[26219] ちゃっきー さん
[26231] Issie さん
同様に,全国の「勝山藩」(越前・安房・美作),「金沢藩」(加賀・武蔵),「亀山藩」(伊勢・丹波),「松山藩」(伊予・羽後・備中),「みねやま藩」(丹後峰山・越後三根山),「吉田藩」(伊予・三河)のそれぞれのグループの中で,版籍奉還後の知藩事任命に前後して「同名回避」のためと思われる藩名改称が行われています。
もしかしたら各藩側からではなく,明治政府の側から各藩に迫ったものなのかもしれません。
のようですよ。
府中は、駿河が、静岡藩に、常陸府中が石岡藩に、対馬府中が厳原藩に改名し、いずれも、改名後の名前が地名としては定着しましたね。
今回、石岡は、新市名候補に「国府市」を入れてきましたが、「国府」も「国分」や「一宮」などと同様、同名の発生を生む要素を孕んでいるので、「常陸府中」の方が個人的には良かったと思いますが。
長門府中は豊浦(とよら)藩になりますが、長府の名で定着しますね。通称としては以前から長府と呼称されていたような経緯もあるかもしれません。
安芸府中、備後府中、武蔵府中も維新の時に、もし藩があったら、改名させられていたでしょうから、同名問題は起きなかったわけですが。
勝山は、越前が勝山のまま、安房が加知山に、美作は真島(まじま)藩に改名してますが、地名としては、新名は定着せず、いずれも、現地名は勝山に戻ってますね。
金沢は、武蔵の方が六浦藩に改名。金沢が広域地名、六浦が藩の陣屋のあったあたりの狭域地名として住み分けた感じでしょうか。
亀山は、伊勢の方がそのまま、丹波の方が亀岡藩に改名、これは、そのまま新名の亀岡が残りました。
松山は、伊予がそのまま、羽後が松嶺藩に、備中が高梁藩に改名しましたが、地名としては、羽後は松山、備中の方は高梁が定着。
みねやま、は、越後の方が、峯岡藩に改名。マイナーな地名ですが、字名としては巻町峯岡で残ってますね。
吉田は、伊予の方がそのまま、三河吉田の方が、豊橋藩に改名。豊橋が定着したのはご承知の通り。
で、Issieさんの書き込みに追加すると、新政府は、御三家の附家老五家を正式の「藩」に格上げしています。徳川家制度の否定という意味合いが強いと思いますが。
紀伊徳川家の附家老の、紀伊田辺の安藤家、新宮の水野家
尾張徳川家の附家老の、尾張犬山の成瀬家、美濃今尾の竹腰(たけのこし)家
水戸徳川家の附家老の、常陸松岡の中山家の五家が、正式に独立の「藩」になってます。
で、この関係で、丹後田辺藩と、紀伊田辺藩が同名藩として、バッティングすることとなり、丹後田辺藩の方が、舞鶴藩に改称してます。
維新時に後から藩になった紀伊田辺の方が、田辺として定着し、丹後田辺の方は、ご存知のように舞鶴の名ですっかり定着しました。舞鶴という名は田辺城の別称が舞鶴城だったのにちなんでの命名のようで、姫路を白鷺に変えたというような感じでしょうか。
[26240] じゃごたろ さん
そういえば今から二十年も前、某酒造メーカー会長(社長??)が東北の事を「熊襲」と呼んで不買運動が起こったことがありましたっけ。
懐かしい話題ですね。首都移転問題に絡んでのご発言だったように記憶してますが、差別的発言だった上に、蝦夷と熊襲を取り違えたという・・・。同社の文化貢献での先進イメージも、底が割れたという、トホホな感じを受けましたね。