勤務先では雑用係の雑魚、本日午前は会社の使い走りで、金砂郷町に行って参りました。
「今日は天気さ良いがら、西金砂山さ登ったら、紅葉とが遠くの山とがはぁ綺麗だっぺね。」
立ち回り先のオヤジの悪の囁きに屈し、速攻で西金砂神社に寄って来ました。対向車との
すれ違いに難儀しつ、狭隘九十九折の参道を登った後、中年の哀しさで百段余の石段に
喘ぎつつ、ようやく到達した展望台からの紅葉の眺めは、圧巻の一言でした。
眼下に広がる、あまり標高の高くない山々が一面紅葉にそまり、逆行気味なのではっきり
判りませんが、南西方向には富士山らしききれいな円錐形の山影。北西方向には山頂が
少し雪化粧した日光男体山、そして更に北方には、かなり雪化粧した那須連山がはっきり
見えまして、これは中々に秀逸な眺めでした。
山方町や水府村との境界に近い、金砂郷町最北端の山上に位置するこの神社では、水府・
里美村境の尾根に位置する東金砂神社と同様、九世紀初頭に比叡山日吉神社の分霊が、
海路を経て日立市水木浜に上陸して建立されたものと伝えられます。来春は、72年ごとの
大祭礼として、東西両神社から水木浜まで、数百人規模の正装行列が往復する予定の為、
地元では盛り上がっている様です。ちなみに前回の開催は、満州事変の年ですね。
[4868] ヒロオさん
>区のシンボルである飛鳥山から飛鳥区とかがいいなあと思うけどねえ。
一時期北区内に棲息して、飛鳥山公園で度々泥酔していた立場上、感覚的には頷けます。
一方、交通の要衝である赤羽駅の存在や、赤羽地区から見た王子界隈の位置付けなどを
勘案すると、広域的に 「東京の北方」 との感覚で決着した事には一定の合理性もあるかも
知れません。しかし、方角名にしても、 「城北」 や 「京北」 の様な命名感覚はなかったかと、
長らく感じていました。泉麻人氏の 「東京23区物語」 にも、同様の言及があったと思います。
都電が路面区間から専用軌道に入った直後の飛鳥山商店街、あの下駄履き的な雰囲気が
懐かしく思い出されます。