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hmtさんの記事が5件見つかりました

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[90093] 2016年 3月 21日(月)19:17:26hmt さん
県条例の都市的施設要件(2)広島県府中町をめぐる動き
[90091]の続編ですが、広島県安芸郡府中町が「市」になる要件を整えることができるか否か。
そのポイントに触れるのは こちらの記事です。
この記事を先に書いてから、現在の条例にある「高校の数」に関する記事を書くべきだったかもしれません。

[90089] ピーくん さん
【中国新聞】紙面からです。
和多利町長は「町議会と連携し準備を重ねた上で、条例見直しへ向け県と協議したい」とした。一方で「混乱する事態は避けたい」とも述べた。

都市的施設要件を定めた「条例見直し」で思い出すのは岩手県です。
滝沢村が「市」になるためのハードルになっていた当時の岩手県条例には
1 地方事務所、税務署、公共職業安定所等の官公署が、5以上設けられていること。
などの9項目が定められていました。全文は [40484]百折不撓 さん

平成合併時代の[3217]では、滝沢村は単独市制施行も視野に入れ、岩手県に対し県条例の見直しを打診したものの、盛岡市との合併を歓迎していた県側は慎重な姿勢と報じられていました。
しかし、合併の嵐をくぐり抜けた後になると、岩手県の態度も変りました。滝沢村が2012年の岩手県議会6月定例会での条例改正を要望[79744]した結果、9月定例会で条例改正案が可決。[81981]
改正後の条例は、高等学校から病院までの5項目になっています。

広島県のケースも、関係者の「やる気」があるならば、理論的には同様の手続きで改正可能です。

現実には、町長発言にある「混乱する事態は避けたい」がポイントでしょう。

過去の経過は当サイトの 成立しなかった合併情報 広島市, 安芸郡府中町 にまとめられていますが、広島市サイト内の 府中町との経緯も参照して補足します。
和多利町長は 2000年5月初当選。7月の町議会で次の答弁。
広島市との合併については、住民が決めることですが、4分の3以上の賛成が一つの目安と見ており、私としては、自主自立の町づくりを進めたいと思います。
2001年6月議会での答弁
29年前に広島市にお誘いをいただいたが、町民の合意が得られず、その後の町長選挙等での反応も、合意を得られない状況は、ご承知のことと思います。このような状況下で町政を続けることは、活力の減退やキリンビール跡地の再整備への貢献等を考えると、遅まきながらも都市行政にすべきと判断しているところです。従って、とりあえずは単独市制をしていということです。

2002年には合併問題を問う住民投票条例が可決され、6月に実施。その結果、広島市との合併賛成49.9%を[1811]が伝えています。他の選択肢は単独市制が 28.5%、そのまま町でいるが 21.6%。

2003年3月の住民請求に基づき 12月には広島市との法定合併協議会が設置されたが、府中町は合併に慎重で協議は進展せず。2004年5月には 和多利町長が再選され、12月には合併を断念して協議会を解散しました。

今回の新聞記事によると、府中町としては 条例見直しによる市制への道 も探るようです。

安芸郡府中町が広島市に囲まれて41年 。水道などのインフラ設備を広島市に依存しているだけでなく、「衛星都市」という言葉も不適切に感じられるほど広島市の中に入り込んでいます。「ローマ市に囲まれているバチカン・シティ」とは事情が違うにしても、「市に囲まれた市」は落書き帳としては見逃せません。

その実現に必要な条例改正を審議するのが 広島県議会。その動向は如何に。
今後も、ピーくん さん による広島県からの情報が伝えられることを期待しています。
[90091] 2016年 3月 20日(日)23:00:45hmt さん
県条例の都市的施設要件
[90089] ピーくん さん
【中国新聞】紙面からです。
ただ県条例は「高校などが3校以上ある」ことなどを要件とし、【府中】町はクリアしていない。

地方自治法第八条第1項で定められた市となるべき自治体の要件。その第四号で求めているのは、
「当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。」です。

府中町の動向については ずっと前から落書き帳でさんざん話題になっており、アーカイブズもありますが、「高校の数」が問題になったのは初めてですね。

そこで、広島県条例【昭和23年条例第28号】 を確認してみました。
二、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校が、三以上設けられていること。
中等教育学校とは中学校のことではなく、いわゆる中高一貫校のことです。

