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富士市の市制施行日はいつ? 〜富士市の変遷史〜

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記事数=9件/登録日:2003年9月28日/編集者:YSK

静岡県富士市は、吉原市(1948.4.1市制施行)、旧富士市(1954.3.31市制施行)、鷹岡町の2市1町が、1966.11.1に合体して成立しました。市の名前が「富士市」と、最初にあった旧富士市と同じであったため、市制施行日をいつに規定するか悩むところです。本「落書き帳」における議論を整理し、併せて現在の富士市の都市構造についてもまとめています。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[762]2002年1月31日
miki
[7451]2003年1月8日
special-week
[7456]2003年1月8日
実那川蒼
[7465]2003年1月8日
すし
[7511]2003年1月9日
YSK
[19549]2003年9月2日
グリグリ
[19558]2003年9月3日
白桃
[20145]2003年9月21日
グリグリ
[20146]2003年9月21日
YSK

[762] 2002年 1月 31日(木)17:28:15miki さん
760へのレス
静岡県富士市のケース
1948.4.1 吉原市市制施行。
1954.3.31 (旧)富士市市制施行。
1966.11.1 吉原市、富士市、鷹岡町合併で(新)富士市市制施行。
...富士市民にとっては合併しても市名はそのまま。
ただ市域が広くなっただけとしか思えませんね。
[7451] 2003年 1月 8日(水)10:25:33special-week[ヒロオ] さん
歴史の闇に消えた「吉原市」を考える
 市町村合併が進行している中で一番悩むところが市名であると思います。ところで、以前、静岡県には吉原市というものが存在しました。吉原市は、富士市に東隣で、現在は富士市に編入されています。東海道本線の吉原駅が当時の面影を伝えている程度で、そのほかでは特に「吉原市」の存在を残すものはありません。恐らく、静岡県民の中でも吉原市の存在を知らない人は多いのではないしょうか。
 ところで、この吉原市の市制施行は昭和23年4月1日。対して富士市の市制施行は、昭和29年3月31日と富士市の方が6年も後輩です。それにもかかわらず、富士市が吉原市を吸収するような形で消えてしまったのはどうしてなのでしょうか?「富士」というブランドイメージを優先したということは考えられますが、だからといって戦後早々、合併する必要性はあったのでしょうか?疑問です。
 現在、富士市の市街地は吉原駅周辺がもっとも栄えているという話を聞きました。多少、吉原市も救われているのでしょうが、6年も先輩だった吉原市がどうして歴史の闇に葬られてしまったのか?謎です。
 富士市よりも早く昭和26年3月20日に山梨県富士吉田市が市制施行していますが、どうしてこの時に「富士市」を名乗らなかったのかも今となっては不思議です。「富士市」と「富士吉田市」では、明らかに見る人、聞く人に与えるインパクトは歴然としているのに・・・。
 今後の市町村合併でもこういった事態は多々起きるでしょう。しかし、吉原市が合併しなければいけなかった理由というのは、一体何だったんでしょうか?
[7456] 2003年 1月 8日(水)15:44:47実那川蒼[あんどれ] さん
ネームバリュー
遅ればせながら、本年初の書き込みです。皆さん、あけましておめでとうございます。

[7451][7452]
資料を持っていましたので、年表形式で書いてみたいと思います。

年月日動向新市名
1948年(昭和23年)04月01日富士郡吉原町が市制施行吉原市
1954年(昭和29年)03月31日富士郡富士町、田子浦村、岩松村が合体・市制施行(旧)富士市
1966年(昭和41年)11月01日吉原市、(旧)富士市、富士郡鷹岡町が合体富士市

これからもわかるとおり、富士市を構成するすべての旧市町村が富士郡に属しています。
そのほかの理由としては日本一高い山である富士山のネームバリューや、吉原が東京の花街と同名であるために嫌われたのではないかなどとも考えられますが、郡名であることが落としどころになったような気がします。

なお、ほかにある「富士」を含む市は

1942年(昭和17年)06月01日富士郡大宮町、富丘村が合体・市制施行富士宮市
1951年(昭和26年)03月30日南都留郡下吉田町、富士上吉田町、明見町が合体・市制施行富士吉田市

