都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
右左府さんの記事が20件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[56029]2007年1月7日
右左府
[56025]2007年1月7日
右左府
[55920]2007年1月4日
右左府
[55846]2007年1月3日
右左府
[55580]2006年12月17日
右左府
[54999]2006年11月5日
右左府
[54975]2006年11月4日
右左府
[54754]2006年10月29日
右左府
[54296]2006年10月1日
右左府
[54295]2006年10月1日
右左府
[53892]2006年9月10日
右左府
[53891]2006年9月10日
右左府
[53185]2006年8月8日
右左府
[53184]2006年8月8日
右左府
[53178]2006年8月8日
右左府
[53076]2006年8月5日
右左府
[53073]2006年8月5日
右左府
[53027]2006年8月5日
右左府
[52984]2006年8月4日
右左府
[52769]2006年7月29日
右左府

[56029] 2007年 1月 7日(日)22:52:37右左府 さん
十番勝負
問五:能代市

 やっと地元・能代が使えました。にしても、これはヒント前に答えておきたかった……。
[56025] 2007年 1月 7日(日)22:28:36右左府 さん
十番勝負
問九:鹿角市
[55920] 2007年 1月 4日(木)23:54:37右左府 さん
十番勝負
問二:北広島市

 何だか久々に十番勝負に“萌え”そうな予感。ヤバイ、こんな時期に……。


[55871] 太白 さん
 私のメンバー紹介も後半が新しくなってましたね、ありがとうございます。
 紹介文を振り返ってみれば、去年は第一号回答で撃沈、今回は受験間近にして参戦と、気が付けば武勇伝の連続ですね(^^;)。これがただのマヌケ話に終わらないようにしないと……。
[55846] 2007年 1月 3日(水)14:24:14右左府 さん
とうに明けちゃいましたが…
今年も宜しくお願いします。

さて、十番勝負の回答を。今回は敢えて地元以外の市で。
問八:ふじみ野市


 前回の難易度がやや低めだったから、今回はその“ゆり戻し”……と思ってしまいました。やっぱり難しく感じますね。
 “ゆり戻し”といえば、今月行われるセンター試験。前回試験での新課程導入に伴う易化による反動で、今回は難化するであろうとの見方が強く、困ったモンです。ちなみに私は今その勉強で苦戦中。特に悩ましい教科が、他でもない「地理B」……。落書き帳メンバーでありながら、情けない話です。

 という訳で、受験生でありながら果敢にも今回の十番勝負に挑んでしまいました。皆さんに一喝されそうですが、どうか退去命令だけは下されませんように……。
[55580] 2006年 12月 17日(日)23:03:03右左府 さん
変遷情報ほか
 市町村合併情報改め、市区町村変遷情報、リニューアルお疲れ様です。1ページあたりの表示量が丁度良くなって快適ですね。又、「合併」と「改称」などが同一ページに表示された事で、変遷の流れが掴み易くなりました。

 ところで、1955年12月25日の秋田県山本郡響村の二ツ井町への編入が抜けてましたので、追加お願いします。


 それはそうと、前回の十番勝負以来一か月半ぶりの書き込みになります。ロムだけはほぼ毎日続けてましたけどね。

 その十番勝負、今更感想文を書くつもりは無いのですが、ちょっと一つだけ。問八の想定解の中に我が能代市が含まれていたにもかかわらず、気づかぬまま終了という許されぬ結果に。その上、油天神山さんに[55169]にあるようなお気遣いを頂きながらも、みすみす逃すという始末。無念で仕方ありません……。
 ま、それはいいとして――。
 

【余談】
 今日父がパソコンで欠礼の葉書を作っていたのですが、印刷された宛先の住所が一部合併に未対応。父も一応気づいた範囲では自力で直していたものの、見逃しがあったり、県外の合併にそもそも気付けなかったりしたようでして。
 私が合併チェック(笑)をしてあげると、「山本郡八森町」といったご近所から「水沢市」「今市市」「津久井郡相模湖町」といったものまで様々でした。中には一年前にも旧町名のまま年賀状を送った「大里郡妻沼町」が未だ健在。

