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ありがたきさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[18682]2003年7月28日
ありがたき
[18652]2003年7月27日
ありがたき
[18589]2003年7月24日
ありがたき
[18585]2003年7月24日
ありがたき
[18579]2003年7月24日
ありがたき
[18521]2003年7月22日
ありがたき
[18519]2003年7月22日
ありがたき
[18510]2003年7月21日
ありがたき
[18505]2003年7月21日
ありがたき
[18503]2003年7月21日
ありがたき

[18682] 2003年 7月 28日(月)23:08:41【1】ありがたき さん
「もず」や「さんま」よりもむずかしい
[18680]miki さん

それよりも東出雲町の「出雲郷」。
これも難読地名ですね。

東出雲町といえば、揖屋、意東、出雲郷の3町村が合併してできたんですよね。で、その読みですが、「あだかえ」でしたっけ?古くは「出雲江」と書いたそうですが、それにしても読めませんね。
同じ「雲」モノの難読地名(というか色の名前)だと「東雲」と書いて「しののめ」と読むのがありますが、これらはもはや決まりごと単語として認識しないといけないみたいですね。
名前のルーツにはやはり、同町にある阿太加夜神社(こちらは「あだかや」)が関係ありそうですね(というか関係ないと思うの方が不自然でしょうかw)。日本三大船神事のひとつ「ホーランエンヤ」というお祭りで有名ですが、まさか「阿太加夜」≒「出雲郷」だとは気づきませんでした。
[18652] 2003年 7月 27日(日)16:14:33ありがたき さん
「東」は東京、「北」は北海道??
[18637]オーナー グリグリさん

雑学ページ「高田市ってどこにあるの?」を修正しました。

ご苦労様でした。「分類」って、種類ごとに分けることですが、市の名前の生い立ちは本当にそれぞれにストーリーがあるわけですから、十把まとめてひとからげって訳にはいかないですよね。そういう意味でも本当にご苦労なされたかとお察し致します。新しい分類表はより進化した形になりましたね。不完全な部分もありますが、それはきちんと明示する形で補われていますから、落書き帳参加者によって今後ひとつひとつ埋めていければすばらしいですね。

京田辺市と長岡京市では意味合いが違うこと、東久留米市もひょっとしたら方角だけでなく東京の「東」の意も含んでいるのではないか、など認識を改めました。純粋な方角による区別は東松山市だけかもしれません。

東久留米市ですが、市のサイトによると市制施行時に冠した「東」の根拠がこちらも駅名先行である旨の記述がありました。東松山市や東大和市、北広島市も含めて方角市名を今一度洗い直してみようと思っています。もしかしたら新しい発見があるかもしれないですしね。
[18589] 2003年 7月 24日(木)04:14:55【1】ありがたき さん
都道府県名とナンバープレート
[18560]あんどれ さん

今まで独特の字体を使用してきた「愛媛」ナンバーが、11月10日から分かりやすい通常の字体に変更されます。

参考までに。愛媛ナンバーが使用されたのは昭和30年10月からで、そのときから愛媛独特の崩した書体が使われています。その理由ですが、どうやら当時の担当者が『愛知ナンバー(表記は「愛」)と混同しないようにする』『動いている状態で愛媛と読みやすいように』の2つの観点で配慮したみたいですね。それがそのまま定着して現在に至るのでしょう。その当時の担当者はおそらく一生懸命考えたんでしょうね。その後、昭和40年3月に三河自動車検査登録事務所(豊橋開設時に「西三河」に改称が)が開設されて「愛」ナンバーが廃止されて「名古屋」ナンバーと「三河」ナンバーになったため、現在ではなくなっていますから書体を区別する必要も無く、読みやすい書体にするのもまぁ当然の流れでしょうか。

都道府県の観点からナンバープレートを見つめてみますと、こんなネタが。
運輸支局(元の陸運支局)の名称は北海道を除き都府県名と同じです(北海道の場合、北海道運輸局の中に7つの支局が設置されているため、「北海道運輸支局」というものがそもそも存在しません)。支局を表示する名称のうち、都府県名を名乗るナンバーが現在払い出されていないところは以下の通りです。

