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キーワード「大隈」を含む記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[10442]2003年3月5日
KMKZ
[9212]2003年2月14日
Issie
[7947]2003年1月20日
夜鳴き寿司屋
[7946]2003年1月20日
深海魚
[7942]2003年1月20日
はやいち@大内裏
[7661]2003年1月13日
深海魚
[6805]2002年12月22日
YSK
[6683]2002年12月19日
深海魚
[5976]2002年12月6日
深海魚
[5401]2002年11月25日
深海魚

[10442] 2003年 3月 5日(水)06:04:49KMKZ さん
まとめてレス
[10421] 雑魚 さん
ここも県立男子校ですな。
女性にもてなかったもので男子校に逃避していました。(笑)
ところで私の出身校を埼玉の「○○高校」とすれば西の愛媛は「○○東高校」、名前だけ比較すると埼玉の方が本家みたいですよね。

[10406] Issie さん
厚木に住んでいる人にさえ,自分のところが「あの長州藩」の毛利氏と因縁のあるところだということが知られていないかもしれませんね。
新住民が多いでしょうし、余程の歴史好きでなければ興味ないでしょうね。
ところで長州の毛利氏と来れば、次は薩摩の島津氏です。島津氏は鎌倉幕府から派遣された守護がそのまま幕末まで大名として続いた数少ない例だそうですが、こちらは派遣先の大隈国島津庄に由来するそうですね。

[10340] 黒髪(ふらんそわーず) さん
氏名の読み方(ふりがな)についてですが,「戸籍法」にも「住民基本台帳法」にも規定がありません。(中略)法律に根拠のないことなので「読み方が間違っている」と役所に文句を言えばすぐに変えてくれるはずです。
氏名の読み方を変えても構わないとは目から鱗でした。
[9212] 2003年 2月 14日(金)21:38:45Issie さん
「ひ」の国
[9192] utt さん
[9193] YSK さん

いやぁ,つい柄にもなく「ミュージックステーション」を視てしまいました。
お目当ては テツ&トモ。
でもやっぱり,NHKの「爆笑オンエアバトル」ほど面白くなかったの,「何でだろう」。

というわけで,utt さん の「何でだろう」。
肥前、肥後はどうなのでしょうか?

「肥前・肥後」に分割されるのは8世紀に律令国制が整備される過程のことで,それ以前は YSK さん のお答えの通り,「ひ」と呼ばれていたようです。
「古事記」の冒頭にある有名な「国生み神話」に次のような説話があります。
・イザナキ,イザナミの男女2柱の神が“天つ神”の言葉(命令)を受けて結婚し,日本の国土を生んだ。
・その中の1つが「ツクシ(筑紫)の島」である。
・「ツクシの島」には4つの顔がある。
・1つは「ツクシ(筑紫)の国」,名は「シラヒワケ」。
・1つは「トヨ(豊)の国」,名は「トヨヒワケ」。
・1つは「ヒ(肥)の国」,名は「タケヒムカヒトヨクジヒネワケ」。
・いま1つは「クマソ(熊襲)の国」,名は「タケヒワケ」。

というわけで,ここでは「ツクシの島=九州」が「ツクシ」「トヨ」「ヒ」「クマソ」の4つの地域に分かれる,としています。

で,律令国制では,このうち「筑紫(つくし)」が「筑前」「筑後」,「豊(とよ)」が「豊前」「豊後」,「肥(ひ)」が「肥前」「肥後」に分割されたということになります。
「古事記」に記載された名前によれば,「日向(ひむか→ひゅうが)」も「ヒ」から分かれたようにも感じますが,実のところはどうなのでしょう。
南九州の「薩摩」「大隈」,つまり古事記の言う「クマソの国」が“ヤマト”の支配下に完全に入るのは7世紀から8世紀初めにかけてのことです。

もっとも,日本語では「ひ」という一拍の単語は極めて不安定です。「ひのくに」という形になって初めて安定するように思われます。
それは「き(紀)」が地域呼称としては極めて不安定で,「きのくに」という形にするか,あるいは奈良時代の「地名はすべからく“縁起のいい漢字2文字”にすべき」という詔勅に基づき,「紀伊」と2拍に引き伸ばされたのと同じ事情があるのだろうと思います。
ただ,幸いなことに「ひ」の場合は,「肥前」「肥後」に分割され,それぞれ「ひぜん」「ひご」という“安定”な形を獲得したので,「きぃ」のように延ばす必要はなかった。

