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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

東京都北区の謎

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記事数=19件/更新日:2004年11月25日/編集者:special-week

東京23特別区でも特に平凡な北区。一部山手線の沿線にもなっているにも関わらず、人々の意識に都会のイメージはない。名称も平凡、まちも平凡な北区の謎を究明する。話題が広がっていくにつれて、なぜ北区赤羽は脈々と埼玉県に間違えられるのか?についても究明する。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[803]2002年2月4日
Issie
[1081]2002年3月10日
Issie
[4868]2002年11月14日
special-week
[4878]2002年11月14日
まがみ
[4880]2002年11月14日
蘭丸
[4881]2002年11月14日
深海魚
[4916]2002年11月16日
あっちゃん
[5246]2002年11月23日
special-week
[5377]2002年11月25日
般若堂そんぴん
[6698]2002年12月19日
蘭丸
[6770]2002年12月21日
蘭丸
[9542]2003年2月20日
般若堂そんぴん
[17723]2003年7月3日
三丁目
[26855]2004年4月3日
烏川碧碧
[35185]2004年11月19日
special-week
[35187]2004年11月19日
みかちゅう
[35194]2004年11月20日
KMKZ
[35197]2004年11月20日
なかなか
[35318]2004年11月25日
烏川碧碧

[803] 2002年 2月 4日(月)21:16:20Issie さん
豊島
「豊島」というのはもともと武蔵野台地の末端部から隅田川にかけての広い地域の地名でした。「豊島区」も「北区豊島」も「としまえん(豊島園)」もすべてこの“広義の豊島”の中に含まれます。

古代から明治初めまでの「豊島郡」はおおよそ現在の以下の「区」の範囲に相当します。
千代田区・中央区・港区(高輪・白金地区は荏原郡)・新宿区・文京区・台東区・渋谷区・豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区(大泉地区は新座郡)

そもそも「江戸」とは「武蔵豊島郡」の中に含まれる地名でした。江戸は鎌倉時代から都市として成長を始めますが,少なくとも中世までは「江戸」よりも「豊島」の方がポピュラーだったのではないかしら。
徳川政権下で江戸の市街地は豊島郡南部だけでなく,隣の荏原郡の一部や川向こうの葛飾郡まで拡大し,世界最大の百万都市に成長します。

明治になり,1878年の郡区町村編制の際,すでに「江戸」として都市化していた区域(およそ町奉行が管轄した地域に相当)が「東京15区」(のちの東京市)として豊島郡域から離れ,現在の渋谷区と新宿区西部(旧淀橋区)の区域が「南豊島郡」,残りの区域が「北豊島郡」となりました。南豊島郡は東京府に“郡制”が施行された1896年に東多摩郡(現在の中野区・杉並区)と合併して「豊多摩郡」になっています。
したがって,明治から昭和戦前期にかけては,「豊島」といえば東京の北郊外,“城北”とその延長と理解されていたのではないかと思います。

「豊島区」が誕生するのは1932年の市域拡張のとき,全域が東京市に編入された北豊島郡のうちの「巣鴨町」「高田町」「長崎町」3町の区域で新しい「区」が編制されたときです。だから,これは旧北豊島郡の“ごく一部”でしかありません。

「北区豊島」は「豊島」としてかなり古い地名のようです。
すこし前に(東京ローカルだと思うけど)このあたりの現在の道路網や町割の分析から古代の“条里制”の痕跡が見られるというニュースがありました。実際,このあたりが古代の豊島郡の中心だったと考えられているようです。
幕末から明治半ばにかけてはここは「豊島(嶋)村」と呼ばれていましたが,“町村制”の下で「王子町」の一部となり,東京市編入後の「王子区」をへて,戦後南隣の瀧野川区と合併して北区の一部となっています。

