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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

江戸のかほり—江戸の面影を残す地名—

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記事数=15件/更新日:2004年1月31日/編集者:special-week

神田、日本橋に多く残る江戸の面影を残した地名。現在の住所は、郵便配達の合理化のために1丁目、2丁目といった町名が多く用いられているが、そのような町名ではなく、江戸ならではの薫りを残している。

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★推奨します★(元祖いいね) はやいち@大内裏 ありがたき

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[10374]2003年3月4日
N-H
[10383]2003年3月4日
N-H
[10384]2003年3月4日
だんな
[10386]2003年3月4日
N-H
[12725]2003年4月8日
KMKZ
[12474]2003年4月5日
太白
[14611]2003年5月3日
special-week
[14722]2003年5月5日
ありがたき
[14743]2003年5月5日
special-week
[14749]2003年5月6日
special-week
[14752]2003年5月6日
ありがたき
[14761]2003年5月6日
special-week
[14784]2003年5月6日
ありがたき
[14798]2003年5月6日
Issie
[15080]2003年5月12日
Issie

[10374] 2003年 3月 4日(火)15:08:06N-H さん
神田多町二丁目
[10373]太白 さん

区の境目にまたがって丁目が分断されているところは結構多いと思います。
横浜市ですと桜木町、花咲町、赤門町が西区と中区で分断されています。

ところで、区の境目に関係なく2丁目しかないのが、東京都千代田区神田多町二丁目です。
[10383] 2003年 3月 4日(火)17:02:58N-H さん
神田かいわいの住居表示
[10378]だんな さん

おそらくこれは住居表示によって1丁目が住所変更したために残ったものなのでしょう。私の住む金沢市にも観音町3丁目だけあったりしてます。全国にも探せばたくさんあるのでしょうね。

神田多町についてはその通りでして、かつての神田多町一丁目は住居表示実施にともない内神田になりました。この近くには同様に二丁目しかない神田司町、三丁目しかない神田鍛冶町もあります。
「あれ、神田に鍛冶町一丁目ってあったはず」とお思いのそこのあなた、そう、かつての神田鍛冶町は、一部住居表示が実施され「神田」という接頭語がとれて、ただの鍛冶町一丁目と鍛冶町二丁目になり、三丁目だけはなぜか住居表示未実施のままずっと神田鍛冶町のままなのです。

ところで神田多町一丁目が内神田になったのも昭和41年。どうして中途半端にそのまま放置されているのでしょうね。
[10384] 2003年 3月 4日(火)17:29:00だんな さん
住居表示から取り残された町
[10383]N-Hさん
どうして中途半端にそのまま放置されているのでしょうね。
普通考えられるのは住居表示が進められるなかで自分たちが住んでいる町の名が消えるのをおそれた住民たちが反対し抵抗したからではないでしょうか。東京では神田界隈の他にも新宿区の市ヶ谷地区や千代田区の一部などに住居表示されてない地域がありますね。
金沢でも近江町市場周辺や市内随一のファッションタウン竪町周辺が反対して住居表示されませんでした。[10378]でとりあげた観音町3丁目が残った理由は当時調査した際、家が3件しかなく忘れられてしまいそのまま残されたという話があります。
このようなかたちで町の名が残ったのではないでしょうか。これが全市的に反対され、住居表示の導入をしなかったのが京都市ですね。
[10386] 2003年 3月 4日(火)17:53:56N-H さん
東京都心の住居表示
[10384] だんな さん

本題とはずれますが、それにしても「だんな」さんというのはこれまで星の数ほどのハンドルを見てきた中でも最高傑作だと思います。なんというか、この脱力感!
ここの掲示板が自動的に「さん」をつけて表示するからよけいにおもしろい。

