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うるうさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[45315]2005年10月2日
うるう
[43859]2005年8月4日
うるう
[40678]2005年5月5日
うるう
[40672]2005年5月5日
うるう
[40664]2005年5月5日
うるう
[40657]2005年5月5日
うるう
[40649]2005年5月5日
うるう
[40536]2005年5月3日
うるう
[40535]2005年5月3日
うるう
[40534]2005年5月3日
うるう
[40532]2005年5月3日
うるう
[40440]2005年5月1日
うるう
[40376]2005年4月29日
うるう
[40193]2005年4月23日
うるう
[40192]2005年4月23日
うるう
[39958]2005年4月17日
うるう
[39953]2005年4月17日
うるう
[39894]2005年4月16日
うるう
[39715]2005年4月12日
うるう
[39641]2005年4月11日
うるう
[39633]2005年4月11日
うるう
[39489]2005年4月7日
うるう
[39041]2005年3月28日
うるう
[39030]2005年3月28日
うるう
[35817]2004年12月17日
うるう
[35816]2004年12月17日
うるう
[35815]2004年12月17日
うるう
[35789]2004年12月16日
うるう
[35773]2004年12月15日
うるう
[35747]2004年12月14日
うるう

[45315] 2005年 10月 2日(日)01:10:50うるう さん
いつの間にか県内は「市」だらけ。それもそのはず、市部面積比率3位ですもの。
お久しぶりです。オフ会に出たかったけれど考査前だったし、遠かったので行くことを憚られたうるうです。あぁ行きたかった~(・_・、)次に行う際は東日本・北日本でお願いしますっ(とは言っても今年度中はは参加できないのですが(涙))三本松の大親分に会うまでは死んでも死にきれません(笑)


話は変わって・・・
突然ですがこんなの作ってみました。
上記は昭和29年5月に秋田県の町村合併促審議会が公表した「秋田県町村合併計画案」を地図にしたものです。

出典は「秋田県町村合併誌」(1960年発行)です。1,400頁弱もあり、県内全市町村の合併までの経緯や、新市町村の紹介などが詳しく収められていてなかなか読み応えある本です。図書館から借りてきてじっくり読み深めてます。

この案では、合併の枠組みと人口(昭和25年国勢調査人口)、面積だけが掲載されていて、合併後の名称や、市町村のいずれか、郡の所属などは記載されていなかったので、地図での名称はすべて≪仮称≫としました。
名前は関係市町村のうち人口の多いものを前提にして名前をつけました。ただし2つ町村の連名など例外もあります。
また関係市町村の合計が3万人以上は「市」とし、関係市町村に1つでも町があれば「町」としました。村だけの合併はもちろん「村」です。また市町村の色は「むじながいりカラー」にさせていただきました。

県北地区、中央地区は昭和の大合併終了後までに審議会案とだいたい同じ枠組みで合併が進んでいったみたいですが、仙北・平鹿・雄勝の3郡は審議会案とはかけ離れたものとなっています。とくに仮称・増田浅舞市はかなり無謀な案だったようで、増田町史や平鹿町史といった本でもこの枠組みには反対論が噴出したと書かれています。

各市町村についてもいろいろ述べたいですが膨大な量となりそうなので・・・(汗)まぁ一昔前の秋田県の地図と見比べて楽しんでくださいナ(秋田県に所縁ある人しか楽しめないかな。。。)


【ちょっと小話】
おととい、秋田市中心部にある自宅から河北林道(県道308号線・旧河辺町と旧阿仁町を結ぶ未舗装の道。県内でも名高い「険道」のひとつ)へ自転車で行ってきました。しかし帰りの時間の関係で旧町境の峠まであと900メートルのところで引き返す結果となってしまいました。
結果、私は時間にして11時間、距離はおよそ120キロメートル自転車をこいでいたにもかかわらず、ずっと秋田市内を走っていたいうことになります。ちょっとショックでした。秋田市ってこんなに広いのか・・・。広域都市の怖さを自転車で痛感した1日でした。
[43859] 2005年 8月 4日(木)01:46:11【1】うるう さん
中学生は台車、自衛隊は装甲車。・・・竿燈の話です。
ご無沙汰してます。うるうです。
最後の書き込みは5月5日だったので、かれこれ3ヶ月ぶりの書き込みです。

この3ヶ月の間、学校行事があり、部活での作品制作あり、受験勉強あり・・・となかなか忙しくてロムするのが精一杯でした。ただ、あんまりお勉強のほうはできていないのが現状(グスン)


昨晩は竿燈へ行ってきました。3年前までは自分も竿燈に参加していたのですが高校に入ってからは参加する竿燈会がないので観る側にまわってます。今年も数百もの稲穂が天へ向かって豊作を願い、通りを彩っていました。
竿燈大通りを歩いているとやっぱり目に付くのがババヘラの多さ。50m間隔でいるような気がします。よくは見ていませんが、どれも「パラソルアイス」や「ふるさとアイス」などと書いてあって、本家の「ババヘラアイス」は見つけられませんでした。


竿燈は東北三大祭(※)のひとつ・・・らしいですが今年はどうも人出が悪いらしいです。というのも夜の会場である山王大通り(通称:竿燈大通り)の中央分離帯に設けられている観覧席が今年は売れ残ってしまったそうです。こういうことは例年に無かったことらしく、当日券の販売も決行したとか。実際、昨晩は人の流れがスムーズで例年よりは混んでいませんでした。東北三大祭から降格の日も近いのか!?

