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ekinenpyouさんの記事が5件見つかりました

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[96354] 2018年 8月 4日(土)10:08:19ekinenpyou さん
Re:暑いぞ 江川崎・ニックネーム変更など
[96333]hmtさん

四万十川の中流域、旧幡多郡西土佐村・江川崎は 内陸の盆地で、涼しい海風が届きにくい地形のようです。
気温とは別の暑さ指数という指標では(熊谷で41.1度を記録した)7/23の14:00現在ランキング
偶然トップが江川崎でした。
指標の正確性については11地点の実測値と829地点の実況推定値とあるので、
参考程度にお考えいただければと思いますが、こうした数値が高い状態で継続する地点は
かなり蒸し暑いのかもしれません。

アメダス設置環境
上記に関してはAMeDAS探しの旅というサイト様があり、探訪記録がまとめられておりました。
気象台等も含めますと、恐らく国内では南鳥島気象観測所以外は自力で到達できるのでしょうか???

[96337]駿河の民[特急とりあたま]さん

古来よりの国名を新しいニックネームに採用されたとのこと、例えば
鉄道の駅名が改称されレトロな?国名を新たに冠したものとしては武生新→越前武生(福井県越前市)、
船小屋→筑後船小屋(福岡県筑後市)あたりをご存知の方も多いでしょう。

こうした駅は、国名を除いた部分が知名度の高い地名も多いので
所在地となっている都道府県以外で市名になっている(いた)ものも結構あります。

例えば駿河や伊豆の場合は
駿河小山→栃木県小山市、駿河徳山→山口県徳山市(現・周南市)
伊豆大川→福岡県大川市、伊豆長岡→新潟県長岡市

といった感じです、そこで上記を踏まえ簡単な謎々のようなものを考えてみます。

武生市のあった「越前」を冠した駅(改称前・廃駅など過去にあったもの含む)で
国名を除くと市名になっている(いた)ものを4つ(福井県内の市は除く)お答えください

※漢字が同じであれば読み方は異なっていても構いません、
回答例については回答者の有無に関わらず後日予定の投稿に簡単に記しますのでご安心ください。
(4つ全部答えられる方がもしいらっしゃった場合省略するかもしれませんが・・・)
[96297] 2018年 7月 14日(土)09:47:50ekinenpyou さん
Re:~寺町(後藤寺、一時埋もれた大字相当の地名)など
下記の件、他の詳しい方からも別途コメントがあるかもしれませんが当方からも補足しておきます。

[96284] 白桃さん
[96292] 伊豆之国 さん
後藤寺 ? 1907年 1943年 30,640 (1940年) 田川市
これだけはどうにも手がかりが見つけられませんでした。現在、田川市内には「後藤寺」という寺院も、また現在の町名・大字にもなく、「後藤寺町」成立以前の旧町村名にもないので、田川市のHPからも、市内を通っている平成筑豊鉄道のHPを見ても、「後藤寺」の名がどこから出てきたのか調べ切れず、「お手上げ」状態でした。

「後藤寺」という寺院まで存在していたかどうかは定かではありませんが
後藤寺町という町名の由来については比較的容易に調査可能です。

Wikipedia(田川郡)にもありますが
町村制施行約2年前の※明治20年に宮尾村・後藤寺村が合併し奈良村となり
これが町村制施行時に弓削田村(後の後藤寺町)の大字奈良になっています。
(すなわち奈良村という名称では約2年ほどしか存在しなかったということになります)

福岡県史資料. 第3輯(右上の2)ではM20.8合併、
官報雑事(M20.7.14)(右側真ん中付近)にもそれを裏付ける記述があります。
(官報雑事(M20.11.12)左上にも同趣旨の記載あり、近隣の弓削田&川宮の両村も同時期に合併と推測)

なお、鉄道の後藤寺駅は(M40.4.1後藤寺町への改称前)路線開通と同時にM29.2.5開業(右下)で
当時の所在は弓削田村(大字)奈良(左側下中ほど)でした。

また、その他参考として後藤寺町革新之実蹟(T5)より藩政村の頃の後藤寺村?に関する記述を一部抜粋要約すると
「家屋わずか十数戸」といった意味あいの記述(意味がちょっと違うかもしれませんが・・・)が
あるのでこれも実態通りだったかどうか別資料で裏付けを取ってみました。

福岡県史資料第2輯(明治11年戸数・人口)(左下)戸数34・人口207
同上(明治17年戸数・人口)(左上)戸数37・人口191
共武政表・明治十三年(下)「人口一百以上輻輳地」(右上)
地名(後藤寺村ノ内、字町)戸数26・人口142(いずれも本籍?)とあります。
(余談ですが寺院は空欄なのでもしかすると無かった???)

