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hmtさんの記事が5件見つかりました

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[90606] 2016年 6月 20日(月)17:19:00hmt さん
変遷情報あれこれ (4)変遷情報における「編入」の意味
今回のシリーズで最初に使った言葉は、「昔あった市町村」でした。
市区町村変遷情報【以下 変遷情報】トップページには、市制町村制施行時の情報数 15335という数字が記されています。現在は 790市745町183村、合計1718 (合併資料集)ですから、127年間に1万3千以上の市町村が廃止されたものと推測されます。

四文字熟語「廃置分合」。その冒頭にも「廃」という文字が使われています。
ところが、現実の 変更種別 では、「廃止」が使われていません。

その最大の理由は、「廃止」という言葉が 他の変更種別の説明中で使われており、大部分の廃止は その種別に該当するから「敢えて 廃止という結果を強調する 必要がない」からです。
新設  新設合併(合体):二以上の市町村を廃止し、その区域をもって新たな一の市町村を置くこと
編入  編入合併(編入):ある市町村を廃止し、その区域を他の市町村の区域に加えること
分割  ある市町村を廃止し、その区域を分けて二以上の市町村を置くこと

例えば、変遷情報 長野県 の 1957(S32).3.31 の記録
#変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容
179編入東筑摩郡明科町東筑摩郡 明科町, 北安曇郡 陸郷村の一部
180編入北安曇郡池田町北安曇郡 池田町, 陸郷村の一部, 広津村の一部
181編入北安曇郡八坂村北安曇郡 八坂村, 広津村の一部
182編入/新設東筑摩郡生坂村東筑摩郡 生坂村, 北安曇郡 陸郷村の一部, 広津村の一部

北安曇郡陸郷村と同郡広津村とが3分村された処分ですが、その変更種別はすべて「編入」となっており、この2つの村が「廃止された」ことを示しています。

これと対照的なのが、変遷情報 福井県 1955/7/15 の記録です。
#変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
89境界変更坂井郡金津町坂井郡 金津町, 芦原町の一部詳細
90境界変更坂井郡三国町坂井郡 三国町, 芦原町の一部詳細

「詳細」ページには 境界変更処分の対象地名が記されています。その他の地名は記載されていませんが、実際には芦原町の大部分が そのまま残りました。
処分後も「芦原町が存続こと」は、変遷種別【「編入」でなく「境界変更」】により分かります。
もちろん、2004年「あわら市」の新設/市制情報でも、それまで芦原町が存続していたことが分かります。

[90584] 桜江村は、このような「変遷情報の読み方」を踏まえた上て、下記解釈も可能な例外的な事例であったことを示したものでした。
桜江村の一部→江津市の処分については、境界変更であるから、この時には桜江村が存続していた。
しかし、【同日だが】その後で旭村の「新設」という順序であったのならば、桜江村は那賀郡4村と共に消滅した可能性がある。

…と、ここまで いかにも「変遷情報の読み方」が分かっているような姿勢で書いてきました。
しかし 過去記事を見たら、当時の自分は理解不足で、読み方を誤っていたことが露呈されていました。

2年前に書いた[85089]。この時は志紀町新設と美笹村への編入が行なわれた埼玉県内間木村が「廃止されたのか【中略】残っているのか不明」であると誤解して、「内間木村の廃止」という結果を、「その原因である編入や新設とは別情報として 明記しておく」ことを提案していました。

「変更種別の詳細説明」をよく読めば、美笹村への「編入」という処分は、自治体の廃止を伴ったものであり、廃止されたのれは内間木村以外にはあり得ない と解釈することができた筈でした。

反省を込めて、自らの誤解原因を明らかにし、皆さんが変遷情報を正しく読む資としたいと思います。

言い訳ですが、「編入」という言葉に「2つの用法がある」ことを 意識していなかったことが原因 でした。

一般的な用法:
団体や組織などに後から組み入れること。「編入試験」、「市に編入する」(大辞林)
地方自治法第六条第2項を見ると、「市町村の区域に編入」という用法は、廃置分合・境界変更を問わずに使える一般的な言葉であると理解できます。