となっています。
富士宮市は埼玉県大宮市(消滅)との同名回避か、通称として「富士宮」の呼称があったのでしょうが、富士吉田市は旧町村に「富士」を冠する町があったからでしょうか。これも富士山のネームバリューだと思われます。

[7448]
「群馬県草津市」とか「奈良県高田市」という間違いもよく見つかります。
前者は草津温泉のネームバリュー、後者は近鉄に高田市駅があることも原因でしょうか。
「○○市(し)」という駅名なのに、その名前どおりの市が存在しないというのも珍しそうです。
[7465] 2003年 1月 8日(水)18:10:52すし さん
富士市
現在の富士市は吉原駅周辺が一番栄えているといっている人がいましたが、まったくの間違えです。
まず、富士市にはJR東海道線、JR身延線、岳南鉄道の三つの鉄道が走っています。
この中でもっともメジャーなのがやはり東海道線。市街地が東西に広がっている静岡県ではこの東海道線を中心に市街地が構成されているといっても過言ではありません。対して、身延線は山梨と富士駅を結ぶもの、岳南鉄道は、吉原駅と旧吉原市街地をむすぶもの、この二つははっきりいってローカル線です。吉原駅と旧吉原市街地が離れている理由は、もともと市街地は吉原駅周辺にあったが過去の洪水だか津波だかでやられてしまったというのが何回かあったためにもう少し内陸に作ろうとして移動したらしいです。
現在の吉原駅周辺は、はっきりいって栄えていません。市内の東海道線駅はほかに富士駅、東田子の浦駅がありますが、この三つで一番栄えているのは富士駅です。これは誰がどう見てもそうだと思います。
しかし、現在の中心はこの中のどこにもありません。富士駅、吉原駅、旧吉原市街地、これらから同じくらいの距離のところに現在の富士市役所があり、その周りには、文化センターなどの施設もあります。このあたりはきれいで広い道路があり、ここ数年開発されどんどん変わっています。
つまり現在の富士市はどの駅にも市の中心市街地はなく、もう少し内陸にあるのです。
ちなみに、新幹線駅の新富士駅周辺もあまり発展していません。
あと、もともと富士市は豊富な富士山の地下水を利用した工業都市なので商業はたいしたことありません。
しかし、富士市は現在人口も増え続け、長らく静岡県東部地方の中心商業都市として栄えてきた沼津市よりも注目されています。

あと、吉原の名残を残すものは、吉原駅だけではありません。富士市にある公立高校は、富士高、富士東高、吉原高、吉原工業、吉原商業と吉原の名のついた高校の方が多いのです。

皆さんのご意見待ってます。
[7511] 2003年 1月 9日(木)22:36:31YSK さん
富士市の都市構造について
[7452]にて、富士市が編入合併ではなく対等合併であったことを指摘し、その後の都市構造の変遷をレスると公言しておきながら、やはり実際に行ったことがない場所について的確に表現することは無理だと思いレスを断念し、[7452]を削除してしまったのですが、[7465] すしさん が意見を募集していたことにレスがつかないようでしたので、やはり微力ながらこの点について書いてみようかなと思い直しました。

以下の内容は、片柳勉(2002)『市町村合併と都市地域構造』古今書院 のなかで述べられていることに準拠します。私が実際に見て感じたものではありません。予めご了承いただきたいと思います。

まず、富士市の沿革につきましては、[7456]あんどれさん が詳しく述べられているとおりです。

<この地域が合併に至った経緯>
1950年代後半から、同一の社会・経済基盤を持つ地域であり、1つになって一体的な地域開発を行っていくことが望ましいとする声が、商工業団体から出始める。しかしながら、旧富士市と吉原市との確執から遅々として進まなかった。この合併話が前進した大きな要因は、1964年の工業整備特別地域への指定(東駿河湾地区)で、これにより再び合併への機運が高まった2市1町は、翌年に合併協議会を組織し、1966年11月に新・富士市が発足した。

