先日、都道府県市区町村の歌に関する
テレビ番組を見ました。
それによると、各地の自治体が制定している歌は 400を超えるとのことです。
話の発端は 和歌山県民歌の歌詞で、『和歌山は常春の国』『南国』『黒潮』と紀南のイメージが強い。これでは、橋本や高野山など冬が寒い紀北を連想しにくいという批判が県議会であったそうです。
和歌山放送
県歌・県民歌はどの程度に存在するのか? 番組によると、47都道府県中の 42 が公式に制定しているとか。
でも、自分の居住地や出身地の県歌を知っていますか?
落書き帳メンバーの反応を見ても、あまり定着していないという印象です。
[50696]の末尾
[68694][68724][89539]
「なぜか千葉県民歌は知っています。」という方も。
[68727]
そんな中で、学校教育などを通じて 全県民?の愛唱歌として定着しているように思われるのが、長野県歌「信濃の国」です。
この歌は もともと長野師範学校の校歌だったそうです
[2751]。落書き帳にも度々登場しています。
信濃国=信州は 律令時代から存在した旧国の名称ですが、明治前期に作られた新しい地方制度では、これを一体とする行政区画になっていませんでした。1871年の3府72県時代には、信濃国北部は長野県でしたが、信濃国南部は飛騨国と共に「筑摩県」【県庁所在地:松本】を構成していました
現在では 「長野県」の ほぼ同義語のように使われている一体感のある地域「信濃の国」。この関係が生まれたのは、1876年(明治9年)8月に行なわれた
県の廃合・管轄替です。
この時に筑摩県は廃止になり、飛騨国は岐阜県へ、そして信濃国の南部は長野県と合併になりました。
松本が県庁を失った きっかけは、1876年6月の火災による筑摩県庁舎焼失と考えられています。
その結果の統合で成立した長野県ですが、70余年後の戦後間もない 1948年(昭和23年)1月、県庁別館が焼失。
これを機会に、松本側のかねての主張である 分県論が活発になり、定例県議会は大混乱になりました。
両派の攻防はあったものの、上程された分県意見書案は法定得票数に達せずということで決着。
県議会の記録の他に、当時駆け出しだったという県政記者の記録をリンクしておきます。
そのタイトルは
「分県」を救った『信濃の国』とされています。
上記採決で分県阻止派の巧妙な作戦が成功した後のこと
「信濃の国は、十州に、境連ぬる国にして・・」と『信濃の国』の歌の大合唱がまきおこった。議場の傍聴席にも伝播して「信濃の国」が議場にこだました。(中略)感激のシーンに、県議会はまた一つになった。
「県歌が長野県を分県の危機から救った」というよりも、
[89539]で紹介されているように、「県歌で有耶無耶にした様な話」なのですが、互いに力を尽くした攻防の後、県歌の大合唱で仲直りできた…という感激の一幕だったようです。
所さんの番組では具体的な紹介がなかったものの、秋田県民歌も大作のようで、戦前から「三大県民歌」の1曲と称されていたようです。
参考
市町村の歌も多数あるようです。
過去記事を検索して拾ったもの。
森鴎外作詞という
横浜市歌
英タイトル・英歌詞入りとはユニークな座間市
[59067]
呉
[35055]、習志野・相模原
[50696][68730]、金沢
[68720]、町田
[68731]、茨城県13市
[77019]など 。
私も今はなき「東京市歌」の冒頭を
[74320]のタイトルに使ったことがあります。
所さんの番組を締めくくったのは、長~~~~い超大作。
全部演奏したら40分という 叙事詩・交響組曲「伊万里讃歌」でした。
伊万里合唱団>伊万里の歌の3番目に、縄文時代から現代まで8章からなる壮大な叙事詩の一部が紹介されていました。