「としまえん」の所在地は東京市編入以前の「北多摩郡上練馬村」に属します。遊園地の名前の直接の由来は #792 の いわ さんの説明のとおり,園内に中世の豪族である豊島(嶋)氏の根拠地のお城があったからです。「豊島氏」というのは当然,彼らが豊島郡一帯を縄張りにしていたからですね。
[1081] 2002年 3月 10日(日)18:53:31Issie さん
23区の名前
【統合による新22区】
1:麹町区 + 神田区 --> 千代田区
 *皇居=千代田城による
2:日本橋区 + 京橋区 --> 中央区
 *新地名
3:芝区 + 麻布区 + 赤坂区 --> 港区
 *新地名
4:四谷区 + 牛込区 + 淀橋区 --> 新宿区
 *位置的に中心にあり最繁華な新宿駅周辺地区による。
  なお,「新宿」は旧四谷区だが,「新宿駅」があるのは旧淀橋区角筈(つのはず)。
5:小石川区 + 本郷区 --> 文京区
 *新地名
6:下谷区 + 浅草区 --> 台東区
 *新地名
7:本所区 + 向島区 --> 墨田区
 *隅田川に由来する新地名
8:深川区 + 城東区 --> 江東区
 *新地名
9:品川区 + 荏原区 --> 品川区
 *旧品川区による
11:大森区 + 蒲田区 --> 大田区
 *合成名
17:滝野川区 + 王子区 --> 北区
 *新地名

以下は統合がなく,従前の区名をそのまま継承
10:目黒区
12:世田谷区
13:渋谷区
14:中野区
15:杉並区
16:豊島区
18:荒川区
19:板橋区
20:足立区
21:葛飾区
22:江戸川区

なお,「北区」が選定されるにあたって,当初予定されていた「飛鳥区」(江戸時代以来の景勝地である「飛鳥山」に由来する)が「読み方が難しい(後の当用漢字の読みの基準に準拠しない)」という理由で排除されたのは有名な話です。
[4868] 2002年 11月 14日(木)00:17:44special-week[ヒロオ] さん
北区を考える

 合併で政令指定都市ができるのはいいんだけど、方角を冠した区名はあんまりいただけない。行政区名じゃないけど、23特別区の北区ってど~よ?どうして北区だけ方角なんだ?蒲田区と大森区が合併して大田区になったという足して2で割る方式の方がまだマシのように思える。この方式なら年を経るうちに昔の名前知らない人が増えていくからいいけど、方角はいつまで経っても方角のまま・・・。東京都北区ならいっそのこと区のシンボルである飛鳥山から飛鳥区とかがいいなあと思うけどねえ。
 そういう意味で、さいたま市の北区、西区、南区なんつーのはどうかと・・・。緑区や桜区も自然なイメージという狙いが見えて嫌です。むしろ、地元住民から反発の強い「見沼区」は地域性があっていいと思うけどなあ。田舎臭いなんて批判があるけど、そんなこと言ったら「沼田市」はどうすんねん!沼どころか田までくっ付いてるちゅーねん!って思うけどなあ。
 ちなみに、名古屋市には東区があるのに名東区まである。なんか不思議というか、謎というか・・・
[4878] 2002年 11月 14日(木)11:26:54まがみ さん
なぜ「飛鳥区」でないのか
[4868]ヒロオ さん
> 東京都北区ならいっそのこと区のシンボルである飛鳥山から飛鳥区とかがいいなあと思うけどねえ。

東京都北区の場合は、当初「飛鳥区」にするはずでしたが、「あすか」の読みは常用漢字には無いため、「飛鳥区」にするのを諦めたという経緯があります。

今からでも改称すればよいのですが、区名として定着していることや改称に伴う費用がかかり過ぎるから改称しないのかも知れません。
[4880] 2002年 11月 14日(木)13:06:38蘭丸 さん
東京都北区
[4868]ヒロオ さん

 東京都北区は、政令指定都市の行政区とは違って、 今では曲がりなりにも自治体なわけですから、 私もこの
区名には違和感を覚えるのはたしかですね。 しかしながら、 この区名はさまざまな苦悩の結果、 なかば妥協の産物として生まれたものです。

