最近の書込み状況からすると2日も経つと遅レスという感じですが・・・。
[3971]Kenさん
>奄美は、琉球王国から、ヤマトの一部である、島津藩に占領・割譲されます。
について補足します。
・1609年 4月 1~5日 薩摩軍が首里城占拠し、尚寧(しょうねい)王は下城、薩摩に連行される。
・1610年 8月 8日 島津家久と共に尚寧王は駿府の家康に謁見。同28日、江戸の将軍秀忠の謁見。薩摩による琉球支配が公式のものとなる。
・1611年10月10日 2年半にわたる抑留が解け尚寧王帰国。「琉球は幕府や島津への義務を怠ったために、薩摩によって征討された。そのため琉球はいったん滅んだが、島津の恩情により、奄美諸島をのぞく沖縄諸島以南を再びあたえられた。この御恩は子々孫々まで忘れず、決して島津氏にそむかない」という起請文の提供を強制される。
鹿児島県の公式サイトでも、一方的に侵略した島津氏が琉球の支配を開始し、中国に対しては琉球国が薩摩藩の領土となったことを隠し独立国としての体裁を保ったとしています。
つまり、武力により行政権を掌握したのですから基本的には占領です。ただその2年後に奄美群島は琉球から薩摩藩直轄となり、琉球は対外的には独立国のまま薩摩に属するという状況になったので、琉球から薩摩藩への割譲という言い方もされているのだと思います。この扱いの違いが、奄美群島が鹿児島県か沖縄県かということに大きな影響を及ぼします。
そもそも琉球王朝は13世紀から100年以上かけて支配領域を北に広げ、1571年の尚元王による奄美大島征服で奄美群島は完全に琉球王朝時代になります。この時代の扱われ方は琉球の他の島と大きな違いはないようです。
1609年以降は琉球も奄美群島も圧政下で砂糖栽培の植民地の様相を呈し、制度なども日本化していきます。ただし、琉球では独立国としての顔を保持することが薩摩にとってプラスであることから、文化面では日本風の苗字や衣服の使用が禁止されています。
先ほどの薩摩直轄か対外的独立国かの違いは、そのまま明治初年の琉球処分と廃藩置県に現れます。
・1871(明治4)年 7月14日 廃藩置県。奄美群島、琉球ともに鹿児島県管轄となる。
・1872(明治5)年 9月14日 琉球藩設置。尚泰王を琉球藩王とする琉球藩を設置。廃藩置県後の唯一の藩設置。鹿児島県管轄から政府(外務省)直轄に。
・1875年(明治8) 鹿児島県が奄美大島・名瀬に大島「大支庁」を、各離島には支庁を設置。
・1876年(明治9) 琉球が清国に最後の進貢船を送る。
・1877年(明治10) 西南戦争。
・1879年(明治12) 3月11日 軍隊を伴い強制的に琉球藩を廃止。沖縄県設置。琉球王朝の滅亡。日本政府の琉球占領ととらえた琉球国民が清に救援を求め政府に抵抗したあたりの話は
[3971]Kenさん のとおりです。清には余裕がなく救援はありませんでした。その後、日清両国間で沖縄を2分割または3分割する分島問題がおこりますが、亡命中の琉球の人の祖国分割抵抗運動などにより、結局まとまらず琉球に対する日本の領有権が事実上確定します。
さて1945年以降ですが、米国は「琉球人は日本人によって虐げられていた少数民族」として、米軍占領後は韓国のように独立させることも検討していたようです。その際、奄美群島をもともとは琉球の領土とみなし日本から切り離して沖縄の一部に加えることも考えたようです。
・1946年(昭和21) 2月 2日 北緯30度以南の奄美諸島の行政権の米軍管理開始。行政組織が日本から分離した日は沖縄も奄美群島も同じ日。(復帰日は異なります)
・1952年(昭和27) 2月 4日 サンフランシスコ平和条約に基づき北緯29度以北(現在の十島村、三島村)が復帰。
この条約調印前後の本土復帰運動は奄美群島の方が激しかったようです。復帰要求署名は奄美群島では住民の99.8%(沖縄本島で72%)。また奄美群島では村ぐるみの断食祈願がありました。米国の統治下、渡航許可は那覇経由の申請となり手続きに数週間かかり、本土への商品出荷は「外国製品」として関税がかけられ売れず、日本政府や鹿児島県からの補助金はストップ、米国からの援助は奄美群島よりも軍事上の重要度が高い沖縄本島の復興が優先され、沖縄のように基地産業で潤うこともなく、人口20万人のうち3万人が仕事を求めて沖縄本島へ移っていきました。つまり、戦争による破壊具合は沖縄の方が大きく、日本と切り離された打撃は奄美群島の方が大きかったようです。
・1953年(昭和28)12月25日 奄美群島が日本に復帰。
・1972年(昭和47) 5月15日 沖縄が日本に復帰。
双方の復帰までの動きに関連はあったとは思われますが基本的に別々に行われたようです。沖縄県の公式サイトでは、奄美諸島でも独自の復帰運動を展開、とあります。
[3943]桃象@国仲涼子ファン さん
>奄美諸島も好きです。昭和28年に奄美諸島が返還されたとき,鹿児島県に帰属なったのは,やはり失敗だったと思っています。まあ,思いつきと言われれば,それはそうなのですが,やはり奄美諸島は鹿児島県から分離して,1つの県とするか,沖縄県と一緒になった方が奄美・琉球文化圏の発展にいいんじゃないかなと思うんですけどね。
奄美群島の復帰後20年もの間、沖縄県は存在していません。背景としては、今なお尾を引く米軍基地問題も関係してますね。
今年2002年8月7日に、東京都港区の増上寺で開かれた「沖縄本土復帰30周年(2002年)と奄美本土復帰50周年(2003年)を考える」というテーマのシンポジウムがあり、両地域の独自性を守るべきだとの議論があったそうです。
一つの文化圏であっても、都道府県が行政区分である以上、奄美群島が鹿児島県に所属したことは必然と思われます。なお所属する都道府県の変更については以前に
[3866]や
[370]で論議があったとおりです。