普通考えられるのは住居表示が進められるなかで自分たちが住んでいる町の名が消えるのをおそれた住民たちが反対し抵抗したからではないでしょうか。

そうなのでしょうね。ただ、それにしてもなにも中途半端に二丁目だけ残さずに町名の根幹はそのままにして地番を再配分すればすっきりすると思うのですがね。
そうそう、この「内神田」という町名はまぎらわしいです。「千代田区内神田」と書かれてあると、「千代田区内」の「神田」に見えてしまいます。

東京では神田界隈の他にも新宿区の市ヶ谷地区や千代田区の一部などに住居表示されてない地域がありますね。

新宿区はすごいですね。区の東半分は見事に昔の地名が残っています。ここの場合は昔の町名のままで住居表示を実施したところと、住居表示未実施のところが混在しているようです。
千代田区の場合も神田界隈以外は、古い町名のままの住居表示実施地区のようです。これは中央区日本橋界隈もそうですね。

住居表示というのは都市の建物の表示をわかりやすくということで大々的に実施されたはずなのに、国の中枢のある東京都心の地名がその原則に従わなかったというのは皮肉なものです。
一例として住居表示実施に際しては「丁目をつける場合は○○町ではなく町をとって○○とする」という原則があります。東京の下町はほとんど徹底してこの原則に従ったのですが、都心の永田町、有楽町なんか結局そのまま住居表示実施となりました。
有楽町は実は住居表示実施に際して「有楽」となりかけたそうなのですが、当時「有楽町で逢いましょう」という歌がヒットしたこともあって地元の反発が強かったとか。
[12725] 2003年 4月 8日(火)22:59:28KMKZ さん
江戸時代の白山通り
[12616] 太白さん
文京区の小石川と本郷の高台にはさまれて、白山通り沿いは切れ込んだ谷になっていますが、ここも、はるか昔に川が台地を侵食したのでしょうか。

[12714] TKS-Hさん
白山通りには小石川とは別の谷があったのでしょう。指ヶ谷という旧町名もあったくらいですから。

江戸初期の江戸城周辺の川が記載された地図を見つけました。
http://homepage1.nifty.com/yanaken/kandagawa/history/histmapview.htm 神田川下流の流路の変遷

地図の左上に、何本かの川が記入されています。
現在の地図と比較すると、南北に流れている2本は、それぞれ、千川通り、白山通りに対応するようです。また、白山通りに対応する川には、東から川が2本合流していますが、北側の川は、現在の言問通りの西半分に対応し、南側の川は、菊坂下から本郷3丁目に抜ける通りに対応しているように見えます。

川の名前はわかりませんが、少なくとも江戸初期までは、白山通りの所に川が流れていたようです。

P.S.
上記のページに興味深いことが書いてありました。
丘のど真ん中を川が突っ切るという、考えてみれば不自然な地形になっている「お茶の水渓谷」は、このときにできた人工的なもので、工事にあたったのは仙台伊達藩であったため、当時は「仙台堀」と呼ばれていた。
[12474] 2003年 4月 5日(土)06:03:34【2】太白 さん
本郷も、かねやすまでは江戸のうち…
[12443] TKS-H さん
[12453] KMKZ さん

 KMKZさんが挙げている本郷付近の地図ですが、この界隈は、本妙寺以外にも歴史的な史跡が多いですね。

(地図:再掲)
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.42.16.600&el=139.45.40.357&la=1&fi=1&sc=2

 本郷3丁目の交差点に「かねやす」というお店があります。享保年間(徳川吉宗の時代)に、歯磨き粉を売って繁盛していたそうです。1730年の、この付近の大火のあと、江戸町奉行の大岡越前守が、この「かねやす」を境に南側(江戸城まで)は、火事の延焼を防ぐために土蔵造りの塗屋にすることを命じました。一方、かねやすより北側(中山道沿い)は従来どおりの板・茅ぶきの家が続きました。このため、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われるようになりました(なお、現在のかねやすは化粧品店です)。

