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ekinenpyouさんの記事が10件見つかりました

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[99937] 2020年 6月 26日(金)20:20:09ekinenpyou さん
越後府(初代)の管轄区域など
思いつき小ネタを投稿しておきます。

(越後府について)多くの方はご存知と思いますが(明治)維新期に越後国(新潟県)に存在していたもので、
詳細は[75457] [75459]hmtさんなどを参照のこと

さて、その管轄区域は越後府 - Wikipediaでは
7月27日、柏崎県(第1次)が設置され、8月5日にその管轄区域が越後国南半の頸城郡・刈羽郡・魚沼郡内の旧幕府直轄地および新政府の没収地などとされた。これにより、越後府(第1次)の管轄地域は越後国北半の三島郡・古志郡・蒲原郡・岩船郡となった。

ということですが
公文録(三島郡外四郡管轄ノ儀達)
三島・古志・蒲原・沼垂・岩船郡(5郡)
法令全書(慶応4=M1.9.3・715)
三島・古志・蒲原・沼垂・巖船郡(5郡)

では上記の通りで、どこかで見た表記ゆれが・・・という点は置いておき、
注目したいのは三島・古志・蒲原・岩船4郡の他※沼垂郡を加えた5郡が管轄区域とされている点でしょうか。

※沼垂郡とは?詳細は過去ログでうまく見つけられませんでしたが
新潟市の歴史(古代)沼垂郡 - Wikipediaに解説があります。

実態として蒲原郡の一部であるという解釈で例えば天保国絵図でも蒲原・岩船郡のみの色分けとなっております。
(三島・古志郡はこちら)

なお※新潟県史(8コマ左)には沼垂郡の記載に関する考察があり、復古記(右)の注にも引用され、
(達書は誤りで)4郡が妥当との解釈です。

※(達書)を改ざんせず原文掲載とあり、例えば「岩船郡」は「岩舩郡」と書かれていた???

そもそも、なぜ「沼垂郡」が記載されてしまったのか?
個人的な推測としては新政府の行政官が※国郡全図(市川東谿作)のような越後国を8郡としている
(幕末期の)資料を元に郡名を記したものと思われる。

同図には「沼垂郡」も記載されている。(凡例はこちら)

【以下、蛇足】[72041]伊豆之国 さん
鈴木良徳氏(栃木県岩舟町出身)の著書に「時刻表マニア」(昭和48年発行)というのがあります。この本を読むと、著者が小学生時代(明治末期)に「汽車・汽船旅行案内」という本を愛読し、
東海道線の新橋から大阪・神崎・西ノ宮・住吉・灘・三ノ宮・神戸までと、信越線の加茂・羽生田・矢代田・新津・亀田・沼垂・新潟までを暗記していた

生粋の鉄道マニア?と思われそうですが・・・こんな人でした。
[99928] 2020年 6月 23日(火)19:15:42ekinenpyou さん
「畑」と「畠」(補足編)
拙稿[99926]の続きです、以下に特徴的な3例(村名に「畑」と「畠」を含むものの資料ごと表記)を示します。

番号天保郷帳郡区町村一覧地方行政区画便覧M22.4.1町村制施行新旧対照市町村一覧5万図(図歴番号)現状(地理院地図)
【1】小畑村(8コマ)(4列5行)(7列3行)小畠村(左側の三浦村)(左下)小畑・鶴川(120-7-2)(北西部の三浦村)(豊後高田市)小畑
【2】菅畠村(92コマ)←古志郡の(8列5行)(6列2行)菅畑村(中央右側の前東谷村)(左上)菅畠・守門岳(73-16-3)(北西部の※東谷村)(長岡市)菅畑
【3】小畑村(59コマ)←神石郡の(3列4行)←神石郡の(3列4行)(中央左側)・合併なし(右下)小畠村・油木(109-12-2)(南西部の小畠村)(神石高原町)小畠

表中の「←」は左の資料と同じ表記
M34.11.1合併で東谷村

以下、各番号ごと簡単に要約
【1】M22.4.1合併時県令に記された「小畠」の表記ほとんど定着せず?
郵便区画町村便覧(M22.4調査)(中央右側の三浦村大字)でも「小畑」と書かれている。

【2】(戦前地形図は「菅畠」だが)M22.4.1合併時県令に記された「菅畑」が徐々に定着?