秋田市竿燈まつり実行委員会のホームページに竿燈についていろいろ書いてあるのでよかったらご参照のほどを。


ついでに、竿燈まつり実行委員会のホームページにも書いていなかったので、「竿燈会」について少しばかり四方山話を。

竿燈会とは町内の差し手が所属する団体のことで、その多くが市制施行時の秋田市の町内単位で構成されています。例えば城町竿燈会・登町竿燈会・柳町竿燈会・・・などです。ただ、これらの多くが戦後の住居表示で中通、南通、大町、旭南などに変わってしまい、現在地図上で住居表示前の各々の町内を確認することは難しくなっています。とても惜しいことです。そんな中で今も地域の輪がつながっていることは素晴らしい事だなと思っています。

昔は町内が単独で参加していたのですが、なにぶん竿燈というのは竹や提灯を準備したり、屋台を装飾したりするなど、とてもお金がかかります。というわけで現在ほとんどの町内が地元企業のスポンサーと提携して竿燈に参加しています。ある竿燈会ではガス会社がスポンサーなので提灯にガスの青い炎の絵が描いてあり、火が灯ると不思議な感じです。

また旧市内の町内以外にも牛島・川尻・駅東などの町内会、秋田市役所・郵便局・秋田銀行などの企業、県立大学・山王中学校・築山小学校・旭南小学校といった教育施設など多彩な竿燈会が加わり現在に至っています。



※ところで、東北三大祭って全国で通用する表現なんでしょうか?秋田では東北三大祭が一般的です。四大祭といったり五大祭と言ったりもしますが、全国的には「東北○大祭」が一般的なんでしょう。


【追記】
秋田市役所のホームページの中でこういうページを見つけました。目的は土地の登記簿みたいですが、お役所で住居表示の対応一覧表を作ってるなんて、私の趣味は市役所にばれている!?
[40678] 2005年 5月 5日(木)02:07:54うるう さん
都市考
[40440]拙稿
A盛岡、B秋田、C北上、D一関、E大館、F本荘、G釜石、H横手、I大船渡、J湯沢

[40590]千本桜さん
A=盛岡、B=秋田、C=北上、D=一関、E=本荘、F=大館、G=横手、H=釜石、I=大船渡、J=湯沢

10問中6問正解でした。まぁ半分当たっていたので良しとしましょう。

北上と一関の間に予想以上の大きな差があることに驚きです。
これはなんとなく納得です。私の意識の中で北上市は県内屈指の工業都市であり北上=岩手県第二の都市というイメージが強かったからです。あのくらいの従業者数の差はありえるかなと思いました。ただ、先月北上と一関に訪れた際に思ったのは
見た目は北上、一関、水沢に大きな差違を感じない
でしたね。少なくとも駅前は。

大館より本荘が上なのも驚き。
大館よりも本荘のほうが上でしたか。確かに某電子部品大手企業(正確には仁賀保町ですが)のおかげで大館よりも上にきているのでしょうね。大館のほうが都市としては大きいと思いますが、それもいつしか逆転してしまうのかもしれませんね。秋田県立大学のキャンパスもできて本荘は今頑張ってますから(あくまで個人的見解ですが)
[40672] 2005年 5月 5日(木)01:26:39うるう さん
無題
[40545]白桃さん
それにしても、模範的いや予想を上回る理路整然とした分析に感心することしきりです。とても数年前に中学生だったとは思えないですね。
[40547]ふぁいんさん
とても現役高校生には見えませんなぁ。さすがスーパー高校生!
将来がとても有望で楽しみです(笑)

御二方にそこまで褒められてしまって・・・恐縮です。
これからも主席研究員の名に恥じぬよう精進いたします。


[40545]
ということは年齢的には、白桃の3分の1ぐらいですよね。
今、うちの父が私(ニックネームからわかると思いますが私は遅生まれなのです)のちょうど3倍ですから、白桃さんはきっと私の父とも同世代ですね。

[40547]
私が高校生だった頃は、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件なんてのもありました。
ふぁいんさんは(私には上に兄弟も従兄弟もいないので)普段接することない世代です。
こういう普段接する機会の無い人達と「地理」という同じ話題で盛り上がれるというのは素敵なことですね。自分よりももっともっと物知りな人がいて、互いに情報を交換し、さらに自分の知らない分野に興味がもてたりと、完全に落書き帳に病み付きになってます(笑)
こういう場所を提供しているグリグリさんに感謝感謝です。
[40664] 2005年 5月 5日(木)00:59:53うるう さん
レス2つ
[40520]右左府さん
秋田・山形県境を越えた「つはもの」

おや?私のことですかな(笑)今年もそろそろ遠くへ出かけれる温度になってきたのでまた遠くへ行っちゃいます。今年はどこに行こうかな、どこまで行けるかな。。


[40528]ひげねこさん
ひ「いや、ないよ。で、鹿角市はどこ? 十和田湖に近いのなら大湯? 毛馬内?」
美「湯瀬です。秋田にいたんでしょ?」

一瞬湯瀬がどこにあるのわからなくなりました(汗)きっと普通の人は毛馬内よりも湯瀬のほうがどこかわかるのでしょうが、自分の場合、自治体名になっていない湯瀬はあまりピンときませんね。花輪線は利用したことないし・・・。ひげねこさんがどこを中心に活動しているのかは不明ですが、一地方都市の大字までわかるとは素晴らしいです。
[40657] 2005年 5月 5日(木)00:41:59うるう さん
林檎之木
[40640]YSKさん