運輸支局名消滅ナンバー現ナンバー経緯
東京表示なし、東品川S37.2.15、足立、練馬、多摩と4分割
神奈川横浜S39.10.22、相模と分割
埼玉埼、埼玉大宮S50.3.20、熊谷と分割
茨城茨、茨城水戸S53.4.17、土浦と分割
栃木栃、栃木宇都宮H11.11.15、佐野(とちぎナンバー)と分割
愛知名古屋S40.3.1、三河(現西三河登録所)と分割
兵庫神戸S39.10.22、姫路と分割

北海道支局はないのですが、昭和26年までは「北」ナンバーは北海道ナンバーの意味でした(その後北見支局の「北」ナンバー)。もっとも、現在の様式とほぼ同じになったのは昭和30年のことですが。
分割があった場合は都市名を表示することになったため(品川と大宮は例外)、上記のようなことが起こりました。分割してもなお、府県名と県庁所在地市名が同一の場合は残りますね(大阪や広島など)。逆に宮城や石川などのように県内1管轄(支局のみの設置)なために府県名と県庁所在地市名が異なっているものの府県名で残っているものもあります。栃木については比較的最近の分割のため、既に払い出しのなくなった「栃木」ナンバーもかなり見られます。群馬や宮城あたりは登録台数が100万台を超えていて、そろそろ自動車検査登録事務所が設置されても良さそうな感じがありますよね。そうすると、経験則で言えば支局のナンバーが「前橋」「仙台」になる訳ですね。
[18585] 2003年 7月 24日(木)01:46:47ありがたき さん
歌と駅名
歌と地名といえば、横浜で勤めている私だと、山口百恵さんとかサザンオールスターズなんかで神奈川県下の地名がたくさん出てくるのがすぐに思い出されますね。

ちょっと本筋と逸脱しますが、「歌と地名」というタイトルからふと思い出したので

相模鉄道の本線の駅名を覚えられる替え歌というものがあります。
とある学校のとあるサークルでは先輩から後輩に脈々と継承されているそうでして、誰が作ったのかははっきりしないのですが、宇宙戦艦ヤマトの節にのせて歌うのです。

ヤマトの歌いだしをカッコ書きで併記しますので、いちどお試しください

(さらば) さらば~ えびなよ~
(旅立つ) かしわだい~ さがみの~
(宇宙戦艦)さがみ~おおつか~ や~ま~と~
(宇宙の) せ~や~みつきょ~ きーぼうがお~か~
(運命)  ふ~たま~たがわで~ かーくていにのりかえ~
(必ず)  つるがみね~ にしや~
(帰って) か~み~ほしかわ~
(手を振る)わだまち~ ほしかわで~
(笑顔で) きゅうこ~うのつうかまち~
(銀河を) てんのうちょうに~ に~しよこはま
(はるばる)ひ~ら~ぬ~まば~し~で~
(宇宙戦艦)つぎ~はしゅうてん よ~こ~はま~

テンポを表現したくてすべてひらがなにし、長音記号(というか波ですが)入れてみました。ポイントは、「ヤ~マ~ト~」の部分で大和駅が来るところでしょうか。おかげで上り電車方向にしか歌えませんね。
ちなみに、ロックンロール県庁所在地しかり、年号も何でもそうですが、語呂合わせや歌で覚えると不思議と頭に入りやすくて抜けないものですよね。
ただし、弱点もありまして、例えば相鉄線の例だと、西谷駅ってどこのとなりだっけ?とか思ったとき、頭の中で超高速で歌を歌わないと順番がわからないというw

たとえば、ある県の市町村を覚える替え歌とかご存知の方いらっしゃいませんか?
[18579] 2003年 7月 24日(木)00:56:26ありがたき さん
上福岡を考える(special-weekさんの口上お借りしました!)
[18524]スナフキんさん
[18537]Issie さん
[18576]ゆう さん
[18422]オーナー グリグリ さん

「上福岡」問題、まだいろいろと思考中です。まとまったらまた書きます。
とはゆうさんのコメント。わたしもいろいろ頭をひねっているのですが、インターネット経由の調べものでは行き詰まりました。昭和47年の市制施行および大正5年の駅開業き関する名称決定の経緯については行くところまで行った感があります。

以前にどなたかが「図書館の紙の本にてまず調べたい」旨のコメントをなされていましたが、まったくそう思いました。実際、とある東武東上線の駅名をコメントしている個人サイトを見かけたのですが、個人的な意見と断っているものの、上中下の板橋とか上福岡とか、結構とんちんかんなコメント(例えば、上福岡は福岡市のパクリとか)でして。しかし、明らかに資料性が無いものは一目瞭然としても、もっともらしいものの真偽を判断するのは至難の業ですね。

