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[26266] 2004年 3月 16日(火)13:58:00hmt さん
岩の上に鳥が止まる広さがあれば「島」
白川静「字統」より
「島・嶋」…もと海鳥の住む岩島をいう字。その大なるものを島といい、小なるものを嶼という。

[26206]では「島」を認定するにあたって考慮に入れる要素として、人手の関与や越えるべき水面を取り上げました。今回は島の大きさです。
「島」は「大陸」や「本土」に対する相対的概念で、その大きさの上限はほぼ明らかです。
世界的にはオーストラリアとグリーンランドとの間、国内では四国と択捉島の間に上限が引かれています。目的によっては沖縄本島と佐渡島との間で区別することもあるようです。
カナダ北端のエルズミア島。これは面積については本州と同じくらいの大きな島ですが住民は極めて少なく、離島扱いでしょうね。

問題は下限です。二見の夫婦岩は「島」なのか?
夫婦岩は島であろうとなかろうと観光的価値に変りがないでしょうが、「島」であるか否かで経済的価値が大きく変るのが沖ノ鳥島です。
日本政府は「沖ノ鳥島は島である」として、領海12海里および排他的経済水域 EEZ=exclusive economic zone 200海里を主張しています。沖ノ鳥島の存在は、日本の国土面積を上回る40万km2のEEZを我が国にもたらしています。

[26206]で引用した「国連海洋法条約」の島の定義は、1958年の領海条約の定義を踏襲したものですが、これが人工島を排除したわけは、海洋の経済的利用に関係するためでした。この条約は121条第1項の「自然に形成された陸地」の他にも第60条第8項で「人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない」と駄目押しをする念の入れようです。
しかし、この定義に大きさの規定は直接にはありません。だから「高潮時においても水面上にあれば、どんな小さな岩でも島である」ということになり、「水面上」を維持するために300億円を投じた護岸工事も行なわれました。

ところがこの条約の121条第3項には「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」という規定があり、鳥が止まれても人が住めないような岩は(基線=低潮線から12海里の領海はOKでも)200海里のEEZ はダメとされているようです
沖ノ鳥島の排他的経済水域について1999年の国会質問での政府答弁がありますが、何となく苦しい感じです。 http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/law.html 参照。

では、この「島」の実態は? というわけで写真を探したら……
ありました! http://vldb.gsi.go.jp/cgi/tr_table.pl?410 東露岩にある「一等三角点」(北露岩には三等三角点がある)。でも三角測量をするには3つの三角点が必要なのではないかな?
それはともかく、一番下の写真、コンクリートで固められた岩の小さいこと。まさに鳥が止まるのがやっと という大きさでした。これを「島」であると主張する日本政府の勇気に感服!

ところで、最初の位置図にあるように2つの露岩は東西に並んでいるのに東露岩と北露岩。なぜ?
実は西側に北露岩と南露岩があったのです。南露岩はキノコ状の岩が波浪で倒壊した状態で発見され、1937~1938年頃に波浪に流されて消失したようです。
このような事例もあるので、現在は辛うじて水面上を維持している2つの岩も危ない…というわけで実施されたのが1989年に完成した護岸工事でした。
http://www.takagigumi.jp/step17.html によると、略最高高潮面からの高さ僅かに16cmと6cmだったキノコ状の岩の周囲を消波ブロックと特殊なコンクリートで固めたとあります。一等三角点のある東露岩には、更にチタン製のフタをかぶせるという過保護ぶりです。

ほんの小さな岩ですが、200海里を確保しようと努力すると金食い虫になります。護岸の維持は本来自治体の仕事ですが、東京都にとってもその負担は大変というわけで、改正海岸法を受けた政令(1999/6/18)により、国の費用全額負担で直轄管理をすることになったそうです。 http://www.thr.mlit.go.jp/bumon/b00037/k00290/river-hp/kasen/forefront/sea/0008.html

「国の直轄管理」と言われると、この“現代の天領”と自治体の小笠原村や東京都との関係がどうなったのか気になりますが、東京都に代わって国(建設省、現 国土交通省)が海岸の管理をするという意味で、東京都小笠原村沖ノ鳥島であることに変更はないようです。

沖ノ鳥島にあるのは護岸工事を施された2つの岩だけでしょうか?
いやいや http://homepage2.nifty.com/shot/okinotori.htm には、なんと3階建ての建物のある人工地盤が写っています。ここは重要な気象観測基地(無人)で、2003年2月までは ネットでリアルタイム気象観測データが公開されていました。
海岸保全に加えてこのような利用を含む実効支配の実績は、先に問題になった条約121条第3項の「経済的生活の維持」を裏付けるものとして役に立つのかもしれません。

海面上の岩のことばかり気にしていると沖ノ鳥島は小さな存在のように思われますが、海面下の実態は 深海からそびえ立つ雄大な海山です。
1996年の調査により、最終間氷期に形成された12万5000年前の珊瑚礁が、最終氷期に下降した海面レベルまで浸蝕され、更に7500年の温暖期に海中に沈んで、上にできた新しい珊瑚礁が現在の海面近くにほぼ平らな頂上を形成していることがわかりました。
海面上の小さな岩は、富士山の白雪や笠雲のような珊瑚礁で上部を覆われた古い巨大な山体の頂が、海上に突き出たものなのでした。