写真の場所は今、桜が満開できれいでしょうね。最近では昨年の10月に大館に小旅行した時に寄りました。私も昨日行こうとしたんですが、急用のため行けなくなってしまいました。グスン。
今いる市というのはもしや・・・。今日は角館にも行きますか?
[40649] 2005年 5月 5日(木)00:23:20うるう さん
落書き帳40000番台突破記念・全国の市十番勝負(第七回)
翌朝解こうと思ったのですが、偶然にも15分前に目が覚めてしまいました。
グリグリさんの気が送られてきたのでしょうか(笑)

問五:一宮市

ってことで?まだ寝ぼけまなこですが。
[40536] 2005年 5月 3日(火)03:03:08うるう さん
こまち
[40502] 半鳥人さん
秋田県仙北市が
日本初の「新幹線停車駅を二つ持つ市」になる
のかどうかは詳しくはわかりませんが、一人の秋田県民として、秋田新幹線について語ってみます。
上り列車に乗っていて仙台駅よりも前に降りる人はほとんどいません。盛岡駅でさえも降りる客はほとんどいないのです。乗客が降りだすのは仙台駅以降。下り列車も同じで、盛岡駅以降持ってくる客を見ることはまれです。このことからわかるように秋田県民が新幹線を利用する理由は「仙台へ」行くときか「東京へ」行くときのどちらかだと思います。よほどの事がない限り、県内の移動にわざわざ高いお金を払って乗る必要がないと思います。秋田県民は時間にルーズですから多少本数が少なくても、各駅停車のほうを利用するでしょう。
自分の場合、仙台に行くときは新幹線よりも高速バスの方が安いのでそちらを使ってます。

[40505]ふぁいんさん
新幹線よりもはるかに遅くて(最高時速が半分程度)
というよりは在来線と同じ速度だと思います。ただ駅に止まる為の時間がないだけかな、と。しかも秋田新幹線は電車の通過待ちまでするのです。新幹線が電車の通過待ちをするなんて・・・。
秋田新幹線の場合、新幹線と呼べるのは盛岡駅までで、そこから秋田駅までは、列車の幅が広くてゆったり座れる在来線です(笑)


さて、秋田新幹線の悪口をいろいろ書いてしまいましたが、別に秋田新幹線は嫌いじゃありません。むしろ好きなほうです。車体の色も(今となっては)好きですし、秋田新幹線が出来たことによって観光客も増えたことは事実です。秋田新幹線は秋田県民には必要なものであると思っています。


山形新幹線沿線の方にもミニ新幹線について意見を聞きたいです。般若堂そんぴんさんや花笠カセ鳥さん、いかがでしょう?
[40535] 2005年 5月 3日(火)02:18:23うるう さん
第2回白桃地理大学試験
[40469]ふぁいんさん
第2回白桃地理大学試験の解答です

結局当たったのは2つだけでしたか。残念。まだまだ私は未熟者でありますね。早く彼ら(国勢調査のコピーたち)を電子化させてこんなクイズに役立たせてあげたいぃ~っ。

なんだか上位10都市すべてベットタウンなんてつまんないなぁ。まぁしょうがないけれど。このランキングで中核都市が出てくるのは何位くらいで、どの都市でしょうか。川崎市(そもそも川崎市は中核都市といえるのか?)や千葉市(ここも立派に東京のベットタウンと化してるような・・・)なんかは上位にきそうですね。
都道府県庁所在地の上位と下位の数都市をぜひとも教えてもらいたいです。
あと下位の都市。予想通りの顔ぶれでしたが、現在衰退している都市というよりも、古い時代から活気があった都市が下位に並んでいるというのが私の印象です。いつか行ってみたい所ばかりです(笑)

衰退率ナンバー1市町村は、足尾町(98位→2758位)、次に夕張市(45位→1233位)
となります。
ここまでくるともはや衰退というものを超えてしまって、瀕死といったほうがいいのかも・・・

足尾町も夕張市も人口減少率がすさまじいですね。。80年間で10分の1に・・・。これはどちらも人口の流出地であっただけでなく1920年以降はどの町村とも合併していないことも理由に挙げられそうですね。


[40518]の白桃都市人口研究所の問題は大体の目星はつきましたがもうちょっと静観してます。だれか答えてくれる方はいないかな~。すぐにでも人口研究所に引き込んであげるのに(笑)
[40534] 2005年 5月 3日(火)01:43:39うるう さん
組替人口へのポリシー
ちょっと昔のレスですが・・・。

[40381]白桃 さん
もっとも、組替えしない人口の比較自体がナンセンスといえばナンセンスなのです。(前にも書き込みましたが、私は組替人口の比較が論理的であるとも思っておりません。)

私は基本的に、時系列で人口を比較するときには組替人口を好んで使います。しかし例外もあって、都市の人口を比べるときには組替人口はあまり使いません。あくまで「地域」で人口を比べるときに使います。(ちょっと線引きが難しいですがそこはあんまり深く言及しないでください。あくまで目安ってことで。)なぜなら時代によってそれぞれの「都市の大きさ」が変わっていると考えているからです。また、現在を含めての市区町村界が都市を区切っているとも思えません。たとえ人口という観念だけであっても、都市の大きさを単純に順位で表すのは難しいことです。
こんなとき使っていたのが都市圏人口なんですが、これでは時系列として扱うことが出来ませんし、市町村合併で各市町村の面積が大きくなった現在もう役には立たなくなってしまったかもしれません。
都市人口研究って難しい・・・
[40532] 2005年 5月 3日(火)01:13:12【1】うるう さん
大学院
[40451] 白桃さん
都市人口研究科問題(正解はひとつではありません)
[問題]白桃地理大学では、中国四国地方の9県庁所在地のひとつに本部を置くことに決定いたしましたが、中国四国地方出身の学生には下宿がなく、自宅から通学してもらうことになります。学生の便宜を考慮した場合、9市のうち、何市に本部を置けばよいでしょうか?人口分布、交通事情等総合的にふまえ、論理的にお答えください。

