昨晩の「某公共放送」のTV番組で、「
加賀藩の参勤交代」にまつわる話が放映されていました。金沢から江戸までの道中、難所も数々。黒部川の河口辺り、扇状地が広がる一帯は、かつてはいくつもの流れに分かれ、洪水の常襲地帯として名高く、長期の足止めも多かったとか。「それならいっそのこと、川を遡って川幅の狭い谷あいで渡ったら…」というわけで、河口から13kmほども遡った
愛本に橋を架けて渡る、という方策を立てました(
[50179] 今川焼 さん)。この橋は「愛本刎橋」と言われ、「日本三奇橋」の一つに数えられたと言いますが、明治時代に水害で流失し、それ以後再建されていません。この「刎橋」のあった頃の写真は、
こちらに出ています。
♯「日本三奇橋」のうちの二つは、いずれも架け替えられているとはいえ今も現役の錦帯橋と猿橋でまず確定ですが、残る一つがどれなのかは諸説があります。古くから知られていたのは「木曽の桟」(
この辺り)ですが、こちらも既に江戸時代に橋は失われ、名残の石垣だけが残るとか(
上松町HPより)。現在、最有力とされるのは「祖谷のかずら橋」を指す、と言う説だとか。
…「日本三大」談義、過去にありましたね(
こちら)。
さて、黒部川を越えると、次に控えるのは「東西の方言・文化をも分ける」という天下の険、「親不知」。加賀藩の参勤交代でも、このような相次ぐ難所越えで、悪天候で旅程が大幅に遅れることもしばしば。番組の中では、この旅程の遅れで、当初予定していた能生での宿泊をキャンセルし、先を急ぐことに。このキャンセルを巡って「違約金」騒動も…。
♯「能生」での騒動と言うと、「オールド鉄ちゃん」の域に近づきつつある私は、
「白鳥」停車騒動を思い浮かべます。当時単線だった北陸線のこの区間、上りと下りの「白鳥」が列車交換のため、この能生駅で客扱いをしない「運転停車」をするダイヤになっていたのを、どこでどう伝わったのか、「本当の停車」と勘違いした大騒動が起きたという、半ば「都市伝説」のような嘘のような「笑い話」があったということなのでした。
この番組の中では、殿様の道中の携帯品として、旅程計画を立てるための「道具」として縦横と斜めの線を組み合わせた升目で構成された、道中での宿泊地を決めるためのいわば「ダイヤグラム」のようなものや、道中の道筋が描かれた扇子などが映像で紹介されており、また殿様が宿泊する「本陣」の様子を知る映像として、加賀藩の道中とは関係ないものの、東海道中に残る、江戸時代の本陣の姿を今に伝えるものとして貴重な建物「
草津宿本陣」とその内部の映像も紹介されていました。