日本最南端の沖ノ鳥島のことを書いているうちに、幻の日本最東端の島 (サンズイのない)「中ノ鳥島」の存在(実は不存在)を知りました。
興味のある方は http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/01/ganges.html をどうぞ。
[26271] 2004年 3月 16日(火)18:31:18【1】N-H さん
七叉路
[26262]みやこ さん
【東京都大田区の「七辻」】
ううむ、どうしてこうもつぼにはまった話題ばかり出てくるんでしょうねえ。
ここはわざわざ見に行きました。信号がなく、「やさしさと思いやり」を標語にかかげてありました。皆さん注意して通行しましょうというわけです。

さて、他の例ですが、有名なのは河内長野の「七つ辻」です。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.26.54.407&el=135.34.21.330&la=1&fi=1&sc=2
ここも見ようによっては八叉路に見えないこともないですね。

次に横浜市瀬谷区の下瀬谷2丁目交差点。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.27.29.674&el=139.29.16.681&la=1&sc=3&CE.x=107&CE.y=374

探せばまだまだ結構あるかもしれません。

別記事ですが、hmtさん[26266]の沖ノ鳥島や中ノ鳥島のお話もつぼにはまりまくりです。以前からここにご紹介のページは愛読しておりました(笑)。
[53501] 2006年 8月 19日(土)21:53:44hmt さん
「デトロイト天皇」という名は、さすがに聞いたことがない
[53466] 2006 年 8 月 18 日 (金) 02:24:34 音無鈴鹿 さん
そういえば天皇海山群っていうのがありましたけれど、あれはどういう経緯でそんな名前が付いたのでしょう?名前順とか規則性なさそうだし。

ホットスポットの上にある活火山の島ハワイ。古い火山の痕跡は、活動をやめた後でプレートの動きに乗って西に進み、少しずつ海に沈んでゆきます。ミッドウエー島から先は海上に突き出た島はなくなりますが、頂上が海面付近にあった時に侵食されて平らになった平頂海山(ギヨーGuyot)の列は、更に沈みながら海面下に続きます(ハワイ海山列)。

この平頂海山の列が、日付変更線を越した東経170度あたりから向きを北寄りに変えて、カムチャツカの方を目指します。
http://highered.mcgraw-hill.com/sites/dl/free/0072402466/30425/VirtualVista1702.jpg アメリカのH.ヘスがこれを発見したのが1942年というから、ミッドウエー海戦の年です。
それぞれの海山に雄略、欽明、仁徳、推古など天皇の名を付けたのもアメリカの地質学者ディーツRobert S. Dietz で、1954年のことでした。そのために、天皇海山列(天皇海山群)と呼ばれます。

現在の地図に即した「地理的な説明」だとこうなりますが、「地球史的な説明」をすれば、天皇海山列のできた時代には北寄りに向かっていたプレート運動が、4000万年前頃に西寄りに変わり、その後ハワイ海山列が生まれたということになります(Morganの仮説1972)。
4000万年前頃にどんな事件があって、プレート運動の向きが変わったのか?
インド大陸がユーラシア大陸に衝突した影響とか、古いスラブが下部マントルに落下したためとか、諸説があるようです。

南から北へと続く海山の名を見ると、50「桓武海山」に始まって、29欽明、21雄略、58光孝、15応神、神功、16仁徳、33推古、1神武、38天智と続きます。(数字は参考までに付け加えた天皇の代数です。)
天智海山の北に何故か「デトロイト海山」。そして締めくくりが122「明治海山」。確かに規則性が不明ですね。

神功(じんぐう)皇后も125代の中には入っていませんが、実質的には14代と15代の間の天皇でした。しかし、「デトロイト天皇」の名は、さすがに聞いたことがありません。アメリカ人のやることは不可解。

天皇海山列の後、同じようなシリーズものの海山名が生まれています。
1983年以来、海上保安庁は日本周辺海域の詳細な海底地形の調査を行ない、約300個の海山や海底谷を発見しました。
2001年に、これらの海底地形に関して、日本の命名したグループ化地名が、国際的に推進されているGEBCO(大洋水深総図)事業の会議で高く評価され、承認されたとのことです。
海山群の名称(海山名の一例)を記しておきます。

太陰暦海山群(睦月海山)、七曜海山列(日曜海山)、秋の七草海山群(はぎ海山)、春の七草海山群(せり海山)、長寿海山群(還暦海山)、西海道海山列(筑前海山)、天の川海山群(連星海山)、七夕海山群(織姫海山)
興味があれば、水路部海洋情報課の発表 をご覧ください。

海山ではなくて ちゃんとした島ですが、かつて日本の委任統治領だった南洋群島のトラック諸島には、四季諸島(夏島・春島・秋島・冬島)や七曜諸島(日曜島・月曜島・…・土曜島)というシリーズ地名の島々がありました。[35703]