というわけで、近々まとまったお休みに入るので、一度上福岡市(もしくは埼玉県の大きな図書館)を訪れてみて、実地を見たり図書館にて調べ物してみるのも一興かな~とか思っております。
実は、この一連の「上福岡」問題ですが、ツボにはまりまして、調べていくうちにどんどん面白くなってきたんですよ。最終目標は「上福岡」の「上」の意味解明ですね。

上福岡駅前できょろきょろしてる人を見かけたらわたしかも知れないですw
[18521] 2003年 7月 22日(火)01:00:37ありがたき さん
昭和39年と言えば、東京オリンピック
[18520]般若堂そんぴん さん

営団日比谷線:恵比寿~中目黒!(1964年7月22日延伸開業)
日比谷線の開業区間は北千住~東銀座,霞ヶ関~中目黒.

日比谷線が飛び石開業した理由ですが、わたしが聞いた話だと、銀座線銀座駅を作った際に、後に階下に直交する日比谷線用トンネルを準備していたものの、当時としては当然のように第3軌条規格で掘ったために全く無駄というか、作り直しをする関係で銀座駅前後の区間の開業が遅れたこと、本来であればいっぺんに開業しても良いところ、東京オリンピックの関連で工事中の道路が無いように出来るところは工事を終わらせたかったこと、などですが、本当でしょうか?

余談の1。この時期建設された地下鉄や首都高速はオリンピックの絡みで工期を早めたかったため、土地買収が難航しないよう、道路直下や河川直上(もしくは埋立・干拓)を選んで作ったそうですね。おかげで急カーブや起伏が多い路線・道路になってますね。
余談の2。オリンピックに合わせて来日した海外要人ですが、日比谷線を視察した方も居たそうで。ATO(自動運転装置)装備の同線では、その方達に出発ボタンを押させ、大変喜ばれたと共に自動運転技術に関心して帰っていったとか。
[18519] 2003年 7月 22日(火)00:31:43ありがたき さん
ハズカシイ間違え
[18517]Issie さん

素直に中山道(中仙道)を京都に向かえば 日本橋→下板橋→上板橋→蕨→… となって,当然に「上板橋」の方が京都に近いはずなのですが。

わたしは何を寝ぼけてたんでしょうかね。川越街道の話がクロスしてなんだかおかしなコメントしてました。
あとでどなたかがこれを見たときに変な混乱を来さないように、Issieさんのフォローを引用して書き込み訂正しようと思うのですが、よろしいでしょうか?

現在では「上赤塚」「下赤塚」という大字は消滅していますが,おおよそ「板橋区赤塚」の西半分が「上赤塚」,東半分が「下赤塚」に相当するようです。

赤塚のフォローありがとうございます。やはり、武蔵国における地名の上下ペアは、おおよそ京都に近い方が上で間違いないと言って良さそうですね。昭和の住居表示実施による町名変更でその上下が東西南北に差し替わっているケースも多いですが、駅名や道路に痕跡を残す場合も多いので、色々拾い上げて並べてみると結構解明できそうですよね。
[18510] 2003年 7月 21日(月)21:10:27【4】ありがたき さん
私的見解では、「同名回避であるものの、直接的方角回避ではない」
[18507]ken さん
何ゆえ、回避手段として、「上」を選んだか、ということですが、納得性がないですね。

[18506]ゆう さん
・上福岡のほうが僅かながら高緯度にあるためか?
・「上」=「東」という用法があるのか?
・東京を基点とした上下という用法があるのか?

TOBULANBと上福岡市ホームページの内容を再確認し、少々補足を加え、経緯を時系列で並べてみると、
・明治22年に川崎、駒林、中福岡、福岡、福岡新田の5か村が合併して福岡村が誕生
・大正3年に東武東上線池袋~川越田面沢(たものざわ・今の川越市駅と霞ヶ関駅の間)間が開業、上福岡駅も同じ大正3年5月1日開業である
・昭和35年に町制施行で福岡町になった
・昭和47年に市制施行で上福岡市となった。市名は東武東上線上福岡駅に由来する
となります。

ここまでで読み取れるのは、埼玉県福岡町が市制施行の際、福岡県福岡市との同名回避の手段として駅名を採用しているということです。

お二方の最新の疑問としてあるのは、駅名「上福岡」がなにゆえ「上」を採ったかですよね?