 ただ、ふと思ったのですが……合併で住所が変わった人に届く年賀状、一体どれだけの物が新住所に対応してるんでしょうかね。ご近所の合併だったり、その人と合併以来交信があったりしたら対応できるでしょうが、そうでなければ大抵は旧住所、という状況なのでは?
[54999] 2006年 11月 5日(日)11:06:47右左府 さん
十番勝負
問一:つがる市
[54975] 2006年 11月 4日(土)00:34:38右左府 さん
十番勝負
問三:所沢市
問九:千歳市
[54754] 2006年 10月 29日(日)22:49:27右左府 さん
十番勝負
問二:北秋田市
問六:常陸太田市
[54296] 2006年 10月 1日(日)22:47:58右左府 さん
んっ!?
[54292] グリグリ さん
青森市の特例市指定
 青森市は“中核市”指定では……。

 「政令指定都市・中核市・特例市 一覧」も特例市の欄に青森市が載ってますね。訂正お願いします。
[54295] 2006年 10月 1日(日)22:40:19右左府 さん
大潟村
[53951] 88 さん
 あのまとまりの無い文章で果たして伝わるのかと心配でしたが、何とか大丈夫だったようで(笑)。

 それはそうと、私が[53892]を書くに当たって、法第9条の内容をすっ飛ばしていた事に気付きました。「制限自治」の中の「任期2年」というのも、第9条で定められたものだったんですね。法を紹介・解説しておきながらお恥ずかしい限りです……。
 「制限自治」という言葉も、特に広く用いられているものではないんですね。

法第9条:村議会、村長の最初の選挙後の4年間は、任期は4年ではなく、2年を2回とする。(←すみません。この解釈、自信ありません)
 厳密に考えると、この4年間の間に議会の解散等があった場合は「2年×2」ではなくなるでしょう。でも、そのような事態はまず起こるまいと、実際には「2年×2」を想定したものではないでしょうか。 (この時期の大潟村で解職やら解散やらが行われる可能性は、ゼロではないにしろかなり低いと思うのですが。)


“昭和55年9月”
法第9条の規定に基づき、村長や村議会議員の第3期目の任期(つまり、任期4年となり、名実ともに「法」の適用がなくなった(地方自治法そのものが適用になった)時期なのではないか、と思ったのですが、いかがでしょうか?
 仰る通りで間違いないと思うのですが、ちょっと疑問が。というのも、「指定日」が昭和51年7月28日ならば、第9条の「指定日から起算して四年を経過した日」と「昭和55年9月」の間に大きなタイムラグが生じるのでは?と思うのです。
 単に私の調べた「指定日」が間違いなのか、それとも日数や年数の数え方に何か特別な決まり事があるのか、気になります。

 合併情報での表現は、検討されているものでよろしいかと。「昭和55年9月」の件も、詳細情報に留める程度で十分ですね。


 明治時代にも大潟村のような村の設置があったというのは初めて知りました。一体どんな法律等に基づいて設置されたのか、村政がどのように確立されたのか、非常に興味が湧きますね。


 それはそうと、実は先日、大潟村へ行ってきました。能代からはるばる自転車で……。八竜以遠は初の自転車訪問でドキドキ。大潟村の道路は歩道が無い上にトラックがビュンビュン走ってドキドキ。(中心部は勿論歩道完備ですよ。)時間は約1時間半と思ったより早く着きました。
 今回の件もあり、大潟村干拓博物館にも時間があれば行こうかなと思っていたのですが、村内をウロウロしているうちに閉館……。でも、高校生が一人入館したら奇異の目で見られたでしょうから、どのみち行かなかったかもしれません(笑)。
 詳細はお話しする機会があったらその時にでも……。
[53892] 2006年 9月 10日(日)17:27:39【1】右左府 さん
大潟村の発足(長文御免)
[53262] でるでる さん
大潟村の場合は、自治体設置と同時に村制を施行
 この件、果たして本当にそうなのか?と疑問に思いまして、ちょっと調べてみました。(一度大潟村に関して言及しておきながら無責任ですが……。)[53248]にてhmtさんが紹介された小笠原村の例と比較しながら検証してみたいと思います。


 大潟村が設置されたのが昭和39年10月1日。この時点で村長・村議会は存在せず、八郎潟干拓推進事務局初代局長の島貫氏が村長職務執行者でした。(9月28日に県議会で同意)
 「大規模な公有水面の埋立てに伴う村の設置に係る地方自治法等の特例に関する法律(昭和三十九年六月十八日法律第百六号)」(以下、「同法」とする)から一部抜粋しますと、
(職務執行者)
第四条  新村の設置があつたときは、都道府県知事は、都道府県の議会の同意を得て、当該都道府県の吏員で市町村長の被選挙権を有する者のうちから、新村の長の職務を行なう者(以下「職務執行者」という。)を定めなければならない。
2  職務執行者は、新村の長が最初に選挙され、就任する時まで、この法律に定めるもののほか、新村の長及び収入役の権限に属するすべての職務を行なう。
3  職務執行者の任期は、二年とする。
 小笠原村の場合、この「都道府県の議会の同意」が「自治大臣の同意」となります。