(かねやす)
http://homepage2.nifty.com/tokyo-walk/a050168.htm

 また、上記地図だと左上の方になりますが、本郷4丁目32-31には、樋口一葉の旧居跡(の1つ)と井戸があります。

(樋口一葉旧居跡とゆかりの井戸)
http://www.city.bunkyo.tokyo.jp/cgi-bin/kview.cgi?ID=70

 この付近の町並みについて、疑問に思う点があります。
 地図を見ると、本郷三丁目の交差点を東西に走る春日通りを境として、北側(本郷4丁目以北)は、狭い路地の多い町並みとなっています。典型は、上記の樋口一葉旧居跡周辺です。
 一方で、春日通りの南側は、おおむね碁盤の目の区画となっています。
 これは、何らかの災害(大火・震災・空襲?)の被災地の境界が、春日通りであったことを示唆しているように思えるのですが、いつからこのような街割りになったのでしょうか?

 なお、私の知る限りでは、春日通りの南を並行して走る大通りである「壱岐坂通り」(新壱岐坂)は、関東大震災後の東京復興計画のなかで整備された道路と認識しています。
[14611] 2003年 5月 3日(土)19:58:54special-week さん
江戸の薫り

 本日は天気が良いので、白山通りおよび本郷通りをひたすら歩いてきました。
 先日も染井については触れたのですが、この一帯は、六義園もあるように将軍家ともゆかりの深いエリアです。山手線内側にも関わらず、寺社が建立されていてちょっと都会と言ってしまうとそぐわない雰囲気ですね。
 さてここらを歩いていて思うのは、地名と町会名が必ずしも一致しないということですね。染井も同様、染井町会といった言い方をしますが、染井という町名はないです。本郷通り沿いには、富士見町会というのがあったのですが、これは以前の駒込富士見町が由来ですね。
 つまり、町会の方が江戸時代から残る地名を残していると言えそうです。[7964]でも触れましたが、近年では昔の町名復活も考えられていますからもしかしたらこういった町名の復活もあるかもしれません。本郷通り沿いには「吉祥寺」なんて町会もありますから町名として復活したら若者のまちの吉祥寺と混同しそうです。
 ところで江戸の範囲ってどこまでだろう?
[14722] 2003年 5月 5日(月)20:32:14ありがたき さん
華のお江戸は八百八町(by平次)
[14611]special-weekさん

ところで江戸の範囲ってどこまでだろう?

江戸は拡大し続けた街(町)なので、時期や見方で異なるんでしょうが、例えば「御府内」という江戸の「市街地」の範囲とされる言葉がありますね。
化政文化の真っ只中のお話で、文化元年(1804年)の幕府の定義では、江戸城を中心に四里四方の範囲とされていたそうです。
その後、文政元年(1818年)に目付牧野助左衛門から出された「御府内外境筋之儀」をうけて幕府が地図上に引いた「朱線」で正式に府内外を区別したそうです。おおよその範囲は、南から時計回りに目黒川、神田上水、荒川・石神井川下流、中川で、囲まれた域だそうで。
また「墨引」で町奉行支配の範囲も示され、町奉行・勘定奉行・寺社奉行の「行政上」の区分けがされたとのことです。

ここの皆さんの中にも読んだ方も多いんではないでしょうか、日本実業出版社の「東京の地名のわかる事典」という本で上記のお話に地図入り解説があります。ご参考までに
[14743] 2003年 5月 5日(月)23:43:35【3】special-week さん
江戸のかほり
[14722]
ありがたき様

おおよその範囲は、南から時計回りに目黒川、神田上水、荒川・石神井川下流、中川で、囲まれた域だそうで。

 なるほど。この範囲が江戸となるとなかなか広範な範囲だったんですね。現時点で、江戸の薫りを残している地名と言えば、神田と日本橋ですかね。両地区とも神田○○町、日本橋○○町といった呼称になっていて2丁目、3丁目としていないところに私は好感を持っています。住居表示の簡素化は郵便配達などの効率化のために行われたものですが、神田・日本橋は本当に細かく町名が分かれていますね。ちょっと興味があったので表にしてみました。

