第三十一回全国の市十番勝負の問六に「複数市の合併」があり、それを調査する方法として、市町村雑学
東京市ってあったの? 消滅した市 のページが、
[78411]グリグリさんから示されました。
十番勝負から離れますが、この機会に、雑学のタイトルにも使われた東京市の消滅について少々。
雑学の冒頭に記されているように、形式的には 明治22年(1889)5月1日に 15区で誕生した「東京市」は、
隣接5郡の一括編入 による 35区への大拡張(1932年)などを経て、1943年7月1日の東京都制移行により消滅しました。
なお、いわゆる三市特例法が廃止されて、東京市が「自治体として実質的に発足した日」は、明治31年(1898)10月1日です。
東京市では、この10月1日を「自治記念日」
[55178] の名で、「市の誕生日」として認識していました。
これを引き継いだ 現在の「都民の日」
[33692]についても、同様の認識があります。
実は、
市の変遷 に表示されている「東京市の誕生日」は、形式的な誕生日である1889年5月1日になっています。
「自治体としての東京市」の実質的な誕生日が1898年10月1日であることや、それより前の時代の 15区が東京市に従属するものでなかったという意見は、既に
[74320]で記しました。しかし、市の変遷のページが 変遷情報と連動する仕組みになっているため、88さん担当の
変遷情報 に、特例法廃止による東京市(京都市・大阪市も)への制限撤廃が入力されない限り、グリグリさん としても 動けない
[74330] ということのようです。
88さん、お手数ですがご検討のほどよろしくお願いいたします。
88さん。私からも、具体的に下記の案を提示します。ご検討願います。
(変更年月日)1898(M31)10.1 (変更種別)三市への制限撤廃 (自治体名)東京市
(変更内容)実質的な自治権獲得、従来の 15区も、実質的に府から市に移管
また、1889(M22)5.1 に入力されている(変更種別)区設置を、(変更種別)区移行、編入等
と変更する提案を、
[74335]で行っています。併せてご検討願います。
要するに、郡区町村編制法による「従来の区」は、東京市が形式的に発足した1889年に「東京府15区」という身分を保ったまま「東京市」の領域内に「移行」した。(同時に、白金・原宿・早稲田などの地域を東京市内に編入。)
1898年からは、三市特例法廃止、市制改正(第3条、第72条)により、実質的には「東京市15区」になり、1911年の市制全改正により、形式的にも「東京市15区」になった。
以上のように理解しています。
消滅前のことが長くなってしまいましたが、東京市の消滅日は、昭和18年法律第89号
「東京都制」 の施行日です。
「東京都」は、東京府と東京市との「垂直合併」により作られた、極めて特殊な制度でした。
35区の範囲では、東京都は市町村の性格を持ち、三多摩と島では町村を包括する府県の役割を果たす。
もちろん、戦争遂行という特殊な状況の下に、帝都の一元的行政による効率化を図ったものですから、戦後の「自治・分権型」を基礎とする地方制度とは対極の位置にある、「官治・集権型」制度でした。
勅令指定都市の区【D1
[74736]】が持っていた法人格は、東京市廃止後の35区に引き継がれたとはいうものの、東京都になった当初の35区【D4
[74793]】は、条例制定権、課税権、起債の権限もなく、区の自治権は縮小されていました。
消滅した市の雑学・表の備考に、“特別区に行政移行”と記され、前書にもそのような記載があります。しかし、「特別区」は、戦後の新憲法下の「地方自治法」に基づく制度であり、これは間違いです。
「特別区E1
[75012]」になるのは、敗戦直後の大都市改革
[74795]により「市に準じる35区」(D5)になり、更に22区→23区への整理統合を経た後のことですから、消滅した市の雑学で、そこまで言及する必要はないでしょう。