確かに高校が3校以上を求めていますが、これって 地方自治法の求めている人口5万よりも、ずっと厳しい条件ではないでしょうか?
この条件を満たしている市は、全国的に見てどの程度の人口がある市なのか気になりました。

他県の条例にも高等学校設置に関する類似の規定はありますが、「3校以上」の県は知りません。
参考までに、平成合併終了後に単独市制のあった県を列挙しておきます。

石川県条例(S29-1)[14790]:高等学校及び公私立の図書館、博物館、公会堂又は公園等の文化施設の大部分が設けられていること。
千葉県条例(S23-24):高等学校が設けられていること。
埼玉県条例(S23-13):高等学校が設けられていること若しくは設けられる計画が確定していること又は当該普通地方公共団体に隣接する市町村に二以上の高等学校が設けられていること。
愛知県条例(S23-2):高等学校が相当数設けられていること。
岩手県条例(S23-7):高等学校が設けられていること。
[90083] 2016年 3月 17日(木)20:01:10hmt さん
公文所(くもんじょ)→公所(ぐぞ)→久所(ぐぞ)
[90079] グリグリ さん
「ABCの旅」はGの付く地名と言うことで、神奈川県足柄上郡中井町久所でした。「久所(ぐぞ=GUZO)」です。
相模原市にも同じ読みの久所がある(中略)相模原市中央区にある水郷田名の別名(旧名)だったようです。

同じ相模国ですが、武蔵国との境界である境川の西岸に「公所(ぐぞ)」という集落がありました。
現在でも大和市公所会館があり、大和市下鶴間504-1と書いてあるところから、住所表記に使われていない「(大字)下鶴間(字)公所(ぐぞ)」が現在でも残っているものと推察します。
地図を見ると、「下鶴間」が 駅名由来の「つきみ野」や「中央林間」に侵食され、分散しながらも残存している様子がわかります。
中央林間という不思議な地名[34571]が、昔は「(大字)下鶴間(字)公所新開」であったことは、[46290]で記しました。

それはさておき、「久所」という地名は小田原市にもあります。
久所の始まりには、秦野市立上小学校北側にも 久所(ぐぞ)があると記されています。
読みの違う千葉県館山市「久所(ぐじょう)」や、大分市「久所(くじょ)」は別とすると、相模だけに4ヶ所の「久所(ぐぞ)」。

「公所(ぐぞ)」も、地理院地図の検索でヒットする平塚市と厚木市を加えて3ヶ所。
全国で7ヶ所の「GUZO」が すべて相模国にあることは、偶然ではないようです。

相模原市田名の地名の水郷田名の説明文より。
昔、久所に公文所(くもんじょ)といって、今の市役所のようなものがあり、『文』の字を省略して公所と呼んでいたという。その後(中略)同音であったので久所と称したと言われる。

公文所は公文書管理の役所として古代・中世に使われた名ですが、有名なのは鎌倉幕府が 1184年に大江広元を別当として設置した公文所。これは、もちろん鎌倉にあったのでしょうが、各地の支所も公所と呼ばれており、それに由来する「GUZO」が、お膝元の相模国に地名として残っているのでしょう。

蛇足
西相模の災害地名?
中井町 久所(ぐぞ)クゾ、地崩れる場所。
という記載がありましたが、このように根拠の怪しい 「地名怪説」もあるので、ご注意を。
[90076] 2016年 3月 15日(火)18:03:45hmt さん
Re:合併アーカイブ
[90074] _ さん
総務省市町村課が「合併デジタルアーカイブ」というものを提供しています。

10年も前の2006年、平成合併最盛期に開設されており、2011年にはグリグリさんの紹介記事[79464]もあったサイトを、これまで失念していたとは…

それはさておき、さっそく利用した成果が得られたので、御礼と共に ご報告します。

兵庫県多可町の「地域自治区の設置に関する協議書(案)」
協議会の状況によると、地域自治区設置は 2004/12/16の第19回合併協議会で承認されたとのことです。
「この協議は、告示の日から施行する。」という附則が付いていました。【告示日:2005/7/7】

同じ協議会で決った合併期日2005/11/1よりも前ですから、当然 合併特例法に基づく手続ですが、リンクした協議書(案)では 「地域自治区を設置する期間」 を定めていません。
「合併関係市町村の協議で定める期間に限り」という法律 に違反しているように見えること、[90071]で記した南相馬市や香美町と同様です。