しかし 地方自治分野の専門家たちが使う 業界用語 としては、次のような慣行があるように思われます。

「編入」という言葉は 廃置分合 の一種である 編入合併 に限定して用いる。
市町村の廃止を伴わない部分的な組み入れは「境界変更」として、「編入」と区別する。

# 境界変更であるか否かを決める市町村廃止の有無は、境界を変更する市町村だけでなく、同一告示に現れる市町村の範囲内で判断される。例えば[90585]において、#2は旭村新設で廃止される村があるので、組み入れられるのが 桜江村の一部に過ぎないものであっても、「境界変更」として告示に現れることはない。
同日の#4は別の告示であり、桜江村の一部組み入れということでは同じであるが「境界変更」になる。

このような仕組みになっているので、変遷情報における「編入」とは 最初に引用したように
ある市町村を廃止し、その区域を他の市町村の区域に加えること
という意味で使われていたのでした。
[90600] 2016年 6月 19日(日)22:55:48hmt さん
変遷情報あれこれ (3)鶏が先か? 卵が先か?
タイトルに使ったシリーズの(3)。下記2件の続編と位置付けたからです。ご了承ください。
[90584] 変遷情報あれこれ (1)「昔あった市町村が現在どうなっているのか」も知りたい
[90585] 変遷情報あれこれ (2)Re:「昔あった市町村が現在どうなっているのか」も知りたい

それはさておき、[90598] グリグリさん 郡再編と新設合併のタイミング について

2年前にも [85063] で同様の問いかけをされたことがあります。
この例で悩ましいのは、能登町新設と鳳珠郡設置の順序です。法的順序が明確であればそれに従いますが、そうでなければ上記の順序が自然かなと思います。いかがでしょうか。

その際の hmt[85071]は、受け皿である鳳珠郡の設置を先にするのが実務上自然なことと理解するとしていました。
しかし、地方自治法の趣旨からすると能登町新設が「主」であり、受け皿の郡は「従」にすぎないとも思われます。
なにやら、「鶏が先か? 卵が先か?」のようで迷い、3段階説も有力なように思われます。

ここはやはり「法的順序」、つまり告示番号順に従うのが正しいのではないでしょうか?
88さんは告示を確認していたと思われますが、変遷情報には告示番号が残されていません。

類例を求めて、三重県安芸郡と芸濃町、福井県三方上中郡と若狭町、岡山県加賀郡と吉備中央町、北海道二海郡と八雲町、北海道日高郡と新ひだか町も調べてみましたが、いずれの変遷情報にも告示番号が残されておらず、判断できませんでした。

ここは、官報情報にアクセス可能な環境にある方のご協力により、告示がどのようになっているか【2段階か3段階かと、その順番】を確認すべきではないかと思います。
[90597] 2016年 6月 19日(日)13:23:25hmt さん
明治30年前後、「旧・郡制」施行の準備として行なわれた「郡再編」
[90594][90595][90596]の各記事の対象になった「郡再編」の日付。
普段疎遠にしている「郡」が久方ぶりに登場しました。
誤記訂正・再訂正だけで終わらせるのも勿体ないと思い、過去記事を紹介しつつ、制度の変遷を復習しておきます。

国・郡制度の時代から使われていた「郡」という区画は、明治の大区小区制時代になるとその影が薄れてきましたが、明治11年制定の 郡区町村編制法で「府県」の下の「行政区画」となりました。
市制町村制や旧・府県制が制定された明治20年代になると、「郡」にも 府県の出先の行政区画だけでなく、「自治体」としての役割も与えよう とする動きが始動しました。

具体的には 1890年に 明治23年法律第36号「郡制」【以下、旧・郡制】が公布され、翌年には 11県では従来の区画のまま旧・郡制が施行されました。翌々年(1892)には宮城県にも旧・郡制施行。
地方自治体を目指すには小さ過ぎる郡を抱えていた22府県では、1896(M29)/4/1 に「郡再編」を行ないました。
大阪府を初めとする多くの府県ではかなり大規模な再編成になりましたが、3年前に三多摩移管をしたばかりの東京府のように小規模の例もありました。【東京府、神奈川県、京都府では旧・郡制施行なし。】
そして 1年遅れ(1897/4/1)で 7県も「郡再編」を実施し、旧・郡制も施行【岩手県など5県は即日】。
その後は、広島県、香川県【共に旧・郡制施行なし】、岡山県【旧・郡制施行後になった唯一の例】で、郡再編成は終りました。