 (※ちなみに、この時点では人口も0人でしたが、その後排水機場の職員とその家族の6世帯14人が居住したようです。それはつまり排水が完了していないという事でもあり、湖底はその一部しか現れていませんでした。そのため村役場も当初は県庁内に置かれ、県自治会館への移転を経て、排水が完了した昭和41年5月の翌年、昭和42年12月に現在の位置に移転しました。)

 では議会はとうなっていたかというと、小笠原村の「村政審議会」のような規定はありません。但し、別の条文を見ると、
(条例の特例)
第六条  新村は、新村の設置による議会の議員の一般選挙が行なわれ、当該議会が成立するまでの間においては、地方自治法第九十六条 の規定にかかわらず、当該議会の議決に代えて都道府県知事の承認を得て、条例を設け、又は改廃することができる。
(議決事項の特例)
第七条  職務執行者は、新村の設置による議会の議員の一般選挙が行なわれ、当該議会が成立するまでの間においては、その事務を管理し、及び執行する場合において地方自治法 その他の法令により議会の議決を要することとされているときは、これらの法令の規定にかかわらず、当該議決に代えて都道府県知事の承認を得なければならない。
とあります。「小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律(昭和四十三年六月一日法律第八十三号)」でこれに該当する部分(第二十三・二十四条)を見ると([53386]88さんの記事も参照)、「都道府県知事の承認」が「村政審議会の意見」となっています。
 つまり、大潟村の場合は新たな村議会の代替機関は設置せず、県知事がその役割を果たしていたと言えるでしょう。いずれにせよ、村議会はなかった事になります。


 では、「自治体としての大潟村」が誕生した日、つまり設置選挙が行われたのはいつになるのか。同法には以下のような条文があります。
(設置選挙の特例)
第三条  新村(前条第一項の規定による処分により設置された村をいう。以下同じ。)の設置による議会の議員の一般選挙及び長の選挙に関する公職選挙法 (昭和二十五年法律第百号)第三十三条第三項 の規定の適用については、同項 中「地方自治法第六条の二第四項 又は第七条第七項 の告示による当該地方公共団体の設置の日」とあるのは、「総務大臣が指定する日」と読み替えるものとする。
 こちらは、小笠原村とほぼ同一となっています。(同法制定時は「総務大臣」が「自治大臣」となっているはずですが。)つまり、大潟村にも小笠原村同様、設置選挙が留保されていた時期、つまり「村設置」と「村制施行」の間のタイムラグが存在し得た、という事になるのではないでしょうか。
 
 ちなみに、大潟村の「自治大臣が指定する日」は、昭和51年7月28日でした。そして選挙は同年9月5日に行われ、村長と村議会議員16名が選出。続いて、教育委員会などの各行政委員会も設置されました。(JA大潟村HPの「大潟村について」のページを参照。)したがって、小笠原村とほぼ同じ期間、「通常の自治体ではない大潟村」が存在していた事になります。

 (※さらに、これから4年間「制限自治」と呼ばれる状態が続いたそうです。議員の任期が2年間だったほか、県の関わりが強い状態だったとの事。完全に他の自治体と同様の体制になったのは昭和55年9月のことです。)


 以上より、結論を。
・大潟村も小笠原村同様、「村設置」から暫くの間、通常の地方公共団体ではない状態が続いた。
・但し、その間の議会の代替機関の役割は県知事が担うなど、違いも見られる。
・大潟村と小笠原村では、国と都県の関係の強さに差が見られる。

 ……と、長々と書きましたが、私の理解不足の点が多々あると思われます。「制限自治」に関しても、私は初めて知ったもので、具体的にどういうものかは理解していません。こちらのページ下部にそれに関する記述があったのですが、そこには「村長は県知事が村議会の同意を得て選ぶ」とあり、既述の「設置選挙」と矛盾します。この点も含め、コメント・ダメ出し等宜しくお願いします。