NO神田と付く地名日本橋と付く地名
1神田富山町日本橋室町
2神田紺屋町日本橋本石町
3神田北乗物町日本橋茅場町
4神田西福田町日本橋人形町
5神田美倉町日本橋小舟町
6神田岩本町日本橋兜町
7神田花岡町日本橋小網町
8神田小川町日本橋蛎殻町
9神田錦町日本橋堀留町
10神田鍛冶町日本橋大伝馬町
11神田多町日本橋富沢町
12神田神保町日本橋久松町
13神田淡路町日本橋馬喰町
14神田須田町日本橋横山町
15神田美土代町日本橋浜町
16神田東松下町日本橋中州
17神田佐久間町日本橋箱崎町
18神田相生町日本橋本町
19神田平河町日本橋
20神田和泉町東日本橋
21神田練塀町日本橋小伝馬町
22神田駿河台
23神田司町
24神田東紺屋町
25神田松永町
26神田佐久間河岸
27神田
28内神田
29外神田
30西神田
31東神田

 もっとあるかと思ったんだですけどね。まだまだ見落としがあるかもしれませんね。微妙に神田が付いていなくて岩本町だけだったり、鍛冶屋というのもあります。
 まだまだこういった江戸の香りのする地名はありそうですね。
[14749] 2003年 5月 6日(火)00:23:39【1】special-week さん
江戸のかほり
[14743]に引き続いて市ヶ谷編を

No市谷と付く地名
1市谷本村町
2市谷台町
3市谷仲之町
4市谷薬王寺町
5市谷柳町
6市谷加賀町
7市谷甲良町
8市谷左内町
9市谷山伏町
10市谷鷹匠町
11市谷八幡町
12市谷田町
13市谷長延寺町
14市谷砂土原町
15市谷船河原町

 市谷も細かく入り組んだ町名がたくさんあります。街並みとしては神楽坂の方が江戸の薫りがするのですが、町名から市谷に江戸のかほりを感じますね。

[14746]
まがみ様
訂正ありがとうございます。地図では見つけているのに、表にするときに落としていたり・・・。郵便屋さんの効率化の気持ちが分かりますね・・・。それでも昔の地名にこだわる私ですが(笑)
[14752] 2003年 5月 6日(火)00:30:23ありがたき さん
あなたが神田、小指が痛い
[14743]special-weekさん
[14746]まがみさん

江戸の薫りを残している地名と言えば、神田と日本橋ですかね。両地区とも神田○○町、日本橋○○町といった呼称になっていて2丁目、3丁目としていないところに私は好感を持っています。住居表示の簡素化は郵便配達などの効率化のために行われたものですが、神田・日本橋は本当に細かく町名が分かれていますね。

その神田○○町、日本橋○○町ですが、実は明治初めにつけられた(というか、つけ直された)町名だそうです。日本の近代化の施策のひとつとして行政区画の概念が西欧から輸入され、東京府も明治4~5年に府の面積85%の地域で住居表示の為に新しい「町名」をつけたそうです。
そのなかで、旧神田地区と旧日本橋地区では一部の例外を除き、神田○○町、日本橋○○町とされたのですが、その命名も旧町名に神田・日本橋を冠したものから、その区域に一色という旗本屋敷が2軒あったので「二色」、そのままだと芸がないので二色→錦で「神田錦町」、「神田」の和訓読み「みとしろ」に漢字をあてて「神田美土代町」など、てきとうなのもあったり、三崎町は神田を冠するのに猛烈に反対して、神田地区にありながら無印の「三崎町」だったり、神田多町には2丁目しかなかったり、興味深いお話がたくさんありますよ
[14761] 2003年 5月 6日(火)04:34:02special-week さん
江戸の薫り
 続いて駒込編
 といっても、駒込界隈の町名は既に消えていますね。ただ個人的に駒込に思い入れがあるので、駒込と付く旧町名を調べてみました。