考えてみましたが私の回答は岡山市ということで。

まずは人口分布の観点から。中国四国地方の県別人口比率は広島県がダントツの24.4%。次に岡山県の16.5%、そして山口県の12.7%、愛媛県の12.5%と続きます。山陽新幹線の沿線の県に人口が多いことが見て取れます。ですから本部は山陽新幹線沿線ということで岡山市、広島市、山口市を候補に上げておきましょう。

続いて交通事情の観点から。
鉄道網を見ると四国から中国地方へは香川県坂出市と岡山県倉敷市を結ぶ瀬戸大橋を通るしかありません。これは結構大きなポイントだと考えます。電車のみを使うならば中国四国地方で34.8%を占める四国の人々が一度岡山市を通らねばなりません。(ただし学生さんの出身県が人口に比例するという仮定の基に成り立ちますが)また、学生さんが利用するであろう岡山駅には山陽新幹線をはじめ、山陽本線、伯備線、宇野線、赤穂線、吉備線、津山線と数多くの路線が乗り入れています。広島市や山口市などに比べると出来るだけ少ない乗り換え回数で大学最寄り駅まで行けるのではないでしょうか。
高速道路網を見ても四国の学生さんがしまなみ海道を使って広島市に行くよりも瀬戸中央自動車道を使って岡山市に行くほうが便利であると思います(特に高知自動車道を使用しなければならない人たちにとってはなおさら)。

その他総合的に考えるならやっぱり「白桃」の名が岡山に相応しいものであるからでしょう(笑)


この大学院入試は以前落書き帳で話題になった中国四国地方の中心都市はどこか?につながる問題かと思います。私論ですが(しかも東北人が言う戯言)「中国地方」の中心は広島市だと思います。その代わり「中国四国地方」であると岡山市が中心であると思います。まぁ根拠はありませんが、今回の大学院入試をやってて思いました。


♯上の問題では回答として岡山市と答えましたが、最初中国四国地方ならどこでもいいのかと思って倉敷市の国道2号線沿いのこの場所に白桃地理大学本部を!とか考えてました。見たことも聞いたことも行ったこともない場所ではありますが、ここの周辺だったら最寄の駅が倉敷駅や茶屋町駅、岡山駅などに分散し、また早島インターチェンジも近く交通の便だけならかなりいいかなと(ただ駅からのバスが必要になるかもしれませんね)。


【1】レスをした番号の書き忘れを追加。
[40440] 2005年 5月 1日(日)01:16:36【1】うるう さん
クイズ2題回答
[40398]ふぁいんさん

白桃大の第2回試験は難しい!!
データは持っているのだけれど、パソコンに入ってないからさぁ大変。調べようにも調べられません(涙)これでは、まるで参考書だけ買って全くやっていない学生さんのようだ。。。今から頑張ってデータ打ち込みをすれば間に合うかな?
とりあえず問題の対象となっている204都市(←この数すらあっているか疑わしい)の中で大正9年に3500人に満たなかった5市をあげるので勘弁を。

門真市(3,334人)・守口市(3,252人)・越谷市(3,240人)・春日市(2,450人)・寝屋川市(2,360人)

いかがでしょう。想定解は入ってますか?
逆に変動が少ないのには23区は入るでしょうな。あとは仙台市、宇都宮市、静岡市なんかも順位の変動が少なさそうですね。   


[40427]白桃さん

まぁ、とにかく後は白桃都市人口研究所主席研究員、「うるう教授」にお任せしたいと

このままでは教授の名を剥奪されてしまう加茂しれない(汗)頑張って次の問題で挽回しないと・・・


[40432]千本桜さん

検討がなかなか付きませんがやるだけやってみます。回答は以下の通り。

A盛岡、B秋田、C北上、D一関、E大館、F本荘、G釜石、H横手、I大船渡、J湯沢

盛岡よりも秋田のほうが人口は多いですけど、秋田より盛岡のほうが都市としては大きい気がします。だからここは盛岡を上に。
東北新幹線開業や東北自動車道開通後(どちらも1980年代初め)の北上や一関の成長は大きいと考えられます。ですからここはこれが適当かと。
で、全然わからないのはこの下。大館、釜石、本荘の順番です。
秋田県で1980年から2000年までで人口が増加した市町村はわずかに5市町。しかもそれらはすべて沿岸南部の市町です。その5市町うちのひとつが本荘。しかしこれは大館を抜くほどのものだったかどうか。予想は否ってことで大館を上にしてみます。そして釜石は・・・製鉄所の閉鎖は大きいと思いますので本荘の下にしてみます。
下の3都市はもうお手上げなのでそのままに。
[40376] 2005年 4月 29日(金)03:21:59うるう さん
やっと秋田も春爛漫になってきました。
[40359]白桃さん
白桃都市人口研究所の主席研究員になりたい(投げキスの方はご勘弁を 笑)ので、夜が明ける前にふぁいんさんよりも早く答えちゃいたいと思います。いざ。