参考HP:大潟村大潟村干拓博物館「八郎潟干拓と大潟村の歴史」JA大潟村
[53891] 2006年 9月 10日(日)17:27:04右左府 さん
亀レス(男鹿、徳山村)
9月3日、千葉県香取市の市章が決定しました。(香取市HP

*****************************************************

 かなりの亀レスとなってしまい、すみませんが……。


[53240] スナフキん さん
 [53185](右左府)はちょっと熱が入りすぎてたというか、少々不適切な書き込みでしたね、すみませんでした。もちろん、あのランク付けも結局は「お遊び」でして、本気で「打倒男鹿!」とバトルする気も、地域の価値を知名度だけで計ろうという気も毛頭ありませんので……。

「日本海に飛び出している、あそこ」
 私は「なまはげの男鹿」を知る前に、「半島の男鹿」を知った記憶が。こういう人も、県内・県外問わず、割といるでしょうね。
 そうそう、よく「山形県は人の横顔の形」といわれますが、私は幼い頃から「秋田県は人の横顔」と認識してました。ちょうと、男鹿半島が鼻にあたる部分です。一般に山形県がそれに例えられると知ったとき、幼心にかなり対抗心を燃やしました(笑)。


[53772] 矢作川太郎 さん
 リンク先のページでそれを見てみましたが、村章っぽいですね。「と」「く」の字を図案化したようです。
 角川の地名辞典が紋章を掲載するにあたって、何かルールがあったんでしょうかね。仮に「条例制定や告示のあったもののみ掲載」というルールあったとして、徳山村章はそれがなく慣例的に使用されていたとか、そんな事でしょうか。
 いずれ、私が今進めているシンボル制定状況調査(最近はすっかり滞ってますが…)が進んで、制定時期の分布が浮き上がってくるのが楽しみです。調査が十分進めばの話ですが(笑)。
[53185] 2006年 8月 8日(火)23:52:32右左府 さん
能代vs男鹿
 稿を改めまして……。

[53086] 千本桜 さん
私の査定では、能代の知名度は大館、横手、大曲、湯沢、本荘より上で、秋田県第2位です。胸を張って能代を主張して下さい。
 またも千本桜さんから能代にお墨付きを頂いて、光栄です(笑)。私としては横手や大曲あたりが強敵か?と思っていたのですが、ひとまず安心しました。(それに、公証役場があるのが秋田県内では秋田と能代のみという事も先日判明し、更に安心。)
 っとここで更なる不安要素が!
[53163] スナフキん さん
私の出身地は港町・男鹿です。はっきり言って、かなり通用します。
 こりゃあ強敵じゃあないですか。都市の知名度でいくと間違いなく「1秋田 2能代 …」ですが、地名の知名度(笑)でいくと、
 1.秋田
 2.なまはげ…もとい、男鹿
 3.能代?稲庭?比内?
と、(あくまで私の予想ですが)能代は男鹿に蹴落とされる上に、うどんや地鶏と拮抗するのでは?千本桜さん、これでもやはりあの順位は変わらぬと言って下さいましm(_ _)m。
[53184] 2006年 8月 8日(火)23:52:28右左府 さん
港町能代、木都能代、バスケの街のしろ
[53074] なると金時 さん
「バスケの能代工業がある能代市」
 インターハイ、延岡学園に負けちゃいましたねぇ。田臥勇太、今何してるかなぁ。……おっと、ローテンションになってスイマセン。
 この表現、私は以前さして通用するものでもないと思ってたのですが、(「日本一」で有名になれるのは野球とサッカーだけ、と思ってましたんで。)どうやら全国区で結構通用するようですね。私も最後の手段として温めてます(笑)。

▼(これより先は読み飛ばしていただいても結構です……)

 ただ、実は私、この表現にいささか抵抗感も抱いてるんですよね。本心では「木材産業の能代」と自信満々に言いたいなぁ、と。なにせ、近代の能代の発展を支えた木材産業に比べれば、バスケはより“一時的"な色合いが強いでしょうし、部員に地元の顔があまり見られないという能代工業バスケ部は果たして“能代のもの”なのかなぁ、という疑問も浮かびます。
 バスケにあやかるかどうかは別にして、その前にまず「木都能代」の誇りを持ち続けたいですね。
 ま、実際問題として「木都能代」を知る人はどれだけいるのか、って話ですが(笑)。当分は能代工業のお世話になりそうです。そうだ、「木都能代」の前には「港町能代」もある訳で……嗚呼ムズカシイ。