<新市名・新市庁舎の市について>
新市の都市計画の方向性についても、旧富士と吉原との確執が大きく影響した。新市名については、旧富士、吉原双方とも自市名を新市名に採用するよう主張したが、鷹岡町に調整を依頼し、最終的に「富士」に落ち着き、吉原は譲歩をした。その一方で、新市庁舎については旧富士と吉原の中間を流れる潤井川左岸の吉原よりとし、新市庁舎の位置では旧富士が吉原に譲歩する形で決着した。

<中心市街地の成長の度合い>
このことについては、[7465]すしさん の解説にある「新市街地の形成」は重要なキーワードであるようです。

>富士駅、吉原駅、旧吉原市街地、これらから同じくらいの距離のところに現在の
>富士市役所があり、その周りには、文化センターなどの施設もあります。このあ
>たりはきれいで広い道路があり、ここ数年開発されどんどん変わっています。

潤井川左岸、吉原の中心市街地の西側のこの地域が、新・富士市の新しい市街地として集中的な資本投下が行われたようです。これは、旧富士と吉原(と鷹岡)の中心地を有機的に結びつけて、多極的な中心地構造を解消することが企図され、合わせて既存市街地の再開発や、市内の工業開発をも推進しました。この新市街地の形成により旧市街地の中心性は相対的に低下したものの、旧富士、吉原の両市街地はこの新しい市街地を解して連接するに至った。93年には拠点都市地域に指定され、新富士駅周辺の再開発事業が新規に追加され、より分散的な中心地構造へと移り変わりつつある。

以上整理しますと、旧富士・吉原両市(及び鷹岡町)の対等合併により成立した富士市は、既存中心地間に新市街地を形成することにより既存中心地間の連接を目指す一方、既存市街地の再開発や市内における工業開発を進めてきた。その結果、旧富士・吉原(・鷹岡)を中心とした都市構造は、合併後の都市計画による開発の結果、分散的な都市地域構造へと変化しつつある、とまとめられそうです。
[19549] 2003年 9月 2日(火)23:42:44オーナー グリグリ
富士市の市制施行日
[19533] 白桃 さん
宇治山田、若松(福島県)、コザ、秋川、更埴は周辺町村と合併し、市名変更。
即日改称を除き、宇島、挙母、鳴南、赤間関、東葛、三本木、大湊田名部は単なる改称。(またもれているかもしれませんが)これらとは違って、複数の市がからむ合併により名前が消えた市は41あります。
こういうときは雑学ページをぜひともご利用ください。
http://uub.jp/zat/missing.html 「消滅した市」
「複数の市がからむ」消滅市は確かに41市です。
ところで、このページでは消滅を4つに分類しています。
1. 都政移行による消滅(東京市)
2. 合体による消滅
3. 編入による消滅
4. 改称による消滅
宇治山田市、若松市は4.の改称に、コザ市、秋川市、更埴市は2.の合体に分類しています。この違いは、市制施行日を何時にするかのポイントになっています。すなわち、2.の合体による消滅の場合は、新たに市が生まれたという解釈で市制施行日は合体日に改めますが、3.の編入と4.の改称の場合は、市制施行日はそのままとしています。この分類に至る経緯は古典(?)アーカイブ「市制施行日に明確な定義はあるか?」 http://uub.jp/arc/arc3.html に詳しいです。

ただし、旧富士市はこの数にはいっておりません。
重箱隅かもしれませんが気になるのでお聞きします。なぜ富士市だけとくに断ったのでしょうか。理由が知りたいです。「旧富士市」を言うなら「旧舞鶴市」から始まって「旧静岡市」まで多くの該当例があると思います。吉原市の方が市制施行日が古いからでしょうか。でも何故?。

