都道府県市区町村
落書き帳

金沢市主計町

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[14029]2003年4月26日
だんな
[15022]2003年5月11日
だんな
[20506]2003年10月1日
だんな
[23442]2004年1月6日
EMM
[43944]2005年8月7日
グリグリ
[43947]2005年8月7日
EMM
[44017]2005年8月9日
Issie
[44020]2005年8月9日
EMM
[45640]2005年10月14日
EMM
[49135]2006年2月12日
EMM
[49150]2006年2月13日
かぱぷう
[53189]2006年8月9日
ペーロケ
[53195]2006年8月9日
EMM
[59682]2007年7月9日
EMM
[59698]2007年7月10日
笠津前浜

[14029] 2003年 4月 26日(土)11:27:27だんな さん
住居表示の影響
[14026]ゆうさん
「街区方式」と「道路方式」のいずれかを選択できます。
落書き帳で皆さんが日本式とされてるのが「街区方式」で、欧米式とされてるのが「道路方式」です。

金沢市は「街区方式」をとったために現在すすめられている旧町名の復活がなかなか進みません。いま復活させた町は街区で構成されていり(主計町)、住宅が少ないところ(飛梅町、下石引町)です。
そのために道路方式でも復活できるようにする特区構想があります。
[15022] 2003年 5月 11日(日)09:55:35だんな さん
旧町名の保存
[14966]ありがたきさん
東京都台東区で見かけたんですが、街路にある近辺住居地図みたいな立て看板には、住居表示にかかる丁目・番・号の表示と合わせて、住居表示実施前の旧住所も縮尺が違いますが地図入りで併記されています。これは由緒ある町名の保存の手法のひとつですね。
[15015]ニジェガロージェッツさん
神戸市兵庫区の兵庫津周辺では、「兵庫区歴史花回道構想」というのがあり、史跡の整備などが進められていますが、廃止された町名については、手付かずのようです。

全国各地で旧町名の記憶を残そうとしているのですね。金沢市では昭和54年から「歴史のまちしるべ」といって旧町名や坂道などの名称と由来の入った石碑を建てております。平成14年現在で219基があります。住居表示で消えた町の場合、旧○○町と表記されているのですが、復活した主計町などは復活にあわせて旧の字が埋められました。本当は住民の意向を汲んで復活できればいいのでしょうが、いろんな事情でなかなか進まないですね。

ありがたきさん、15000件目おめでとうございます。
[20506] 2003年 10月 1日(水)17:29:42だんな さん
祝・旧町名復活
今日10月1日は衣替えや東海道新幹線品川駅開業などイベントが盛りだくさんですが、金沢市では消えた町名がひとつ復活しました。金沢市役所裏手にある「柿木畠(かきのきばたけ)」です。柿木畠の名は寛永年間に三代藩主前田利常が火災の延焼を防ぐため空き地に柿の木を植えたことが由来とされています。1966(昭和41)年に住居表示整備で広坂1丁目の一部となり消滅しましたが、地元の熱意が通じ、今日37年ぶりに復活の運びとなりました。これで金沢市での町名の復活は「主計町」「飛梅町」「下石引町」「木倉町」についで5町となりました。

ただ、今後の復活については地元の要望が強くても、住居表示の街区方式が足かせとなって難しいケースがあるため、思うように進むかは未定です。
[23442] 2004年 1月 6日(火)02:14:57EMM さん
生活の中に生き続けていた旧町名
長くなりそうだったので割りました。

[23421] なきら さん

金沢市は全国でも特に住居表示法による町名変更が極端に進められたところですが、それには理由があるのです。
実は、昭和38年、住居表示法のモデル都市に、金沢市が選ばれてしまったのです。
それがために、どうしてもまとまらなかった近江町周辺・竪町周辺、行政から忘れられてしまっていた卯辰山山麓のごく一部、大方が国鉄用地だった金沢駅近隣のごく一部を除き、旧金沢市の区域はほぼことごとく町名変更が行われてしまい、由緒ある多くの地名が地図上から消えてしまいました。