 もともと、 現在の北区の区域には、 戦前までは王子区と滝野川区が存在しました。 王子区はもとの北豊島郡王子町、同 岩淵町の、滝野川区は同 滝野川町の区域をもって昭和7年に設けられ、東京市35区の仲間入りを
しました。この時、滝野川は「1町1区」の猛運動を展開し、滝野川区設置を実現したそうです。 こういった
ことから、この地が地元への愛着の強い土地柄であったことを窺い知ることができます。

 両区を統合した新区の名称については、「城北区」「京北区」「飛鳥山区」「赤羽区」などが候補としてあげられていて、「飛鳥山区」については、区のシンボルであり、新生区の名にふさわしいという意見もあったようです。しかし、 当時は漢字をできるだけ簡素に使おうとする風潮が強く、「あすかやま」 と読ませることに対
する漢字の用法上の配慮から、 結局、平明簡潔な「北区」に落ち着いたのだそうです。
 今から考えればたいした問題ではありませんが、当時は、そういったことも区名選定においての検討要素だったんですね。時代の流れを感じさせるエピソードです。

 慎重な検討を重ねた末の区名ですが、 結果的には[3842]ken さんのおっしゃるような、いろんな場面における据わりの悪さを伴ってしまいました。 それは、紛れもない事実だと思います。 「北区」 と表記される限りにおいては問題はありませんが、行きがかり上、「北」としか表記されないケース(統計表・一覧表や23区名を列挙する場合など)もよくあって、そんな場合は‘これが北区を表わしているのか’と、その別物のような姿にちょっと目を疑うことがあります。また、各種団体の支部などは「○○協会北支部」といったようになってしまい、単独ではほかとの関連性がわからないので、都内北部地域の支部なのか、北区に限った支部なのか、正直言って見分けがつきません。

 実は、なにを隠そう私はその北区の住民です。(これも、「北区民」と言うと、どうもしっくりしない)この区名のなんともいえない違和感が、私に地名に対しての興味を持たせた一つの要因でもあります。わが北区には「北区立北中学校」なる学校もあり、私なんかは、もっと違う名前を考えられなかったものか、と思ってしまいます。

 とはいえ、慣れ親しんだ者にとっては、この中途半端さが逆に他の区と違う個性かな? なんて、どことなく
愛着を感じるのも、また、事実です。北区誕生からすでに50年以上が経ち、この区名のお蔭か、もとの2区は、今ではすっかり融合しているようです。

 もっとも、東京に住んでいると何区というよりも、もっと細かい地域名や(有名な駅周辺では)駅名のほうを地名として使うことが多く、 北区でも、王子・滝野川・赤羽と3地域に分け、 その区分や駅名を称することの
ほうが圧倒的に多いのが実情です。(Q.「お住まいどちらですか?」→ A.「赤羽です」/「滝野川です」/「東十条です」というふうな感じで) 区内はもとより、対外的にもそれで充分通じてしまいます。というよりも、「北区」より個々の地名のほうが存在感が大きいのです。
[4881] 2002年 11月 14日(木)14:04:22深海魚[雑魚] さん
本日も 「錦秋」
勤務先では雑用係の雑魚、本日午前は会社の使い走りで、金砂郷町に行って参りました。
「今日は天気さ良いがら、西金砂山さ登ったら、紅葉とが遠くの山とがはぁ綺麗だっぺね。」
立ち回り先のオヤジの悪の囁きに屈し、速攻で西金砂神社に寄って来ました。対向車との
すれ違いに難儀しつ、狭隘九十九折の参道を登った後、中年の哀しさで百段余の石段に
喘ぎつつ、ようやく到達した展望台からの紅葉の眺めは、圧巻の一言でした。

眼下に広がる、あまり標高の高くない山々が一面紅葉にそまり、逆行気味なのではっきり
判りませんが、南西方向には富士山らしききれいな円錐形の山影。北西方向には山頂が
少し雪化粧した日光男体山、そして更に北方には、かなり雪化粧した那須連山がはっきり
見えまして、これは中々に秀逸な眺めでした。