共武政表は恐らく同村内一部字の人口を抽出したものと推測されるので、
明治10年代の後藤寺村の人口はだいたい200人程度で横ばい状態だったのではないかと思われます。
(町村制施行後の弓削田村→後藤寺町の人口推移については[88705]白桃さんで
解説があるので説明を省略します)
[96225] 2018年 6月 22日(金)22:21:07ekinenpyou さん
Re:地図情報の更新など
少し前の話題になりますが相模鉄道(現在のJR相模線)の件など、コメントしておきます。

[96192]hmtさん
1955年発行の 76-11-4-4「資修」で処理された可能性もあるのではないか?


「資修」とあるので断言はできませんが、1931(S6)年に延伸開業した厚木~橋本の
2.5万地形図への反映時期については恐らくご推察の通りかと思われます。
今昔マップ on the web(1944~1954年)を見るとS29修正の「原町田」には相模線が描かれております。
(西隣図郭はS24資修「上溝」)

5万地形図「八王子」にはもう少し早い時期から描かれていたかもしれません。
地形図ではありませんが、S7発行・7万5千分の1地質図「八王子」で既に橋本から南下する鉄路が確認できます。
(ラスターデータの左をクリックすると拡大画像確認可能)

[96190]稚拙さん
2018年6月6日現在、以下のネット地図にはまだ三江線が掲載されております。


2018.4.1実施からまだ2ヶ月半ほど経過という時点では各地図サイトで実態反映が
完了していない部分があるのはやむを得ないのでしょう、線路ではありませんが
とある新幹線の駅付近の住所表記は例えば以下の通りでした。

地理院地図マピオン

なお駅の住所を記した事業者サイト様のページでは稀に下記のような少々懐かしい?
住所表記もまだ見られます。

静和駅の所在地・下都賀郡岩舟町大字静和2143
直江駅の現住所・島根県簸川郡斐川町大字上直江1100番地

また、[8505]まがみさん・[12723]ゆうさんにて紹介され『交通由来町名』地名コレクションにも記載されている
御所市の国鉄御所駅前通りですが、最近はJR御所駅前通りとした方が良いらしく?
最近郵便番号の住所も変更されました。
(通称地名ですから、国鉄御所駅前通りでも支障は無いかもしれませんが・・・)

参考
郵便番号変更-2018年4月(最下段の住所変更)
(旧)国鉄御所駅前通り
[95747] 2018年 5月 6日(日)12:57:09ekinenpyou さん
Re:駅名に合わせて自治体名を変えた?(静岡県の場合)
例によって長くなったので投稿を分けました。
[95739]伊豆之国さん

少々補足しますと駅開業時の読みは気賀(国有鉄道)が「きが」鉄道省告示第54号(真ん中下段)(S13.3.24官報)、
気賀(後の遠鉄)は「けが」上段左ページ中ほどの軽便鉄道運輸開始(T4.1.12官報)
富士根も「ふじね」上段左ページ中ほどの軽便鉄道運輸開始(T2.7.26官報)で恐らく間違いないでしょう。

鉄道停車場一覧大正6年3月31日現在「けが(Kega)」「ふじね(Fujine)」

気賀については町名読み改称と国有鉄道の駅開業時期が近いのは偶然かもしれませんが、
富士根の場合、村名が「フジネ」という読みに変わってしまったのは
駅名の影響が少なからずあったと考えても不自然ではありません。
(開業時読みが「フジモト」にならなかったのは名前のつけ間違いという説も推理通り?)