しかし、旧町名が生活から全く失われてしまったのかというと、そうではなかったんです。
住居表示実施前は各町々(小さい町は幾つかが連合したものもあるが)で自治会組織が結成されていたのですが、住居表示実施後も、自治会組織は旧来の区割りそのまま引き継がれました。
その後、都市開発により町域のほとんどが道路や商業ビルに飲み込まれてしまったり、ドーナツ化により人口減で他の町会に吸収合併されてしまった所もあるものの、現在でも旧町由来の区域・町会名の自治会が多数残っています。
これら自治会の中でも結束力の強い所を中心に、町名復活の運動が行われてきているのです。

一方、行政サイドでも、町名変更から約30年が経ち、新たなまち造り政策として、歴史に根ざしたまち造り、地域のコミュニティの再構築、と言ったものが掲げられるようになりました。

このことが結びついて、現在の旧町名復活の動きに繋がるわけですが、幾つかの壁があり、簡単にいくものではありませんでした。
一つは法律の壁。国サイドでは街区方式と道路方式を混在して住居表示を進めることを認めておらず、現在の街区方式の範囲内での住居表示変更、と言う形で進めざるを得ませんでした。
もう一つは時間の壁。町名変更後に住民が多数入れ替わっているところも多いです。新しい住民の中には町名復活は煩わしい手続き等が増えるだけで不必要、と言う人もいて、もめ事の種になるところもありました。

そこで、金沢市は「歴史・由緒ある地名で」「住民の総意を得ることができ」「法律の範囲を越えないこと」を条件に旧町名復活を進めることとなりました。
まず、市サイドがモデル地区として働きかけを行い、「主計町」(尾張町2丁目より)「飛梅町」「下石引町」(ともに石引3丁目より)の復活にこぎ着けました。
ついで手挙げ方式で復活が進められることとなり、「木倉町」(片町2丁目より)「柿木畠」(広坂1丁目より)が昨年復活しました。
これら5町は街区方式での町域が旧の町域とおおむね(残念ながら一部はみ出ているが)一致しています。
(4町で町境の一部が段丘崖となっているのも要因か?)
また、一部はみ出してしまった住民、逆に別の町だったのに取り込まれたところの住民も含めて合意を得ることができたため、町名復活に至りました。

ところが、これに続いて復活を予定している町で、「街区方式ではみ出してしまう部分も何とか旧町名復活できるようにしてほしい」と言う強い希望があり、金沢市が困ってしまったのです。
現在は芳斉2丁目の一部となっている六枚町は町内会一丸となって復活運動を進め、今年6月に町名復活となることになったのですが、街区方式で町域を定めた場合、10軒ほどが芳斉2丁目に取り残されてしまうことになってしまいました。
この10軒も六枚町になれるよう何とかならないか、と言う意見を受け、金沢市が総務省に街区方式と道路方式の混在を認めるよう折衝したのですが、総務省はなかなか首を縦に振らない。
(前にも書きましたね。上に行きゃ行くほどかたいんです)
そのため、金沢市では特区申請をした上で2段構えで復活をはかることも考えていたのですが、最近になって突然、
「まぁとこどこによっていろいろ事情やら経緯やらあるだろうから、弾力的にやってってよかろう」
と総務省が行ったものですから、それなら、と言うことで一気に条例化して事を進めることになったんでしょうね。

春までに条例制定を目指す、というのは六枚町の復活までに間に合わせる意味があるのでしょう。
また、これにあわせて新たな町名復活の動きが出てくると思います。
今後の動きに要注目、かも。


[23439] 稲生 さん

確かに、浜松の地図を見ると、町中はほとんど手をつけられていませんね。
新潟、富山なども町中の住居表示が進んでいません。岐阜もそうかな?
住居表示完全拒否の京都市もありますね。
これらの町のように歴史を盾にあらがい通すことができたことは、誇りに思って良いと思います。