ところで、上記アーカイブにも入っている [767] にも書きましたが、富士市の市制施行日についてはやはり吉原市の市制施行日に改めようかと思っています。
[19558] 2003年 9月 3日(水)00:50:25白桃 さん
富士市と吉原市
[19549]グリグリさん
こういうときは雑学ページをぜひともご利用ください。
そうですね。ここを見れば一目瞭然。寝ないで数えなくても良いですね。笑)白桃は旧式人間なので、人口順にならべる場合でも、エクセルを使わず手作業で並び替えるのが好きなのです。そうしないと、漢字とか人口を覚えられない。解かっちゃいるけどやめられない、というやつです。
さて、
なぜ富士市だけとくに断ったのでしょうか。
の件ですが、新「富士市」は旧「富士市」の「富士」をそのまま引き継いだのではないと考えたかったからです。合併前の人口(1965年)でも吉原が90,224人、富士が53,247人で吉原が圧倒。そして新「富士市」のコードは旧「吉原市」のコードを引き継いでいませんか?人口だけでいえば、消滅した東舞鶴市が舞鶴市(いわゆる西舞鶴)よりも多かったので、これも向正面の審判から「物言い」がつきそうなのですが、まあ、どちらにしても「マイヅル」に変わりないのだから。(ちょっといい加減ですが)それに、東舞鶴は中舞鶴町と新舞鶴町が合併して市制をしいた、いわば成り上がりモノ、それに較べ、旧「舞鶴市」は由緒正しい。要するに、舞鶴の場合は旧「舞鶴市」が本流、富士の場合は旧「吉原市」こそ本流と認める白桃なんです。(自分でも何言よんのか、ようわからん)
[20145] 2003年 9月 21日(日)22:28:29オーナー グリグリ
富士市と舞鶴市の市制施行日を変更しました
[19549] 自己レス
ところで、上記アーカイブにも入っている [767] にも書きましたが、富士市の市制施行日についてはやはり吉原市の市制施行日に改めようかと思っています。
この件、相当悩んだのですが、結局、吉原市(1948.4.1)、旧富士市(1954.3.31)のいずれの市制施行日でもなく、旧富士市が吉原市と鷹岡町と合体した1966.11.1を市制施行日とすることにしました。このケースはどちらかというと新しい富士市を3市町で始めるという合体であったように思います。たまたま新市名を旧富士市と同じ名前を採用したという解釈です(富士と言う名が捨て難かったのでしょう)。決め手となったのは富士市の公式HPに11月1日を市制施行記念日とする記述があったことです。

となると、舞鶴市、倉敷市、福山市なども微妙になってくるのですが、長野市なども含め公式HPを確認してみました。舞鶴市の場合はやはり東舞鶴市と合体した日を市制施行日としているようです。倉敷市、福山市、長野市などは合体以前の各々の市が最初に市制施行した日を市制施行日としているようです。

ということで、舞鶴市についても市制施行日を1943.5.27としました。
#何か長年のもやもやがすっきりした気分です(f^^;
[20146] 2003年 9月 21日(日)22:40:27【1】YSK[両毛人] さん
富士市の市制施行日について
[20145]グリグリさん
旧富士市が吉原市と鷹岡町と合体した1966.11.1を市制施行日とすることにしました。このケースはどちらかというと新しい富士市を3市町で始めるという合体であったように思います。
これは、私もそれで妥当と思います。富士市の合併につきましては、[7456]あんどれさん が「合体」という前提で紹介されているほか、 拙稿[6829][7511]においてもご紹介いたしました。

片柳勉(2002)『市町村合併と都市地域構造』古今書院 という文献があるのですが([7511]にて紹介しております)、その中で富士市のケーススタディが紹介されており、現在の富士市が、旧・富士市、吉原市、鷹岡町の対等合併であったことが述べられております。

たまたま新市名を旧富士市と同じ名前を採用したという解釈です(富士と言う名が捨て難かったのでしょう)
このことにつきましても、同書では、

新市の都市計画の方向性についても、旧富士と吉原との確執が大きく影響した。新市名については、旧富士、吉原双方とも自市名を新市名に採用するよう主張したが、鷹岡町に調整を依頼し、最終的に「富士」に落ち着き、吉原は譲歩をした。その一方で、新市庁舎については旧富士と吉原の中間を流れる潤井川左岸の吉原よりとし、新市庁舎の位置では旧富士が吉原に譲歩する形で決着した。

とまとめています(同書の内容を読み、両毛人が要約した文章です。[7511]に書いております)。

・・・すみません、もっと早く書けばよかったですね・・・。チェック不足でたいへん失礼いたしました・・・。

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