都市名(1920年時の都市名)1920年人口2000年人口倍率
小樽市(小樽区)108,113人150,687人1.39倍
呉市130,362人203,159人1.56倍
室蘭市(室蘭区)56,082人103,278人1.84倍
函館市(函館区)144,749人287,637人1.99倍
大阪市1,252,983人2,598,774人2.07倍
---参考
門司区(門司市)72,111人114,750人1.59倍
若松区(若松市)49,336人89,560人1.82倍

上表の人口は組替人口ではなく当時の市域(区域)です。また、この表では載せていませんが那覇市の部分は那覇区と首里区は合わせて計算しました。
以上より、「小樽市」が回答ではないでしょうか。減少した都市は無いようなので、増減率の小さい都市は80年間の人口増加率が最も低い都市と一致しました。大体軒下提灯さんの予想が当たりましたね。
では逆に問題を出しましょう。1920年から2000年までの80年間で人口増加率が最大の都市はどこでしょうか?ちなみに2位から5位は以下の通りです。

順位都市名1920年人口2000年人口倍率
2位福岡市 95,381人1,341,470人14.06倍
3位八王子市38,955人536,046人13.76倍
4位福山市 29,768人378,789人12.72倍
5位尼崎市 38,461人466,187人12.12倍

この問題は簡単に解かれそうですね。。
[40193] 2005年 4月 23日(土)06:00:14うるう[229] さん
ハッポーチョー
[40184] 右左府 さん

はじめまして。秋田県出身の229(うるう)といいます。今後ともよしなに。

若い人でも訛りが強く残っている所は秋田県でも多いですよ
秋田市内の場合、日常会話の中で(若年層が)方言を使う人はほとんどいません。もう日常会話レベルでは風前の灯だと思います。せいぜい聞けて「んだなぁ~」などくらいですね。中には若干訛っている人もいますが、アクセントが違うくらいで別の言葉に代わるほどのものではありません。私も秋田弁は知ってはいますが、使うことはほとんどありません。
あ、運動部に所属している人は「いがった~」や「こぇ~」など、方言を使ってる人がなぜか多い気がします。出身地が偏っているわけでもないのに何か理由があるんでしょうかね。喋りやすさ・・・とか?

以上は若年層の話で、ご年配の方はまだ使う機会も多そうです。普段は標準語を話すのにたった数キロしか離れていない実家に帰った途端に秋田弁に変わる父を見てるとよく思います(笑)地域にもよりますが、訛りの激しい秋田弁を聞かされて、確実に聞き取れる高校生はかなり少ないのではないでしょうか。実際私も父の実家に行くとなかなか会話に参加できません(汗)
方言はこうやって廃れていってしまうのでしょうかね・・・。

能代山本の合併事情はドロドロ
当該地区に住んでいないので確定的なことは言えませんが、能代山本地区は他の地域(由利本荘市や大仙市など・・・)のように中心都市に求心力のある地域だと思ってたんですが、あのような結果になり、とても意外に思っています。さすがに「白神市」ではよくないですよね。。新市名は「米代市」あたりが妥当かなぁなんて勝手に思ってたんですけど、能代市民としてはあまり好みではないですか?個人的には「渟城市」が気に入ったんですけど能代山本地域全体を指す言葉ではないですしねぇ。。。

「八峰町」
右左府さんと同意見であんまりいい町名だとは思いませんね。やはり「八森町」の名を残しておくのが妥当なところだったのではないでしょうか。ハタハタで有名な土地ですし。
「三種町」の方は最初見たときは安易だなと思いましたけど(最終候補の段階で、もう一方の候補が「南部三町」だったせいかも)、こういう名の川があることを知って一人で感激してました。まるでこの合併のためにあったような川の名前じゃないですか(笑)

「八峰町」「三種町」共に「まち」ではなく「ちょう」というのも注目
秋田県にもだいぶ「ちょう」が入ってきますね。「美郷町」も「ちょう」ですから、秋田県で平成の大合併が終わると、まち:ちょう=6:3になります。関東以北で「ちょう」と読ませていたのは北海道と岩手・宮城の一部でしたから、平成の大合併が終わると全国の「まち」と「ちょう」の勢力図も変わりそうですね。


♯右左府さんのタイトルバーは木都能代を表すのにふさわしい色使いですね。
もしや、制服の色・・・じゃないですよね?
[40192] 2005年 4月 23日(土)03:50:35うるう[229] さん
自分色登録しました・・・
ので、多分次回の書き込みから色がつきます。落書き長の皆様、これからも何卒よろしくお願いします。あと、それに伴いニックネームを「229」から「うるう」に変えたいと思います。グリグリさん迷惑かけてすみません。よろしくお願いします。


自分色登録ついでにここで自己紹介をしてみたいと思います。
私の出身は秋田県秋田市。引越しというものは今まで経験したことがありません。地理に興味を抱き始めたのは、小学三年生か四年生の時に父が私に浅井建爾氏の著書「日本地理がわかる事典」をプレゼントしてくれたあたりだと思います。まあ、小学生にそんな本をプレゼントするということは、それ以前にもかなり地理に興味があったのは事実ですが(笑)

中学生になると毎月のように地理の名のつく本を買い漁っては読み耽っていました。また旅行も好きで、知人と電車に乗って県内各地を回ったり、ママチャリに乗って山形県境日帰りをしたことも。