ただ、東京の一部のように、旧町名は守り通したものの、バブル期の地上げで地域のコミュニティが完全に破戒されてしまったところもあります。
そういうところがあることを思えば、金沢のように旧町名の復活に向けて動くことができるのは幸せなことと考えるべきなんでしょうか。
[43944] 2005年 8月 7日(日)19:39:26オーナー グリグリ
主計町はいかが?
[43915] 2005 年 8 月 6 日 (土) 23:32:31 笠津前浜 さん
[43881] 2005 年 8 月 5 日 (金) 12:59:20 EMM さん
「職業名由来町名」コレクションで地名コレクションのページに登録をいたしました。
ありがとうございます。コレクション名はこれで結構です。
新コレクション、楽しみですね。金沢出身なので、材木町、主計町、博労町など、職業由来の町名には興味津々です。とは言え、その後の皆さんのふぉろ~を見ていると、定義、収集範囲、解釈など難題が色々ありそうですね。どうぞマイペースで、また、厳密性や網羅性よりも面白いところからというスタンスで進めてみてはどうでしょうか。

ところで、コレクション名ですが、レイアウトを美しく保ちたいのでできるだけ短くしたいということと、「名」の文字が被ることを考えて「職業由来地名」としてはどうでしょうか。厳密には職業名由来でしょうが、職業由来としてもそれほど違和感がないと思います。ご検討のほど。
[43947] 2005年 8月 7日(日)19:54:48【1】EMM さん
○○右衛門や○○左衛門なんかも同様
[43944] オーナー グリグリ様

金沢の主計町の由来は富田主計と言う武士の屋敷があったからだそうで、直接の由来は人名と言うことになっちゃいます。

まぁ、「主計」と言う名称の由来をたどっていけば朝廷の役職名にたどり着きますから、職業由来と見ても良いのかもしれません。
[43940]で今川焼さんが
それからずっーと時代をさかのぼった古代の職種に関係ありそうなところで
と言うくくりで挙げておられる町名と同グループですね。

でも、江戸時代まで来るとかつての役職とは全く縁のない、単なる名前として使われている場合も多いので(大石内蔵助・主税親子の名前なんかはまさにそうでは?)、あとはそこをどう判断するかでしょう。
難しい…
[44017] 2005年 8月 9日(火)22:39:46【1】Issie さん
旧楢川村
…に行ってきました。
某県地理学会の催しで。
話題の1つは旧楢川村の塩尻市への合併で,前村長さんのお話も聞きました。合併するにしても,しないにしても,木曽郡内のある村のように周辺町村から合併を拒否されるにしても,それぞれに取り組むべき問題があるなぁ,なんてありきたりな感想を持ちました(拒否された村にとっては,洒落にゃあならねぇぞ…)。
や,あたしんところも無関係ではないんですよ。神奈川県内で唯一,「合併」が現実の問題となるところまで(ようやく)到達した市なのですから。合併対象の4町の動向はこれからも無視できません。

実は前日に名古屋から木曽に入ったのですが,途中の中津川では汽車の接続時間の関係でラッチの外に出てみました。駅前に「ダイエー址」があったのでそこで“用”を足してから,いつもの習慣でバス路線網がどの範囲まで広がっているかを確認して,ふと広場を見ると「大中津川市」の観光案内地図が。当然,しっかり馬篭も「中津川市」の一部として描かれていました。

楢川村では手回し良く看板の「塩尻市」への書き換えが進んでいたし,旧村営バスも「楢川地域バス」に表記が変わっていましたが,如何せん,“民間”分野ですぐに対応せよというのは無理な話です。「楢川村」の表記をほじくり出しては「変わってねぇだねぇか」などと文句を言うのは野暮の極みです。

[43944] グリグリ さん
主計町

[43947] EMM さん
富田主計と言う武士の屋敷

“富田さん”がどのくらいのレベルの“さむらい”かわからないので,それが「主計頭(かずえのかみ:長官=従五位上相当)」なのか,「主計助(かずえのすけ:次官=正六位下相当)」なのか,それとも「頭」とか「助」とかを落としてしまう程度の身分の名乗りかわかりませんが,これらの官職名の人が“長官”なり“次官”なりを占めていたのは律令制によれば「民部省」の「主計寮」という役所でした。
「主計寮」の和名は「かぞへのつかさ」。
主計寮ならぬ「主計局」という部署がいまだに「大蔵省」(←これも律令由来)改め 財務省 にあるのについて,“千三百年もの古きよき伝統”を誇りに思っていいのか,それとも“どうしようもないセンスの古さ”を嘆いていいのか,どちらともとれないのですが…。
あ,今は「しゅけいきょく」と読みますね。大蔵/財務官僚の超エリート部局でしたっけ。