山方町や水府村との境界に近い、金砂郷町最北端の山上に位置するこの神社では、水府・
里美村境の尾根に位置する東金砂神社と同様、九世紀初頭に比叡山日吉神社の分霊が、
海路を経て日立市水木浜に上陸して建立されたものと伝えられます。来春は、72年ごとの
大祭礼として、東西両神社から水木浜まで、数百人規模の正装行列が往復する予定の為、
地元では盛り上がっている様です。ちなみに前回の開催は、満州事変の年ですね。

[4868] ヒロオさん
>区のシンボルである飛鳥山から飛鳥区とかがいいなあと思うけどねえ。
一時期北区内に棲息して、飛鳥山公園で度々泥酔していた立場上、感覚的には頷けます。
一方、交通の要衝である赤羽駅の存在や、赤羽地区から見た王子界隈の位置付けなどを
勘案すると、広域的に 「東京の北方」 との感覚で決着した事には一定の合理性もあるかも
知れません。しかし、方角名にしても、 「城北」 や 「京北」 の様な命名感覚はなかったかと、
長らく感じていました。泉麻人氏の 「東京23区物語」 にも、同様の言及があったと思います。
都電が路面区間から専用軌道に入った直後の飛鳥山商店街、あの下駄履き的な雰囲気が
懐かしく思い出されます。
[4916] 2002年 11月 16日(土)11:22:57あっちゃん[実は小学生] さん
〇+東西南北
東京都北区については、僕も前から23区内で「北」だけってちょっと・・・と思っていました。
しかし、地図を見ると様々な地区から成り立っていて、合併してこうなったのだろうと思いました。

[4881]雑魚さん
>方角名にしても、 「城北」 や 「京北」 の様な命名感覚はなかったかと、
このように「〇+東西南北」というのはよくありますね。地名に限らず、学校名などにも見られます。
静岡県掛川市は、「城北小」があります。城南小はありません。城北小の場合、比較的新しい小学校なのですが、「北小」では味気ないので「城北小」としたのだと思います。

ところで・・・
東京の「城北」って一般的にどこからどこまでを表すのでしょうか?ちょっと気になります。
[5246] 2002年 11月 23日(土)01:27:58special-week[ヒロオ] さん
新宿駅に新幹線の駅はつくれるか?を考える
[5234]
蘭丸様
 さすが北区民の蘭丸さんも尾久駅を利用したことすらないのですか・・・。尾久駅はJRでは、荒川遊園の最寄駅でここから荒川遊園に向けてのシャトルバスも出ておりますが、なにしろ駅前にまったくこれと言ったものがないため必要があるのか?と思われています。

>かかる状況の打開には、もはや東京-大宮間での始発駅の増設では、近接し過ぎて対応できかねると考えられます。そこで浮上するのが上越新幹線大宮-新宿間の建設です。

 この計画は私にとっては初耳でしたが、中央リニアを通す上で新宿駅が起点になると思われ、上越新幹線等に新宿駅を使用することは難しいのではないかと思います。
 蘭丸さんは埼京線を活動起点にしていらっしゃるようなので、京浜東北線について説明させていただきますと、上中里駅のほぼ真上に東北新幹線・上越新幹線が走っており、操車場を売却してここに新駅をつくれるのが一番現実的ではないかと思われます。