ここで、可能な限りのデータを集めて、命名の手がかりを見出すべく、では同時期に開業した東上線の「上下」駅名がどういう経緯か調べてみました。


駅名開業年月日命名の根拠
下板橋大正3年5月1日駅舎の位置が北豊島郡板橋町大字下板橋に近接していたため
中板橋昭和8年7月12日川越街道の上板橋宿と中仙道の下板橋宿の中間に位置するため
上板橋大正3年6月17日川越街道の宿場町、上板橋宿に近接
下赤塚昭和5年12月29日700年くらい前の赤塚郷6ヵ村のひとつ、下赤塚村から
上福岡大正3年5月1日前述のとおり、公募の最得票

この中で面白いのは、「下赤塚駅」ですね。対になる「上赤塚駅」が無く、「下」だけ存在の駅です。なにより、700年前の地名を採用したことですね。ちなみに、この赤塚郷6ヵ村は、上赤塚・下赤塚・成増・徳丸(本)・徳丸脇・四ッ葉で、明治22年に町村制布かれて東京府北豊島郡赤塚村になり、6ヵ村の各名称は大字として継承されたそうです。さらに昭和7年1月1日には東京市板橋区に編入となっています。
板橋3駅ですが、川越街道(板橋区近辺では現在の国道254号線)と中山道(もしくは中仙道。同様に国道17号線)の宿場町に関連する命名ですね。2つの宿場の位置関係では、上板橋が北西、下板橋が南東寄りですが、京都に向かうために中山道(中仙道)を進むと、日本橋→下板橋→上板橋→蕨→… となって、北西側の上板橋の方が京都に近いことになりますね。(Issieさん、フォローありがとうございます。書き込み訂正を利用して補足訂正させて頂きました。)
また同じ区間には方角を用いた「北池袋駅」があります。この位置での開業は昭和9年5月1日ですが、当時は「東武堀ノ内駅」と称していました。この駅は第二次世界大戦の東京大空襲で消滅し、その後昭和22年8月に一旦廃止されています。4年後の昭和26年に再開された時に現在の名称になったのですが、その頃になると地名の位置記号が「上下」から「東西南北」になったものと思われます。

と、こうなるとなんだか上福岡の「上」の根拠がもっとも玉虫ですねぇ…。ここまで調べればかなり核心に迫れる類推を導き出せるかと思ったんですが、どうやら進展しなかったというか逆に混乱したというか…。せめて、上赤塚と下赤塚の位置関係がわかれば。こちらに関しては、板橋区教育委員会が発行している文化財シリーズというものがあるらしく、そのひとつ「まち博ガイドブック・下赤塚・成増・徳丸・高島平」でこの近辺はわかりそうですね。埼玉県あるいは上福岡市にも同様の資料があれば助かるのですが。

ただ、福岡県との直接的位置関係の「上」でははく、間接的に位置記号としての「上下」を用いているように推測されそうですね。これは、東京都東大和市が神奈川県大和市に対して東に位置するのではなく、東京の「東」を冠したのであると同様、位置記号が直接的に使われているのではないグループに入りそうですね。東大和の「東」の場合も、京都に対して「東の都」である東京から採ったのであれば間接的位置記号といえなくもないですし。
こうなると、同名回避の分類に1つ加えても良いような気もしてきましたが、果たしてそう単純なものなのか。オーナーグリグリさん、如何でしょうか?
[18505] 2003年 7月 21日(月)14:11:39【2】ありがたき さん
武蔵国における地名の上下の慣習
[18502]ゆう さん

「北」という意味かといえば、確かに上福岡市のほうが高緯度にありますが、感覚的には「東」のほうが自然です。それとも「東」=「上」という用法もあるのでしょうか。
もしかして(京都ではなく)東京に近いという意味でしょうか。