「主計」を「かずえ」と読むのは,律令制が形骸化する一方で官職名が一定ランク以上の身分にある人の呼称として(hmt さんのご説明の[43834]通り,「実名」はふだんは公称されない。「坂本直柔」さんてご存知ですか? 幕末史上,有名な人ですが)用いられるうちに律令時代の「かぞえ」から転訛したものと思われます。

「かずえ」と読む限り,“由来”は確かに官職名ではあっても,直接には人名由来と考えたいと,私は思います。

そういえば,
楢川村見学のテーマの1つとして「権兵衛(ごんべえ)トンネル」を見学してきました。
木曽谷の宮ノ越と伊那谷の伊那町とを結ぶ峠で,車の通行のできない山道が「国道361号線」に指定されている“その筋”では有名な国道の1つです。ようやくトンネルが開いて,来年春に供用が開始されるのだそうです。
なぜ「権兵衛峠」と呼ぶかと言えば,元禄年間にこの峠道を整備した 古畑権兵衛 によると伝えられていて,つまり直接には人名由来の地名です。

けれども「権兵衛」とはもともと「権兵衛督(ごんのひょうえのかみ)」または「権兵衛佐(ごんのひょうえのすけ)」という官職名に由来します。現在の皇宮警察のような役割にあたる「左兵衛府」または「右兵衛府」の長官(または次官)の“臨時代理”“権限執行者”というほどの意味です。
それが人名呼称として用いられるうちに限りなくインフレ現象を起こして“蒔いた種をカラスにほじくられる百姓”や,あげくに“名前さえ持たない者”の代名詞となるまでに値下がりしてしまいました。
でも,れっきとした「官職名由来」の固有名詞なのですね。

「兵庫(ひょうご)」は,官職名由来ですか? それとも,官庁名由来ですか?

※まさかとは思いましたが,衆議院が解散してしまいましたね。
とりあえず,うちのHPの“あそこ”も「9月11日現在」に書き換えなくてはいけません。
遅くとも来年秋までにはしなくてはならなかったのですが,今回の展開は「余分な仕事を増やされた」気分で一杯。
それにしても,「旧山口村」関連の法律(平成17年法律第72号「公職選挙法の一部を改正する法律」,6月29日公布)が間に合って,本当に良うござんした。
[44020] 2005年 8月 9日(火)23:22:24【2】EMM さん
剣豪・「名人越後」の嫡男
[44017] Issieさん

富田主計についてもうちょっと調べてみると、「富田主計重家」(とだ かずえ しげいえ)と書かれている所を見つけました。
「主計」は呼称で間違いありません。
ちなみに、富田主計の父は富田流剣術の達人で前田家の剣術指南役だった富田越後守重政。
重政は利家・利長・利常の三代にわたって前田家に仕えています。
その石高ですが、重政の頃が13500石、重家が家督を継いだ時には16000石だったそうです。
また、重家の妻は前田利家の孫(豪姫の娘)でした。
富田家は家老格である「加賀八家」(親族筋の前田家(直之系)・前田家(長種系)、尾張からの譜代である奥村家宗家・奥村支家・村井家、前田利家が城持ちとなって以降の家臣である本多家・横山家・長家)にこそ名は連ねていませんが、八家のうち親族・譜代の5家の石高(9000~18000石)と遜色なく、かなりの重臣であったといえます。