雲仙岳、阿蘇山のある地域が「火の国」

私もそのように思いたいと思っているのですが,何分「ひ」だけではあまりにも語の形が単純すぎて,本当のところの語意を探り当てることは難しいのではないかと思います。

ところで,「ひ」というのが後の「肥前」「肥後」両国をあわせた全域をさす名称であったかと言うと,そうではなかったように思います。
肥前の北半分は,現在の佐賀・長崎両県にまたっがて全体が「松浦郡」ですね。「まつら(マツロ)」というのは「魏志倭人伝」にも登場する,たいへんに古い地域呼称です。
また,肥後の南部の「クマ(球磨)」というのも一定の地域的まとまりを持つものであったような感じがしますね。
これら「マツラ」や「クマ」というのは,もともと「ひ」とは“別の国”であったのではないか,そんな気もします。
律令国制以前に「国造」制が整備されたとき,「火国造(ひのくにのみやつこ)」というのが現れますが,その支配地域は後の菊池郡を中心とする肥後(熊本県)北西部であったようです。

で,この「松浦郡」を削除すると,肥前は主に有明海側斜面ということになります。
この有明海沿岸地域,今のように陸地が拡大するのは干拓の進んだ近世以降のことですよね。
それ以前の有明海は今よりも大きかったし,当時の土木技術では乱流する筑後川のそばに接近することなどとてもできなかったことでしょう。
とすると,マツラ地域を除いた肥前南部と筑前・筑後との交通は容易ではなかったかもしれません。
むしろ,YSK さん の言われるとおり,天草・島原を媒介とするつながりがあったのかもしれない。
(そういえば,雲仙の火山活動が激しかった頃,昔の火山活動を表す言葉として「島原大変・肥後迷惑」というのが紹介されていましたね。江戸時代に雲仙が噴火したとき,もちろん直下の島原が直接の被害を受けたわけだけど,この噴火で島原の山体が崩壊して有明海に流れ込み,そのせいで発生した津波が対岸の肥後に大きな被害をもたらした,というお話。これは自然災害だけど,こんなことも含めて肥前と肥後の関係は密接ですね。)

とは言え,律令制を導入するに当たり「国」を再編する過程で,「ひ」は2つに分割された。その際,有明海が「分割された“ひ”」の境になったけど,「遠の朝廷(とおのみかど)」たる大宰府を基準に考えて,より近い位置にある現在の佐賀・長崎県域が「肥前」,より遠い現在の熊本県域が「肥後」なったのだろうと考えています。

分割された「肥前」の国府は現在の佐賀市付近,「肥後」の国府は現在の熊本市付近に置かれました。
都(平城京)を起点とする“官道”たる「西海道」は,現在の鳥栖付近で二手に分かれ,1本は肥後国府すなわち現在の熊本方面へ,もう1本は肥前国府すなわち現在の佐賀付近を通り,大村・諫早・島原から現在のフェリー同様に有明海を渡って熊本へ到達していたようです。
[7947] 2003年 1月 20日(月)09:00:13夜鳴き寿司屋 さん
大隈半島を巡る鉄道
[7942]はやいち@西国管領 さん

大隈半島ですが、かつては鉄道が走っておりました。日豊本線国分駅から鹿屋を巡り日南線志布志迄行く「大隈線」です。結局は国鉄改革の一環として1987年に廃止された路線ですが全通してからわずか15年目のことでした。鹿児島市と鹿屋市を結ぶ幹線鉄道ですが鹿児島湾をぐるっと廻る為に鹿児島湾を渡る船便の方が速く移動出来る致命的な欠点がありました。また沿線人口が少ないうえに自動車の普及率が高いために鉄道があまり利用されなかった事が廃止につながった理由だと思います。

 鹿児島県内では廃止路線として志布志線(宮崎県西都城~志布志)、宮之城線(川内~薩摩大口)、鹿児島交通南薩線(伊集院~枕崎)などがあります。
[7946] 2003年 1月 20日(月)08:56:47【1】深海魚[雑魚] さん
秘密基地
[7942]はやいち@西国管領さん
大隈地方には一部を除き鉄道が走ってませんが、何故なんでしょう?
1987年までは、志布志-鹿屋-垂水-国分に大隈線という国鉄線がありました。日南線と併せて
海岸寄りを網羅する格好でしたが、広域間の都市移動としては今ひとつ機能していなかった模様で、
暫定開通区間が一本の路線に繋がってから廃止されるまでの期間は、僅か 15年でした。西都城-
志布志を結んでいた国鉄志布志線の廃止時期も同じ頃と記憶します。

[7943] ニジェガロージェッツさん
原潜基地としての 「ムルマンスク」 の名前は、映画 「レッド・オクトーバーを追え」 や漫画 「沈黙の
艦隊」 で散見されますね。核の街として報道された 「セミパラチンスク」 は該当するのですか?
[7942] 2003年 1月 20日(月)01:53:40はやいち@大内裏[はやいち@西国管領] さん
ネジメ。
[7933]てつさん