旧・郡制の施行日は、同時期の旧・府県制施行日や郡再編の日付と共に、88さんが[62672]にまとめています。
[79688] hmt は、今回話題になった「郡再編」が実施された順番について 分類しつつ記載しています。

このような紆余曲折を経て1府(大阪府)39県に施行された旧・郡制ですが、明治32年(1899)には全面改正した 新・郡制 になり、これは45府県に施行されました[58745]

[51042] Issieさん
この「郡制」によって 郡 には“府県の出先機関”という性格に,議決機関たる「郡会」が設置されて“地方自治体”としての性格が加わりました。従来の「“官”の最末端」としての性格と,「“民”の共同体」(現実には,地主に代表される地方名望家が指導する共同体)としての性格の2面性を共有するものとなりました。前者を代表するのが「郡長」であり,後者を代表するのが「郡会」です。

しかし、地主階級を主体とするこの郡会は、結局のところ地方自治としては中途半端な存在で、大正12年(1923)に廃止。
その後、県の出先機関の「郡長」と「郡役所」も廃止されました(1926)。
戦時中に設けられた「地方事務所」はこの郡役所復活に近いものですが、例えば埼玉県埼葛地方事務所【南埼玉郡と北葛飾郡の2郡を管轄】の「埼葛」という名[59317]が示すように、郡そのもの ではありません。

そして戦後の地方自治法。
第259条第1項  郡の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は郡の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、都道府県知事が、当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、総務大臣に届け出なければならない。

要するに、現行法は a prioriな「郡という区域」の存在は認めているが、その機能については何も決めていません。
国として「郡」に積極的な役割を期待するものではないが、慣習の範囲内で使われるのは認めているという消極的支持でしょうか。
広域地方行政の役割は 専ら総合振興局/振興局が担い、行政当局からは 郡が事実上無視されているように見える北海道[71695]でさえ、二海・日高2郡の新設だけは行なわれ、戸籍事務や住所表示に使われています [73408]
[90585] 2016年 6月 15日(水)18:53:39【2】hmt さん
Re:「昔あった市町村が現在どうなっているのか」も知りたい
自己レスです。
[90584]を書いた時は、頭の中が「分村」に占領されていたので、それに関連した希望を長々と書いてしまいました。
投稿直後に読み直しているうちに、タイトルに書いた件に絞れば、現在の表でも、過去→現在の道の大筋を辿ることができると 気がつきました。

以下、グリグリさんのレス[90586]を受けた修正版です。

桜江村の例で記しておきます。
市町村の変遷 島根県[90586]の修正後】を開く。
Ctrl+F で 桜江 を入力→【修正後の検索結果は】下記の7件
#1 浜田市 1954/4/1 桜江村 新設 邑智郡5村
#2 浜田市 1954/10/1 旭村 新設 那賀郡5村、邑智郡桜江村の一部
#3 江津市 1954/4/1 桜江村 新設 邑智郡5村【#1と同じ】
#4 江津市 1954/10/1 江津市 境界変更 江津市、邑智郡桜江村の一部
【対象とする変遷種別に境界変更が加わったことで、この変遷が検索結果に加えられた。】
#5 江津市 1956/1/1 桜江町 町制 【#6】邑智郡桜江村
#7 江津市 2004/10/1 江津市 編入 江津市、邑智郡桜江町

改称や複雑な分岐があると、桜江で検索するという単純な調べ方では十分な結果は得られません。
上記#1、2には、桜江村の一部が旭村になった後、旭町を経て浜田市になったという経過が示されていません。
[90586]の ん? に答える追記】
浜田市の変遷にはその経過が示されているが、それは Ctrl+F 桜江 の検索結果外であった という意味です。

しかし、大筋の結果が得られるようです。
過去→現在の連続性確保という長期的目標は別として、とりあえずは これで満足することにしましょう。
[90584] 2016年 6月 15日(水)17:59:41【2】hmt さん
「昔あった市町村が現在どうなっているのか」も知りたい
[90582] グリグリ さん
とりあえず仮のページができました。