#余談ですが、加賀八家の事実上の筆頭・本多家の禄高は最大で50000石。
八家のなかでは家臣となったのが一番あとなのにこの破格の禄高だったのは、徳川家とのパイプライン役だったから…
(初代本多政重は徳川家康の重臣・本多正信の次男。ただし、政重は宇喜多家→福島家→前田家→上杉家(直江兼続の娘婿となった)→前田家と頻繁に主を変えている。そのため、徳川家が送り込んだお目付役、と言うような話もある)



なお、主計町は公式には「かずえまち」なのですが、地元民の中では「かぞえまち」と言うのも結構使われていたりします。
[45640] 2005年 10月 14日(金)22:04:24【1】EMM さん
意地でも我田引歌
[45626]で書いていた「仕事の山場」は来週頭にずれ込んでしまいまった。
でも土日まで潰して、と言うことにはならず。


[45639] 88さん
ミニオフ会中
良いタイミングで東京に行かれたようですね。
私は先週末東京にいたものの、日程や行程の都合でどなたにもお声掛けしなかったのですが、結果的にグリグリさんや白桃さんとは入れ違いでしたし…。


[45628] 白桃さん
金沢説も説得力ありますが、ちょっと大都会すぎませんか?
まぁ歌詞中のキーワードが断片的なので、自分がここだ!と思った場所であればそこで良いのかもしれません。
何つっても「私の城下町」ですから。
それでもあえてあの歌詞の町がどこの町かを考察するとしたら、重要視すべきは「歌詞に描かれた情景によく似たところがあるかどうか」であるべきで、城下町風情さえ残していれば町の大小はどうでも良い、と思うのです。
ぴったりな場所さえあれば、たとえそれが東京だろうが大阪だろうが福岡だろうが構わないと思いますよ。
ちなみに金沢の場合、子供(=ご幼少のみぎりの我が)にも「あの歌は金沢の歌で間違いない」確信させるほどの良いポイントがあるんですよ。
それは東山界隈

・東廓や主計町を要する地であるし、その他にも格子戸のある家が結構残っている
・東山近辺は西側も平野で、家屋以外に夕焼け空を遮るものはない。「夕日」だとちと苦しいが…
・すぐ近くに浅野川が流れており、川沿いをそぞろ歩くことができる
・浅野川を上流に向けて歩いていくと天神橋辺りで山が迫ってきて町並みがとぎれる…「町はずれ」がある
・天神橋のたもとには公園がある。確か花も植えられていたはず。そこに限らず周囲にも小さい緑地があちこちあり、四季折々の花が植えられている(さすがに冬場は葉ボタンとか種類が限られますが…)
・梅ノ橋、天神橋と言った、他の歌謡曲の中にも出てくる橋がある

と、うまく当てはめることができます。
これが西廓だと当てはまらないキーワードがあるんですよね…

それと、郡上八幡は通過しかしたこと無いので現地の様子はよく分かりませんが、町並みを見ていけば当てはまるところがあるかもしれません。
しかし、大きなマイナスポイントがあります。
それは、真西に1,000mクラスの山がデン、と控えていること
しかも町のすぐそこまで山が迫っている。
歌詞の流れ通りの時系列で情景が移り変わっていくとすると、「夕焼けの空」を見上げながらしばらく「川のほとり」を歩いていくとやがて「橋のたもと」に「灯がともる」、と言うことではないでしょうか。
西側にでっかい山があると、夕焼け空が見える頃には町中はもう暗くてすでに灯りがともってると思われます。
[49135] 2006年 2月 12日(日)12:34:03【2】EMM さん
石川県庁旧庁舎関連+α
何やら呼ばれたような気がしまして…

[49132] かぱぷうさん
「金沢に電車で行くげな何日かかるとや?」約5時間、案外近いんですけど。「妊婦を雪国に連れてって転びでもしたらどうすると?」白川郷とか白山山麓にいくならともかくねぇ…ハイ、福岡の人間の北陸観とはこんなもんです。
距離感覚はともかくとして…(飛行機なら出入りも含めて3時間ちょっとのはず)
今の時分だと日によっては金沢よりくじゅう高原や阿蘇のほうがよっぽど足許が怖いことがある様な気がします。


