突然ですが、樺太に関する、にわかメモです。古書・古地図は原典を確認していないので、実際にはどうなっているのかは分かりません。
●其一 カラフトの呼称の変遷
・哈喇土(の酋長云々) 松前藩の文書? 文明17年(1485年)
・カラトノ島 『正保御国絵図』 正保2年(1645年)?
・からふと島 『元禄御国絵図』 元禄13年(1700年)
・からと島 『松前島郷帳』 享保2年(1717年)
・唐太 『蝦夷拾遺』本文挿入の地図 佐藤玄六郎行信 天明6年(1786年)
・カラフト島 『絵図面方角道規地名控』 寛政3年(1791年)
・唐太島 『蝦夷巡覧筆記』 寛政9年(1797年)
・北蝦夷 『東韃地方紀行』巻頭の地図 間宮林蔵 文化7年(1810年)
・カラフト 『北蝦夷図説(別名、北夷分界余話、銅柱余録)』間宮林蔵 安政2年(1885年) (「蝦夷地」との混同を避けるため、公称の「北蝦夷」を使わず「カラフト」を使用)
これを見ると、当初は「カラト」と呼ばれたのが「カラフト」に変化したのではないかと思います。
ところで、全国樺太連盟のサイト内
樺太の名前の由来(
[62450]ニジェガロージェッツ さんの記事をご覧ください)のURLを見ると「kabaren」の文字があり、連盟の略称として「樺」を「かば」と読んでいるようです。実際、「樺太」の読みとして「かばふと」も書いている辞書もありました。
●其二 樺太地名解
全国樺太連盟が昭和53年に発行している「樺太沿革・行政史」には、「樺太」の語源として、9説紹介されています。この他にも2説(アイヌ語辞書で有名なバチェラー氏の説と、この辞書をもとに考案されたと思われる説)があります。
仮説「地名の語源の数は、その地の面積が大きいほど増える」の1つの例となるでしょう。なお、この仮説の関数式は、そのうち(遅くとも100年以内に)発表したいと思います。
ちなみに「樺太沿革・行政史」では「カバフト」は誤称としています。
●其三 カラフトの当て字
「樺太沿革・行政史」によると、「カラフト」について次のような表記があるそうです。
哈喇土・加良不止・加羅不登・穀太・嘉楽?土・哈良敷登・加良布止
以上、仮名的当て字が多いですが、江戸時代を通じ一般的なものは「唐太」です。一時的に「北蝦夷」が使われますが、幕末からまた「カラフト」と称され、「柄太」「柯太」が多く使われ、明治2年以降は「樺太」に定まりました。
「樺太」については、「樺が多いから」という松浦武四郎の意見が採られたようです。
今思い付いたんですが、哈喇土はトカラ列島の「トカラ」と通じるものがあるような、そんな気がする、冬の朝です。(明日から、札幌は雪ですよ)
●其四 カラフトの別称
「北蝦夷」も別称ですが、他にもいろいろあるようです。以下「樺太沿革・行政史」から
奥蝦夷・初島・クエ(クヱ、苦夷、庫葉、庫頁)・流鬼圍(ラヱルリ=クエ)・サガレン(撒甲連、薩哈嗹)・ヱレウテ=ボウセ・徳楞※山(デレンガサン)[※は「口」偏に「戛」]・タライカイ・シルン=モシリ
●其五 樺太庁について
「都庁府県」の「庁」には、北海道庁のほか「樺太庁」も入っているようです。昭和18年勅令第548号「地方行政協議会令」(
[62373]雪の字さんの記事をご覧ください)のほか、昭和20年勅令第350号「地方総監府官制」でも「都庁府県」の表現があり、「北海地方総監府」の管轄区域が「北海道」「樺太」になっています。