 ちなみに、能代市中心部の公園には、大抵バスケットリングとボールが用意されており、駅のホームにもリングが(これはたまにイベントで使用)。スポーツリゾートセンター「アリナス」には、バスケットコートが4面。国道7号線の一部の信号・街灯はバスケットリングを模した物になってます。う~ん、バスケ尽くし。
 一方で、「木材高度加工研究所」という木材加工の最先端施設や、「木の学校」という施設も。市の組織には「木材振興課」が。公共施設等には木材がふんだんに使われ、学校の机も秋田杉製の物の導入が進行中。歩道脇には「木都のしろ」と書かれた木製のプランターが置かれている所もあります。市の中心部では木材工場が今日も元気に(?)操業中。いやはや、木材尽くし。

 イカン、能代について語ってしまった……。
[53178] 2006年 8月 8日(火)20:58:34右左府 さん
町章情報 & 合併情報
7月29日、宮城県遠田郡美里町の町章が発表されました。(美里町HP

*****************************************************

でるでるさんへ>合併情報

 青森県の新郷村長は8月8日、五戸町長に対し合併協議を申し入れました。五戸町は今月中に町議会議員全員協議会で対応を協議するとの事です。 (Web東奥/市町村合併
[53076] 2006年 8月 5日(土)23:55:32右左府 さん
町の名前に傷が付く
[52876] スナフキん さん
その意味では旧「二ツ井町」を含む新「能代市」もこの中に入ってしまうかもしれません。
[52885] 熊虎 さん
非合併を選択した「藤里町」もすっかり有名になってしまいましたが、世界遺産の町が・・・という空しい思いがします。

 旧市名が受け継がれた事もあってか、少なくとも旧能代市では「合併早々……」の意識は多少軽減されたかもしれません。ですがそれでもやはり、新市のスタートにこのような“汚点”が残る羽目になったのは残念でなりませんね。
 (関係無いですが……この事件で旧二ツ井町が「能代市」と報道される事に不便を感じました。藤琴川が能代市を流れているというのも不思議な感覚です。旧能代市民にとっては、逆にこの事件で初めて合併を実感したのではないでしょうか。)

 能代市より大変なのが藤里町ですね。熊虎さんの仰るとおり、「世界遺産・白神山地の麓の町」として町のPRを続けてきたのに、ここでとんでもないイメージダウンとなってしまいました。最近では容疑者宅は取り壊しが決定するなど、少しでも早く元の町に戻そうという動きが見え始めています。このような思いは多くの町民も抱いているものでしょう。
 地元紙・北羽新報にも同様の記事が数多く掲載されていました。


 ただ、このような事件が起きた際、他地域ではその発生地を市町村名まで記憶している人は案外多くないかも、とも感じています。「伊豆の国市」「ふじみ野市」のような突飛な名前でも、私の父や同級生に知ってるかと訊いてみると、以外にも「?」でした。
[53073] 2006年 8月 5日(土)23:25:43右左府 さん
四国高松
 前々から出しそびれていた話題があったんですが、今丁度出し時のように思えましたんで、一気に書いちゃいます。(今皆さんが話題にしてらっしゃるのと、少しポイントがずれたものもありますが……。)


 中学校の地理の教科書(「新しい社会 地理」東京書籍…例の誤植満載のヤツです)に、「都道府県を知ろう」という小単元があります。そこにある写真資料が、とある新聞広告。
県庁のある高松を,県名とまちがわれることがある香川県が,県名のアピールと県のイメージアップをねらってつくった新聞広告です。
との解説が添えられたその広告、高松出身・松本明子さんの大きな顔写真から、「高松県とか言わないでね。」とフキダシが。その下に書かれた文章には、
有名じゃなくてもいいけど、やっぱり故郷のことは、知ってほしいと思います。高松県とか言われたり、カナガワ県とまちがえられたりすると、「エ~ッ!!」っていう感じです。でも、東京で仕事していると、まわりにはそんな人ばっかり。きょうは、私が愛をこめて“香川県”のお話をしますので、おぼえてください。
という悲痛な叫び(?)で始まり、
さぬきうどん千杯食べて、私は大人になりました。
栗林公園とか、こんぴらさんとか、小豆島とか。名前ぐらいは知ってるでしょ。
と、香川県の名産・名所を紹介し、
香川県はのどかで、おいしくて、いいところです。ぜひ遊びに来てください。この秋にでもどうですか。
という言葉で締められてます。