旧石川県庁舎。堂々とした建物と正面左右のシイノキが印象的で、思わずため息が出るほどの建物でした。
シイノキは「堂形のシイノキ」と呼ばれており、国指定天然記念物となっております。


旧県庁舎の現状・今後についてお詳しい方がいらっしゃれば、ご教示いただけると嬉しく思います。
本題。
旧県庁本館は現時点では「空き家状態」で、県の管理のもと、関係者以外立ち入り禁止となっております。
10月には県主催のイベントの会場として使われていたようですが。(参考:県庁記者発表用資料より

#敷地内には現在も使用されているところもあり、未使用部分も厳重に管理されているので無断侵入は出来ません。

さて、跡地利用ですが、最終的にどうなるかはまだ決まっていません。
県庁移転前には「NHK金沢放送局の移転用地として提供する」という話がありましたが、アンテナ設置により景観が壊されると反対運動が起き、この話はポシャりました。
現在、県としては旧県庁の建物を利用して「いしかわ文化・情報の総合センター(仮称)」を作る構想を持っていますが、周辺住民や国会議員など多方面から「公園としての整備」を求める声もあり、具体的な計画立案には進んではいない状態です。
本館ですが、少なくとも南ブロック(かぱぷうさんがご覧になった「正面」)はそのまま活用される方向にあるようですが、その他のブロックは改築が重ねられていることから歴史的価値は低いという判断がなされており、最終的にどうなるかは不透明です。
(参考:石川県企画課内県庁移転跡地のホームページ

#現在、南ブロックの活用法を話し合うアドバイザー会議が進められているようですが…


妻が一言「なんか博物館にでもすればいいのにね…」全くそのとおりだと思います。
石川県立博物館は以前は旧制第四高等学校校舎、現在は旧陸軍兵器庫が使用されています。
旧四高校舎は歴博移転後は石川近代文学館となっています。
いずれも明治~大正期の建築物で、しかも旧県庁のすぐ近く(文学館に至っては旧県庁の真隣)にあるため、どうしても違う形での利用を考えざるを得ない、と言うのがあります。


犀川周辺やひがし・主計の茶屋街を散策し金沢の街を後にしました。
地元では「主計」で切ることはほとんどありません。
「主計町」で一個の固有名詞として扱われています。
以前に拙稿[43947][44020]でご紹介していますが人名由来の町名でして、「町」が無いとどっちのことか分からなくなるためかな、と思います。


翌8日(水)は晴れていれば高岡・雨晴海岸から富山湾越しに立山連峰を眺めようかと計画していましたが、
全体から見ると一部分で観光には差し支えないようですが、雨晴海岸ではこんな事が起きているようです。
[49150] 2006年 2月 13日(月)01:55:07【1】かぱぷう さん
一等地ですからね…
[49135]EMMさん 石川県庁旧庁舎関連+α

ありがとうございます。興味深く拝読いたしました。
主計町の件は、なるほどおっしゃるとおりですね。金沢の茶屋街はガイドブックには結構紹介されていますね。そこでも主計町は人名由来と記されておりました。当初は「そう大したもんではないだろう」と思い行かないつもりだったのですが、雨晴海岸に行かなくなった関係で時間が余り、訪れることにしました。するとなかなかどうして、風情のある町並みでした。行ってよかったと思います。

さて、県庁についてです。
旧県庁本館は現時点では「空き家状態」で、県の管理のもと、関係者以外立ち入り禁止となっております。
「もったいない」と思う一方、
現在、県としては旧県庁の建物を利用して「いしかわ文化・情報の総合センター(仮称)」を作る構想を持っています(中略)少なくとも南ブロック(かぱぷうさんがご覧になった「正面」)はそのまま活用される方向にあるようですが、その他のブロックは改築が重ねられていることから歴史的価値は低いという判断がなされており、最終的にどうなるかは不透明です。
保存の可能性があるとのことで、少し安心しました。

