後)ことについては、「hmtマガジン」の「戦時合併とその解体」でも、いくつか記事があり([80415],[80416],[80427] さん)、「マガジン」自体の記事ではありませんが、リンクされていたそのhmtさんの[37958]の記事を見ると
戦時中に強制合併させられた横須賀市から苦難の独立
という逗子市が使った表現が紹介され、一方、葉山町が「戦時合併」でも「大・横須賀市」に飲み込まれず、海を除いた三方を横須賀市に取り囲まれながらも単独町制(明治22年の市町村制度施行時は「村」で、大正14年元日に町制施行)を続けたことについて、御用邸の存在など、その理由の推測も書かれていました。
[97573] 2019年 3月 14日(木)22:10:48伊豆之国 さん
本当の「シロガネーゼ」は、神楽坂のそばにいた? 【白色の日特集】
今日は「白色の日」。その起源は、「日本の菓子屋さんが作った」([82976] hmtさん)と言う話が、今朝の新聞記事に出ていました。

…ということで、「東京23区内にある『白』い地名」を調べてみました。

港区白金、白金台
新宿区白銀町
文京区白山
文京区目白台
江東区白河
中野区白鷺
豊島区目白
葛飾区白鳥

港区の「白金(台)」は、「しろかね」と濁らないのが正しい読み方です。「しろかね・しろがね」と言うのは、「やまと言葉」で"Silver"の意味であり、「白金(台)」にある通りの名を"Platinum Street"と呼び、その地区の住人をさして「シロガネーゼ」と言うのは、本当は読みでもその意味でも「二重に誤った表現」だ、と言うのを果たしてどれだけの人が知っているのでしょうか?([88822])。
一方、新宿区の「白銀町」は、「しろがねちょう」と濁って読みます(郵便番号検索より)。区内東部の牛込地区、山の手有数の歓楽街として栄えた「神楽坂」に隣接した地域にありながら、"Street View"で見ると、白銀公園を囲むような高台にある小ぢんまりとした町域に、低層・中層のマンションが立ち並んでいる閑静な住宅地と言った感じの町並みが広がっています。

都内から離れて、「白金」地名を見ると、名古屋市昭和区の「白金」は、「しらかね」([75374])。14年前に廃線となった名鉄美濃町線にあった「白金」駅(所在地は関市)の読み方は、東京・港区の地名と同じ「しろかね」でした(wikiより)。…同じ「白金」でも、それぞれ微妙に読み方が違い、結構紛らわしい、混乱しやすいですねぇ。どちらも小学1年生で習う漢字ですが…

…白石市と白山市、白川町と白川村、それぞれ前者と後者では「ある一点」で決定的な違いがあります。それは何でしょうか?(過去ログを探すと答えがわかります)
[97566] 2019年 3月 8日(金)22:49:42伊豆之国 さん
新宮市<新宮町 & 「超・ご当地」で物騒な事件が…
[97565] 千本桜さん
新宮の凋落ぶりは数字を見ていて辛いものがあります
そういえば、「新宮市と福岡県新宮町の人口逆転」が話題になったことがありましたね…([85192],[87885] 白桃さん)
1933年市制施行という老舗市の凋落はやはり寂しいものがあります