 それとぜひお暇なときに尾久駅周辺を散策・探検していただくことを勧めます。本当に東京23区なのか疑いたくなるほど何もありません。この操車場を汐留のようにうまく活用すれば地域も新幹線建設もうまく潤滑ですると私は思います。第2山手線計画では、この尾久に駅をつくるという計画だったようです。それが実現していれば今ごろは東京都内無名駅NO1(自己評価)の汚名は拝命しなかったと思うんですけどねえ。
[5377] 2002年 11月 25日(月)14:54:54般若堂そんぴん さん
東京には蛙が多い
[5374]TNさん
>幸いにして254号沿いは蛙が抗争しておりましたが・・・
なんて恐ろしい!
1970年代終わり頃の数ヶ月,東京都北区志茂の隅田川堤防のすぐそばに住んでいたことがあります.赤羽駅からの道筋に寺があり,その近辺にはヒキバガエルやらウシガエルが大量に出没,深夜帰宅する私は悲鳴をあげないようにバッグのひもを噛みしめ,やつらを踏まないように摺り足で歩いたものです(顔面をひきつらせながら).都内ではよくヒキガエルやウシガエルをみました.なぜあんなに多いのでしょうか? 少ない緑地に集中してしまうために蛙口密度が高くなってしまうのでしょうか?(あまり地理に関係ないかな?)
[6698] 2002年 12月 19日(木)22:47:04蘭丸 さん
住居表示板
[6633]拙文
[6644]YSK さん

 東京都北区の住居表示板ですが、けさ、明るくなってから実際に確かめてみたところ、必ずしも「○○三丁目21-10」というパターンではないことが判明しました。

 「○○3丁目21-10」というアラビア数字で丁目を記した表示板も存在したのです。これは、比較的新しい建物で見られました。同じ街区であっても、周囲が「三丁目」表記なのに大通りに面した新築物件などでは「3丁目」と表記されていました。ある時期から表記方法を変更したと考えられます。
 さらに実地調査してみたところ、ひとつの町内すべてがアラビア数字で表記されているところを次々と発見しました。おそらく、こういった地域は住居表示の実施が比較的遅かったと考えられます。
 行政側が「1丁目」というふうなアラビア数字での表記を容認していることになります。もしかすると「1丁目」方式のほうが多いのかもしれません。

 しかし、道路沿いに取り付けられている街区表示板は、たとえその街区内の建物が「1丁目23-4」方式であっても、「●●一丁目23」という漢数字表記で一貫していました。
 住居表示板は建物の座標を示すことが目的であること、世間の多数が「●●4-32-1」という表記をしている実態に役所が合わせたこと、などの事情によるものと思われます。

 また、北区の区報『北区ニュース』の区役所所在地の表記は「東京都北区王子本町1-15-22」と、なんともっとも簡略化された方式で書かれていました。もはや、行政側でさえ「△△一丁目」そのものが町字名(固有名詞)であるという本質にこだわることなく、「X丁目」を符号あるいは番号とみなしているということなんでしょうね。
 住居表示実施がもたらした地名の平板化を象徴しているような気がします。
[6770] 2002年 12月 21日(土)13:06:52【1】蘭丸 さん
住居表示板の「X丁目」
[6731]YSK さん
>その表示板は、縦書きでしたか?横書きでしたか?

 お~、そうでした。大事なポイントについて、言及が抜けておりました。申し訳ありません。

 東京都北区では、各戸に取り付けられている「町字名+街区符号+住居番号」の住居表示板は横書き、各街区の通り沿いに取り付けられている「町字名+街区符号」の街区表示板は縦書きとローマ字表記の併記、という形で統一されています。

 ですから、[6698]で私が述べたかったことは、横書きだから「1丁目」になっているのではないということなのです。すなわち、横書きスタイルの住居表示板に「一丁目」方式と「1丁目」方式が混在しているのです。そして、私が推測する限り、「一丁目」方式のほうが「1丁目」方式よりも比較的古いものであると考えらる、ということでした。
 あるいは、当初より両方の形が存在し、同時並行的に住居表示が行われてきたものの、ある時期から「1丁目」方式に統一されたとも考えられます。ひとつの町内全域でアラビア数字表記がされている地域を次々と発見したことから、今ではこのように考えています。