高校に入ると忙しくなり、中学校の頃ほど遠くへ行くことも少なくなりましたが、自宅近くの県立図書館で統計物を中心とした様々な資料を読むのにはまり、国勢調査の資料ともここで出会いました。昔は結構地図を見るのが大好きでしたが(今も好きですよ)、最近は国勢調査や県勢など数字の羅列にも興味を持っています。


えーと、経県値は・・・
◎住んだことがある  秋田
○泊まった事がある  北海道、青森、岩手、宮城、山形、福島、茨城、東京、大阪、沖縄
●歩いたことがある  新潟、千葉、京都、奈良、兵庫
▲通過したことがある 埼玉、栃木、群馬、富山、石川、福井、滋賀
×かすったことがない 神奈川、山梨、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、和歌山、中四国9県、九州7県

よって経県値は67点です。落書き帳ではまだまだ若僧ですね。ちなみに東京は去年の夏初めて行きました。別に行きたかった訳ではないのですが、学校の研修事業の一環で初上陸です。

経県値を見れば一目瞭然ですが、あまり遠くへは出かけません。修学旅行以外で行った東北以南の経験は3回ほどしかありません(しかもうち2回は海外旅行・・・)ただ、近場を回るのは好きなので福島を除いた東北5県はよく遊びに出かけてました。

おまけで修学旅行の行き先も・・・
小学校:仙台・松島・平泉
中学校:那覇・糸満・名護など
高校 :関西方面(グループ別に全日程が自由でした)

こんな感じの私ですが、よろしくお願いします。
出身地を公開した以上、地元の書き込みも増えそうです(笑)
[39958] 2005年 4月 17日(日)20:35:04うるう[229] さん
沖縄続き
補足です。1953年12月25日に奄美群島の1市5町14村が本土復帰しています。
以下が復帰した市町村(カッコ内は米軍統治下での市町村の変化)です。

名瀬市(昭和21年7月1日名瀬町が市制)
古仁屋町
三方村
大和村
住用村
龍郷村
笠利村
西方村
宇検村
実久村
鎮西村
喜界町
早町村
亀津町
伊仙村
天城村
東天城村
和泊町
知名町(昭和21年9月1日知名村が町制)
与論村
(以上すべて鹿児島県大島郡)

自治体の数は問題になった20というのと同じですし、これら20市町村の人口も20万人あまりで
216,080人
と僅差であります。

また、1970年の国勢調査には、他の県は「長野県」「滋賀県」などと書いてあるのに対し、沖縄県に該当する地域は「沖縄」と『県』がついていませんでした。米軍統治下では「沖縄県」というのが置かれていたのではなく、あくまで「沖縄」という『日本の統治外であった南西諸島一帯』の地域の名称だったに過ぎなかったのではないでしょうか。そして上に述べた20の自治体が1950年に「沖縄」としてカウントされ、1953年に「沖縄」から「鹿児島県」へと復帰した…。

私は以上のように考えましたが、ふぁいんさん、白桃さんいかがでしょうか?
あくまで自分の推測ですので確たる証拠は持ち合わせておりませぬ。
うむぅ、気になる・・・。
[39953] 2005年 4月 17日(日)20:01:59うるう[229] さん
沖縄
[39936]ふぁいんさん
残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁと・・・・
戦後の一時期のみ、他にも沖縄県を名乗っていた地域があったのだろうか。
[39946]白桃さん
人口について考えられるのは、沖縄県発表のものには在留米軍人口が加算されていなかったのでは?自治体数については、本落書き帳アーカイブスにある「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に関係あるのでは?、と、根拠の無い理由を探しております。

奄美諸島が関係してくるのではないでしょうか?1950年の国勢調査の鹿児島県のところを見ると大島郡には十島村しかありません。1953年の本土復帰までは鹿児島県下の市町村としてカウントされていないのではないかと思います。
ただ、これらの地域が沖縄県であったかというとそれは違うような気がしますが・・・。
[39894] 2005年 4月 16日(土)01:50:27うるう[229] さん
春爛漫
問七:天理市

毎年楽しみにしてるのに、今まで気付きませんでした(汗
[39715] 2005年 4月 12日(火)18:01:51うるう[229] さん
2005年 春爛漫企画・全国の市十番勝負(第六回)
問二:掛川市

想定解がわかってもそれに該当する市を探すのに一苦労してしまった自分。。
[39641] 2005年 4月 11日(月)16:45:48うるう[229] さん
国勢調査論
リンパ腺を腫らしてしまい40度を超える熱を出してしまいました。つらいのなんのって。
桜がまだ咲いてないのが不幸中の幸い(笑)

[39512] ふぁいんさん
こちらこそはじめまして。ふぁいんさんの事は、白桃さんの白桃地理大学入試問題([6069])を即答したときから存じ上げておりました。私が国勢調査の資料をコピーし始めたのもこの前後だったと思います。それにしても膨大な資料をお持ちですね。うらやましい・・・。私も時間さえあればまたコピー活動を再開したいのですが、なにぶん今は忙しい時期なのでなかなか趣味に長い時間を割くこともできないのです。

ところで、国勢調査以前というのはどのくらい前のことでしょうか?全国一斉の人口調査をすることは、江戸時代には無いと思いますので、そんなに古くはないのでしょうけど。かつて「国勢調査以前日本人口統計集成」(たしかこんな名前)という名の本に興味をそそられた経験があります。しかし結局「国勢調査のコピーが全て終わってから」と、まだ読んでいません。

