東京は、大都市内の公共交通機関として最初の馬車鉄道を誕生させ、試験的ながら 1890年に電車の運転
[61516]もあり、企業計画も早くから進みました。しかし、民営を許すか市営にするかなどの方針で当局の意見が決まらず、政争もからんで特許が大幅に遅れました。
東京がモタモタしている間に、官民一体で推進した 京都
[61516]は、電車の営業線で先を越しました。
狭軌民営でスタートした会社は、1912年から標準軌の市営電車との競争になり、経営が苦しくなって 1918年に市営に統合されました。市営電車は、1957年度 77kmをピークに 1978年全廃。
次いで市内電車が走った名古屋(1898)も狭軌民営でしたが、1922年に市営化。1960年度 107km。1974年廃止。
大阪は最初から市営の方針で標準軌。1903年に開業した築港線は、魚釣り電車と呼ばれたくらいで、市内電車というよりも、当時としては郊外電車的な性格かもしれません。二階建て電車も存在。1954年度111km。1969年には他の大都市に先駆けて市内電車全廃。
東京では、「軌道」の元祖になった東京馬車鉄道が 東京電車鉄道、通称「電鉄」という名で電化を計画。これに対して、新線建設の三派は合併して 東京市街鉄道「街鉄」に一本化。両社共にやっと特許を得て、大阪と同じ 1903年に電車が営業開始しました。翌年には 東京電気鉄道「外濠線」も開業。
3年前の
電車唱歌で巡る100年前の東京 は、この3社鼎立の時代です。軌間は馬車鉄道から引き継いだ1372mmに統一。
1906年には3会社統合して東京鉄道となり、1911年に買収されて東京市営になりました。1943年、東京都営。
路線長は民営時代の末期に 95km、昭和になった頃 163kmと延び、1941年に「王子電車」と「城東電車」
[39140] を買収して 200kmを越えました。
しかし、発祥の地であった銀座通りの路線も 1967年に廃止され、1972年からは旧・王子電車の路線だった荒川線を残すのみになっています。
「市内電車」というより路面区間が少ない「郊外電車」に近い路線だったために残された都電荒川線ですが、一応「鉄道」とは一線を画した軌道として、存在し続けています。
残る六大都市のうち、横浜市内電車の軌間は東京と同じ 1372mm。1904年に民営でスタート。1921年市営。1956年度 52km。1972年度廃止。
神戸市も1910年に標準軌民営でスタート。1917年市営。1946年度 36km。1970年度廃止。
電車は、大都市内だけでなく、特殊な交通需要の或る地方交通の分野でも利用され始めました。
その一つである、参詣・行楽鉄道のうち、東京にも近い川崎大師へは、1899年に六郷橋-大師(現・川崎大師)間を大師電気鉄道が開業しました。欧米の標準軌間である 1435mmを日本で最初に採用した路線です。
翌 1900年に馬車鉄道を電化した小田原電気鉄道は、官設鉄道の国府津から小田原を経て箱根湯本までを結んでいました。最初は馬車ゲージでしたが、1435mmに改軌。この会社は電力事業も営んでいたので、関東進出を図る日本電力
[28294]に買収され、子会社の箱根登山鉄道になりました。電力と鉄道の分離により五島慶太の手に。現在は箱根湯本までの区間は狭軌に変わり、小田急の延長線の形になっています。
大分-別府間の豊州電気鉄道(後の大分交通別大線)も、同じ 1900年開業。狭軌新設軌道。これも九州水力電気という会社の直営になった時代があります。
江ノ島・鎌倉も東京近くの参詣・行楽地で、江ノ島電気鉄道は、1902年の藤沢-片瀬から、1904年極楽寺へと進んだ狭軌の新設軌道でした。一時は横浜電気→東京電燈の子会社でしたが、やがて別系統に。
1903年、東京の「電鉄」と「街鉄」、それに大阪の「市電」が開業した同じ年、参宮鉄道の山田(伊勢市)から二見への電車が走り出し、やがて宇治の内宮方面へも通じます。この電車は、会社名がいろいろ変遷していますが、1939年に 東邦電力
[19892]から分離されるまでは電力系です。分離後の名は 「神都交通」→三重交通神都線で、1961年廃止。
[29157] 今川焼 さんが挙げている“神都・伊勢”の実例です。
1904年になると、地方都市では初めての市内電車「土佐電気鉄道」が高知市内で開通します。
[61516]では書き落としていましたが、この「とでん」は横浜より先でした。
高知は別格として、1909年には和歌山、岩国、呉に電車ができます。岩国は、1890年に東京上野公園で日本最初の電車運転を実現した東京電燈技師長・藤岡市助の故郷です。
福岡では、1910年開業した、福沢桃介と松永安左エ門が組んだ東邦電力による「福博電気軌道」と、翌年開業した地元設立の「博多電気軌道」との2社が誕生。後者は、別大線でも登場した九州水力電気の支配下になり、競合した結果、ようやく 1934年に「福博電車」に一本化されたそうです。
九州における東邦電力と九州水力電気との争いについては、かつて周波数がらみの話題で、
[28405] TGRS さんの記事がありました。
東京の3社合併(1906)を別とすると、同一の市内で2社が争った例は、福岡のほかに京都
[61516]があり、市内電車第1号の歴史を持つ会社が市営に敗れて統合されました。また、道後温泉への客を争った松山の事例
[61378]にも触れました。
現在、市内電車が運行中の都市における最初の開業年を見ると、岡山・広島が1912年、長崎1915年、熊本1911年、鹿児島1914年。函館(馬車鉄道1897)の電化は1913年、札幌は(最初馬力で)1918年電化。富山 1913年、豊橋 1925年で、廃止された岐阜が 1911年と、1910年代前期に集中していました。