大隈地方には一部を除き鉄道が走ってませんが
何故なんでしょう?
どなたかご存知ではありませんか?
[7661] 2003年 1月 13日(月)17:02:27深海魚[雑魚] さん
桜島
本日、久々にNHK 「昼どき日本列島」 を観たところ、鹿児島-桜島のフェリーが紹介されていました。
番組案内役が桜島行のフェリーに同乗する趣向でしたが、いつ見ても雄大な風景ですね。これを見て
「今まで知らなかったのか?」 と笑われそうですが、以下の点について初めて勉強になった次第。

○ フェリーは桜島町営で、同町居住者が優先的に採用される事。
○ 日中の運行頻度は10-15分おきと高く、深夜ないし未明でも一時間間隔で運行されている事。
○ 桜島と大隈半島の接点は、大正年間の噴火に伴う溶岩流の結果、陸続きになった事。

三点目について、桜島の東半分が鹿児島市に属する事と、溶岩流で 「新陸地」 が出現した事の間に
因果関係はないものかと、ふと考えた雑魚でした。ちなみに、「新陸地」 付近を通過していた大隈線は、
全通が 1972年、廃止が 1987年と、僅か 15年の短命路線だったのですね
[6805] 2002年 12月 22日(日)17:37:39YSK さん
国分市と鳥栖市
[6679]てつさん
>福岡県鳥栖市と同様に鹿児島県国分市も物流拠点として成長してると思います。
>鳥栖市と国分市は人口規模も近く共通点も多いように思われますが、成長性とい
>う点ではどちらが上なんでしょうか?

レスが遅くなってしまい、申し訳ございません。
詳しくは、[6683]にて雑魚さんが的を射た解説をされていらっしゃいますので、省略させていただきますが、私も鳥栖市のほうに軍配を上げたいですね。

理由としては、以下の点が考えられますね。
(1)鳥栖市は、大都市福岡の郊外化を受けている。
 国分市は、鹿児島市の都市圏からは、相対的に独立した土地柄のように思われます。
(2)後背地域の需要量の差
 物流拠点と見た場合、鳥栖市の後背地域は、長崎県、佐賀県、福岡県南部、大分県となりますが、国分市の場合は、鹿児島県と宮崎県のみとなり、需要量に相対的な差がある。

もちろん、[6683]における雑魚さんのお話
>県都と空港を結ぶ高速道路の途上で、大隈半島への入口を兼ね、平坦地が展開する度
>合が大きい錦江湾の最も奥まった加治木、隼人、国分の一帯は、将来性が期待できる
>様に思えます。
については、私も同感ですし、その意味で国分市や隼人町一体の地域は拠点性に優れ、重要な地勢であると思いますよ。

鹿児島から特急に乗って、宮崎まで移動したことがありますが、桜島の威容のもとでのシラス台地の豊かな景観や、霧島山系の眺望などが本当に美しかったですね。
[6683] 2002年 12月 19日(木)18:50:34深海魚[雑魚] さん
鹿児島県雑感
[6679] てつさん
鹿児島県で人口、交通体系、行政機能など集積性が最大なのは文句無しに県都・鹿児島市ですが、
市内から列車で発つと、鹿児島線は松元町にかけ薩摩半島基部の丘越えがあり、日豊線は磯庭園
以遠のシラス台地が迫る急峻な海岸 (大雨に伴う竜ヶ水駅の被災は記憶に新しいところ。) が続き、
平坦地の連続性といえば、指宿枕崎線と鹿児島市電が並行する谷山方面に向けてのみ。それゆえ、
県都と空港を結ぶ高速道路の途上で、大隈半島への入口を兼ね、平坦地が展開する度合が大きい
錦江湾の最も奥まった加治木、隼人、国分の一帯は、将来性が期待できる様に思えます。

一方、九州新幹線の暫定開業後、八代-鹿児島間で駅設置予定地が水俣および川内のみとすると、
鹿児島県内で 「つばめ」 が停車する自治体のうち、鹿児島市のベッド・タウンの性格が強いと思しき
伊集院町を除く出水、阿久根、串木野の三市は、高速道が無い事も相まって、今後の位置付けには
微妙なものを感じます。新幹線の暫定開業時点で鹿児島線の八代-川内は、貨物列車の対策から
電化施設は残すものの、三セク化の上で 「非電化」 化されるとか。正式開業までは 「つばめ」 の
八代以南を快速として鹿児島に直通させる措置があっても良い様に感じたのですが。