>行政が必ずしも「×丁目」を符号あるいは番号とはみなしていないと、私は思います。

 そうですね。あくまで、行政は「○○X丁目」までを町字名としていることには変わりはないと私も思います。
 北区でも、全部が全部「X丁目」表記をアラビア数字にしているというわけではなく、条例などの公的な文書ではきちんと漢数字表記になっていますし、区営住宅の公式の名称は「●●一丁目アパート」というふうになっているようです。(これらは北区のホームページを参照しました。)
 ただ、状況によって書き分けているとしても、私にとっては区役所から発せられたものが「1丁目」「2丁目」あるいは「1-23-4」となっていることが意外に思えたわけです。
[9542] 2003年 2月 20日(木)23:35:34般若堂そんぴん さん
荒川区~北区方面レス
[9533]夜鳴き寿司屋さん,ありがとうございます.
南千住の煙突ですが通称「おばけ煙突」で、
これは私も頭に浮かんだのですが,「ドゴラ」に破壊されたのは5本煙突でした.わざと本数を変えてクレームがこないようにしたのかも知れませんね.

わずか10年しか存在しなかった球場なので、
球場の建造物そのものはその後も存在したのではないでしょうか.私が見たのは1974年か1975年でした.

[9535]special-weekさん,レスありがとうございます.「そんびん sonbin」ではなく「そんぴん sonpin」と書いていただければなお嬉しいのですが(笑).判別しにくいHNですみません……

[9538]special-weekさん
なぜか、この落書き帳では、北区住民率が高いような気がします。
[5377]に書いたとおり,私も一時は北区民でした.当時,中耳炎を患ったのですが,いつまで立っても国民健康保険証が来なくて酷い目に遭いました.区役所志茂出張所の職員がちゃんと仕事をしなかったのですね.はじめに応対した職員が全く自分の発言を覚えていないのには激怒しました.即刻,王子の区役所に行って即時発行してもらいましたっけ.(以下,赤羽根駅近くの藪医者については省略.)
[17723] 2003年 7月 3日(木)07:53:31三丁目 さん
地名、勘違い編(最近)
滝野川(旧東京市滝野川区、又は旧滝野川村)は、地名に「川」が付いているくらいですから、私は同名の川があるのかと思っていました。ちょうど、京浜東北線王子駅付近、あるいは埼京線板橋駅北方400mくらいに小川が見え、滝野川地域もそのあたりなので、あの川のことかな?と思っていました。ところが、地図で調べると、両方とも石神井川でした。アレレ?と思い、調べたところ、滝野川という名称の川はないのですね。

滝野川の地名の由来を、角川日本地名大辞典で調べると、
「たきのかば」とも称し(新編武蔵)、滝之川(役帳)・滝野河(源平盛衰記)・滝川(記録御用所)とも書く。地名の由来は、石神井川の流れが急で滝のようにとどろいていたことによる説(金剛寺松橋弁天縁起)、豊嶋氏の家臣滝野川氏が支配していたことによるとの説もある(北豊島郡誌)。
だそうでして、川と関係あるような、ないような。

このように川と地名に付きながら、該当する川がないのは?にしようかと思って、書き始めたのですが、それは多そうですね。自分がすぐに思いついたのは、品川ですかね。

[17722]両毛人 さん
ささやかな願い ~もうすぐ七夕ですね~
♪That`s what a friesds are for♪この優しいメロディー、サビだけしか覚えていませんが、好きです。
平行線は、どこかで「お休みしませんか」が必要かもしれませんね。「ボチボチ」という言葉を先輩からアドバイスされ、私も、それ以来、いろいろな場面で、心がけようと努力しているつもりです。
[26855] 2004年 4月 3日(土)01:09:06【1】烏川碧碧 さん
きたくなるまち
上野の桜の下で酒を酌んで帰ってゴキゲンです。
まだまだ立派なものでした(※桜のことです)。
日曜日には上野動物園へ行ってくる予定です。

さて、
[26771] special-week さん
さて、もう一つ地理が好き落書き帳が食いつきそうなネタである「北区が……
(後略させていただきました)