なお、[44059][87304]hmtさんなどでも少し取り上げられていますが、
郵便局の改称履歴には関連していると思われる告示があるので示しておきます。

気賀郵便局の読み改称(ケガ→キガ)
逓信省告示第2884号(右下最下段)(S12.9.21実施、同年7.8の町名読み改称に連動と推測)

富士根郵便局の読み改称(フジモト→フジネ)
郵政省告示第72号(真ん中最上段)(S26.4.1実施、この頃「フジネ」という読み方が定着してきたため改称?)

正規の読み方と地元で通っている読み方が違っていて

例えば[44059]hmtさんで触れられている南毛利「なんもうり」郵便局やしばしば過去ログに登場する
勢多郡北橘村「Hokkitu」は、恐らく告示などで示された正規の?読み方があまり馴染まなかったなどの理由から
地元で通っている読みが表記された例だと思われます。
(告示などで示された読み方で表記しなければならないというルールは無いので訂正の必要も無かった?)

参考・南毛利郵便局の読み方について、逓信省告示第752号(右下)(S3.4.1設置)では
[80315]MIさんにもあるM22県令の村名読みと同じ「ミナミモリ」でした。(その後は恐らく変化なし?)
また、北橘村はM22県令で「キタタチバナ」とあり、その影響で?設置当初は地元で通っている読み方を
参考に命名されたと思われる郵便取扱所の読み方がS12に改称されています。
北橘郵便取扱所の読み改称(ホクキツ→キタタチバナ)
逓信省告示第315号(右下付近)(S12.2.11実施)

以上のように、郵便局名の改称については単なる名前のつけ間違いなどを訂正する目的で改称したと思われる
例もあるのですが、※読み方の(極めて軽微な)変化も改称として多数告示されており、中には自治体名改称の
告示がなされたケースで未知のものが若干あるかもしれません。(実際になされたかどうかは断定できませんが)

※一例を示すと、越後上田郵便局の読み改称(ウヘダ→ウエダ)
逓信省告示第1120号(真ん中最上段)(S9.5.11実施)、現代仮名遣いやローマ字表記だと同じだが改称扱い
[95746] 2018年 5月 6日(日)12:15:10ekinenpyou さん
明治10年代の人口や名邑を示した地図類についてなど
本件は拙稿[95706]で投稿を検討していたものです、
あまり過去ログでは登場していないものを2系統に分け紹介しておきます。

その1・内務省地理局の刊行物

大日本府県分轄図(M14)
[77578]中島悟さんで少しだけ紹介あり
監修の塚本 明毅日本地誌提要の著者の一人です。
地図の符号中に「名邑」とあり、おおむね郡区役所ごとの町村・戸口数などが記載されています。

同図の前身として大日本府県管轄図(M12)もあります(記載内容は上記と類似)
参考・内務省地理局『東京実測全図』について(2コマ)

その2・陸軍参謀局の刊行物
大日本全図(M10)

都邑を人口の大小に応じて階級記号で表現した地図です、この方式に似た表現は
M12に参謀本部で作成された軍管図でも継承されています。

参考・明治12年の郡別経済地図作成について(9コマ)
※人口データはPDF10コマ(右下)にもあるように戸長役場や郡役所で所持していた
資料を元にしているようです。(冊子としては共武政表に一部データが掲載)

なお、拙稿からのリンクで示したものはいずれも少し見づらい点がありますが、
M12作成の軍管図以外は国立公文書館でカラー高精細画像も入手できるようです。
(地図名でネット検索すると許諾を取って一部画像転載されているものがいくつかありました)

[95743]白桃さん、[95744]hmtさん

お問い合わせの件、グリグリさんも類似の回答を示すと思いますが
まず東茨城郡大貫村は廃置分合を行っていません→県令甲第十二号(左端)

また同郡常磐村はM22.3.31廃止→新設ではないという解釈で記載を省略したということなのだと思います。
つまり、常磐村(微)はあっても(本)は明記されておりません。
(これでよいかは議論の余地あり、詳細欄に記載しておくなどすれば尚良い?)

以下、似たような例
千葉県望陀郡神納村
町村制施行時の領域は厳密には神納村(曽根村・高柳村への飛地を除く)です。
神納村(微)は中郷村巖根村の変更対象自治体名/変更内容には明記されています。

参考・新旧対照市町村一覧の東茨城郡および望陀郡(両村とも旧町村名明記なし)


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