兵庫県香美町についても、第16回合併協議会会議資料の27/40に「地域自治区の設置に関する協議書(案)」がありました。その内容は [90071]で記した書類【リンク不調】と同じです。
[90071] 2016年 3月 14日(月)16:08:52【1】hmt さん
地域自治区 合併特例区 (8)地域自治区制度について再び
平成合併の産物であり、平成合併の後始末という面を持つ「地域自治区」。
平成合併最盛期から10年経過という節目に始めたこのシリーズ。その1年後の現在、設置期限が近づく合併特例地域自治区【Tcj】の動向を伝えがてら、奥州市・奄美市と個別事例の話題を取り上げてきました。

その次には、地域自治区全体の動きを示すリストを提示しようと考えていました。
しかし、地域自治区制度自体に難解の部分があり、先ずこの記事を書いて、理解を深めることにしました。
このシリーズの第2回に記した一通りの説明で不足していた見解を補い、別のアプローチにしました。

「地域自治区」という名は、地方自治法の平成16年改正案で現れました。落書き帳での初出は [27999] でるでる さんの「合併関連3法案」という記事です。
しかし、引用文からも明らかなように、 地方自治法の条文に書かれているのは
市町村長の権限に属する事務を分掌させ、及び地域の住民の意見を反映させつつこれを処理させるため
であり、「合併」とか「旧市町村」とかいう言葉は直接には現れません。
いわゆる「一般制度としての地域自治区」と呼ばれる所以です。

2004年2月に合併協定が調印された南相馬市の事例で考えてみましょう。
地方自治法の規定では、合併と同時に地域自治区を発足させることができません。
「市町村は、…条例で、…地域自治区を設けることができる。」となっていますが、南相馬市は未発足であり、条例の定めようがないためです。

そこで必要になるのが、同時に成立した「地域自治区の合併特例」という規定です。こちらは、
地方自治法の【条例制定を求めている】規定にかかわらず、…協議で定める期間に限り、…地域自治区を設けることができる。
となっています。

合併(2006/1/1)前年の2005/2/28に定められた 協議書 をリンクしておきます。協議事項1によると、地域自治区は地方自治法に基づくものですが、そのように定めた根拠が合併特例法の規定によるものであることが、前文に記されています。
合併特例法が求めている「協議で定める期間」について明確な記載がなく、協議事項5(2)には「区長の設置期間は10年」とあります。
南相馬市の文書 p.3の地域自治区>設置期間 には、「設置の期間は定めません」とありました。
これで良いのでしょうか?

「地域自治区の合併特例」を用いるという点では、奥州市の合併も同じことですが、こちらの合併協議書の記載は もっと単純明快です。実際、このような事例が大多数です。
第1条 合併特例法…の規定に基づき、…を目的に、合併前の水沢市【以下列挙】…に地域自治区を設置する
第3条 自治区の設置期間は、合併の日から平成28年3月31までとする。

兵庫県美方郡香美町の場合。例規集中には合併協定書が見当たらぬものの、美方町・村岡町・香住町合併協議第63号として「地域自治区の取扱いについて」H16/9/20提出の書類がありました。
【修正】テキストリンク不調につき、URLを直接記します。
http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1117450319031/html/common/other/4aaf32e8017.pdf

それには、「地方自治法第202条の4第1項及び市町村の合併の特例に関する法律【旧・合併特例法】第5条の5第2項の規定に基づき、合併前の美方町、村岡町及び香住町の区域ごとに地域自治区を設置する。」と2法を併記しています。
書き方は南相馬市と少し違いますが、合併前なので、当然のことながら「合併特例」を利用した地域自治区。
しかし、添付された全9条からなる協議書には、地域自治区の設置期間についての定めが見当たりません。
合併特例法が求めている設置期間を無視したまま10年を経過しつつある事例は、南相馬市の他にもあるようです。

同じ兵庫県で多可郡3町が合併した多可町。こちらは多可町のサイトに関係書類が見当らないので、WARPで合併協議会のページを探したが、こちらもダメでした。
【修正】合併に特化した総務省のアーカイブ[90074]には、WARPから漏れていた合併協議会サイトも保存されていました[90076]

参考:総務省の一覧表 現在はH27/4/1現在が示されていますが、そのうちにH28/4/1現在に更新されるでしょう。
設置期間の定めが見当たらない(と思われる)南相馬市、香美町、多可町の各地域自治区。いずれも最終コマ(7/7)にある「地域自治区(合併特例法等に基づくもの)の設置状況」の表に記載されています。


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