私も北区には少なからぬ縁があります。
エイプリル・フールにせよ何にせよ、ちょうど話が出てきたので少し思うところを書いてみます。

小さいときから「きたく」という抽象的な名前に馴れ親しんでいるため、「飛鳥区」にしても、「飛鳥山区」にしても、相当の違和感を覚えます。
確かに飛鳥山は北区のシンボル的な存在ですが、これをもって地域全体の呼称とするには、飛鳥山自身も含めて、より小さいレベルでの地名と当該地域との結びつきが、あまりに強固であるように感ぜられるのです。

[4880] 蘭丸 さん(アーカイブ「東京都北区の謎」 http://uub.jp/arc/arc129.html
もっとも、東京に住んでいると何区というよりも、もっと細かい地域名や(有名な駅周辺では)駅名のほうを地名として使うことが多く、 北区でも、王子・滝野川・赤羽と3地域に分け、 その区分や駅名を称することの
ほうが圧倒的に多いのが実情です。(Q.「お住まいどちらですか?」→ A.「赤羽です」/「滝野川です」/「東十条です」というふうな感じで) 区内はもとより、対外的にもそれで充分通じてしまいます。というよりも、「北区」より個々の地名のほうが存在感が大きいのです。
とありましたが、「東京」といえば先ず「北区」であった私にとっても、その実体は、
-高崎線から京浜東北線に乗り換える「赤羽」であり(鳩ヶ谷に住んでいたときも、よく寄りました)、
-京浜東北線から都電に乗り換える「王子」であり(同上。上中里時代にも頻繁に)、
-母の実家がある「西ヶ原」であり、
-学生時代に約2年間を過ごした「上中里」であり(「尾久」も近いですね)、
-学校へ行くのに山手線に乗り換えた「田端」であり、
-都電最中を買いに行った「梶原」であり、
-あるいはまた「飛鳥山」であったりするわけで、
「北区」全体としては、どちらかといえば印象も希薄であり、むしろ抽象的な方角名である「北」を区名に用いることこそがふさわしいようにも思われるのです。
(ちょっとくどくなりましたね。すみません)

あの辺に居た頃を思い出しつつ、やっぱり北区は北区かなあ、とつぶやいてみるのでした。
「きたくなるまち」というコピーも好きでした。
[35185] 2004年 11月 19日(金)13:59:33special-week さん
赤羽は埼玉県!の謎

 先日、友人と話をしていて「赤羽って埼玉県ですよね」と自信満々に言われてしまいました。
 赤羽は埼玉県という誤解はかなり昔から抱かれているようですが、どうして赤羽は埼玉県だと誤解されるようになってしまったんだろうと思うとなかなか謎は解明できません。地形上、明らかに県境になり得る荒川は赤羽の北を流れていますし。どうしてなんだろー?もしかして、赤羽が埼玉県だったときでもあるのかな?それとも赤羽と埼玉の文化的要素が似ているから?うーん、イマイチ納得いく仮説が出てきません。
 どうして赤羽はこう脈々と埼玉県と誤解され続けるんでしょうか?
[35187] 2004年 11月 19日(金)20:57:31みかちゅう さん
赤羽はなぜ埼玉県と思われるの?
滞りがちだった湖水コレの沖縄県を調査。残りは北海道のみだけど、北海道全域を大縮尺でカバーしている道路地図はないんですよね。というわけで北海道の情報を募集いたします。落書き帳に書き込んでいただけば一覧に追加いたします。

