本当は別の本を探すつもりで講談社文庫の棚を見ていたら,たまたま新刊本で表題の本が目に留まったので買って読みました。
大城立裕 『小説 琉球処分』
講談社文庫としては新刊なのですが,もともとは1959~60年に「琉球新報」に連載された古い作品なのですね。まだ米軍統治下にあった時代の。で,1968年に講談社で単行本化される際に末尾を書き足したとのこと。それがこの時期に文庫化されたというのも,だいぶ意味深なものであるようです。文庫本解説を 佐藤優 さんが書いていることも含めて。
お話は,廃藩置県後の明治5(1872)年5月,「鹿児島県」から派遣された役人が首里近郊の村を視察しているところから始まります。
[76048] hmt さん
翌明治5年正月に 鹿児島県が琉球に派遣した 伊地知貞馨らが 明治維新の変革を説明した
この 伊地知 がこのお話の最初の登場人物の1人です。そして,
伊江王子朝直を正使とする一行は、明治5年9月14日に参朝して上表文を奉呈。これを嘉納した明治天皇から賜った 詔勅 には、「琉球藩王と為し華族に列す」という文字がありました。
ここから,琉球王府の王族・士族たちと日本政府から派遣されてくる役人(伊地知貞馨→松田道之→鍋島直彬)との“堂々巡り”(いくら繰り返しても前に進まない)の攻防の果てに1879(明治12)年の(第2次)琉球処分に至る過程が描かれています。あとがきによれば,新聞連載当時は首里城明け渡し前夜までで連載打ち切りとなり,単行本化の際に前藩王・尚泰が東京に向かうまでの(またも繰り返される全く同じ構図の)攻防から日清戦争直前までの部分が書き足されているとのこと。
当事者たる琉球の王府は、明治4年7月の廃藩置県で鹿児島藩から(理論的には)開放された(かもしれない)ことを知らず、また 11月の第一次府県統合布告により、(新)鹿児島県の管轄下になったことが明文で規定されたことも知らずに 過ごしていたと思われます。
全くこうした状態から,
国王尚泰は、「薩摩の附庸」であった地位から、「琉球藩王」として「藩屏」つまり直轄の地位になった。
従来から将軍の代替わりの時に江戸に赴いてきた慶賀使節のつもりで上京したのに、少し様子が違う。
でも、元々「ノーと言える琉球」ではないし、格が上がったと受け止めて、単純に喜んだのかもしれません。
「格が上がった」というよりも「薩摩の重し」が取れたと思って,やはり単純に喜んでいたものが,だんだん様子が違うことに気がついて戸惑いを深め,日本政府からつきつけられる要求に何も決められずに最後は警察力を伴った松田「琉球処分官」に押し切られる琉球藩高官の姿は,読んでいて実にじれったく思いました。
最初に紹介したとおり,この作品の作者は沖縄の人であり,最初に発表されたのは米軍統治下の沖縄の新聞でした。沖縄の人の側から見た琉球処分と言えるかもしれません。恐らくは,松田道之が帰任後にこの間の公文書等をまとめた「琉球処分」に多くをよっているのでしょうが。
沖縄県にようやく町村制が施行されるのが1908(明治41)年。ここまで引っ張ることに立ち至った背景がわかる気がします。
ところで,
[76048] hmt さん
結局は 外務省の漸進案 が採用され、琉球に居た伊地知を通じて、琉球王府に対して、新政府への使節派遣を 求めました(6月24日)。
とあります。このお話の中で日本側の在現地機関は 鹿児島県(旧鹿児島藩)在番奉行所 → 外務省琉球出張所 → 内務省琉球出張所 → 沖縄仮県庁 と名前を変えてゆきます。1872年に使節派遣を求める達し文を発したのは 鹿児島県参事 の大山綱良,東京で使節の応対をしたのは 外務卿 の副島種臣,そして藩王冊封後の「琉球藩」を当初管轄したのは「外務省」だったのですね。
1872年段階では「内務省」はまだありませんでした。地方行政を含めた民政一般は 大蔵省 の管轄で大蔵卿は大久保利通。ただし,大久保たちは岩倉使節団の一員として外遊中だったので,留守政府で実際に大蔵省を切り盛りしていたのは大蔵大輔の井上馨だったと思われます。この政府が1871年11月の(第1次)府県統合を進めたのですね(作業が10月末に始まってますから,路線自体は大久保大蔵卿が敷いたのかもしれませんが)。
外務省管轄だから「外国」だとは単純には言えませんが,大蔵省管轄の大隅(または鹿児島県)以北と違う扱いであったことは確かでしょう。ちなみに,北海道および(当時は日本領で“も”あった)樺太を管轄する「開拓使」は他の“省”と同格という位置づけでした。
副島外務卿と交渉をして琉球藩の「国体」についてそれなりの“言質”を得て喜んでいた琉球側は,「明治6年の政変」で副島が失脚(辞職)したことで最初の不安を抱きます。そして,大久保が内務省を創設すると琉球藩も外務省から移管されて,以後,大久保内務卿と最後には「処分官」となる松田が一方の主役となることになります。最後にコマを進めたのは大久保暗殺後に内務卿となった伊藤博文でした。
もう1つところで,このお話に登場する琉球側の人物のほとんどは,「王子」「按司」「親方(うぇーかた)」「親雲上(ぺーちん)」,「里之子(さとぬし)」,「筑登之(ちくどん)」という“位階”を持っています。極めて困窮して行商人や薩摩系寄留商人の雇用人となっている若者も含めてほとんど全員。つまり,農民などの庶民はほぼ全く登場しない。要するに,一連の過程で日本政府の方針に強く抵抗したのは,琉球人口のうちのごく一部である士族階級の者(さむれー)だけだった,という描き方をしているのですね。実際,そうだったのかもしれません。
このあたり,士族階級をどのように評価するかというのも結構重要な問題かもしれません。
琉球(沖縄)の日本への「併合」の歩みについて,これもたまたまか,意識してか,NHK教育テレビの「歴史は眠らない」シリーズ(火曜夜10:25~10:50)が7月のテーマとして取り上げていました(小森陽一「沖縄・日本400年」)。放送はもう終わってしまいましたが,テキストは今でも本屋さんで売っています。ざっと通し読みするのにちょうど良い本だと思います。
(6月のテーマ:ひろさちや「智慧の結晶 お経巡礼」と一緒の冊子。こちらも面白い。)