No地名
1駒込千駄木町
2駒込坂下町
3駒込西片町
4駒込道坂町
5駒込林町
6駒込片町
7駒込曙町
8駒込富士前町
9駒込吉祥寺町
10駒込浅嘉町
11駒込動坂町
12駒込神明町
13駒込動町
14駒込東片町
15駒込追分町
16駒込肴町
17駒込蓬莱町

現在、駒込は豊島区であり、旧町名で駒込と付いているエリアはすべて文京区になっています。本家のみ、豊島区に持っていっていかれてしまいました。それなので、駒込駅付近は、文京区、北区、豊島区の3区の境界線が入り乱れている恰好になっています。
[14784] 2003年 5月 6日(火)19:59:13ありがたき さん
舌っ足らずでした。失敗しっぱい…
[14765]N-Hさん

要するに以前から「町」と「丁目」を併用していた区域は住居表示実施後も「町」と「丁目」を併用しているということなのでしょうか?

まず始めに。わたしの文章、まったくもって言葉足らずでした。スミマセン

今一度整理すると、明治初頭に江戸の「町名」を継承した、現在の千代田区や中央区の町名は、○○町が非常に多い一方で、朱引の外の「府外」ちいきは、大字・小字などの名前を転用したものも多く、○○町はそれほど多くないという状況があります。

わたしが書いた
その名残で「○○町○丁目」といった住居表示があるのではと推測されます。
については、その転用された「○○町」が、住居表示法公布を受けた昭和30年代後半で盛んに行われた町名地番整理の際に住民の強い要望その他で「町」がとれないまま「丁目」がついた、という流れがあったことも含み多く残っているということと補足し、読み替えて頂ければ幸いです。

住居表示法の遍歴については、[14768]TKS-Hさんが詳細に紹介なされておりますね。

なお、東京で昭和の頭に「住居表示」(ここでは前述の住居表示法による表示とは区別して下さい)を定めた際、それらは市、区の事務とされたため、新町名の扱いが均一的でなく、地域によって差が出来たそうですね。その最たるものが千代田区や中央区の「神田」「日本橋」を冠した町名群ではないでしょうか。
また、たびたび変更される町界変更、町名変更でしたが、時の東京市は「東京市公報」にてその都度、新町名にカタカナのルビを入れて告示したそうです。東京市は律儀に事務を行っていたんですね。
[14798] 2003年 5月 6日(火)21:52:53【1】Issie さん
本郷もかねやすまでは江戸のうち
[14611] special-week さん
[14722] ありがたき さん

「江戸の範囲」については,タイトルのような有名な川柳があります。
「かねやす」というのは当時有名な商店の名前で,1986年当時も化粧品・小間物屋として営業中だったそうです(平凡社『アトラス東京 -地図でよむ江戸~東京』,1986年)。だいたい,現在の本郷3丁目交差点のあたりですね。
一般的な認識としては,中山道口の「かねやす」に加えて,甲州街道口の「四谷大木戸」(現四谷4丁目交差点),奥州街道口の「小塚原」(骨ヶ原;現大関横町交差点=地下鉄三ノ輪駅付近),東海道口の「高輪大木戸」(札の辻=現三田3丁目)あたりが「江戸の極まり」というところだったのではないでしょうか。

江戸時代の行政機構というのは,近代以降の行政システムとは根本的な部分から違う原理で営まれていたので,現代の「東京都」なり「23区」なりと同じ感覚で「江戸の範囲」を規定することはできません。
さしあたり,江戸の「町人町」の区域は「(江戸)町奉行」の管轄,郊外の農村部は「勘定奉行」の管轄,という区分があるわけですが,このあたりの線引きは必ずしも体系的ではない。場合に応じて,かなりの異同があったようです。
「江戸」の市街地内でも,お寺や神社の境内は「寺社奉行」の管轄であり,旗本・御家人屋敷は「目付」の支配,大名屋敷は大名自身を介して「大目付」の管轄,というわけで,一体的・一円的な行政が行われていたわけではありません。
「町」というのは本来,町奉行支配下の町人町の区域での「自治」単位の呼称でした(だから,町人町ではなかった武家屋敷地区には「町名」がなかったのです)。
そのようなわけで,「江戸の範囲」というのは時により場合により,さまざまに変動するものでした。