ところで、こんな話題をこの落書き帳にわざわざ載せる、というのもどうかとは思うのですが…あえて書き込みます。
静岡県の地域ニュースを漁っていたら、今までずっとのどかで平和な漁村だと信じきっていた「超・ご当地」オヤジの田舎・西伊豆町田子地区(中心地域のStreet View[89119])で、とんでもない物騒な事件が起こっていたとは…(静岡新聞より)
西伊豆町の民家敷地内で拳銃13丁や実弾約400発が見つかった事件で、三島署と県警薬物銃器対策課などの捜査本部は7日までに、銃刀法違反(加重所持)の疑いで松崎町南郷、会社員の男(60)を逮捕した
容疑者は、拳銃や実弾を所持したなどとして同法違反などの罪で起訴された指定暴力団極東会系組員の無職の被告(58)=西伊豆町田子=の実兄(以下略)
[97560] 2019年 3月 2日(土)22:36:03伊豆之国 さん
Re:「伊豆」と「駿河」の境界線はどこにあるか
[97493] 駿河の民さん
沼津市・三島市は熱海下田から富士御殿場に、(本当は沼津市の狩野川放水路以南で分けたいのですが、流石に無理ですよね)
[97558] オーナー グリグリさん
とりあえずご提案通り修正しました。異論がある方はご意見をお願いします。沼津市の旧戸田村がどうしても引っかかりますよね。割り切るしかないのですが
[97141]でも書き込んでいたことですが、「伊豆」と「駿河」の境界線が入り組んで曖昧になっている、と言うのは、「自治体の境界線」と言う「縛り」の上で「観光ブロックの境界線」を引く、と言うことになると、やはり大いに悩ましい問題ではないかと感じるのです。その原因をたどって行くと、「昭和の大合併」で「駿河」の沼津市が「伊豆」に属する内浦・西浦の両村と合併して伊豆半島の北西部まで市域を広げたことから始まり、さらに「平成の大合併」でその南の戸田村とも合併して西伊豆の一角に深く食い込んできたことで一層わかりにくくなった、と言うことに尽きるのでしょうか。実際、既に沼津市への編入から60年以上を経過している旧内浦・西浦両村域でも、「伊豆三津シーパラダイス」を初め、今も「伊豆」を冠する観光施設などがいくつか存在しており、私がまだ一度も足を踏み入れていない旧戸田村([62483])ともなると、今も「伊豆」「西伊豆」を名乗る旅館などが多数あり、TVや雑誌などを見ても、この地域の海産物などの特産物やグルメなども必ず「伊豆名物」「伊豆土産」などと紹介されており、これらの地域も、行政上は「駿河」の沼津市の一部ではあるが(自動車も沼津ナンバー)、地元でも訪れる観光客の間でもあくまで「伊豆(国)」の一部であると認識されていると見てよいのでしょう。
一方、三島市は、伊豆国一宮である三嶋大社を擁し、元から「伊豆国」であることは間違いないのですが、伊豆半島の付け根から微妙に北に外れているその位置と、「駿河」東部の中心都市として栄えた沼津の影響も強いことと合わせて、「伊豆」の印象が薄い、と見られていて、他県はもちろん県内でも西よりの地方の人から見ると「駿河」だと思っている人が多いような気がします。その三島と熱海の間にある函南町も、地図上の位置から「伊豆」に入るのか微妙な場所なのですが、町の中心部が市街地でも行政上でも町名と同じ函南駅周辺ではなくて、三島の中心市街から見て南側にある町域の南西部の「伊豆仁田」駅を中心とする地域にあること、北東部の十国峠も観光ルートは熱海から入ってくる形になっていることから見て、少なくとも三島よりは「伊豆」の色彩が強そうに思われますが、いかがでしょうか。結局、沼津を「駿河」に属する富士山南麓を中心とする「沼津・御殿場」地域に組み込むとすると、三島もどちらかと言うとこっちかな、とも思うのですが、やはり三島より南側に位置する、旧戸田村を初め、伊豆国に属していた旧3村がどうしても引っかかってきそうに思え、「伊豆色」が薄いように見える三島市にしても、自動車は「伊豆」ナンバーなので、いずれにせよこれは先述したように相当悩ましい問題に思えてくるのですが、いかがなものでしょうか。自治体境界にとらわれずに、市販の観光ガイドブックなどのように地域分けすると言うのであれば、[97493] で駿河の民さんがおっしゃるように、沼津市を南北に分け、南側の伊豆国に属する地域を「伊豆」ブロックに含める、と言う形でうまく収まることになるのでしょうが。
♯自治体境界にとらわれずに純粋に「観光ブロック」の区分けとして見ると、熱海市のこの辺りも微妙です…。