上記地域と鳥栖との比較については、周辺の人口分布や、南北軸と東西軸の高速道の交点にして
鹿児島線と長崎線の分岐点たる要衝性に鑑みて、鳥栖に軍配を上げたいところです。
[5976] 2002年 12月 6日(金)01:39:56【1】深海魚[雑魚] さん
レス諸々
[5940] startさん
>「九州」という言葉には屋久島も含まれるのでしょうか?
「九州」 の構成内容は、[5943] の般若堂そんぴんさんの指摘の通りかと思います。そして、
屋久島や種子島が 「大隅諸島」 と呼ばれている事から、大隈ひいては九州に属するという
論法になるのでしょうか。

[5946] eternalさん
>北九州市が政令指定都市になった時点で、政令指定都市=都会ってのは崩壊
遠賀川以東で沿線に市街の連続性が見られる鹿児島線の門司港-水巻 30km強を以って
都会に非ざるとなれば、都会の定義とは何か、と腕組みしてしまう、田舎在住の雑魚でした。

[5950] せかさん
御教示頂き有難うございました。アーカイブズの過去ログ内容に反映させたいですね。

[5952] ヒロオさん
>いまだにハチ公前で待ち合わせする人多いようですね。
私の定番は 「上野駅 13番線の車止め」 でした。女房は思い切り引いてましたね。(笑)

[5955] 松戸さん
コテコテの水戸人民である私は勿論、後者ですよ。(笑)

>方言喋られる人を羨ましく思います。
一口に方言と言っても、世代差によるギャップは大きいものです。カッペ丸出しの私ですら、
古老の言い回しには聞き取れないフレーズが少なくありませんから。東京出身で、秋田に
婿入りした知人の場合、電話応答に慣れるまでに三年以上を要したそうで、苦労した事と
拝察申し上げます。

>私的には、関西圏の方言が好きです。
私も在京時代、周囲に関西出身者が多かった為、あの独特の雰囲気は御馴染みでした。
ちなみに、威嚇的な意味合いで機関銃の如く発せられる河内弁は迫力でしたね。

[5958] いなさん
>自動車優先の体系であることから
全てはそこに収束するのでしょうか。東海交通事業の勝川駅の場合、将来の配線事情に
含みを残し得る準備工事の類かと拝察しているのですが。

[5964] YSKさん
問壱ではいきなり別解が提示されました。私の想定は、山間の街でした。

問弐、参、五、八、九、十は大正解、さすがですね。もう少し難儀して欲しかった。(泣)

問四はですね、例えば仙台市を連想して下さい。海岸線と県境線が全く接点を持たずに
延びていますよね。そうした例に該当する市同士が隣接している箇所があるのです。

問六は言葉足らずでした。物理的な領域での連続性を基準としました。それにしても、
豊岡の事例は意外でしたね。これはこれでチェックせねば。

問七は、過去ログで若干のウンチクが交わされた市です。

[5965] 関西人さん
秋田美人のルーツは、常陸国大名だった佐竹氏が国替えで出羽国に赴く際に同行させた
女性陣であるとする俗説は根強いです。しかし 「それゆえその後の茨城では ……」 という
論法は失礼千万ですね。(笑)

[5967] NSKさん
弐と五は別解で正解です。ああ、肝心の地元の該当例を失念していたとは ……

[閑話休題]
昨日、大子町に赴く用事がありまして、帰途大宮町の書店に寄ったところ、白石美帆嬢の
カレンダーが発売中で、傍らには 「大宮町出身」 との手書きポップ広告。おお、大宮町か。
馴染みが深い所だし買おうかな、と思ったら、「忍風戦隊ハリケンジャー」 で御馴染みの
山本梓嬢の写真集や 「ゴルゴ 13」 の新刊も発売中ではありませんか。今月の忘年会は
あと五回。予算配分に悩んだ挙句、結局何も買えなかった情けない雑魚でした。
[5401] 2002年 11月 25日(月)22:33:08深海魚[雑魚] さん
雑魚の役に立たない狂養問題/芸能人名編
[5388] いなさん
げげ、もう解かれてしまった。もう少し手間取る事を期待していたんですけどねえ。正解者には
豪華な粗品を、などと真面目に考えていましたが、危ない危ない、撤回します。(笑) それは
そうとして、余りにも早く解かれてちょっと悔しいのでもう一問出題。

例題の様に、併記した道・県内の郡市町村名を組み合わせて、語呂から芸能人名を構成せよ。
ただし、出題者が中年予備軍世代である事から予想される人選のセンスに留意せよ。(笑)

例題)福島県愛媛県大隈重信」(大熊町 + 重信町)
例題)長野県福岡県「北野たけし」(北野町 + 武石村)
問壱)山口県長崎県
問弐)青森県愛媛県
問参)山口県大分県
問四)北海道徳島県
問五)茨城県新潟県
問六)山形県埼玉県
問七)埼玉県静岡県
問八)岩手県高知県
問九)長野県愛媛県
問十)兵庫県広島県


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