【3】年代が進むと徐々に「小畑」から「小畠」が幅を利かせているようにも思われるが、
(天保郷帳 天保国絵図でも表記ゆれがあり)判断が難しい
「小畑」表記例・広島県小誌
「小畠」表記例・天保国絵図(神石郡の中央部)、神石郡地誌広島県史

郵便区画町村便覧(M28)では「小畠郵便局」「小畑村」とどっちつかずの表記
S17.4.1新設合併時は「小畠村」S17.3.26官報広告右下(町村廃置3番目)
町村制施行以降に(高畑→高畠町のような)小畑→小畠村という改称履歴はみあたらず。
[99926] 2020年 6月 21日(日)10:02:47ekinenpyou さん
桐畑村→桐畠村など
[99923]むっくん さん
236 新設/村制 鳳至郡柳田村 鳳至郡 鴨川村, 国光村, 石井村, 柳田村, 桐「畠」村, 笹川村, 長尾村, 鈴ヶ嶺村, 小間生村
桐畑村→桐畠村


以前どこかで見たようなネタ???とグリグリさんも共感しているかどうかはともかくとして、
ご指摘にあるよう県令第23号の通りとしても構わないのですが

鳳至郡柳田村の領域から恐らく現在の能登町字桐畑付近と思われます。

【参考】地方行政区画便覧(左側の5列3番目)・地名索引(少し字が見にくいので補足)
(いずれも内務省地理局刊行)
5万地形図宝立山(図歴リスト番号87-8-2)

[99917]拙稿の高知県高岡郡与津村→興津村について

答えはこちら

上記にもあるが、興津峠の北側にある与津地は東又村だった
地理院地図

残り投稿分は少し間が空くかもしれません・・・
[99917] 2020年 6月 15日(月)08:20:32ekinenpyou さん
過去の変遷情報要修正箇所について補足
だいぶ時間を遡ってしまい恐縮ですが
[85558]YT さんで変遷情報を修正する必要があるのではないか?と指摘があった件について補足投稿します。

まず以下4件については
(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)
(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)
(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷

[85567][85569][85570][85571]MI さんなどで速やかに回答が示されましたが

広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

(恐らく回答がなかったと思われる)上の2件について・・・

まず、1943(S18).10.1 広島県 改称 豊田郡 木江町 豊田郡 木ノ江町
S18.10.2官報広告右上中ほど(町改称)に記載があり国勢調査報告の記載漏れが妥当と解釈します。

次に、1948(S23).5.3 高知県 改称 高岡郡 興津村 高岡郡 与津村ですが
高岡郡 - Wikipediaも同趣旨の記載があるものの当時の官報類に告示などはみあたらず、そうした関係からか
高知県高岡郡興津村(歴史的行政区域データセットβ版)でも有効期間開始年月日が1889-04-01になっています。

本件については、時間の都合で補足追加を後日投稿予定です。
(例によって、詳細をご存知の方は先行して示していただいても可)

[85558]YT さんでは高知県高岡郡興津村から与津村への改称とあるが逆(これは変遷情報の通り)
以下2資料でローマ字読みが変化している点は確認済み

昭和23年常住人口調査報告(左上8番目)
"Yotsu-mura"
昭和25年国勢調査の都道府県郡市区町村別人口
34広島県~40福岡県(9コマ高岡郡19番目)
"Okitsu-mura"
[99914] 2020年 6月 14日(日)17:43:32ekinenpyou さん
Re:岩手県への表記統一など
拙稿[99907]の続きもかねて投稿します。

[99911]hmt さん
明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか?


(欠損前の印鑑がどのような印影だったかは定かではありませんが)おおむねその通りだと思います、
以下に公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。
岩手県県印改刻届

当時は岩手県・国側双方で「岩」が「巖」である程度なら特に気にしなかったというのが実情でしょうか。

※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書がM24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
(複数改刻届があって、その印影を模写するなどした可能性もありますが・・・)

なお、府藩県印の印影については色々と興味深いものがあり
例えばこちらに関連した投稿も後日行うかもしれません。

牛塚虎太郎


統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみPDF(4コマ左中ほど)に記載があります。

※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。(先述PDFには書かれていませんが、実際はかなりのページ数)
国勢調査実施ニ関スル意見書牛塚統計局長ヨリ提出ノ件

要望実現のための文書作成などに長けた方だったようで、
同氏が「巖手縣」をお気に入りだった場合「岩」が「巖」になっていたかもしれませんね・・・
[99910] 2020年 6月 13日(土)10:22:38ekinenpyou さん
地図上の「令和」
[99880]鳴子こけし さん
昨年5月の改元以降、『年号』コレクションに収録されている大津市の瀬田川令和大橋や、平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅などが誕生し、「令和」の名が地図上に登場してきていますが


例えばこちら
とでも(無駄に?)小ネタを量産投稿しておくと、[99906]グリグリさんで触れた件が予想よりも早く実現???
[99907] 2020年 6月 12日(金)19:19:12ekinenpyou さん
Re:慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続など
[99890]hmt さん、[99894]MI さん
正解です、お二人に示していただいた文面ですが
恐らくT12.9.10付で国側へ照会し了解を得た文書が元になっていると思われます。
県名ノ文字ニ関シ岩手県知事ヨリ照会ノ件(2コマ)

その後官報での表記はT10.8.27(左下)→T15.6.11(左中ほど)のように変化した箇所も多いですが、
(国側で告示などは無く)周知が徹底されていたとは言い難い状況だった?のか