[35185]special-weekさん
どうして赤羽はこう脈々と埼玉県と誤解され続けるんでしょうか?
「赤羽」が自治体名になっていないために都道府県名とセットで書かれないからではないでしょうか。一帯の住所が北区ではなく赤羽区であれば、ニュースなどで「東京都赤羽区」と報道されることも多かったでしょう。
また、交通面からいっても埼玉高速鉄道は赤羽岩淵からですし、川口市東部や鳩ヶ谷市へのバスも川口駅に加え赤羽駅からも多数発着しています。一般に大きな川をはさんでバスが運行されることは多くはないので、川(県境)が意識されていないのではないでしょうか。
[35194] 2004年 11月 20日(土)05:21:27KMKZ さん
浦和県赤羽
[35185]special-weekさん
赤羽が埼玉県だったときでもあるのかな?
赤羽付近は明治時代の最初の頃には埼玉県の前身である大宮県や浦和県に所属していて、東京府所属となるのは明治4年の廃藩置県の時からだそうです。昔の赤羽については赤羽タイムトラベルが詳しいです。
しかし、赤羽が大宮県や浦和県所属だったことを知っている人は殆どいないでしょうから、赤羽が埼玉県と誤解する理由ではないと思います。

地形上、明らかに県境になり得る荒川は赤羽の北を流れていますし
23区と多摩川で明確に区切られる神奈川県、江戸川で明確に区切られる千葉県と違って、荒川で明確に埼玉県と区切られているのは板橋区・北区の一部だけですから、多摩川の先は神奈川県、江戸川の先は千葉県をイメージしても荒川の先は埼玉県ではなくて足立区、葛飾区や江戸川区をイメージする都民の方が多いのではないでしょうか。
荒川の先が埼玉県とイメージするのは北区北部や板橋区東部の人に多そうですね。
[35197] 2004年 11月 20日(土)11:48:17なかなか さん
二番煎じは・・・
[35191]作々さん
[35192]みかちゅうさん
[35193]般若堂そんぴんさん

「いちき串木野市」ですか・・・
明らかに「ちらん枕崎市」の二番煎じですねぇ。
協議会メンバーの方には自治体名を、子供の名前をつけるように、丁寧に考えてほしいです。
ニックネーム感覚でつけてるような気がして。
子供の名前を「鹿児島 こうた郎(鹿児島 いちき串木野市)」ってつけませんよね。
 (あっ、女の人で「鹿児島 よし子」というような名前の人はいますね。)

[35185]special-weekさん

私は赤羽は「気持ちの上での都県境」であると思っています。
都内南部在住の感覚では、
たまに高崎線や宇都宮線に乗ると、下り方向では赤羽に止まると「もう埼玉か」と思いますし、
上り方向では、赤羽に止まると「東京までもうすぐ」という感覚になります。
新幹線に乗っても「もう東京か」と意識するのは荒川を渡ったときではなく
並行する埼京線の駅名に「赤羽」が見えたときです。

ですから、[53194]KMKZさんがおっしゃるように、その人の住んでいる場所や
地図感覚によって赤羽は埼玉にもなりうるし、東京にもなりうるのではないですかね。
[35318] 2004年 11月 25日(木)12:25:58烏川碧碧 さん
北区に住んでいたくせに
[35185] special-week さん
赤羽は埼玉県!の謎

恥ずかしながら、私も長い間、赤羽は埼玉県と誤解していたことがあります。
都県境としての荒川を認識していながらも、言わば「特記事項」として誤解していたような覚えが……。

たぶん、ここでも何度か書いていると思うのですが、私の幼少年期の「東京」体験は専らJR高崎線で、……・大宮・浦和・赤羽と上ってきて、京浜東北線で赤羽・東十条・王子と来るものでありました。

ですから、赤羽は埼玉と東京の分岐点である、という認識になっていたわけです。そして、その分岐点たる赤羽は埼玉なのか東京なのか、ということを考える段になって、駅周辺の雰囲気等から、埼玉なのかなあ、と……。

正確に言えば、個人的な体験に基づく感覚では、赤羽が分岐点というよりもむしろ、京浜東北線(赤羽―王子間)が分岐点となっていたかもしれません。王子からは都電荒川線で路面を走っているので、明らかに「東京」として連続していると認識し、赤羽までは高崎線で(埼玉県が)連続しているようなものと。


[35299] トミ さん
確かにそのとおりでした。後ほど修正いたします。
#これでイチローに並んだ?!

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