上福岡市のサイト内にて「かみふくおか百科」という今昔を紹介したところがありまして、こんな一文を発見しました。

=====以下引用=====

明治に入ると、22年に川崎、駒林、中福岡、福岡、福岡新田の5か村が合併して福岡村が誕生した。このとき、村の戸数は321戸、人口は1,858人だった。

大正期から昭和期にかけては、村はじまって以来の激動期で、大正3年(1914)に東武東上線の池袋~川越間が完成し、上福岡駅が開設された。

=====引用終わり=====

東武東上線の駅名決定にあたって、九州の福岡を意識して「福岡」を断念したのは[18311]にて紹介したとおりですね。ここからは推測になりますが、ではどうしましょう?となったときに、無印「福岡」を使うことに関してはは九州の「福岡」に配慮したものの、「上福岡」の名称については、福岡村の中での位置関係にて決定したというものではないかと。つまり、江戸時代より江戸近辺の国名、郡名、集落名にて幅広く使われた位置関係の呼称である「上下」を使用したのではないでしょうか。

[17554]にて触れたのですが、もう少し掘り下げてみます。
都市史研究家の鈴木理生氏は東京の地名に関する著書を多数だしているのですが、その中の「東京の地名がわかる事典」によると、江戸時代、武蔵国近隣の国、郡名、五街道をはじめ主要街道沿いの集落名において、地形の高低ではなく京都との遠近にて「上下」で区別する位置記号が使われていたと説明されています。
ですので、江戸城の西側に行くと、江戸城に近い方が「下」になるのですね。上下で対の地名は東京近辺では今でも数多く残っていますね。いくつか例を挙げると、北沢、板橋、井草、高井戸、連雀などなど、いずれも京都側が「上」です。この例に倣えば、上福岡駅の位置は旧福岡村の中では中心よりおおよそ南西に外れたところに位置していますので、福岡村の「上手」になる訳ですね。
ちなみに、東京近辺において位置関係記号を「上下」から「東西南北」としたのは昭和に入ってからだそうでして、それまでの「上下」が方角に対応したものではない(上=北とか東とかではない)ことがわかります。

ほかに「東京を基点とした上下」の地名をご存知の方があれば、ご教示ください。

地名ではないのですが、東京基準での上下といえば、鉄道や道路の方向に使われているのを思い出されますね。わたしは東京基準の上下地名は思いあたりませんでした。思うに、近年地名に付与する位置記号で「上下」をつけようとすると、「優劣」ともとれそうですし、故意に避けられるのではないでしょうか。

と、ここまで、文献やホームページの記述を参考にはしていますが、かなりがわたしの推測するところです。残念ながら「間違いなくこれだ!」というものが探しきれませんでした。ゆうさん、ひとまずここらへんまでで参考になったでしょうか?さらなる情報があれば皆さんにもフォロー願いたいところであります。

参考:上福岡市ホームページ内「かみふくおか今昔」URL: http://www.city.kamifukuoka.saitama.jp/hyakka/konjyaku/history.html
[18503] 2003年 7月 21日(月)13:01:45ありがたき さん
元石川郡民として
[18419]miki さん
[18424]OguriCap さん
[18429]オーナー グリグリ さん
[18492]琉球の風 さん
[18498]ken さん

以前、ちらっとお話したかと思うのですが、石川県において対外的に「石川」という地名がメジャーでなく「金沢」>「石川」だということ。
私的な感覚ですが、沖縄県石川市が充分に立っていることですし、ここで市の名前としての「石川(もしくはいしかわという音)」にこだわることは無いと思います。ましてやひらがな市になったらなんだかもう…
個人的にですが、「手取」「白山」などの自然地形な名前の方が合併で広い面積になるにはうってつけのネーミングかと思うんです。もちろん、「石川」という名前をむげにするつもりではないんですが、せっかくの広域合併なのに、ものすごくパンチが弱そうですね。
それはそうと、「西金沢市」が候補に出なくて良かったですね。金沢市内にメジャー名称で西金沢があるので、まぁ出てこないのもあたりまえといえばあたりまえですが。

「松任」はやはり、これだけの広域になると、候補には残りませんでしたね。松任市が無くなるのも、気分的にはちょっと寂しいですが。

そうですねぇ。「松任市」がなくなるのは寂しいですね。まぁしかし駅や学校の名前でかなり使われているので「松任」自体の風化はなさそうですが。

市名候補5つは、もう決まったので、もはや冗句ですが、沖縄県石川市との同名回避として、「石川石川市」というのは、如何でしょう?(笑)

とってもウケてしまいました。加賀の国の名前を使おうにも既に県内に加賀市がある。ここは石川県である。「石川」を漢字にこだわって使いたい。という3段論法ですね。「石川県石川石川市」とくればいっきに石川の名前が有名に…(と、本当になったらぞっとしますがw)

とりあえず、今後の動向に注目です。


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