[35710]Issie さん
衆議院議員の選挙区(いわゆる中選挙区制)についての「別表第1」で,岩手県の第1区にしっかりと「巖手郡」という表記が行われています(「小六法・昭和58年版」による)。


官報(号外)S25.4.15(左上)のような表記も残ったようですね。(上記例は郡名ですが・・・)

(いとも容易に謎が解かれてしまったので)次投稿までのつなぎとしてもう1問用意しておきます。

【その1】法規分類大全
【その2】諸県県印彫刻・九条(9コマ)

上の資料二点にM9.10.9岩手県届けによる印鑑の印影が示されていますが、明らかに違いがあるのは
どなたでもおわかりいただけるかと思います、どちらが(岩手県より)届け出た印影画像に近いものでしょうか?
(できれば証拠を示していただければ最善ですが、次回投稿で示すので・・・ひとまず投稿終了とします)
[99889] 2020年 6月 8日(月)08:26:16ekinenpyou さん
Re:高知県長岡郡西本山村から本山村への改称など
[99887]MI さん
明治23年が幅を利かせてしまったようですが、改称日は 1891(M24).5.9 が正しいと判明しております。

その通りです、以前配布されていたファイル(ctv_total_pref.xlsx)に
18910509 +1村 -1村

とありましたのでご存知なのだと思いました、的確なフォローありがとうございます。

逓信公報(M24.8.27)82コマ(右上告知欄)・官報(M25.7.15)の記述からも
M23年実施は疑わしいことが確認できます。

思いのほか速やかな正解が示されましたので、1件追記しておきます。

射水市サイト内の射水市の名誉市民・牛塚虎太郎の詳細な功績を記したワードファイルに

岩手県知事時代には、県名を「巌手」から「岩手」に改め


という記載※がありますが、
このような変更手続は法的には行われていないという見解を多くの方がお持ちだと思います。
(高畑町→高畠町のように読みは同じで字が違うだけの変更ですが、何しろ県名という重要な名前なので
正式に変更となれば官報なり何らかで周知されるはず)

牛塚虎太郎 - Wikipediaにも同趣旨記載あり

過去ログでは

[35708]Issie さん
「巖」と「岩」とは“交換可能”な文字のペアーであったようで,特に明治期には県・郡ともに「巖手」という表記がよく見られます。

[50713]hmt さん
これらの名前は特別な変更手続なしに、「いつの間にか」現在の表記が定着するようになったようで、「巖手県」ではなく「岩手県」の形で現行法に引き継がれたと思います。


とありますが、この件が何故知事個人の功績として記されているかの詳細についてまでは
答えをうまく検索できなかったので、関連内容を後日投稿予定です。
(本件は既に詳細をご存知の方もいらっしゃると思うので、先行して示していただいても構いません)
[99886] 2020年 6月 7日(日)10:36:19ekinenpyou さん
官報に掲載された変遷履歴情報など
ひとまず、小ネタから・・・

[99831]hmt さん
NDL官報に基づく変遷情報
中略
変遷施行日はわかるが、必ずしも施行日付とは一致しない官報発行日を絞り込めない。


[99832]MI さんでも言及されていますが、全ての変遷履歴が官報に掲載されているわけではないので
使い勝手が良いものではないことは確かです。ただし(掲載されたものに関しては)当方や一部のメンバーの方々で
ほとんど発見&把握されているはずなので、関連投稿の際に「官報掲載箇所は未確認」とでも併記していただければ、
何らかレスが入るのではないかと思います。

【おまけ】官報の掲載箇所についてはだいたい施行日のあたりに掲載されていることが多いですが、
その日付に疑わしき点がある情報源を参照してしまうと捜索?困難になる場合があります、以下例

1890(M23).6.1 改称 長岡郡 本山村 長岡郡 西本山村
長岡郡 - Wikipediaも同じ

官報掲載は1年ほど後の1891(M24).5.13(左下の村名改称)
高知県処務提要. 上巻右上欄外も参照のこと
従って、どのように解釈すれば正しいのかは

結局は全国の都道府県立図書館や文書館巡りをすることとなってしまいました。

と仰っているMI さんが恐らくご存知かと思われますので省略・・・
[99353] 2020年 4月 6日(月)20:29:18ekinenpyou さん
東置賜郡高畠町
[99336]むっくん さん・[99341]MI さん・[99349]グリグリ さん

本件に関しての詳細はこちら63コマ(左ページ以降)参照のこと

1905(M38).1.13 改称 東置賜郡 高畠町 東置賜郡 高畑町


とありますが国側は通牒を出したM38.9.25改称許可(右ページ中央)とみなしているので、
この日付(あるいはそれ以降)とした方が(法的には※許可前に実施扱いにはできないはずなので)良いかもしれません。
(極めて特殊な事例であり山形県が改称として告示したかまでは未確認)

※詳細[86677]むっくん さんの
(C)市制町村制施行時(M22)~地方自治法施行以前(S22.5.2)
も参照のこと


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