わが福岡県は昭和56年に県庁が天神から博多区東公園へ移転。その際旧庁舎は跡地利用の計画が決まることもないのにあっけなく取り壊されてしまいました。跡地一帯は公園と“国際・文化・情報の交流拠点”となる施設の建設がなされることとなり、公園は天神中央公園として整備。この公園の中に、旧県庁舎に使われていた石材をオブジェとして再利用したという噴水広場がありますが、あまり目立ちません(^^; 何も跡形を残さないよりはマシなんでしょうけど。
ハコモノは平成7年にアクロス福岡が完成。外観・施設どちらの面からみても面白い建物です。特に外観は天神中央公園に面した側にステップガーデンなるものを設け、都市緑化に一役買おうと試みました。完成当初は異様な建物に見えましたが、10年が経過し緑もそれなりに育ってきました。

んなこと書き込んでますが、私自身は旧福岡県庁舎を見たことはありません。昭和56年当時私は4歳で門司に在住しておりましたので福岡に行くこともありませんでしたし、もし福岡に住んでいたとしてもおそらく記憶にないでしょう。旧福岡市役所も味のある建物だった「らしい」のですがこれもまた知りません。福岡に引っ越してきたのは8歳のときでしたからもう取り壊された後の話です。県庁跡地の処遇、むしろ当時の時代背景からして噴水広場にオブジェとして県庁があった証を残したことは評価されてもいいことなのかもしれません。アクロスという建物も、なんだかんだいって結構気に入っているのも確かです。旧石川県庁舎にしても、金沢市のど真ん中の一等地であることは誰の目にも明らかで、文化財保護をとるのか土地の有効利用をとるのか頭の痛いところでしょう。う~ん、これだから“近代建築は”難しい。

一等地といえば、うろ覚えなので詳しくは書けませんが、郵政公社が『○○中央郵便局』の敷地の有効活用(高層化・移転再開発等)を検討しているという新聞記事を最近読みました。例えば東京中央郵便局などはハコを壊すのももったいないし、かといってあのままにしておくのももったいないですし。

#福岡県庁舎のリンク、いろいろ探しましたが見つからず。この画像でご勘弁くださいm(_ _)m
[53189] 2006年 8月 9日(水)00:51:54ペーロケ[愛比売命] さん
れす2題
[53087]EMMさん
 早速、いろいろ候補を出していただきありがとうございます。今回は加賀屋の他は金沢市内の観光がメインのつもりですので、残念ながら能登は行く時間がないかもしれません。しかし醤油系はいいですね!健康オタク気のある嫁が飛びつきそうな場所です(笑)。ただし、ソフトクリームはNG。母乳の味に影響するそうです(涙)。海沿いって遠いのかなと思いきや、石川県庁から意外と近いのですね。
 それと、もうひとつ気になるのが、茶屋街。「一見さんお断り」といった敷居の高いイメージがあり、赤ちゃんなんて連れて行ったらつまみ出される、なんて思っていましたが、
ひがし茶屋街も、天気さえ悪くなければ(11月ではチト微妙な時期ですが)お子さん連れでもあんまり問題ないと思います。
問題ないのなら、せっかくだし、ひがし茶屋街と主計町にも行ってみたいですね♪
 これらも参考にさせて、旅行の計画を立ててみます。(身軽ではないので、結構大変。。。)

[53095]白桃さん
 甲子園、熱戦が始まりましたね。私も基本的に同じようなスタンスで応援しております。もちろん、広島勢よりも四国勢。間違っても兵庫勢は応援しません(笑)。
[53195] 2006年 8月 9日(水)03:29:29EMM さん
[53087] の補足
[53189] 愛比売命さん
問題ないのなら、せっかくだし、ひがし茶屋街と主計町にも行ってみたいですね♪
各茶屋街は「格子戸の町並みを見ながら散策するところ」というイメージでして(じゃらんの紹介例)、お茶屋さんに入って…と言うことでお考えであればお子さんの動きを考慮した方が良いかも、です。
ちなみに、ひがしには見学できるお茶屋さんがあります。
金沢ひがし廓 志摩
ひがし茶屋街 懐華楼
見学だけなら数百円でOK。

