このサイトの「都道府県市区町村変遷情報」は「廃置分合」が盛んに行なわれた平成合併時代の「市町村合併情報」からスタートしており、「廃置分合」情報を柱として進んで来ました。
しかし、次第に「境界変更」情報の重要性も認識され、その方面の情報充実も課題になってきました。
改めて言うまでもないことですが、「境界変更」とは何か? その確認から復習します。
「境界変更」が自治体【市町村、特別区、都道府県】の区域の変化を伴う変更であることでは「廃置分合」と同じです。
「廃置分合」と「境界変更」との違いは、法人格の変動【新設や廃止】の有無。それだけです。
「廃置分合」は、複数の自治体の合体などにより新たな自治体を設置する「置」と、編入合併などの形による「合」を中心に実施されています。これに少数例である「分」【分割と分離】も含め、市制町村制施行(1889年)以降の変遷情報が ほぼ洩れなく集積されています。
唯一 配慮が十分に及んでいないと思われる「廃置分合」情報は、町村廃止の情報です。
新設合併や編入合併という形で町村が「丸ごと」移行する場合は、特別の記録表示がなくても、旧自治体の廃止を伴うものであることは自明です。
記録しておく必要があるのは、分村編入による消滅です。
実は分村編入の大多数は消滅につながっているのですが、少数ながら複数の分村があっても、なお母村が残るケースがあります。従って、分村編入については消滅か存続かの区別の記録が必要です。
変遷情報記録を語るうちに 話が少し逸れましたが、本題の境界変更情報に戻ります。
2016/3/21にグリグリさんから
人口異動を伴う境界変更一覧がリリースされました
[90092]。現在のところ、その対象は1980年代以降です。正確に言えば、昭和55年国勢調査の行なわれた 1980/10/1より後の35年間に実施された「境界変更」のうち、人口異動を伴うもの 77組が記録されています。
このシリーズの第1回
[90100]で取り上げた「入間市と狭山市」は77組の中で最大の人口異動を伴った事例でしたが、その数は数百人止まりでした。しかし、これに触発されて過去の事例を探しているうちに、昭和合併時代には数千人規模の人口異動を伴う境界変更事例があったことを改めて認識しました。例えば 西武町
[90105]や 東葛市
[90517]。
こうなると、過去に数百人、数千人という大きな人口異動を伴った境界変更事例を具体例で集めたくなります。
幸い、グリグリさんが統計局に問い合わせた結果得られた資料
[81919]が、情報源として利用できます。
これによると、「人口異動を伴う境界変更」の情報は昭和30年国勢調査分以降について入手可能であり、昭和55年国勢調査までがPDFで公開されています。
国勢調査に基づく境界変更/人口異動データのまとめ。ご隠居仕事として挑戦してみるか。
先ずは 既にリリースされている1980年代以降につながる 1970年代と1960年代の20年間から。
自治体Aの「一部」の地域が その「人口」と共に 自治体Bに変更される 境界変更
これを「国勢調査報告書付表3 市区町村の廃置分合境界変更名称変更一覧表」から抽出する作業手順:
1. 一覧表を目視しつつ異動地域の中の「一部」という語句に注目し、人口変化がゼロでない記録を抽出する。
A→Bの異動があると、Aには負、Bには正の人口変化が記録されているので見落し防止に役立つ。
2.抽出結果は変遷情報と対比し、廃置分合に該当しないものを境界変更とする。
例えば、1962/4/1に宮崎県児湯郡東米良村5231人は 西都市に4421人、木城村に810人が編入されて消滅した【人口は1960年国勢調査人口】。「一部」というKWからの抽出結果には含まれているが、これは廃置分合の一種である「編入」として記録されており、境界変更には該当しない。
結果を集計すると、20年間の境界変更は175組でした。
人口異動最大は 1961/4/1
兵庫県美方町→村岡町の 4506人。
[90315]末尾に記載したように、1955年までは射添村だった地域です。
以下
岡山県日生町→兵庫県赤穂市の 1640人、
青森県弘前市→大鰐町の1430人、長崎県時津町→長崎市
[81913]の 1087人、
埼玉県杉戸町→庄和町 993人、
高知県本山町→土佐村 706人と続きます。
リンクから知れるように、長崎の事例以外の5件は変遷情報にも「境界変更」と入力されています。
175組のうち、変遷情報入力済みは僅か13組でしたが、5組がトップクラス入賞は立派でした。
昭和合併と平成合併との中間にあって、変遷情報が少ないと思われた20年間ですが、それでも境界変更175組が存在するということは、リリース済みの35年間を上回るペースです。
最初は、大きな人口異動のものだけでも変遷情報に収録していただきたいと思っていたのですが、後に控えている昭和合併を含む10年間(1950年代)のことを考えると、とても変遷情報への入力をお願いできる分量ではないことがわかりました。
せっかく集めたデータなので、後日エクセルファイルの形でグリグリさんにお送りし、その処置を委ねたいと思います。
人口異動の大きさで線引きするのも難しいと思われるので、やはりリリース済みの35年間と同様に、変遷情報とは別の簡易な形式を採用し、データを皆さんに開示していただくのが現実的なのではなかろうかと思っています。