蛇足
海山のことを調べていたら、幻の日本最東端の島 (サンズイのない)「中ノ鳥島」[26266]続編 が出ているのを見つけました。
近くに(と言っても100kmも離れているが)マカロフ海山というのがあるようですが、これと結びつけるのはやはり無理でしょう。
[56190] 2007年 1月 12日(金)18:15:48【1】hmt さん
日本から政治的行政的に分離された「外周領域」
[56162]で、第二次大戦の末期に、硫黄島を含む小笠原諸島から、民間人の強制疎開が行なわれたことを記しました。
実は、小笠原からの住民引揚は、これが始めてのことではなかったのでした。

既に[26683]で書いたことなのですが、幕末の1861年(文久元年)に老中安藤信正は外国奉行水野忠徳を咸臨丸で派遣して小笠原を回収させ、翌年には八丈島からの移民を送り込み開拓を始めました。
ところがその1862年に起きた生麦事件[54415]の賠償金をめぐり、英国との間に確執があり、真っ先に攻撃される虞のある小笠原は、早々に開拓を放棄して本土に引き揚げてしまったのです。
この時には、旗本の奥方の疎開騒ぎ[33902]があったくらいで、江戸が襲われることも心配されました。
小笠原は、明治8年になってようやく再回収され、翌1876年には日本の小笠原領有が国際的に認められました。

19世紀の話はこのくらいにして、本題である第二次大戦の敗戦によって失なわれた「日本の外周領域」のことに入ります。

小笠原諸島では、1944年に軍属以外の6886人が本土に引き揚げ[56162]
優勢な米軍は、1945年2月に硫黄島に上陸。栗林部隊2万人が必死に抵抗するも3月には玉砕。
当時の大本営発表では「いおうとう」でした。国土地理院の「いおうじま」や米軍の「Iwo Jima」と違うのは、厚木(あつき)[22152]や物干場(ぶっかんじょう)[38388]のような軍隊方言のせいでしょうか?
父島・母島の生存者は、8月の日本敗戦によって本土に送還されました。

沖縄での地上戦は、3月26日の慶良間諸島(4月1日 沖縄本島)上陸に始まり、6月23日に組織的な戦闘が終了しました。
「鉄の雨」が降り注いだ3ヶ月間に、多数の民間人を含む20万人の犠牲者を出し、日本の行政機能は事実上壊滅ました。

敗戦後、戦場になった沖縄と小笠原を含めたいくつかの島々の行政が、連合国軍総司令部(GHQ)の覚書(指令のMemorandum)によって日本から切り離されます。

「特定外周領域の日本政府よりの政治的行政的分離に関する件 Govermental and Administrative Separation of Certain Outlying Areas from Japan」というタイトルで、SCAPIN-677 と呼ばれています。SCAP=連合国軍最高司令官(日本の新聞では「マ元帥」と表記)の Instruction Noteという意味です。

この覚書の第3条の中で、「日本の地域から除かれる地域」として列挙された3項目の中に
(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原および火山(硫黄)列島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島
があり、“北緯30度以南の琉球列島”の中には、沖縄、奄美群島、トカラ列島の「下七島」が含まれます。

(b)項において、伊豆諸島も日本の地域から除かれています。これに関連して、2004年1月29 日(SCAPIN-677発令58周年)に、[24269]「伊豆諸島が日本でなかった53日」という記事を書きました。この記事に対する Issieさんのレス[24274]にあるように、 SCAPIN-841 による修正によって、伊豆諸島が日本に戻りました。

(b)項には、南方諸島[53392]の名も見えます。(対日講和条約第3条や小笠原返還協定 第1条第2項では、小笠原を含む広い意味で使われています。)
沖縄県に所属するものの、「大東島群」(沖ノ鳥島やパラオ列島に連なる)は、別に挙げられています。
幻の「中ノ鳥島」([26266]の末尾)が、顔を出しているところはご愛嬌。

(a)鬱陵島、竹島、済州島や(c)千島列島、歯舞島群、色丹島が日本に含まれていないことは、領土問題についての韓国やロシアの主張の一つの根拠になっているのでしょうが、もともと SCAPIN-677 は、第6条に明記されているように、最終的な帰属を定めるものではない暫定的な性格のものだから、領土問題にこれを持ち出すのは筋違いということになります。
ついでに言えば、 SCAPIN-677 によれば、鬱陵島・済州島は、第4条の朝鮮とは区別された存在ですね。

原文を読もうと思ったら 画像 がありましたが、読みにくい。
外務省HPの中の 日露領土関係文書IIIの12番目は、全文ではありませんが、よく読めます。

1946年(昭和21年)1月29日に発令された SCAPIN-677 は、2月2日にGHQの民間情報教育局(CIE)から発表され、奄美復帰年表 では、「二・二宣言」と呼ばれています。
昭和21年2月3日毎日新聞(大阪)には、「日本領域マ司令部指定」という記事がありますが、読んでみると、“日本領域として特に指定された島嶼に 千島諸島 および北緯30度以北の琉球諸島を含んでいるが…”とあります。
これは明らかな誤報です。電話送稿で「対馬」と「千島」を取り違えたのでしょう。


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