しかし醤油系はいいですね!健康オタク気のある嫁が飛びつきそうな場所です(笑)。ただし、ソフトクリームはNG。母乳の味に影響するそうです(涙)。海沿いって遠いのかなと思いきや、石川県庁から意外と近いのですね。
奥さん、ソフトクリームは×ですか。じゃあ愛比売命さんだけでも味わってみるとか?
それはともかく、醤油自体が味が独特なので(甘いんですよ。そう言えば、鹿児島に出張に行った時、あまり違和感がなかったなぁ)、それを味わって頂くだけでも面白いかも。
ちなみにひしほ蔵はヤマト醤油味噌さんの単独経営で、もろみ蔵は大野の町内の色々な業種の店・会社が参加した協同組合の運営(建物は紺市醤油さんのもので、通常の管理運営は紺市醤油さんがおこなっている)です。
場所はひしほ蔵の方が分かりやすいかも。
県庁から大野町までは、車でなら迷わなければ10~15分で着きます。
バスだと県庁前から大野の方に行くバスが日に5本しかないので注意が必要。
武蔵・香林坊方面からだと1時間に2~3本あります。経由地・終点が異なる「61 大野」行きと「63 大野港」の2つの路線がありますが、最寄りバス停は至近なのでどっちに乗っても特に問題なし。
もし市内中心部からバスで行かれるのであればなかなか凄いところを通る「61 大野」が面白いかも。
参考サイト(実際はフレームが使用されています)

あと、定番スポットの中では妙立寺(忍者寺)が小学生未満の子供連れの拝観不可となっておりますので注意が必要です。
(そもそも予約が必要で、思った日に取れるとは限らないのですが)



以下余談…
北陸鉄道バスと言えば、私の旧自分色
[59682] 2007年 7月 9日(月)01:19:42EMM さん
中村主水とか大石主税とか古田織部とか
[59680] むっくんさん

たびたびすいません。
金沢市主計町については以前[43944]でグリグリさんより「職業由来町名」コレに関連して言及があり、それに対して拙稿[43947][44020]で前田家家臣・富田主計重家の屋敷があったことに由来する「人名由来」の町名である旨説明をいたしております。
(元々は官職名ですが、人名に転化している事例。この辺については関連書き込みである[44017]Issieさんの書き込みが参考になるかと思います)
「職業由来町名」コレに収録されている京都市内のものを除くと、他は全て人名由来である可能性が高いのではないかと思われます。

#余談ですが、落書き帳上で「主計」という単語を一番使っているのは私のようです。(参考
金沢市の旧町名復活第1号が主計町なのが影響しているようです。
[59698] 2007年 7月 10日(火)00:04:01笠津前浜 さん
鍛冶と坊主と主計町
いろいろなご意見、ありがとうございます。

[59657] スピカ さん
コレクションに反映しました。鍛冶氏の職業は鍛冶であった、ということでよろしいでしょうか。

[59678] k-ace さん
寺町同様、坊主コレクションへのリンクを設定しました。

[59680] むっくん さん
鉄炮町(宮城県志田郡三本木町)は宮城県大崎市三本木伊場野字鉄炮町になりましたね。
蜂屋(滋賀県栗東市)の由来は古来、養蜂場があったことによります。
コレクションに反映しました。

さて、主計町に関してですが。当コレクションは、由来が職業名かどうかの判断は担当によるとし、何が職業名かといった定義はなおざりのまま見切り発車してきた側面もあります(汗)。わからないことは落書き帳で聞いてしまえ、といった調子の担当者であります。そんな中でも明らかに職業名由来ではない、として当コレクションから抹消した地名もあり、今回むっくんさんが挙げてくださった主計町も、実はその一つです。

[43947] EMM さん
金沢の主計町の由来は富田主計と言う武士の屋敷があったからだそうで、直接の由来は人名と言うことになっちゃいます。
まぁ、「主計」と言う名称の由来をたどっていけば朝廷の役職名にたどり着きますから、職業由来と見ても良いのかもしれません。
ここで私は、金沢市主計町の由来は人名と判断して収録をしませんでした。

#普通、職業由来に見えます。

コレから外した地名も、理由ごと残したほうがよいのか、自問しています。


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