国勢調査以前の人口も調査している(もしくは見た)方はおられますか?
ちなみに私は、国勢調査以前の人口をまだ調査はしていませんが、興味はあります。ただし市町村制が施行された1889年以降が興味のもてる範囲です。いつかは国勢調査以前にも手を出してみたい・・・。
[39633] 2005年 4月 11日(月)13:54:13うるう[229] さん
十番勝負初挑戦!
まず簡単そうなとこから。

問八:二戸市
[39489] 2005年 4月 7日(木)23:59:54うるう[229] さん
国勢調査の人口データ
[39456] ぴょん さん

第一回の国勢調査からの市町村別人口データ

著作権についてはあまり詳しくないので、大きな声で言っていい事なのかはわかりませんが、私の場合、約2年かけて少しずつコピーしました。とりあえず昭和15年と昭和22年のデータ(地元の県立図書館では修復中といわれました)以外はすべてそろっております。ただやはり結構な金額がかかってしまいますし、それからそれをエクセルにデータ入力するのも骨の折れる作業です。正直、コピーはあんまりお勧めできないですね。かといって他に妙案も思いつかないのですけれど。

♯私の行為が著作権上問題ある行為でしたら、この書き込みをすぐにでも消してください。
[39041] 2005年 3月 28日(月)11:28:17うるう[229] さん
曇天
これから杜の都仙台へ足を運ばなければならないので取り急ぎ申し上げます。

[39040]有明つばめ さん

熊本県玉名郡は3つに分断されていませんよ。

そうですね。詳しい地図で確認したら玉東町と菊水町は500メートルほど接しておりましたね。ご指摘ありがとうございました。ヤフーの地図でささっと目を通した程度なので、まだほかにも3つに分断されてたりする郡や、実はつながっている郡があるかもしれません。。
[39030] 2005年 3月 28日(月)01:41:26うるう[229] さん
郡考
ふとある県の地図を見ていて、郡が3つに分断されているところを偶然見つけました。こりゃ珍しいかなと思い、全国にいくつ位あるかなと思ってちょっと調べてみました。(飛び地や島などは原則として考えてません)

秋田県北秋田郡
福島県相馬郡
東京都西多摩郡
埼玉県大里郡
群馬県多野郡
長野県上伊那郡
岐阜県加茂郡
大阪府泉南郡
高知県幡多郡
熊本県玉名郡
沖縄県国頭郡

平成の大合併でできた郡の分断が多いのかなと思いましたが、意外と少なかったり。平成の大合併で分断されたのは北秋田郡くらいでしょうか。多くのところは、昭和の大合併で誕生したものです。調べてみれば以外にあるものですねぇ、なんて特にこれ以上掘るものも見当たらないので自己完結します。駄文失礼しました。
[35817] 2004年 12月 17日(金)03:20:21うるう[229] さん
取手市の人口減少
[35814] 軒下提灯さん

なぜ取手市は人口減少したのでしょう

すみません。原因は私にはわかりませんでした。
しかし取手市・藤代町ともに1995年~2000年の人口増加率がマイナスであり、かつ、取手市は県下2番目、藤代町は県下9番目に人口密度が高い自治体であるので、人口が飽和状態に近かったのではないかと推測してます。
取手市のホームページの「統計とりでデータ」によりますと平成6年から社会動態での人口減少が始まっていますし、バブル崩壊による都心回帰の結果の人口減少ではないでしょうか。
[35816] 2004年 12月 17日(金)03:02:27うるう[229] さん
大潟村
[35805] 花笠カセ鳥さん

何も知らないと一瞬「誤植」かと思ってしまうでしょう。他の市町村と二桁以上違うのですから。
私も、図書館で「昭和45年国勢調査報告第1巻」を見て、人口増加率の桁数の多さにひどい誤植だなと思ってしまいました。でもよくよく計算するとそれは確かに事実で、数字の羅列を見てニヤニヤする怪しい人になっていました(笑)


これはレスではありませんが…
「昭和40年国勢調査報告第1巻」で、大潟村の面積が「―」となっていました。全域が「水面境界未定」とされ、秋田県の面積には含まれていますが、大潟村はまだ八郎潟の水面境界未定区域に入っていて“統計的に”面積がない村だったようです。

※「昭和40年国勢調査報告第1巻」の面積の出所は建設省国土地理院の「昭和40年全国都道府県市区町村別面積調」でした。書き込む直前に思い出しました。
[35815] 2004年 12月 17日(金)02:37:28うるう[229] さん
アイヌと強制連行
[35788] 紅葉橋瑤知朗さん

千島、樺太の略史やアイヌの説明どうもありがとうございました。

得撫郡・新知郡は、最後まで人口は数十人でした。どうして誰も住んでいなかったのかは分かりませんが、地図で見るところ、かなり中途半端な位置にありますね。
得撫島や新知島は今でこそよい漁場が近くにあることが知られて価値のある島なのかもしれませんが、当時は、大陸からも遠い僻地にある価値のない島だったのかもしれませんね。

「千島アイヌ」と呼ばれる民族がおりました。
「千島アイヌ」と呼ばれる民族がいたんですね。初めて知りました。いったい彼らはどこへ行ってしまったのでしょうかね。やはり「強制連行」でしょうか。だとしたら彼らは哀れでなりません。
[35789] 2004年 12月 16日(木)00:49:57うるう[229] さん
いばらき
[27834] 2004年5月2日(日) 12:53:55 白桃さん
非常に亀レスですが、アーカイブスで見てて気が付いたんでひとつ指摘を。
磯原村 (→町→北茨城市) 10,265
この磯原村は「北中郷村」ではないでしょうか?大正14(1925)年1月1日に町制改称して磯原町になるまではこの村でした。おそらく「磯原村」は存在してないはずです。