 この広告、私は実際に見たことはないのですが、ここにいらっしゃる皆さんなら目にした事のある方も多いのではないでしょうか。


 時は流れ、2005年の秋、私は近畿へ修学旅行。ここで私はある作戦を実施。それはズバリ、「『どこから来たの?』と訊かれたら、『能代です!』と答えよう」というもの。同級生も一部巻き込もうとしましたが、皆「知る訳ないよ」「『秋田』でいいじゃん」と反対&諦めムード。取り敢えず一人で決行という事に(泣)。
 清水で大勢の観光客の中を歩いていると、中年男性のペアから「どこから来たの?」と声を掛けられました。「よっっっしゃぁ!」と心の中で叫び、元気な声で「能代です!!!」と回答。すると、相手方の一人から無残にも「どこ?」と返されちゃいました。幸いもう一人の方は御存知で、一緒に「秋田県の北西あたりにある……」などと解説。すると一応「ああ、」という反応あり。
 隣にいた同級生からは、「ほら、やっぱり知らないんだよ」と言われる始末。ハァ……。

 この後、何故か出身地を尋ねる方は一人も現れず、結局「『能代』が単独で通じる快感」を得る事はありませんでしたとさ。


 数日後、京都の新京極の土産物屋さんで、清水の舞台の写真テレホンカードを一枚購入。フジカラーのテレカ袋に入っていたのですが、そこに印刷されたフジカラーの事業部の所在地に、五桁の郵便番号が。どうやら結構昔に作られたもののようです。
 ここからが大変。関西事業部の住所が、次のように書かれていたんです。
四国高松栗林公園南西××
〒761
「四国高松」!? 「香川」は!?

 ちなみに、関東事業部の所在地は「東京南青山…」となってました。


 長々と失礼しました。m(_ _)m
[53027] 2006年 8月 5日(土)00:12:05右左府 さん
「おおがたむらの」を変換すると必ず「大型村の」になる……
[52770] 88 さん
 大潟村の件、やはりそちらで一度協議なさってたんですね。あの表現は綿密な協議の結果だろうと当初は指摘を躊躇してましたが、やはり気になって報告させて頂いた次第です。それにしても、全国市町村名変遷総覧に「八郎潟埋立地」とあるとは……。あの法律名に合わせたんでしょうかねえ。
 今後続く奄美・沖縄の取り扱いなど、大変な作業になると思われますが、この作業が一通り済めば今回の件もきちっとまとまるでしょうね。ちなみに、北海道の一二級町村制・指定町村制の取り扱いはどうなるのかという点もちょっと前から気になり始めていたり。これもこれで厄介かも……?

[52997] 88 さん
編集長が不在で私が代行していたことに、お気づきの方はいらっしゃいましたか?
 「あれ?」と思った点が幾つかありましたが、こういう事だったんですね(笑)。あ、合併情報に問題があったという訳ではありませんので、御安心を……。


 合併情報の更なる充実に期待してます^^。
[52984] 2006年 8月 4日(金)00:28:10右左府 さん
十番勝負
問八:能代市

 地元・能代市が少しでも該当しそうな雰囲気を醸し出していたら、即回答。これが私の十番勝負における鉄則です(笑)。
[52769] 2006年 7月 29日(土)22:44:46右左府 さん
八戸市のシンボル & 五戸町・新郷村合併情報
 今回の十番勝負は既に諦めモード突入……。そんな訳で、ちょっとしたニュースを。

 第九回十番勝負の問五(共通項:市の花が菊(○○菊も含む))でちょっとしたトラブルを起こした八戸市。南郷村との合併は「編入」だったため、合併前の市の花「菊」は合併後も有効とした上で、「その変更について検討中です」との回答が八戸市から返ってきてましたね。([47769]グリグリさん)
 その「検討中」の八戸市の花・木・鳥ですが、「市シンボル等検討委員会」は28日、合併前と同じものを用いるとする方向でまとまりました。委員会は9月頃に市長へ意見書を提出するとの事です。(東奥日報:新八戸市シンボル旧市と同じものに


でるでるさんへ>合併情報

 青森県新郷村の議会は27日議員全員協議会を開き、村長に対し五戸町へ合併協議を申し入れるべきとの報告をしました。村長は来月にも合併協議の申し入れをする見込みです。(東奥日報:新郷村が五戸町に合併協議要請へ


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示