牧之原市は静岡・焼津から磐田・掛川に
牧之原市は大井川の西側、遠江国に属するので、やはりこのほうが自然だと思えますが、そうなると、大井川鉄道の沿線で川を挟んで駿河と遠江にまたがっている島田市・川根本町を除くと、やはり大井川の西側にある、河口に面する吉田町が、遠江国で唯一「駿河」の「静岡・焼津」ブロックに取り残されることになってきます。「越すに越されぬ大井川」の時代はもちろん、「軽便」の駿遠線(HP)が粗末な橋をのろのろ運転で渡っていた頃も、まだこの大井川が大きな交通上の障壁となっていたので、吉田町も「遠江」側のブロックに入れたほうがすっきりしたのでしょうが、今では牧之原市の相良・榛原方面から東名高速経由で静岡市内へ直通するバスが頻繁運転され([81107] inakanomozartさん)、県都・静岡市との関係も強まってきていると見られるので、この辺はやはり微妙な位置関係ということになるのでしょうか。
[97538] 2019年 2月 16日(土)21:46:48伊豆之国 さん
「一円電車」に残っていた「幻の踏切」
「鉄ネタ」を漁っているうちに見つけた、「鉄オタ」向けの新情報。

兵庫県養父市大屋町にあった「明延鉱山」の鉱石と関係者を運んでいた、「一円電車」([33007] 今川焼さん、[85776])の愛称で親しまれていたトロッコ列車。1987(昭和62)年の閉山と共に運行を停止し、廃線となってから既に32年が過ぎた今も残っていた踏切警報機が、このほど塗装直しなどの修復が行われた、という話題がありました(神戸新聞より)。修復された警報機
修復前の状況(Street Viewより、2013年9月の映像)を見ると、下半分はすっかり塗装がはがれ、新聞記事にもあるとおり警報ランプのガラスも割れていますが、形ははっきり残っており、人里離れた山の中に突然現れた「謎の踏切」と言った感じで、知らない人が見ると「何でこんなところに踏切が」と思うでしょう。 
この警報機の位置を見ると、写真の右手はすぐトンネル(現在は鉄の扉で塞がれ立ち入り禁止)になっており、トンネルから列車が出てくるのを知らせるために設置されたものと思われます(似た感じの位置にあるものというと、井の頭線の「神泉」駅前あたりでしょうか)。
この踏切があった反対側を見ると、「明延鉱山の中心地跡」という説明板が建っていて、地図や鉱山の写真が出ており、細い川を渡った先に開けた平らな場所があるので、トンネルの中から出てきた、鉱石を運んだ貨車を捌く「貨物駅」の跡のように思われますが、どうなのでしょうか。
この警報機のてっぺんには「鐘」が載っており、現在関西で唯一の現役の嵐電「西院」駅前([96160] hmtさん)のと同じタイプで、復元されたからにはその「音」を聴きたいものですが、すでに役目を終えて30年が過ぎ、かなり錆びついており電線も既に切れているかもしれないので、今ではもう無理な相談なのでしょうか。
「一円電車」で使われていた機関車などは、今も鉱山があった地域に保存されており(こちら)、今回引用した神戸新聞の記事の中にも、地元のNPO法人の手により
これまでにも明延鉱山の社宅「旧北星社宅」を修繕したり、樹木の伐採をしたりして、町の景観保全に取り組んできた
とあり、鉱山の歴史と果たしてきた役割を後世に伝えていこう、と言う姿勢がうかがえます。

鉄道路線がとっくに廃止あるいは事実上の廃線状態になったのに、踏切警報機だけが「放置」されたような形で残っているような例は、過去にも取り上げたことがあり([79469]…ここで取り上げていた例のうち、名鉄新鵜沼の連絡線は現在は線路ともども撤去されている)、この「一円電車」の場合もこのケースに類するものだったのでしょうが、「昔あった鉄路の『モニュメント』」のような形で警報機が保存されているところもあり、東京近辺では銀座の旧築地市場への貨物線跡に見られます。

♯今晩のTV番組で、竜飛岬から青森市を経由して大間崎まで「陸奥湾一周・バス旅」をやっていたので見ていましたが、「下北半島」で思い出したのが、25年ほど前に下北半島に行ったとき、尻屋崎の手前で不思議な貨物線の踏切があったのを見たことがあり(こちら)、こちらも鉱石輸送路線のようで、トンネルの中から突然出てくるような位置関係も「一円電車」と似たような感じでした。しばらく進むと線路が途切れており、見た感じでは既に運行をやめていたような感じで、ベルトコンベアーのようなのが見えたのでこちらに切り替えたようにも思えました。後で調べたら、日鉄鉱業の尻屋鉱山だったということを知り、その鉱山は現在でも操業を続けているようです。


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