これだけじゃあまりにつまらない記事になるので、茨城県の2005年国勢調査人口上位20傑を予測してみました。

2005年国調2000年(組替)==2000年国調
1水戸市264,722261,562==1水戸市246,739
2つくば市200,656191,814==2日立市193,353
3日立市200,613206,589==3つくば市165,978
4ひたちなか市153,399151,673==4ひたちなか市151,673
5古河市146,619146,452==5土浦市134,702
6土浦市135,458134,702==6取手市82,527
7筑西市113,652116,120==7龍ヶ崎市76,923
8取手市111,984115,993==8牛久市73,258
9龍ヶ崎市98,67395,956==9下館市65,034
10牛久市76,72473,258==10鹿嶋市62,287
11鹿嶋市64,31362,287==11古河市58,727
12常陸太田市60,32661,869==12結城市52,774
13坂東市57,69358,673==13石岡市52,568
14那珂市55,58555,069==14北茨城市51,593
15守谷市53,89650,362==15守谷町50,362
16石岡市52,96452,568==16神栖町48,575
17結城市52,82852,774==17総和町48,007
18神栖町52,66548,575==18阿見町46,922
19鉾田市51,65650,915==19那珂町45,983
20稲敷市49,94051,284==20岩井市43,421

 2005年の国勢調査人口は(推計人口-2000年国勢調査人口)/43でひと月あたりの平均人口増加数を求め、それを60で乗じました。市町村名は推定です。市町村合併情報から今のところ実現する可能性の高そうなものを集計しました。参考までに2000年の国勢調査の上位20傑も掲載します。市町村数は2000年は20市48町17村、2005年は29市18町6村となっております。

 表を見ると、つくば市と日立市が逆転しちゃってます(汗)しかもその差43人。あくまでこれは推測ですので実際の国勢調査では日立市が2位を守りきるか、はたまたつくば市が日立市を抜くかが見物です。
 上位10市は大きな変動もなく「隣町を編入」という感じの合併が多い気がしました(水戸市・土浦市・龍ヶ崎市など)。ただ筑西市や古河市では、いくつかの市町村で合併して母体となる市の人口が筑西市では2倍弱、古河市では約2.5倍にそれぞれ大きくなっています。
 10位以下に目を移すと複数の町村が合併してできた市がいくつか見られます(那珂市・鉾田市・稲敷市など)。茨城県で4万人をこえる町は神栖町・阿見町だけとなる見込みです。

 はてさて、あと10ヶ月半後には国勢調査が行われます。どれだけ期待を裏切られる結果になるか楽しみです(笑)
[35773] 2004年 12月 15日(水)02:34:26うるう[229] さん
直接民主制と0人村
[35748] いっちゃんさん

はじめまして。こちらこそよろしくお願いします。

人口の少なさで言えば(中略)宇津木村も負けていません。その数58人。うち有権者が29人で、議会は置かずに有権者による村民総会で物事を決めていたそうな。
こんなところにも人口の少ない村があったのですね。それにしてもたった60年前に直接民主制の村があったなんて驚きです。人口が少ないからこそできた理想(必ずしもそうとはいえないのかも)の民主主義の形ですね。


[35770] 紅葉橋瑤知朗さん

ちょっと反則ですが、千島列島得撫郡は33人、新知郡は12人となっています(いずれも村は設定されていません)。
私もその記述を見たんですが、さすがにここはもう日本ではないなと思って省きました(笑)当時は根室支庁だったんですね。てっきりここも外地の一部かと思ってました。1200平方キロメートルもある得撫郡に33人しかいないとは…シベリア並みの人口密度の低さですね。アイヌやロシア人はこの島にいなかったのでしょうか?単に人口にカウントされなかったのだけなのか、それとも迫害されたのか、もともとは無人島だったのか…。


さらに、阿寒郡蘇牛村は0人で、統計データでは省かれています(のち舌辛村)。
これははじめて知りました。統計データで省かれた村っていうのもあるんですね。この村も葉朽村と同様に二級町村制が施行されるときになくなったのでしょうか?
[35747] 2004年 12月 14日(火)05:37:10うるう[229] さん
人口の少ない村
[35713] 白桃さん

やっぱり即答でしたね。そうです、秋田県大潟村です。
大潟村は昭和39(1964)年10月1日に新設され、開村から1年しかたっていない昭和40年(1965)の国勢調査で16人を記録。その5年後の昭和45(1970)年には入植も進み1640人まで人口が増え、昭和49年(1974)に最終の入植があって以降は、昭和50(1975)年に3273人となり、その後増えもせず減りもせず現在に至ります。

このほかに(三宅村を除いて、)人口の少なかった自治体といったら昭和10(1935)年の神奈川県足柄下郡芦之湯村で62人でしょうか。いくら戦前とはいえ、たった62人で村は成り立っていたのでしょうか。。
他にも、大正9(1920)年の北海道浦河支庁葉朽村ではわずか30人しかいなかったようです。この村、当時はまだ戸長役場制度の中の1村で、おそらくは戸長役場は存在しなかったと思われます。大正12(1923)年4月1日に複数の村とともに高江村(後の新冠町)という名で1級町村制が施行されるまでの間存在したようです。


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