[76196]千本桜 さん
ご質問のこと、自分がお力になれれば幸いです。なお、正確な答えが用意できていない部分もあるので、そのあたりは後日報告させて下さい。
まず1番目。
Q:
琴浦から少し離れた地域の人々、例えば下津井や日比の人は琴浦の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。A・下の町・上の町の区域を琴浦と呼んでいる。B・下の町・上の町・田ノ口・唐琴・由加・白尾の全域を琴浦と呼んでいる。
(中略)
hiroroじゃけぇさん世代の感覚で捉えた琴浦。もう1つは70才以上の高齢者の感覚で捉えた琴浦。二者の立場からの琴浦を解説いただけたなら幸いです。
A:「琴浦」の 範囲ですが、下津井や日比の方々に訊ねたことがないので、詳細は分かりませんが、自分がその人達と話している感覚では、Aに田ノ口の平野部を含めた地域を「琴浦」と呼んでいるようです。つまり「田ノ口の平野部」が児島地域内での感覚とズレている部分となります。では、「田ノ口の平野部」以外はというと、「加茂路(かもじ)峠」あるいは「加茂路池のあたり」と言われることが多く、地名の「田ノ口」と地域内の感覚に整合性がありません。また、「白尾」は地域人口が少ない為、バス停のある「峠」を代表させることが多いようです。
年代による差異はほとんど見られません。というのも、現在でも親の世代からの地理感を引きついている為で、またそのように教えられて育つからです。
2番目
Q:
唐琴は明治22年まで存在した引網村のことではないかと推察します。もし、地理範囲に変わりがないなら、今も引綱と呼ばれて良いはずなのに、どうして唐琴に改称したのでしょうか。
A:地域としてはその通りです。「唐琴」はそもそも「唐琴の浦」(「唐琴乃浦」という記述や石碑もあるので、昔はこちらを使用していたようです)からきており、昔から海岸沿いは引網村の「唐琴」であったと思われます。よって、人口が集中する「唐琴」を採用したのではと推測しています。このことについては、後日改めて調べてみます。
3番目
Q:
塩生(しおなす)・通生(かよう)で1つの区域とした場合、宇野津はどこへ行ってしまうのでしょう。塩生に含まれるのでしょうか。
A:「宇野津」は児島地区にありながら、その立地上水島に近い感覚があります。また、この児島の西側の地域は「塩生」を代表させることが多く、「通生」も含めてしまうことが多いと思われます。
4番目
Q:
旧児島市の区域では、大字に相当する町丁名のほとんどが児島を冠して倉敷市児島○○と表記するのに、郷内村、下津井町および味野町の菰池だけは児島を冠称しません。何故でしょうか。
A:下津井については、児島としている地域からは独立した文化圏を構成しています。特に「方言」においては下津井は少々違った言い回しをする場合もあります。また、このようなことから、児島と下津井との間には軋轢もあったようで、それが原因で下津井は児島を冠さなかったと聞いたことがあります。菰池の詳細は分かりませんが、下津井に含まれる地域も内包しており、その為の処置だと推測しています。こちらも、後日ということにさせて下さい。
5番目
Q:
明治22年以前、下津井町の区域は下津井村、吹上村、田ノ浦村、大畠村に分かれていました。現在の住所表記は、下津井村の区域が倉敷市下津井、吹上村の区域が倉敷市下津井吹上、田ノ浦村の区域が倉敷市下津井田ノ浦なのに、大畠村の区域は下津井を付さずに倉敷市大畠です。大畠村の区域が児島も下津井も冠称しないのはなぜでしょうか。
A:こちらも詳細なことは分かりませんので、後日報告いたします。ただ、この地域は「児島」から「下津井」のアプローチとなる地域で、下津井へはこちらを通るのが一般的なルートであったようです。現在の児島I.C経由には旧ルート(現在でも通行可のトンネルあり)が利用されていたようで、あまり好まれていなかったようです。少し脱線しましたが、これらの経緯により、わざと「児島」も「下津井」も冠さなかったのではないでしょうか。また、大畠も菰池と同様、「下津井」の部分を内包しているのも、理由の一つかもしれません。
日比のこと
Q:
玉野市やその周辺に住む世間の人は、日比の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。
A・日比という地名を耳にすると、藩政期の日比村に相当する区域を思い浮かべる。
B・日比という地名を耳にすると、日比に渋川、和田を加えた区域を思い浮かべる。
C・日比という地名を耳にすると、日比、渋川、和田に玉を加えた区域を思い浮かべる。
A:これは間違いなくAです。日比は「精錬」、玉は「造船」であり、わざわざ日比に「玉」を内包する必要はありません。また、和田はその地域を目的とすることが少なく、日比や玉に含める必要性はありません。ただ、上記のBとCで最も違うと断言できる理由はそこではなく、「渋川」を含んでいることにあります。確かに、日比と渋川の境界はあいまいですが、児島からでも宇野などの玉野市がわからでも中間点となり、多くのバス路線の終点となることから「渋川」は「渋川」として独立しています。なので、玉野市外から渋川にいく場合は「渋川に行く」とするのが一般的で、「玉野に行く」は宇野駅周辺の中心市街地を指してしまいます。そして、「日比」や「和田」、「玉」は「玉野に行く」に包括されてしまいます。なお、玉野市の「荘内」地区は「秀天橋(しゅうてんばし)」といわれることが多いので注意が必要です。この「秀天橋」は国道30号ある橋で、一部のバス路線で経由地などとして記載されています。
以上、現在のところこのようになります。後日また詳細を報告させてもらいます。