さっそく拝見しました。すばらしい。プログラム解析でこれだけのものを作れるのは さすがです。

あくまでも現状は非公開の暫定ページであり、作業全体への感想やご意見は歓迎しますが、【中略】表記項目への改善要望などは、当面は静観していただければと思います。

後半部の注意書きに反しているかもしれませんが、前半部の感想や意見のつもりで、将来に踏み込んだ希望を 少し記させていただきます。

現在の市区町村から明治の市制・町村制までの変遷データの連続性を確保することを目標に
とありましたが、現在から明治への「遡及」連続性だけでなく、【適切な言葉が思い浮かびませんが】時を進める前進的?関係の連続性確保も 目標とすることができないものか、検討していただければ有り難い と思います。

平たく言えば、「現在の市町村の過去」だけでなく、
「昔あった市町村が現在どうなっているのか」も知りたい ということです。

例を挙げて説明しますが、過去→現在の連続性を確保するためには、解析の対象とする変更種別に【分村などの限定的なケースですが】「旧村の存廃」を考慮する必要があるのではないかと考えています。

変遷情報には 1954(S29)/10/1に 島根県邑智郡桜江村の一部を含む新設合併があったことが記録されています。
同日には 桜江村の一部を江津市にする境界変更 も記録されています。
このような「分村」があった場合、多くのケースでは分村された村は消滅します。

例えば、落書き帳の古い話題である矢場川村[14616]のケース。
1960(S35)/7/1 群馬県山田郡矢場川村の一部区域は栃木県足利市へ境界変更【告示S35-1】
1960(S35)/7/1 群馬県山田郡矢場川村(境界変更の残余)全部が群馬県太田市に編入【告示S35-2】
変遷情報の記載を確認すると、変更対象自治体は太田市と矢場川村だけで、変更種別が【廃置分合の1種である】「編入」となっているので、「編入合併による矢場川村の廃止」を確認することができます。

ところが、1954/10/1 桜江村のケースとなると少し事情が違い、矢場川村のように分村された村が廃止されたことを示す決定的記載がありません。
そして、邑智郡桜江村が1956/1/1に桜江町になり、2004/10/1江津市に編入されるまで存続していたことから、「2件の分村があっても、元の村が廃止されたわけではない」ことがわかりました。

後で国勢調査55ah02dにより人口異動を調べたら、1954年に成立した桜江村の人口(1950年当時の5村合計)は9526人、この内 1954年に江津市に境界変更されたのは 490人、旭村【後に浜田市】の新設合併に加わった一部は 171人で、合計しても桜江村の 7%にしかなりませんでした。
つまり、変遷情報に記録された2件の変遷は、いずれも文字通り「桜江村の一部」に関するものであり、人口の93%を占める「大部分」は桜江村のまま存続していたのでした。

分村の後、更に村が存続していた事例は比較的稀であると思うのですが、過去→現在の連続性確保には、このような問題も存在します。

一般的には、分村による複数の一部編入が「廃置分合として記されていれば」、それは元の村の「廃止」を伝える情報として扱えるので、変遷情報に記す内容として「旧村の存廃」を明らかにしておく必要のあるケースは、ごく少数でしょう。
【追記】
桜江村の類例を思い出したので記録しておく。新潟県西蒲原郡岩室村【昭和30年人口 7587】
1960/4/1 新潟県西蒲原郡岩室村の一部を巻町に境界変更【人口異動 355】
1960/4/1 新潟県西蒲原郡岩室村の一部を吉田町に境界変更【人口異動 285】
岩室村の大部分【1955年人口6947】は 2005/3/21に新潟市に編入されるまで存続した。【追記終】

これに対して、多数の分村事例では 現在の変遷情報の記載のままで旧村の存廃を判断できます。
その一例に過ぎませんが、参考までに手元のメモ【国勢調査65ah03c.pdfの村名誤記】から分村データの例を示しておきます。
1962(S37)/4/1 宮崎県児湯郡東米良村の一部 西都市に編入 【1960年国勢調査人口異動 4421人】
1962(S37)/4/1 宮崎県児湯郡東米良村の一部 木城村に編入 【1960年国勢調査人口異動 810人】

1950/10/1以降の分村に関する国勢調査データは整理中であり、改めて落書き帳記事にしたいと思っています。


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