…といっても,それではあまりに不便なので,江戸時代後期になると「江戸の範囲」をある程度確定しておこう,という動きが生じます。
そうして指定されたのが [14722] で ありがたき さんが紹介されている「朱引き内」であり,「墨引」という線でした。
1989年に東京都が発行した「江戸復元図」によれば,1869(明治2)年の「朱引き線」は,以下の点を通過しています(*印は現在の地名)。

芝札の辻~麻布三之橋~麻布仙台坂~*日赤病院下交差点~*青山学院大学キャンパス~*青山通り~*外苑前交差点~*神宮外苑西縁~*新宿御苑東縁~*市谷富久町交差点~*靖国通り~*市谷住吉町交差点~*地下鉄若松河田駅~*大久保通り~*牛込若松町交差点~*地下鉄早稲田駅~*都立新宿山吹高校~江戸川橋~護国寺外縁~*不忍通り~*千石2丁目バス停~*白山下交差点~*白山1丁目交差点~*日本医大病院南縁~*藪下通り~*団子坂上交差点~*谷中小学校角~*日暮里駅~*下谷柳通り交差点~*千束1丁目交差点~*西浅草3丁目交差点~*浅草馬道交差点~*東浅草1丁目交差点~山谷堀~吾妻橋~北十間川~横十間川~小名木川~大横川~仙台堀川~富岡八幡宮外縁~永代橋

…というわけで,品川宿や内藤新宿(新宿)はもちろん,巣鴨や駒込,新吉原(千束)や洲崎(東陽町)の遊郭や岡場所までもが「江戸の外」なのですね。佃島や石川島も「朱引き」の外なのですが,ここは別扱いだったのでしょう。

江戸,というよりも「東京」の範囲がある程度確定するのは明治維新後,「大区・小区制」を経て1878(明治11)年の郡区町村編制法で「東京15区」の範囲が定められてからのことです。
このときの「15区」の外縁は,1889(明治22)年の「市制・町村制」施行による「東京市」の外縁よりもかなりの凹凸のあるものでした(「15区」の外縁は概ね“朱引き線”よりも外側を通過しています)。
たとえば,市制施行後の「東京市深川区」は横十間川をもって南葛飾郡下の亀戸・大島・砂各村に境することになるのですが,それ以前の「深川区」は竪川や小名木川に沿って東へ延びる区域がある一方,横十間川の西側にも「南葛飾郡」に属する村が存在していました。
下谷の根岸や谷中,牛込と早稲田,青山と渋谷の境界や麻布の外縁についてもかなりの出入りがありました。
したがって,「東京市」の各区を編成するにあたって,旧15区の範囲がそのまま継承されたわけではなく,“郡部”に属していた村々の一部が「東京市○○区」に編入される一方で,「東京市」の範囲からはみ出た「旧○○区」の一部は反対に周辺の郡部各町村に編入されています。

そのような意味では,「東京」の範囲が明確に固定化したのは,ようやく1889年の市制施行時点ということになるのかもしれません。
[15080] 2003年 5月 12日(月)00:41:22Issie さん
シクラメンのかほり
アーカイブスのタイトルを見てて気づいたのですが…

江戸のかほり―江戸の面影を残す地名―

実は「かほり」というのは“旧仮名づかい”(歴史的仮名づかい)としては「間違い」です。
旧仮名づかいでの“正しい”表記は「かをり」。
この表記が一気に広まったのは,小椋佳の「シクラメンのかほり」の“功績”なのですが,確か当時も「この表記は間違い」と話題になったように記憶しています。

ま,確信犯ということもあり得るわけですが。

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